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2011-03-15 20:32

vol.3-3「人生を変えた江戸絵師との出会い」杉山邦彦さん(日本テレビ イベント事業部プロデューサー)

教えて天野さん【7】学芸員でなくても、展覧会の仕事にかかわる方法があるでしょうか?











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横浜で見つけた人たち、アートの魅力をもっと伝えたい。
本番組は、そんな思いの横浜美術館が、インタビューの職人、早川洋平とタッグを組んで生まれました。
横浜美術館で見つけた、アートに関わる人たちへのインタビューを通じて、アートの魅力を発見していきます。
皆さんこんにちは。番組ナビゲーターの早川洋平です。
ラジオ美術館横浜で見つけた人たち、今日も教えて!天野さんということで、横浜美術館主席学芸員天野太郎さんをお迎えしています。
天野さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
このラジオ美術館横浜で見つけた人たち、初回のゲストで、かつて天野さんに出ていただいていますので、その天野さんのインタビューを聞いた方から質問いただいています。
インタビューの中で学芸員になるためのアドバイスがありましたが、学芸員でなくても展覧会の仕事に関わる方法があるでしょうか?展覧会に来ると関心の人たちなど様々な仕事をしている人がいます。きっと展覧会を作る過程でもたくさんの職業の人が関わっているのではないかと思いました。ということでいただいています。
そうですね。今本当に時代がいろいろ変わろうとしている時代で、国や県や市などいろいろな形で公立の文化施設が十分な公的な資金を持って仕事をしていくという時代ではなくなってきているのです。
皆さんよくご存知だと思いますが、国の財政も非常に逼迫していますし、人口そのものが減っていますし、高齢化社会になろうとしているので、何と言ってもそれぞれの公共団体の財源は縮小の一途ですが、一方で公的な文化機関、教育機関も大学も独立行政法人になっていますので、
自分たちでお金を作っていくということが今後ますます重要な役割というか、そういう機能を持っていかないといけないということがあるのです。
もうすでにそういう意味では、例えば一番わかりやすいのはアメリカの美術館なんかは最初からそういう形で、日本のように私立美術館、県立美術館というのがほとんどありませんから、ワシントンのナショナルギャラリーが非常に国立の美術館ということになるのですが、
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そういう意味でいうと、アメリカの美術館にはそういう学芸員のセクションというのはキレトリアルセクション、デパートメントがありますけれども、一方でデベロップメントといってファンドレイズ、お金を作る、それからマーケティング、それからプロモーション、広報、それからミュージアムショップですね。
ミュージアムショップは、皆さんもニューヨークのメトロポリタンとか、ニューヨークの近代美術館とか行かれて、随分日本の美術館のショップよりもと違うなというか、どれもこれもあれも欲しい、これも欲しいという魅力的なラインナップ、商品のラインナップをしているのですけれども、例えばああいうミュージアムショップ一つにしても、ちょっとした付属のものではなくて、かなり本気で経営をしようとしているのですよね。
そうすると、今のショップの話なんかでも、もうプロのバイヤーをスカウトしてきたりとか、というようなこともありますし、それからファンドレイズをする場合にマーケティングのスキルというんですか、そういうスキルセットを要求される、あるいはプロモーションにしてもほとんどプロですから、プロの広報。
こういうのが日本の美術館にはまだきちっと育っていない、育成されていないのですけれども、将来的なことを考えると、先ほど冒頭にも話したことを考えると、やっぱり自分たちで資金づくりをしていく、その資金づくりがパブリックサービスにつながっていくというふうなことをミッションになるんだろうと思うんですね。
そうすると、もちろん実際に学芸になって展覧会そのものを組織していくという仕事も重要なんですけれども、実はそれを実現させる、なぜだっていいアイデアがあっても資金がないからどうしようもないので、そういうような意味で展覧会の内容とものすごく密接に連携しながら、マーケティングをし、ファンドレイズ、資金づくりをし、それから広報していくというふうな、いわゆるスペシャリストというのは、
今後求められていくんだろうと思います。その意味で言えば、将来的にそういう経験とか、これは以前ちょっとお話したかもしれないんですけれども、きっと役に立っていくだろうし、むしろそういう機能を美術館とか博物館とか、あるいはひょっとしたら図書館とか、あるいは大学とかというのも、研究者とか学芸人という人たちとは別に、そういう人を育成して、あるいは実際にセクションとして働いていくというのは、
これは大いにあり得る話だと思いますね。
今話がかかっていてですね、もちろん美術館の最初から入って、学芸人としてというかかり方もあると思いますし、以前の話でも今あったようにですね、別の民間企業で働いていて、何かのきっかけでもちろん美術館に入ることもあると思いますし、美術館にずっと入らないにしても、
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実は今回この横ビデオを見つけた人たち、本編でご登場いただいているゲストの方がですね、日本テレビのイベント事業部のプロデューサーで本編でプロデュースを手掛けた方なんですけれども、そういった形で関わるということはもちろんあるわけですよね。
ありますね、当然あります。
美術館は当たり前ですけれども、展示をする場所を持っているという強みがあるんですけれども、逆に言うと潤沢な資金がないという弱みがある。
だからお互いに強みと弱みを補完し合うというふうな関係を作ることで、いずれにしても展覧会にかかっていくという仕事は大いにあると思いますね。
はい、ということで続いてこの後の本編のインタビューもぜひぜひお聞きいただければというふうに思います。
天野さんどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
番組ではですね、今日いただいたこのようなご質問のようにですね、アーチェ日本美術館に対する皆さんからの疑問・質問を随時募集しています。
疑問・質問は専用メールアドレス。
yma-shi-tsumn-yaf.or.jp
yma-?yaf.or.jpまでお寄せください。
日本美術館のホームページにある横尾チャンネル内の専用ページからもお寄せいただけます。
それでは本日のインタビューの模様をお聞きください。
ここから少し話題を変えてですね、この番組やはりですね、アートに食わず嫌いな方、かつての私もそうですし、今進行形で少しずつ好きになっているところなんですけども、
そのあたりもちょっと杉山さんご自身もどうなのかなと思ってですね、杉山さんご自身がそもそもそのアートとの出会いがいつにあったのか、個人として仕事としてそれぞれあると思うんですけども、
それこそテレビ局入る前からもう本当に、例えば小学生中学生の頃からもう美術館大好きでしょっちゅう通ってたとか。
悪いないでしょうね。
その方が面白くて、ぜひどんな感じだったのかなというのを伺いたいんですけど。
僕自身の経験だけで申し上げますと、やはり僕今40代半ばぐらいなんですけれども、子供の頃からアートに親しんでいるという子供ってあんまり実はいないんですね。
絵を習っているとかそういう子は別でしょうけれども、そういうような機会があまりなかったというのは、今はわりと小さなお子さんとか親御さんが連れてこられているのをよく見かけますけれども、非常に良い傾向だなと思うんですけれども、
僕自身はその実は子供の頃、高校学者になりたくてですね。
家の前の畑から土器とか石器がですね、ゴロゴロ出てきて。
すごいですね。
日本に住んでるだけですか。
これ東京です。
東京にあるんですか。
そうなんですよ。
逆に言うと東京にいろんな造船とかで家を建てたりという時に、ちょうどいろいろその遺跡が発掘されたという頃と重なってはいるんですけれども、僕が住んでいる実家の下からも土器が出てきたりしたものですから、
そういうことで興味を持って、わりと子供の頃から縄文展とか、そういう展覧会に行っていたんですね。
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で、エジプトが好きになって、エジプト展があると親に値立って連れててもらったりとかっていうのをしてたんですけど、でも実はわりとそれはレアなケースですよね。
で、感性の鋭い子だったらそこからアートに行ったりするんでしょうけれども、やはりそういうようなことまで好奇心を広げるような豊かな子ではなかったということで、
わりと逆に言うと大学ぐらいだとそういう既成の有名なアートとかに反発するなんていう気持ちも中にはちょっとあったりしたものですから、
自分自身ちょっとお芝居をやってたっていうことがあって、本来だったらアートとかに興味を持つんだろうなと思うんですけれども、
唯一興味を持てたアートっていうのがシュルレアリズムだけだったんです。
かといってそれを頻繁に見るってわけでもなくですね、ずっと過ごしてたんですけれども、
今から10年くらい、十数年前にようやく有名で今名前が残っているものには意味があるだろうと、わりと私も大人になって思うようになって、
展覧会に年に数度足を運ぶような形になってきたんですけれども、ある画家がいましてですね、
これはもう今大ブームになって、皆さん名前が知っている方の方が多いと思うんですが、
伊藤弱虫という江戸絵画の巨人がいて、その絵を見て非常にびっくりしてですね、もちろん上手いんですね。
上手いっていうだけじゃなくて、何なんだろうこれは。
なんでこんなに描けちゃうのかなって思って、色々探して、伊藤弱虫の作品があるようなところを訪ね歩いたりとかしていくうちに、
だんだん興味が色々広がって、単純にその絵と絵画だけじゃなくて、日本のその前後から、ああちょっと面白いなというふうに思うようになってですね。
海外のものでも自分の興味を持てるものっていうのはどんどんどんどん増えていったんですね。
だから全く興味がなかったんだけれども、面白いっていうふうに思えた瞬間、
一つは今まで何で見てなかったんだろうって一瞬思ったんですけれども、それから先はですね、逆にこれからもっともっと面白いものに出会えるんじゃないかというワクワク感の方が大きくて、そのワクワク感今でも続いてますね。
その十数年前、その伊藤弱虫さんの絵を見たのも十数年。
十年ぐらい前ですね、今から。
ある意味、人生を変えたって言ったら大げさかもしれないですが、そのアートにフォーカスした部分で言うと、そこが結構ターニングポイントだった。
もう完全に人生変わりました。
弱虫と聞いただけでビーンとなるようなところが今でもありますね。
それはやはりたまたま行った、何かきっかけがあったんですか?
それは弱虫という名前を意識してたわけじゃなくてですね、いくつか有名そうで面白そうなのを何かの告知で見て行った中であったっていう作品なんですね。
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ある意味、ふと行ったわけですよね、ちょっと面白そうだなぐらいの感じで。
そんな中でそこからアートにはまっていった。
そうすると今このイベント事業部にも入られて、ちょうどイベント事業部で今何年目ぐらいなんですか?
4年以上ですね。
そうすると当然そのアート、その時はおそらくプライベートで興味を持ち始めて、将来仕事としてアートに関わるっていうのはその時全然イメージはなかったですか?
全くなかったですね。私がそのアートが好きだなんていうことを会社で言ったことは実は一度もないんです。
ですのでどこで見破ったのかなっていう、会社って面白い組織だなと思うのは、実際そのアートが好きだから後の仕事が的確にできるかっていうとなかなかそうとも言い切れない部分はあると思うんですけれども
少なくともその知識としては、若中に出会ってから年間4,50回の展覧会に足を運ぶようになってますので、そういった意味ではそういう積み重ねというのは自分の中では非常に役立ってるなというところがございますね。
そうすると多分本当の細かいところはちょっとわからないかもしれないんですけれども、イベント事業部に入ってというか会社でのいろんな人事的なこともあったと思うんですけれども、杉山さんご自身がイベント事業部に行きたいと手を挙げたわけじゃなかった?
全職というか会社での前のセクションは著作権を扱っている副書だったんですけれども、非常に専門性が問われるセクションだったんですね。その直前まで私番組を作ってたものですから、そこからのある種180度テレビ局としては違う仕事だったので、最初のうちはもうこれを仕事として自分はうまくやっていけるのだろうかっていう悩んだりもしたんですけれども、
そこがちょっと割と楽天的なところが自分でもあるんで、その中で面白さを次第に見出せたんですね。自分の中で著作権を一生の仕事にできたらなというところまで自分の中で来てたんですけれども、ある日突然やはり会社ですので人事異動がございまして、イベント事業というところに行きなさいということで、
せっかく決意したのに今度は新しい部署があって、僕はちょっと部署を変わるたびに必ず悩むところがあるんで、最初のうちは相当悩んだんですけれども、後はもう頭を切り替えて、いかにその仕事として自分が楽しめて、またその自分の仕事で設定を持つ人がいかに楽しくなれるかということを日々割と考えているつもりでおります。
そのイベント事業部の中でも当然アートだけじゃなくてですね、ステージだったりお芝居とかそういうもの、ミュージカルだったら音楽だったりあるってイメージあると思うんですけれども、その中でこのアートの方も当然手がけられるっていうのはそれも会社として全部やりなさいなのか、ある程度入ったときに菅山さんご自身でやはりそうやってもアートにご興味あると思うので、やっぱりやってみたいみたいなそういうのが動かせるものなのかとか考えたり。
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会社によってでしょうし、そのまた時々の状況によって違うところはあると思うんですけれども、希望言うがただなんで、一応いろいろ言ったりはするんですけれども、僕は別にアートの仕事をやらせてくださいと自分で言ったつもりはないんですね。
一番最初に入ったときにその弊社の社屋イベントというのが夏に大きなものがございまして、それも本当に相当な数が数十万一夏でお客様にご来場いただくんですけれども、そういう一番最初に担当させられたんですね。
それが非常にやりがいがあったので、少なくともあと数年は続けたいなと思ってたんですけれども、いろんな流れの中でアートを担当することになって、今に至っているというような状況でございます。
先ほどそのポンペーテンのところ少し話戻るんですけれども、考古学というキーワードで今お話聞いていると、実は杉山さんも考古学が好きだったということで、このあたりやはりご自身としてもその14年前の予感美術館と読売新聞で開催したものの成功とかその辺もどこかのタイミングで情報が入ってきたりとか、あと会社でそういう話があったのかとか、そのあたりっていうのはご自身でそういう情報が入ってきたときにこれやってみたいみたいにやっぱり思って、
今回のポンペーテンを作るに至ったのか、このあたりの流れとか経緯をもう少し教えていただきたいな。
実はその14年前のポンペーテンの壁画展は僕も当然見てるんですね。弊社の看板の祭典もありましたし、その時の衝撃がやはりすごかったんですね。
こんなすごい技術があって、アートとしてこういう絵が普通にあったのか、それが残ってるのかっていう衝撃がすごくてですね。
イベント事業部に来たときにすでにそのポンペーテンをもう一度やろうっていう話があるという情報だけはしてたんですね。
ただその時僕が思ったのは、実は弊社がポンペーテンをやって、それ以前っていうのは実はそんなにたくさんないんです。
ところが弊社とそれから横浜美術館様がタグを組ませてやらせていただいたこのポンペーテンの壁画展以降、ポンペーテンっていうのはいくつか、ポンペっていうのは好脈があるぞということで行われてきて、
その中には当たったものもございますし、そのことのお客様ご来場いただけなかったものもあるんですね。
好脈があるぞという中で突っ込んでいって、その中には僕、ポンペーテンは実はほとんど見てるんですけれども、全く面白くないものがあったんですよ。
どれって言うともちろんささわりがありますし、それは僕自身がそう感じただけかもしれないんですけれども。
今現在進行形でポンペーテンをもう一度やろうという企画が弊社の中にもあって、
もしこれを担当するとしたらどうやって組み立てるか大変だなというふうにちょっと横で見てたんですね。
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それがある日上司に呼ばれて、ポンペーテンっていうのはあるのは知ってるかって存じ上げております。
じゃあやりなさいと言われて、本来だったら高校学も好きですし、ポンペーテン自身も数多く見てるということで喜ぶべきところだと思うんですけれども、
さあどうしたもんかなというのが正直な気持ちでしたね。
今日のポッドキャストはいかがでしたか。
番組ではアートや横浜美術館に対する皆さんからの疑問、質問を募集しています。
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それではまたお耳にかかりましょう。
ごきげんよう。
さようなら。
この番組は企画制作 横浜美術館
音楽 宮浦清
制作協力 若菜はじめ
ナレーション 清水夏実
プロデュース インタビュー
キクタス 早川洋平によりお送りいたしました。
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