夏至と浄化の重要性
あ、あ、あ、テストテスト。
多分出来てると思います。
今日は号外のライブにしてみました。
いつから始まってるのかちょっと分からず。
最初、空欄だったかもしれませんが。
号外で。
えー、月至を前につれづれなる話ということで、
ほんとつれづれなるお話でございます。
月至というのがですね、
陽極まって陰に転ずるタイミングでございます。
ちょうどね、6月の末は夏越しの大祓いがありますが、
これほんとに撮れてるのかな。
ちょっと、あ、なるほど、こうなってるんですね。
撮れてるんだよね。
なぜかですね、いつもマイクを使うんですけど、
あの、移動が出来ずにマイクが付けられないというね。
なんとなく配信しようかなと思って、
携帯のまま配信でございます。
月至の話、月至の話っていうか月至を前につれづれっていうところで、
めっちゃバックでもしかしたらニャンコの鳴き声がしてるかもしれませんが、
あの、気にせずに言っていただければと思います。
すっごい、すっごいフグフグ言ってるな。
なんか私が動けない理由は猫さんがですね、
足元に、足元っていうか腰のところにいて、
動けなくなってしまっているという、そんな状態なんですけどね。
話をゆるゆる戻していきますと、
月至、夏越しの大祓いというところで、
宇宙エネルギー的な部分でも大きな変化の流れの中で、
どうしても浄化というか手放す時期なんですよね。
感情と変容
ニャンコ聞こえてます?
ありがとうございます。ニャンコの声が聞こえてしまいました。
かわいいニャンコが時期を中継しますと、
スカートの中にいつも入るんですよね。
スカートの上に寝てたり、スカートの中でもぞもぞ2人で今、
じゃれ合っております。
大変私服の時でございます。
それは置いといて、
ちょうどやっぱり夏越しの大祓いっていうのが、
半年の罪・穢れを祓うというところで、
罪・穢れというのは悪いことをしてきたり、汚れたりという意味ではなく、
積み重ねてきた穢れというのは気が枯れるということなんですね。
気が枯れる、元気の気が枯れるなので、
疲れが出やすい時期ということです。
梅雨もあるし、季節柄もあるし、急な猛暑とかもあるし、
いろいろなんですけど、宇宙の流れの星読みとかをされている方は多分もっと詳しく、
何の星がどこにいてカニカニっていう話があると思うんですけど、
私の場合は天体図みたいなのは見ないので、
惑星のエネルギーとの調和、オーケストラみたいなのを聞いていく中でお話ししていくと、
やっぱりデトックスとか浄化っていう流れが、
星のエネルギー的にもあるんですよね。
大きな時代の波の中でリセットというか殺心というのが、
ここ数年かけて行われている真っ只中というか、終わり頃というか、
波なんでね、一つの波の着地点みたいなところで、波は毎回来るんです。
その波が2000年単位とか400年単位とか20年単位とか1年単位とか、
なんか刻みがね、みんな違うんですね。
そんな中で、今ここにフォーカスをすると、
6月、7月頭までっていうのはすごいね、手放しやすいし浄化もしやすい。
そして肉体的な変容、変化、変調、起こりやすいんですね。
私は今日、歯医者さんに行きまして、
なんと悲しいことに歯を抜かなきゃいけなくなってしまってですね。
これは本当にね、悲しみのどん底までは行きませんが、
もう結局これもやっぱり流れ通りだなぁなんて思います。
まあまあ残念なんですけどね、自分の体の一部がね、やっぱり失われたりとか、
あと不具合が起きたり、歳もあるし、これまでそれこそ積んできたもの、
愛の多面的理解
罪、穢れの罪がたくさんあるわけですね。
歪んできたまま、そのまま過ごしてたらやっぱり歪みは、
破壊だったり亀裂だったり、そういうものになっていきます。
これはね、人は誰でも完璧じゃないし、
完璧じゃないっていうか、
なんて言うんだっけな、
なんとかっていう考え方があって素敵だなって思ったんですけど、
完璧なことはなくて、
なんだっけな、今浮かんだのにまた忘れてしまった。
猫さんのせいにします。猫が後ろでモゾモゾしてるんです。
その欠点がない人はいないかっていう考え方が素敵だなと思ってですね。
なので、誰しもが未完成であることが美しいっていう、
そういう部分ってあると思うんですよね。
完璧、完成、完全な調和っていうのが美しいという一方で、
不完全であることもまた美しいというのがこの地球の仕組みっていうかね、
そのものなんじゃないかななんて思いますよね。
話はね、いろいろ飛んでしまいますけど、
例えば愛っていうのも、
私の中では怖い部分と素敵な部分と両方があるんですよね。
それはグレートマザーっていう言葉が言ったりなんですけど、
あのドグのマザーですね。
ドグでいいんだな。
なかなかハートフルな部分だけを見てると愛って素晴らしい。
愛は素晴らしいんだけど、ただそれだけみたいになっていくんだけど、
その一方で生死、生きることの隣には死があるっていうことと同じで、
この世界がどうしても裏と表は一緒に存在するので、
愛そのものもね、やっぱり表と裏があるというか、
それが二元っていう考え方で、二元論の考え方で、
ワンネスってなると一元論、
ワンネスってなると一元論になっていき、
三元論的になると、それがね、循環して巡っていくっていう。
愛っていう一つの単語も、一元論、二元論、三元論っていうふうに捉えていくと、
かなりね、いろいろ幅が広がっていくんじゃないかななんて思います。
なので昔、スタイフで話したのかな。
スタイフでね、昔々私は全部愛だよねみたいに捉える考え方があまり好きじゃなかったんですよね。
なんかそのフワッとっていうかね、抽象度が高いのは問題ないんだけど、
具体にする努力をせずに、ただそれだけって言っているのは、いかがなもんかなって思う時があったわけですね。
ちゃんといろいろ考えてもそれしかないっていう表現をしている人は、やっぱなんかわかるんだけど、
なんとなくで捉えてて、なんとなくで言っている人みたいなのが、昔ね、やっぱなんかね、苦手っていうか嫌いとかじゃなくて、
何だろう、腑に落ちなくって気持ちが悪いって言ったらいいのかな。
特定の人物に対して気持ちが悪いんじゃなくて、なんか収まりが悪い感覚がなんか嫌だったんですよね。
なんかね、言い方間違えると本当に、それを言っている人がね、フワッとしたスピリチュアルな人みたいな感じで、
なんていうのかな、それが私は悪いとも思ってないのでね、
なんかそう言っちゃうと悪口みたいになるし、
でも別に、その人はその人でいいと思うんでね、基本的に。
なので自分とね、意見が違ったり、自分と感覚が違う人っていうのが存在するのは当たり前で、
ただ、腑に落ちないのは自分が気持ちが悪いんですよ。
ずっとそういう、昔はやっぱ若かったから、そういうのにね、こうすべきみたいなのがあったわけですよ。
なので、当時はやっぱなんか収まり悪いなーって、もぞもぞすんなーと思って、あんまり嫌だなーって感じだったんですけど、
やっぱりその一言論、二言論、三言論っていうふうに、視点を変えながら一つの愛っていうものをね、見てた時に、
なんかね、腑に落ちたんですよね。
どういうことかっていうと、ふわっと愛だよねって言ってる人は一言論で、
全部みんな一緒でワンネスだよねって言ってるってことか、
でもこの世界は二言論で、愛する、愛されるっていうね、動詞になったりするわけです。
当時私は愛は名詞で、愛は愛でしかないから、愛するも愛されるも活用するのは人間の都合なんじゃないかななんて思ってですね、
なんかこうエゴを感じて、あんまりそういう言葉を使いたくなかったんですよね。
だけど、エゴの人もいるだろうけど、やっぱ二言論の世界にはまってる時というかね、ドラマにはまってるみたいなもんですね。
恋愛とかだとね、男女とかで、どうしたってそういう時期っていうのはあるもんで、
その世界もまた美しいなって思うようになり、一言論的な愛っていうのも本当にピュアな、そのまんまっていう感じで、
温かい感じっていうかね、原石そのまんま、磨かれてない原石そのまんまみたいな、
でもワンネスがわかりやすいな、一なるものですね。
うちの会社の名前にも一が入ってるんですけどね、私ぶっ飛びますけど、それは置いといて。
三言論的な思考っていうのが今後の社会っていうか時代にあってるっていうかね、
それを持ったほうが生きやすいなと思うので、
やっぱりね、循環とか流れっていうのを意識して何でも活用していくといいんじゃないかななんて思いました。
今日取り留めのない話なんですけどね。
下肢に向かって、下肢超えてもデトックスは起きますね。
やっぱりでも6月のこの下肢前後、そして下肢超えてから7月頭までのこの流れは、
意外と予想外にいろんな感情出てくると思います。
いろんな感情とか体験とか感覚とか。
それは新しいようでいて、実は新しくない。深い。
もともと自分が持ってた何かだったり、蓋をしてきた感覚だったり。
そういうものがね、人を通してとか、何かの事件を通してとか、体の不具合を通してとか、いろんなところでね、出てくる。
言い方変えたら向き合う。こういう時間になると思います。
割と感情に訴えかけるものが多いので、物理的に意味を見出すっていうよりも、
感覚、感情、ハートの奥にある魂が何か発してるメッセージみたいな。
そういうのなので、結構ね、分かりにくい。分かってても言語化しにくいって言ったらいいのかな。
言葉にならない感覚ってね、今の世の中、なかなかそれを見える化するっていうのが、みんな不得意みたいなんで。
そこにどうしていくかっていうと、やっぱりね、メタファーって例え話とか、物語とか、
そういうのに置き換えていくと、言語化っていうのは、この間3日間のライティング講座でやったんですけど、
皆さんね、言語化っていうのを、熟語とか単語とかにすることだと思ってるんですけど、
これ全く違うんですよね。全く違うんですよ。言葉になってなんとなくイメージつくものになればいいので、
例え話でいいんですよ、本当に。それが、やっぱりね、慣れてないと難しいっていうのはありますね。
それやっていくと、自分の魂の声っていうか、本当の意味での周波数の、
なんて言ったらいいんだろう。まさに例え話で言うと、今猫さん私は飼い始めたわけですが、
猫さんはニャーとかクルルルとかしか言わないんですよ。でも猫さん言語なんですよね。
その中にはいろんなメッセージが含まれていて、最初はね、初めて飼うし、わからないんですよね。
動物との対話と感覚の言語化
なんとなくこうかなっていうのはあるんだけど、やっぱり初めてで、私も緊張すごくしていたので、
今でもしてますけどね、やっぱりね、動物好きだけど動物を飼うのはやっぱりあんまり体験がないから苦手なのと思います。
苦手っていうか、やった時が少なすぎて戸惑いが多いってことなんですけどね。戸惑うことがいっぱいあるんですよ。
ニャーと言われて、2匹いるから、最初どうやら私に言ってるニャーと兄弟に言ってるときはニャーって言ってないっていうのにだんだん気づいてきて、
なんとなく言わなくても目線とか仕草とかで、ああこうなのかなみたいなのがだんだんわかってくるわけです。
結局ね、感覚を言語化するっていうのは、動物との対話とちょっと近くてですね、感覚がニャーみたいな感じでくるんですよ。ニャーとかゴロゴロゴロっていう感じでいくんですよ。
胸がザワザワするとか、なんか締め付けられるとか、
ドラマ映画見たらある特定のシーンで昔思い出してキュンキュンってときめきじゃない方に苦しいキューキューみたいなのがあるとか、でも今のこの表現も言語化なんですね。
こんな感じでね、擬態語、擬音語でもいいんですよ。
あとはね、色とか形とか、あとストーリーを聞かえるとさらに伝わりやすくなる。
こういうのをね、3日の3日間のね、リアルスピリチュアルライティングってやつでチラッとやったんですけど。
意外とね、多くの方にこんな有料級のものを無料で嬉しいですって喜んでもらえてめっちゃ良かったなと思うんですけど。
基本的にね、無料の開催って私は選択しないんですよ。
今回あのちょっといろんな意図があって、いろんな意図と他の人からのね、勧めとかもあって、
あんまりやらないし、やってみようかなってチャレンジをしたわけです。
チャレンジをしてみて、やっぱりなんか私には合わないんじゃなくてね、
なんかね、自分でやっててすっごい楽しいんだけど、すっごい楽しいんだけど片手落ち感がどうしても出ちゃったんです。
この間もちょっと話したんだけど。
やっぱりなんかね、できるようになりたいじゃないですか。
どうせやるならね、できるようになりたいと思うんじゃないかな。
でもこれも勝手なのかな。
そこはね、どこを軸にするか、もうね、私が決めることであるんですけど。
そこでね、やっぱり自分が一番大事にしていることは、やっぱりね、ちょっとでも関わった人に何か持って帰ってもらいたいっていうのが第一であって。
やっぱりちゃんとその人が求めることができるようになるのをお手伝いしたいっていうのは、これは私の信念というか、自分の軸でもあり、会社としてのフィロソフィーの一環でもあるんですね。
会社としては個人の自由という意味で、子の自由と大人の教育っていうのがうちのフィロソフィーなので。
やっぱりね、教育って教えて終わりっていう教育スタイルが嫌だったんですよね。
劣等生だったので、教えてもらっても分かんないなって思ってたんですよ、学生時代。
で、やっぱり、何だろう、勉強そのものが多分好きじゃないけど嫌いじゃなかったんですよね。
本当は知りたいこととか、興味とかいっぱいあったんだけど、教育用語のカリキュラムが合わなかったっていうね。
そこで劣等生だったわけですが、やっぱりそこで、もともと感覚派で言語化もできなくて、国語もずっと2みたいな。
5段階中2とか、10段階でもそのレベルだった気がするんだけど覚えてない。
まあとにかく現代国語はできなかったんですよね。
それがね、仕組みを理解して、いい先生に出会ったら本当に飛躍的に勉強が、勉強がってか原告の点数を取れるようになって。
大学受験の時ね、高校の時本当にいろいろ最悪で、最悪っていうか、古文と漢文で何とか点数を取るっていう。
現代国語は点数取れなくて、古文と漢文で点数取るからなんかちょっと普通、普通かちょっといいぐらいかな、もう覚えてないけど。
まあまあ、波の感じだったと思います。
でも国語本当できなくてね。
国語できないとやっぱりね、いろんな英語とかもそうだし、いろんなこと、いろんな数学とかもそうなんだけど、やっぱりね、支障が出てくるんですよ。支障が出てくる。
まあまあまあ、その話、結局何が言いたかったかっていうと、教育っていうところに、なんか昔から興味があったんだけど、興味があったんだけど、先生が教えてくれてる教え方が、学校教育は合わなくて。
塾とかだとやっぱりね、塾ってすごい、塾の先生って本当大変なんでね、めちゃくちゃ大変なんですよ。
塾の先生で生き残るっていうのはものすごく工夫をされてる方が多いので、やっぱり分かりやすいんですよね、授業がね。
そういう体験をして、結局学習って何なんだろうと思ったときに、やっぱり身について、頭での理解、頭で分かるじゃなくて、できるからできて初めて分かっていくんだなっていうのを理解したんですね。
理解したというか、そう思うようになってですね。それで話戻すと、結局短期でやるのもいいんだけど、無料でちょろっとやるっていうのは、出会う機会で非常にいいなって思ったんですけど、でもやっぱりなんかちょっと違う気がするっていう感覚が湧いてきて。
それを深掘ったときに自分なりの答えが出たので、今後そういうことをやるときは、例えばメルマガのリストさんとか、ならか接点がある人に絞っていこうっていうふうに決まってきたわけですね。
今回は一般募集でやったりして、いろんな人に本当、あっという間に140人ぐらいになったのかな。結構短期募集だったんですよ。2週間なかったのかな、募集期間。
それでも人がたくさん集まっていただいて、なるべく役立つものをと思って、すごくいろいろ考えて宿題出したり、添削というかね、リアルタイムでアドバイス、コンサルみたいなことをしたりして、お役に立ったみたいなのでよかったなっていう話です。
肉体と精神の統合
芸師に向かって芸師を越えて、芸師は週末か25年版のリアルスピリチャリスト養成講座が始まるんですよ。今回もまたカリキュラム多少変えていくんでね、楽しみでしかないんですけどね、私自身は。参加する人も楽しみだと思います。
かなり24年版はちょっと特別版で半年だけのコースで開催したの、11月から開催して、本当にこの時期を見越してのフライングというか準備というかね、見越しての内容からの今回っていう流れもあって、
続けて参加される方もいれば、それぞれの方もいるんですけど、別に続けても続けなくても、そのとき必要なものを参加者に合わせてやっていくんで。
だから用意されているものっていうのはあるんですけど、それはなぜかって言ったら、絶対的に浄化とかね、クリアリング、うちではそれを制限開放という言葉に当てはめてるんですけど、あらゆる制限を開放していくと。
その手順とか、最低限やる必要があることあるのでね、そこはやっていくんですけど、それ以外は本当に参加者に合わせながらみんながスパイラルして成長していけるように毎回考えているんですね。
なので昔から講座始める前からか、寺小屋的な感じでね、いろんな人がいて、それこそいろんな職業、いろんな段階の人がいて、お互いの良い部分を共鳴し合いながら。
講師である私はそれぞれの人たちが、全員がそれぞれこの時間の中で、半年一年という時間の中で身につけて肥やしていけるものをライブでやっていくんで、まあ楽しい。
これが楽しいというか、めちゃくちゃ力使うんですけどね。そこまでやるのに、よくね、何でも一人前になるのに10年かかると言われています。
やっぱりこういうグループワークとかをやるのに、私のメンターからは、橋本さんそれはね15年かかりますって言われていたんですね。15年以上経って18年目に入ってますんでね。
やっぱり10年、15年の差は体験してきて、ああやっぱり10年は違うな、ああやっぱり15年は違うなって感じますね。15年経つ前の10年ぐらいからやっちゃってんだけどね。
まあでもやっぱり自分自身がね、みんなで同じ学びをしてペン数を競うみたいなのが本当に苦手っていうか合わなかったんでね。合わない中ででも学びたいのに学べないっていうジレンマがあったので、
逆にそれを提供できてるっていうことはものすごい嬉しい喜びなんですよね、私自身がね。
そこでね、一緒にやりたいなって人がこうやって集まってきてくれているのも本当に昔からね、講座を始めるときに思ったのは、森の仲間たちを集めるっていう。
なんで森かはわかんない。妖精とか小動物とかいうイメージなんですけど、森の中で教えてるみたいなイメージがあって、抽象的なんですけどね。
でもなんかそういう調和しながら、自然とか他種多様の人たちとの調和をしながら、スピリチュアリティの冷静っていう部分をね、高めていく。そのためにはボディが大事なので、ボディとボディを身にまといながら生きるこの三次元世界の生き方みたいなもんだ。
めちゃくちゃ大事なんで。
だって別に冷静とかってね、魂そのものに戻っちゃえば別にね、そのものだからね。
あるしね、完成、完璧っていうか。魂レベル、魂そのものもバージョンアップしていくわけなんですけど、とはいえです。とはいえこの三次元地球の中で思っている成長とは全然違う話なんですよ。
全然違うんですよ。ここからこの世界から見た魂っていうのも完璧な感じです。
光そのものみたいなもんなんで、魂の成長が生んだみたいなのを、この三次元世界とかマインドの世界で語るには、なんか片手落ちどこじゃないみたいな、いろんなものがボロボロ落ちてるみたいな。
語りきれないって話なんですけど。
なのでね、何が言いたいかって言ったら、結局はやっぱりこの肉体と精神と魂、三味一体、これを統合するっていうのがリアルスピリチュアリストメソッドの根幹なので。
肉体の整え。肉体が整えば心が整う。心を見つめていけば肉体とのセグメントっていうか、肉体との共存っていうところがどうしてもテーマになってくる。
その中で肉体の波長波動っていうのは、やっぱりレベルを上げていく。簡単に言うと、それが魂との、例えて言うなら約束みたいなもんですね。
魂とこの肉体がセットになっている糸っていうところになるんですね。
なので、肉体を疎かにはできないんですよ。これが本当に。肉体を手放すっていうか、肉体を手放したら死んじゃうんだけど。
肉体を疎かにしてスピリチュアルをやってると、必ず体に不具合が起きますね。
だから、いろんな業法とか、瞑想法もそうなんだけど、いろんな伝統の考え方とかがあって、その中で自分に合ったものを選んでいくっていうことが大事なんですけど、
とはいえ、この体の歪みがある状態でそのワークというかをやるとですね、体を壊すってことが起きるんですよね。
本当にね、そういう人結構見てるんですよ。なんでみんなそれ頑張っちゃうんだろうって私は思うんだけど。
どこを自分がね、目指しているかっていう人それぞれあるから。
私も随所随所で、やっぱり真剣にそのね、肉体的な変容っていうところでね、取り組む時期とかもあります。
体との調和とスピリチュアル
それを取り組もうとした時に、やっぱり体の流れの中で、ここを整えないままこのワークをやり続けると、どっかに来るなってあるんですよ。
だからね、やっぱり体と対話しながらそれやっていかないと、本当にね、知り合いの方はね、それで組んだりに症候群とかになったっていう体験がある方もいらっしゃってね。
結構ね、これ大変なんですよ。だから、スピリチュアルでね、いっぱい見るとか、そういう第三の目活性化しまくるとか、そっちの方ばっかりやってる人はね、
本当にね、体壊すし、早く亡くなりになっちゃう人っていうのも実際いたりするんでね、やっぱり体との調和を私は大事にしたいなって思うんですよね。
やっぱりそこを超えて、そこを超えて本当にね、覚醒っていう段階、私はまだプロセスの途中で、エンライトメント状態っていうのが、なんか私の中ではしっくりするんですね。
最終目指す目指すっていうか、戻るっていうか、みんな覚醒、覚醒っていう人いるんだけど、覚醒ってなんか途中の感じがするんですよね、個人的にね。
エンライトメントっていうところで行くならば、ここのね、地球に肉体持って生きてるっていう、このめんどくさいシステムを選んでる時点で、意図があるわけですよ。
それはね、魂の目的とか、そういういろんなものがあるんですけど、そういうのをね、知りたい人は本当に養成講座に来て、さらに研究生に来てもらうとね、頭の理解じゃなくて、実際に体験していくことになるので、
この話がその受けた後にこの話をもう一回聞き直してもらうと、めっちゃ腑に落ちるってことが日が来ると思います。よくあるんですよ。
養成講座中に、なんかいいこと言ってそうだけど何言ってかよくわからなかったです、正直みたいな。だけど卒業して1年ぐらいかな、お便りくれたりしてね、あの時に言われてたことが今やめっちゃ腑に落ちますと。
ノートを見返すとね、こういうことだったのかなんていうのがめちゃくちゃわかりますなんて言ってくださるんですね。まあまあ、よかったなあと思いながら。
すぐに気づかなくても、ちゃんとその人の人生の中で種が芽吹くように講座中っていうのは種植えをしていってるんです。
そのね、糸、そのネーミングでSPOGになってるんですけど。
英語間違っちゃってるから言うのが恥ずかしいっていう。
でもあれの意図は、根源的な意味は、種植えっていうところがあったわけですね。
なので確実に、着実にね、いろんな人が後々芽吹いたり、あとは講座中にもどんどん芽吹かせていったり。
本当にね、人生変わっていく人が多いんでね、そういう仲間がなんかね、集まってきています。今回も。
いやー、楽しいですよ。楽しいですよとか言って。まだ始まってないんだけど。
21日からなんだけど。
もうなんかね、皆さんにね、チャットワークとかいろんな案内もして。
なんかキャッキャ言ってる猫さんもね、キャッキャしてるんですよ。
これ何分喋ってるんだろう。30分?40分くらいになってますね。
ちょっとね、ズレズレなる話で猫さんの話もしておくと、猫さんは我が家に兄弟で2匹来まして。
今ね、2ヶ月半、もうちょっとで3ヶ月になるかなってところなので、昨日2回目のワクチンを打ってきたんですよ。
ワクチン打つ前に1匹が下痢をしちゃって、これ結構長くて10日ちょっと続いたのかな。
本当にね、心配でご飯もなかなか食べてくれないし、痩せ子になっちゃって。
もう片っぽはね、ぷくぷくぷくぷく丸くなってて。
体格差もできちゃってね、ちょっと心配だったんですけど。
でも、いろんな方のアドバイスとかね、乳酸菌をね、いただいたりとか、そういういろんなことがあり、
ワクチンの数日前に下痢がちょっと収まって、ワクチン大丈夫だったんですけど。
なので、昨日も今日も猫さんはのんびりモードでワクチン打ったばっかりだから、
朝ちょっと走り回ってたけど、のんびりしていますね、基本的に。
兄弟5人の兄弟で漏れてて、1人女の子で4人男の子で、そのうちの2人の男の子が我が家に来てくれたんですけど。
他の兄弟の子も見させていただいていて、最初は1匹だけ、1人だけ迎える予定で、
LINEのビデオ通話で最初遠方だったから見せていただいて、
この子がいいなと思って、直接会いに行って。
一応気になってたね、他の兄弟も一緒に見たいですって言って。
そしたら、最初に猫さんを飼おうって決まってから、
どういう猫さんが自分に合ってるというか、しっくりくるだろうかって、
すごい調べて、猫種とかを調べて、猫種としてはラブドールっていう大きくなる猫さんなんですけど、
ハチワレが結構、狸みたいなのが有名で可愛いんですけどね、
ちょっとハチワレじゃない柄なんですね。
なんとなく色々調べてて、こういう柄がしっくりするなっていうのと、
自分の中でも前からあるビジョン、近くに猫がいる時の白っぽい猫なんだよなとかね、
でもちょっとグレーっぽくもあって、グレーの猫か白の猫かみたいな。
そしたら、白とグレーなんですけど、ブルーっていうカラーでグレーなんですけど、
その猫さんと出会い。
猫の話になると長くなりますね。
出会いね、何が言いたかったかって、この2人だけ、5人いるんだけど、
この2人だけ、本当に双子みたいに話せなかったんですよね、会った時に。
これ2人なんだなと思って。
私が見に行く前日に、追加した1人を購入検討されているご夫婦がいらっしゃるって聞いて、
検討されてたから私はね、その猫さんと会えて、
ママ、家で飼いますっていう風になったんだけど、
危うくドナドナで、もう1人、片割れは違うお家に行くかもしれなかったところに行かなかったわけですね。
その方が悩まれているというね、今まで飼ってたラグドールさんが、
17年ぐらい飼ってたラグドールさんがお亡くなりになってしまうと、
今似たような子を飼いたいって言ってね、似てるなーって言って帰ってったそうなんです。
なんだけど、それを聞いてちょっと私もそうかと思って、
なんとなく、なんて言ったらいいの?どういうことも違うな。
なんか気持ちがね、なんとなく分かるなーみたいな気分になって、
どうしようかな、2人がいいんだけどなーって。
で、じゃあちょっと私も返事待ってからにしますなって言っちゃって、
その時めちゃくちゃ疲れてた時ね、仕事終わりに。
それで、でも電車の中で写真を撮らせてもらって、
絶対この2人なんだよな、うちにいる気がするんだよなと思って。
ちょっと待てよと。
なんかその、ドラマは聞いたけど、17年飼った猫さんがいなくなって、
速血してないっていう段階で、違うじゃんと。
私が飼うわってなって。
それでね、本当にね、なんだかぼんやりしてたんですよね。
すぐ電話して、2匹でお願いしたいですって言って、
お迎えすることになった、そんな流れがあります。
いろんな出会いがありますね。
そして体がね、疲れてるとそういう直感も鈍りますね。
他の人に話したら、何言ってんのって言われて。
そんな普通すぐ飼うでしょ、みたいな。
そうだよねって。
速血する人が優先ですよ、みたいな。
そうだよねって言われたんだけどね。
どっかでね、そういうセンサーが狂う時っていうのは、体が疲れてる時です。
本当にね、あの日産まれて、
でもね、猫さん早く見に行かないと、
よそんちの子になっちゃったら嫌だなと思ってね、
急いで千葉のフリーナーさんのところまで急いで、
とことこ行ったんですよ。
まあまあ、お値打ちに来て、
2人は仲良しでですね、本当に反省して、
見てると面白いです。
なんかテレパシーのように2人は会話をし、
そしてニャーニャー言って呼ぶしね、
奥で下痢してたからね、
ちょっと違うご飯あげてたりしたら、
察知して呼んでたりしてね、
そういう状況でね、
肩割れを呼び寄せたりとか、
あと、さかさかさかって察知して、
寝てたのに起きてくるとか、
まあやっぱ動物はすごいなと思います。
とても可愛いもんですよ。
なかなか、まだまだ赤ちゃんというか、
子育ての状態で、
子育ての状態で、
安定するまでがね、
いろいろ病院も私も初めて行って、
いろいろたまげたんですけどね。
そうか、こういうことがあるのか。
何の話か。
下痢を前につれずれということでライブなんでね、
だらだら近況の話と、
心配と不安の影響
こういうことがあってね、
だらだら近況の話と、
あと大事なポイントは、
7月頭までデトックス時期なので、
体と心の内面的なもので、
いろいろ出てきやすい時期ですから、
心配せず、
こうなったらいいな、
体もね、こういうふうに健康になりたいな、
という方にフォーカスしてくださいね。
心配な方にフォーカスせずにね、
体病になったらどうしようとかね。
やっぱ考えちゃうよね。
猫さんでね、一匹心雑音があるって言われて、
心臓の肥大の病気がラグさんには多いっていうのもあるんでね、
ちょっと心配していて、検査とかしたんですけどね。
やっぱりその後どうしようとか、
心配にはなったけど、
心配にはなってはいるけど、
猫さんのエネルギーとかを見ていくと、
そこまで心配しなくてもいいのかなって。
でもね、スピリチュアルなことだけじゃなくて、
現実の数字とかね、
実際のレントゲンとかね、
お医者さんの見解とかめちゃくちゃ大事なんでね、
そういうリアルなところも、
ちゃんと加味しつつ心配もしつつ、
でも不安を持ってるとやっぱり、
この子たちにね、伝わっていくんですよ。
本当に人間と一緒だなと思って、
兄弟感の葛藤はあるし、
やっぱね、本当に子育てと一緒ですよ。
お兄ちゃんと、なんだっけ、弟みたいな、
もう双子だけど、
やっぱ体格差もできてきて、
性格もね、それぞれなんで、
やっぱりね、あるっていうかね、
こっちもね、気を使うし、
私が心配してると、
それが伝わっていくっていうのもあるので、
まあ大丈夫だなっていうふうにね、
だんだん思うようにしたら、
ゲリさんもね、落ち着いても聞けるんでね。
やっぱりね、家族になっていくっていうところで、
人も動物も、
特に動物はダイレクトに受け取りますからね、
飼い主である私自身がね、
心配ぼっかりしてたら、
この子たちも不安というか病気に、
それでなっていくってこともあるんでね。
心と体のデトックス
なので、ちょっとまた話戻すと、
デトックスの時間が来てますから、
体の不調、心の不安、不調、出やすい時期です。
特に過去のなんかが出るので、
過去からの積み重ねできた不具合、
過去の古傷、心も体もね、
とか、体であればずーっと歪んだまま頑張ってきた人は
ポキッとしてるんですけど、
ずーっと歪んだまま頑張ってきた人はポキッといくみたいな。
そういう時期なので、
それが起きたら、
起きたら、嘆くときは嘆くけど、
でも前を向いてください、ぜひ。
本当はどうだったらいいか、
なくしたものがあればよかったとか、
そういうことは考えない。
なくなってしまったその先、もっと素敵になればいい。
これを考えてほしいわけです。
その先、素敵な未来。
今まであったものがなくなっても、
何かそれでもやっていける未来っていうのがあるんですね。
それを創造していく。
イマジネーションという意味と、
クリエイトの創造と両方です。
創造していく。
これが本当の意識の使い方をするかしないかが、
本当に二極化で別れに決まって、
ここが重要ポイントです。
今日、つれづれに猫の話だ、なんだ、してますけど、
本当に大事なポイントは今言ったところだけです。
よくネガティブ、ポジティブって言うけど、
これこそがポジティブです。
これこそがポジティブな考え方。
ネガティブなことをいいように言い換えようというのが
ポジティブな考え方ではないんです。
ネガティブというのは否定という意味で、
ポジティブは肯定ということなので、
肯定する未来を創造していく。
これが非常に大切です。
そのためには余分なものは手放したほうがむしろいいわけです。
余分なものはね。
未来への創造
自分の中で余分に抱え込んでいる何か、
スタイフでアプライドとかそういう話もしたけれど、
物もそうだし、
人によってはお金ということもあるでしょう。
お金はね、やっぱり循環していくと
巡りがよくなってくるのでね、
出せば入るって話を昔してたんですけどね。
その辺はポッドキャストでしてるかなと思いますし、
スタイフでもどっかの会で多分してると思いますのでね、
なんか興味があったら聞き返してみてください。
というわけで、だいぶいい感じで長く話してしまいました。
今回は下司を前にすれずれなる話ということで、
いろいろ話しました。
それではみなさん、本日もご視聴いただきありがとうございました。
ではみなさんおやすみなさい。
またお会いいたしましょう。
ではでは。