はい、始まりました。余白のエクリチュール、略してよはちゅる。
この番組は、異なる時間や場所を生きてきた2人が、お互いをよく知らないところから始めたポッドキャストです。
様々なテーマについて、それぞれの感想や解釈を起点に、違いや分かり合いなさを楽しみながら、言葉を交わします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい。
2026年1回目の収録です。
はい。
明けましておめでとうございます。よろしくお願いします。
明けましておめでとうございます。お願いします。
はい、このよはちゅるなんですけど、最初の文がちょっと変わったの、みなさん気づきでしょうか。
そうですね。
はい、そうです。2026年スタートしたっていうのと、よはちゅるが15回周期で進んでいくとして、いい感じの、キリのいいところに来たので、
なんかちょっと変えてみてもいいかもねっていうのを、しょうごさんと話してみました。
で、今までは普通の会社員とか言ってたんですけど、もうちょっと自分たちがこれからどうしていきたいとか、自分たちが何を示していきたいのかっていうのを考えてみて、これにしましたね。
はい。
はい。
まあ普通の会社員とか、なんかあえて入れてみてたんですけど、別にそれが言いたいわけじゃねえだとかと思ってたんで、なんか我々がどこを重視したいのかとか、
まあよはちゅるの特色がどういうところなのかみたいなのを少し前面に出した文章にしてみております。
そうですね。
XとかSpotifyの説明欄も合わせて更新してますんで、よかったら見てみてください。
はい、お願いします。
ももさん的にここは、ここを特に頑張って考えたとかあります?
そうですね。頑張って考えてもらったのは、実はちょっと今言ったやつじゃなくて、もう一個のちょっとパターンがあるんですけど、なくなく削ったところがあって、
そこをちょっと頑張って、こういうふうに伝えたら、私たちの思想が出るんじゃないかなって思ったところがあって、
それがもう一つのパターンで、わかったと思った先に生まれる問いを新たな出発点として対話を深めていきますっていうのを。
今回言わなかったんですけど、次の回とか言いたいなって思うんですけど、これはよはちゅるでこれから目指すものが結構詰まった言葉になってるかなって思ってて、
これはその30回目の振り返りの回でも言ったんですけど、今まで私たちがこの対話を続けていって、ちょっと私この対話っていう定義についても、
このよはちゅるをしていく中で、これは本当に対話と言えるのだろうかとか、自分にとっての対話ってなんだろうってことを、今ちょっと自分の中で考えてるんですけど、
その一つの答えになるのが、対話っていうのはその問いを生むもの、新たな問いを生むもの、そこで完結をせずに答えが出たと思っても、
それってあれ本当にそうなのかなっていうことを考え続けていく営みなんじゃないかなっていうのをすごく思ってます。
で、この説明文に込めたという形ですね。
いいっすね、いいと思います。
対話ね、対話って言葉難しいですよね。
難しいんですよね。
僕個人的には対話を使うか会話を使うかで迷ったりして、なんかどっち使おうかなとかって思ったりもしたりとか。
それってそのよはちゅるの場においてですか?別の時でも?
全然普通にどんな場面においても、対話もしくは会話っていう言葉を使おうって思った時に、どっちがいいかなってだいたい迷う気がする。
それの違いが何って聞かれると、あんまり自分の中でも整理されてなくて、なんとなくの流れで合うものを選んでいる気がするが、
なんかやっぱり対話の方がよりインタラクティブな感じがするし、会話の方がよりフランクな、なんていうか、もっと小さい単位の何かな気がしているっていうのがあるかな。
そうですね、そのイメージはざっくり私もそう思ってて、ちょっと対話の話をしてもいいですか?
これはちょっと別の回で対話の話をしようかなと思ったんですけど、私が考えていく中で、私が何かやってるのは対話なのだろうかっていう疑問が生まれたのは、
なんかその情報交換するとか、そこでの自分の考えを共有するっていうのだけでは、もしかして私にとって対話と呼べないのではないだろうかっていうことを思ってて、
私がその、もっと何を目指してるかっていうと、その自分の認知が書き換わるっていうことが結構自分にとっては大事だし、喜ばしいし、すごく嬉しいことだなって思ってて、
それをもしかしたら目指していけば、なんか自分にとってのいい対話っていうのは生まれるんじゃないかなっていうのをすごく思ってます。
うん、いやいいんじゃないですかね。なんかなんとなくその感じはわかったんで、まあじゃあそれはちょっと別話でもう少しちゃんと話してみましょう。
はい、そうですね。
なんかでもその認知が書き換わるみたいな話は、まあ確かにそんな感じがするな。
うん、ですね。私のその、すごく私のハッピーな思想が、自分の新しい自分に出会えるってことなので、それはその認知とか自分の考えが書き換わったときに、新しい自分に出会えたなって思えるので、そこはね、大事にしていきたいなって思ってます。
はい。
はい。
じゃあそんな感じでいきますか。
はい、そんな感じでいきましょう。
はい、じゃあ今日の本編はキャパロンについて語ろうです。
はい。
はい。
キャパロン。
はい、これはちょっとね、しょうごさんが持ってきたテーマで、私は考えてはきたんですけど、もうちょっとそのしょうごさんの方から、これはどういう背景があったのかっていうのを聞きたいですね。
はい、そうですね、ちょっと今日どこまで話そうかっていうのはあるんですけど、なんかね、ここ1年ぐらいずっとキャパっていう言葉がずっと引っかかって、1年残りじゃないな、たぶん2、3年ぐらいかな、キャパっていう言葉がずっと引っかかっていて、
これは結構時代をつかんでいる言葉な気がしているので、なんかそこら辺を少しこの場で話してみたいなと思って持ってきてます。
で、なんかそれっぽくキャパロンにしてみましたっていうだけです。
もうちょっとすでにね、気になるんですけどね、どこに引っかかったのか、その時代って、何を見ているのかとか。
もうちょっとプリミティブな、本当にきっかけから言うと、僕が記憶しているこのキャパっていう言葉が気になったのは、僕が前の会社にいたときだから、今の会社2年も経ったから、3年前、3年弱前だと思います。
なんかね、事業部で振り返りの話を始めてお前にしましたけど、なんか振り返りみたいなのやってたんですよ。結構時間を取って、事業部の全員で振り返りとか、あとビジョン、ミッションビジョンマリオか、ミッションビジョンマリオをちょっと考え直しましょうみたいな話が。
えー、私の会社でも今まさにそれやってる。
そうなんだ、だいたいどこの会社でもなんとなくそういうことをやるタイムはあるんだと思うんですけど、その中で、何だったかな、具体は忘れちゃいましたけど、でもなんかどういうふうになりたっていきたいですかとか、どういうことしていきたいですかみたいなのをちょっと各陣で振り返ってみましょう、それをお互いに共有してみましょうみたいな時間がありました。
で、その中である人が言っていたのが、やっぱり結局キャパ広げないとなんもできないんで、キャパ広げたいですみたいなことをおっしゃっていて、
いやでもね、それはその会社っていうかその事業部的にも、なんかそういう感じだなと僕もずっと思ってたので、めっちゃわかりますみたいなことを言ってたんですよね。
そういう感じってのは?
っていうかっていうと、やっぱりその事業部200人ぐらいだったんで、なんとなく全体の顔が浮かぶわけですよ、人の顔が。
で、結局活躍してる人、事業部のトップも含めて活躍してる人たちは、とにかく働く人たちであった。
働くだけじゃないな、とにかく行動量が多い人であった。
なんか普通に仕事もめちゃめちゃしてるし、プライベートもめちゃめちゃ充実させているように見える。
仕事は夜遅くまでやってるし、休日であればゴルフに行ってきました、旅行に行ってきましたみたいな、資格を取りましたみたいな。
だから単純に行動量が違いすぎるみたいな意味だったと僕は捉えていて、やっぱりそういう人たちが活躍している場であり、
じゃあその人たちと、言い方があれだけど、その人たちに追いつくとか、対凸しようとするためにはどうするかって考えたときに、
いや、そもそも優秀な人たちで、その人たちが行動量めちゃめちゃ多いのに、自分がそれに追いつけてなかったらどうしようもないよねっていう意味で、
じゃあキャパをまず広げないと話にならんみたいなことは、そこまで話したわけじゃないですけど、
なんとなくそういうことだったんじゃないかなと僕は感じていたし、僕自身もそう思っていたので、なんかすごいキャパっていう言葉がそのときからかかっていて、
キャパみたいなことが結構、もうちょっとでかい話をすると、やっぱこうテクノロジーがどんどん発展してきた中で、どんどんどんどん重要になってるんじゃないかなみたいなのを追ってずっと気になってるって感じかな。
なんかいろいろ話せるんだけど、なんとなくは一旦こんな感じ。
テクノロジーが発達していく中でキャパが広がる、広げないといけないとかっていうイメージって、なんかもうちょっとよくわかんないんですけど、どういう、どういったその問題意識なんだろう、そこにあるのって。
そうだね。ちょっとどうしようかな。一旦そこで話をすると、なんていうかテクノロジーって、ちょっとあえて単純化して言うと、どうしようかな。
民主化みたいな言葉がよく使われると思うんですよね。なんかそのデータの民主化とかみたいな話もそうだし、なんかAIの民主化みたいな。要はそれをあえてこういう言葉を使うと、専門家じゃなくて素人でもすごいクオリティが高く同じようなことができるようになりますみたいな意味で民主化みたいな言葉がよく使われると思います。
そういう話ね。コーディングをしなくてもノーコードローコードでできちゃうんですみたいな話。要はなんかそれがどんどんどんどん進んできていると思うんですけど、となるとどうなるかっていう僕の見立ては、要は時間さえあればもう何でもできる世の中になってきたって思ってるんですよね。
特にAIに顕著ですけど。要はもう調べようと思えばいくらでも調べられるソースはあるわけで、情報もある。あと足りないのは時間だけ。別にYouTube見れば何でもあるし、AIに聞けば何でも教えてくれる。
っていう中でじゃあ何がボトルネックになるって言ったらもう時間しかなくなってると思っていて。これはつまりもうキャパの問題でしかない。時間さえあれば誰でも一定のものまではできるようになる世の中になってきた。つまりキャパシティっていうものが一番重要になってきてるみたいなのが今の自分の見立てであって。
それが要はテクノロジーが進展してきたことによって起きたことかなって思ってるって感じかな。
へー。なるほど。ちょっと、しょうごさんのあれを汲み取れるかかんないんですけど、キャパでその話を得て、しょうごさんの中で前の会社の人が広げないとダメって言ってたのは、しょうごさん的にはそうしないとダメだと思ってますか?
キャパを広げないといけないっていう考えなんですか?それともまた別の考えがあるのかな?キャパに対して。
ちょうどよかったんで話を少しずらして答えるんですけど、この話は個々人がキャパシティを広げた方がいいかそうではないかみたいな話ももちろんあるんですけど、その前提としてやっぱり社会がそうなってるなっていうのがまず僕が少し気になっていること。
キャパを広げることを要請してるってことですか?社会が。
もっと前提の話で、やっぱりキャパっていうものに対しての意識がみんな強くなってきていると思っていて。
デスコードでもちょっとやり取りしましたけど、僕がすごくキャパってことずっと気にしてたんですけど知らなかったんですけど、最近若い人たちはキャパイって言葉を使うらしいじゃないですかと。
いくつかソースを持ってきたんですけど、直近だとオッチって多分女性のメディアでもキャパイについて触れている、2025年12月にキャパイについて説明してる記事があって、
もともとは取ると2021年にエッグっていうギャル雑誌だと思うんですけど、それで流行語対象にキャパイっていう言葉が選ばれてるんですよね。
そんな昔からあったんだ。
僕はちゃんとは知らないですけど、ゆーちゃみっていうモデルが一応これを作ったとされており、そこから流行ってるらしいし、
2021年の記事でちょうどこの収録日1月12日の前日に、これは全然別の話ですけど、
恒例のエイトジャムの年間ベスト回をやってましたけど、そこに出てる石渡隼さん。
石渡隼さんの2021年にキャパイって言葉が気になるっていうのを記事で話していて、
こんな前からあるんだみたいなことは少し気になっています。
要はやっぱり20年ぐらいからキャパっていう言葉がちょっと出始めてるんじゃなかろうかと。
それが結構若者の中でも普通に使われているっていうのが気になっているし、
もう一個これもあんまり関係ないかもしれないけど、キャパイっていう言葉はキャパオーバーが基本らしいんですよね。
だからどっちかというとネガティブめに使われる。
だけどどうやらポジティブ側でも使われるらしくて、キャパイっていうのはヤバイみたいな意味でも使われるらしいんですよ。
それは自分が処理できないほどの感動とかがあるから、すごい良いっていう意味なのかな。
そう捉えるしかないんじゃないですかね。あんまりそこまでのロジックがあるのかわかんないけど、
なんかね結構今回のライブガチでキャパイとかっていうのを使うらしいってウォッチで書いてあるんですよ。
面白そうなんですね。
推しの笑顔キャパイとか、この限定コスモキャパイとか、本当か知らないけど一応そう書いてあるんですよ。
そうなんだ。いや面白すぎるけど、キャパイっていう言葉にヤバイとかエモいとか全部詰め込まれてる、回収しちゃってる感じがさ、
もう私は嫌だよ。
そうかもしれない。でもこれこそが若者言葉って感じがするっていうか。
そうなんですね。面白い。
だからこれを強引に解釈するとやっぱり2020年ぐらいからキャパっていう言葉が結構身近なものになり、
あとはハピプペポみたいな言葉が多分、ヨハチロちょっと違うか、
そういう、これ全然別の話だけど、昨日新宿のルビデとかをたまたま歩いて、
僕は行かないですけどパートナーと一緒にコスメのところとかに行ったときに、
いろいろ見てたらチュルンとか、そういう言葉とかめちゃくちゃあるなと思ったんです。
そこに注目するの面白いですね。
パピプペポとかチャチュチョみたいな、そういう語感が浸透してきてるんだなみたいな、
ちょっとあんまり別にキャパに直角かかんないですけど、
あるんだろうなと思って、ちょっと関係ないですけど、
でもいずれにせよキャパっていうところが、なんとなくずっと引っかかってるし、
結構その社会の何らかの変化を捉えているから、こういう状況になってるんじゃないかなっていうのが僕の課題感。
なるほどね。
ちなみに、
どうぞ。
私もそうだし、ちょっとその自分のミニマルな話をすると、
自分もそうだし自分の周りでもキャパって言葉を使ってる人がいないから、
ちょっと距離感があるなっていうのが1個ありますね、私は。
自分もめっちゃ使ってるからっていうとそういうわけではないんだがって感じかな。
どうしようかな、どっちの話に行こうかな。
もう1個だけ話しとくと、要はキャパっていう言葉を使わないだけで、
体力って言い換えてもいいと思うんですよ、これは。
これも昨日、一昨日ぐらいに本屋で新刊として堀江貴文の体力論みたいな本が出てたんですけど、
何だったかな。
めっちゃそれっぽいな。
やっぱり時代的に、体力が9割、結局動いたものが勝つっていうのがあってね、
別によくあるビジネス本だと思うし、
中身がわかるね、もう。
わかりやすくていいんだと思うんですけど、
やっぱり体力的な話もどんどん増えてるような気がして、
我々の文脈に寄せ付ければ、
三宅、加宝、タイタンとかっていうのはわかりやすくされたと思うんですよ。
あの人たちはもう、強引にあえて言っちゃえば体力こそ全てだぐらいなことを言っていると言っても、
ちょっと局界だと言われると思うけど、過言ではないと思う。
過言ではないと思います。
もう全てやるってことは、体力という資本ありきで、
それに対して考えているっていうのがめっちゃわかります。
その方面がある一方で、
多分年末ぐらいとかにちょっと話題になっていきますね。
巨弱に生きるっていう本が、多分ちょっと話題になっていたりとか、
これは真逆ですよね。
真逆っていうか、体力という軸は一緒なんだけど、
どっちかというと体力がない人はどうしたらいいの?みたいな。
そういう方向も結構多分意識されている気がして、
これは全てキャパの話とくくっていいと思うんですよね。
キャパシティがあったほうがいい。
あればいろんなことができるけど、
実体問題ない人はどうしたらいいんだっけ?みたいな話とかね。
そうですね。必然的に生まれてきた本って感じがしますね。
この巨弱に生きるっていうのは。
ちょっと私、キャパ論について考えてみたんですけど、
はい。
それをちょっと言ってもいいかな。
お願いします。
これ私の中で考えてきたことだから、
ちょっとこれをね、打ち崩してもらえたら嬉しいなっていうのが、
ここにあるんですけど、
私、しょうごさんのことを考える中で、キャパ論について、
しょうごさんって新しいものにしか興味がないっていう、
よく言ってる印象なんですね。
厳密に言うと新しいものっていうか、
僕の言葉で言うとリアルタイムのものっていう感じかな。
新しいっていうか。
リアルタイムのものですよね。
そこがちょっと私がそういうことはあんまり感じないから、
ちょっと思ったことなんですけど、
そうなるとリアルタイムのものに興味が、
それって別にしょうごさんだけじゃなくて、
別に世の流れそうだと思うんですけど、
その味わえる期間が、コンテンツとか思想とかそういうものを、
必然的に味わえる期間が短くなっちゃうから、
その与えられた時間内で消費すべきコンテンツが相対的に増えることで、
そのキャパを感じる。
だからキャパ論っていうのは、
物とか物量とか体力とかよりも時間の制約によって生まれてるのかなっていうのがあって、
私は逆にそうではない。
むしろその昔のものとか、古いものとか音楽とかもそうなんですけど、
本とかも、そっちの方が私は比較的興味があるなって思って、
それに価値を感じてるから、
なんかあんまりその時間の制約があるからキャパを感じるとかいうのがあんまりなくて、
で、私その前回、たぶんそのヨハチュールの最後の方で、
キャパ論の話をしようねって言ったときに、
私はそのキャパという概念がわからないっていうこと言ったんですよね。
で、それが、
習慣化するっていうのはあるかな。
松尾さんの感覚としてあります?
なんか私あんまりないんだよな。
なんかそのさっき言ったキャッパーもなんか気分に左右されないようにキャッパーを制御するみたいな話だったと思うんですけど、
なんかその精神と身体っていうのを私はよく考えるんですけど、
それはなんか、それってその精神的ななんか理論的なもので身体を制御するみたいなところがあると思うんですけど、
私はなんかもうちょっとその自分の身体っていうのはもうなんかその精神にとらわれずに自由であるっていうか、
自由であるべきっていうか、
もっとなんかもうちょっとなんか時のままとか流れのままに任せたいみたいな気持ちがあるんですよね。
はいはいはい。
そういうところが。
なんかポムさんはそうなんじゃないかなっていうか、
なんか聞いててわかるっていうか、
なんかだからなんか、
なんて言うかな、
ポムさんはなんかやっぱビジネスパーソンっぽくないですよね。
よくいい意味で。
そうかもしれないですね。
でも本当そうだと思います。
今この文脈が完全にビジネスパーソン的文脈で喋っちゃってるんで、
多分こういう話になるんだと思うんですよ。
確かに。そうかも。
さっきの質問に答えると、
例えば僕は自分習慣として書いてるのは、
ネットの記事とかは気になったものを食べておいて、
週末とかに、週末に限らないですけど、
まとめて一気に読むみたいなことを毎週やってるわけですけど、
これも一つのキャパ的な話かなと思うし、
これをもっとやってるのは、
オフトピックやってる宮崎さんとかって、
1日に3時間はインプットしてるみたいなことを読んだ記憶があって、
そういうこと?僕が言いたいのは。
そういうのをちゃんとやり続けるみたいのは、
多分キャパみたいな話に通ずるんだろうなと思いますね。
そういうのをやってるときって、
しょうごさんはさっきのビジネスパーソン的な事故で言うと、
しょうごさんはずっとビジネスパーソン的な事故で生きてるんですか?
ずっとっていうのは、いつからとかじゃなくて、
毎日?それが切り替わるときとかってないんですかね?
ビジネスパーソン的文脈で答えれば、
できるだけそれを、
波風をないようにするっていうことが重要なので、
そうしてるって感じかな。
波風をないようにするのが重要?
さっきぽんぽんさん何て言ってたっけな。
なんていうか、気分に左右されない。
気分に左右されてはいけない。
だから、気分が良いとか悪いとか、
そういうのを考える以前にやる、みたいな。
やる気っつうのはやったら出てくるもんだ、みたいな話もよくあると思うんですけど、
やる気がないからやらないとか、
やる気があるからやるとか、そういう次元で考えない。
へー、そうなんだ。
それって自分に課してるみたいな、あるんですか?意識って。
ありますよ。一定はありますよ、やっぱり。
もちろんそれだけで、その義務感だけでやってるわけじゃない。
その義務感だけだったら、たぶんやれないんだと思うんですけど。
へー、じゃあ何が、その義務感以外に何がそれを規定してるんだろう?
それはやっぱり自分に向いてるかとか、そういう話じゃないですか。
別に例えば、自分が好きなものであっても、
難しいな。
自分が好きなものだとしても、別にずっとできるわけじゃないですか。
好きな食べ物をずっと食べ続けて飽きるように。
だけども、やっぱり、ちょっと例えがよくなかった。
まあでも、そういうことな気がするんですよね。
自分が向いてるとか、やりたいとか、そういう気持ちがあるのであれば、
違うな、違うな、まだやりたいかどうかじゃないですか。
いろいろ考えた時にやりたいかどうか、先入り先考えるんだったら考えてもいいし、
別に考えなくても、今目の前のことでやったらいい。
あとあれかな、継続にどれだけ価値を見出してるかっていうのもあるのかもしれない。
そっか、その気分に左右されずに、それよりも自分が気分が悪かったとしても、
継続することの方に価値を置いてるとか、そういう話ですね。
なるほどね。
そこに別に価値が置かなければ、あえてここで言えばポムさん的な価値観で、
別に毎日ちょっと違うことをやるっていうことに、
プライオリティを置いてやるっていうやり方は全然あるとは思うんですけど、
ビジネスパーソン的価値観で言うと比較的再現性とかを意識するんで、
それはできるだけ継続をした方が積み重なって良いみたいな、
そういう話はあるかなと思いますね。
そうですね、確かにビジネスパーソン的な事故と、
それじゃない事故っていうのが結構自分の中で分かれてて、
私も多分ビジネス的な事故で話すと、
多分同じような意見に今寄っちゃったなっていうのはすごい思うんですよね。
だから、そうじゃない事故から話せて、今私良かったって思ってます。
これ多分、両方本当にあった方が良くて、
ビジネスパーソン的にちゃんと積み重ねていく話と、
とはいえそうじゃないよねみたいなところからそこから逸脱していくみたいなのは、
多分重要なんだとは思いますね。
そうですね。
なんか今私がちょっと話してる感じ、
しょうもさんがキャパロンで話したいと思ったこととか、
その裏にある問題意識とかって、どうなんだろう、
どういう解消されたとか、ちょっと気になってるんですけど、
どんな感じなんだろう。
今日どこまで話そうかちょっと迷っていたところがあり、
とりあえずこの問題提起だけをするのが一旦今日の目標だったんで、
一旦良くて、
時間もあれなんでそろそろ終わろうかなと思ってるんですけど、
あと一個だけ言っとくと、
多分冒頭で言ってくれた、今今日は比較的社会的な視点からのキャパの話をしたと思うんですけど、
もう少しミクロな視点からも話せると思っていて、
僕がこの話でミクロな視点で話したいというか気になってるのは、
仕事においたときにキャパの広さ狭さみたいなのと、
仕事のやり方みたいなのの相関性というか、
そこについてはもう少し話してもいいなと思っており、
どっかでまた話せればなと思ってはいる。
それがあれですね、この前の予知論最後で話した話ですよね。
そうそう。
仕事ができる質と量の話。
その話はたぶん一昨日ぐらいに、
Vividの藤井さんという人がニュースレターを毎週書いていて、
そこの中でも似た話が出てきてたんですけど、
やっぱりAI時代っていうのは、
物事を始める人っていうのがすごく重要になってるんじゃなかろうかと。
ただ一方でそういう物事を始める人って始めたいから、
とりあえずやりますって言うんだけど、
秋っぽくて、どんどん次の新しいテーマにすっちゃって、
始めたやつどうすんねんみたいになって、
その周りの人たちが負荷を被るみたいなね。
そういう構図みたいのがあって、
むずいよねみたいなことをおっしゃってるんですけど、
でもそれでもやっぱり、
特にそれなりのレイヤーが上の人なんで、
そういう人から見ると、
新しく物事を始めるっていうことをちゃんとしていかない限り、
そういう人を徴用していかない限り、
やっぱり組織っていうのは衰退していくんで、
やっぱそこを従用していきたいよねみたいなことを書かれているんですよね。
これをキャパ論に当てはめると、
物事を始めようとか、
そういう人は比較的キャパが広い人だと思うんですよ。
多分いろんな、例えば、
もっと適当な創作すれば、
いろんなプロジェクトを抱えていて、