YCAMとメディアテクノロジーについて
YCAMぐるぐるラジオ第7回、2023年1月20日金曜日、山口情報芸術センターYCAMからお届けしております。
現場にいるのは、YCAM教育普及担当のこんのと、山岡です。
このラジオでは、YCAMがアーティスト、リサーチャー、山口の人たちとともに、メディアテクノロジーのことだったり、アート作品のことだったり、暮らしのことについてなど、様々な問いを立てたり、悩みを相談したり、
その頭をぐるぐる動かしている様子を発信しています。
明けましておめでとうございます。
昨年のラジオが最後になっていたので、これが新年一発目ということで。
今年もよろしくお願いします。
2023年ね。
1月今、今日は初日だから。
結構お正月気分というわけではないんだけど、やっと2023年であることにリアリティを感じてきたかなって。
本当?感じてきた?まだ2023年って書くとき、本当かって思うよね。
あとお正月気分は1月中あってほしいなって思う。
そうだね。理想的にはね。
確かにな。2023年はいいんだけど、令和5年?
5年か。そうだね。
結構自面でびっくりしちゃう。5年なんだ、令和って。
本当に5年?
嘘かな?ごめんなさい。後で確認します。
全然わかんなくなった。
今年もこのラジオを続けていきたいな。
いろんな人といろんなお悩みとか、いろんな疑問を一緒にぐるぐるしていきたいなというふうに思っておりますし、
第0回から第6回、今日が第7回目なので、過去の放送っていうのは全部デジタル配信サービスのSpotifyで無料で聞いていただくことができます。
結構いろんな方にあんまりSpotify使わないとか、普段そういうことでラジオを聞いたりしないよっていう、それこそお悩みみたいなものを聞かれることもあったんですけど、
いつもお使いのウェブブラウザ、インターネットを見るアプリケーションで、
WICAMグルグルラジオっていうふうに検索してもらうと、結構簡単に出てくるので、
そうね、出てくるね。
なので、そういうふうに調べて聞いてみたりしていただけるとすごく嬉しいななんて思っております。
これまでね、映画のことだったりとか、あとどんな話したっけ?
映画のこととか、あと山口の地元の話?
そうだ。山口の県立大学の学生さんがラジオを作ってくれたりもしたね。
みたいな話だったりとか、あとどんなのがあったかな?結構過去に遡ると。
うちでお手伝いをしてくれてる市民バランティアの人たちの紹介があったりとか、
あとはそうだな。
こんにちは。
早速今いる。
今収録ブースの真横にサポートスタッフの方がおられますけれども。
その方々にいろんなお話を聞いたり、どういう経緯でそういうことをしようと思ったのか?
やってて感じたことを聞いたりした回もあったね。
そうだね。
作ったワークショップについての紹介だったりとか、
いろんなこのYCAMに関わる、この周囲をぐるぐるとしている人たちにまさに話を聞いているっていうのはこれまで。
ぜひ聞いてみてください。検索してみてください。
パフォーミングアーツについてのインタビュー
よろしくお願いいたします。
それでは今日のお品書きいってみたいと思います。
今日のぐるぐるラジオは、がっつりお悩み相談。
相談、相談、相談。
セルフエコーがかかりましたけれども。
今年もね、さっきも言ったようにぐるぐるラジオも皆様のお悩み質問にガチ返答というか、ぐるぐる頭を悩ませていきたいと思っているんですが、
今回はYCAMのパフォーミングアーツ担当、竹下昭子さんというスタッフがYCAMにはいるんですけれども、
その方と、あとYCAMぐるぐるラジオのパーソナリティでもおなじみ原ちゃんが、パフォーミングアーツってそもそも何とか、
身体とか、映像配信サービスとか、オンラインイベントなどなどにまつわる様々なお悩み、疑問、質問にぐるぐる回答していただいたインタビュー音源があるんですね。
今日はそれを一緒に聞いていきたいなというふうに思っています。
ぐるぐるラジオのリスナーの人で原ちゃんのファンの人はここまで、あれ原ちゃん今日いないかって思うかもしれないんだが、
めちゃくちゃいます。
安心してください。
めちゃくちゃ音源の中に原ちゃんはいるので大丈夫です。
ぐるぐるラジオで集めている質問の中でも、特にパフォーミングアーツ担当の人に聞くと面白そうなトピックっていうのを投げかけてみたという感じなんですよね。
はい、そうなっておりますので早速聞いていきたいと思うんですが、ちょっとその前に補足情報的にYCAMのこととかお話ししておきますと、
YCAMってビジュアルアート、シネマ、パフォーミングアーツの担当のスタッフがいるんですね。
だからアートのジャンルによって別々の担当スタッフがいるっていう感じなんですけど。
ビジュアルアートっていうのも。
またね、ちょっとね。
これまた多分説明とかパッと聞いたことのないことかもしれないんですけども、いわゆる目で鑑賞するというか。
目をメインで。
目をメインで。説明が難しいね。
説明が難しいですけど、そうですね。
見るアートというイメージが強いものがビジュアルアート。
でシネマもちろん映画とかですね。
でそこにもう一つパフォーミングアーツという部門があるという風に思っていただければなと思っています。
例えばシネマ担当が展示。
本来というか普通だったらビジュアルアート担当がやるようなことをやることもあれば、
ビジュアルアート担当がイベントとか出し物的なことをやることもあるので、
その時取り組んでいることに合わせてみんないろんな形でフレキシブルに働いております。
メインのなんだろうな。
パフォーミングアーツ関連のお悩み相談
その分野の委員会の人みたいな感じ。
学校で想像するとそんな感じかもしれない。
これいろんな人にお知らせしたいなって思ったら放送委員会に相談したりするじゃないですか。
ただ、兼任とかもあったりする。
兼任とかあったりする。
そういうガッツリ分かれているわけではないっていうのは分かっていただけると嬉しいなと思ったりしています。
そんな中のパフォーミングアーツの担当とお話してきましたというのが聞いていただくインタビュー音源となっております。
楽しみ。
楽しみだね。
最初のインタビュー音源の中では、そもそもパフォーミングアーツって何ぞやというお話と、
パフォーマンスが指し示す範囲ってどこからどこまでなんだっけっていうようなメールをいただいたので、そちらに返答しているという内容になります。
この音源をはじめ、これから3つに分かれたインタビュー音源をお届けするんですけれども、
それらすべて1月9日に収録したものになります。
収録環境の関係で、一部お聞き苦しい場所などがあることをご容赦いただければなと思っております。
よろしくお願いします。
早速聞いちゃいますか。
聞きましょう。
それではどうぞ。
今日はYCAMのパフォーミングアーツ担当、竹下明子さんに来ていただいています。よろしくお願いします。
竹下です。よろしくお願いします。
今回私、お話を聞いていくのがYCAM教育普及の、多分これまでラジオを聞いている方はもうお馴染みかと思うんですが、原です。
今日は明子さんと一緒にぐるぐるラジオに届いたお悩みとか質問に答えていきたいんだけど、
ちょっとね、その前に明子さんが今私が紹介したパフォーミングアーツ担当っていうね、YCAMで職員としてどんな風なことを担当したりやってるのかっていうことを先に聞いてみたいと思うんだけど、
そもそもパフォーミングアーツってどういうものなんですか?
パフォーミングアーツっていう風に言った時にですね、どんなものを皆さん思い浮かべるのかなって私もちょっと興味があるんですけど、
基本的にはダンスだったり演劇だったり、もっといくとですね、テント芸能とか民俗舞踊、もしくはパフォーマンス、パントマイムとかいろんなジャンルが入った身体表現全般をパフォーミングアーツっていう風にやってます。
YCAMでよく取り扱っていると思われがちな、例えばダンスの表現とか演劇とか以外にも、本当に身体を使った表現そのもののことを広く読んでいることになるんだね。
なので明子さんの場合は、明子さんって呼ぶんですけど、いいですか?
平日明子さんとか言ったことなくて。
明子さんはいわゆるパフォーミングアーツ全般を担当だったりとか、コーディネーションとかそういう手配とかも考えるのも含めて、プロデューサーみたいな感じって思ったらいいのかな?
そうですね。今、肩書としてはパフォーミングアーツプロデューサーっていう肩書にお仕事させていただいてます。
明子さんがさ、初めてパフォーミングアーツに関わったとか、この仕事に就くきっかけみたいなのってなんかあるんですか?
本格的にパフォーミングアーツに関わったのはですね、京都造形芸術大学、今は京都芸術大学と呼ばれている大学がありますけど、そこに舞台芸術研究センターっていうところがありまして、そこでですね、新作の舞台を作るっていうお仕事に関わったのが初めてというかですね。
母校やね。
そうですよね。母校だと思います。
だから私が大学でこうサボってね、カフェでコーヒーとか飲んでる間に明子さんが働いてた可能性がある。
血まなごで働いてるじゃん、その時も本当。
そうなんだ、大学の仕事とか新作で舞台を作るみたいなことに。
そういう経緯を経て、今パフォーミングアーツだとか身体表現みたいなことにより関わるようになったっていう感じなんですね。
明子さん自体がパフォーミングアーツだとか、演者というかパフォーマーとしてもともとそういう背景があったとかそういうことではなく。
同じ業界の方の中にはもともと役者さんだったとかダンサーだったっていう方もいらっしゃるんですけど、私は全くその才能はなく。
大学の時に劇団入ってましたとかそういうことは全然ないんですね。
もともと大学で勉強したのも社会学だったんですけど、その中で社会学の中で芸術っていうものを扱う先生たちに就いていたっていうことがあって。
そういったところからアートの業界で働きたいなっていうふうに思いながら、仕事の方にだんだんシフトしていったっていう感じですかね。
同じ芸術に関わるといっても、表現をするみたいなの以外でも、芸術のことを考えたり関わったりするってたくさんあると思うんですよ。
まさに自分も絵描けないのに芸大に入っちゃった、美術大学に絵が描けないのに入ってしまった一人で、でも描けないなりに見ることが楽しいみたいなふうに思ったりとか、考えることが面白いなと思ってた背景もあったので、
なんかそのあたりアッコさんと似てるかもしれないって思った。
そうですね、いろんなアプローチがあるんだなっていうことをこの現場に入って考えますよね。
それではここからはぐるぐるラジオに届いたお悩み相談っていうのに、うちらがマジレス、マジ回答、マジ悩みしていく。
これマジで返していいんですよ。
マジで返していい。
わかりました。
マジであればあるほどいい。
わかりました。
では行きます。
3問、3問っていうか3つ届いてます。
デデンみたいになってきましたこれ。
ラジオネームクッキーさんからの質問です。
身体表現というと劇場で行われる演劇やダンスをぱっと思い浮かべるのですが、海外の人と話す時のジェスチャーなども身体表現に当たるのでしょうか?そして作品か作品でないかはどこで決まると思いますか?
これ多分2問入ってる。
ものすごい大きいこれドデカ質問ありがとうございます本当に。
これ多分身体表現に限った話じゃないと思うんですよね。
なんか作品か作品じゃないのか。
どっからがアートでどっからがアートじゃないのかって永遠のこれ問いだと思うし、すごく大きいご質問だと思うんですけど。
ご質問で面白かったのがジェスチャーは身体表現ですかっていうご質問なんですけど。
ジェスチャーと作品の定義
確かにですね身体を使った表現なんですけど、身体言語って言葉もあると思うんですねジェスチャーに対しては。
何かを伝えるための動作っていうことはゴールがあるんですよね。
つまり伝わったか伝わってないかっていう正解がある。
もちろんそのやりとりをダンスにすることだってできると思うんですけど。
そこで正解がある明確にあるっていうことは結構大きいんじゃないかなというふうにお伺いして思ったんですけど。
一方でやっぱり作品と呼ばれるものっていうのがアートっていうのは必ずしも正解があるわけじゃなくて。
むしろ何かを問いかけたりとか、当たり前の価値とか今まで当たり前だというふうに思われた判断みたいなものを一旦こう宙吊りにするようなものっていうのは結構含まれてくるだろうなというふうに思っていて。
アーティストの人たちが作品を作る一つのモチベーションでもあると思うんですけど。
その作品を作るっていうことで、今回だったら身体表現ですけど。
そのジャンルとかダンス演劇っていうような表現のスタイルっていうかな。
様式に何か変化をもたらすものっていうことを多分目指してらっしゃるっていうことがあると思うんですね。
それが美っていうものとか感性に何かの更新を与えるっていうだけじゃなくて。
社会の倫理だったり政治だったり文化っていうのは基準があって私たち生きてるんですけど。
そういうものが更新されたり革新されたりするものっていうのをやっぱりアートって私たちは呼ぶんじゃないかなというふうに。
今回すごく深いご質問を受けて考えたっていうところがあります。
なるほどね。身体言語とかそういうふうに言い換えてもらえるとめっちゃわかりやすかった。
なんかこう伝達したらゴールっていうか伝達するために用いられるものなのか。
伝わるっていうか相手に届くかもしれないけど意味が完全に伝わらないものとか。
もっとわからなくなっちゃうとかもっと問いが深まるとか
品表現見てるはずなのに社会のことや政治のことについて思いが及んじゃうみたいなことが
いわゆる言語メッセージみたいなものなのか表現と言われるものなのか違いっぽいなって思ったんだけど。
例えば海外に行ってトイレはどこですかってジェスチャーが通じなかったら大変なことになっちゃいますよね。
それはトイレに行けることがゴール。
トイレに行きたいってメッセージを伝えたらゴール。
そこを伝えなきゃいけないんですけど。
そこが宙吊りになったりとか揺らいできたら大変なんだなって考えると
ちょっとあまりに単純な話ですけど
すごくこのジェスチャーと例えば身体表現の差って考えられるのかなっていうふうにちょっと思ったっていうことがありますね。
はい、最初のインタビュー聞いていただきました。
面白かったな。
改めてもう一回質問を繰り返したいんですけど
身体表現というと劇場で行われる演劇やダンスをパッと思い浮かべるんですか?
海外の人と話す時のジェスチャーなども
要は言葉を伝わらない人に体を使って何か伝えるっていうそのジェスチャーも身体表現に当たるのでしょうか?
そして作品か作品でないことはどこで決まると思いますか?って質問だったんでね。
それに対して仮にその伝えることをゴールに捉える
身体ゲームっていう言い方も出てきていましたけど
ってなるとそれは明確なゴールがある。
ただ作品とかアートとかっていうものはその伝えたい意味合いみたいなものを宙吊りにしたり揺らがせたいということが一つモチベーションとしてあるかもしれなくて
それが大きい違いかもしれないということでしたね。
面白いなぁ。
たけしさんってそんな風に思ってたっていうか
そういう風に説明してくれるんだっていうのが
意外とスタッフ間でもさ
ない。あんまりない。
こういう話を、もちろん作品を作る時にそれをどう作るかとか
どういう背景があって作るかみたいな話はするんだけど
もっと引いた時に全般をどう捉えてるかって結構聞く機会がなかったなと思って
質問してくれてありがとうという気持ち
だし、やっててよかったグルグルラジオっていうのも思ったりしましたね。
だから皆さんからいただく質問がこういう気づきを与えてくれるんだという
引き続き質問をお待ちしてますというところなんですけど
聞いてて
身体表現には
身体言語はその先に伝えたいゴールとか正解不正解がある
それがうまく伝わった伝わらなかったっていう正解不正解があるっていう
ただ身体表現に関してはなんかそこがもう少しぼんやりしたりとか
伝わらなかったけれども
そこにパッとわからないけれどもそこに価値があるとかっていうのは
そういう違いがあるんだって面白かったし
なんかそれってなんだろうな
あっちがトイレですみたいな
なんかサイネージ、看板みたいな言葉と
僕たちが普段やっているこの2人の会話ってどこにくっつくんだろうっていうのが
まだお互い分からない
そこにしかも正解とか不正解とかはないような
雑談のこととかもちょっと思い出したから聞いてた
そうだね
なんだろうこう
一方的なコミュニケーションみたいな言い方をしたりするけど
何かを伝えたり教えたり
それこそ学校の先生が生徒に対して一方向に
正しい知識を教えるみたいな構図と
普段話すとか
それこそ話すような授業がいいんじゃないかみたいな議論とか
なんかそういうこととかも思い出すよ
そうね
って考えると身体表現っていうのは
向こうから語りかけられていることっていうのを
ただ見てそこで終わりとかじゃなくて
じゃあそれに対してどう応答できるっていうか
応答って言ったらちょっと難しい言葉かもしれないけど
繋ぎかけられたことに対して何を想像するかとか
なんかそういうことも大事なのかなって思った
応答が必ずしも声を出して何か意見を言うみたいな意味じゃなくて
それを受けてどういう状態になるかみたいなことも含めて
応答だしコミュニケーションだし
なんかパフォーマンスを見るときって
そういう身体の使い方するかもみたいな
そうね
なんか表現と雑談を一緒にするのは
ちょっと乱暴だったかもしれないけど
でもなんかその通廷する
そうね
やばいこれずっと話せちゃいそう
でもあと2つもあるんです
現代の私たちと映像メディアの付き合い方
第2問が待ってるんですね
そうなんですよ
第2問はまたちょっと違う方をいただいたメールに返答していて
次は現代の私たちと映像メディアの付き合い方っていうところを
それに関するメールをいただいたので
そこにガチグルグル返答している様子を
一緒に聞いていけたらなと思っております
さっきの議題でもね全然1時間いけちゃうなっていうところなんですけど
早速次のインタビュー音源一緒に聞いていきましょう
それではどうぞ
じゃあ次の質問いくよ
これはっこさん好きな質問だと思う
本当ですか
ラジオネームiphoneuserさんからの質問です
最近netflixのアプリを開くものの
ホーム画面で何を見ようか迷って
ショート動画の影響力
結局何も見ずyoutubeの適当なショート動画を見てしまい
時間を浪費することが多いです
何か一つのものを集中してみるということが
できなくなってしまっているという自覚があるのですが
何か対処法などはありますか
とても面白い質問ですよね
これなんか一見してみると
youtubeのショート動画よりも
netflixで何かを決めてみた方がいいっていうような感じにも取れて
それがすごい面白いなと思う
この質問してくれた人は
ショート動画を見ることは時間の浪費だっていう風に言ってるんだけど
ってことはnetflixの方がyoutubeより上位にあるみたいな
感覚ですよね
それがすごい面白いなと思ったのと
tiktokとかこのショート動画
youtubeのショート動画みたいなものって
すごくよく設計されてるんですよね
そこで何十分も人がとどまって
ずっと映像を見続けられるように作ってるってことに
まず私は感心してしまうっていうところがあって
さっきジェスチャーは作品ですかっていう質問にもつながっていくんですけど
ショート動画が流行るっていうことによって
ダンスっていうべきなのかな
それとも見ぶりっていうべきなのかな
ジェスチャーなのかなみたいな
曖昧な基準にある動画が大量に出てきたっていうことが
私としてはすごく面白いなって
バズの指標とインターネットの影響
面白いと思うんだ
思うんですよね
画面の画角がもう結構決まってるので
どこを見せたいのかっていうことが
すんごいはっきり分かる
意図がある動画が出たりとか
今のパフォーミングアーツにやっぱり
それってすごく大きい影響を与えてるだろうなっていう風に思うので
短い動画を見続けてしまうっていうことが
罪悪感っていうものを持ちだと思うんですけど
それだけじゃなくきっと
面白い部分も逆にあるんだろうなっていう風に
ワクワクした気持ちになる部分もあるんですよね
あっこさんがそれこそプロデューサーとして担当された企画
Welcome! Dance Crewっていうやつがあったと思うんですけど
あれさ本当にあれも縦長のいわゆるショート動画とか
TikTokで扱われる
本当にストリートの子たちのダンスだとか
ポップカルチャーみたいなところを起点にして
あのプロジェクトが始まった
ダンスってなんだろうとか
ダンスの表現とか撮り方みたいなところも含めて
捉えたみたいな企画があったのをちょっと思い出してみた
それ聞くと
これちょっと間違ってるかもしれないけど
ショート動画とかTikTokみたいな短い動画で
何が起こってるかを伝えるって
身体言語に近いものなのかなって思って
Netflixとか映画作品とか長編になるみたいなものは
いわゆる表現だとか問いとか
もやもやを持って帰らせるみたいな
そういう違いがあるのかなとか思ったりしたんだけど
どう?
Welcome! Dance Crew確かにおっしゃるようにですね
今お話ししてきたみたいな
このショート動画の中の身体表現って
どういうものが出てきてるんだろうってことを
リサーチするために
その若い世代の人たちに
Welcome!に来てもらって
踊りとかも動きを撮ってもらう
っていうための授業だったんですよね
思い出させてくれてありがとうございます
まさにおっしゃる通りだと思うんですけど
確かに何かを伝えるっていうためにやるっていう意味では
作品なのかそうじゃないのかっていうことも
両方同じ目的を持っているってさっき話も出たんですけど
やっぱりTikTokの映像を見てて思うのは
何かのトレンド
バズを作るっていうことを
すごく大きい目的にしてると思うんですよね
みんながそれをコピーしたりとか
もしくは変化させて
転用させていくっていうような
ミームを作っていくっていうのかな
そういうことを目的にしているっていうことが
やっぱり面白いなと思う一方で
インターネットそのもの
インターネットに乗ってくる
そういう情報っていうものが
どっちかっていうと
バズだったり
影響力を指標になってしまっているっていうのは
それだけじゃないもの
っていうものじゃどうやって
拾っていくべきなのかなっていうのは
今の仕事としても思いますね
バズるとかインフルエンサーとか
TikTokで影響力のある人
TikTokerとか
YouTuberもそうかもしれないんだけど
ネットフリクサーみたいな人はいないじゃないですか
影響力があってバズらせたり
真似がしやすいとか
どれくらい模倣されたかとか
コピーされたかみたいなことが
一つの指標だったり
バズの一要素みたいなことなのかもね
とか思ったりした
映像プラットフォームの魅力
あんまり罪悪感感じなくていいよ
っていうアドバイスはすごくいいなと思って
これがパフォーミングアーツプロデューサーから
出てくるの
もちろんそれはすごく面白い現象で
あるっていうことと同時に
しかしやっぱり最初の話に戻るんですけど
そこに人の意識を留めておくっていうか
だらだらと動画を見続けるように設計されているものなので
このご質問すごく面白かったのは
ネットフリクサーがちょっと上位っていうか
そこでシリーズの作品を見れるにはどうしたらいいでしょうか
っていう質問にちょっと思えたんですよね
私もすごいサブスク系の映像プラットフォームで
映像を見ちゃうんですけど
なんで私これすごい見ちゃうのかなって
ちょっと考えてたんですけど今
誰かと話したいがために
私見てる気がするんですよね
話すっていうのが直接会った人に
このドラマ面白かったよって
なんかこう進めるっていうだけじゃなくて
SNSでやり取りするような
ことも含んでくると思うんですけど
ここがどうなんだろうとか
ここに何があったんだろうとか
映像メディアの影響
この展開ここだったらもっと面白かったのに
みたいなことを言ったり書いたりしたいために
見ちゃうのかなっていう
途中で面白くなくなっても最後まで
ちょっと倍速でも見て済まないっていう
悪い癖が私あるんですけど
なんかやっぱりSNSの中で
作品履修しましたっていう言い方してる人たち
いっぱいいると思うんですけど
それは私に対してはネタバレも含んで
話しかけていただいて
結構ですっていうことも含んでると思うんですよね
なのでなんかこう
その作品とかドラマみたいな映画を起点に
誰か人とつながりたいっていう気持ちが
すごく大きいのかなというふうに思っていて
さっきのTikTokの名称もそうなんですけど
このサブスク系の大バズり大会みたいなのも
そういう目線で見るとすごく面白いなって
いうふうに思いますね
なるほどね
いやなんかすごい
あこさんのことちょっと好きになってきたんですけど
ありがとうもっと好きになってきた
なんかほら
パフォーミングアーツプロデューサーだから
みたいな感じで
それこそたくさん履修するために
NetflixとかTikTokとかを
リサーチしたんだと思ってたのよ
でもそうじゃなくて
その作品見ちゃったら
誰かと話したいって思っちゃうから
見てるのかも
話したいがために見てるのかもしれないとか
っていう話は私初めて聞いた
あとですねちょっとこのご質問で
すごい面白くて考えたことが
多分Netflixにしろショート動画にしろ
要は動画を見る時間すごく長くなってるってことなんですよね
Netflixとかそういうものが登場する前に
その時間に何をしてたかって思い出せます?
何してたっけ
ツタヤ行ってた
ツタヤ行ってDVD撮りまかりて
とかスカパー見たりとか
あと何してたかな
あこさん何してたか思い出せます?
思い出せないんですよね
時間がね
いわゆる無意な時間じゃないですか
それって何をしてたのかが
もう思い出せないぐらい
もう映像メディアに侵食されてるなって
すごい思って
でも人間の時間って24時間しかないし
あと感覚器が作動できる限界っていうのも
別にサブスク系が出てきたからって
でっかくなったわけじゃないんですよね
そこがすごいなと思ってて
要は何が言いたいかっていうと
多分この方もそうだと思うんですが
ショート動画を見てても
そこに集中を100%してるわけじゃ
多分ないと思うんですよ
それだと終わらないんで日常が
これ言っていいのかな
でも私動画見ながら
結構企画のこと考えてたりとか
他のこと考えてるんですよね
っていうように
多くの人が今後
すでに二重のことを
もうし始めてんじゃないかなっていう風に
ちょっとご質問で
面白いなと思ったところがありましたね
なんかね
それは私も話聞いて思ったし
同僚のね
このぐるぐるラジオの
MCというか
やっているこんのややまおかも
多分同じような気持ちだと思う
なんか長い動画
例えばYouTubeのさ
ゲーム実況だとか
そういうのを見ても
全集中で見るわけじゃなくて
何かしながらとか
やばいなと思ったのは
違うゲームをしながら
他のゲーム実況をラジオで聞く
みたいなことしてたんだって
だから流れでやるとか
本当に風景の一部だとか
終演みたいなところに
動画とか映像みたいなこととか
そこで体誰かが動かして
ダンスしてるみたいなのが
当たり前になりつつあるのかな
お聞きいただきました
第2問でしたね
この質問もちょっと繰り返してもらっても
よかったりしますか
読みます
お願いします
ゆっくり読みます
最近
Netflixのアプリを開くものの
ホーム画面で何を見ようか迷って
結局何も見ず
YouTubeの適当なショート動画を見てしまい
時間を浪費することが多いです
何か一つのものを集中して
見るということが
できづらくなってしまっている
という自覚があるのですが
何か対処法はありますか
という質問でした
集中力の欠如
分かるなっていう気持ち
まず分かるなっていうのがあり
私ここに話しそうなことっていうのを
メモしてるんですけど
そこに改めて考えると
テレビ、スマホ、パソコンみたいな
デバイスに囲まれてたりとか
Netflix、ユーネクストみたいな
映像配信サービスもたくさんあって
私たちって信じられないほど
映像メディアとかに囲まれてるよね
ってメモが書いてあるんですけど
改めてこのインタビューを聞きながら
このメモを読んで面白いなと思ったのが
囲まれてるって書いてるんですよ
囲まれてるか
まさにこのインタビューの音源の中で
原ちゃんとかが最後に言っていたように
周辺の
見る対象とか
体験
一つ本を開くみたいなこととかでは
ちょっとなくて
自分を取り巻く環境として
映像とかメディアみたいなものが
存在しているっていうことを
表す言葉として
囲まれてるっていう
メモ書きしてたんだなと思って
それにもびっくりしたり
満通で向き合うっていうか
周りでBGMみたいに
近いのかな
まさにこの
さっき原ちゃんが言及してくれた
ゲーム実況を聞きながら
見ながらというより
ゲーム実況に囲まれながらゲームをする
私たち二人のことですね
デスストランディングと囲まれ感
私たち二人のことで
リハーサルというか打ち合わせしてるときも
まさにデスストランディング
デスストランディングというゲームが
あるんですけれども
プレイステーションの
物をいっぱい運ぶゲームですよね
そうですね
黒猫大和的なお仕事をする
そうだね
ウーバーイーツ的な
ゲームなんですけれども
これすごくラジオを聞くのに
はかどるゲームだったよね
っていう話をしていて
どっちもすごい楽しめるみたいな
まさにそれをやってるし
やってるがゆえに
何かこう
何かを失ってるんじゃないかっていう
最初の問いみたいなものに
すごく共感もするし
ゆえに竹下さん
あっこさんが
さっきのような
何かそれが悪いことではなく
何かそこから新しいことを
学び取っているのかもしれない
っていう話には
ほっとしつつ
そうね
あそこで秋子さんが
いやいやお前ら全然ダメだって
集中せな
みたいなこと言われたら
向き合えよみたいな
やばいって思っちゃってたかもしれないけど
ごめんなさいみたいな
そういう風に囲まれている
っていう風に思う状況だったりとか
二重で何かしながら
それを受け入れるっていう環境も
これまでには実はなかった
新しい見方とか
受け入れ方なんじゃないか
っていう見方は
確かにそうだなと思って
それをリサーチするためのプロジェクト
YCAMダンスクリューという
プロジェクトだったりするんですけど
お取り組んだ事例とか
そんな話をしていただいたのかなと
思っています
そうね
いやなんか寂しく増えても
人間変わらないって
マジでそうだなと思ってさ
ね
もしかしたら
微細な進歩とか
受容が変わった
例えばなんか
私の両親とか
私がゲームをやっていて
その字幕を読む速度に
びっくりしたりするから
なんだろう
少しずつ変わっているのかもしれない
とは思うんだけど
そうなのかもね
とはいえ
あっこさんが言うように
ガツンともう
容量倍になりましたみたいなことでは
全然ないと思うから
目が6個になっちゃった
そうそうそう
ってことではないから
いやそうだよな
っていうか何してたっけ昔みたいに
すごい聞きながら思ったし
何してた?
多分ね
なんだろう
なんか
忙しくなかったのか?
って思うと
なんかそうでもないような気も
していて
なんかそれが怖いんだよね
暇だったなーって思ったら
なんか暇が埋まったとしか
捉えられないんだけど
暇って思っていた記憶がないとなると
なんだっけみたいなのがすごい
なんだっけ
記憶失ってしまったのかな
記憶を失うというのも面白いし
なんだろう
それもなんか環境っぽくない?
環境っぽい
周りに何があったんだっけ
そうそうそう
そうだな
待って頑張って思い出す
1個思い出したのが
MDとか
すごい使ってた
でそれは
最近さ
音楽や
それこそ映画とかも
じっくり向き合って
鑑賞するという機会が
音楽もなくなってきましたみたいな
ことを話すことあるけど
よくよく考えたら昔も別に
そんななんか
家でさ
ソファー1人座って
スピーカーの目の前で
座って座って
暖炉の前とかでさ
1対1でね
1対1でしっかり聞くってことは
別にしてなかったなと思って
でもただ
MDを聴きながら
同じアルバムを何度も何度も
聴き返すとかは
昔やってたかもしれないって思った
してた
なんか音楽を何回も
聴いて好きになるっていう
プロセスの記憶は昔にある
最初そうでもなかった
アルバムのアルバム曲を
サブ曲みたいなやつね
そうそうだんだん
好きになっていく過程を
自覚するみたいな体験
の記憶はあるな
面白いな
聴いていくうちにさ
子供が最初わさび苦手だったけど
あれ美味しくないみたいな
美味しくないみたいなね
だんだん慣れていくことで
良さが分かってくるとか
そういうのもしかしたらあったのかもしれない
もし皆さんもね
こういう映像とか
メディアに囲まれた時代以前に
どんなことを今
ネットフリックスしてる時代に
どんなことをしてたか
思い出せたらそれも教えてもらえたりすると
嬉しいな
思ったりしております
これもね
今回に限らず
今まで
いろんな方にインタビューしてきたんですけど
大体私たち
インタビュー音源が1つ10分弱
それに対して
交互時間3分から5分みたいな感じで
やってるんですが
1個1個1時間コースなんですよ
本当ですね
それこそ本当ソファー座ってさ
質問に対してさ
結論がない形でさ
いろんな可能性を話し合ったり
できちゃうわけなんで
そういうことを直接話し合いはしないものの
ラジオで皆さんと
それこそ応答が必ず
発言ではないみたいな話さっきやったけど
そのためにラジオで
シェアしてるっていう部分もあったりするのかなと
改めて自分がやってることの
意味なんかも考えたりしたんですが
じゃあ最後の
3問目いきましょうか
次はですね
YCAMって
2020年から
主に2020年から
っていう言い方になるんですけど
オンラインイベントたくさん取り組んでるんですね
コロナのこともあるので
多分他のところでもいろんなところでも
すごくオンラインイベント増えたと思うんですけれども
そういったものにまつわる
メールをいただいてそちらに
ぐるぐる返答しております
それでは聞いていただきましょうか
聞きましょう
それではどうぞ
これ次最後の質問になるかな
ラジオネームポンポンママさんからの質問です
オンライン配信の今後について
コロナの流行によって
イベントのオンライン配信が
一時増えたのに
最近はまた実地での開催が増え
配信が少なくなってきているように感じます
地方に住んでいる身としては
遠方のイベントを見ることは
とてもありがたく恩恵を得ていました
今後コロナの流行が
収まったとき
オンライン配信はなくなると思いますか
実地開催のバックアップとして
オンライン配信があるという構図は
変わらないのでしょうか
これ言えば本当に地方あるあるっていうか
私たちもね
山口に住んでいるので
すっごいリアルに感じるご質問だなっていう風に
思ったんですけど
映像化するっていう
ノウハウがあったので
それをそのまま配信する
っていう形で
配信は一つ大きいテクニックが
必要ですけど
ナチュラルに商業的なものに
関して言えば
配信っていう風になって
いったのかなとは思うんですよ
小規模な舞台とかイベントに関して
どうなっていくのかっていうところは
あるだろうなと思ってて
どのぐらいのニーズがあるか
ということにもよると思うんですけど
ただ
両方の選択肢があるっていうのは
続いていくんじゃないかな
っていう気がしてて
パンデミックのために
やっぱり配信の機会って
増やさざるを得なかった
っていう背景があると思うんですけど
その時にやっぱりいろんな知見が
溜まったっていうところが
不幸中の幸いっていうか
あったかなと思ってて
どういう作品が配信に向いてて
配信でも物理の体験に
近づけるためには
どういうカメラのスイッチングを
したらいいのかっていうノウハウだったり
もしくは全く逆に
物理は無視して
配信の方が楽しめる
ってコンテンツを作るんだって
実もあったと思うし
ただ多分私が面白いなと思うのは
やっぱりイベント向くとか
何かを見に行って
そのコンテンツだけじゃないじゃないですか
楽しみ方が
やっぱり会場に
行くまでもそうだし
終わった後に
怒ったイベントについて
話すとか
一緒にご飯食べに行くとか
そういう別の体験について
全て参加っていうことだと思うので
そういう
前と後の
体験っていうのが何が
大体できるのかな
っていうことを考えたり
別の価値っていうものを
今ないんだからできるっていうことが
何があるんだろうな
っていう風に思ったりする
っていうのと
あとこの相談者様がね
地方にお住まいで
イベントが開催されるのは大都市じゃないですか
そこまで移動しなきゃ
いけなくなるのか
それとも配信でも
引き続き見れるのか
っていうことだと思うんですけど
移動っていうことが今後どうなっていくのか
アーティストの移動と作品配信
っていうことも
このご質問から考えたところで
今ですね
アンラーニングランゲージっていう新作のパフォーマンスの
作品を公開してるんですけど
アンラーニングランゲージを
創作した
アーティストの一人がカイル・マクドナルドさん
っていうんですが
カイルさんはこの数年
環境問題にすごい関心を寄せてるんですよね
ワイカムにいるときに
一緒に雑談しているときに
私たちの次の世代
っていうのが
今みたいに自由に世界中を飛び回る
ってことができなくなるんじゃないか
っていう話をした
それは
二酸化炭素の排出
しまくってる人類
地球が耐えられなくなるよね
っていう話をしてて
この考え方みたいなのが
結構欧米のアーティストに
浸透してきてる気が
私はしていて
数年前にお仕事したアーティストが
二酸化炭素を
なるべく排出しない
移動手段で移動したいです
って言ってきたことがあって
そうなってきたかと思ったときが
あったんですけど
アーティストが現地に移動しなくても
上映可能な作品とか
作品のもともとの形が
観客がデジタルで
参加するとか
デジタル空間で見るものっていう
作品がそういう意味でも
増えていくんじゃないかな
って私は
思ってる
オンラインと現地参加の体験価値
なるほどね
コロナ禍になって
便利になったって
特に地方山口に住んでる
私たちって思うようになった
っていうのは確かなんだけど
同時に都市と地方との格差を
すごい見せつけられた数年だった
っていうのも同時にあって
つまりもともとあったと思うのよ
東京に
いいイベントあるんだけど
高くて行けないわみたいなのって
これまでもあったんだけど
それがオンラインになったとしてより
はっきりとまざまざと見せつけられるっていうか
そういうのがすごく色濃くなった
この数年って感じが
どうしてもしてて
アクセシビリティの話みたいなのと
すごい近い気がしたのね
車椅子の方が来れないような場所にある
みたいなのと別にそんなに
状況変わらないんじゃないかっていうか
行きたくても行けないみたいなのが
すごいオンラインが
こんなに浸透して初めてわかった
っていうか身に染みたみたいな感じが
して
かつそのより高画質にとか
カメラの位置とか
配信のプラットフォームとかを
整えて綺麗に見せる
その上映の本番自体とか
イベント自体を
でもそれ以外の体験もあるよね
っていう話はすごい面白くて
確かにYCAMでオンラインの
イベントを確かにやったりするけど
でもYCAMに来ないと
あのチラシ置き場からチラシを取る
ってこととか
図書館に立ち寄るとかができないんだな
とかなんか福寿的な
体験というかでもすごく
大事な思い出になるもの
身体的体験とオンライン体験の違い
みたいなのをどこまで再現できるんだろう
みたいな風にこれから
行くのかもしれないなと思った
あとはその本当に
移動そのものとか
何かを制作したり集まるとか
現地に行くことの
コストみたいなことと
それが環境とか社会とか
世界に与える影響みたいなことまで
もう考えざるを得なくなってきてる
そういう風に考える人が増えてきた
っていう話も3点くらい
面白い話を聞けたな
って思った
確かにアクセシビリティっていう話で言えば
じゃあ遠くに住んでる人は絶対
新幹線や飛行機でその場所に
行かなきゃいけないのかっていうのは
ある問題ですよね
でもその上でもやっぱり
物理的な体験っていうものの
良さとか複雑性みたいなのは
すでにまだあるっていうところかな
それを今日あっこさんに聞けた
っていうかこうやって話してもらえてるのが
すごいいいなと思ってて
それなんでかっていうと
まさに身体みたいなことだと思ったの
実地に行くとか
目の前に本体がいるとか
そういうのを体験するのと
オンライン上で
それを受け取るみたいなのの
いわゆるその
生身みたいなって言っていいのかな
なんかその違いとかあっこさんって
どう思ったりしてる?
やっぱりそこに身体があるっていうことを
すごく重要視してきたジャンルだと思うんですね
パフォーマンガーズって
身体の存在感だったり
まさに
舞台上にいる
見る対象は
自分と同じ身体を持っているっていうことで
リンクできるところがある
っていう
ジャンルだと思うので
具体的にはそこの身体の存在性みたいなものは
大きいと思うんですよ
ただ今言ったみたいに
自分と同じ身体っていう
メディアを共有している相手が
何かしているものを見るっていうことは
もしかしたら遠隔でも
そういうことが
できるんじゃないかなっていうのは
思いますね
リアリティってなんだろう
ライブネスですよね
ライブ性とは何なのかっていうことを
すごい考える寸面だったんじゃないかな
なんかさあっこさんって
いわゆるイベントのトークの
関連トークとか
ご挨拶するときには壇上に立ったりとか
するけど基本的に
来館者の人とかさ
コミュニケーション取る機会っていうのは
私たちエデュケーターよりは少ないと思っているので
だからこんなこと聞きたい
質問はどこよりもたくさん出てくる
はずの身体表現の話を
こういうふうに今ラジオにこうやって
一緒に出て考えれた
それを聞いてくれる人が
ラジオでいるっていうのが
すごい良さそうな
良いなって思いました
ずっと良いな良いなって
良いな野郎になってるんだけど
今回すごい面白い
ご質問だったので
照らわずぜひ
こんなことが気になったってことがあれば
ぜひ教えてほしいなと思いますね
こちらもいっぱい聞きたいし
こちらもいっぱい訪ねていきたいって感じだね
ありがとうございました
パフォーミングアーツ担当
ありがとうございました
バイバイ
ありがとうね
コロナ禍におけるオンラインイベントの将来性
軽やかな
終わり方してましたけど
ちょっとこれも質問を思い出したい
はい
3問目の質問
コロナの流行によって
イベントのオンライン配信が
一時増えたのに
最近はまた実地での開催が増え
配信が少なくなってきているように感じます
地方に住んでいる身としては
遠方のイベントを見ることは
とてもありがたく恩恵を得ていました
そうだな
今後コロナの流行が収まったとき
オンライン配信はなくなると思いますか
実地開催のバックアップとして
オンライン配信があるという構図は
変わらないのでしょうか
オンライン配信というのは
今コロナだから
本当に身代わりじゃない
だからリプレイスメントとか
代替品として
オンラインがあったのかもしれなくて
それを代替する必要がなくなったら
オンラインイベントって
なくなっていくのかな
ということだったと思うし
それに対する
2人のぐるぐる返答は
とはいえ
もう少し違うモチベーション
例えば
移動みたいなことにかかる
いろんな燃料的な環境的な
コストだったりというのもあるし
あるから
コロナという理由だけで
オンラインイベントがなくなるということは
悪いかもしれない
もしかしたらもっと
悪いかもしれないし
進んだ先にも
リアリティとライブネス
ってキーワード的に出てきてたけど
進んだ先に
そこでのリアリティとか
そこでのライブネスを
追求することができるんじゃないか
っていう感じだったよね
そうだね
今後のイベントに対する考え方
ライブネスとリアリティか
配信でさ
画面がさ
すっごい綺麗な画面だな
って思う時もあるけど
でもそこに
あんまり話つまんないなって
思ったり
これあんま長く周知力持ってみれないなとか
思う時もあるな
そうだね
思い出したり
でも昔
それこそニコ生とかで
画質はめちゃくちゃガビガビなのに
なんかすごい頑張れって
思う時とかあったなとか
そうだね
リアリティみたいなものって
もしかしたら解像度とか
単純に技術的なものと
直接結びつくか
って言われると
必ずしもそうとも限らないかもな
って思いながら話を聞いてました
例えばもう少しシンプルに
普通に
イベントと置き換えた時に
でっかい
ライブ感覚を楽しむ
イベント会場でさ
東京ドームとか
ディスプレイに
アーティストが
カメラで映された
すごくでっかい映像が映ってるじゃん
でもなぜか
その下にある
豆粒みたいな本物が見たい
うん
全然見えないし
全然ギリ動いてるのが
わかるぐらいで
それを補足するために映像を見るんだけど
この豆粒みたいな
ちっちゃいアーティストが見れたことに
こそライブネスを
感じていたりとか
そういうことも思い出したね
オンラインっていうのを飛び越えて
うん
そうね
ちなみにそういうライブ行ったことある?
パフュームのライブとか
結構前の頃に
行った時に
なんだろうね、ほんとちっちゃい
ほんとちっちゃいんだけど
すごい見れてよかったな
とか思ったしとか
自分コピして周囲で踊りまくるお客さん
とかに
囲まれている状況とか
にすごい
ライブだみたいな気持ちになったりとか
それこそ福祉的なもの
だけど
ライブっていうのを作り上げるのには
周りで踊ってる人とか
暑いとか
そうそう
でもそれって予測していくわけじゃないんだよね
ライブ感楽しもう
っていった時に
自分が想像してるわけでもなくて
受け取る側としても
ライブを見よう
アーティストを見ようと思っていくんだけど
結果的にそういうことが
体験の質
みたいなものに
すごく寄与してるなとは思う
面白い
なんかこれの打ち合わせをしてる時にさ
うん
お互いにゲームが好きじゃない結構
で結構新しいゲームの中でも
インディーズゲームって
大手な会社から出てるもの以外とかだと
そもそも
今この時代でも
ドット絵のゲームとかが流行っていたりとか
あるね
それこそ今お互いポケモン
始めました
ポケモンやっててスカーレットバイオレット
やってるけどお互い最初の
ポケモンだから赤とか緑
とかの記憶もあって
なんかその頃はその頃なりの
それこそリアリティを感じてたね
めちゃくちゃ感じてた
そう
切実なものとして捉えてたからさ
自分なんかさ
ポケモンの緑やって
その後今スカーレットやってるの
やばいね
でもなんか
今のポケモンすごく
よくできてるなとも
ポケモンの悪口みたいな感じ
ゲーム全般だよね
そうそう
確かに昔の方が
音は低かったかもしれない
ポリゴンがカクカクしてたけど
でもあの時すごく
めちゃくちゃ
ハマりまくった
そうそう
本当にだってさ
ゲームやってないときにさ
あれみたいな冷静に考えたら
あれこの社会ポケモンいなくなって
気づいた
すごいわかるんだよね
ゲームのリアリティ
世代的なものも
もちろんあると思うんだけど
ちょっとさっきのデスストランディング
全然違う
ウーバーとかヤマトさんとか
みたいなお仕事をするゲームってご説明したんですけど
さっき
すごい
それこそ今のゲームで
プレイステーションでやるゲームで
すごくグラフィックが綺麗で
水とか人の肌の感じとか
含めてすごい高精細なんだけど
それに
リアリティを感じているのも
いると思うんだけど
そのゲームにリアリティ感じるな
って思った部分が
荷物を持つと
いっぱい荷物を持つと
よろける
重いとか
場合によっては転ぶし
転ぶと荷物が壊れる
だからすごく
ゆっくりになっちゃう動きとか
積み方さえ工夫すれば
同じ重さでもうまく運べたりする
みたいなところにこそ
リアリティとか
リアリティですみたいなものを感じていて
だからこれ描画が
ドットでも
同じ表現が
なされていたら
割と同じくらい
リアリティを感じていたかもな
と思ったりする
そうかもね
面白いな
どこの解像度を上げるか
デスストランディングだったら
もしかしたらその重さであったり
体に対して
コントロールする体に対しての
リアリティを高めたかもしれないし
ゲームによっては
体っていうよりかは
関係性だったりとか
キャラクターの心の
持ちようの解像度を上げていく
ただ描画としては
ちょっとポリゴンっぽいと
感覚しているみたいなものも
あったりするんだろうなと思って
いずれにしても何かしらのリアリティを
こちらが受け取ってしまうっていうのは
表現に対する受け止め方
なんだろうね
一番最初の話にも戻ってくるかもしれないけど
投げかけられた表現に対して
自分が何を思ったりとか
どれくらい
受け止めるか
そういうところと
一瞬繋がったなっていう風な気が
グルリと繋がった感覚が
あるし
通定するものは何か
同じものが流れてるなってすごく
思いました
ちなみにポケモン何選んだ?
ポケモンは
バイオレットですね
バイオレット
バイオレット
俺がスカーレットか
もう少し
重みを重心傾けて
体験していこう
また体験した結果とか
最近こんなゲームやってよとかも
教えてもらったりとかね
どこに学びというか
どこに気づきが転がってるか分かんないなっていうのを
すごく感じます
野に咲く花からさ
全力で受け取りたいよね
そうだね
YCAMグルグルラジオ募集
全力で受け取るのも
全部が全部受け取るのは難しいから
そこは難しいところですね
今年もグルグルしそうですね
そうですね
何か上手いことを言おうとして
全然上手いことは出てこなかったんですけど
でもそれがこのラジオらしいと
言えるかなと思ったりしております
YCAMグルグルラジオでは
引き続き
今年も皆様の
アート・テクノロジー・暮らしにまつわる
お悩み・質問を募集しております
アーティスト・リサーチャー
山口の人や
YCAMスタッフと一緒に
日々気になるなということだったり
日々考えていることを
一緒に考えてみるのっていかがでしょう
というこれはお誘いですね
ぜひよろしくお願いいたします
メールアドレスは
information at ycam.jp
こちらのメールの件名を
YCAMグルグルラジオと
していただければなと思っております
引き続き
今年もたくさんのメール
お待ちしております
さて第7回の
ラジオ放送の色々
YCAMグルグルラジオ
すでに1時間を越しているところでして
本当だ
いかがだったでしょうか
もしかしたら編集の手が加えて
そうですね
確かじゃないかもしれないんだが
現場では1時間がたとうとしているという感じだね
どうだった
今日でもすごく
最後に言った
全てがつながっちゃう感覚って
遊び
普通は
遊びであったとか
今までヨカでやっていたと思っていた
ゲームのことがお仕事と
つながったりとか
野に咲く花みたいなこととか
それってすごく
このラジオをやり始めた頃と
オーバーラップしてて
そういう気持ちになってきたなっていうのが
もうちょっと教えてよ
すごくいろんなことが
つながるなっていう感覚
この時に感じていたこういう違和感は
こっちの違和感と
共通していると
必ずしも何かが答えになっているわけではないんだけど
共通する
もやもやみたいなものを
仕事の中にも
暮らしの中にも
見えるなみたいなことっていうのは
このラジオだけが
理由じゃないと思うんだけど
ラジオを通じてどんどん
いろんなつながり方をするようになってきて
たまに
体調が悪い時は疲れる
けど体調がいい時は
やっぱり面白いなと思う
すごくそれ自体が
このラジオのタイトルも
ぐるぐるラジオじゃん
一直線ラジオだったらさ
質問に対して
あなたは考えすぎです
もう寝てください
それが効果的なことも
あるかもしれないけど
ぐるぐるすることで
初めてそこにつながりを
見つけられたりとか
まさに仕事と
生活の接点とか
ラジオ放送の終了
僕らは芸術とかに
携わる教育の
仕事をしているけどもしかしたら
ぐるぐるしている過程でこれ聞いてくれている人が
どんな仕事をしているかとか
どんな生活をしているかは分からないけどもしかしたら
そこにつながるところも見つかるといいな
という風に話し切って思った
だからぐるぐるの線もすごく綺麗な線を
想像しているというよりは
曲がりくねり
そしてまた最初の問いに戻り
みたいな緩やかな線
ぐるぐるの感じで
今年もそういう線を
皆さんと一緒に
描いていけたらなと思ったりして
おります
本日のラジオは
ポッドキャストでも
順次公開予定です
既に第0回から第6回も
公開しておりますので
ぜひアクセスして聞いてみて
いただけると嬉しいです
今こちら
YCAM館内にいらっしゃる方は
YCAMインフォメーションスペースの
ディスプレイに映されている
QRコードでも
アクセスしていただけますし
写真撮ったらね
スポーティファイでも
聞いていただけますし
ウェブブラウザでYCAM
ぐるぐるラジオって検索してみていただければ
聞けるところまで
たどり着けるかなと思っております
それではここまで
聞いてくださった皆様本当にありがとうございました
ありがとうございました
今年もよろしくお願いいたします
なんか具体的にはさ
とりあえず
本当に
何でも大丈夫って
言われると緊張するか
YCAM最初の方にもあったけど
アートに関わるお仕事の人もいれば
いろんな広報とか
インターネットについて
詳しい人もいれば
音について詳しい人もいろんなスタッフがいます
だから
日常でふと
気になったことでも大丈夫だし
なんか
技術って何?みたいな
ことかもしれないし
音に関わることかもしれないし
何か
質問してもらえたら
僕らも頑張って
音をしたいと思うので
具体的にはとりあえず質問
どちどち送ってもらえると
嬉しいです
それではまた
次回のラジオで
お会いしましょう
ありがとうございました