2022-03-17 09:08

#1 文語文と口語文

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キーワード:文語、口語、平安時代、古典文法、漢文、句形、高校古典
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それでは、講義を始めてまいります。
古典といった時に何を指すかというと、基本的には古文と漢文のことを言うんですね。
古文と漢文ってどういうものを言うのかというと、
まず古文というのが、学校の中では、この学校の授業としての古文というのは、江戸時代までの文章のことを指します。
なので、明治時代以降のものは古文とは基本的に言わないんですね。
ただ、もちろん江戸時代から明治時代になったことによって、急に言葉が変わるということはないわけですよね。
ガラッと変わってしまうということはなくて、
なので、例えば江戸時代の終わりの頃と明治時代の始めの頃とでは、だいたい同じような言葉を使われていた。
もちろん、訪問書においては何か変わったりとか、こういう時にはこういう言葉を使いましょうねとか、取り決めがある程度あるものはあったと思うんですけれど、
ただ、一般の人が使っている言葉、話し言葉についても書き言葉についても、いきなり全てが変わってしまうということはなかったと思うんですね。
そうなると、結構明治時代、大正昭和初期くらいまでは、割と古めかしい文体というか、古文と似たような文体、江戸時代と似たような文体で使われている言葉もいっぱいあったんですね。
だいたい、ふんわりと昔の文体のことを文語文と言ったりします。文章の文に語に文章の文で文語文と言ったりしますね。
それに対して、ざっくり言って今の言葉、今に近しい言葉のことを口語文と言ったりしますね。
文語文と口語文といって、もちろん文語文とか口語文という言葉も、使われる場面によっては違うニュアンスで使われたりすることもあります。
例えば、文語文というのは、もともとの地図だからわかる通り、文章として書かれていた時の言葉使い。それに対して口語文というのは口に語と書いて口語と読むんですけれども、口語文は話し言葉のことを口語文ということもあります。
だいたいこの古典で使うときには、文語文というのは古文の言葉、口語文と言ったら現代文の言葉という感覚でいいと思います。
ただ、この文語文というのもですね、ある程度目安がありまして、古典文法というものを考えていくんですけれども、文法というのは日本語の文法というのはかなり昔、平安時代くらいから長らくいろんな人が研究してきたんですね。
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言葉というものは研究してきたんですけれど、その時にこの古典文法、文法というものを古典文法というものと現代文法というふうに大雑把に分けた時にですね、この古典文法というのはおおむね平安時代くらいに使われていた言葉を使ったりするんですね。
なので古典文法というときにはだいたい平安時代に使われていた文法を指すんです。
これは文語文に対しての文法なんですね。それに対して口語文に対しての文法ということで現代の文法もあったりする。
当然文法というのは大きな意味では変わってないんですけれども、やっぱり細かいところでは変化しているんですね。
変化ずっとしているのでどうしてもどこかで区切らなきゃいけないんですよ。
そうした時にとりあえず平安時代くらいの文法、言葉の使い方っていうのをざっくり古典の文法として考えようかというふうに言ったりするんですね。
なのでここから先古典文法という言葉を使うときには基本的には平安時代の文法が基本にあるんだと思っていただければいいと思います。
この歴史によって文学というものとか言葉の使い方っていうのは変わっていくんですね。
大雑把に言うと古典というのは言葉について勉強していくということと、あとはそれぞれの文学について勉強していくという側面があります。
昔の言葉自体について知っていくということと、その昔の言葉で書かれた文章自体について理解していくということがあるんですね。
そういった意味で漢文についても古文についても両方文法とか漢文の場合は句形と言ったりします。
そういうものを一つは勉強する。
あとは一方では実際の古文に触れたり漢文に触れたり、あとはその背景にある様々な知識、
例えばどんな人がどのような背景を持って、そしてどのような時代の中で描いてきたのかということをそれぞれ読んでいくんですね。
たまにあるのが漢文って何で勉強するのかなということなんですけれど、
まずそもそも漢文というのは何かというと漢字だけで書かれた文章のことを言うんですね。
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漢字だけで書かれた文章というと基本的に中国語のことを思い浮かべるんですけれど、
例えば現代の中国語っていうのは厳密にはすべてが漢字なわけではないんですよね。
漢代字と呼ばれる少し形を変えた文字を使ったりしています。
ただ古代中国語っていうのは全部漢字なんですね。
それを日本に持ってきたので、それをさらに日本人が自分たちで記述するようになったんです。
ということは漢文で書かれたものっていうのは古代中国語で書かれたものと、
あとはそれを輸入して日本人が書いた漢文っていうものもあるんです。
この日本人の書いた漢文っていうのは何なら今でもそれを使って漢詩を作ったりする人もいるんですね。
さすがにそういう人は少ないとは思うんですけれど、明治時代くらいまでは結構文化人の間でも漢文は使われていましたし、
訪問所においては漢文的な文章を使うってことはまだまだされていたんですね。
そうなってくると漢文ってものもある程度触れておかないと結構長い時期のいろんな文献が読めないんですよ。
文章読めないんですね。
いろんな文章に触れるためにはやっぱり漢文っていうものにも触れておいた方がいいんじゃないかっていうことがあるんですよ。
古文も漢文も両方とも今ではほぼ使われていない、リアルタイムに書かれるってことはないけれども、
ただちょっと前までは当たり前に書く人と読む人がいたというものなんですね。
なのでそれをまず言葉としては勉強しましょうっていうことと、
あとは長い間、それこそ千年以上にわたって書かれてきた様々な文章を読むことができるっていうことは非常に大事だと思うんですね。
さもないと、もうほんとここ100年くらい、100年にもいかないですかね、
ここ戦後70年とか50年とか70年くらいの文章しか読めないってことになっちゃうんですよ。
でもこの千年以上の歴史がある日本の中でいろいろな文章を読めた方がいいじゃないですか。
だからそのいろんな文章、本当にこの日本の中にいろんな文章がある中で、
その中でほんのここ100年以内のものしか読めないっていうのと、
千年以上にわたって書かれてきた様々な文章が読めるっていうのは、
全然読める範囲が違うってことは、見えているものも違うし、考え方の取り入れ方も変わってくると思うんですね。
そういったこともあって、古文や漢文っていうものを読んでいきましょうっていうのが、
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一つはこの考古古典っていうものの役割なんだと思います。
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