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2022-08-21 20:30

第99回「¨Queen¨のメンバーと英語で話がしたい!その一念が奇跡から現実を起こす」ホリデーホーム会社経営:いとうあゆ美さん(中編2)

▶︎2022年8月のマンスリーゲスト

(第97回〜第100回までの全4回)

ホリデーホーム会社経営

いとうあゆ美さん

▶︎今回の内容(目次)

憧れから始めた英語学習

Queenの情報を

日本語で発信し続けた結果...

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▶今回のちょっとだけ詳しい内容はこちら

◉伊藤由美子ホームページ『Yumiko’Room』

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00:18
建築士伊藤由美子のCozy Space第99回、2022年8月のゲストは、ホリデーホーム会社経営の伊藤由美さんです。
由美さんは、2017年4月に日本からドバへ移住し、仕事をしていらっしゃいます。
今回は、英語を話せるようになりたいと思った子供の時のことや、ロックバンドのQueenとの出会いについてお話ししていただいています。
では早速、伊藤由美さんのお話をお聞きください。
そうなんですね。今、さっきまで25年間、英会話講師の塾をやられてたってことなんですけど、
もともと、英語を話せるようになりたいっていう、子供の時の思ったことがきっかけで、そこに到達していったと思うんですけど、
その英語を話せるようになりたいっていうきっかけのお話、ちょっと聞かせていただいていいかなと思いまして。
それは私がミーハーだったからですね。
ミーハーいいんじゃんね。
要は、最初の英語との出会いっていうのが、セサミストリートなんですよ。
小学1年生の時に夏休みで見たセサミストリートで、言ってることさっぱりわかんないけど、なんか楽しいと思って、
そのテレビ番組がね。それからセサミストリートずっと見るようになって、
まだ私の子供の頃って、アメリカのテレビ番組がすごい盛んに日本で放送されてた時期なんで、
母親に言わせると外国かぶりの娘だったんですよ。
お母さんに言わせるとね。
母親に言わせるとね。小学校の5年生ぐらいから洋楽聞くようになって、洋楽がすごい好きで、最初はベイシティ・ローラスにはまって、
ベイシティ・ローラス。
ベイシティ・ローラス。そこからクイーンに行き、その頃って、ほら、LPレコードね。
LPレコードね。
LPレコードの歌詞カードに、英語の歌詞と日本語訳が書いてあるわけですよ。
そっかそっか。
まずその日本語訳をいちいち読むのがめんどくさいって思ったんですね。英語をそのまま理解したいって思ったんです。
まずそれが第一で、それはベイシティ・ローラスの頃からずっと思ってて、クイーンにはまって。
ベイシティ・ローラスはいくつぐらい?
小学校5年生ぐらいから。
小学校5年生からね。
中学校になってクイーンにはまって、その時にミュージックライフっていう音楽誌が毎月出てて、ミュージックライフは毎月クイーンを取り上げてて、インタビューしてて。
03:01
私もこのミュージックライフの編集者になって、直接メンバーに会いたい。直接メンバーに会うには英語が話せないといけないと思って。
中学の時に思ったんだ。
英語を話せないといけないと思ったのは、たぶん中学の前ですね。小学校6年生の時にそう思って。
母親に英会話教室に通わせてほしいって言ったら、母親が週に1回ね、習いに行くぐらいでは英語なんか喋れるようにならないから、行かせてあげないって言われたんですよ。
その反抗。反抗されたみたいな。
本当に英語が話せるようになりたかったら、NHKのラジオ講座の基礎英語、あれをやりなさいって小学校の6年生の時に言われて。
もんならやってやるわと思って、毎朝6時半に起きて、基礎英語を毎日毎日聞いてて。
そこからですね、それでクイーンが好きになって、私は絶対にクイーンと話するんだと思って。
直接会って話ができるようになりたいから、英語もとにかく話をできるようになりたいんだ。
もうそこからずっと私の英語人生が始まって。
英語人生ね。でもその時に決めたんだよね、またね。
クイーンと直接話したいんだっていうことを決めた。
会いたいんだ、話したいんだと思って。
会うだけじゃダメなんだよね。
話がしたいの。話がしたいから、それには英語を話せないといけないから、とにかく私は英語が話せるようになるんだと思って。
中学校高校の頃、趣味は何ですかって聞かれたら、もちろん映画鑑賞とか音楽鑑賞とかもね、そういうのを言うんだけど、洋楽が好きです。
それと英語の勉強ですって言ってたぐらいだから。
そうなんだね。
とにかく話がしたかった。
で、ずっと英語を続けて、高校卒業した後は英語の専門学校に行きました。
その後、名古屋観光ホテルに就職したらば、その就職した年の5月にクイーンが観光ホテルに泊まったんです。
4月に入社して、次の月?
うん、次の月。4月に入社した時に知らなくて、ある日、私フロントと宿泊予約のところにいたんで、ふーっと予約を見てたらクイーンって出てきたんですよ。
すごいね、それも。
クイーンって出てきた。
上司に、これってクイーンですかって聞いたら、そうだよって言われて、はぁー。
それ、そう聞きたくなるよね。
クイーンってだって。
泊まるの?みたいな。来るの?みたいな。
すごいよね、その引き寄せ方。
しかも観光ホテルに入社したのは、結局ミュージックライフの編集者になれなかったから、そのホテルに就職したわけですよ。
06:07
そうか、だってそうだね。
夢はミュージックライフの編集者でクイーンにインタビューするのが夢だったんですね、その時は。中高生の時の夢。
だけどその夢が破れて、親が東京に行かせてくれないって言ったんでね。
うちの親、すごい厳しかったんで。
そんな女一人で東京に就職するなんて絶対無理だって言って、行かせてくれないね。
でも地元の観光ホテルに就職したら、バー!クイーン来た!みたいな。
早いよね、でもそれの展開もまた。
4月に入社し、5月に入社。
それが1回目のクイーンとの遭遇。
すごいね。
まだその時はフレディも生きてたから、フレディも会ってる。
だけどその時はもう舞い上がりすぎて、頭真っ白になっちゃって、何も言えなかったの。
ちょっと姿は見えたけど、話すことはできなかった。
メンバーには会ってるんだけど、もう胸いっぱい、もう興奮状態だよね。
そうだよね、きっとね。
真っ白になっちゃって何も言えなかったの。
で、そのままクイーンが結局2泊したんだけども、
メンバーとは会ったりとか見たりするんだけども、
もう全然話ができなくて、それが悔しかったのね、すごく。
すごいね、そこでさ、見たからもう満足じゃなくて悔しかったんだよね。
話せてないんだもんね、まだね。
頭真っ白になっちゃったんだもん。
なんで私話せなかったの?みたいな感じだよね。
そう、だからもう話せなかったっていう、もうそれが悔しくて、
でももうその後にクイーンはもう日本に来日しなくて、
で、その後私ももう結婚して子供ができて、子育てで忙しくて、
一時期はクイーンどころじゃなくて、ちょっと離れてた時期があるんですよ。
そしたらフレディー死んじゃって。
そうだよね。
フレディー死んじゃって、ものすごいショックで、
ダメじゃん、もうクイーンいなくなっちゃうじゃんと、フレディーが死んだよね。
だからもう日本にも来ないし、喋る機会がなくなっちゃうって思ったんですよ。
で、それがなんかこう原動力になって。
すごいね、それが原動力になるっていうのもすごい。
以前よりももっとクイーンにディープにはまっていって、
で、施設のファンクラブの人たちと出会って、
それまではファンクラブとか一切入ってなかったので、
ただ一人で好きですみたいな感じだったんだけど、
そこで仲間を作るっていうことを覚えて、
仲間を作って施設ファンクラブの活動を始めて、
で、その活動を2、3年してた時に、
ちょうどメンバーの一人がインターネットライブをやりました。
09:03
で、まだその頃ってほら、やっと家庭用のパソコンが普及し始めた頃で、
まだみんながインターネット使ってるっていう時代じゃなかったのね。
1998年なんだけど。
それはそうだね。
1998年。
その時にインターネットライブがどうしても見たいからと思って、
パソコン買ったんですよ。
まだデスクトップこんな分厚い大きいやつで、
まだほら、ダイヤルアップ接続の時。
ガラガラガラガラガラって。
そうだった。
ダイヤルアップ接続あった。
その時代よ。
その時にパソコン手に入れて、
結果的にそのライブは見れたかって言ったら、
ほとんどバッファチューバッファチューバッファチューで絶対見れなかったんだけど、
ダイヤル返せたからね。
難しいよね。
だけどそのパソコンを手に入れたことで、
日本にいたらクイーンの情報何にも今まで入ってこなかったのが、
要は英語で世界にアクセスしたら、
いっぱいいろんな情報が入ってくるんですね。
クイーンちゃんと活動してるやん。
こんなことやってるやん。
メンバーがね、こんなことやってるやんっていうのを知り始めて、
で、イギリスのファンクラブとも繋がるようになって、
私が世界から集めてきたクイーンの情報を、
日本語に訳してウェブサイト、
うちの施設ファンクラブのウェブサイトで発表するようになったのね。
だからそこで今まで学んできた英語がまた生きるんだね。
そうそうそうそう。
だからその時ってパソコン持ってて、
しかも英語ができるっていう人って、
あんまりいなかったのね、クイーンファンって。
そうだと思うよ。
だからそこで私がもう積極的にファンクラブに、
日本でこういうことやってますということをアピールして、
そっちからも情報をもらって、
っていうことをやってたのが、
要はイギリスのオフィシャルのファンクラブに認められたのね。
すごいね。認めさせちゃったんだ、そこも。
そう、認められちゃって、
で、日本でオフィシャルのクイーンのイベントをやってほしいって、
オフィシャルファンクラブから依頼されたの。
すごいね、それ。
さすがだわ。
で、それで日本でオフィシャルのファンクラブのイベントを主催すると同時に、
その頃ってメンバーがそれぞれソロの活動をしてて、
ソロで来日したりとかしてて、
それで、要は追っかけだよね。
追っかけみたいなことをやって、
それでメンバーとも顔見知りになって、
その時はもう頭真っ白にならなかった。
大丈夫だったんだ。
話して、その後、
ギタリストのブライアン・メイと、
彼も自分のオフィシャルウェブサイト持ってて、
そこで色々私とやり取りするようになって、ブライアンと。
で、ブライアンも私のことを覚えてくれるようになって、
で、ロジャーとも、
それよりも何年か前に、
12:00
娘連れてロジャーの追っかけした時に、
ロジャーが娘のまだ、
あの時は4歳?
5歳ぐらいだったかな?
4歳ぐらいだったかな?
娘がロジャーに花束をあげたりとかしたのね。
追っかけしてる時に。
それをロジャーが覚えててくれて、
娘のことを。
それでロジャーとも話ができるようになって、
っていう、なんかこう、
メンバーと直接つながれる機会が、
どんどんどんどん増えてきて。
すごいね。
すごいね。
だから、もう気がついたら、
クイーンが来日したら、
バックステージに呼んでもらえるようになってて。
スタッフじゃん、もう。
私、夢叶ってんじゃん、みたいな。
でも、それってなんかさ、
やっぱり、いきなりじゃなくて、
いろいろ…
もちろんステップがあって。
ステップがあって、
アクションを起こし続け、
好きでい続けて、
思い続け、
英語の勉強もずっと続けて、
結局、ファンクラブの活動を必死になってやって、
やった先に、
ご褒美として、
クイーンのメンバーに覚えてもらえるようになって、
っていう感じですね。
バックステージまで、
いつも呼んでもらえる。
今、クイーンのメンバーはもちろんだけど、
クイーンとしてやるのに、
サポートメンバーがいるんだけど、
そのサポートメンバーとめちゃめちゃ仲良くなっちゃって、
それこそ、15年代、20年代の
友達って言ってもらえるぐらい、
仲良しになっちゃってるんで、
必ず、バックステージには呼んでもらえて、
たまに、
ロジャーがバーに来るから一緒に飲まない、
って呼んでもらえたりとか、
ホテルに。
もう、その時も頭真っ白にならないね。
そう、ならない。
もう、その時はまだならなかった。
もう、ここぞという。
ばかりに自分のいろんな話とか、
したりとか、向こうに来て、
向こうの話も聞けたりとか。
そうそうそう。
それって本当に、
何、最初に話した時っていうのは、
え、どなたと話したの?
その夢が叶った時。
その夢が、
一番最初は、
ブライアンですね。
違う、ブライアンじゃない。
一番最初はロジャーだ。
ファンクラブの活動を始めるきっかけになった、
ファンクラブの皆さんと会うことになったのが、
えっと、1994年に、
ロジャーが、
東大寺でやるコンサートイベントがあったのね。
いろんなミュージシャンが出て、
日本からも吉木が出たりとか、
そうそう、東大寺で。
で、あと、ボブ・ディランとか、
いろんなミュージシャンが参加するコンサートがあったんですよ。
青鬼吉っていう。
そんな、何、すごいスペシャルだね、そのメイン。
そう。
そう、奈良の東大寺で、
そのイベントが1994年にあったのね。
それで、
イベントがあると、
15:01
でも私まだ子供が小さいし、
その子供を置いて、
そんな奈良までね、
コンサートに行くことはできないなと思ってたら、
コンサートの広告を見てて、
そこの共産に、どことことことこと、
いろんな会社名のところに、
大阪のホテルの名前があったんですよ。
うん、うん、はい。
じゃあ、ここのホテルに泊まるんじゃんと思って。
さすが、ホテルについて。
ホテルに勤めてたことだけある。
そうそう、ピンと来たのね。
ここのホテルに泊まるんだと思って、
確認しようと思って、
ホテルに電話して、
ロジャーテイラーがいますかって言うと、
ホテル側は何も言わないんで、
スタッフの名前を言ったんですよ、私が。
誰々さん泊まりますか、みたいな。
はい。
宿泊者に誰々さんの名前を。
はい、お泊まりになります。何日から何日までです。
やったと思って、
これもう確実にここじゃんと思って。
すごいね、そのリサーチ力も。
本日娘を連れてホテルまで行きました。
ホテルにいれば絶対に会えるだろうと思って、
ロジャーにね。
はい。
そこで初めて施設ファンクラブやってる人たちと
知り合って、
一緒にファンクラブやりましょうって話も
そこでまとまったし、
その時にロジャーが降りてくる時に、
何とか印象付けたいと思って、
娘に花束持たせて。
子供だしに使ってきて。
子供だしに使った。
だから、
普通にファンが近づいたら
ボディーガードが
はねどけられるけど、
子供は大丈夫だ。
子供、
娘を私の前に置いて、
ぐーっと正面から近づいてきて。
すごいね。
すごいね。
そしたらやっぱり、
もう作戦大成功で、
ロジャーすごい喜んでくれて、
ボディーガードも
もうその
ふんふんっていうことはしなくて。
羽のけることもなくて。
羽のけることもしなくて。
花束あげて、
もうちょっと
本当に2、3言話をして。
その言葉って覚えてる?
覚えてない。
そこはもうちょっと、
もう興奮状態だからね。
興奮状態だから。
でも喋ったんだね。
何かを喋ったんだね。
2、3言喋って、
それをだからロジャーが
10年経った後も覚えてたの。
うわー。
そうなんだね。
あの大阪のホテルで。
そうそう。
娘が花束あげたんだけど、
その時も娘連れてて、
バックステージでね。
この子だよって花束あげて、
大阪で青ニオシの時にあげたんだけど、
覚えてるって聞いたら、
覚えてるよ。
あの時の花はもう枯れちゃったけど、
あの時の女の子はこんなに近い成長したんだねって
うわー、そうなんだ。
いやー。
嬉しい。
嬉しいって私、
一瞬その気持ちになっちゃったけど。
へー。
すごいね。
18:01
何この夢の叶い方。
もう本当にね、
もうクイーンと話したい、
どうしても会いたいっていうのは
どうしてもあったけど、
ファンクラブ活動をやってた時って、
もうそのこと忘れてたのね。
あ、そうなんだ。
もうとにかく私は、
この日本で育たれてるクイーンを
何とか復活させたいっていうのと、
へー。
今またクイーンってさ、
映画の、
ね、ボンヤミア・ラブソーディーね。
すごい人気になっちゃったけど、
あの頃って私たちはクイーン氷河期って呼んでるんだけど、
そうなんだ。
クイーン氷河期あったんだ。
クイーンファンがいるかどうかもわかんない。
何の情報もない。
クイーン氷河期だったから、
何とか日本のね、
自分のファンクラブの仲間だよね。
仲間にクイーンの情報を伝えたい。
海外のサイトから持ってくれば
いくらでもある情報が、
情報がいくらでもあるんで、
伝えたいっていうことと、
クイーンファン同士で団結して、
もっと盛り上げたいっていう、
もうそれだけだったのね。
それってさ、動機が純粋だね。
うーん。
もうとにかくそれだけで、
ファンクラブ化するに没頭して、
ずっといろんな活動してたら、
本国のオフィシャルファンクラブからも認められ、
クイーンプロダクションからも認められ、
で、メンバーとも、
自分が追っかけやってたからね。
追っかけやってたのがきっかけで、
メンバーと顔見知りになって、
そのウェブサイトでつながって、
話ができるようになり、
バックステージに呼んでもらえるようになり、
結局そのメンバーと会って話をするっていうのは、
これの活動のおまけ、
ご褒美としてきたのかな、みたいな感じ。
そういうことだね。
神様は見てるね。
本当に。
伊藤恵美さんにご登場していただきました。
次回は、夢の叶え方についてお話していただきます。
この番組をまた聞きたいなと思っていただいた方は、
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毎週日曜日に配信されたものがスムーズに聞けますので、
番組登録をよろしくお願いします。
それでは次回もお楽しみに。
伊藤恵美子でした。
20:30

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