自傷の竜巻の被害
それでは始めて参りましょう。今回は方丈記からでございます。方丈記の中の、古代災害の一つ、自傷の竜巻の途中からでございます。
まずは本文を御紹介します。
三、四町を吹きまくる間に籠れる家戸も、大きなるも小さきも、一つとして破れざるはなし、さながら平に通れたるもあり、けた柱ばかり残れるもあり、
門を吹き放ちて、四五町が他に置き、また柿を吹き払いて、隣と一つになせり、岩や家の内の資材、数を尽して育にあり、
火肌、吹き板の類、冬の木の葉の風に見られるが如し、塵を煙の如く吹き立てたれば、すべて眼も見えず、おびたたしく鳴りとよむほどに、
物いう声も聞えず、かの地獄の豪の風なりとも、かばかいにこそは、とぞ覚ゆる、家の存亡せるのみにあらず、これを取り作ろう間に、身を損ない、
肩を預ける人、数も知らず、この風、羊の肩に移りゆきて、多くの人の嘆きをなせり、
まず最初ですけれども、三四丁を吹きまくる間に、これはその竜巻がですね、三四丁って単位ですね、広さの単位です。
三四丁の間を吹きまくる間に、こもれる家ども、その竜巻の被害に遭った家などは、
大きなるも小さきも、大きいものも小さいものも、一つとして破れざるはなし、一つとして破れなかったもの、破れる、つまり壊れるものはなかった。
さながらひだに倒れたるもあり、そのまま平らに倒れてしまった、全くすべてがぺちゃんこになってしまったものもあるし、
けた、柱ばかり残れるもあり、けたというのは建物の横に通すものですね、柱というのが縦にあるもの、それだけが残っている。
つまりそれ以外の、壁にあたるようなものですね。
当時の家の作りでいうと、非常にこの壁にあたる部分というものの作りというのは、あまり丈夫ではないというか、それこそ吹けば飛ぶようなものばかりだったようなんですね。
あまり今のように、例えば木の板ではめるとか、何かコンクリートのようなものはもちろんないですしね。
なので、その風であっという間にそういうものがなくなってしまって、けたと柱の部分だけが残っている、なんてこともあったようです。
角を吹き放ちて四五丁が他に置き、角というのは門ですね。
門も吹き飛ばしてしまって、四五丁が他に置きというのは、四五丁も離れたところに飛んでいっちゃった。
また、柿を吹き払いて隣と一つになせり、また隣の家との間にある柿根も吹き飛ばしてしまって、隣の家と一つになってしまう、なんてこともあった。
岩や家の内の資材、数を尽くして空にあり、ましてや家の中の資材、屋内の様々な火材道具などは、全部数を尽くして空にあり、空中に飛ばされてしまった。
日、日肌、吹き板の類、冬の木の葉の風に乱れるが如し。
この日肌や吹き板というのは屋根の素材ですね。
屋根の素材も全てまるで 冬の木の葉が風に乱れているように 吹き飛ばされてしまった。
柿をけむりのごとく 吹き立てたれば、そういった 塵のようなものを まるでけむりのように。
けむりというのは ここでは 空に飛んでいくような 機体上の もやもやしたもののことを けむりと言います。
もちろん 現代でも そういうものを 言います。
けむりのように 吹き飛ばしたことは 本当に 上空に飛び散ってしまいます。
すべて目も見えずに 全く視界がなくなって しまいます。
おびたたしくなりと 読むほどに ものすごい音を出します。
ものすごい音を出して 物を言う声も聞こえません。
物を言うような声も 聞こえなくなるくらい 騒音がひどいです。
かの地獄の 豪の風なりとも かばかいにこそは とぞおぼえる。
地獄に吹くという 豪の風が 吹くと言われている 地獄の風よりも 風というのも これほどのもの なのではないかと 思うように 思えたと 言います。
家や資材の被害
家の存亡せるのみに あらず。
もちろん 家が壊れてしまった それだけではないと 言います。
これを 取りつくろう間に それを修理する そのうちにも 身を損ない。
かたわづける人数も 知らず。
身を損なう 怪我をしてしまって かたわづけることは 傷害を負うような ひどい大きな 怪我のことです。
身をけがして 傷害を負ってしまう 体が不自由になってしまう そのような人も 数を知らず。
数え切れなかった。
この風 羊の方に 移りゆきて 多くの人の 嘆きをなせり その風 つじ風は 羊の方 羊とは 方角のことです。
方角は 南南星を 指すようですが そちらの方に 向かっていって 多くの人の 嘆きをなしたのだ ということです。
非常に 甚大な 被害が あったと 国名に 描いています。
どのような 描写が あったのか。
面白いのは 1個1個の 個別のケースを しっかり 描いている ということです。
全体として こんな感じだった というのではなく あるものは こうであり あるものは こうであり。
非常に この一つ一つの 事例についての 眼差しというのは 非常に 最高の ルポタージュと 言ってもいいような
なかなか 着眼点が 素晴らしい 文章だな と思いますね。
それでは 最後に もう一度 本文を 読みしましょう。
三四丁を 吹きまくる間に 籠れる家戸も 大きなるも小さきも 一つとして 破れざるはなし。
さながら 平に 通れたるもあり。
けた 柱ばかり 残れるもあり。
門を 吹き放ちて 四五丁が 他に置き、
また 柿を吹き払いて 隣と一つに 乗せり。
いわんや 家のうちの資材 数を尽して 空にあり。
ひはだ 吹き板のたぐい 冬の木の葉の風に 乱るるが如し。
塵を 煙の如く 吹き立てたれば 全て 目も見えず、
おびたたしくなりと 読むほどに 物いう声も 聞えず。
かの地獄の 業の風なりとも、
かばかいにこそは とぞ覚える。
家の存亡せるのみにあらず、
これを 取り作るお間に 身を損ない、
かたわずける人 数も知らず。
この風 羊の肩に 移りゆきて 多くの人の 嘆きをなせり。
ウィンナーズ・クラシックス 日本の古典 門川素比較文庫からの出典でございました。