そもそもですよ、私は主張と共感のバランスがいい人が大好きなんですよ。
どっちかによっててもダメ。
で、その共感の土台があった関係性で違うって言われたら、むっちゃ燃えます。
ちなみに燃えるっていうのは?
燃えるっていうのは、来たみたいな。いいねみたいな感じ。
いいねみたいな感じ。
いいねって感じ。
主張と共感、どうだろう、何から話そうかな。
僕は多分明確に校舎、それ違うんじゃないの方が好き。
そんな気がする。絶対そうだと思ってた。
だからなんて言うかな、別にそうでもないんだけど、あえて言うと共感みたいなことに対する、
なんだろうな、共感にめっちゃ距離を取りたい感覚がずっとあって。
意図的に取りたいんだ。
自分としてあんまり共感って言葉は使わないようにしている気がするし、
あんまり安易にわかるとかって言わないようにしてる気がする。
それ何でですか?
何でか、この間超相対性理論であらきさんが言ってた気がするけど、
安易に共感するっていうことは結構危ないんじゃないかなってずっと思ってるからかな。
この一個前に話したのとちょっと違い気がするんですけど、
本来分かってないことの方が多いはずなんだけど、
分かるみたいな、めっちゃ共感するみたいなことによって、
そのコミュニケーションの態度はあんまり誠実じゃないんじゃないかなって思うかな。
なるほど、その関係性において、関係性を構築というか成熟させるにあたって、
それは誠実じゃない。
それは、
関係性を構築するにあたってってわけでもないかもしれない、単純に。
人に対して。
コミュニケーション一般において、あんまりそんな簡単に共感とかできなくないっていうのがあれかな。
違うからこそ、見えてないからこそ。
超相対性理論でも、
僕が書いたのを今見たんだけど、相手に共感せずに自分のスタンスを持つことの重要性みたいなことを話してて、
確かこの回では、ちょっと具体は忘れちゃったけど、
深井さんとかが話したことに対して渡辺幸太郎さんが、
いや俺はそうは思わないみたいなことを普通にフラっと。
あるあるですね。
あるある。それが俺めっちゃ大事だと思うんですよね。
なんかやっぱり普通にコミュニケーションしてると、どうしても同意してるような感じになっちゃうし、
それは普通にコミュニケーション、円滑なコミュニケーションにおいてめっちゃ必要なんだと思うんだけど、
だからそれは必要なんだけど、それこそはいいんだけど、それより一歩先に、
めっちゃわかるみたいなとか、めっちゃ共感できるっていうのに行きすぎると、
それはちょっとやりすぎではって思う。
本当に共感してるだけそれみたいな。
その場の空気に流されてないかみたいなのはすごい気になるかな。
そうです。共感が同調に変わるタイミングが一番まずいんですよね。
共感でいられるっちゃいいけど、それが同調になっちゃうと本当に関係性が生むなっていうのはめちゃくちゃ思いますね。
過去の経験から。そこに私はいかないんです。
共感と同調の違いって何か説明できます?
説明、言葉にできるかわかんないんですけど。
どの違いわかんない?
共感は別にあなたの言うことはわかるよという肯定なんですよね。
それは共感は。
それは人を認めるっていうことだと思うんですけど、
同調は肯定じゃなくて、なんだろうな、
慣れ合いなんですよね。
それにやると本当にまずいなって思いますね。
それは肯定をしているじゃないんですよね。
ちょっとうまく言えないんですけど、
そうなっちゃうとすごくお互いの関係が建設的じゃなくなるっていうか、
本当に言わなければいけないことがあるのに言えていない状態で、
それが差も関係としては続いているように見えるけど、
それは別にお互いがこの関係をいいものにしようって思っているわけじゃなくて、
ただ惰性で一緒にいるだけみたいになってしまうみたいな、
そうなっちゃう状態があって、
それは本当に良くないなって、
そこには同調があるなっていうのは思うんですよね。
そうはなりたくないなというのはむちゃくちゃあります。
僕の言葉の辞書にはあんまり同調があって、
僕の言葉の辞書にはあんまり同調という言葉がなかった気がするから、
今聞いていて。
同調したことあんまり知らないようにしているとかそういうこと。
同調っていうことがあんまり今まだしっくりきてない。
さっきポムさんが言った共感は肯定であるみたいなのもしっくりきてない。
なんか俺の言葉と違う気がする。
そうなんだ。
もうちょっと僕の中の共感はもう少し深く入り込んでる気がする。
ただの肯定じゃない気がするんだよな。
ちょっと待って、そこは感覚が分かんないな私も。
どういうことだ?
ただの肯定じゃない気がするんだよな。
なんか分かんない、ちょっと俺も今聞いてて分かんなかったけど、
俺の中の肯定はポムさんが言ってる同調のニュアンスは結構含まれてる気がしますね。
うーん、むずい。
それは肯定は、それが良くないというスタンス?
ただ肯定するだけだったらいいんだけど、
もう少し違うニュアンスが共感にある気がするんだよな。
肯定だけじゃなくて、でもその共感だけもダメってスタンスですよね、しおうさんは。
そうそう、共感も同調も嫌だなって聞いてた。
共感も、そうか。
共感っていうのがちょっと捉え方が違うんだな。
理解するみたいなことはもちろん超重要なんだけど、
それは俺の中で共感じゃないんだよなっていう。
もう一個上の多分レイヤーにある理解・解釈。
ああ、そういうことなんですねっていうぐらいのトーン。
言いたいことはわかるね。
それがわかるみたいなのとはちょっと違う気がするんだよな。
うーん、そう。
微妙な感じだけど、若干アイロンに入った気がするから、話を変えると。
僕がそれ違うんじゃないっていう方がいるのは、
そういう話で、別にわかるって言われても、
そうっすか、そうっすかとかしかなんないし、なんだろうな。
さっきの、僕の前回の話と繋がっちゃうんだけど、
多分あんまわかってないことの方が多いような気がする。
そうなんだけど、ほんとそうなんだ。
だからそれ違うんじゃないっていう方向で、
もう少し違う話に持ってってもらった方が、
個人的には話が広がるなって気はする。
そうですよね。世の中的にどうなんだろうな。
でもあれでも多分、わかるで安心をしている世の中じゃないかなって今思いますね。
いや、ほんとそうじゃないですか。
キープフォーみたいな話は完全にこれ、わかってほしい。
現代人は肯定されてないとか承認されてないから、
やっぱああいうのが流行るんだみたいなことを言ってた人はいた気がするけど、
そうなんじゃないですか、あんまり自分を認めてもらってる感覚がないから、
そういうことを言ってほしいっていう心理が、
チャットGPTに肯定させてもらうっていう行動に表れているような気はする。
そうね、ってことはやっぱそれは共感を求めているから、
で、人間はその共感は機械にやってもらえばいいってことがわかったから、
今の流れを見てて。
だからやっぱそこじゃなくて、やっぱ共感とちょっと話戻るけど、
理解っていうか、そこの面を人間同士でやっていかねばっていうのはありますね。
うん、それはそうな気がしますね。
それしかもう、逆になんかそれしかもう、あれか。
だから人間同士で共感し合ってても意味ないな。
どうなんでしょうね。それが意味がないのかどうかはわかんないっていうか、
どうなんだろうな。
意味がないわけじゃないな。
もう2週ぐらい回ると、やっぱチャットGPTじゃダメだわ、人間じゃないとダメだわっていうのとか、
もしくはやっぱ生きてるものじゃないとダメだから、やっぱペットとか大事だわみたいな話になりそうな気は、
実感的にはある。
揺り戻しきますもんね、時代は。
なる、なる。
テキスト情報、ないしは機械音声では接しできない何かがあるんだみたいな。
そういう論文出てきてもおかしくなさそうだけど。
そうですよね。やっぱフィーリングが大事だよって。
そうそうそう。
なりそう。
っていう話になってくると、やっぱチャットGPTのフィーリングは違うんですよみたいなことは全然ありそう。
そうですよね。
なんだろうな、わかんないな。
だって僕、昨日もチャットGPT、僕基本Geminiを使ってるんですけど、たまにチャットGPTも使うんですが、
なんかこう質問っていうか、これってこういうことですかねみたいなことを聞いたときに、
いやそれはいい質問ですねってさ、いい指摘ですねみたいなことを言われるのに、
ちょっとイライラしちゃって、
そういうのやめてください、これはメモに書き込んでくださいって昨日も言われた。
そうなんだ。
なんかそれっていうのは何なんですか?何が嫌なんですか?
いやでも全部さっきの話ですよ。
だからそんなわかってるわけないのにわかってるフィーリングされるのがめちゃくちゃ嫌なんだ。
それはもう機械だと思うな、おさらいですねそれは。
いやそう、なんかいい指摘、だからすげえ表層な感じするんだよな。
いい指摘だと思うだったら何がどういい指摘なのかちゃんと言ってくれるってことでしょ。
それはね、無理だろうな。
チャットGPTそれはなんかできなさそうだな。
人間とのコミュニケーションであれば、