はい、始まりました。 余白のエクリチュール、略してよはちゅる。
えー、今回のテーマは、「丁寧やちゃんとしている、ちゃんとしていないって何だろう?」について話したいと思います。
よろしくお願いします。
はい、お願いします。
はい、えーと、これはですね、私が個人的に気になって持ってきたんですけど、
そのなんか、丁寧から普通の暮らしが生まれているぞ、みたいなのが気になって持ってきたんですけど、
前回のよはちゅるで、本当って何だろうっていうことを話しました。
で、それが、えーと、しょうこさんがそのポッドキャストエキスポに参加して、
今そのオーセンティシティとかが結構重要になってきてるっていう話の中で、その話になったんですけど、
なんか、その話とこの丁寧さっていうのは、当初は想定しなかったんですけど、
それがちょっとつながってくるかもな、みたいな感じで、ちょっと前回から引き続いて考えていきたいと思います。
はい、お願いします。
はい、ですね、これが私がなんで気になったかっていうと、
まずね、私その批判的日常美学ってやつをずっと積んでて、ちょうど読めたんですね。
で、それがまあなかなか面白いっていうか、まあちょっと私の所感としては、ちょっとこれ、この本はちょっとね、なんかツッコミどころいろいろあるんですけど、
え、そうなんだ。
それはまあちょっと置いといて、とりあえずね、これはその丁寧な暮らしが賛美されてきたけど、
そこからちょっと脱却して普通の暮らしに戻ろうみたいなことを書いてるんですよね。
で、その丁寧な暮らしっていうのはコロナ禍で出てきた概念だと思うんですけど、
おうち時間をちょっと楽しくするために、まずは身の回りから整えていこうみたいな、そんな感じなんですけど、
なんかそれがちょっと行きすぎて、今その美と倫理が混同されているから、その癒着を解こうっていうふうに、その人はずっと言ってるんですよ。
で、まあ人はそのちゃんとすべきっていう時に、美と倫理が混同されている。
例えば、その食べ物を残すのが悪いっていう価値観があって、なんかその人は実際食べ物を残した時に、食べ物を残すのは悪いって、
別の美学者の、その人、著者の人、ナンバユキさんって美学者なんですけど、別の研究者の人に言われた。
そしたらその人が、それはなんか美的に、美的な眼差しなのか、それとも道徳的な眼差しなのかどっちかみたいなことを問いただくと、そこからなんか議論が深まったみたいなことを言っていて、
なんかその食べ物を残すのが悪いっていう価値観があるけど、それはなんかそもそも食欲旺盛な男性がその外食の基準になってるみたいなことを言ってて、
なんかその美的に悪いとか道徳的に悪いっていうのが、なんかその突き詰めると、それってその社会構造がそうしているから、
もっとその、なんか手前のそういう良い悪いの話じゃなくて、みんなもっとその社会構造のことを考えようよ、みたいな。
で、なんか自分たちがそこに抵抗していこうよ、みたいなことを書いてるんですよ。それをなんかいろんな観点から見てて、そうそう、自炊とかファッションとか労働とか、いろいろ書いてるんですよ。コミュニケーションとかね。
で、なんかそんなところで、あの丁寧な暮らしから普通の暮らしっていうのに、なんか戻るというか、
新しく生まれるかわかんないけど、そういう動きが出てるなって思いました。で、それとまた別でですね、私はその、
なんか、この批判的日常美学だけだったらあんまりその、語ろうと思わなかったんですけど、その先週ちょうどね、ロブスターの記事で、ちゃんとしていなさの価値っていうのが出てました。
で、これがなんか感論するから面白いなって思って、今回ポッドキャストを題材に選んだんですけど、ここではAIによって今それっぽくて綺麗なものが大量生産されるようになった。
で、そのなんか流れに対抗するようにテイストスロップっていう言葉が出てきてるらしくて、なんかその今も完璧さそのものがAIによってコモディティ化してるから、
デザインとかカルチャーとかの領域で、手書き感とか粗さとかノイズみたいな、最適化されてない人間の痕跡みたいなものがこれから価値になってくるよみたいなことが書いてました。
で、なんか私はこの2つを見たときに、なんかちょっとその、なんだろうな、この2つって、ちょっと力学は違うけど、同じ方向に向かっていってるなみたいなのを感じて、
その基本的そう、日用美学では、丁寧さとか美と倫理の癒着から距離を取る、その反動から普通の暮らしが出てきてる。
で、そのロボスターまたちょっと違って、そこにAIという文脈が乗ってきて、そのAIが綺麗すぎるから人間らしさを大事にしようという意味で、ちゃんとしなさを肯定する動きが出てるみたいな。
それがなんかね、なんか別の流れから同じところに向かって、なんかその川が流れるように合流するように生まれてきてるなっていうのがなんか面白いなと思って、ちょっと今回話してみようと思ったんです。
で、まあその中でそうそう、お互いの具体例だったり、なんかしょうごさんのその観測してるところで、ちゃんとしていないが、なんかどこに現れてるみたいな話を聞きたいなって思いました。
なるほど、面白いですね。
はい、ちょっとこれはね、面白いんですよね。
でもまあ一旦の所感っていうか、なんかその丁寧から普通の暮らしもそうだし、このAIのところの話も、まあそうだよなって感じはするっていうのはまず一旦のあれだよね、所感っていうか。
うんうん、前提としてはね、まあまあそういう流れがあるようなところですよね。
なんか、そうね、私が他に持ってきた、なんか具体例とかもあるんですけど、なんかそっちに行くか、自分の。
一旦まずそっから、一旦。
何だろう、自分の生活の話に行くか、なんかその他の世の具体例に行くかって迷ってて、でもなんか自分の生活の話はあんま面白くないんですよ。
でも一旦そっちの話しましょう。そっちをまずちょっと挟んでみましょう。
まずじゃあ自分の話。
自分の、はいはい。
自分のあんま面白くない話なんですけど、なんかその丁寧な暮らしっていうのを、なんか自分はその、まあ同僚と話してて、丁寧さって何だろうねみたいな話を聞いたんですよ、なんか同僚にね。
で、そしたらなんか私は、私はやっぱなんかその人によって丁寧さって違うんだなって分かったって話で、なんか私はね、その植物、なんかその家に植物置いたり、お香炊いたり、なんかドリップコーヒーでコーヒー入れたり、いい器を使ったり、ストレッチするとかっていうのをめっちゃやってるんですよ。
で、その生活に取り入れてて。
へーすごい。
なんかその、それがね、なんか私は普通だと思ってて、でもなんか。
へー。
そう、だからなんかあとはね、なんか私が、なんか思う丁寧な暮らしにするには、なんかあとはね、もうめっちゃ高いインテリアを買うとか、野菜を全部オーガニックにするとか、なんかそっちの方法しかないなみたいなことを、なんか自分で考えたみたいな話で。
で、なんかね、その友達と、友達じゃない、その同僚と話してて、同僚に何が丁寧な暮らしだと思いますか?とか聞いたんですけど、なんかその同僚は、まず自分はめちゃくちゃ丁寧な暮らしをしたいと思ってるって言ってて、でもなんかそれができてない。
へー。
そう、なんかね、自分が思うのは、えっと、紅茶を入れながら読書をすることが丁寧な暮らしだと思ってるけど、現実はもうそれに反して、自分は夜遅くまでゲームしちゃって、起きるのは昼すぐみたいな。
そうなっちゃってるから、なんか何も生産できてないことがすごく、なんか嫌になるけど、でもなんか惰性でやっちゃうみたいなことを言ってて、じゃあなんか何かを生産することがあなたにとっての丁寧なのかな、みたいなことを言ったら、あ、そうそうって言ってて、なんか自分をなんか高めたり、豊かな時間みたいなのを得るのが丁寧な暮らしって言ってて、
なんかそれを聞くときに、私、その人が思う丁寧な暮らしは、私が思う普通の暮らしだなって思ったんですよ。それがなんかね、レイヤーが違うなっていう話。それはなんか自分の中でその結論に至って、別になんか面白くないなって思ったんですけど。
それは俺からするとめちゃめちゃ面白い話なんだけどな。
あ、そう?
なんだ、なんだ、その話なんだ。
そうなの?
なんか、待って、なんだなんだ、その感じ。
あ、でもちょっと待って、私一個、もう一個具体例ね。
私ね、なんか会社に入って1年目に、めちゃくちゃそのとき、もうドリップコーヒーにハマってて、インスタントコーヒー全く飲めなくなってて、その会社に入って1年目でね、なんか毎朝朝からドリップしてコーヒー持って行ってたの。
やば。
ギュッと、ギュッと入れて、なんかね、それがなんか私、今思ったらやばって思って、なんかあれはでもなんか自分にとっての普通の暮らしではなかったなみたいな、あれはちょっとなんか無理してたかもみたいなことを、今振り返るとは思ってない。
なんかね。
あ、面白いなあ。
いや、それめっちゃ面白い話だけど、それなあ。
本当?私もこっち問題から先に終わらせちゃおうって思ったんだけど。
いや、わかんない。そういう意味だと別に、僕そもそも丁寧な暮らしはよくわかってないんですよ。
だから別に丁寧な暮らししたいとか、したくないとかも思ったことがないし、別に自分の暮らしが丁寧かとか普通かとかもあんまり考えたことがないし、興味もないんですよ。
なんか言ってましたね、前もね、なんか普通になんか暮らせればいいみたいな。
言ってたっけ?
なんか言ってた。
そうかも。
生活に美はあるみたいな話で、なんか私は機能的な美には興味あるのってしょうこさんに聞いたら、別になんかそれはないみたいな、言ってた。
でも今の話は、なんだ、なんかめっちゃ面白そうなんだけど、どこから言ったらいいのかわかんないんだよな。
ぽんさんのそれはだから別に丁寧、自分としては普通だと思っているが、客観的に見たら丁寧な暮らしなのかもって思ったって感じ?
そう、なんかね、これもなんか今回のを、そのポッドキャストやるにあたって、丁寧な暮らしってなんだっていうのを調べたんですよ。
そしたら、なんかいろんなとこが出してるじゃん、なんかその主婦向けのなんかね、とか、なんかその美相手とか出してて、そしたらなんかね、植物、開芽植物を置く。
スイッチをする。お光沢。なんか自炊をする。
なんか全部私やって思って。
あ、そう。すごいね。
それはなんかね、面白かった。いや全然面白くないんだけどなんかね。
でもほとんど意識をせずにやっていたことが、世の中でいう丁寧な暮らしだと気づいたみたいなことなのか。
そうそう、なんかね、丁寧にしようと思ってなくて、ただただ自分の身の回り、自分の気持ちをちょっと高めるとか、自分が普通に暮らしてて暮らしやすい生活を整えたいだけみたいな。
それをやってたら、それがなんか世の中で言うことの丁寧だったみたいな。
そういうなんかイメージ、自分の中で。
それね、それがなんか面白いな。
やっぱり人、世の中の人は整えたいとかっていうこと自体が、やっぱりなんかそんなに思ってないっていうか、自然にはあんま出てこないんじゃないかな。
だから丁寧な暮らしみたいな話に寄せて、なんかやろうとするんだけど。
でもそれは現実の生活とはギャップがありすぎて、結構挫折するみたいなのが、さっきの例でもあった話なのかもしれない。
本当は紅茶をちゃんと飲みたいけど、現実は普通にゲームしちゃうみたいな。ギャップがありすぎるみたいな。
そうそう、なんか批判的日常美学についてで、別の生活美学者の青田さんって人がいるんだけど、その人の話を聞いてて、その人はVlogを見て、なんか丁寧すぎてちゃんとしすぎてて、逆に辛くなるみたいな。
自分がなんか、そこで抑圧を感じちゃうみたいなことを言ってて。
なんばさんが言うには、それはVlogは生活アーティストの作品だから、それを自分の生活に取り入れようってするんじゃなくて、
それはもう美を生活と混同しちゃってるから、それはもうアーティストの美として鑑賞するもので、自分の生活とは切り離しなさいみたいな。
そういうことを問いてたんですよね。
そういう話なのかなって思ったんだけど、一般的にはそうなのかなって思ったりはして。
むずい話だな、結構むずい話な気がしてきたな。
ほんと?
ちょっと関係、なんか通じてないのかな。結構むずい話な気がしてきたけどな。
今の話と関係してるかもしれない、関係してないかもしれない話を一応差し込んでおくと、
僕がこの丁寧な暮らしっていう話を聞いて思い出したことの大きな一つが、
みやこさんっていう人がいて、ニュースレターを出してらっしゃる方がいて、
結構ずっとやってるPR&ブランディングコンサルタントということで、
そういうブランドとかそういうのを考えてるニュースレターがあって、
その中のニュースレターで、2025年6月21日に、
なぜ丁寧な暮らしはしんどいのかっていう、結構まさしくな内容を出してらっしゃいましたと。
結構面白い話を書いてて、ちょっとうまくまとめられないんで、
ポストされてたのをそのまま読むと、
手作りの食事、オーガニックな素材、無駄な空間、
一見シンプルで自然体な暮らしのはずが、なぜかプレッシャーに感じてしまう瞬間があることも。
もしかするとそれは、選べる人だけが実践できる豊かさになっているからかもしれません。
みたいなことを書いていて、
これはそんな感じするなって思うんですよ。
へー、そうなんだ。
だからまずそもそも、
フォームさんが今やってることって、
他の人からすると、まずそもそもそれがかなり、
ちょっと言い方あえて悪いかとすると、
交渉というか、やっぱりそれそのものが結構贅沢なものな感じで、
なんかそれを目指そうとするとプレッシャーって思う人は、
結構いるんじゃないかなーみたいな。
そうなんだ。
そういうのは改めて聞いていても思うんだけど、
でもなんか思うのは、
ツイッターとかで風呂キャンセル界隈とかがあるのは、
まあそうなんだろうなって、
そういうところなのかなって思う。
なんかそういう、そっちの方が、
なんかラジブ生活であるみたいな人がいるんだろうなみたいな。
うーん、そうね。
そういうことかな。
うーん。
なんかちょっとうまく読み込めてるかわかんないんだけど、
この記事でも言ってるの。
だから選ぶっていうこと?
何かを選択するっていうことが多分大事っていうか、
そう書いてあるね。
自分の状況は優先順位にあったやり方で、
少しずつ納得のいく選択を重ねていくこと。
それがきっと自分にとって無理のない丁寧な暮らしにつながるのだと思います。
っていう締めの言葉が書かれていて、
これは多分そんな感じはするんだよなーって感じなんだけど、
だからそのそもそも少しずつ納得のいく選択を重ねるっていうこと自体が難しいっていう人が結構いるっていうのが、
今のプロフローキャンセル界隈の話だとか、
さっきのこうちゃんの話な気がするんだよなー。
なんかそれはどういうこと?
めちゃくちゃ選択肢が自分と離れているところにジャンプするのは、それは厳しいけど、
それ以前にもっと積み重ねるのも大変っていう。
そういう話?
いやいや、いいお女性引いてくれたんだけど。
でもその話で、さっきナンバー3ちょっと一個前の話でも思ったんだけど、
なんかその積み重ねる選択肢が見えなくなっている感じはするのかもなーって思いました。
何を言ってるかというと、だからその丁寧な暮らしということの話をしたときに、
いわゆるすごく丁寧な暮らし、紅茶を入れるみたいな話だとか、
すごいストレッチをするみたいな、
それとか、インフルエンサーみたいなのがすごい近くなっちゃってるから、
SNSとかのアルゴリズムで。
そういう本当に綺麗なもの、さっき言ってたアーティストみたいなものしか丁寧な暮らしっていうものはないんだみたいな、
なんかそういうふうに考えちゃう地場が強くなってる気がしていて、
本当は別にそんなのじゃなくても、もっと身近なものの中に、
そういう典型的なものじゃなくて、自分なりの丁寧さっていうのがあるはずなのに、
理想とされる丁寧な暮らしみたいなものばっかりがフューチャーされちゃうから、
それをしなければいけないみたいな話になって、
それは自分との生活とギャップがあって、プレッシャーに感じてみたいな、
そういうふうのループになってそうな気がしたって感じかも。
めちゃくちゃショートカットされた丁寧さしか提供されてないんだ。
だから、
そういうこともいいかと。
ポムさんは自分、そういうのをあんまり考えずに、
自分で考えてそこに行き着いただけであり、
普通の人は多分そういう積み重ね方があんまりできなくて、逆なのかもしれない。
ポムさんはあるいはボトムアップ的に、今のいわゆる丁寧な暮らしっぽいのにたどり着いちゃってるから、
普通の暮らしだって思ってるのかもしれないけど、
他の人からすれば、そもそもあんまり何が丁寧なのかがよくわからない中で、
世の中的にはこういうものが丁寧だよって言われて、
そこと今のギャップがありすぎて、
それをいきなりやろうとしたら挫折みたいな。
なるほどね。
確かにそのなんか、わかるわかるわかる。
めっちゃなんか自分の実感あって、
丁寧さえ行き着くための道筋が全然違うんだろうなって思った今。
世の人は丁寧っていう虚像があって、
まずそれがあってそれにたどり着こうってするけど、
私はそもそも丁寧というイメージとか虚像すらまずない状態で、
人はトータルとしての丁寧っていうのを求めて、
そこから部分を積み上げていくけど、
私はそれがなくって全体像がなくって、
まず部分があったんですよ。
植物がなんか置きたい、緑がまず私大好きだから、
グリーン大好きだから、それを置きたい。
で、コーヒーも大好き。
で、もうなんかいろいろ突き詰めていくと、
やっぱりインスタントじゃなくてドリップがいいっていう、
自分の味覚の問題としてね。
だし、実水も、
私、この前も言ったようなチェーン店嫌いとか、
外食マジで嫌いとかいうのがあるから自炊したいとか、
そういう個別の事象が積み上がって、
私は丁寧に行き着いちゃったみたいな感じ。
そうなんじゃないかな。
そうなんだよな。
なんかただただ好きなものを積み上げていったって感じだけど、
なんかそれが、
でもなんだろうな、それって何なんだろう。
世の中の人は生活っていうものに対して、
自分の好きっていう先行を、
先行にあんまこだわりないのかもしれない。
私はなんかこだわりがあって、
それを積み上げていくけどみたいな。
そうね。
それはそんな感じもするな。
そうだな。
どうしよう。
これはどの話に繋げていこうかな。
いや、ちょっと難しい。
でもなんだろうな、それは何なんだろうな。
何の話なんだろうな。
だからこそ、
丁寧な暮らしから、日常、普通の暮らしみたいな話になるのは、
わかるっていうか、
理想なんかを追ってるから、そんな風になるわけで、
そんなのやめて、ちゃんと目の前のことを見ろよっていうのが、
ナンバーさんの言ってることだとしたら、
それはめっちゃわかるなっていう感じがするんだよね。
そうなんだよね。