今年は少し成り立ちというか立て付けを変えて新しい場としてスタートします。
そうですね。私が通っていた2017年とはどの部分がちょっと変わった?
どの部分というか、我々の中では継続性があるんですけど、
場作りというふうに言うと、やっぱりテクニック、方法、手法というものがあって、それを学ぶとうまくできるようになるんじゃないかというふうにみんな思うんですよね。
半分は正解というかその通りなんですけど、もう半分はテクニックだけではどうにもならないものというのがあって、
さっきの大変の中身もコミュニケーションの話があったじゃないですか。
コミュニケーションって妥協をすれば別に大変じゃないと思うんですよ。
こういうふうにしたいなと思っても、いや、もっと全然違う形にしたいって言われて、
いやだな、そんなことだったらやりたくないなって思っても、
まあじゃあそうしましょうかって言ってやれば、形だけは整うと思うんですよね。
別にコミュニケーションを取ると言っても、取った結果、ちゃんとお互いの思いをすり合わせることができるかどうかというのがあるので、
それをやっていく、自分としてはこういうふうにしたい、こういうのは違うと思う。
それもただただその時に自分の心の中にあることを言っているだけじゃなくて、やりとりしながら、
言ってみたけどそうか、そういうふうに言われたら違うかなとかっていうことって当然あると思うんですけど、
そういうふうにその場でいろいろ自分の考えが変わったり、そのメンバーだからこその新しい何かが生み出せたりっていう、
そういうコミュニケーションの取り方でないとコミュニケーションの価値って本当ないじゃないですか。
だから自分でどんなふうにしたいんだっていう、自分の中の願いっていうか思いっていうか、
そういうものをまず自分がつかんでないと本当の意味では何か場を作る、自分にとって居心地のいい場にする。
例えばそれが普通に家庭のね、別に場を作るって言っても何かとてんを作ってお店作るとかそんなことだけでなく、
家庭とかいろんなもうすでに自分が属しているコミュニティをより居心地のいいものにお互いにとってっていう、
それも場作りっていうことに含まれるんですけど、そういう風にしていこうと思っても自分の願いっていうのが自分の中で曖昧なままだと、
何かこうなかなか作っていけないっていうところがあるんですね。
それはそもそもそういうものなんですけど、今回そのコロナ禍になって、
多くの場がね、やっぱりもうコロナだからやめようかって、東京だからなおさらなんだけど、
もう自粛とかね、中止とか、あとオンラインでやりましょうって言っても一日中パソコン見てるみたいな感じになったりだとかして、
簡単に言うと今まで通り開けないような形になってきてるんですよね。
そうすると、それを継続して開くのか、それとももうやめちゃおうかっていう問題がね、あるじゃないですか。
今までは、例えば台風が来そうだねとか、大雪降るらしいよとか、危ないからやめようとか、
まあでも当日の朝に判断すればいいよとか、それぐらいで調整できたんだけど、今回のこの新型コロナウイルスは、
すごいなんかこう、そういう形では対処できない。
じゃあもう全部やめましょうって言ってやめちゃっていいのかなっていうのも当然ありますよね。
さっきそういうね、コミュニティ作りみたいなのももちろん場作りだけど、普通の家庭や職場ももちろん場だっていう風に考えると、
じゃあもう移るといけないから家族もバラバラに住みましょうってするのかっていうのがありますよね。
でもこれは半分そういう風になりましたよね。規制をしなくなったでしょ。
親に会いに実家に帰るっていうことはやめましょうっていうことになって、
普段だったら一緒に過ごしてた人たちが別々になる。
もしかしたらその年ちょうど何かの影響で別にコロナ関係なくても、
高齢の親御さんが亡くなったっていうケースもあるはずなので、
そうするともうあいずじまいになった。離れ離れのまま死に別れだということにも、
実際そういう例ってたくさんあると思うんですけど、どうするっていう話。
家族の面会もそうだし、何かその職場もそうだし、
あとはこういう場があるからこそ自分の人生ってすごく充実してる。
今この場があるからすごく自分と抱えていられるなって感じてる場があったのに、
ウイルス危ないからもうやめようかっていう風にしていいのかどうか。
いやもったいないからやろうよ。でももし感染してクラスターかなんかになって、
いろんな責任もあるしどうするのかって話が来ると、じゃあやっぱりやめようかってね。
こんな話って正解がなかなか出ないですよね。
今までの台風が来た時とか、ちょっとイングレーザー流行ってるとか、
雪がすごく降るらしいとかっていう時は、コミュニケーションすればそれなりに何とか判断ができてたのが、
もう今までの深さのコミュニケーションだと判断できなくなってるっていうか。
それは結構したんですけど、さっき言ってた生き方のところまで深めて、場を作るっていうことを問い直すような形にしようっていう話をしてたのは、
実はコロナウイルスの1年前からだったんです。
そうなんですね。コロナは関係なくやっぱりそこは必要だろうということで。
やっぱりそこをやらないとダメだなっていう風に思って、やっぱり形だけっていくらでもできちゃうと思うんですよね。
正直形だけの依頼だなって思うような仕事もあるし、自分たちのこと、お互いのことをよく分かって依頼してくれたなっていう仕事もあるし、
どちらも事業だからありがたいんだけども、ちょっとそれで回ってるしみたいな。
事業としてうまく回ってるからみたいな。
やってる感があるみたいな。
我々みたいな小さなNPOだと、そうやってしっかり売上が立っていくっていうことは当然大事なことなので、
でもそうやって売上が詰め重なっていくとか、ちょっとずつ狭い世界だけど、狭い世界で知ってくれてる人が増えていくとかっていうことって、
いいことじゃないですか、基本的に。ね、事業していく人たちにとっては。
いいことなんだけど、そんな波にだけ乗ってサーフィンしてると、本当に自分たちがやりたいこととか、これこそ自分たちでやろうと思ってたことっていうのが、
だんだん難化していったり曖昧になっていくかもしれないか。
我々の活動ってもともと本当にボランタリーな世界のものなので、持ち出し当たり前みたいなね、創設当初は。
でも今、ただでもいいからやりたいっていう仕事ってどれくらいあるかなって。
ただでもいいからやりたい仕事って。
それはもちろん、どっかいればちゃんとお金が入ってこないといけないから、全部ただっていうのは無理なんだけど、
この仕事はたとえギャラがなくても、絶対やりたいんだっていうことってどれくらいあるかなって思った時に、
そんなにたくさんはないんじゃないかなっていうのはね、やっぱり正直なところだったんですよ。
しっかりお金もいただけるので、喜んでやらせてくださいっていうところでバランスが取れてるっていうか。
世の中的には当たり前だし、感謝しなきゃいけないことだったのは分かってるんだけど、
でもそのことだけになっちゃうとまずいなっていうのは、なんか静かな危機感としてあって。
そしたらこんなね、コロナが来ちゃったから。
まさかの。こんなことが起こると誰もが思ってなかったですよね。
本当に生きてるうちにこんなことがあるとは。
本当に問いかけられてますよね、それぞれが。
そうですね。だからすごく大変な時期だけども、やろうとしてたことに対してはすごく追い風っていうか、
話を聞いてもらいやすくなったっていうか。
そういうことですね。コロナの前にもそういう方向に行こうというか、