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おはようございます、ゆみです。今日もラジオを撮っていきたいなと思います。
このラジオは、人間関係だったりとか、キャリアに悩んでいる人に伴奏心している、コーチの私が、
普段の気づき、ありゃこりゃを発信しているラジオになっております。
はーい、はい、はい、はい、なんだよ、始まりをいつもなんかこう迷いますね。
こう、ひとりごと、正直ひとりごとなんで、やっぱりこうラジオ、なんかあのひとりごとなんで、
誰に話すわけでもないって感じで、なんかこう、
今日なんだろう、究極言えば永遠にふざけられるわけなんで、あのふざけようか、ふざけまいか、いつも迷うんですけど、ちょっと最初だけふざけるっていう選択を毎回します。
あれですね、多分、多少、なんかふざけた方が喋りやすいんだと思う、最初は。
勢い付けないと、なんかこうひとりごとって喋れないからさ、なんかあの難しいんですよね。
人がいるとやっぱ話しやすいけど、やっぱこうひとりごとってなんか難しいじゃない、難しいんですよ。難しいよ。
おー、誰、共感してくれ誰か。共感してくれ誰か。
ほんとよ。って思いながらやってます。はい。
まあまあ、えっとそんな感じでちょっとやっていこうか、今日もやっていこうかなと思いますが、はい。
コントロールできないことを手放す
えっと今日はですね、コントロールできないことは手放すという話をしようかなと思います。
手放す、手放す、手放す、手放す。よく聞く言葉でもありますな。
なんかあのー、そうね、この話をしようかなと思った理由が、
まあちょうど昨日ですね、なんかあの知り合いとお話、まあというかまあ一緒にプロジェクトとかでなんか結構
お仕事参考もらってる人とお話をしてた時に、まああのすっごいフラットな人なんですね、その人、すっごいフラットで、
本当にあんま怒らなくて、でもすごい柔らかい柔軟な方ですごい、なんだろうな、
あのお仕事もすごくできる方だったりするんですけど、なんか感情的になることあります?みたいなことをちょっと聞いたんですね。
そしたら、いやほとんどならないですね、みたいな話をしていて、で、こう、
割とこうなんて言うんですかね、感情的になりすぎないっていうかつ、こうフラットに何でもこう受け止められる人っていうのは、
なんか本当に素晴らしいなじゃないですか、すごいなと思っていて、で、
なんか彼と対話する、まあ男の人なんですけどね、彼と対話する時は大抵なんかこうすごい前向きな未来の話をする傾向があって、
なんかすごく、なんか話しやすいというか、あの私も前の未来の話をしやすくて、すごくいいなと思っているっていう感じなんですね。
で、なんかこう私に、私の思考傾向って結構過去の分析結構しがちなんですね。
あの時こうだったからああだったとか、そういうこうなんですね、過去の話を割としがちなんですけど、
彼の場合はこう未来の話をちゃんとするみたいな感じのタイプで、すごくいいなぁみたいなことを思ったんですよね。
で、実際未来の話をしっかりやっているおかげかわかんないですけど、あんまりこう、
おー、なんだろうな、未来の話だからというか、ちょっとやっぱり、あの、
そうですね、さっき言ってた話なんですけど、コントロールできないことは、
なんか一定こう、いい意味で諦めてるみたいな感じの話を昨日ちょうどしたんですよ。
なんか、あのー、なんでそんなに結構フラットでいられるんですか?みたいなことを聞いたら、
あの、いや、なんかぶっちゃけなんかこう、無理なものは無理みたいな感じで思ってますね、みたいな話をしてて。
なんか、考えてもしょうがないことってやっぱあるじゃないですか?って言って、考えてもしょうがないことは考えてないですね。
なんか、ていうか、頭の中から消えますみたいな話があって、おー、なるほどなぁ、みたいな。
フラットな人との対話
なんか、すごいいいっすよね。羨ましいって普通に思ったというか、なんか考えてもしょうがないことを瞬時に頭から消すっていう動作が、
あの、自然にできてるって、なんかもう、こう、羨ましいなぁと思ったというか、私は意識してやってるんですね、割とどっちかっていうと。
考えてもしょうがないことは比較的、こう意識して頭から消すみたいなことをしてるタイプで、
まあ、消すっていうより、まあ、なんか一旦脇に置くに近いかな。なんか私の場合はちゃんと頭に残ってるんで、割と。
おー、脇に置いて今は考えないって決めて、で、だいたい仕事やりきった後とかに考える時間を取るみたいな感じにしているんですよね。
でも、そんな人は本当に完全に考えないって言ってたんで、なんかすごいなって思ったというか、
脳がそういうふうに学んでる。考えてもしょうがないことを考えないっていうふうに脳が学んでるんだと思うんですよね。
なんかすごいよね。 考えてもしょうがないことを考えると、ろくなことがなかったのかもしれないね。
まあ、だいたいろくなことにならないわけですけど、考えてもしょうがないこととか、コントロールできないことに対して、
ずっと考え続けても、やっぱりコントロールできないんだから、改善はできないんですよね。
どっちかというと、変えられることに目を向ける方がいいっていうのは当たり前の話なんですけど、
まあ人っていうのは、変えられないものを変えたいっていうのが結構本能なのかな、わかんないけど、
考えやすいのかなって思ったりはするので、割とそういう傾向は多い中で、
コントロールできないことは考えないっていうのはすごくいい話だなって昨日思いましたっていう感じなんですよね。
なんかコントロールできないことって、例えば具体的にどういうことなんですか?みたいな話だと思うんですけど、皆さんどうですかね?
結構考えます?コントロール。 例えばですけど、コントロールできないことは、私はもうこの時代だったりとか、
自分がどこの時代に生まれたりとか、どこの家庭に生まれたとか、どこに生きていると、
なんだろうな、そのあたりかな。 まあやっぱり生まれですよね。生まれとか自分自身に生まれたこととか、
あとはもう、会社だったらさ、なんかもう性格だよね、上司の性格変えようとかは絶対思わない。
思わないし、やっぱり人のもともとを持っている考え方とか価値観を根底から覆そうとするっていうのは、
本人によるものだなって思ってる。何かきっかけで変わる可能性は全然あるけど、
そのきっかけに無理やりなろうとしないことっていうのはすごく考えてますね。
例えば私だったら、人の役に立ちたいし、コーチングという仕事をしているので、結構やっぱり自分自身のもともと持っている根底のアイデンティティじゃないですけど、考え方みたいなところに触れて、
確かに変わるきっかけをもたらすこともあるんですね。
それは前提言うと、やっぱりどっちかというとクライアントさんだったりとか、
本当に自分がそこの考え方を変えていく必要があると思っている人に向けてだったらやるけれども、
変わりたいと思ってない人にまで変わらせようとは思わないみたいなところがあるんですね。
さっき言ってたように、例えば上の人とか部下とかもそうですけど、本人が変わりたいと思ってないのに変わるっていうのはやっぱり難しいんですよね。
難しいしコントロールできない。いつ変わりたいと思うか分からないし。
例えばですけど、パオハラして訴えられて、初めて自分って実はパオハラだったんだって気づいて変わっていく上司とかともいると思うんですけど、
人間関係の組み立て方
例えば会社に評価下げられて、初めて自分の関わりが問題あるんだなっていう暴君の上司がいたとして、
でもそういうのって自覚的にならないと、自分が変わろうって思わないと変わらないと思うんですよね。
なんか俺別にパオハラじゃないし、みたいなことを他者からいかに言われても、
あなたのその根本的な考え方があなたが悪いんですよとか言われても、
そんな、いやいやってなるはず。いやいやってなりやすいと思うんですよね。
だからなんかその、
やっぱりそういう、例えばめちゃくちゃ苦しい上司に出会って、パオハラ的な考え方を根本的になんか部下の立場から覆そうとするっていうのは割と、
なんだろう、こう、難しかったりするんじゃないかなって私は思ったりするんですね。
で、どっちかっていうとなんかこううまく乗りこなすじゃないけど、考え方としては、
なんかこの人はもうパオハラなんだなじゃないけど、思考パオハラなんだなみたいな、
なんかこう人のことを傷つけるっていうことを無自覚に特性としてやってしまっていて、
ついついこう、なんかこうパッとやってしまう人なんだなみたいなことも受け入れてしまうみたいなのが、
なんかこう、受け入れるっていうか、傷つけられることは受け入れなくていいよ。
傷つけられることはなんか受け入れなくていいけど、この人はこうなんだろう、こういう特性を持ってるんだなみたいな感じで、
一旦こう受け止めて、なんかそれのりの付き合い方を考えるみたいな感じですよね。
なんかコントロール、相手の根本的な考え方を変えるっていうことまではアプローチは、
私が部下の立場だったらだよ。部下の立場だったらやらない、
上司と部下の関係性
かな。 やらずにあの第三者に任せますのはなんかこう、
あのー、やっぱり上司部下っていうシステムの中でこう相手の考え方を結構、
特に部下から上司っていうのを変えるっていうのは案外難しいって私は思ったりするので、
なんかよっぽど外部の介入がないと割と、
なんだろう、建設的に動きづらいんじゃないかなと思います。よっぽどお互いできた部下上司じゃないと難しいんじゃないですかね。
ちょっとできた上司って言い方も良くないけど、なんだろう、お互いに冷静にお互いの悪いところをなんか伝えられる関係性が築けてるんだったら大丈夫だと思いますよ。
なんかお互いの、こう、尊重して、
なんかお互いが気になっていることをなんか遠慮なく言い合える関係性が元から築かれてるんだったら別にいけるんじゃないかなと思うけど、
そうじゃないならまあ割と危険ですよね。なんかお互いどっちかが傷つくのは別に悪いことじゃないけれども、
なんか、うーん、傷つくのは悪いことじゃないけれども、
なんかボコボコボロボロになって終わりそう、気がします。
で、私もなんか学んだことがあって、
うーん、中に入り込む、なんかその例えばこう、上司部下とかその会社の中の一人間として入り込んでいるときに、
なんかそのこう、客話しって結構難しいじゃないですか。自分がどういう、
会社の中でどういう立ち位置にいて、で周りからどう思われていてとか、
あのー、俯瞰で見るって結構意外と難しくて、で自分もその会社の中の一システムとして組み込まれているわけなので、
歯車なわけですよ。歯車がやっぱりなんかこう、ここずれてるよねって、こうグッと自分の方向性で変えようとしても、
なんか客観的に見たときにそこの歯車実はずれてないっていう可能性だってあるじゃないですか。
壊れてるかどうかって実はこう、なんか外から見て初めてわかると思うんですけど、こうなんだろうな、
あの機械とか皆さんいじったことあると思うんですけど、実際こう、機械の
なんか、例えば修理しようと思った時に、なんかパカッて箱を開けるじゃないですか、ここがなんかずれてたとか、ここが
なんだろう、ここがちょっとこう、 パーツが足りないやとかっていうのは外から見て初めて気づくことが結構多かったりするじゃないですかね。
で、なんか
実際にこう
なんか、じゃあ自分たちは機械の中からこう、壊れてる場所どこかわかるかって言ったら、そうじゃないですか。
箱の中からさ、自分が歯車として動いてたとして、どこが足りてないとか、横見ても右見ても、どこなんだろうって推測して動けないじゃないですか。
実は背中、自分の後ろが壊れてましたとか、なんか見えなかったりするわけなんで、客観的にやっぱり見えるっていう、客観的に見るっていうことを
が、やっぱり大事で、なんか上司も、自分自身も、その会社の中の歯車のうちの一つになっていて、
なんかそのシステムの中にいる限り自分がこう、なんだろうな、変えていこうと思っても、なかなかコントロールできる部分って意外と難しいし、
そもそもどこが間違っているのかもずれている可能性があったりするかなって思ったりしますね。
自己受容の重要性
なんか、コントロールできることに集中した方がいいよねっていう結論なんですけど、やっぱり。
なんか、あの、私もついさ、あの、なんでもこう、
なんか変えられる自分でいたいんだよね、たぶんね、こう変えられる自分でいたいから、こう、変えられる自分でいてる方が、なんか影響力もあってかっこいいじゃんってやっぱ思う部分があるんだと思うんですけど、
なんか変えられる自分だと思いたいみたいなところがあるのかもしれないですね。
なんか、だからこう、本当は私も変えたいけど、変えられない部分もあるなっていう、なんか、ある意味こう自分のこう、
なんだろうな、一つのできないことに向き合っていくみたいな感じで、できないことに対して向き合っている人は強いんですよね、やっぱ。
なんか、さっき言ってたみたいにこう、フラットにこう向き合えるというか、これはできないからここにちゃんとできることに対して集中しようっていう風な、
なんか健全な考え方ができる、あ、できないはもう無理だ、自分なんて最低だじゃなくて、
そうじゃなくてさ、できることに目を向ける。
ことが、なんか、できないことに目を、できないことを受け入れることができる人はできることに目を向けられる人なんですよね。
なんかできないことを、なんか、あの、受け入れられないとできない自分を許せないんですよね。
なんかできない自分を許しちゃっていいんだなっていうところなのかなってやっぱ思ってて、で、
なんかそうだよね、なんか今喋りながら思いましたけど、やっぱできない自分を許せてるっていう点ですごい自己肯定感高いんだろうなって思ったんですけど、
あの、そうそう、もともと思っている生まれもあるかもしれないですけどね、その人は。
でも、こう、うん、
他者を変えることの難しさ
そうだね、やっぱりなんか共通してるなって思うのは、こう前提のこう、できないこと、
に対し、できないことがあっても自分を責める癖はついてない人なんだろうなって思ってて、なんかすごいよねやっぱり。
なんかなんでそんなにすごいなってやっぱ思ってるかって言うと、私はやっぱりなんかついコントロールしたくなっちゃうというか、
なんとかできないかなみたいなことを模索するタイプだったりするので、気になっちゃう。
絶対ではないんだけど、絶対ではないんだけどね、なんか今言ってたように意図的にこうできないことは手放すようになったし、
今言ってたみたいにこうできないことはできないんだなっていう風に受け入れるみたいなことができるようになったから、少しこのあたりはできるようになったんですけど、
前はもう本当にできないことがあったら許せなかった。
なんとかしてやりたいみたいな、こうなんとかしてなんとかできないかなみたいなことを思ってて、
これをずっと考えていた時に過去の上司に言われたのは、要するに私は人を変えようとばっかりしてたわけですよ。
人を幸せにしてやるみたいな、人を変えよう、私が幸せにするんだ、不幸の人をこの世から生みたくないみたいな、
こう思ってたわけなんですけど、今喋ってたけどちょっと恥ずかしいですけど、中二病みたいな、
ある意味も何だろうな、その時に上司に言われたのは、ユミさんそれは傲慢だよみたいな、
なんか変わりたい、幸せになりたいって思ってる、幸せになりたいってみんな思うだろうかもしれないけど、
変わりたいとまで思ってない人がいるかもしれないじゃないですか、みたいな、
そもそもユミさんが幸せにするんじゃなくて、みんなが勝手に幸せになるもんなんだから、
なんかそこの力を持ってるって掃き違えちゃダメだよみたいな感じのことを言われて、
確かに、みたいな、そうだな、みたいなのをすごく思ったんですよね。
これは私の可能性を貶めた発言ではなくて、そうではないんですよ。そうじゃなくて、
何だろうな、なんか、
なんて言うんだろう、なんかやっぱり自分の、
例えばさっき言ってたパオハラっぽい上司がいたとして、
言葉が強い上司、パオハラというか、なんか言葉が強い上司がいたとしてですよ。
言葉が強い上司がいたとして、それをやっぱり本人は悪いと思っていないだったりとか、
周りに対して何なら良い影響を与えられているって思っているみたいな状態の人に対して、
私が幸せにしてやるってすごい変な、何だろうな、
不思議な話だなってやっぱり思うんですね。
周りは変わって欲しいと思っているわけかもしれないなと思うんですけど、
本人は悪いと思ってないんじゃないですか。
私が変えてやる、私が相手を何とかしてやろうみたいなのって、
すごく難しいというか、今聞いてるだけでゾクゾクしたんですけど、
喋ってるだけでゾクゾクしたけど。
本人が決めることなんですよね。変わるか変わらないか。
その今言ってた周りにが、あなたに対してもしかしたら今言ってたように、
あなたの言葉が怖いと思っているよとか、
それが周りにはすごく良いインパクトとは言えない状態かもしれないですよみたいなところを、
相手が受け取って変えようって思うんだったらサポートできる。
本人が変わりたいって思うんだったらサポートできるし、
それが相手にとって幸せかどうかわからないから、
本人の意思を聞くしかないじゃないですか、その辺りって。
コントロールできないんですよね。どう思うか。
相手の気持ちなんてどう思うかなんて言われた事実ですよね。
周りが怖いってあなたを言ってるよって言った時に、
え?ってなって、それを受け止めて変えたいって思うか、
いや、このままでいい。それは周りが間違ってるって思うかどうかっていうのは、
私たちにはコントロールができないわけなんですよね。
結構みんな多いのは、そういう、
変化を恐れずに
え、普通さ、変わるって、変わんなきゃって思わないの?
変わんなきゃって思わないの?おかしくない?って思っちゃう事自体がやっぱり、
思う事は間違ってないよ、思う事は間違ってないけど、
そこを変えようとすると逆に自分がしんどくなるんですよね。
変わるべきでしょ。今すぐ変えてやらないとみたいな感じ。
なんかこうなるとそこばっかり考えちゃって、
なんか自分もそこに思考がとらわれてしまって、
なんであの人変わんないんだろうなみたいな事を
頭の中で多分1日過ごしてしまう人とかいるわけじゃないですか。
そんなそこに時間を取るよりは、やっぱり変わる事に集中した方がいいですよね。
なんかこう、あ、この人はここで変わらないって決断をしたんだ。
だったらどうしようかなですよね。
だったらこう、こうなんだろう、違う選択肢として、
じゃあ私が変えられる事は何かなっていうところでいくと、
まあ今言ってたように、私だったらですよ、
まあ一旦上司、その方とは距離を取るみたいな話であったりとか、
距離取れなかったとしても、なんかコミュニケーションは最低限にするだったりとか、
なんか相手の言葉に反応しすぎないようにするとかでもそうですし、
なんかこう今自分がコントロールできる事に集中するじゃないですけど、
なんかうん、あとは正直普通に仕事だしなって思って仕事の集中するが一番ですね。
本当になんか、この人と仲良くする必要性はないしなみたいな事とか思って
淡々とやるみたいなところが一番大事だったりするんじゃないかなって思ったりはしますね。
うん、そうなんです。
そんなのは難しいよっていう気持ちもすごくわかります。
なんかこう、その例えば目の前にいるその声が大きい人が、
例えばすごく権力者であったりするとか、
あの、強い、周りからするとこう自分の評価に関わるようなことを、
やっぱり権力として持っている人っていうのであれば、
まあもう、なんだろうな、
そういう人に付き合っていたいですかみたいな話になってくると思うんですよね、私は。
この人の評価で変わるような職場で付き合っていたいかどうかかなみたいな感じでして、
うーん、なんだろうな。
まあいろんな考え方はあるんですけど、
私は組織カルチャーとかの変容とかも支援しているわけなんで、
なんかそういった方がフィードバックを受けて変化を起こすための支援とかももちろんしているわけなんですけど、
うーん、なんかそこを変えていく単力がいるわけなんですよね。
なんか私はこういう仕事をしているんで全然待てるんですけど、
あなたが一人の人生としてやっていきたいかどうかみたいなところはすごく気になりますね。
会社から根底から変えていきたいっていう風に熱量を持っている人に関しては頑張ってやってみてもいいかもなって思うけど、
そうじゃない人がほとんどない気がしていて、そうじゃないのであれば、
なんか今言っていたように変わることに集中した方がいいかなみたいな。
もっと自分自身が足元を変えられることに注力していくのがいいのかもしれないなって思ったりしました。
人間関係のコントロール
ということで、今日も意外と長く喋っちゃった。
今日も話を聞いていただいてありがとうございました。
ちょっと今日の音声また気に入ったよと思ったらいいねとか押していただいたりとかフォローしていただくと嬉しいです。
私はコーチン、今言っていたような人間関係だったりとか、
コントロールできることとかできないこととかのいろんな思いを発信している人でありますので、
もしお悩みとかがあったらLINE登録とかもしていただいて情報を受け取っていただいたりですとか、
こういうお悩みあるんですよみたいなこともちょっとチャットとかに送っていただけると返信もさせていただきますので、
ぜひお待ちしております。
では由美でした。ありがとうございました。