2025-11-14 11:17

#76 古事記8(其の嶋に天降り坐して)

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#76 古事記8(其の嶋に天降り坐して)


【今回のキーワード】

イザナキ、イザナミ、天の御柱(あめのみはしら)、八尋殿(やひろどの)


【原文の出典】

《角川書店 ビギナーズ・クラシックス日本の古典》

https://kadobun.jp/special/beginners/nihon.html

サマリー

今回のエピソードでは、古事記に登場するオノゴロ島に降り立つ神々の姿やその空間に対する認識について考察されています。また、柱やヤヒロ殿の重要性、その神聖さについても深く掘り下げられています。

オノゴロ島への降り立ち
吉村ジョナサンの高校古典講義。このポッドキャストは、高校で勉強するような日本の古典文学を読んでいく文化系ポッドキャストです。
今回も引き続き古事記を読んでまいりましょう。 前回までで、いざなきいざなみの神、二人の神様によって
おのごろ島というのができたわけです。 で、今度はそのおのごろ島に降り立ちます。
その降り立ってどうしたかというところでございます。 では、読んでまいりましょう。
その嶋にあもりまして、 雨の三柱を見立て、
やひろ殿を見立てたまいき。 その嶋にあもります、あもりますというのは、雨下るというふうに書いています。
つまり、天のようなところか、おのごろ島に降り立つという認識なんですね。
ですからここでは、垂直方向に何か次元があるんですね。 上と下、上下が存在するっていうのも面白いところです。
この神話なんかを見るときに、水平方向に世界を捉える。 例えば、海の彼方に何かが存在するというような見方もできれば、
垂直方向に上に何かがあって下に何かがある。 多くはこの上下の間隔っていう神話もなじみがあると思うんですね。
西洋の神話にもそういうものも多いですから。 これっていうのはやっぱり日本人にとってもこの上下の間隔っていうのはやっぱりあるってことなんですね。
ただ現代人の我々からすると、あまりその日本神話において上下の間隔っていうものは考えることは少ないかもしれませんね。
もちろん神話の中にはこの天と地を行き来する話って結構あるんですよ。 あるんだけれどもあまりポピュラーじゃないというか、特に子供向けのお話にリメイクされたりすると、
そこで少し複雑になっちゃうんですよね。 だからあまりその天と地を分けるようなケースは少ないというか。
実際にはこれ多層的です。階層はその西でしかないわけじゃなくて、いくつかあるし。 また必ずしも上下ではなくて水平方向として捉えた方がいい。
例えば違う場所にあるとか、また海の向こうにあるとか、そういうふうに捉えた方がより適切ではないかという場合もあったりいたします。
いずれにせよ神話というものを見ていくときに、この空間をどう捉えるか。 上下で捉えるのか、もしくは奥と手前で捉えるのか。
もしくは異国と自分たちの住んでこの場所として捉えるとか、いろんな空間を捉え方がありますから、そこを見ていくっていうのは非常に大事だと思うんですが、
どうやらこのアモリマスの一言からすると、天とあとはその降り立つ先のオノゴロ島とが分かれているような印象を受けますね。
そしてそこに雨の見柱を立てたと言うんです。 天の柱を立てた。
これこの後に有名な柱をめぐるっていう場面があるんですが、柱がじゃあどういうものなのかというと、もちろん
柱って言ってもいろいろありまして、 おそらく柱は丸い柱ではないかなとは思われてますね。
これは昔の古来の柱が丸かったとか、あとは建築物でね、古い建築で丸い木材が使われているとか、そういうところもあるんだと思うんですね。
それも装飾的にどう使われるとか、いろいろ様々あったと思うんですけどね。
ただいずれにせよな柱のようなものである。 じゃあこの柱というものは何なのかということですよね。
現代でも柱自体を信仰するようなものがあるのかというと、あまりポピュラーではないですよね。
何かレリーフのようなものとか石板のようなものと同じような感覚で柱自体を信仰するっていうのは、ちょっとこう
パッと思いつかないところはあるけれども、そういうものらしきもの、石碑なんかだとあるけれど、それを木でやるっていうことは想定できなくはないですよね。
ただこの雨の見柱はやっぱりそれだけが単独である。 つまり家屋とか建物ですね、あとは鳥居のようなものもありますよね。
そういう建築物の一箇所として柱っていうものはありますよ。 だけれども柱だけしかないものって言うと、ちょっと日本においてはあまりポピュラーではないっていうことなんですね。
ただわからないです。この古来はそうだったものが、例えば鳥居なんかも、もしかしたら元は単なる柱で、上は繋がってなかった可能性ありますよね。
柱を2本建てて、そこをその間を入り口とするっていうようなことは、これは世界的にもあると思うんですね。
それを門のようにするっていうのはね、柱が2つあればそれが入り口になるっていうのはあったりするわけです。
ただ見柱ってあって、これは一応この後のストーリーも考えると1本なんですね。 1本で完全体なわけですよ。
だとどういうものなのかっていう想像があるわけですね。 また太さですね。この後、
イザナキとイザナミがその柱を互いに別方向から回り込むっていう場面があるんです。 その時に
2人がもう一度出会い直すっていうような 場面があるんですね。
そうなると一度姿が隠れる必要があるわけです。 そうなるともしかしたら結構太い柱をイメージした方がいいのかとも捉えられますが、
ただそれも儀式だと思えば、別に本当に体が全部隠れる必要はないのではないか というふうにも捉えられるわけですね。
例えば、そうですね、そのかくれんぼ、かくれんぼじゃないな。
うーんと、
なんて言うんでしたっけ? 隠れ鬼じゃなくて、
はじめの一歩でやるやつなんでしたっけ?
まあその、ありますよね。 あ、だるまさんが転んだですね。
だるまさんが転んだなんかでも柱って大事ですよね。 何かその鬼がそこに額、手をつけて目を隠して、
そしてそれを そこから振り向いて
他の人たちを捕まえていく。でまた、その鬼以外の人たちはその柱を目がけていって、その柱に触れることによって鬼に打ち勝つことができるということですよね。
ですからそこでは柱っていうのはある種象徴的なものでも良くて、もちろん別にね、だるまさんが転んだ事態は木とか柱でやる必要はなくて、
壁とかでもいいんだけど、ただやっぱりタッチをするっていうところからするとかなり面積がある程度狭いというか、
広すぎて例えば壁全体がタッチしてよかったらそれは成り立たないわけで、やっぱり柱のような形状が一番望ましいわけですね。
ですから一本の木とかがいいわけですけど、ある種のその柱っていうものが特殊な意味を持つっていうことは、
往々にしてあるというか、柱という形状が何かしら意味を持つっていうことはあると思うんですよね。
実はこの柱自体をまず見立て、立てたわけですね。それだけじゃなくて、ヤヒロ殿を見立てたまいきと言います。
ヤヒロ殿というのは広い神殿の建物のことなんです。立派な建物のことなんです。
子供向けにリメイクされた戸敷なんかだと柱しか描かれないことも多いというか、私の場合なんかパッと思いつくのはそういう柱なんですよね。
だけど実際には建物も建てられていて、それとは別に柱があると。
物語の核に迫る
ですから、建物があってその一部に柱があるのではなく、柱は柱、建物は建物で別にあると考えると、より柱の神秘性というか神聖さというか特別さっていうのが引き立つような気もするんですよね。
ヤヒロ殿って建物自体は何かお住まいとして、何かこの暮らす場所としても、あとは儀式を行うその控室的なものとしてもなんとなく役割はわかるけれども、
じゃあその柱とは何なのか、なぜ必要なのか、なぜ柱でなければならなかったのか、なんていうところは、この後その柱を巡るというエピソードからさらに考えてみたいと思います。
ではもう一度原文を読み足しましょう。
その島にあもりまして、雨の三柱を見立て、ヤヒロ殿を見立てたまいき。
原文の出典は、門川ソフィア文庫、ビギナーズクラシックス日本の古典、古事記でした。
ご案内を吉村ジョナさんがお送りしました。
11:17

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