そうだなー、いやそれに関して言うとは、別にあんまり余白っていうのをちゃんと考えたことはあんまないなーって思ったんですよね。
そうですね、意識しないとわかんないですよね、余白だから。
まあでも確かに余白的な概念が、好きか嫌いかで言ったら多分好きだし、そういうのをずっと考えてきた気もするけれど、
なんか、あんまり知らなくて、かしこまって余白って何なんだろうねみたいなことはあんまちゃんと考えたことなかったなーって気がするので、なんか面白いなーって思いますよね。
ちなみになんですけど、私がその一番最初に余白を感じた経験っていうのを、ちょっと自分の人生、遡って考えてみたんですけど、
はいはい。
それはですね、私が中学校の時に読んだ石川卓文の、あるんですけど、読み上げますね。
はいはい。
小塚多のお城の草に寝ころびて、空にすわれし、十五の心っていう、あるんですよ、この一節は。
これを読んだ時に、私はちょうどその時、中学生の15歳あたりだったんですけど、
これ読んだ時に、草に寝ころんで、空を見上げた時の、ひらける感じ?
何もない青空と流れゆく雲。
で、なんかなんだろうな、上を見上げると空があって、その自分の背中には草がある。
その中間の何もない空間に、なんかすわれき心みたいなのを描いてるなって思って、すごい胸がスッとしたんですよ。
すごい、そうなんだ、すげえな、やべえ。15歳でそうか、そういうのをちゃんと感じ取れたんですね。
多分私がそういうのを感じ取れたのは、15歳がピークでした。
そうなんだ、そういうこと?
そうなんです、そう、なんかどんどんその感じ性がなくなってきてる気がする。
へー、なるほどなー、面白いなー。
単価みたいなのか、そういうのね、本当にまだわかってないんですよね、全然。
なんだろうな、なんかやっぱりもう、僕そもそもあんまりそういう文学、本とかも全然ちゃんと読んでなかったし、
学生の時代は本当に読んでなかったし、単価とか詩とかも今でもあんまりちゃんと読んだことないし、
なんかそういう文学みたいのをちゃんと味わうみたいな経験、ほとんどしたことないなーって気がしますね。
味わってほしい、その素晴らしさを。
そういうのだから、すげえなーって思うんですよねー、なんか。
じゃあ、ちょっとやりましょう、ジョーゴさんが。
素晴らしいものを味わう会を。
僕に文学を教えるというか、文学を叩き込む会をやってもらえればと思いますけど、
そっかー、その話聞いて、つながんないのはあんまりそう、
だからそれとなんか、僕も一応余白について少し考えてきてきたんですけど、
そうやって考えると、僕の余白とトムさんの余白って全然種類が違うなーって気がしていて、
僕の余白は、いいよいいよ。
僕の余白はすごい、なんだろう、ちょっとビジネスチックかもしれないなーって思ってて、
とりあえず一個出すと、僕が余白っていくつか思いついたものがあるんですけど、
一個は全然違う角度からいきますけど、
例えば仕事でメールとかチャットとか書くときに、
どれくらい会議を入れるかとか、あと漢字をひらがなに開くかみたいなのって結構、
いわゆる余白だなって思うんですよね。
確かに。
例えば、僕、何々様とかってメールで書くとき、
過去の仕事のあれでもあるんですけど、様の字を漢字で書くのがすごい嫌なんですよ。
わかりますね。
わかります?漢字にするとすっげえバランス悪くなる気がするので、
毎回ひらがなに開くですよね。
あとは会議をどこでするかみたいなのが、
すごくギュってしちゃうのは好きじゃないけど、
別にあんまり広げすぎるのも好きじゃないから、
そこらへんの余白をちょうどよくするっていうのは、
一応心がけている、自分としては心がけているけど、
周りの人見るとあんまりそういうのに興味ない人も多そうだなみたいなことを思ったりするんで、
これは結構人によって、この余白の捉え方もいろいろなんじゃないかなっていうのを思ったりするんですよね。
気になってたんですけど、前回話したときもスライドの表記売りは嫌だみたいなことをお話しされてて、
それはなんだろうな、どこでその価値観を得たのかとか、ちょっと気になりましたね。
どういうことがあってその思いに至ったのか。
今の話は、前にちょっとコムさんと話したときに、文明化されちゃいましたけど、
だから仕事の中でパワーポイントとかを作るケースがおったりするんですけど、
作るの話で、仕事にも作ることを作品と呼べるんじゃないかみたいな話でした。
多分そんなこと言ったみたいなんですけど、あんまり覚えてないけど。
でもそうしたときにパワーポイントとか書いてても、同じことを指しているのにちょっと表現が違うとか、
すごい分かりやすく言えば、YouTubeって書いたとしても、
YouTubeって正式名称は最初のYが大文字で、途中のTが大文字で、みたいな感じになってると思うんですけど、
それをあんまり気にせず全部小文字で書いたりとか、頭だけ大文字にするみたいなのとか、
それがパワーポイントの中で表記がさらに揺れていると結構気になっちゃうタイプです。
それがどこで培われたかというと、あんまり分からないですけど、
でも前職の上司かもしれないな。結構そういうのに厳しかったんですよ。
実行紹介、2回目かな。実行紹介したときに軽く言ってますけど、ITの仕事をしてて、今はちょっと肩書きはエンジニアじゃないですけど、
エンジニアだったこともあって、エンジニアって結構そういうのにこだわりが強い人が多い気がするんですよね。
文字が1個変わるとプログラムが動かなくなっちゃうんで、そういうのとかで、
そういうのを正式名称で書けっていうのは、書けとは言われてないんだけど、
ここが間違ってるとそれを勝手に修正されるっていうのを結構何度か軽減したことがあって、結構ダメージ食らうんですよね。
やっちまったみたいな。確かにそれってめっちゃ重要だなって思ったんですよね。
あり得の言葉で言っちゃえば、細部を意識するとか、神は細部に宿るとかって言ったりしますけど、
別に僕は細部をめちゃめちゃ意識したいと思ってるわけではないけれど、結局やっぱりそういうところまで意識をできるかみたいなところが、
別に仕事だからとか書いてるわけじゃないですけど、結局何事においてもそうかなって気がしてるので、そういうところを意識してるかもしれないですね。
それでなんか思うのは、仕事においてこの人は信頼できるなっていうのって、何をやったかっていうのもそうですけど、
これをやらないことで信頼を得るっていうのはすごくあるなと思って。
今回の面で言うと、この人は絶対表記売れがないよねとか、
この人は絶対言ったことと行動が一致しないことはないよねとか、
夢中がないよねとか、そういうなんだろうな。
よく、仕事においてはそれぞれやったことの方が評価されがちではあるけど、やらないことによって信用されるっていうのはありますね。
周りの人見てても。
そうだな、なんだろうな。
今の聞いてて僕は思うのは、一方の数字が通ってるかどうかっていうことなのかなって気がしていて、
例えば言ったこととやったことが合ってるみたいな話も、
多分その人からして、それをめっちゃ意識してるかっていうとそうじゃないんじゃないかなっていう気もするんですけど、
そこがちゃんと数字が通ってるっていうことが重要な気がするので、
例えば僕が今言った表記売れみたいなのも、
その表記を揺らしてることに意味があるんだったら、それはそれでいいと思うんですよね。
でも大抵の場合は気にしてないだけだからな気がするので、
そういう話な気がしますね。
余白の話かどうかは分かんないけど、
でもそういう、だからここはちゃんとやる、ここは遊ばせとくみたいな、
そういうのがちゃんとしてる人が、僕自身も好きだなとは思ったりもしますかね。
そうですね。遊ばせとく、そのバランスが大事ですね。
バランスが大事とか言うと。
結局そう言いたくないけどバランスが大事になっちゃうんですよ、みたいな話は。
そうなんですよ。ちょっと何だっけ、このあいな結論に行っちゃうのちょっと私あんまり嫌なんですけど。
分かります分かります。
でもその話にひも付けてちょっと話を展開させると、
もう一個だから余白って思い出したのが、
先にキーワード言っちゃうと、だからフィラーは余白なのではないかみたいなことをちょっと考えました。
フィラーって、要は話を言葉にするときに今僕が言ったマーとかエーとかなんかそういうもので、
これはちょっと前に聞いたその危機回答会の有料会員のコミュニティのピンピンランチで長畑さんっていう人が言ってたんですけど、
フィラーに分体があるんじゃないかみたいなことを言っていて、
それ以上のことはあんまり言ってなかったんで、そのシーンはそこまで僕も捉えられてないんですけど、
なんとなくこれはめっちゃ分かるなと思ったんですよね。
やっぱフィラーって、フィラーがないことって結構良しとされてる気がするんですよ、ビジネス文脈では。
フィラーがない方が、
プレゼンテーションとかフィラーがあると聞きづらくなるとか、それはノイズになるっていうのが基本的な考え方だったと思うし、
僕も多分普通に考えればそうだろうねっていう気がするんですけど、
僕が考えるとフィラーっていうのは結構余白に今なっているなっていう気がしてます。
こう思ったのがもう一個理由があって、
僕なんかポッドキャストとかってもはや倍速でしか聞かないんですよね。
2倍速、最近2.3倍速とかにしてるんですけど。
それ何のポッドキャストですか?
全てのポッドキャストを2倍か2.3倍で聞いてます。
2倍にしかならないポッドキャストがたまにあって、
もうタイタン川ですね。
泡吹いて倒れてる。
それはマジでそう思いますね。
いや、そうだと思います。
このポッドキャストは多分編集をほぼせずに出すんですけど、
だからそれもやっぱりちょっと考える間とか、
本当はそういうところを切った方がいいのかもしれないと思ったりもするんだけど、
その間にこそ意味があると考えると、
むしろ編集しない方がいいかもっていう気もしているので、
一旦編集せずに出してみようかなと思ってます。
やっぱりそこで一秒でも間が空くことに意味がある気もするので、
そういうところはおっしゃるような大事な余白の一個なんじゃないかなっていう気がしますね。
今ちょっと私腑に落ちたのが、
しょうもさんの話を聞いてて、なんか話すスピード早いなって思うときがあって、
それってもしかしてバイスクで聞いてるからなんじゃない?
それはいくつか理由があって、
まず1個目は単純に早口っていうのはあります。
それはもう昔からそう。これは昔からそうなので、
まずベースはそれなんですけど、
2個目はおっしゃることは多分そんなに的を外してないと思います。
基本的にポッドキャストとか倍速でやってるんで、
もう等倍の感覚はわかんないです。
だからそうだし、
あともう3つ目は単純に、
これはふしみさん、西岡ユーチューバーのふしみさんとかも言ってましたけど、
結構YouTubeとかって早口の方が聞かれるみたいな話があったりするっぽいんですよね。
多分TikTokが一番顕著なんですけど、
あれって基本情報量をどれだけ詰め込むかの世界なので、
みんなかなり早口で話すみたいなことが行われてるみたいなので、
あんまり気にせず普通に話してます、ポッドキャストは。
そうなんですね。
でも早口なのは本当にずっと前からそう。
そうそう。
もう直せない、本当に。
臆性的なものなんですね。
そうですね。
直そうとしてもない、もはや。
あまりに聞き取れないぐらいはあるんだけど、
もしかしたら僕はさらにポッドキャストの倍速スピードを上げる可能性があるので、
そうなってくると僕の話すスピードが上がってくる可能性があるので、
やばい、連れていかないと。
そしたらそういうときは言ってください。
さらに早口になってますと言われたら、
僕はそのときちょっとやべえと思うと思うので、さすがに。
2.3以上いくのか。
分かんない、分かんないけど。
2が結構限界だなと思ってるので。
私もでも前はそうだったんですよ。
前はポッドキャスト倍速で聞いてて、
だけど最近共売で聞くことの良さが分かったんですよ。
フィラーの部分とか、間ですね、話してる間とかも楽しいなと思って。
私は思いました。
その間は倍速だと味わえないですか?
味わえないです。
そうなんだ。
味わえないです。
機械界も倍速で聞いてた頃より今の方が笑えてます。
共売で聞いてた頃。
それはあるんだろうな。
僕が今聞いていて思ったのは、
別にフィラーが倍速にしたことでなくなるわけではないから、
そこから感じ取れるものは絶対あるだろうなと思ったんだけど、
確かに比較の問題で言えば倍速よりは絶対
共売の方がそういうものが増幅されるっていうのはそうなんだろうなって感じがしますね。
そうですね。
なんか、ポッドキャストは情報だけを得てるわけじゃないので、
本当にその過程が好きで聞いてるってところがあって、
お笑いのような仕様ですよね。
なるほどな。
でも僕の中で一個不倫に落ちたのは、
最近は聞かなくなったけど、ちょっと前に
TikTokあったのかな?
楽曲をスピードアップさせてリミックスとして出すっていう
結構流行ってたことがあって、
スピードアップバージョンみたいな曲を
K-popとかで結構出してたことがある気がするんですよ。
それはそれで良さがあるって僕は思っているんですよね。
結構スピードアップバージョンの方がいいじゃんって思うことも結構あったりするので、
だから僕はそういう別に倍速にすることにそこまでの
あれがないのかもしれない、ハードルがないのかもしれないですね。
倍速にして良い曲とそうじゃない曲っていうのはもちろんあるのはそうだと思うんですけど。
それはそうかっていうか、
演歌とか倍速にされても。
演歌とか多分そう。
でも逆にK-pop的な、
K-popってかなり情報量が多い音楽が多いと思うんですけど、
それを倍速にするとか、
いわゆるハイパーポップとかって言われているような音楽の文脈とかでは
そういうスピードアップっていうのが多かった気がしているので、
ハイパーポップって何ですか?
ハイパーポップとか知らないか。
ハイパーポップはうまく僕が説明できないんですけど、
結構オートチューンとかめっちゃ使って、
結構和歌の性別とかも結構よくわからない感じで音を悪くらい歪ませるとか、
そういうポップなんだけど、
結構音使いが普通じゃない使い方をしているから、
それでハイパーっていうような使い方をされている。
厳密な定義じゃないし、
厳密には定義されていない言葉だと思うんですけど、
とかっていうので、
有名なところだと何だろうな。
分かんないな。
K-pop系はハイパーポップの文脈が結構そう。
エスパーとか多分そこら辺は、
ちょっとハイパーポップとは呼ばないと思うけど、
そういう文脈があったりするかな。
海外、アメリカとかだとアンダースコアっていうバンドじゃない気がするけど、
そことかがハイパーポップとか。
ハイパーポップって呼ばれることを聞かれる人もたくさんいるので難しいんですけど。
想像なんか歪ませてるから、
美的感覚にめちゃくちゃ合わせようとしてるわけでもないから、
早くさせても。
いじることに対する抵抗がないっていうのは多分そうだと思いますね。
ひずませる美的感覚っていうのも多分あるので、
そこはちょっと結構難しい。
シンガーソングライターの君島大空が僕は結構好きなんですけど、
君島大空とかもちょっとハイパーポップっぽい曲をやってたりします。
あの人も結構もともと中性的な声を使うので、
そこら辺にかなりオートチューンを使ったり、
音をすごい歪ませたりとかっていうのをしたりするということはありますね。
歪ませたものに対する美的感覚みたいなのありますけど、
なんていうか演歌みたいなオーガニックなものとは確かに全然違う感覚だと思いますね。
そうなんですね。
そんな世界もあるんだな。
いや、ありますね。
何の話をしてたか忘れちゃった。
何の話をしてたか全然忘れちゃった。
まだ倍速の話だった。
倍速の話。
他に何か余白を感じることとかあります?
本当はこれはちょっと間違ってるんだけど、
こんな細かいところ言ってもどうせわかんないから、
もう言い切っちゃうみたいなこととかは全然ありますね。
そうなんですね。
でもそうですね。
そうした方が上の人もそうなんだと思います。
結局そこで何か言いようと思われちゃうと、
向こうも心配になっちゃうんですよね。
そうですね。
言い切ってくだせないですよね。
これが100%いいとも限らないと思わないんですけど、
そういった場合にもよるんですけど、
やっぱりそう言って言い切らないといけない場面っていうのが
たくさんあると思うので、
特に多分顧客に対しては言い切った方がいいんだろうなって感じはしますね。
顧客はやっぱり安心させないといけないと思うので。
そうですね。
わかんないですもんね。
相手は自分が専門だと思って聞いてるから。
そこはやっぱりプロフェッショナルであるのであれば、
言い切らないといけないなと思って仕事はしてますかね。
そうですね。
じゃあ気をつけよう。
気をつけます。
というちょっとめちゃくちゃパーソナルな話だったんですけど。
他大丈夫ですか?
あともう1個あって、
日常に余白ってありますかっていうことを聞きたいです。
その余白っていうのは、何もせずにぼーっとする時間、
最近ありますかって話を聞きたくて、
私なんかそう思い返すと、ほんとないんですよね。
谷川さんのスマホ時代の哲学の副題が、
常時接続されているみたいなあれですけど。
常時接続された日常で生き方を探るみたいな。
ちょっとすいません。
そんな感じなんですけど、
私もずっとツイッターを見たり、
ポッドキャストを聞いたり、
あと好きな韓国のアイドルの動画みたいな。
何か考えるにしても、
ノートを私書きながら考えるってことが多くて、
思ってしながら考える時間ってあんまりないな、
みたいなことを思ってるんですよね。
それは何か良くないなって思ったの初めて。
日常を増やしたいんですけど、
ある賞賛ありますか?っていうのを聞きたかったです。
あるかないかで言ったら、ないかもしれないな。
今の話で言うと、ないですね。
基本、何かはしてる。
どういう状態が余白なんだろうなっていうのも結構難しいなと思うんですけど、
さっき言ってもらった例であげる、ぼーっとしてるみたいのはやっぱないですね。
そういうときはスマホを触っちゃうし、
敷いてあげるとすると、今思いつかないのはお風呂入っているときとか、
さすがにそのときはスマホ触らない、
スマホは持ち込まないとか、本持ち込まないっていうのは別に意識したわけじゃないけど、
そういう感じにはしてるので、
でも結局そのときはもう頭の中では大体いろんなことを考えているので、
そうですよね、わかります。
そのときに考えるいろいろ。
あと一個話せるとしたら、
それは結構昔から課題感覚が僕もあって、
今は結構ちょっと諦めてる感あるんですけど、
ちょっと前とかは、最近あんま聞かないですけど、
マインドフルネスみたいな概念がちょっと流行ってたこともあるので、
そういうのをちょっと寝る前にするとかをしてたことはありますが、
知ってました、私も。
寝るときの、なんだっけ、身体スキャンみたいなやつがあって、
座ってほんのときまで、
地面と自分の体が設置している感覚をどんどんスキャンしていくみたいな。
ありますね、ありますね。
そうそう、やりましたよね。
流行ったもんな、ちょうどコロナのときに。
そうそう、コロナぐらいのときにちょっとやってたけど、
それがどうだったかみたいなのは、
あんまり覚えてないぐらいのあれだったから。
もうやってないもんな。
結構今はもうひり返って、
別にそれでもいいんじゃないかなって思ってるかもしれないですね。
それを崩さない限りはそれでもいいんじゃないかなっていう気はしているかな。
逆に言うとだから、余白なのかわかんないけど、
前の流通苦論ってポッドキャストとかでも話してましたけど、
歩くみたいなことは結構重要なのかもしれないなっていう気がしていて、
移動の時間も少し歩く時間をちゃんと作るとかをした方が、
それはいろんな意味でいいのかも。
余白なのかわかんないけど、そういうことは思ってたりはするかなっていう気がしますね。
めっちゃわかりますね。私も意図的に歩く時間を作るようにしてて、
最近は会社に行くときはもうすぐ行けた方がいいんで、
公共交通機関で行くんですけど、
帰るときはあえて公共交通機関を使わずに歩く時間を取ろうと思って、
7駅か歩くっていうのをやってますね。
それいいですよね。たぶんめっちゃいいと思うんだよな。
そうですね、この前もツイッターでつぶやいたんですけど、
歩いてる時間が良すぎて。
この前大学生ぶりぐらいに好きな道があったんですけど、
そこを歩くときにイヤホンをつけずに歩くってことをしたんですよ。
めちゃくちゃ久しぶりにもう5年ぶりぐらいに。
めちゃくちゃ空気とか音とか鳥の声とか空き缶が転がっていく音とかがすごい聞こえてきて、
しかも聴覚が遮られてないことで、嗅覚まで豊かになってくるんですよ。
そうなんです。そういう感覚がすごくて、めちゃくちゃ良くて、おすすめです。
それは間違いありますよね。
僕も普通に普段歩くときは絶対イヤホンつけちゃってるけど、
旅行とか行くとさすがにつけなかったりするから、
そうすると確かに全然違った感覚で入れたりしますよね。
歩きは大事ですよね。
最近やってないけど、前はたまに全くイヤホンつけずに歩くとかっていうの。
なんでそうしたのか覚えてないけど、でもしてるとやっぱり街の音みたいなのを聞く。
意識的じゃないけど聞くとなんかちょっと気分が変わったりっていうのはあったりした気がするので、
今の話はすげー分かるなって気がしますね。
歩きながらフォトキャスト撮るっていうのもやりましょうね。
それもいつかやるっていう。
絶対やってみたい。絶対にしようかな。
ちなみに物考えるときって、いつ考えますか?
私は物考えることとタイピングすることが面倒しちゃってて、
そうなんですよ。文字打ちながら考えるってことが染み付きすぎてるなっていうのがあって。
それは基本仕事でもなんでも考えるってことを作業するときには何かを打ちながらやるってことですか?
ノートを書くときとかに自分の考えをまとめるときに、
まずは前提で自分でノートを書き出す前にこういうことを書きたいなっていうのはあるんですけど、
あまりにもノートを書きながらこういうことを思ったなって思考を言葉にタイピングするじゃないですか。
それを何かやり続けすぎ。
それ以外でもないですけど、それを何かやってると、
タイピングをするっていう動作と思考っていうのが何かすごい、
実続というか接続された感じになっちゃって、
多分それも何か話してて考えがまとまらないっていうのも多分関係してるのかなって思うんですけど、
書くことと考えることが密接になってるみたいな感じがあって。
それはそうなんじゃないですかねってめっちゃ思いますけど、
やっぱり僕の感覚、文筆家と名乗ってる人たちも、
基本的に書かないとわかんないっていうか、
結局書いた結果をもってこれを書きたかったんだって自分が気づくみたいなことっていうのが多分にあるんだと思うので、
おっしゃってることは多分結構普通のことなんじゃないかなと思いますね。
僕自身ももちろん頭の中に考えたものがあって、
それで書き始めますけど、大体そこからは外れていく。
その時にもともと考えてなかったものが書き出されてたりもするので、
それは書きながら考えるっていうのはそうなんじゃないですかね。
別に書くというものじゃなくても、