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2021-10-21 15:42

番外編#20 「はたらく」とはいったい何か?

ポッドキャスト番組「超相対性理論」の『美とはなにか?』の回を受けて、『はたらくとはなにか?』を考えてみました。

超相対性理論

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[音楽]
健康のアレコレの健康のアレです。よろしくお願いします。
今回も、ちょっと気になったポッドキャストのエピソードから、ちょっと番外編的な話をしていきたいと思います。
今回は、超相対性理論というポッドキャスト番組があるんですけど、ご存知の方いらっしゃいますでしょうか。
これはですね、ポッドキャスト界隈では有名な深井隆之介さんという、コテンラジオの株式会社コテンの代表の方と、
Takramという会社の渡辺幸太郎さん、この方は今もやっているのかな、JWAVEで番組を持っていたりしますね。
それと、学びデザインという会社の荒木裕之さん、この3人がいろんなテーマについて語っていくんですけど、
もしあれが好きな人いたら、多分気に入ると思います。「ウィークリオチアイ」のシーズン4とか3に近い感じで、
生きた会話っていうのかな、台本がなくて、その場でみんなが思ったことを考えたことを言っていくと、
なんか面白い方向に、思わぬ方向に深掘りができちゃうみたいな、そんな感じのコンテンツですね。
それで、最近の回で「美とは何か」っていうテーマで3回にわたって、その3人が語っていた内容が面白くて、
過去には「遊ぶってどういうことか」とか、「考えるって一体何か」とか、そんなテーマなんかでもやってて面白いんですけど、
最近の回で「美とは何か」っていうのが非常に印象的だったんで、そこからそれを起点にして、
どうですかね、無理やりかもしれないけど、私はちょうどそれを考えたんで、そこからスタートして、
「働くって何なのか」っていうところの話を、ちょっと私の個人的な考えを押し付けたいと思います。今回はそういう話をしていきます。
それでは参ります。まず、その「超相対性理論」っていう番組なんですけど、さっき言ったみたいに3人の人が話していくという内容なんですね。
その「美とは何か」っていう回では、前半は結構アートの話が出てきます。私は個人的に「美」っていう、
「beauty」っていうのかな、なんか「aesthetic」とか言ったりするかもしれない。「美」っていうことと「アート」っていうものは、
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一緒くたにしない方が好きなんですけど、「アート」っていう言葉の原理に、そもそも「美」っていう意味合いってあるのかなと思って、
結構、まあいいやと思っていると、まあ中編ぐらい、途中からやっぱりですね、その3人の会話も「アート」と「美」っていうのを分けた話になってくるんですね。
で、「アート」っていう集合と「美」という集合があるよねと。で、その重なった部分は美しいアートだし、だけどアートの中には「美」とはちょっと違うアートもあるし、
また「美」の中にはアートとは違うものもあると。例えば、美しい風景とかはアートとは言わないと思うんですよね。
アートって基本的に人が作るものとか作ることそのもののことをきっと言うと思うんですけど、風景とかはね、美しいけどアートじゃないもの。
まあそんな感じでアートと別の話になってきて、で、だんだんですね、じゃあなるほどそうだね、じゃあ「美」ってなんなんだろうって話をしていくんですけど、
結局です、その途中でいろんなものに人は美を感じる。それは人それぞれだという話がやっぱり出てくるんですね。それはそうだなって感じしますよね。
で、その個人が感じる、個個人が感じる美っていうものと、一方で社会が規定する美ってあるんじゃないの?みたいな話も出てくるんですよね。
みんなが美しいと思うものっていうものもあるし、それとは別に個個人が美しいって思うものもある。
なんか極端な例だと、大好きな子供が、自分の子供が描いた絵はすごく下手くそで、アートとして見たら美しいとは言えないかもしれないけど、でも個人的な思い入れがあるから美しく感じる。
その美しさはもう自分個人にとっては絶対だというような話とか、個人と社会っていうキーワードが出てくるんですね。
個人と社会っていうキーワードは超相対性理論という番組では、たびたび出てくる通想的なテーマでもあると私は思うんですけど。
この辺の話からですね、この3人が面白いのは、途中から美とは何かっていうことを言語化するっていうアプローチを一回も保留しちゃうんですね。
美とは何かを言語化はちょっとできないっていう話になるんですよ。語り得ないとかね。
言語化できるんだったらわざわざ美とかアートとかいうものにして表現しないから、言葉にできないんじゃないって話の途中でなって、すげえところ行くなと思うわけですね。
そこでこの3人が柔軟で面白いのは、美とは何かっていうのは言語化するのはちょっと一回とどまるんだけど、美ってどんなものかっていうことを言語化しようとしていくんですね。
何かっていうのは言えないけど、どんなものなのかって話していこうみたいな。
そうやってね、結構私今まとめて喋ってますけど、聞いてるとね、そうやって話題が切り替わったのが、誰も説明してくれないんで、
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今の話聞いてちょっと僕思ったんだけどっていうのが繰り返されて、そうだね確かに、それで言うとさとかいろんな人が、3人が次から次へとコメントをぶち込むんで、
なんかね聞いてると2回3回聞かないと、まあその聞かなくてもいいかもしれないけど、迷子になっちゃう時があるんですけど、
改めて俯瞰して話を聞くとそんな感じ。美とは何かを定義するっていうのを一回流報して、どんなものかって話をし始めるんですね。
で、さっき言ったみたいに、どんなものかって言ったら社会にもあり得るし個人にもあるよねって話になって、
それで後編にかけて徐々に、じゃあ個人と社会の美って何なんだろうみたいな話にどんどんなっていくということなんですよ。
で、本当にラストのラストの方で出てくる面白い話が、途中までは結構社会っていうのは強いもの、強者、で個人は弱者みたいな話で途中まで進んでいくんだけど、
これもね、こういう話、言い方をしてたからちょっと定かじゃないんだけど、個人って結局誰かにとっての社会であったりしますよね。
自分じゃない人存在なわけなんで、だからどちらが個人でどちらが社会か、どちらが弱者でどちらが強者かっていうのは結構同居していて混沌としてるんじゃないのかっていう、
自分視点だけで見たら自分が弱者で周りが強者だけど、でもそんな弱いはずの自分も誰かにとっては強者だったりするみたいな、
そんなイメージで強者と弱者っていうものははっきりと分かれられなくて、同居してるよねみたいな話になって、
そういうふうにしていろんな人がある立場では弱者、ある立場では強者であったりして、そういう織りなしする社会みたいなものの中で美っていうものがその社会に問われたり、
あるいは誰かが表現する美っていうのを取り入れたりとかして、社会と個人が価値交換みたいな、あるいは思いを交換したりアクションを交換しながら営んでいくよね、
そういうもんなんだろうね美はみたいな、そんな話になるっていうふうに私は読み取ったんですけど、
ちょっとすごく私の解釈で喋っちゃってるんで、もし興味がある人は聞いてみてください。
で、働くっていう話をこれからするって最初に言っときながらも美の話ばっかりしてますけど、ちゃんとします。
で、間に一個ブリッジの話を挟みたいと思ってます。
で、ブリッジの話は何かっていうと、美の話はまあそういうことがわかったと。
研究、研究だったらまあ理系の、これ一応建設コンサルタントの話をするっていうポッドキャスト番組でやってるんですけど、
理系の人だったら研究室で経験したことある人が多いと思うんですけど、
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研究の話でその社会と個人っていう話をしてみると、私が結構好きな人で、
筑波大学の準教授でメディアアーティストをしているオチヤヨイチさんっていう人がいるんですね。
準教授、オチヤヨイチさんが、これもウィークリーオチアイで言ってたと思うんですけど、
学生にこんな話をしますって言って、PhD、博士号ですね、を取得するってどういう意味か知ってるって、
どうやったら博士号を取得できるか知ってるって言うんですね。
で、博士号っていうのはね、人類の知識の知ですね、知の集合に対してその周辺には未知があるってことですね。
世の中、人類の誰かが知ってるっていう、人類が知り得ていることっていうのを集めていくと、
どっかに知り得ない、ここから先は知らない、分からない未知であるっていう領域があるわけですね。
で、その縁、エッジ、集合のエッジにある未知を追求して、人類の地をちょっと広げるってことができたらPhDがもらえるよっていうふうにオチヤヨイさんは言うそうです。
これが研究っていう営みと世の中との関わりなんだそうですね。
で、どうですかね、皆さん研究室にいたことある人は、人類の地を、知識を、地を拡大するつもりで研究してましたか?
私は全然してませんでしたけどね、そんな意識は全然お恥ずかしながらなかったですね。
まあ私博士号を取ったわけじゃないんですけど、地を広げるっていう、だからそういうことですよね。
誰も知らないことを明らかにすることで、人類単位で見てみると知ってることが増えるってことなんですよね。
それは確かになるほど、で確かにそうじゃないですか、誰かがやってる実験全く同じことやっても全然論文で評価もされないし、
そんなこと知ってるよっていう、ここに書いてあるよとか言われちゃったら、それはやっぱり価値として低いわけですよね。
だけど、条件を変えたりとか、全然アプローチを変えたりとか、あるいは誰もアプローチしていない新しいテーマで新たな事実を発見すると、
それは人類レベルで言うと、地が広がってくってことになるっていう、そういうことなんですね、研究っていうのは。
で、Bときて研究としてきて、最後に働くです。働くってじゃあ何でしょうか。
研究はさっき言った話で、働くって何でしょうか。
で、私が言いたいのは、働くっていうのは尊いよねっていうことを言いたいんです。
全ての人の、全ての仕事が私は尊いと思ってて、
あらゆる仕事が、世の中の役に、何らかの形で役に立っているっていう感じがするんですよね。
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それは仕事っていうものが人類の地を広げるっていうことはならないかもしれないし、
あるいは人類の美意識を更新することにもならないかもしれないけど、
でも少なくとも、今そこにないものを生んでるっていうか、
できてないことをできた状態に近づけているとか、そういうものだと思うんですよね。
仕事ってどんなもんでも、なんかわかんないです。
どっかからどっかに物を運ぶっていうことは、
届けたい場所に物を運んでいるってことは、できてない状態からできている状態に近づけているじゃないですか。
建設コンサルタントの設計業務も、私たち物を作らないっていうことにコンプレックスを感じるときもあるし、
そういう設計とか計画とか形になる手前のプロセスになっているのが私たちの仕事なんですけど、
でもそれも世の中の暮らしを良くするっていう長い長い事業のプロセスの中で、
できてない状態からできている状態に近づけているって言えると思うんですよね。
だから何が言いたいかっていうと、
働くっていうことを会社と自分との間で捉えたらもったいないっていうのが私の信念なんですよ。
働くってことは、何らかの形で世の中に影響を与えている、効果を与えているはずだと思うんです。
それがどういう効果をどういう風にして与えているっていうのを観察する、ちょっと引いた目線で観察するっていう風にすると、
仕事とか働くっていうことに前向きになったりできるかもなっていう風に思ってます。
もしこれ聞いてくださっている中で就活をこれからする人は、
そういう視点、どの会社に入るとか入るとか入る会社はどこだって言って、
就活ってどうしても会社と自分っていう枠組みで捉えてしまいがちじゃないかなって思うんですけど、
その視野をもう少し広げてみて、どんな風に世の中に働きかけるか、
どんな風に世の中に作用するかっていうかね、
そういう世の中と自分っていう繋がりをまず捉えて、
そういう風に世の中にこんなことをしたい、そのフィールドがあなたの会社です。だからここに入りたいですみたいな整理、
自分と会社と世の中っていうものの位置関係を整理してアピールができると、
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すごく言葉に重みが生まれていい就活になるんじゃないかなと私は思っていて、
そういう風に考えてみたらいかがかなっていう風にも思います。
ということで、ちょっと持論を一方的に展開してまいりましたけど、
思えば遠くまで来たもんですね。美から働くということを語ってみるっていうのをやってみました。
是非超相対性理論、とっても面白いんで皆さん聞いてみてください。
それでは最後まで聞いていただきありがとうございました。
ありがとうございました。
♪~
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