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横浜美術館で見つけた人たち
アートの魅力をもっと伝えたい
本番組は、そんな思いの横浜美術館が、インタビューの職人、早川洋平とタッグを組んで生まれました。
横浜美術館で見つけた、アートに関わる人たちへのインタビューを通じて、アートの魅力を発見していきます。
ここまで3回にわたって、横浜美術館主席学芸員の天野太郎さんをお迎えして、
現代アートここがわからないであったり、前回学芸員についてお話がかかってきましたが、
今回いよいよ最終回ということで、天野さんご自身に少しフォーカスして話を聞きたいと思います。
前回学芸員のお仕事っていうのは、例えば大学出て美術士とか学ばれたり、そこから入っている人ももちろんいるし、
全く異業種からという人もいらっしゃったと思いますけど、そもそも天野さんご自身がこの学芸員というお仕事につくまでの経緯というか、
疲れたきっかけとか、きっと人生のターニングポイントとか、そういうところと絡んでいるのかなと思うんですけども、
この辺りを教えていただければと思います。
そうですね、恥ずかしながらですけども、結論から言うと、とても美術館に就職したかった人間じゃなかったんです。
すごい意外だ。
それよりも、一つは、日本の場合はなんて言ったって、就職というのは、大学、もちろん高校卒業されてる方もいらっしゃいますけどね、
大学でどんな勉強をしたというか、どんな考え方を持ってたかでだいたい決まっていくじゃないですか、就職も。
さらに手前の高校生ぐらいまでは、朝から晩までサッカーしかやってなかったんですよ。
サッカーなんですか。
小学校をもう4年ぐらいからやってたんで、キャリア長いんですけど。
そうなんですか。
そうなんですよ。
なおかつね、ということでほとんど勉強してないでしょ。
勉強してないんだけど、進学はね、とにかく医学部行って精神科医になるというのが、と思ってたんですよ。
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それどうしてかというとね、北山治って知ってます?
わかんないです。
加藤和彦ってこの間亡くなったでしょ。
はい。
フォーククルセーダーズって知ってる?
なんとなく。
フォーククルセーダーズ。知りませんか?
なんとなくわかるよね、わかんないよ。
3人組のバンドで、帰ってきたよパライド街っていう。
ちょっとわかんないけど。
一世を風靡したグループがあって、北山治が京都不立医大の人なんですよ。
私は当時、1970年代ですけど、70年代、あんまり音楽やってるっていうのは、いかがなものかいっていうね。
ロックとかフォークですら、ちょっと王道から外れたようなね。
要するに勉強できないからやってるみたいな。
ところが京都不立医大に行きながら、そんなバカバカしい歌も作りながら、
要するに芸能活動もしてたわけですよ。
で、もうこれしかないと思って。
音楽部かなと勝手に思ってたんですけど、元より勉強してないので、先生に相手にされず、
それはないんじゃないっていう、この成績でみたいなのがあって。
あとはしおりますけど、当然のように浪人をし、浪人をしてるときに人生のターニングポイントが実はあったんですよ。
で、そのときに英語の先生がすごく面白い先生で、結構喋るわけですよ。
授業以外で喋ったりする機会があって。
そのときに君はビースに向いてるよって、何を根拠に言ってんだろうと思ったんだけども、
おだたられるとすぐ気にのぼっちゃうので、それでそこがまず一回変わり目。
で、落ちて浪人する人は元気よ。
だけどそのときの英語の先生がそう言ってくれたわけですよ。
本人も尾の横と仲良かったりとかいうのがあったりして、
放題されてっていうか、それで本当に行っちゃったわけ。
そういう美学みたいな学校に。
ところがその先、就職なんてもちろん考えてないので、一体どんな職業があるんだろう。
せいぜい編集者になるとか、成績が良ければ新聞記者になれたりとか、
ボコッと考えてたんで、美術館は全くノーチョイスだったんですよね。
これも高校から大学に行くときの浪人と一緒で、なかなか就職がなくて、
だいたいそんな学部も出て就職ができるわけでもなく。
ところが同級生の女の人が、
故郷の札幌の道立近代美術館に就職するわけですよ。
この人はすごく優秀な人で。
それで1年か2年間勤められたときに、
たまたまそこで募集の試験があるという話があって、
受けませんかと、まだブラブラしてたので。
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それがね、もうはっきり言って、
おぼれるもの笑おうもつかむという、就職できないので、
まあ何でも受けるかいって、当たって砕けるみたいな。
で、受けたら通っちゃったっていうのが。
そうなんですね。
だから美術が好きで、美術館の学院になりたくて、
なりたくて、なりたくて、なったわけじゃ、
実は決して全くなかったんですよ、ある意味では。
いまだに友達、高校のね、
友達でどこ勤めてるのという質問をされたときに、
美術館ですって言うと、警備会社ねって言われますね。
警備の仕事ですね。
そうそう、セキュリティ関係ですかいっていう。
説明するのがめんどくさいんで、そうそうって言ってるんですけど。
だからイメージにあわってないんですよね、その時の友達からするとね。
そんなひょんなことっていうのもあれですけど、
ひょんなことですね。
美術館に入って、今現在に至るということですけども、
そんな中で実際美術館に入って、
いろんなアートと呼ばれる作品に触れてきたと思うんですけども、
その中で、これ二つ質問重なるかもしれないんですけど、
人生を変えたとまで言っていいのかわからないですけど、
そういう何か今まで作品ってあったのかなっていうことをお聞きしたいなと。
あと、当時のその学園人生で最も心残った出来事、
この辺りがもし重なっているかちょっといないかわからない。
ところが全く現代人に興味がなくて、
大学の時は京都の大学だったので、
仏像ばっかり見てたんですよ。
仏像ばっかり。
アシュラって来たでしょ、この間幸福寺の。
去年かな。今年かな。去年ですかね。
ものすごく入ったでしょ。80何万人とかで入ったんですけど。
そのとき、奈良の幸福寺にアシュラを見に行くと、
誰もいない。誰も見に来てなかったんですよ。
当時。
当時ね。
ああいうのがあんまり意味もなく見てたんですよ。
意味もなくっていうよりも、研究というよりは、
だって美術作品でもあるけれども、
なんて言ったって仏教、美術というか仏像なので、
礼拝の対象でもあるわけでしょ。
だからどっちかわかんないじゃないですか。
美術作品とも言えないし。
不思議なものではあったけれども、
余計なものがない、ずいぶん綺麗なものだなというのが
ありましたね。
だから現代美術はもちろんそのときにチラチラ見てましたけども、
なんとなく汚らしくて、
よくわかんなくて、
っていうのでほとんど見てなかったんですよ。
だから変えたわけじゃないんですけど、
やっぱりそういう日本の昔からあるような、
伝統美って言ったらおかしいですけどね。
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だからそういうのってやっぱりいいなという気持ちは今でもあるんですけど、
そのときに結構見ましたんでね、本当に。
だからそれは割と大きいかなっていう。
そこからずいぶん経ってから、
今の、つまり生きてる人たち。
生きてる人たちが始まってはやっぱり、
この職業の一番いいところっていうのは、
何と言っても、
現代美術は作品だけじゃなくて、
アーティストが生きてるんですよって言ってるんですけど、
その割にはなかなか会えなかったりするじゃないですか。
この仕事ではね、
実にあっさり会えるんですよね。
当たり前なんですけど、仕事っていうこともありますけど、
これはだからすごくありがたいですよね。
本当にいろいろ聞けますよね、それこそ。
実際にスタジオなんかにも、
普通に入れてもらえるし、
どういうことを考えてるんだろうっていうようなことも含めて言うと、
それはそういう意味で、
残ってるものってありますよね。
奈良よしともさんとか、2001年にね、
ほとんど初めてと言ってもいいと思うんですけど、
あのときにずいぶん何度もスタジオに通ったりしたりしてね。
だからやっぱり聞くと見ると大違いっていうのがあって、
百聞一見にしかずなんですけど、
やっぱり実際にどういうふうにしてができているかということを知ると、
できたものだけでなかなかわからないことがありますよね。
それはやっぱりこの仕事をしててよかったなっていうか、
だから人生変えたりとか、
そんな強烈なことと言えるかどうかわかんないけども、
それは美術のおかげっていう感じはしますけどね、さすがに。
個人的にちょっと聞いてみたいなと思うんだけど、
日本の日本のアートというか、
要は日本人がやってるアートか、
アーティストの海外での評価とか、
それはある意味評価ということで出ているので客観的に言えると思うんですけども、
あとは山本さんご自身が感じる日本人アーティストを持っていると、
日本人のアーティストとしてのポテンシャルというか、
そういったものっていうのは世界もいろいろ見てこられて、
どのようにお感じになられているかなと思いまして。
ああ、なるほど。
いや、他のジャンルの話をするのもおかしいんですけどね。
先ほどもほら、サッカーやってました、お互いにこうしてるわけでしょ。
私が少なくともサッカーやってたような1960年代とか70年代ですけど、
その頃にね、
日本のプレーヤーがね、ヨーロッパのプロでやってるなんていうか、
絶対に想像できなかったんですけど、
それも今普通になってきましたよね。
そうですね。アルコボーとかまた何人か行きましたしね。
特にその体格的に優れてるとか優れてないとか関係なく、
それと同じとは言いませんけど、
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ただ今、確かにそのグローバルな時代になって、
まずその日本にいなきゃいけないとか、
外国に行かなきゃいけないとかいう拘りが若い世代にはないので、
まずそれが一つあって、
海外で活躍してるアーティストの数というのはやっぱりずいぶん増えましたし、
そういう人たちが力をつけてるというのは間違いなくあると思いますね。
ポテンシャルのことで言うと、
これもね、いろんな人がいろんな言い方があると思うんだけど、
やっぱりね、一つは、これ間違いないと思うんだけど、
写真とかいうのはものすごくポテンシャル高いと思う、日本人は。
写真というのは写真家としてってことですか。
だから、例えば絵とかね、どうしようかというと、
絵とか彫刻っていうのは、本家本元はヨーロッパなんですよ、何でだって。
さっき言ったようなレオナルド・ダ・ビンチから、ミケランジェロから、つまりルネッサンス以降ね、
その美術というものを支えてたのは、申し訳ないけど私たちです、っていう。
中でも絵画や彫刻、建築もそうかもしれないけどね。
それはもう、アジアのなんていうんだ、申し訳ないけど、それはもう端っこの話であって、
本家本元という、やっぱり自負というのはものすごく強いんです、今でも。
だからなかなかそのヨーロッパやアメリカの美術館のコレクションに絵画が、
日本人の絵画が正当なルートで入るっていうのは滅多にないですね。
あったとしてもほとんど展示されないですよ。
ところが写真に関して言うと、これはもうずいぶん早い時期から、
日本の写真っていうのはものすごく評価されてますね。
もちろん写真は1839年が一応誕生の年って言われてて、
フランスかイギリスかって言われてるのは、一応フランスってことになってるんですけど、
そういう意味じゃヨーロッパ、誕生のものではありますけどね。
ただ歴史が何て言ったって短いし、一種の工業製品ですからね。
一斉に世界中に広がりますから。
そんな中で日本人の写真っていうのは、
今の森山大道さんとか、荒木信吉とかっていう前の世代なんかも含めて、
ものすごく評価高いです、これは。
それはどこが何がいいのかって言われると、ちょっと困っちゃうんですけど、
ただ日本人って抽象的な表現が上手いんですよ、実は。
だって皆さん時々言ったわけじゃないわ。
例えば京都行ったよね、両安寺の石堤とか、これ皆さん知ってるじゃないですか。
あれは一種の砂利っていうか、大きな石と、
要するに砂でもって世界を表現してるんです。
ある種の宇宙観みたいなのを表現してるんですけど、それはすごく抽象的でしょ。
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っていうよりも見立てたりとかっていう。
そういうのって得意なんだろうと思うんですよね。
建築的なものを作るよりは、平面的なことが得意な民族じゃないかなという気はするんですけど、
だから写真家ってリスペクトされてますね、日本人は。
最後にですね、ここまで4回にわたってお話をお聞きしてきて、
これもぜひお聞きしたいと思ったんですけど、
冒頭で第1回目の時に現代アートと現代のアートは違うというか、
現代のアートがあって、その中にいわゆる現代アートというのがあると思ったんですけど、
これからの、今もう21世紀開いてちょうど10年経ちましたけども、
これからのアート、21世紀のアートっていうのは、
すごいこれも今の話じゃないですけど抽象的なんですけど、
アートはどう変わっていくかっていうのは、
天野さんなりに何か描いてるものを教えてください。
これね、2つあってね、1つはね、これももうすでにお話したんですけど、
今の現代アートと呼ばれてるものの、
源というのはさっき言ったように19世紀の近代美術から始まってるという話だと思うんですけど、
その時のモットーがね、人の真似をしちゃいけない、
とにかくオリジナリティのあるものを作りなさい、
と言われ続けたのは美術家だけじゃなくて、
音楽家も小説家も演劇家もあらゆる表現者がずっとそれを言い続けられたわけですよ。
で、まあみんな切磋琢磨して、
誰も考えつかないような方法を編み出して表現してきたんですね。
ところが、いよいよと僕は思うんだけど、
飽和状態になっちゃいましたっていう、
もう何か目新しいこと、今まで見たことがないこと、
読んだことがないものを、
誰よりも先駆けてやるというようなことを目標にすることができない時代になったと思うんですね。
で、それはじゃあどうするのってことなんですけど、
ある若いアーティストは、そもそもその美術がスタートしたところにまで戻って、
美術って何かとかっていうことを考え出してる人がいたりして、
それは決してその後退してるっていう意味じゃなくて、
美術ってあって一つの意味でずっとやっていけるのかなっていう、
つまりそういう意味じゃ、
よくね、最近、これは2つ目の話にも関わるんですけど、
今、街づくりとアートっていうのが随分日本中で流行ってるんですよ。
人口も減ってるでしょ。
なんでだって高齢化社会に入ってるので、結構深刻な問題なんですけど、
その時によく言われるのは、アートは街づくりに貢献するんだっていう。
アートが街を変えるかっていうね。
それはね、僕いつもおかしいなと思うんですけど、
アートだけが意味が変わらなくて、街だけが変わっていくっていうのはあり得ないので、
それは多分アート自身も変わらないと、街に受け入れられないだろうない?っていうふうに思うんですね。
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なるほど。
だから一つはまず、好きな意味でスタートした近代や現代の美術のね、
なんて言ったってオリジナリティで、がんばれ!っていう時代は、
終わりを告げたかない?っていう。
そういう時期なんですね。
で、もう一つは、じゃあそのアートと呼ばれてるものが、
大体ほら皆さんは、白い壁のある画廊とか、
あるいは美術館とか、ぐらいしか考えてないでしょ?
だけど、アートが、そういうのプレゼンスって言うんですけど、
それが現れる場所が変わってきてるのもありますけど、
アート自身の意味も、いよいよ変わりだしてるのかな?って。
逆に言うと変わらなきゃちょっと大変かな?っていう感じはしますね。
そういう意味では、今例えば商店街とかとかってありますけど、
アートが変わることがもちろん求められてるっていうのは、
より、なんでしょう、僕らアートにそれほど今まで
とっつきにくかった人にとっては、
場合によってはより身近になるというか、日常が。
なるんだろうと思いますし、
で、それをあえてアートと言う必要があるのかどうかということも
あるかもしれないですよね。
だからそれは多分、僕は音楽の専門家じゃないけども、
若い大学生ぐらいで音楽がすごい好きで
自分でバンドやってたりっていう連中で話をしてても、
新しい音を作るとか新しいメロディーを作るなんていうのは
ほとんどありえませんっていう。
結局いろんなことをサンプリングしてしかないわけでしょ。
だからそれはもう良いとか悪いじゃなくて、
そういう状況を受け入れた上で、
次をどうしていくかっていう時代に、
もう完全にそういうふうになってるので、
そういう意味じゃ、模倣することとかね、
要するに師匠の職人の世界みたいな方法論も
悪くないかもしれないし、
今まではそれがもう完全に否定されてたわけですよ。
少なくとも美術の世界は。
誰かと似てるっていうだけでもうビリみたいなね。
だからその破って捨てなきゃいけないっていう。
果たしてそうかないっていうのはあるでしょうね。
まだまだお話がつきませんが、
皆さん今回4回にはこの現代アートについて、
横浜美術館出席学園の天野太郎さんにお話を伺ってきたんですけども、
寂しくなってしまうんですが、
実はこの番組、次回からまた別の方をお招きするんですけども、
天野さんに電話ですね。
冒頭の別コーナーで教えて天野さんということで、
今回のような私の質問、皆さんにも質問していただきたいと思ってます。
次回からアートや美術館に関する皆さんの疑問にお答えするコーナーとして、
引き続き教えて天野さんということで、
天野さんに毎回ご登場いただきます。
具体的には専用Eメールアドレス。
yma-shitsumon?yaf.or.jp
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yma-?yaf.or.jpまでですね。
天野さんにお聞きしたいことを送りいただければというふうに思ってます。
今日はポッドキャスト横浜で見つけた人たち、
一人目のゲストとして横浜美術館出席学園天野太郎さんをお会いしてお話を伺いました。
天野さん、次回からも引き続きよろしくお願いします。
ありがとうございます。よろしくお願いします。
ありがとうございました。
今日のポッドキャストはいかがでしたか?
番組ではアートや横浜美術館に対する皆さんからの疑問、質問を募集しています。
専用メールアドレス
yma-?yaf.or.jpまでお送りください。
横浜美術館ホームページ、横美チャンネル内の専用ページからもお申し込みいただけます。
それではまたお耳にかかりましょう。
ごきげんよう。さようなら。
この番組は、企画制作 横浜美術館
音楽 宮浦清
制作協力 若菜はじめ
ナレーション 清水夏実
プロデュース インタビュー
キクタス 早川洋平によりお送りいたしました。