2022-11-27 38:48

#36 増鏡・とはずがたり(2022年共通テスト本試験)

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00:03
今回は、2022年度共通テストの古典の中から古文の部分を紹介していきたいと思います。
今回の出典は増鏡、そしてとはずがたりというものです。
まず増鏡というのは、歴史物語ですね。
鎌倉時代の歴史を描いたものなんですけれども、
この歴史物語というのは、実際の史実というか、歴史に沿った形で書かれているとも言われております。
その書かれ方としては、変年帯というものを使われております。
この増鏡というのは、物事ができた順番に記述されるという形なんですね。
それに対して、例えば大鏡のようなもの、この鏡とつくものが、歴史物語の一つの目安となっているんですけれども、
この大鏡というのは、紀伝体というものなんですね。
紀伝体というのは、これは本義というものと熱伝というものに分かれていて、
簡単に言うと、一人の主人公、登場人物がいて、その人物の歴史を描いていくと。
いろいろな様々な方の歴史を描いていくことによって、結果的にある時期の歴史を知ることができる。
このような形で描いているものを紀伝体というのに対して、この増鏡は変年帯と呼ばれる物語ができた順番に記録していくというもので描かれております。
なので、比較的物語性が少ないんですね。
例えば、この大鏡などの紀伝体においては、主人公がいて、その主人公が一体どのように出来事に向き合っていたかというのがまさに物語的に描かれていくんですけれども、
それに比べると比較的物語性は低いということなんです。
今回の出典の一つ目の増鏡もまた、まあまあダイジェストなんですね。
それに対して出典の二つ目の問わず語りというものは、こちらはオフカックサインに等しく使える二条という女性が描いたとあります。
03:05
ですので、この二条という人物の主観によって描かれているものですので、非常にドラマティックというか臨場感たっぷりに描かれているんですね。
今回はどちらも同じ場面が描かれているんだけれども、増鏡はある意味では非常にシンプルに。
それに対して問わず語りの方はまあまあ詳細に。
逆に言うとこの詳細にというのも、フィクション性が高まってしまうというところもあるんですね。
やや事実からすると離れがちというか、既読よりはかなり物語的な要素が大きくなってしまうという要素があります。
さて、この場面というのは、オフカックサイン、本文ではインと呼ばれている方が、いぼ妹である。
つまり、お母さんが違う妹である全妻遇。
本文ではただ妻遇と書かれておりますけれども、二伝母する場面を描いたものであるとあります。
この妻遇という方は何者かというと、伊勢神宮に仕える巫女なんですね。
ただ、このただの巫女というわけではなくて、伊勢神宮において非常に重要な役割を持っているんですね。
かなり古くからこの役割はあったようで、古事記の中にもこの伊勢神宮の妻遇が出てまいります。
この妻遇には、大抵が帝の妹とか、帝の娘とかが当てられたんですね。
ですので、非常に重要な役職であり、帝に関わる方、皇族の方がされた仕事であったということです。
さて、そのような状況にありながら、この全妻遇、さっきの妻遇とある通り、おそらく妻遇の任期を終えて里戻りをしたというあたりなんじゃないかなと思われます。
さて、では今回の場面を読んでまいりましょう。
まずは文章1とある部分、こちらマスカガミからですね。
まず本文を読みたいと思います。
06:08
こえんもひとぎきよろしかるまじ、いかがはせんとおぼしみだる。
おんはらからといえど、としつきよそにておいたちたまえれば、うとうとしくならいたまえるままに、つつましきおんおもいもうすくやありけん。
なおひたぶるにいぶせくってやみなんは、あかずくちをしとおぼす。
けしからぬおんほんじょうなりや。
なにがしのダイナゴンのむすめ、おんみちかくめしつこうひと。
かのさいぐうにもさるべきゆかりありて、むつましくまいりなるるをめしよせて。
なれなれしきまではおもいよらず、ただすこしけじかきほどにて、おもうこころのかたはしをきこえん。
かくおりよきこともいとむずかるべし、とせちにまめだちでのたまえば、いかがたわかりけん。
ゆめうつつともなくちかずききこえたまえれば、いとこころうしとおぼせど、あえかにきえまどいなどはしたまわず。
いんもわがおんかたにかえて、いんというのが、このかたはごふかくさいんであります。
で、このいんもじぶんのところにかえてとありますが、このまえのばめんで、じぶんのいもうとであるさいぐうとたいめんしたばめんなんですね。
そのさいぐうとたいめんしたあとに、いんもじぶんのへやにもどりましたとあります。
で、うちやすませたまえれど、そこでおやすみになっていたんだけれども、まどろませてたまわず、まどろむとげんだいでも申しますね。
ようするに、うとうとしておねむりになることもできなかった。
ありつるおんおもかげ、こころにかかりておぼえたもうぞいとわりなき。
ありつるおんおもかげ、さきほどまでみていたそのおもかげが、もちろんこれはさきほどのさいぐうのことをいっています。
いもうとのことですね。いもうとのおもかげが、こころにかかっておおもになることが、とてもむりもないと、しかたがないというんですね。
ようするに、ひじょうにいもうととひさびさにたいめんして、いもうとにひじょうにどきどきしてしまっているというんです。
さしわえできこえんも、ひとぎきよろしかるまじ。
さしわえって、こちらは注釈がございますね。ここはわざわざとございます。
わざわざ、きこえんも、つまり申し上げるのにも、ひとぎきよろしかるまじ、ひとぎきがよくはないだろうというんですね。
いかがわせん、どうしようかといっています。
これ、いんがいっていることなんですが、いんは、直接申し上げるのも、ひとぎき悪いだろうから、どうしようかといっています。
09:04
これ、なんのことかというと、いんとしては、このいもうとにたいして、ひじょうにどきどきしてしまっているということを、なんとか申し上げようと思うんだけれども、そんなことをしてしまったら、ひとぎき悪いだろうというんですね。
だから、どうしたらよいだろうと思っている場面なんです。
おんはらからといえど、としつきよそにておいたちためれば。
おんはらからというのは兄弟のことですね。
ごきょうだいといえども、としつきよそにておいたちためれば。
ながねんよそにて、つまり、別々によそでおいたちためれば。
追い育ちなさったので うとうとしくならいたまえるままに
うとうとしくなる うとくなる つまり二人としては疎遠な感じになってしまうということでしょうね
別れ別れに育ってきたので 何か他人のような感じがするんだろうと
なので つつましき恩思いも薄くやりけん
つつましいような思いも 薄くなったのだろうよと言うんですね
要するに普段 普通に考えたらですね 自分の妹に対して恋心を抱くなんていうことは
慎むべきことと思われるんだけれども 別々に育ったからそういう思いも少ないということなんでしょうね
なおひたぶるにいぶせくてやみなわと なおひたぶるにひたすらにってことでしょうね
いぶせし いぶせしって言葉は 煙がもくもくと立っていて
もやがかっている様子を いぶせしって言うんですね
そういう様子から もやっとしている様子を形容するときに
このいぶせしって言葉を使います
ですから 眉毛がいぶせくなっているなんて表現がありまして
これは昔の人のこの貴族っていうのは 眉毛を全部剃って抜いていたんですね
全部抜いておくと そこの上にメイクをしたわけなんです
ところがその眉毛がそのまんまになって 手入れが垂れていない様子を
それが煙たくなっているというか 毛がいっぱいやたらに生えている様子を
いぶせしなんていう形容もしたりしております
ただここでは何がそんなに煙たいのかというと これは心なんですね
心がもやもやしていると 心がもやもやしていて
やみなんはそれで終わってしまうことは 明かず口惜しいと思うと
悪というのは満足するという意味です
12:01
ですので 悪というのは飽きるという字を当てますね
飽きるという意味で悪の意味が使われることも 後にはあるんですけれども
早い時代には悪というのは 満足するという意味で使われておりました
ですから 明かずというのは 満足しないということなんですね
そのままでは満足はできないと 口惜しい 残念だと思いなるというんです
そんな風にして 委員は実の妹でありながら
思いを打ち明けたくて仕方がない様子です
ですので この深神の中では
けしからぬ恩本性なりやと
けしからぬ御性質ですね 御気性ですね なんていうことを言うわけですね
ここまでが一段落です
次の段落です
何がしの恩大名言の娘 恩御近く召使う人
これは何がしの恩大名言の娘さんという方で
院の近くで召使えていた人が
これはもちろん二条のことなんですね 注釈文もございます
二条が かの妻遇にも
妻遇というのは先ほど妹のことですね
かの妻遇にも 去るべきゆかりありて むつましく参りなるると
この何がしの大名言の娘で 恩御近く召使う人は
去るべきゆかりがあって ある御縁があって
かの妻遇とも むつましく参りなるると
妻遇のところに 参上していたことがあると言うんですね
妻遇とも御縁のある方であったと言うんです
この二条という女性を召し寄せて
姻は召し寄せて 姻はこのように伝えるんですね
なれなれしきまでは思いよらず
ただ少しけじかきほどにて
思う心の片端を聞こえん
かくおりおりおきことも いとむずかるべしって言うんですよ
これ何言ってるかっていうと
なれなれしき様子までは 思いもよりません
ただ少しほんの近いところで
思う心のほんの片端だけでも 申し上げようと思ってるんですと
このようなおりおきこと タイミングも
いとむずかるべし とてもむずかしいでしょうから
って言うんですね
すごく率直に言ってしまうと
ものすごくもうなんか
親しい間柄になりたい わけではないんだと
ほんのちょっと近くに行って
自分の心のほんの少しだけでも
打ち明けたいだけなんだ っていう風に
二条二を説得するんですね
つまり二条を説得して
西宮のもとに連れて行ってほしいと
いう風にお願いしている 場面なんですね
15:02
そんな様子なので
しかも世知に豆立ちての たまえばとあります
世知にというのは 切実にという意味です
豆立つというのは 豆々しとか
豆という言葉がありますが
これは真面目だとか 誠実だとかいう意味ですね
よくものなんかにも使われまして
ものですと豆々しきもの とか言うと
これは実用的なもの
何かその趣味とか 生活よどるようなものではなくて
実用的で堅実なものを ことを指していたしますね
そんな風に非常に熱心に 真面目な様子で打ち明けるので
いかがたばかり犬と
いかがどのようにたばかり犬
何か手筈を整えたのでしょうかと
夢うつつともなく 近づき聞こえたまえればと
夢ともうつつともなくと
夢ともなく 現実ともなく
近づいて申し上げなさった というんですね
ということで ちょっといろいろ 省略をされているものの
非常に真面目な様子だったこともあって
断ることもできず
二条は最後のところに おつれ申し上げたんでしょう
なんだけれども それに対して
いと心うしとおぼせど
あえかにきえまどいなどは したまわずと
こちらは最後の様子を言っています
いと心うしとおぼせどと
とても心うし うしというのはつらいという意味ですね
とてもつらいと思いなったけれども
あえかに
あえかにというのは かっぽそく 弱々しい様子ですね
弱々しく きえまどいなどは したまわずと
そのまま
きえまどいなどは なさらなかったというんですね
そこで逃げたりとか お亡くなりになってしまったりとかね
失踪したりとか パニックになったりなどは
なさらなかったということです
ということで ここでは無理にも
二条という女性を頼って
西宮のところに院が参りまして
そこで西宮がとまどいながらも
つらいと思いながらも
実のお兄さんから 告白されているという状況で
非常にとまどいながらも 逃げたりは
そこで消えたりはなさらなかった というところでございます
同じ場面が今度は 先ほど出てきました
二条という女性 この女性の立場から書かれた文章というのが
どうやら問わずがかりだと 言われております
18:02
その問わずがかりで 同じ場面を読んでみると
どうなるんでしょうか
では見てまいりましょう
文章2をご覧ください
さくらにたとえても よそめはいかがとあやまたれ
かすみのそでをかさぬるひまも いかにせましと思いぬべき恩ありさまなれば
ましてくまなき恩こころのうちは
いつしか いかなる恩もの思いのたねにかと
よそも恩ここぐるしくぞ おぼえさせたまいし
まず一回ここで切りましょうね
ちょっと長いですので 段落ごとに見てまいりましょう
さいぐうは二十にあまりたもう ということですから
さいぐうは二十すぎくらいの ご年齢でした
ねびととのいたる恩さま
ねびととのうというのは ご成長なさっていく様子ですね
成長して成熟なさっている ご様子はと
二十とありますけれども
当時の貴族の女性の感覚でいうと
決して若いわけではないようですね
十四、五歳くらいで
受頼される方も 普通だった時代ですからね
二十歳くらいだと少々年齢が 高いというところなんでしょう
ただもちろん女性として 非常に魅力的である
ご様子が描かれております
そのご様子は
神も名残をしたいたまいける もことわに
神というのはこれはもちろん
一世神宮の神様でございますね
神様も名残をしたいたまいける
というのは
どうやらこの前才偶様は
一世にしばらく おとどまりになったようなんですね
ですから神様も 泣かなかって離さなかったのも
ことわり 当然であるというので
花といえば桜にたとえても
よそめはいかがと 謝たれとあります
花といえば桜にたとえても
よそめ他の人から見て いかがと謝たれと
どう間違わないだろうかと
見間違ってしまうよということですね
要するに桜の花のように 素敵な方であるということですね
花といったら桜のことなんですけれども
桜の花というのはやっぱり
花の中でもトップの存在ですから
それと同じくらいに 素晴らしく魅力的な方であると
霞の袖を重ねる暇もいかにせますか
注釈もございますけれども
これは霞が袖を重ねるというんですね
これは霞が何か山の景色だとか
21:03
辺りを隠してしまうように 袖を重ねる
つまり桜の花を霞に隠してしまうように
袖を重ねて顔を隠してしまうような間も
どうしてしまおうかと思ってしまうようなくらい
非常に美しいということなんですね
少々遠回しな言い方ですけれどもね
伊豆伝説を桜に例えて
そのお姿というのが非常に美しすぎるので
袖が隠れてしまうことを
殿方はものすごく残念に思ってしまうような
そんなご様子であるというんですね
そんな際遇に対して
まして熊なき御心のうちはとあります
ましては熊なき御心
これも注釈ございますね
これは陰の光色な心のことと注釈がございます
つまりこの熊なき御心というのは
この陰、お兄様ですね
お兄さんの色のみな心のうちというのは
いつしかいかなる御物をもたねにかと
いつしかという言葉がございます
現代ではいつしかというと
かなり遠い先のことを指しますけれども
古語においてはすぐにでもとかですね
すぐにもと
すぐに起きる
目の前に迫っているような様子を言いますね
いつしかいかなう御物思いの種
物思いの種というのは
これは恋心のことを指しますね
ですからすぐにでも
どのようなそういった物思いの種
恋心に発展するんじゃないかと
よそも恩心苦しくぞ覚えさせたまいしと
方から見ている者たちにとっても
非常に気の毒に思われると
もうちょっと困ったことだなと思われるということですね
簡単に言うとこの一段落目というのは
西宮様は非常に美しいので
色好みなお兄様のことですから
すぐにでも恋に落ちるんじゃないかと
この周りの者たちもひやひやしていたというところです
次のところでございます
恩物語やりて
かみじみの山の恩物語など
たえだい聞こえたまいて
今宵は伊東を吹けたべりな
のどかに
あすは嵐の山のかぶろなる小杖どももごらんじて
恩返りあれ
など申させたまいて
わが恩固いらせたまいて
いつしか
いかがすべきいかがすべきとおせあり
思いつることよとおかしくてあれば
幼くより参りししるしに
24:00
このこと申し叶えたらん
まめやかに志ありともわん
などおおせありて
やがて恩使いに参る
さあちょっとこのあたりまでいきましょうかね
恩物語あえて
これは西宮様と院があっているところなんですね
物語というのはカンバセーションのことですね
お互いにお話をしていた後に
かみじみの山の恩物語
かみじみの山というのは伊勢のことでございますね
伊勢神宮のころの思い
入れ話などを絶え絶え
話してはぽつりぽつりと話しなさって
申し上げなさって
院はこのように言います
今宵は伊東を吹けはべりぬ
今夜はとても夜が吹けましたと
のどかにのどやかに
明日は嵐の山のカペロなる小杖どもご覧じて
この嵐山の景色をね
秋の風景をご覧になってお帰りあれと
伊勢にお戻りになってくださいということなんでしょうかね
まだ伊勢を離れていなかったところか
ここからもう一度お戻りになるんでしょうかね
詳しいことは分かりませんけれども
そのように言って院は西宮をお部屋に返したんでしょうね
など申させたまえて
などを申し上げなさって
我が御方いらせたまいて
院はそのままお自分のお部屋に戻られたわけですね
ここからが先ほどの文章1
巣鏡の場面につながっていくわけです
ただこちらは先ほどの場面よりもかなり詳しくというか
だいぶフィクション性が増幅されております
我が御方いらせたまいて
いつしかまた出てきましたね
すぐにでもすぐにということですね
すぐにいかがすべき
どうしようどうしようと大せありとおっしゃった
思いつることよとおかしくてあれば
思った通りだと思っておかしくてあれば
おかしく思っているとということですね
要するに部屋に戻るとすぐに
どうしようどうやってこの気持ちを打ち明けようとか
西宮との間をどうしようどうしようなんて
早くもいのめきだっているんですね
ですから2条からすると思ったことだと思って
おかしくているということですね
その後
韻はこう続けます
幼くより参りししるしに
このこともし叶えたらん
まめやかに志ありともわん
などをおっしゃれて
27:00
幼くから参りしるしに
幼くから参っていた
これ2条のことを指しているようなんですね
2条あなたが
幼いところから
私のところに参住していた
その証拠として
証拠として証として
このことを申し叶えてくれたら
まめやかに
非常に誠実な
志があると思う
ですから
簡単に言うと
お前はずっと長く
私のところに仕えてきてくれているんだから
このことを何とか叶えてくれよ
そうしたら信じてやるよ
みたいなことを言うわけですね
このことというのはもちろん
才偶との間を取り持つことなんですね
などをおっしゃって
やがて御使いに参ると
そのまま使いとして参上したということですね
やがてというのはそのままとかすぐにという意味ですね
ただ大方なるようにと
そういうような
使いとして
才偶のところに行くわけなんですけれども
ただ大方なる
普通ということですね
大方なるようで普通に
普通の手紙のようにして
ご対面嬉しく
おん旅ねすさまじくや
という手紙を
忍びつつ踏み合いと
忍びながら
手紙を送ったというんですね
手紙の最初の
コメントとして書いてあるのが
おん対面嬉しくということですから
お会いできてよく嬉しく思いますと
旅ねというのは
旅先で寝ることですね
ですからこの旅先で
お休みになることがすさまじくや
すさまじいというのは
殺風景な様子とか
寂しいみたいな様子で
使われますね
ですので
旅先で寝るのは心細いですよね
みたいな感じですよね
全然これは心細くないですよ
というような
反応もできそうなものですけれども
だから案に
私が今から
あなたのところに行ってもいいですか
というような
そういうニュアンスも
にじませているんですよね
非常に
いのめきだっている
院の様子が伺えます
さてその手紙に加えて
氷重ねの薄代に
薄代とありますね
これも手紙を送るときに
よく出てきますけれども
これは紙ですね
氷重ねという
重ねというのは
色の組み合わせのことです
衣服などでよく使われますね
季節を表す
30:00
花の名前だとかが
ついておりまして
季節を非常に表す
色の組み合わせなんですね
氷重ねの
組み合わせを用いた
紙に
しられしな
いましもみつる面影の
やがて心にかかりけりとは
という和歌を
入れたんですね
この和歌というのは
やはり男女の仲を深めたい
ときのツールとして
使われるものですね
その中でどのようなことを
書いているのか
しられしな
ああお分かりにならないでしょうねと
いましもみつる
たった今見た
あなたの面影が
すぐにも心にかかりけりとは
心にかかってしまう
心に
非常に残ってしまっている
ということは
なんていうような内容ですね
もう完全に恋の歌ですよね
これはもう一目見て
恋の歌だと分かるものです
さあその後でございます
ふけぬれば
おまえなる人も
みなよりふしたる
御主も小儀帳に引き寄せて
御とのおもりたになるけり
近くまいりて
ことのよう
そうすれば御かうちあかめて
いともののたまわず
ふみもみるとしもなくて
うちおきたまいぬ
なにとか
申すべきと申せば
思いよらぬ御ことのはは
なにと申すべき
かたもなくて
とばかりんでいて
また寝たまいぬるも心やましければ
かえりまいりて
このよしを申す
さてということで2章は
西宮のもとを訪れます
ふけぬれば
よもふけておりますから
おまえなる人
これは西宮にお使いしている
まわいのかたがたも
みなよりふしたる
おやすみになっていると
みなさんね
御修身されているわけですね
御主というのは主人のことですから
西宮のことですね
西宮も小貴帳
貴帳というのが小さな
移動式のカーテンのことですね
それをパーテーションのようにして
動かしていたようなんですけれども
小貴帳というのは
小さいものでございます
袖を引き寄せて
御殿ごもりたるなり
御殿ごもるなんて言い方もありますね
御殿ごもるといったときには
おやすみになるという意味でした
ですからここもおやすみになっていたと
もちろん
主である西宮も
おやすみになっていたわけですね
近くまいりてことのよう
そうすれば
西宮様の近くに参上して
その院からの
33:00
お手紙を検定したところ
西宮様は
御顔を打ち明かめてと
顔を明かめて
意図ものもの賜わずと
何もものをおっしゃらないと
全くものをおっしゃらないと言うんですね
意図とてもものをおっしゃらないと言うと
ちょっと訳しては変なので
そういうときは全く
ものもおっしゃらないなんて言うと
訳としたらスムーズになりますね
文も見ると
詩もなくてと
手紙を見るとすぐに
討ち置きたまいぬ
手元に置いてしまったと
中身を見て愕然としたわけですね
自分の
兄からのね
ラブレターですから
戸惑いというか
困ってしまったと思うわけですね
そんな様子の
西宮に対して
二条はこう言います
何とか申すべきと
どのように申し上げましょうかと
申したところ
思い寄らぬ御事の端は
何と申すべきかたもなくてと
思いも寄らぬその
言葉というのは
何と申すべき方法もなくてと
言葉も出てこないと
というんですね
そのまままた
寝たまいぬでも
心やましければと
そのまま西宮がまた
お休みになってしまおうとするんでしょうね
お休みになってしまうのも心やましければと
非常に気がかりなので
帰り参りでこの余死を申すと
そのまま院のもとに
帰って参りまして
このことを申し上げましたと
報告したわけですね
そのまま
すぐに報告を
したわけでございます
妹としても
かなり戸惑っておりますよね
そして言ったら
今度は院のもとに戻って参りました
そしたら院は
このように申します
ただ
多毛らんところへ導け導け
と責めさせ多毛も
難しければ
御友に参らんことは
安くこそ
と言って参る
ただ寝多毛らんところへ
導け導け
これはもうただ
寝ていらっしゃるところに
案内して導きなさい
導きなさいと言うんですね
と責めなさるのも
非常に難しい
非常に困ったことなので
友にお友として
参上することは安し
非常に簡単なことなんだけれども
お知るべしてと
案内して
西宮のところに参上したと
ということで院を西宮のもとに
結果的に案内したんですね
そしたら
官の御相などはことごとしければ
御大口ばかりにて
忍びつついらせたも
ちゃんとした
清掃をしていると
かなり
ことごとしければと
大事というか
36:00
かなりバレバレになってしまいますので
大口だけだと
気軽な服装だけを
身につけて
簡単に言うと
上着を着ないで
上に着るものを着ないで
パジャマだけで
みたいな感じですかね
パジャマだけで
忍びつついらせたも
こっそりと
御相様がいらっしゃるところに
お入りになった
これは大変なことが
起きております
まず先に参りて
御障子をやおら
あけたれば
ありつるままにて御戸のごもりたる
お前なる人も
寝入りぬるにや
おとする人もなく
ちいらかに入らせたまいぬるのち
いかなる御ことどもか
ありけんと
まず先に入りて
これは二条が
まず先に入って
障子をやおらそっと
あけたところ
ありつるままにて
あったままの姿で御戸のごもりたる
お休みになっていた
西宮様はもちろんお休みになっていたわけですよ
深夜ですからね
お前なる人々も
寝入りぬるにや
周りの方々も寝入っていたのでしょうよと
おとする人もなくと
おとする人もない中
院は
ちいらかに入らせたまいぬると
身を小さくして
中に
つくばって
お入りになったと
そのあといかなる御ことどもか
ありけん
どのようなことがあったでしょうか
なんてもう
何があったでしょうか
って言われてもね
何があったんでしょうね
恐ろしい話でございます
というような流れでございますね
確かに内容としては
この
鏡と一緒なんですけれども
かなり場面が分かりやすく
物語風に描かれている
というのが
この問わずがたりの方で
ございました
この2022年度本試験の
古文の問題では
この二つを読み比べるというような
形になっておりましたね
こちらのテキストについては
大学入試センターの方から
ダウンロードもできますので
そちらでご覧いただくことも
できるかと思いますので
そちらを参考にしながら
ぜひお楽しみいただければと思います
ということで今回は
マス鏡そして問わずがたりの
文章をお楽しみいただきました
38:48

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