だからその人がどういうことをしているのか、どういう発言をしているのかとか、もう結構ちゃんと記憶しておくタイプではある。
だからこういう行動を取るのであれば、こういうことを考えているのだろう、みたいなことを結構ちゃんと考えるかな、それがそういう話につながっているのかもしれなくて。
で、話を戻すと、一応そういうふうにしてるから、直感みたいな話は、余談を一個挟んでいくと、音楽のアーティストとかは比較的僕は直感が働くタイプだと思っていて、この人は売れると思ったら結構売れる方だと思っていて。
そういうさんの見る目はあると思っていて、なんで僕は人を見る目があると思ってたんだけど、あれ、最近そうでもないかもと思っていて、仕事とかでも、この人は信頼できるかなって、
それこそ直感、もしくは数回のコミュニケーションで思った人が、そのコミュニケーションを続けていくと、意外とそうでもねえなということが、ここ2年ぐらいで結構頻発していて、俺やっぱり人を見る目ないってか、人を見るのってすげえ難しいんだなって思っている。
そうですね。難しいよなあ。それをどういうところで見ます?この人がこういう人だったら信頼できるっていうのは、どういう指標で見てます?
うーん、なんだろうなあ。どういうところ?なんかあります?ちょっとその間に考えて。
私はなんか、なんだろうなあ。私でも、あんま行動を見るっていうより、結構、なんだろう、私顔つきをめっちゃ見るんですよね。
それはないわ、それはない、全然ない。
感想学があるんですけど、そういうのに近いと思うんですけど、だいたい当たるんですよね、それが。感想学?観察の観に相談の相を学ぶ。
へえ、初めて聞いた。
それは人間の顔つき、相応を見るってやつなんですけど、なんか当たりですよ、それが。
うーん、まあまあね、あるんですよね。
言語化はできないけど。
まあ、あるでしょうね、普通に。
あるそうね、だってなんかパートナーとかは顔が似るみたいな話も、それに近しに何かあるような気がする。
ですよね、なんか似てくるって言いますもんね。
俺が見てるところって、前回とかの話につなげちゃうけど、やっぱりなんか、あん意味な言葉を使わないとか、そういうところをめっちゃ気にしているかも。
一つ一つの言葉の使い方とか、なんか、すごく軽く同調しないとか、ファクトをちゃんと確認するとか、なんかそういうところをめっちゃ気にする。
で、ここらへんが大障りだなって思ったら、多分合わないなとか、信頼できないなっていう目で一旦見るかも。
言葉の使い方っていうのはめちゃくちゃあるんですよね。
てか、私もしょうごさんを見ていて、そこをすごく気遣って、そこをやっているんだろうなっていうのをめちゃくちゃ思うんですよ。
だから多分そういうのを見ているから、それがしょうごさんの言葉の使い方にも出ているのかなっていうのを今思いましたね。
逆に何を見て、僕が言葉に気遣ってるって思うんですか?
あんまりそこまで気遣わないんですけど。
えっと、本当になんか嫌な言葉使いをしない?
なんて言えばいいんだろう。
例えば。
え、これはなんか、なんだろう。
えー、例えば、例えば難しいな。
例でもいいけど、どういうのがなんか気になる言葉なんですか?
気になる言葉。
世間一般でどういう言葉使いですか?
世間一般的に?
あー、なんか、この言葉使いをすると、人を下に見てるなとかいうのが、なんかわかるときってあるじゃないですか。
あー、まあまあ、それはわからない。
とか、なんか人を尊重していないとか、感謝をしていないなとか、なんかあるじゃないですか。
そういうのがマジでないんですよね、なんか。
わかんない、どうなんだろうな。
すごく感じる。
え、なんか逆に、意識してそういう言葉を使っているってことですか?
具体がどこの話をしてるのかがあんまりピンときてないし、
自認として別にそれをめっちゃ意識してるつもりはない。
そうなんだ。
まあでも、なんか、言葉をあんまり軽く使わないようにはしているかもしれない。
昨日も言われたんだよな、なんか文章いいっすよね、みたいなこと言われて。
え?ってなんですか?どこが?みたいな。
全然わかんないんですけど、みたいな。
Xの漢字とかあれめっちゃ考えて書いてるんですか?みたいなこと言われたんですけど、
普段は全然普通にあんまり何も考えずに書いてますみたいな。
そうなんだ。でもそれさ、めっちゃ染み付いてるってことだよね、たぶん。なんだろう。
でもなんか別に、自分の文体はあると思ってます。
あんまり考えずに書いても、自分の文体になるなっていう感覚はある。
その文体に説明はうまくできないけど、なんか。
あんまり。
それは確かにある。
文体的なのは結構見るかも。
すげえ表層的な文体の人は、たぶんあんま考えてないんだなって思うし、
その人らしさが見える文体、それは書き言葉でも話し言葉でも、両方とも文体という言葉とかってますけど、
そこになんかやっぱ、そこをまず最初に見るかもしれないですね。
あ、なんか言ってましたよね。
それで合う合わないも結構ある。
そう、てかなんかしょうごさんは初回のときも、私のなんか文章見たときに、私らしさが見えるなって言ってましたよね。
それってなんか何ですか?
私らしさ。
何ですか?
何だったんだろう。
だから何だろうな。
選ぶ言葉とか、何て言ったらいいのかな。
あえてこういう言葉を言えばAIっぽくないというか。
AIっぽさってあると思う。
そうですよね。
なんかもう誰が言ってもそうなるでしょみたいな感じではない。
それは別に言葉遣いとかの話だけじゃなくて、内容を含めて。
わかる。言いたいことはわかる。言語化できないけど。
なんかね、これ難しい。何だろうな。
だからやっぱり、これ合ってるかわかんないけど、その文章に情報量がある人が多分俺は好きなんだと思う。
それなんか、ちょっと見てみよう。
すごい。いや面白いですよ。ジャンルが崩壊して、感覚みたいなもので、やっぱり世の中動き出してるんじゃないかっていう話。
いや本当にそうだろうと思うし、それを具体の話に紐づけて話しているから。
いや、そうでそうだなと思う。
見てみよう。
とかっていうところで、僕はアグアンはないみたいのはあるかなって。
そうなんだ。
いやでも顔つきね、顔つき。
それ前々回言い忘れたけど、僕多分人の顔を認識するということ自体が苦手なのかもしれない。
そう言ってましたね。書いてましたね、放送工期に。
あんまり人の具体の例にあんまり興味が持てないというか、あんまり関心が持てないというか。
いや、めちゃめちゃちゃんとした仮説があって、僕は目がずっと悪いんですよ。
小1、小2ぐらいで0.3とかになって、そこぐらいから眼鏡をしているんですけど。
本の読みすぎとか。
いや全然、僕前も言いましたけど、本は全然読んでなかったから、ゲームをしすぎだけなんですけど。
当時の2.5、6.4とかをしすぎだけなんですけど。
聞いたんですか、それ。
いや、6.4はあんまりやってなかった、今言ったけど、スーパーハミコンでパワープロジェクトを見ちゃってました。
そうなんだ。
それ全然どうでもいい話なんだ。
何が言いたいかというと、目が悪かった。
目鏡はしてたんだけど、結構一般生活を裸眼でずっと過ごしてたんですよ。
小6ぐらいまでずっと裸眼で過ごしてたから、ほとんど世界が見えてない状態で過ごしてたんですよね。
要は人の顔なんて見えないんですよ。
それでじゃあどう生きてたかっていうと、人の顔じゃなくてその人の雰囲気とか服装とか、そういうもので人を判断してたんですよね。
面白い。
これは面白いと思うし、でも意外とこれ分かる人いいんじゃないかなと思うんだけど、だからそもそも人の顔というもので何かを感じるみたいなことがあんまりない、薄いだと思う。
それが一方したのか分かんないけど、日本人はまだいいんですけど、特に外国の方とかの顔は本当に区別がつかない。
白人も黒人もだけど。
映画とか見てたら全然分かんない。
全然分かんない、本当に分かんない。
そうなんだ、じゃあそれでそこの情報量はないから雰囲気とか、そうなるからでも行動とか言葉とかそっちに行ったのかもしれない。
そうじゃないと分かんないんですよ、相手のことは。相手のことは識別できないから、こういうところで培われた能力かもしれない。
だってあれですよ、僕ほとんど目が見えてない状態でサッカーの試合とかしてたんで、結構ギリギリで人だっぽい。
学技能ですよね。
分かんない、どうなんだろうね。だから本当に見えてなくて、ボールもあんまり見えてない状態でサッカーしてたから、そういう雰囲気とかそういうものでやるしかなかったんだと思うんですよね。
そうなんだ、それでメガネを中学生になって書けたってことですか、つけるようになったと。
そうですよ、だから小学校の時もたぶん授業の時とかはつけてた気がするけど、普通に生活するときはしてなくて、でも中学の時はさすがにメガネで途中からコンタクトになってて感じで。
そのなんか時の感動すごくなかったですか、じゃあ。
感動よりも気持ち悪さの方が、気持ち悪さの方が。見えすぎて気持ち悪いって思ってた。
面白い、そうなんだ。
最初コンタクトした時に、僕医者に言ったのが、近くが見えづらいですって言ったんですよね。
近く?
なんでかって言うと、今までは遠くがもう見えてないし、近くは見えやすいっていう状況が起きてたんだけど、遠くが見えるようになって、けど近くの見えやすさはあんま変わんないから、僕は近くが見えづらくなったと錯覚しちゃったんですよ。
それはそんなことはないって結構医者にやや焦りながら言われて、そうなんですかみたいな感じで言われたっていう。
見え方があまりにも変わりすぎて、ちょっと自分の世界の感じ、捉え方が本当に違ったし、だからあんまり視力を上げなかったですね。
1.0にしなかったと思う。見えすぎちゃって。
今もその状態なんですか?
今は結構普通に1.0、1.5とかですけど、後でも僕ね、乱島1.0ですよ。乱島1.0は結構多分見えてないと思う。
大変ですね。
大変かという自認がないんですよ、別に全然。
大丈夫なんですか、そんな。普通に見えてるって感じ?
だから僕もともと結構雰囲気で捉えてるから、全然多分あんまり大丈夫。
だって視力検査とか結構雰囲気で答えてますよ、全部。
いいんですか、それは。
分かんないけど、1.0見えてますねって言われるから、そういう感じ。
そうなんだ。
でもだって世の中でそんな細かいものを見なきゃいけないケースってそんなないじゃないですか。
そういう仕事とかされてたらあれかもしれないですけど、別にパソコンの文字見えてれば大体生きていけるし、あとは色の識別とかできるとか、大まかなものの識別さえできれば全然生きていけるはずだから。
そうですね。
困らないです。
ライブの時ぐらいかな、視力あってほしいと思うのが、推しが見えるから。
それも別に僕は思わないというか、別にあんまり見てない人。
言えなくてもいいとか思うケース。
そうなんだ、面白い。
じゃあ、ぽんぽさんは顔つき一択で。
いや、一択じゃないんですよ。でも全然一択じゃないんですよ。
いろいろ見てるとこはあって、私色々書いたんですけど、優しい人も好きなんですけど、あまりにも優しすぎたとか、人の悪意に気づかない人だと、めっちゃいい感じにはやっていけないなみたいなのはこの前思ったんですよね。
私も悪意に気づかない、めっちゃ優しすぎる人とかだと、私がこの人に事故すべてを開示することはできないなみたいな。
開示した時に多分受け入れてもらえない可能性があるから、できないかもみたいな。
最初の話につながるんですけど、私は本当に人に対して自分を見せれるかどうかっていうことを続けている人生なので、この人とすごく仲良くはなれないなみたいなことを考えたりはしますね。
なるほどなー。悪意を感じ取れない。それ何でなんだろうなー。何が違うんだろうなー。
なんで悪意を感じ取れない。たぶんそうですね。いい人なんだろうなーっていう。
それもそれですごく話す分にはむちゃくちゃいいし、すごくそういう人を私は選ぶと話していきたいなというのはあるんですけど、
私もさっきの人間関係のフェーズがあるっていうのを話したから、フェーズの話していくと深い関係にはちょっとなれないかもみたいな、というのを感じました。
そうねー。今ちょっと頭の中で考えていることが一個あるけど、これはちょっとややカドが出しそうだから言わないが、
やっぱそういうのあるんだと思うんですよね。ピュアっていうか、世の中見えてないかみたいな、そういう人は僕あんまり会ったことない気がするけど、
いるんだろうなーっていう。あんまり会ったことなくもないか。なんかすごい本当にピュアで、そのピュアさを保って、この社会でそのピュアさを保てるのすげーなみたいな人はあまりいませんね、確かに。
いや言いますよね、そうなんですよね。それはでも、でもそれはあれですよ、裏返しではあるんですよね、すごく。
裏返し?
それが一概にいいとは言えないというか、本当に。
あーもちろんもちろん。そういう意味で使ってますね。
そうなんですよ。
でも私もなんか、私って結構あれなんですね、さっき見せている面と人に見せていない面があるって言ってたんですけど、
結構その人間関係の初期においては、見せていない部分の方が多いから、なんかそのピュアだねと言われることがあるんですけど、それ言われたときにすごくなんか悲しい、悲しい気持ちになる。
この人は私のことをちゃんと見てくれていないなと。
それはでも私が見せていないだけだからそうなんだけど。
でもなんか今も聞いていてやっぱり違和感がちょっとあるのは、それが普通じゃないっていうか、見せる部分と見せない部分があるなんてごく普通の話であって、むしろなんか全部を見せる方が意味がわからないなという感覚があり。
で、さっき言った通り、だから見えてる部分だけを持って、まあでもそのままではそういう技を得ないとは思うんだけど、あまりにも安易にピュアだねみたいな話をしちゃうと、それはなんかコミュニケーションがかまい合わないよねっていう感じがめっちゃするなと思ったけど。
みんなそうじゃないのかな、その見せる部分と見せない部分があるみたいなのがあって。
だからペルソナみたいな。
みんなあると思いますよ。
思います。
うん。
うん。
でも私はなんかそう、見せる人が極端に少ないっていうのがあります。
みんなそうなのかな。
それも普通じゃない?
それもなんかそんな、それも普通な気がするけどね、みんなそんなに。
でも、それ終わってる人はいっぱいいるんだよなーと思って。
いや、ですよね。そう考えると、別に自分を見せるとかでもないか、それは。それはなんか違うなー。
そうそう、自分を見せる見せないみたいなことをする人は比較的考えている人であって、
なんかその時点でもうやや少数な気がしており、どちらかというと、
別に何も考えずに、その時思った感情の通りにコミュニケーションを取ろうとする人の方が多いのかもって思いますか?
それかも、なんか。
それなのかな、私が気になっていることというか。
もうそうね、そうなんだよな。
そうなんだよな、でもなんかそういう中で、すごくその配慮をして、言葉を選び取って伝えてくれる人が、私はすごくいいなって思いますね。
まあ、それはそうですよね。
うーん、そうね。
やっぱり結局考えてるから考えてないから気がするんだよなー。
考え、うん。
だってなんかあれじゃないですか。
だからその結局最近もだからもうパワハラと、とりあえずハラスメントにうるさい世界になって、それは全然そうあるべきだと思うんだけど、
で、その結果、それは僕が今この立場だけ言えるのかもしれないという前提で話すけど、
その上の立場の人たちはハラスメントが怖くてなんか何もできないみたいな話とかになっているのは結構意味がわかんなくて、
まあそういう話じゃなくないっていう風にすごく思うから、
結局それは結局考えずに、そういうハラスメントはしてはいけないのであるみたいな研修の、もうそんなままやるっていうの頭でしかないからそうなっちゃうっていう風に思っちゃう。
そうですよね。それも一か十回しか考えられてないですもんね。
そう言われて、研修でこう言われたからこうしなきゃいけないんだみたいな。
そういうことじゃないんですか。
そういうところが気がするんだよな。
結局あんまり変わってないよね。
そうなんですよ。伝え方をどうするべきかっていうのをそれを踏まえた上で考えないといけないのに、それはもうダメだからもうゼロゼロでダメだっていうのは本当おかしいですよね。
だから結局それってやっぱ考えてないっていう話だからコミュニケーションがそうなっちゃうってことだから、やっぱり結局その人自身がちゃんと考えてその人なりのあれでコミュニケーションしてくれるかどうかっていうところが気がするなって。
それなんか思ったんですけど、その人が考えてるっていうのに近いと思うんですけど、私はなんか自分の意思を持ってことをなしてる人がすごい好きなんですよ。
それはそうですよね。
それはそうですよね。
それはそうって言ってるのは多分これも小2派かもしれないけど、僕はそう思うっていう感じ。
動機とかがすごい気になって、行動よりも私は動機とか感情を見るんですけど、なんでそれをなしているのかっていうときにやっぱなんかノリでやってますとかやったらすっごい冷めるっていうのはあるし、
その人の価値観を持っていて、それがあれですよ、人を傷つけるとかそういう定食じゃないっていうのは前提なんですけど、その価値観、自分なりの価値観を持って何か物事をしているとか、行動を選択したり、
っていう人がすごくいいなって、私に合っているなって思いますね。そういう人と本当に付き合っていきたいという気持ちがすごくあるんですよね。
それは本当そうって言うのと、ちょっと喋っちゃうと、本当それはそうって、ただ世の中いっぱいそうじゃない人の方が多いなっていう肌感があるっていうのはまず1個言いたかったことで、
今ちょっと聞いていて思ったのは、これ次回も込めてなんだけど、果たして自分と全然違う思想心情を持っている人がいて、その人はでもすごい意思はある。
自分その人の意思、価値観の元にその思想心情を選んだという人が、僕の目の前に現れたときに、その人とちゃんとコミュニケーション取れるかってあんま今自信ないなって思っちゃったな。
そうなんですよ。そこが私が言っている主張と共感のバランスというか、同質性と一致性のバランスっていうのがめっちゃ大事。これは当たり前の話してますけど、大事だなっていうのがあって、
そうなんですよ。だから違うっていうことだけで面白いからって言って話すことを私はできないなと思って。これは経験であるんですけど、私大学のときにすごく私と違う考えだねっていうその人がいたんですよ。
で、私はその人と最初に話したときのことをすごく覚えていて、その人はまず何が違うかっていうと人の見方が違って、人間に対して加点方式で見るか減点方式で見るかって多分あると思うんですけど、私はめちゃくちゃ加点なんですよ。
そもそもなんか私人に期待しないというところがあるので、ベースで。だからそこから色々人と話していく中で、この人めっちゃいいなとかいうのが積み上がっていくタイプなんですけど、その話している人は本当に減点なんだと。
で、その人も結構人を信じるところがあったので、それがベースにあるから、そこから本当に自分の考えに反したことを相手がやったときにすぐ減点になっちゃうみたいなことを言っていて、私はその人と最初に話したときにめちゃくちゃ面白いなって思ったんですよ。なぜなら私と全然違ったから。
で、なんか友達になってみようって思って、違うからって言ったんですけど、それで話していくと、なんか本当に違うなっていうところがずっとなんか見えちゃって、それはなんかね、飼い主をされずに私もうその人と離れちゃったんですよ。
難しいなこれね。
人があったから、そう、なんか違うだけですごい魅力に感じて、付き合っていっても、なんかやっぱ違う人は違うんだっていうのがあって、だからすごくバランスが大事っていうのをめっちゃ思うんですよね。
それを離れちゃった理由の一つは、やっぱその向こう側にの主張と共感のバランスが悪かった。
主張と共感のバランスが悪いというか、本当に価値観が違うんだなっていうのが分かった。で、それがすり合わせられないなって。
私はその価値観が違うことは全く全然悪いことだと思わないんですけど、それがその価値観の違いが見えたときに、私がその人とこれからも付き合っていきたいと思うなら、その価値観を認めた上ですり合わせるってことをやるんですよ。
それはあれですよ。それをやることはものすごくエネルギーがいるから、多くの人に対してそれはせずに多分、付き合っていかないでいいなって思ったら価値観が違うなって思った時点で切っちゃうってことをやってきたんですけど、
なんか、この人とはちょっとすり合わせていきたいなと思っていたけど、やっぱり違ったから、あーもうなんか一緒にいられないなっていうのは思いましたね。
違ったっていうのは、ポムさんはそう思ってたけど向こうはあんまそう思ってなかったみたいな。
そう思ってないし、なんかその向こうもそれを曲げられないって言った。
そういうことですね。
曲げられない。
だから難しいもんね。
うん、そうなんですよね。
だからやっぱりコミュニケーションの課題っていうのは、やっぱりそういうところなんだと思っていて。
そう、私はあさまひろきさんの選挙特番を途中までしか見てないんですよ。
3時間あと残してて、見ないとなって思ってるんですよ。
あれはそのなんか、思想心情が違う人が一緒にいるって話し合って、愛が成立しているっていうところがすごく評価されていたのかなって私は思って、っていうのを見てて、ツイッターとか見てて思ったんですけど、
それがでも、それはそれで成り立っていていいけど、本当になんか、あれはあの場で何だろう、集団で価値観を認め合うってことはできてるけど、
それがなんか一対一とかになった時に、本当になんかできるのかっていうのは難しいし、
でもやっぱなんかそういう人を、なんか考え方が違っていても、この人となら考えをすり合わせてやっていきたいなっていう人を、なんか見つける旅ですね、人生は。
いきなりすげえところに行ったなと思ったけど。
僕も今、あずまひるきの話をちょっと思い浮かべながら聞いていたけど、今のぽぽさんの話で僕がコメントするとすれば、
だからなんだろうな、そもそもあの場で成立したものが一対一で成立するのだろうかという問いは、その通りだと思うけど、果たしてそれが成立しなければいけないかというとそうでもない気もする。
僕があれを見ていて思ったのは、あの場が成立するのは、ある意味あずまひろきがいるからであって、
要はやっぱあずまひろきというもので、あの人たちはつながり合えるから、あの場で会話が成立するんだと思うんですよね。
いなければ。
いなければ、結局何を、共同体って言葉がいいのかよくわかんないけど、何をその場での共通事項として、みんなで確かめ合えるのか、
共通して持ってるのかっていうものが何もないと結局、コミュニケーションってあんまり成り立たない気がするんですよね。
あれはあずまひろきっていうものをハブに、やっぱみんながそこは信頼できる。この人は少なくともあずまひろきというものを知っているとか、
そこに近いところにいるっていう信頼があるから、あの場は成り立っていたと思っていて。