1. 伊藤由美子のCozy Space
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2022-04-24 22:31

第82回「絵本の絵は、実物そのものを描いていない」絵本作家:ふじもとのりこ さん(中編2)

▶︎2022年4月のマンスリーゲスト

(第80回〜第83回までの全4回)

絵本作家の ふじもと のりこ さん

▶︎今回の内容

01:15 温かく読み聞かせ

     してもらってた子供たち

04:37 その物そのままは描いていない

08:21 芸大受験と

            教員採用試験で面接官との喧嘩

18:38 児童館での勤めが楽しすぎる毎日

「今、必要な人に届きますように✨」

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ふじもと のりこ さん  プロフィール

兵庫県神戸市生まれ。明石市在住。

京都市立芸術大学日本画専攻を卒業。

神戸市社会福祉協議会児童館に

26年勤務した後、LUNLUN工房を立ち上げ

色鉛筆画教室や造形講師をつとめるなど活動中。

2021年10月「ねんねんころりん」

2022年2月「いっこでも にくまん」

が発売され、今までに

絵本7冊、英語版1冊、工作本1冊を

世に送り出している。

近年は、絵本作家だけに留まらず

「神仏水墨画絵師」として絵も描いている。

ふじもと のりこ ブログ

https://ameblo.jp/lunlun-koubou

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◉番組Instagram

『建築士 伊藤由美子のCozy Space』

https://www.instagram.com/yumiko.ito_cozyspace/

▶今回のちょっとだけ詳しい内容はこちら

◉伊藤由美子ホームページ『Yumiko’Room』

https://yumiko0321.com/2705/

00:18
建築士伊藤由美子のCozy Space第82回、2022年4月のマンスリーゲストは、絵本作家の藤本範子さんです。
藤本さんは、神戸の児童館に26年勤務し、50歳の時に絵本作家になるために退職。
今までに、絵本を7冊、英語版の絵本1冊、工作本を1冊出版されていらっしゃいます。
去年の10月には、年々コロリン、今年2022年2月に、1個でも肉まんという絵本が発売になっています。
藤本範子さんのインタビュー3回目は、芸術大学時代のことや、児童館へ働くことになった絵記冊などをお話ししていただきます。
では早速、絵本作家の藤本範子さんのインタビューをお聞きください。
絵本って、そんなにページ数がなくて、言葉はそんなに多くなくて、
特に藤本さんの絵本って、言葉はすごく少なくて、絵があってっていうところなんですけど、
でも、この中に1ページごとにその方の思いが入ると、その方のものになるってことなんですね。
そうなんですね。
私の後は、01みたいに初めて絵本に接する人っていうコンセプトなので、
あんまりストーリー絵本ではないんですね。
特に小さい子で、まだ生き生きの感覚がないような、その都度その場で生きているような子供たちに向けて描いているので、
そういうストーリーのあまりない絵本なんですけれども、
でも、だからこそシンプルなだけに、いろんなものをそこに思いを投入することができるっていうところがあるのかもしれないなと思って、
この絵本を使って、自分たちの生きていくストーリーというか神話というか、そういうものを作っていっていただけるとすごく嬉しいなって思います。
多分ね、これも私の読んでもらっている子供たちはだいたい2、3歳なので、
ほぼね、大きくなった時に私の絵本を読んでもらった子供はほぼみんな覚えていないと思うんですよ。
覚えていないところの無意識のところにあるものってすごくやっぱり強く、逆に強く映画をするものなので、
絵本をずっと温かく読み聞かせをしてもらっている子供たちというのは、
中学、高校のすごい揺れるような時期になったときに、
どんなに傾いても目標を復元する土台の中心的になるって私は思っているわけですね。
03:07
でも感覚的にはわかりますね、きっと。
中学生ぐらいの絵本をずっと読み聞かせしているお母さんが、
ふと子供が部屋に入ってきて、絵本をすっと取って、
これ小さい時に読み聞かせてもらっていた絵本だよねって中で見て、また飛んで家で帰るとかっていう、
愛されていた記憶っていうのをもう一度思い出して、
今対峙している何かね、つらいこととか困難っていうのに立ち向かうエネルギーをもらえてきたんだなって思って。
だからその時に何かが起こるかどうかわからないけど、
愛情をかけてもらっていたものって必ずどこかですごく役に立ってもらえていることって、
そういうことしかないのかもしれないなって思うんですよ。
そうですね、確かに。
うわー、なんかでもすごい礎になるような本ですね、っていう風になればいいなって思ってますけどね。
いや、でもなんかね、本当に読み手の方がどんな風に子どもたちにいい時間を共有しているかっていうことだなって思うんです。
そこまではやっぱり作家がどうこうできることじゃないっていうことで、
祈るっていう感じもあるかしらと思うっていう。
書く上でやっぱり祈りっていうのは第一にされて書かれているんですか?
そうですね、書いているときは知っているので、なかなかそんなところまではありませんけど、
例えば私の絵を見てみんなも、すっかりそのまま自分の絵物そのものですねっておっしゃるんですけど、
実はそのもので書いてないんですね。
例えばこのケーキになれのオレンリタルトなんですけど、
これね、デッサンとかしている人が見たらね、デッサン狂ってるっておっしゃるもん。
あなたの絵はデッサンが狂っているから私は好きじゃないって言われたことがあったんですけど、
これはね、どう狂っているかというと、
これはこのタルトのその部分はほとんど真横から見ているんですね。
この上の部分は上から見ているんです。
だから視点が二つ入っているので、デッサン的に言うとこれは間違いなんですよ。
でもなんでこんな風に書いているかというと、子どもたちは横も見たいし上もしっかり見たいわけです。
だから子どもたちが見たいものが見えるように書いているんです。
藤本さん的にはもちろんデッサン的に言ったら違っていると思いながらも、
それよりも子ども視点で見たときのイメージで書かれているってことなんですね。
だからリアルな感じが崩れないところまで子どもたちが見たいものを見せてあげるように書いているんです。
もう一個高度なことをやっていらっしゃったな。
それなかなか聞かないとわからない話ですね。
そうだと思います。本当に。
06:00
デッサンは狂っているところもあります。
でもわざと狂わせているところもあります。
でも実際に狂っているところはあります。
ここはお客さんだと思うけど、そんなことないと思います。
藤本さんいつも思うんですけど、私可愛いなと思って、
私より年上の方に失礼なんですけど、いつも少女な感じ。
きっと生まれた時から死ぬまで少女なんだと思うんですけど。
少女のイメージなんですよね私。
子どものようにやるってやってるんで、
飽きるともういいわみたいな感じになったり、
反応してわーってなるみたいな。
じゃあ私の見たては間違ってなかったんですね。
間違ってなかったです。
本当に少女ってイメージがすごい強い。
お話しされる声の感じとかトーンも、
いつも可愛らしい。
喋り方も。
ちょっと口音障害があるので、音が聞こえにくいところがあると思うんですけど、
いきひきにひねりっていう異様な発音がおかしいんですよ。
そうなんですか。
聞こえないですね。
舌が短いとか言う。
舌ったらずってことですね。
なんか可愛らしい喋り方だなーっていつもね。
口音障害がある。
口音障害持ってたんですけど。
そうなんですよ。
そこを置いといても本当に可愛らしいと思うんですけど。
それ以外思ってくれてる人がいるんだよ。
最初の方から可愛らしい喋り方でね、
本当に少女みたいになりそうなと思って。
そうですね。
子供相手の仕事をずっとしてたので、
余計にそうなっちゃったかもしれないですね。
でもやっぱりそれはもう、
そういう役目があったんですね。
やっぱりお子さん相手にやりとりするような。
でもね、思いました。
絵は一応芸大で専門に習ってきたけど、
絵を専門に習ってきた人と、
保育を専門に習ってきた人は、
結構ね、両立しないんですよ。
どっちもあれだから。
でも私は絵を専門に、
だってさ、芸大って言ったらもうっぺんにさ、
保育の大学行き直さないじゃないですか。
確かに。そうですよね。
だから武蔵野美大の基礎デザイン科を、
ここまたちょっと面白いのが、
渋滞されて、
京都の芸術大学の日本画専攻っていう形で、
大学入りなしたんですよね。
その後、児童館に職員として、
もう最初から就職されたっていう、
流れが結構あるんですよね。
これもね、もう話し始めると、
もう終わらなくなっちゃうんですけど、
簡単に言うと、
私は本当は教員になろうと思ってたの。
芸術のね。
芸術の先生になりたかったんですけど。
それもなんかちょっと見えますけどね、
その感じですよね。
09:02
それがね、採用している時に、
指揮官と面接で喧嘩してしまい、
こんなことあったんです?
そうです。私結構なんかね、
そういうことをやらかすところがあって。
なかなかないですよね、面接の時にね。
面接の時に喧嘩しちゃうっていう。
なんで武蔵野に行ったかというと、
もともとだから、
京都芸大の日本画は一番大志望だった。
そうなんですね、もともとは。
高校卒業する前に集計する時に。
高校の絵本読み課に来てくれる変わった先生っていうのは、
京都芸大の日本画を専攻していて、
美術部のところに家に置いておけないような大きい絵を
いっぱい日本画を置いてらっしゃったんですよ。
高校ではみんな油絵を描いてたんですけど、
油絵のネトッとした巻き絵がどうも匂いとかで嫌いで、
なんか嫌だなと思って、
砂とか混ぜてね、描いてたんですよ。
えー、油絵に砂を混ぜて。
サラッとしたような、ネトッとしないようにして描いたりしてたんですけど、
その時に日本画を見た時に、これだー!とか思って。
日本画がやりたいんだっていう風に高校時代に思ったってことですね。
美術部で。
後でね、日本画をやった時に決まったっていう。
そんな甘いものじゃなかった。
これをやめといた方がよかった。
油絵の方がまだよかったかもしれないって後で思ったけど、
決まったけど、とりあえずその時は日本画をやりたいと思って。
で、最初の事件の時も、
自宅でね、油絵台ってあんまり皆さんご存知ないと思うんですけど、
いろんな大学や、いろんなやつやってるんですが、
デーサンと色彩構成と立体構成で大体3つ教材があって、
色彩構成っていうのはすごい練習をするんですけど、
資料とプロは使わないっていうのは、これは書かれてないんだけど、
なんとなくルールとしてある。
暗黙のルールとしてある。
資料とプロっていうのは、どんな色を持っていても合うので、
資料とプロを使うと逃げたと思われる。
っていうのがルールがあるんですよ。
何年間もずっと資料とプロを使わないで、
本職には使いますけどね、そのままでは使わないでやったのに、
芸大受験のその日にね、
これは絶対資料とプロを使いたいと思って使ったんですよ。
どうしたの?
落ちちゃったんですね。
バカだよね。バカでしょ、ほんとに。
なんで、寝るときだけ使うんだよ。
でも、本番で使っちゃったんですね、受験の。
すごい、ここは使うって思ってね、使ったの。
で、落ちたんですね。
アホだよね。
いや、アホとはちょっと私も言えないですけど。
それで武蔵の美術大学に入ることになるんです?
でも、武蔵美はね、行くつもりはなかったんですよ。
武蔵美は行くつもりはなかったんですよ。
うちもそんなに優良な芸じゃないから、
12:00
芸大の私学ってすごいお金がかかるし、
そうですね、私学ですもんね。
で、芸職もしないといけないんですけど、
ちょっと無理なのは分かってるけど、
ぶつけ本番で受験受けるの怖いじゃないですか。
だから、模擬試験みたいな感じで受けてたんですよ。
模擬試験という感覚で受けてたんですね。
受かってても行くわけないや、みたいな感じで言ってたんだけど、
大地震は?
そんな馬鹿なことをしたのに、
起きた後ですごい私が落ち込んでいて、
それでそこが保潔の合格したから行ってみるって言われて、
1年間行かせてもらって、
その1年間はすっごい勉強になりました。
その基礎デザイン科ですよね。
基礎デザイン科でデザインのことを勉強させてもらった。
そういうことと絵本の繋がっていて、
あれはやっぱりやらせてもらって、
すごい濃厚な1年だった。
そうなんですね。
あれは行かせてもらって本当にありがたかったな。
どこでも書かれたと思うんですけど。
いろんなことをやらせてもらって、
すごく勉強になった1年だったんですけど。
でも1年、濃厚な時間だったはずなのに、
中退されるんですよね。
芸大を受け直す。
4年間も行くと大変なので、
できたら公立に行きたいじゃないですか。
公立を受け直して、
公立を目指す時にね、
デッサンの受験事務があるんですね。
受験する時に、
みんなのところに来て、
今日はこれを気を付けなさいって、
みんな一言ずつ、
公式アドバイスするんですね。
で、私のところに来たら、
あ、藤本さん、藤本さん頑張ってね。
みたいな感じで、軽いな。
全然これは期待されてないな。
みたいな感じで。
だってね、1年もね、
ブランクあってね。
ブランクあってね。
しかもね、私の時って、
統一試験との切り替えの時だったんですよ。
あ、ありましたね、統一試験って。
そうそう。
私が下位級受けた時は、
普通だったんです。
浪人して受ける時に、
5票が全部あるっていう。
受験体制が変わっちゃってた。
そうそう。数学とか全然やってませんけど、
社会とかいいかとかどうしましょうみたいな感じで。
でもね、妹の教科書書いて、
数学の公式だけをなんとか覚えようとしたけど、
その公式もまともに覚えられなくて、
公式も覚えられなくて、
どうやって新試験受けようみたいな感じになったんですよ。
それがね、1つだけね、
公式丸暗記したやつがそのまま出たの。
すごいでしょ。
藤本さん持ってますね。
いや、これまま、このライブは全部聞けるって思って。
えー、それで京都芸大に、
本当の第一志望の京都芸大が受かったってことですよね。
受かったんでしょうね。
1年間は無駄ではなかったですよね、
その無差弁の基礎デザイン科の。
でも、デザインの時にって、
デッサンとかしないから、
だから1年前にデッサンの試験受けてから、
もうね、2、3万しか書かずに
15:01
次の試験だったので、
デッサンできるかなみたいな。
えー、でも合格されたんですね。
そうですね。
そうですね。
手はゆっくりになってたけど、
そんなに力は落ちてなかったんですね。
で、何が良かったかっていうと、
引き裂い構成が抜群に良かったんです。
なんかね、
400点満点で、
200点満点か200点満点で、
270点かなんか、
違う、200点満点で
170点か80点か取ったんですね。
だからその、デザイン科に行って
勉強したのが、生きてたんです。
うわー、本当に無駄じゃないですね。
だからね、
人生の色んな凹んだことが起こっても、
それってね、全部無駄じゃない。
無駄じゃないね、本当に。
でも、
神様からかなり下駄を
図ってもらった感じがするんですよ。
だから入ってからすごい大変だったんです、
これがね。
そうなんですね。
だから、大気肝に入ったからって言ってね、
それがね、
いいわけないけど、
むしろ大気肝に入ったことで
すごく大変だったっていう。
で、
そうなんですよね。
で、本当はそこの経験で
ちょっともういいやと思ってたけど、
絵本に最終的に50歳に戻るとこですね、
絵の世界にね。
あまり大変だって、
もう絵が描けなくなったりして大変で、
もう大学卒業して、
もうこれで絵描かないで済むって思って、
絵の世界から違うところに行きたい。
でも、親からね、お金出してもらって
すごい勉強させてもらったから、
勉強したことを活かして、
教育か福祉の仕事をしようと思って、
で、教員兼ね、
そうやってね、馬鹿なことをしてね、
そうしたわけですよ。
先生になろうと思ったけど、
その喧嘩してはそこにはいかず、
児童館に入るっていう流れになったんですね。
そうですね。
5段階評価とかしたくないとか言ってね、
わざわざいらないことを言ってね、
喧嘩しちゃったんですね。
普通の。
すごいですね。
面接のその、
教員採用試験の時に
5段階の評価したくないって、
面接官に言い放ったんですよ。
そう言い放ったんですよ。
馬鹿ですよね。
なかなかそれで総括はならないかもね。
ずっとさ、芸大とかのところにいたから、
自分の思っていることはちゃんと
主張しろっていう世界でしてきてるから、
だからね、言いたいことは言わなくていいって
書いても知らなくて。
もう思ったことを思っているまま
言ってしまったっていう。
だから、普通の算数とかそういうのはね、
やっぱり試験があって、
そういうのがあるけど、
絵の世界っていうのは、
自分の難面を描くもんだから、
難面に対して、
5段階の評価をするっていうのは
違うと思うって。
しかもそれを描けないっていうのは、
描けるようにしなかった
教員の責任であって、
その他の責任がないって。
特に音楽とか技術的なものが
すごくやっぱりあるんだけど、
絵っていうのは、
18:00
3歳の頃描いても
思いがすごいある絵だったら
音楽の割合が音楽に比べて
絵は低いんですね。
それが描かせることが
できないんだったら
それを引き出せなかった
教員の責任で、
それを子供たちの
あれにするのは違うと思う。
落ちたわけですよ。
試験の講堂先生が
教員に言ったら、
実技試験とかもあるね。
実技試験の弟子さんとかも
かなり評価通ってたんだけど、
完全に面接落ちたね。
その人が、
行くとこなかったら
福祉の施設だけど、
児童館行くって言うのが
ここに出てて、
児童館なんて行く人が
ほとんどいないんだけど、
どう?って言うと、
あ、受けてますって言って、
とりあえずね、
腰掛けて1年だけ
おろと思ったんですよ。
本当にだから教員試験
受けに行こうと思ってたら。
行ったらね、
評価とか無しで、
非常にいろんなことが
できる場所で、
居心地が良すぎて、
いいじゃんと思って。
福祉さん、ぴったしの場所だったんですね。
だから、それこそ
人より1時間早く入って、
仕事もしてたし、
大好きだったから。
やりたいことがいっぱいで。
帰ってやるのがないから、
自分で自由に。
自分で考えられるのが
大好きだから。
親子クラウスとかもしてたんですけど、
普通だったらね、
2日に分けてやるプログラムも
1日に2つぐらいやるぐらい
めっちゃ濃厚なのをやってた。
私が移動した時に、
移動したところまで、
下の子も先生のやつで
行きたいって言って、
電車で通ってくれてくれる親子の
3、4組いるぐらい。
そうなんですか、
福祉も子さんの
カルキュラムをやりたいって言って、
そうなんですよね。
空を離れて移動した時に、
しかも震災を挟んで
ゴシャゴシャだった時に、
助けてくださった方が
いらっしゃったりして、
めっちゃ楽しかったですよ。
そうなんですね。
だから最初の話で、
なんでみんな読めるのってことだったんですね。
定年退職前に50歳で、
でもまたそれは違う、
親子のために導かれていってるってことですよね。
しかも絵描かず、
ほとんど描かなかった26年。
絵を描かずに。
そうなんですよ、工作の方が。
そうなんですね。
今でも思うんですけど、
絵よりも工作の方が好きなんじゃないかなって思います。
今これ絵本作家として
ご紹介してますけど。
インタビューで申し訳ないですけど。
大丈夫ですよ。
多分私と大量の紙コップを
人の部屋に入れてたら、
3日ぐらいにずっと何か作り続けてて、
それぐらい工作の方が好きですね。
そうなんですね。
確か雨風呂のプロフィールを読ませていただいた時に、
21:00
あれ私、
藤本さんと7,8年前から
知ってる仲だと思い込んでたんですよ。
私、藤本さんのこと全然知らなかったなと思ったのが、
子供の時に小学校に行き始めたのが
小学3年生、半ばからだった。
全然私の中にその話がなくって。
幼稚園のことから入院されてたんですよね。
そうなんですよね。
そうなんですよね。
そうなんですよね。
そうなんですよね。
そうなんですよね。
幼稚園のことから入院されてたんですよね。
そうなんですよね。
そうなんですよね。
だから庄民議員で、
絵本作家の藤本どり子さんに
ご登場していただきました。
次回は、
入院していた子供の頃のお話や、
絵本作家以外の活動についての
お話をしていただきます。
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それでは次回もお楽しみに。
伊藤祐子でした。
22:31

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