我慢の影響
皆さんこんにちは、家事育児が苦手なワーママゆきえです。
このチャンネルでは、産後に思いっきり働けないもやもやから、
副業をしたら変わるかも、と、
起業塾や口座に入ったり、コンサルを受けたりしてきました。
自己投資額190万円。
この経験を、人生お悩み中のままにお届けしたいと思います。
最後まで聞いてくれると嬉しいです。
今日はですね、ちょっと我慢についてお話ししようかなって思うんですけれど、
これは何かっていうとですね、
私ね、親がすごい厳しいんですよ。
これはこうではなくてはいけない、みたいな。
それ以外はもう悪。
そんな感じの育て方をされたんですね。
だから別にその考え方があってもいいのになって、
今思えば本当に思うことも、
女は家で家事育児をしなければならない。
結婚をしたらお仕事はセーブするか、もしくは辞めなければならない。
そんな感じの考え方の親で、
私が高校を卒業する時にも、
女の価値が下がるから大学に行く必要性はない。
女が額を付けても意味がないとか、
そういうことを本気で言ってるような親だったんですよね。
私はね、やっぱりそれが嫌だったんですけれども、
でもね、やっぱりいろんな情報をね、
今みたくインターネットとかなかったから、
情報が与えられてなかったって言ったらね、
人聞きが悪いかもしれないんだけれども、
やっぱり文言もね、毎日高校の時で4時だったんですよ。
だから友達と話す時間もほとんどなかったので、
あまり情報、いろんな情報、この世に何があるのかとか、
そういう情報がなかったんですよね。
母親とかに言わせれば、
学校の帰りにね、いろいろな飲食店とか、
ファーストフードとかのお店に寄るっていうのは悪なんですよ。
不良のすること。
真っ当な高校生はそういうことは一切しませんっていうことをね、
いう感じの目だったので、
4時過ぎて帰ると、
あらゆる家の鍵は閉まってます。
窓も玄関ももちろんなんですけれど。
で、もちろん入れなくなっていますね。
そんな状態なので、
その入るためにはしばらく外で我慢して待って、
その後反省を述べてから、
じゃないと家に入れてもらえないっていうような感じのお家だったんですよね。
すっごい我慢してて、
それが当たり前っていうか、
子供にとってはその教育が当たり前だったので、
当たり前にね、そうやって過ごしていたんですけど、
まあでもその、
なんでしょうね、親の言うね、
真っ当だという道以外は全部悪っていう風に教えられているので、
まあきっとね、自分の性格とは全然反したことを言われているので、
腹も立ってたんですけれど、
まあどうしようもなかったっていうのが正解なんですよね。
で、その時にね、
まあその後ね、やっぱり親元を離れたりなんだりしてね、
思ったことって、
我慢をしてね、生きていた時って、
本当に他人のことが許せなかったんですよね。
新たな挑戦
だって常識と違うじゃんとか、
そういう風に思ってしまって、
すごいなんかこう、振り幅の狭い自分だったなっていう風に思いますね。
で、でもね、まあ我慢ね、
高校生とかまで学生の間ってね、
どうしても親が絶対だから結構我慢してしまうんだけど、
どうして自分外れなかったんだろうとかね、思うんですけど、
怖すぎて本当に二度と家に入れてもらえないんじゃないか、
みたいな親だったし、
散らかしてると2階の窓から全部物捨てられちゃうような、
ね、あのお家だったので、
恐ろしくて反抗するのも、
どっちが正しいのかっていうのがわからなかったですね。
あと反抗の仕方もわからなかったのと、
不良になり方もわからなかったんですよね。
まあそんなんだからずっと我慢してて、
だから我慢をしてるから、
それが正しいと思ってるので、
我慢をすることがね、
だからその我慢をしないとか、
自分の思ってる正しいが外れてる人は、
ほんと他の人のことが許せなかったんですよね。
でもね、誰に頼まれたわけでもないのに、
自分の気持ちを勝手にね、
押し殺して我慢して、
周りに合わせて我慢して、
気が付けば、
相手がね、
自分の理想と違うと、
勝手に嫌いになって、
許せなくなってたりとか、
ほんとひねくれてるんですけどね。
自分は我慢してるのに、
勝手にね、
相手が許せなくなって、
そんな時にね、やっぱり、
人ってうまく付き合えなくなって、
友達がいなかったりとか、
距離を置いてしまったり、
自分が辛くなるからね、
距離を置いてしまったりとかね。
で、その後もね、やっぱりその、
何かやりたいなとか、
思ったところで、
やっぱりそういう時の記憶って、
ブロックになるんですよね。
なので、
結局私はね、
高卒で一回、
会社員として働いたんですけれども、
でもそれね、
大学に行かせてもらえなかったっていうのもあるんですけれど、
頭が悪くて勉強ができなかったっていうのもあるんですけれどね。
なんだけど、
親元をね、ちょっと離れたかったっていうのがね、
一番でしたね。
働けば、
この親の敷いたレールから、
外れられるんじゃないかっていうね、
ちっちゃな抵抗でした。
で、働いてみたんですけれど、
やっぱ高校卒業してね、
会社員になるって結構ね、
辛かったですね。
今までそんな閉じ込められた生活して、
何の守備もないのに、
急にね、社会人ですよ、ほいって放り出されても、
辛かったなって、
思いましたね。
でね、そこからね、
少しずつね、
好きなことをし始めるんですよ。
親に罵倒されながら、
ゴミとかクズとかチリとか言われながら、
人生の選択
それでもね、自分のね、
やりたいことをやってきて、
やっぱり自分で動き出すと、
やっぱり成功、
成功というかね、
自分が目指すものって、
手に入るんですよ。
会社員やってから、やっぱり自分で生きていく力だったりとか、
自分何かこう、
人に役に立つことをやりたいとかね、
便利な人生を送りたいとか、
いろいろ思ってたんですよ、その20歳ぐらいの自分は。
なので、看護師のね、
学校をこっそり受けて、
勝手に退職して、
勝手に学校入って、
っていう生活をね、してたんですよね。
で、学費出してもらえないんですよ、だから。
なので、もう自分、
バイトしながら、学費払って、
学校行って卒業しましたね。
いやー、
根性あったなって思いますけど、
でもね、やる気があったらね、
それぐらい人って動けるんだなって、
思った出来事でしたね。
うん。
で、やっぱりね、我慢するって良くなくて、
その時も勝手に怒られちゃう、
勝手に会社辞めたら怒られちゃうとか思ったけど、
我慢してたら一生終わるなと思って、
我慢しないで、
勝手に仕事も辞めちゃったし、
学校を隠れて受験しに行った、
あの時の我慢をしなかったっていうか、
抑え込まれないようにした自分を、
今はちょっと褒めたいなって、
思っています。
でね、こう、
色んな我慢ってあると思うんですよ。
お母さんなんだからとか、
お母さんなんだから、夜出かけちゃいけないとか、
お母さんなんだから、
仕事をセーブして、
出来る範囲でやる必要性があるとかね、
それがね、本当の幸せで、
自分の望んだ未来だったら、
大正解、手に入れてるんですけど、
私みたいにね、
看護師が大好きで、もっと働きたかったのにとか、
残業が愛おしいとか、
思っているお母さんとかもね、
いるんじゃないかなって思うんですけど、
やっぱりね、制限が出たり不自由は出るんだけれども、
その制限不自由の中で、
どれだけこう、
広がって可能性考えられるかなって、
考えることって大事だなって、
思いますよね。
でね、
子育てが途中までいったら、
またきっと、
段々フェーズが変わっていって、
動き方、生き方って変わっていった時に、
その時に動ける自分で、
いたいなって思った時には、
そこを目指してでも、
抑え込むんじゃなくて、
そこを目指して一歩ずつね、
着々と積み重ねて、
私は生きたいなって思っているところです。
今日も最後まで聞いてくれてありがとうございました。
我慢も必要だけど、
我慢ばかりは良くないなって、
思いましたね。
ありがとうございました。またね。