はい、今回ですね、割と直近、イベントみたいなものがね、
つながって、連続して連なっていたんですが、
イベントとかね、旅行に行ったりとか、会食、久しぶりに会って会食したりとか、
そういうのもあったりしたんですけど、
そういうのが一段落したら、直近1週間先とか2週間先とかで、
楽しみなことっていうか、心待ちにしているみたいなものがなくなると。
というか、心待ちしていたものが結構連続して過ぎていっちゃったんで、
楽しんだんですけど、ただ心待ちにするみたいな状態が減っちゃって、
ちょっと寂しいというか、喪失感みたいなね、
あの時にあったあの気持ち、今はないっていうところに心が収まっている状態だっていう話です。
普段ね、僕はあんまり旅行しないし、旅行するっていうのがあんまりモチベーションにないんですよ。
例えばだけど、すごい時間とお金が無限にあったらとか、
年に1回は贅沢として旅行行きたいみたいなの聞くんですけど、
し、実際そういった様子をね、見れていると楽しそうなんですけど、
なんか自分の中にそれがフラットに生まれてくるかというとそうではなく、
ただ今回はちょっと、初めて行く友達たちと、
計4人でですね、自分もいると計4人で伊勢に行ったんですよ。
で、金曜をまるまる休みにして、
近道で行ったんですね。
で、そもそも僕旅行というか普段から一人で行動することが多いから、
一人でいるときの感覚と、人が一人でもいるときの感覚全然もう違う。
0と1以上で全然変わっちゃうから、どんなもんかなと思ったんですけど、
結果振り返ってみるとね、ほぼ一人でいるときと同じ精神状態で旅行していて、
4人いたのにね。結構常に4人いたんですよ。
だから一人の時間を作ったとかでもなく、
多分僕大人数とかでいたら絶対一人の時間を作らないといけなくなるんですね。
けどそんなこともなく、友達といても結構ちゃんとほっといてくれるっていうか、
一人でいる状態で人といることってできたっていう、そういう経験として楽しかったです。
確かに結構ほっといてもらうことが好きだなって気づきました。
一人だとほっといてもらうことってできないんです。
人がいるからほっといてもらえる。
ほっといてもらうっていうのは、その人の認識下にある状態で、
誰か自分ではない誰かの認識下にある状態で、意識を払わないでもらいたい。
僕にとって多分一番の贅沢は、友達がいる場で本を読むなんですけど、
それが許される場ってあんまないんですよ、実は。
他人がいる場だったら普通にカフェ行って本読む。
それも結構自分としては贅沢なんですけど、
だからすごい早起きして、みんなが寝静まっている中で本読んだりとかしてたのは、
結構楽しかったです。旅館で。
旅館?和室の部屋だったんですけど。学習学旅行みたいで楽しかったです。
そんな終わっても思い出しても楽しい旅行ってあんまないと思うんで。
ただそれで旅行を適的な趣味にしたいと思ったかっていうと別にそうじゃないんですけど、
やっぱりちょっと促進な体験だったのと、
よく言っているように僕は食事を味覚でたぶん楽しんでないんだなっていうのと同様に、
食事の、旅行の楽しみ方もいわゆる旅行のセンサーみたいなのを楽しんでないっていうことは分かってたんだけど、
それがじゃあ自分はどうなのっていうのがちょっと垣間見えた気がしました。
そんなこともあって、普段もそんな人なんで普段も楽しいんですよ。
普段土日だって一人でいたって誰かに誘われたって楽しいんですけど、
やっぱりそのさらに楽しさの落差があったから、
なんかふいに日常に戻ったときに、
あれなんか次行って何かの未来を楽しみに人って生きてると思うんですけど、
あれ次はどこだっけみたいなのがあって、
そうなんかふと我に帰ったんです。
昨日今日ぐらいで。
ただそんなことを言いつつなんですけど、
この土日にとある予約をしたんですけど、
それが来年の3月の予約なんです。
だからもう半年以上先ですよね。
1年先まではいかないけど、9ヶ月ぐらい先の予約をして、
多分それ考えられる限り一番未来の予約だし、
予約したところでもお店の方も多分これ一番未来の予約ですみたいな感じで、
ただそれはその日にせざるを得ないというか、
一旦その日にするっていうことで出たので、
ちょっと一旦何の予約かは言わないとくんですけど、
皆さんも未来の予約あると思うんですけど、
だから少なくとも来年の3月までは健康に行きたいなという気持ち。
僕は基本的に長生きしたいから、
来年の3月までとか言わないでどんどんどんどん行きたいんですけど、
少なくとも来年の3月までは準備することもあるし、
楽しみにすることもあるし、大変さもあるんだけど、
それもそれで張り合いが生まれるしいいと思います。
皆さんも来年の3月までは何とは言わないけど元気にしていてください。
それ以降どうでもいい。それ以降どうでもいいわけではありません。
またちょっとこれも最近友達と話した内容で、
未来のことを考えるってどうですかっていうのがあるんですけど、
これもよく言って、僕も昔リベコンラジオとか、
横立ラジオでも話したかもしれないですけど、
未来の話、将来の話をすると何かみんな決まって、
ちょっと暗い話になっちゃったねっていう話があると思うんですけど、
それって何でっていうことね。
もっと言うと未来の話とかしないでみたいな、将来の話とか。
将来の話をするときにすごく現実を見つめるみたいな、
なんていう、テンションがあって、
どっちかというとそれが嫌っていうのが本質だと思うんですよね。
だからもっと楽しく、刹那的にっていうか別に僕本人は刹那的に生きてると思わないんだけど、
そういうテンションで今を楽しもうよみたいなのってあると思うんですけど、
今って未来の今って未来だから、
常に今を楽しく生きていくんだとしたら、それを最大化するんだとしたら、
未来のことも考えていませんかっていうのが私の言い分なんですけど、
てか僕はそういう感じで、面積で考えたときに、
今の楽しさとそれがかける時間軸が、
今が楽しいのを追求しようは全然誰も否定しないと思います。
ただそれを一生続けようよっていう話で、
どうですかってどう返したらいいのかもわかんないけど、
僕はその鍵は内省にあると思ってるっていう話なんです、結局。
だからみんな、
せつな的に今を生きて、一秒の隙間もなく誰かと一緒にいて、
常にどこかに行っていて、非日常で人生を満たすっていうのも、
それも贅沢というか誰にでもできることではないと思うので、
一生後悔がないというのを胸を張って言えるのならば、
これもね、後悔がないように生きることが果たして常に最適なのかっていう論もあるんですけど、
ちょっと一旦それを置いといて、
ちょっと土日とかに内省してみてもいいんじゃないかっていうので、
小立ラジオを聞いてみたりしてもいいんじゃないかっていう話でした。
この今聞いてる人はもう聞いてる人だからね。
内省って未来を見据えた行為なんですよ。
過去のことをね、事実のことを振り返るんだけど。
内省ってどうしたらいいのかっていうのはちょっと分かんないのかもしれないですけど、
誰かと話してみるっていう、ちょっと複雑なことを言ってるんですけど、
誰かと話すことで見えてくる自分っていうのもあるんですよ。
僕にとっては内省っていうのは自分と会話することなんですね。
ただ自分と会話することって何?っていう人もいると思うんで、
そういう時は会話してる相手を自分だと思ったらいいのかな。
分かんない。僕はそんな風に考えたことがないけど、
何か相手の会話に対して思うことがありますよね。
それが自分だったらどうかっていうのを常に考えてみるのが内省に近いかもしれない。
それって場合によってはどうしても倒せない一人相撲みたいなことを延々としちゃうっていう人もどうやらいるようで、
でも分かりますけど、
あの時もうちょっとうまく返せばよかったなっていう会話を寝る前に延長を頭の中でやってみたりとか、
何回か試してこういう風に返せばよかったんだって日記のようにメモして寝たりとかね。
別にそのメモすることが目的じゃないけど、
自分なりには一旦ちょっとハッピーエンドになったわみたいな感じでスヤスヤスヤと眠ると。
未来のことを考える。
よくあるじゃないですか、殺人事件とかでシャンプーとリンスを買った人が
まさか自分の命を投げ売るとはどうて思えませんみたいな、
そういうだから殺人事件じゃないですかみたいな推理ってありますよね。
僕はあれよくわからなかったんですよ、子供の頃。
でも今は思いますよ。
だから例えば新しいシャンプーとリンスをすごく着れる前に買ってみるとかも
一つ未来の自分に渡しているわけですよね。
今の自分はまだ使ってないんだから。
未来の自分へのプレゼントみたいな話で言うと、
僕はやっぱり何をするにしたって言えば健康ってすごく大事で尊いものだっていう話を
これがだから今回一番伝えたいことかもしれないんですけど、