00:06
人生ついでにゆるっと覚醒してみちゃう?
こんにちは、こんばんは。 霊性開花の専門家、リアルスピリチュアリスト橋本ゆみです。
この番組は、ビジネスや人生を変えていきたい方に向けて、
エンタメでもファンタジーでもない、リアルなスピリチュアルで人生を切り開いた
ゆるっと覚醒マインドをお届けします。
今回のテーマは、お金はエネルギーで数字というお話です。
この話は結構、ポッドキャストとかブログ、
あと講座、昔やったお金の講座などなどで、
まあ、淡々と話していますんでね。
ちょっと切り口を変えて、
この切り口を変えて、何を話すか、
有償無償という話をしていこうかなというね、
ボランティアかビジネスかみたいな話をしようかなと思うので、
これは結構ちょっとセンシティブかもしれない、
反感を買うかもしれません。
ちょっとそういう内容になるかもしれないので、
ちょっとね、繊細な方とかそういうの聞きたくないよって人はもう、
今すぐポチッとストップしてください。
まあそうは言っても何話すかってそんなに固めてないのでね、
テーマは決めてこうゆるゆるいつも話しているんですけどね。
私の周りにはやっぱり占い師さんやスピリチュアルリーダー、心理カウンセラー、
そして医療従事者関係の人たち、
結構ね特殊な資格を持っている人とかね、
いっぱいいるんですね。
もちろん企業でお勤めの方、主婦の方、本当にねいろんな方がいるんです。
アーティストとか、本当にその辺面白いなっていつも思うんですけど、
私がこう胸圧で口座に力を入れる時っていうのは、
やっぱり人の心を扱う部分なんですよね。
それは企業であっても、病気の人であっても、健康な人であっても、
誰もが等しくここを一緒に生きている、この時代に生きているので、
やっぱりそこを大事にしたい思いはもう熱々なわけです。
それでね、受講生とか、ちょっとしたワークショップとかで来てくれる人とか、
いろんな人とお話ししていると、
いっぱい受講生はね、やっぱり真剣に心を扱っていこうって人が多いんですけど、
03:07
ちょっとそういうのに興味があるな、スピリチュアルとか、あと心理とか興味あるなっていう人も、
まあまあ多いわけですよね。出会うお客さんというかね、クライアントさん。
前提として、それによしやしやジャッジは一切ないんですね、私自身は。
ただちょっとこれから話す話っていうのは、
少し胸が痛くなる人が出てきちゃうかなと思っています。
というのはですね、ちょっと極端な事例で話しますが、
カウンセラーやヒーラーになりたいと思う人、今その仕事してなくても、
なんかそういうのやりたいなとか、なんかできたらいいなとか、
できたらいいなレベルはあれかもしれないけど、やりたいなって思う人の、
多くというかほとんどの方が、本人は気づいていないと思うけど、
人のためにと思って始めるんだが、自分のためであるっていうことなんですね。
これがちょっときつく聞こえる人もいるかもしれないなというので、
前置きをしてたわけなんですけど、これはね私自身そうでした。
なので、私の話でね、すると一番誰も傷つかないかなと思うんですけど。
なんだろう、自分自身が最初にやっぱり心理カウンセリングを勉強して、
ほんと一番最初純粋に部下のために部下を救いたい。
会社の利益に貢献したい。
まあいい従業員だよ本当にっていうぐらい、クソ真面目にそれを持ったんですよ。
そこに嘘偽りは本当にないんです。
純粋なピュアな熱い思いで突き動かされて、
1年の中で休みなく、ほんと多分3日も休んでないんじゃないかな。
土日全部勉強しに行って、もらってる給与の半分以上は勉強に継ぎ込むっていうことを当時やってたので。
会社員時代の話ね。
なのでね、使命感に燃えてたわけです。
なんか救いたいとか助けたいとか力になりたいとか。
その使命感に燃えてる中で、自分の心の闇というかね、いろいろ見つめるわけですよ、当たり前だけど。
06:02
うまくいかない時は絶対自分に何かがあるから、
その時ごとになんでイライラが収まらないんだろうとか、
なんであの人はこういうんだろうとか、なんでそれに私はつい反応してしまうんだろうとかね。
まあ悩みはつきなかったわけです、当時。
それを受講しながら勉強しながら、メンターに毎月セッションしてもらいながら、
どんどんどんどん心の葛藤開放プラス人とのコミュニケーション技術っていうのを磨いていったわけですね。
するとある時気づくんですよ。
何のためにやるんだろうかっていう瞬間が訪れるんです。
やっぱりなんかうまくいかない時とかに出会うわけよ。
うまくいかない時に自分のせいだばかり思っているとこれも不釣り合いで、
本当に本当の問題はどこかっていうのをトレーニングして、
かつセッションを受けて焦点化っていうのをするんですけど、
それを見ていって開放していくと、
簡単に言えば自分がちっちゃい時に、
なんでこんな子供がこんな思いしなきゃいけない社会なんだっていう怒りが掘ったんで、
それは自覚していってなんか使命感をもとに頑張って、
見えない大人たちの中にいる見えない子供たちを救うんだぐらいな感じで、
インナーチャイルドワークとかインナーチャイルドのメニューをやってたわけですよね。
ずいぶん昔ですけど20年近く前の話ね。
その時にやっぱり自分を見つめれば見つめるほど気づいちゃうんですよ。
人のためって言いながら、これ自分のためにやってるなって。
やっぱりどこかにコントロール欲があるわけです。
もっとこうなったらこの人人生うまくいくのになぁとかね。
アドバイスしたくなるんです。
ちょっと知識を得ちゃったりしてね。
セッション技術とかもちょっとうまくなっちゃったりしてね。
そうすると何かやってあげたくなっちゃうんです。
これはまあ人だったらできることを人にやってあげたいって思う純粋な部分もあるけど、
相手のことを見ないでそれをやるとただの押し付けっていう
なんか最近流行りの何とかハラスメントになっちゃうわけですね。
09:00
昔ねスピハラなんて言葉を聞いて何のごちゃって思ってたんだけど、
いろんな人にスピハラって何って聞いたら、
頼んでもないのに勝手に何かこう孔子からのアドバイスこう言ってるよとか、
先祖がこう言ってるよとか、何か勝手にアドバイスしてくることらしかったです。
今ねそういう人がいるのかちょっとわかんないけど、
やっぱりカウンセリングとかを学んでいくと心の仕組みを人よりもわかるわけなので、
もっとこうしたらいいのに。
かつね、当時はそんなにそうね、
当時は心理中心でスピリチュアルはちょっとメニューにしてなかったんでね。
メニューにしてないけどね、わかっちゃうんですよ。
わかっちゃうんですよって。
粗い言い方になっちゃうけど、もうそうとしか言えないんだよね。
心理学のカウンセリング、ヒプノやっててもわかっちゃうんですよ、ここだなって。
で、その人がまだタイミングじゃないのにそこを取り扱わねばみたいな変な使命感とね、
相まっちゃうとこれね問題が起きるわけです。
大きな問題は私起こしちゃいないんですけど、
大きな問題を起こす前に気づけて、あれこれおかしいな。
これ私の欲求、変えたい、この人変わってほしい、変えたい。
変わってほしいの度が超えたら変えたいで、自分ごとですからね。
これね、ヒーリングの人とか、要するに体の施術やる人もそうだし、
ヒーリングとか、結構そのホスピタリティが元々、
なんかね、ある人、ハートの熱い人に多いんですよ。
それが本当にね、悪いとか否定とかじゃないんですよ。
その、そのね、情とか愛とかって呼ばれるやつはすごく大事で、
すごく大事だけど扱い方を間違えるとすごく危険なんですよ。
で、その扱い方の間違えっていうのは、自分のエゴ、自我、フィルター、
何らかの葛藤、恐れ、and so onがあると、
自分がそれをね、歪ませて相手に渡しちゃうってことが、
これね、起きてきちゃうんですよね。
やっぱりそこを見つめるのって、みんなね、嫌なんです。
私も嫌だった。なんか、なんかほら、Aかっこしいしたいじゃないですか。
しかもなんか人のためにって、やっぱかっこいいしさ。
なんかいい人っぽいじゃないですか、なんて。
だからいい人になりたかった、昔ね。
今はそうでもないけど、まあいい人も悪い人も、
みんないいとこあるし、みんな悪いとこあるからね。
いい人、悪い人っていうのが、その人の個人のフィルターでしかないので、
12:03
そういうことをあまり考えなくなったんですけど、
やっぱり当時、昔は自分の葛藤、自分が苦しかったからっていうので、
人に何か施したいというウォントですね。
ウィルーがその奥にはあるんだけど、まだね、
表面はエゴが、オブラートっていうか、エゴのコーティングがあるわけ。
でね、ただこれに気づいた後が本当に楽だったんだよね。
あ、私自分のためにやってんじゃんってなったら、
本質的意味で諦めたんです。
悪い方の意味の諦めじゃなくて、明らかになったから、
じゃあ自分のためにやろうってなった。
人のためって言いながら自分のためにやるじゃなくて、
これはもう自分のためにやってることだと。
で、それがなんか相手のために結果になったら、
それはもう、それは嬉しいことだっていうふうにね、
切り替えというか、パッと切り替わったわけじゃない。
やっぱり苦しいなーって思いながら、
自分の傷口を見ていくわけですね。
そうすると、こういうことで苦しんでたんだなーっていうのを、
毎回癒しながら。
自分ではもうどうしようもできないことはやっぱりね、
いろいろ頼ったりしながらですね、
もちろんメンターの力は当初大きく、
その後もね、いろいろ体からやったらいいのかなとか、
いろんなジプシーをしたわけです。
なのでね、ちょっと話を戻すと、
私の周りにはプロになりたい人、
プロで今やってる人、
もっとただの興味の段階の人、
いろんな階層の人がいます。
いろんな階層の人がいるけど、
私はプロの技術を、
初心者でも教えるっていうスタンスを取ってます。
なぜなら、それはね、また話が長くなっちゃうんだけど、
やっぱり本質本物っていうのに触れていないとですね、
なかなかこの時代、
長生きするって言ったって、
百何十年ですよ、長く生きたって。
その中で有意義に時間を過ごすっていうところで言ったら、
もうやっぱりいいものに触れていく、
本質的なものに触れていく方がいいっていうのが一個。
もう一個はやっぱりね、
なんかいろいろケチって時間なの、何なの、お金なの、
15:02
あと自分を卑下して自分はプロになるわけじゃないからとか、
そうやってね、暁って怪我していくんですよ、自分を。
で、その段階の人たちが集まっていくと抜けらんなくなっていく。
そういうのもあって、最初からピュアな状態、
汚れててもピュアなところに入っていけばどんどん汚れなんて剥がれていくんだけど、
ちょっと汚れてた人がいっぱい汚れてる中にいたらどんどん汚れるしかないみたいな、
ひどい言い方してるけど、そういうふうに世の中はなっているというか、
高いところから低いところに水が流れるっていうのが地球の法則と同じで、
湿度もね、高い湿度から低い湿度に流れていくっていうのと、
同じっていうか、そういうもうルールなんだよね。
自然界、宇宙界というか、地球のルールと同じなんです。
自分がどんなに真っ白な服を着ていても、赤はついていくし、洗わなかったらね。
やっぱり汚れてるところ、お部屋に行ったら白い服は目立って汚れていくし、みたいな感じで、
だから最初から本質的に、
寄り道しないで済むようなものっていうのを提供するっていう意味で、
質が高いものをやっているわけなんですけど、
今日のテーマのお金・エネルギー・通信っていう話で言うと、
ボランティアっていう考え方と、ビジネスっていう考え方と、
これはあるよねっていうところで、
ボランティアでいいですみたいに言う人が、これまでも一定数いらっしゃったんですよね。
それはそれでいいんだけど、
ボランティアってそもそも何なのかなって思ったわけですよ。
ボランティアには定義があって、自発性、自主性っていうこととか、
あと無償性か、誤償性、お礼とか、お互いの報酬っていうやつですけど、
お礼とかがあるとか、
だから、鋭利ではないってことなんだけど、非鋭利ではあるんだけど、何かの交換がなされて、
18:01
お互いに報酬が得られる、あるいは無償っていう条件と、
もう一つが社会性、
で、もう一つなんだっけな、4つの定義があって、
もう一つがね、なんだったかな、ちょっと忘れちゃったな。
でもそういう社会性とか、
あと、まずそのコミュニティみたいなところ、コミュニケーションじゃないけど、そういうふうに書いてなかったけど、
個人でボランティアっていう印象が強いかもしれない、違うな。
つまりそのボランティアっていうには社会性も含まれるっていう要素があってですね、
無償であることがボランティアではないんですね。
社会性があることがボランティアの意味付けになっていくという、条件に入っているっていうね。
そういうのを見ると、結局ボーイスカウトとか、
あと、いろいろあるじゃないですか、自治体の取り組みとか、
そういうところで、自発性を持って非営利で何かをする、
それがボランティアだって多くの人が思っているのかなと考えた時にですね、
実効性なんかに言うのは、結局ワンコインでもいいからお金をもらった方がいいっていうのは言うんですね。
それはなぜかっていうと、相手の自尊心と自分の自尊心を守るためなんですね。
無償でやるっていうことは、相手の人にお金を払う力がないっていうのを無意識的に暗示させるので、
それはね、罠っていうかここがすごく精明で、
本当に多くの人がチェックしたらいいんじゃないかなって思うのがここなんですけど、
どういうことかっていうと、結局例えば別にプロになりたいわけじゃない、そこまで技術はいらない、知識もそこそこでいい、
自分が満たされる感じで、それをやることによって近くの人、周りの人がちょっと役に立てばいい、助かればいい、
ボランティアで地域の人に占いで貢献できたらいい、なんかそういうふうになるわけです。
その時のスタンスって多分自分に自信がないとか、自分はそこまでいらないとか、
21:02
自分ごとなんだよね、その段階だとね。
相手ごとになったら無償の方が気楽に受けられるしいいだろうとかなるわけね。
これ物によってくるんですけど、私が提供しているのが最初に冒頭に言った心なので、
心とかその人の生き方、人生を大きく言うとそこになってくるので、
そういうものを、例えば電話相談、子供電話相談とかでも何でもいいんだけど、
電話相談でもちょろっと受けてちょっと役に立てばいいかなぐらいの感じだったとしたらですね、
まず一つ、それに電話をしてくる、そこに相談を持ちかけてくる人は、
お金がない人でかわいそうな人だみたいなのを案に示す可能性があるわけですね。
そしてそういう人たちに施している私みたいなところの優越感みたいなのを、
どこかで感じていないかいっていうのを自分に問うていくっていうのが結構重要ポイントだなと。
私がやっぱりそういうのを考えてたんですね。
無償でやるとしたらこうかなとか。
じゃあ、でも本当にヘルプの人、レスキューレベルもどうしてもレスキューとヘルプは違うんですけど、
レスキューレベルはお金とかどうでもいいわけなんですよ。
もうすぐ助けなきゃ危ないから。
そういう時はもう自主性を持って行動するってそこしかない。
ウォントとか一切関係ないよね。やる気はないよね。
人としてやるよねみたいな感じなわけです。
でも往々にして、私の心理とかの中でも、私はジャンルを決めているから、
レスキューの人たちは対応しないっていうのを自分で決めているのでね、
それは本当によほどのことじゃない限りやらないんですけど、
プロとしてね、人としてはやりますけどね、
プロとしてっていうところだとそこは手を出さないって決めていて、
ヘルプを助けてっていう人でお互いに条件が合えば、私でよければみたいな形で、
その条件が数字っていう、
そしてどれだけ変わりたいのっていうエネルギー量を数字で表すとしたら、
まあ一つお金っていうのは指標になるのでね、
そういう考え方を個人、私個人は持っていて、
24:03
ボランティアで人のためにって言ってる人は結構ハートフルな人が多いんだけど、
心のどこか自分に葛藤があったり劣等感があったりで、
それを選択してた場合はですね、
相手に対して失礼になる可能性っていうのがあるっていうのをちょっと片隅に置いといてもらうと、
非常に健全に接することができていいんじゃないかななんて思います。
同じこと言っちゃいますけどね、私自身がそういう時期があって、
そういうことをすごく考えて、
で、自分が良かれと思っている態度が、
相手の自尊心を相手の意識じゃないレベル、深いところで落としているっていう行為、
これは本当に嫌だなって思ったわけです、自分自身がね、
それやられたら嫌だし、
やっぱね、力がある人ほどそういうのを見抜くの早いんですよ。
ふざけんなみたいになるわけですよ。
結構社長さんとかはそんな感じだけど、
心が弱っていると、なんか助けてくれて嬉しいなってなるんだけど、
なんかね、強依存になってたりするんですよね。
強依存、共に依存をする。
つまり、お金を払わないでも施してもらえるっていうベクトルと、
なんか私を頼ってきてくれてるっていうベクトルで、
依存し合うっていうね。
私が本当にショックを受けた、女性企業で上手くいってる、
上手く当時いってた、今知らないから、
カウンセラーさんにどうやったら、私もそれで独立できますかって言ったら、
クライアントさんにいかに依存してもらうかよって言われた、
あのショックなね、一言があったんですけど、
やっぱね、その一言もらったおかげで真剣にね、
そういうことを考えることになりましたしね。
本当にね、軽い気持ちでボランティアとか言ってる人がいたりするとですね、
本当にね、大変だなと思いますね。
思いますねって私個人の感想ですね。
私自身がボランティア、もしね、心とかこういう自分の得意ジャンルでやるってなった場合は、
やっぱりよほどの知識と技術がない限り、
それはちょっとね、できないっていうかね、
できないって言葉でいいか、できないなって思っちゃう。
ボランティアであればあるほどプロであることが求められると思っています。
27:00
だって例えばさあ、さあとか言ったら、種類によるんですよ。
種類による。
お医者さんで、まだなんか免許取り立ての人が、
なんか救急の現場に行って何できるのって話なわけですよ。
例えばね、無償でとかなった時。
まあもう熱い思いとなんかで乗り越えるっていうドラマでね、あるけど、
実際自分がそこに降り立った時に、
現場で求められる人ってやっぱりプロフェッショナルな人ですよ。
って思うわけね。
自分が例えばボランティアされる側だったとして、
なんかちょっと優しい気持ちだけの人で、
駆けつけてはくれたけど、来たは来たで何もなんねえみたいなのだと。
それ困るわけよ。
実際そういう話もね、被災地で昔聞いたことがあるけれど、
やっぱり自分の企業を知っていないと、
ボランティアって本当に難しいなって私は思ってしまうんですね。
もちろんなんかその社会貢献とかで、
社会性の地域活性とかね、
そういうので手伝うみたいなのは全然いいと思うし、
それを今日言ってるわけじゃなくて、
どちらかというと、
占いとか心理とかやってる人たちの中で、
ヒーリングとかもそうだけど、
ボランティアでやろうとする人たちっていうのは、
一度考えてもらいたいなって個人的に思います。
自分のためにやってるって思うんだったら、
それは本当にそれでいいと思うんだよね、私自身も。
もうそれを割り切って、
これは私のためにやってるんだから、やるわってやったからね、当時。
でもそれを知らずして、
人のため、人のためってあなたのために、
なんで変わらないのってやってたら、
これね結局自分自身も傷つけてることになるし、
相手の人、存在を否定してるってことになって、
何のカウンセリングにもなってないってことになっちゃうわけですね。
本当にね、いろんなヒーラーさん、カウンセラーさんと出会ってきたし、
もちろん相談も受けてきて、
やっぱりここに気づける人と気づけない人は、
別れ道があるんですよ。
これ本当にね、あるんだよね。
なんだろう、私自身もそれを体験してきたからこその話なので、
30:05
良い悪いじゃないんですね。
自分も別れ道を体験したし、
別れ道にある人の相談をそれこそ何万人って受けてきた中で、
カウンセラーさんに限ったらそんなにいないか、
何千人とかなのかな。
でも半分ぐらいはそうかもしれないな。
そうするとね、結構な数ですよ。
やっぱりそういう人たちが自分の状態に気づいて、
本当は何をするのか、どういう関わり方を人とするのか、
何を大切にするのか、
それに気づかれていった人は本当にうまくいってる。
本当にうまくいってるって、商売としてもね。
健全に、変にお金儲けてますみたいな話じゃなくて、
本当数字でわかるんだよね、この辺はね。
その話するとまたマニアックというか、
ちょっとわかんない話もいっぱい出てきちゃうと思うので、
この話はここではしませんけどね。
ビジネスの話で置き換えたら、
ビジネスで年賞いくらいくらっていう段階で、
階段みたいにステージが変わるんですよ。
これはね、どの業界も同じ。
だいたい同じです。
そこを超えた時っていうのは、
ビジネスの世界になってくるんですよね。
ある一定を超えてくると、ビジネスになってくるんですよ。
その間っていうか、そこまでビジネスともう一個対比するとしたら、
ちょっと私ごとにしたら職人みたいな、
私職人気質なので、
職人とビジネスの年賞ラインっていうのがだいたいあってですね、
そこを超えて売れてる人って言って、
いくらいくら稼ぎましたみたいな人、
ネットとかで出てくるじゃないですか。
それはね、ビジネスに入ってるんだなっていう。
だから中身じゃなくて仕組みに入ってくるわけですね。
その中で仕組みをいかに、仕組みじゃない、中身をいかに薄めずにやるかっていうのを、
ここずっとやってるんだけど。
33:00
よくそれでやってきてるなっていうのを、
誰も褒めてくれないから自分でちょっと褒めるんですけどね。
世の中でもそうですわ、資本主義社会の現状は。
これからまた少し変わってきます。
とにかくマーケティングは今年かなり変わり目になっていますので、
話がどんどんいろんな方向に行くけれど、
ビジネスをやりたいか、職人でいたいか、
それとも自分のことに蓋をして、なんとなくこう、
生ぬるく美味しいところで楽しく過ごすか。
これなんかちょっとね、言い方悪いよね。
本当にね、どの世界でもいいと思うんで、私。
本当ね、別に嫌じゃないからね、ギラギラしすぎてる人とは仲良くなれないけど、
健全にビジネスをして、やっぱりそれを社会に還元して、
そのために大きく稼いで、人もね、
従業員とかね、雇用してっていう、そういう働き方もすごい尊敬するし、
本当にそういう企業が日本で長く残ってほしいなと思うし、
そして一方で職人気質の感じの人たちっていうのは、
なかなか儲けられない人が多いわけなんですけど、
やっぱり質がいいものっていうのをね、なるべく汚さずに、
しつよく、本当にいろんな人に渡っていってくれたら、
本当にこれいいなって思うし、
でもそういう世界知りませんと。
ぬくぬくおいしいものを食べ、大好きな人たちに囲まれて、
私は楽しく人生終わっていきたいです、みたいな。
好きな場所に好きな時に行って、みたいな。
この人生も最高だと思うから、
そういう人たちはぬるま湯でダメよね、みたいなことは一切思わないですね。
やっぱりね、今3つぐらい言ったんですけど、
どれもその人がいいと思う、思ったらそれでいいんだと思うっていうかね、
そういう人生を進むって思ったらそれでいいし、
ただなんか自分はこっちに行きたい、あっちに行きたい、
でも何かで行けないっていうのは、これはナンセンス。
だから行動した方がいいよねっていう話に、
36:01
まあまあいつも通りになっていきますわ。
でもやっぱり自分の言葉の奥にある自分の衝動、要求、
それが要するに弓矢だったら、弓を放つ前の力を動かす衝動のもっと根源のところ、
そして手を離した時に、要するに言葉を発した時に、
その言葉がどこに向かってどうなるのか、
全部それを意識して話すのは結構何も言えなくなるから大変なんですけど、
でもね、やっぱりね、気にしたら人生変わるんで、
おすすめっていうかしてほしい、何でしてほしいかっていうのは私の願いでしかないんですけど、
その願いの根っこは何かっていうと、
私自身がやっぱり誰にも気づいてもらえない誰かの心っていうのが、
日の目を見ないことに関してものすごい悲しいからなんですね。
ものすごい悲しい気持ちになるんです。
なんか生きてるのに、その人の中で生きてる思いなのに、
その人が気づかなかったらその思いはずっと日の目を見ない、
閉じ込められたままの自分があるっていうのは、
その人がその人として100%輝くっていうのが最高状態だとしたら、
何パーセントかは光がそこに隠れてるっていうことですからね、
エネルギーが出てきてないっていうことなんで、
やっぱりね、やっぱりこう人は人で輝いていてほしいというのは勝手な私の願いなわけです。
なのでね、なんとなくそこにコミットしてくれる人とか、
そうか自分にはまだ気づいてない自分がいて、そんな自分がいたら悲しいよねと、
そういうふうに感じてくれる人がいたらですね、
やっぱりそこを救い出せるのはあなたしかいないんですよ。
そこにあるよって私は言えるけど、
本人が気づかない限りその扉は開かないんだよね。
まあそういう思いだけで十何年この仕事をやってますわ。
まあなんかね、職人で頑張ってきてますけど、
やっぱりいろんな人にそういうことを届けていきたいなというのと、
39:06
世界貢献をしていこうという思いが年を重ねて出てくるもんでね、これがね、
孔子が五十にして天命を知るなんて言うけど、
まだそれはわかんないけど、やっぱりね、なんかその人がこの世界でやれることってあるんで。
自分がこの世界で全うすべきことを一人一人が全うすれば、
それは自分のためであっても結果他者のためになります。
そこに気づけば本当に自分のために100%やり込んでいけば、
本当他者のためにしかなんないんでね。
本当にそれをね、エゴだなんだ言って隠して他者のためとか大義名分で、
アンパンマンみたいに人にアンパンあげまくっちゃうと、
力が出なくて、じゃあもうおじさん呼ぶしかないみたいなことになるわけです。
いやー今日最長だなこのポッドキャストじゃないやスタンドFMね。
ちょっとね100回ぐらいまで頑張ろうかなと思ってます。
ポッドキャストは今300個目指して頑張って、
スタンドFMはでもまぁゆるゆる100回も超えていけたらいいなと思いますが、
この私が頑張って配信できるように皆様ぜひ応援していただければと思います。
その応援はこのね番組をシェアしていただくこととか、
あとメルマが登録してもらうこととか、
私のSNSももうメインがねインスタになってきてますけど、
インスタやブログをシェアしてもらうこととか、
そういうことが一番の応援になりますのでね、
ぜひぜひこのスタンドFM続けてよーって人はシェアしてください。
募集募集制ってやつだね。
これがねちょっとね社会性を帯びていくとボランティアになって、
いい活動になりそうだなとニヤニヤしちゃうのでございました。
というわけで、今日のお話があなたの人生の扉を開くヒントになりましたら嬉しいです。
では皆さんまたお会いいたしましょう。ではでは。