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Mika Ueno
XCrossing、英語でスクランブル交差点を意味します。
趣味も世代も、住んできた町も違う3人が、スクランブル交差点で出会うように、様々な話題を聞かせるおしゃべりの交差点です。
今日のXCrossingであなたが出会うのは、どんな話題でしょう?
Nobuhiro Seki
おはようございます。ニューヨークからお届けしております関信浩です。
普段はスタートアップの投資などなどをしております。
Mika Ueno
こんにちは、上野美香です。マーケティングとプロダクトマネジメントのご支援をしています。
Mika Ueno
今日は及川さん、お休みの回です。
Mika Ueno
最初に言っておきますとですね、また何回も前に話しましたけど、ハリーポッターの舞台が素晴らしいっていう話をね、じゃんじゃんしましたけど、また見に行ったんですよ。3回目。
Nobuhiro Seki
3回目。
Mika Ueno
今回はオリジナルキャストというか、藤原竜也さんがハリーポッターをやっている回を撮れたので、それを見に行きました。取れたというか、取ったんですけど。
Nobuhiro Seki
やっぱり取りづらいんですよね。
Mika Ueno
出演する時期が1ヶ月ちょっとしかなくて、もともと開始した時からやられてますけど、1回降板終了して、他の役者さんに代わってたんですけど、また藤原さんが出られるっていうことを聞いたんで。
見に行った時は発売日をとっくに超えてたから、ないかなと思ったら、本当にないんですよ。全然ないんだけど、ここだけあるみたいな感じで取って見に行きました。
3回目とかにもなると、見えてくるポイントっていうのがいっぱい出てきて、1,2回目とかだと全体の把握とかに意識持っていかれちゃいますけど、
こここんな表現したんだとか、こういうことだったんだみたいなのが見れてすごい面白かった。
あと藤原竜也さんがやってるハリーポッターの表現というのもあって、それが面白かったですね。全然やっぱり役者さんによって違いますね。
Nobuhiro Seki
3回目って3回とも違うキャスト、主演キャスト?
Mika Ueno
そう。最初は向井理さんで、2回目が石丸幹二さんで、3回目は藤原竜也さんでしたね。
やっぱりパパになったハリーポッターの話なんで、映画の最後から19年後っていう設定だから。
そのパパ感とか、息子に対しての表現とかが、やっぱりそれぞれの役者さんと全然違いますね。
今回はね、舞台としても、前に話したときにテクノロジーとかの使い方が素晴らしいという話をしたんですけど、
テクノロジーのみならず、人間の役者さんが体で表現することとか、舞台装置の使い方とか、
とにかくありとあらゆる表現を使って作られている舞台なんで、本当にすごいなと思うんですね。
イギリスのクリエイティブチームすごいなと思うんですけど。
その中でも、ちゃんと笑いが入ってくるんですよ。人を笑わせるみたいな。
Mika Ueno
ちょっと間抜けなロンとかも元々面白いんですけど、ドラコっていうキャラクターとかも、
ハリーと同じ世代の親として出てくるんですけど、その人もすごくシリアスなんだけど、
シリアスなんだけど、途中でトーンと面白おかしいことを挟み込んでくんですよね。
その間の取り方っていうのが、すごい上手くて。
やっぱりキャラクターによっては、全然笑わせるようなキャラクターじゃないんだけど、
そういうシリアスなものとか真面目な演技をしている中で、人を笑わせるってすごいコツだと思うんですよ。
笑わせるって間の取り方とか、あと緩急の付け方によって、
あれこれ笑うとこだった?みたいなところになったりしがちなんですけど、
それが本当に上手くて、すごい技量だなと思いました。ちゃんと面白いし。
芸人さんとかもそうじゃないですか、ちゃんと笑わせるっていうのを実践できるのは、
それをきちんと身体表現と言葉でできるっていうのはすごいなと思いますね。
Nobuhiro Seki
その中でやっぱり、舞台だとシチュエーションとか、間の取り方とか、
そういうので笑わせたりとか、感動したりとかっていう、そういうのをやっていくと思うんですけど、
そういうところに、テクノロジーとかってどんなふうに関わるんですか?
僕は見に行ったことないんで、逆に聞きたいんですけど。
Mika Ueno
その世界観を表す、自分を取り囲む劇場の中にいるんですけど、
360度囲む自分がいる環境を魔法の世界って感じさせるものでのシチュエーションを表現するものとして、
技術が使われる場合、これが一つと、魔法の世界じゃないですか、あれって。
例えば、杖からビュンって出るでしょ、ビームというか炎というか、
ああいうような仕掛け、魔法を現実をもとして見せるっていうやり方と、
あとは、これ予告動画とか出てるから言っちゃうんですけど、
物が浮いてるように見えるとかね、物が浮いてるように見えるとか浮いてるんですよ、浮いてるとか。
それからホウキも浮くじゃないですか、あれって、魔法のホウキだから。
ああいうようなものが本当に目の前で展開されるんですね。
実際ビジュアルの環境的なものを、自分がそこにいるんだっていうふうに思わせる表現の仕方と、
物理的な世界で魔法が実際に存在してるっていう見せ方と、いろんなところでありますよ。
デジタル的な技術もあるし、ロボットっていうかそういうものもあるだろうし、めちゃくちゃいっぱいありますね。
Nobuhiro Seki
そういう意味で言うと、舞台と観客がすごい離れてるわけじゃなくて、
観客がいる場所っていうのも、舞台設定の一部みたいな感じになってるっていう、そういう進みがあるんですね。
Mika Ueno
そうですね。その表現が、魔法がこの現実世界で本当に見える、この世界に本当にいるっていう感じさせるもので、
かつそれが美しいので、表現として圧倒的に美しいんですよ。
それがまた異世界観と、それが本物、目の前に本当にあるんだと思わせるものにも一役買ってますね。本当に美しい。
Nobuhiro Seki
こういうのあんまりハリーポッターもニューヨークでやってるから、また暇を見つけて見に行ってみよう。
この前に言ったSleep No Moreは、言葉がないんで人を連れて行きやすいんですよ。
日本人の人とかでも、舞台でセリフがあってストーリーがあるケースだと、やっぱり分かんないとっていうのがあるじゃないですか。言葉が分かんないと。
そういう意味で言うと、言葉なしでやっていくっていうのは、ある意味、今聞いてて笑わせるとか言葉なくてシチュエーションで笑わせるっていうのは、もちろんできなくないと思うんですけど、
ある程度、お客さんがそこにいるからできるみたいなところもあって、この前イマーシブシアター行った時に、実はずっと振り返したら、笑わせるシーンが自分の舞台の中に一個もなかったんですよね。
Nobuhiro Seki
ある意味、笑わせるって結構、ありきたりっていうか普通に行われる手法じゃないですか。
ちょっとそこで肩の荷が下りるっていうか、緊張シーンだけだと疲れちゃうんじゃないですか。
でもSleep No Moreなんかだと、笑わせるシーンがないんですよ。ひたすらやっぱりスリリングな感じになってて、やっぱり場所も暗いし。
いろんなところに行って、多少部屋の場所によって部屋の雰囲気が違うっていうのはあって、それでもちろんできるんですけど、どっから見てるかわからないとかっていう中で、やっぱりいろんな感情を伝えるのは結構難しいんだろうなとは思いますね。
言葉も使えない。で、見てる場所もいろんなとこから見てる。距離も近かったり遠かったりするわけじゃないですか。
その中で何だか自分の解釈みたいなやつはね、自分の解釈に基づいて自分がいる場所を決めたりするところがあるんですけど、やっぱりその中で、
舞台にいる役者と観客っていう関係性の中で笑いとかって作ったりするときに、境目が近くなっていくとそういうのが難しいのかなって思ったりしますね。
Mika Ueno
笑いって言葉があると、言葉とか自分が育ってきた文化的な背景、コンテキストによって笑わせるのってすごく多いと思うんですよね。
グローバルな笑いってあんまりないじゃないですか。世界共通でこの人最高に面白いみたいのってないのは、文化に根ざしている言葉とかっていうのはあるんだろうなって。
で、もちろんパントマイムとかチャプリンとかね、ああいう動きだけで笑わせるっていうのはもちろんあると思うんですけど、間の取り方とか言葉とかコンテキストっていうのも大きく作用していると思うから。笑いっていうのは。
あ、そういえばSleep No Moreまた延長して、今9月29日までになってるらしいですよ。
やめるやめる詐欺。
Nobuhiro Seki
もう多分毎月伸ばしてますね、きっとね。
Mika Ueno
そうですね。一気にドーンと2ヶ月くらい伸びたから。
Nobuhiro Seki
だから僕が撮った時は6月いっぱいだった。6月後半までだったんですよ。僕が6月の頭で取った時ね。で、実際に行ってみたらすぐ7月の末までになってて、その2週間後いきなり9月末になってて。
確かに夏になっちゃうと絶対。
Mika Ueno
夏はね、行きやすいからね。
Nobuhiro Seki
絶対もう6月か7月で終わることはありえないだろうなと思って見てたんですけど、あとはその役者を確保するとかね、そういうことだと思うんですよ。
結局役者をあれだけの人数、ずっと四六時中回すために確保しなきゃいけない。
どっかで確保できなくなったら終わるのかもしれないなと思ってますけど、別にニューヨークで役者が確保できなくなることもないだろうから、これ終わりどころないねと思って見てましたね。
Mika Ueno
いや、イマーシブシアターファンとしては、私も関さんももう既にそうですけど、嬉しいことではあるじゃないですか。あれってもう絶対記録の取りようがないし、
例えばあれを、私が好きなダンスカンパニーのDAZZLEみたいに、オンライン配信してそれを記録に残したとしても、全く違うものじゃないですか、それは。
それはその一視点でしかなくて。自分のさまよう体験とかね、それと全く違うから、これこそ残せるもんじゃないなと思うから。
延長していただけるならいただけるんで、全然やってほしいんですよね。
Nobuhiro Seki
たぶん間開けてまた見に行くと全く違う感覚になるでしょうね。
Mika Ueno
そうでしょうね。そう思いますよ。
私も今はドハマリしてるんですけど、ダンスカンパニーのDAZZLEのやつ、何回も行ってるんですけど、
行けば行くほど、謎というかこういうことを描いてたのっていうのをようやく発見できるんですよね。
私もともと映画もそうなんですけど、理解力とか偏差値がすごくガクン下がるんで、元々高くないけど、ストーリーとかいろんなものの理解度が低いんですよ。
Nobuhiro Seki
初見だとね。
Mika Ueno
そうそうそうそう、初見とかでは。
この間行って思ったんですけど、いろいろなストーリーが入り組んでるのと、
あと行ったゲストが自分から謎解きみたいなものをして関わっていくとストーリーが変わっていく、マルチエンディングになるみたいなお話なんですけど、
そういう要素があるんで、この間一つの演目のUnseen Youを見に行ったときに、
そのストーリーの中で出てくる問題とか答えとかね、ちょっとしたクイズとか謎かけがあるんですよ。
それをいくつかあるんですね、4つか5つぐらい謎かけみたいな問いかけと答えみたいな。
それもただ単に提示されてるだけじゃなくて、それとそれを組み合わせていくと、
ゲストはこういうことができるんだとか、こういうことにヒントになってるんですよね。
Nobuhiro Seki
でも舞台とかって何回も見に行く人もいるし、舞台だけじゃなくて映画とかもそうですけど何回も見るわけじゃないですか、見る人はね。
Mika Ueno
イマーシブもそうですよね。
Nobuhiro Seki
2回目、3回目で見る時点が違いますとか、いつまでたっても答えが提示されませんみたいなやつって、
そういう見方も出てくるっていうのがあって、脱出ゲームのケースを、
もちろん最後は自分で解けなかったとしても一応回答を、時間を超えて分かったりするケースもあるし、
回答が出されちゃうケースもあると思うんですけど、そうすると終わったって感じになるじゃないですか。
だからもう一回行こうってならないけど、イマーシブみたいなやつってもう一回見たい、あそこどうだったっけとかっていう解釈が出てくると、
沼にはまっていくじゃないですか、基本的にね。
これは急にマーケティング視点になっちゃってるんですけど、答えを出せないっていうことがもやもやするけど、
それによって人間それを補完するためにとか、そこに創造力を働かせる余地が残っていることによって、
そのコンテンツを消費しきれない、自ら再生産してまた消費するみたいなモードに入っていくわけじゃないですか。
そういうのが多いし、世界観を作るとかって言うじゃないですか。
ビジネスでもその世界観を作ってストーリーとかならというようなことを言うじゃないですか。
あれって結局、出してるプロダクトとかっていうソリューションが実は出してるものだけじゃなくて、
世界観があることによってお客さんがこういうものを自分で勝手に補完したりとか、
それによってエンドレスになるというか、そういうところがあるんだなっていうのを改めて今いろいろ感じていて、
昔ってハードウェア売り切りの時代とかパッケージ売り切りの時代って、いかに買わせるか。
買った後はどっちかというとまた次のものを買ってほしいっていう動きじゃないですか。
でもSaaSの時に、僕本当に2003年から前のビジネス始めた時って、始めた時はまだソフトウェアが主体だったんですけど、
その会社のミッションはソフトウェアからSaaSに移るっていう。
それをビジネスとしてやらなきゃいけない時に、ビジネスモデルとしてお金の稼ぎ方が変わるだけじゃなくて、
マーケティング手法は変わっちゃうわけですね。いかに買わせるかっていうところから、いかに使い続けさせるかって結構パラダイムシフトがあって、
だから古い買わせるために、買わせるためにってクラウドファンディングとかってそういうマーケティングになってるんですよね。
いかに今ここでお金を出させるかみたいなのがあるじゃないですか。
Mika Ueno
ありますね。
Nobuhiro Seki
それができれば、そのものを買う前に期待値を本人で爆上げさせるみたいな。
それに対してそれでSaaS型を買っちゃうともうリニューしなくなっちゃうから、
その世界に入れた後に本人がこのサービスがもっと良くなるのか、実際に良くなっていくっていう体験をさせることが重要になっていく。
だからカスタマーサクセスみたいなやつが出てくるんですけど、
そういうパラダイムシフトみたいなやつがあって、
こういうコンテンツのジャケットに力を入れてジャケ買いさせるから、
やっぱり何回も聴かせるとか、
その人の1曲を聴かせることによってその人の他の曲を聴かせるとか、
そういうふうにやり方そのものは変わってるじゃないですか。
なんていうのもやっぱりこの
イマーシブ、その脱出ゲーム1回買い切り、次もまた行きたい、次も行きたいじゃなくて、
同じ公演なのにもう1回行かしたい、もう1回行きたい、もう1回行きたいっていう、
その差みたいなやつって大きなトレンドがシフトしてるんだなっていうのはちょっと思ったりします。
Mika Ueno
思いますね。
それが自分の体感として、リアルな体感として感じられるっていうのが、
イマーシブシアターのすごいとこだし、
例えばそれが舞台であっても、漫画であっても、ドラマであっても、
これ見るとここ見逃してたんだ、ここの伏線まだあったんだみたいなのがたくさんあると思うんですよ、仕掛けとかね。
映像とかあと、音声ドラマでもそうだと思うんですけど、
そういう解きほぐし要素がたくさんあって、
制作者側の意図とかストーリーテラーが入れたかったストーリーって、
たぶん1本のリニアだけじゃなくていろいろあるはずなんですよね。
ああいうものがこもっていればこめられているほど、
1回だけじゃ絶対味わいきれないというかね。
噛めば噛むほどですよね、スルメみたいなやつ。
ああいうのが今なんか面白いなと思いますね。
Nobuhiro Seki
それが世界観ですよね。
世界観があるかないかで、世界観があるから隙間を想像できるわけじゃないですか。
でも世界観がなくて、出されているファクトだけでいくと、
それを想像するものはないわけじゃないですか。
Mika Ueno
そうですね。
Nobuhiro Seki
このプロダクトは、この会社は何なんですかっていう定義づけがすごい重要だよね。
本当にもう20年ぐらい前にマーケティングプランを考えているときに、
そのときにポケモンを思ったんですよ。
そのとき僕がポケモンをリファレンスしたんですけど、
ポケモンってすごい世界観があって、
単純なバトルだけじゃなくて、
どんな世界でどんなことがあったりみたいなことがあるじゃないですか。
だからやっぱりそれを消費するっていうか、
それを持っていることによって新しい商品を今でも出せるっていうのかな。
もちろん世界観って漫画とかアニメとかでもそうで、
本当にすごいでかい世界観があって、
紹介しきれないのが制作終了とかそういうのもあるわけですけど、
多分そこまで考えてなかったのが後からどんどん追加されていくケースもあるでしょうし、
実は最初からすごい大きな世界観で、
全部終わった後に第一話を見ると、
実はここまで考えてたんだみたいなこともあるじゃないですか。
Mika Ueno
世界観なんかどっぷりはまって、
わかった、理解できたっていう喜びと、
あとちょっと一歩引いた視点で、
作り手側がこういうものを入れてたんだっていうところに対しての感動と驚きっていうかね、
それを知った時はえも言われぬ驚きと感動ありますね。
Nobuhiro Seki
一方でその世界観にも共鳴していて、
結局その作品って世界観の中の一視点のスナップショットしかきてないじゃないですか。
だからよくスピンオフみたいなやつがあると思うんですけど、
でも商業的な理由によってその連載がストップしてしまうとか、
でもその世界観は実はその作者の中しかなかった場合に、
他の人は作れなかったりするわけじゃないですか。
で失われるみたいな。
そういうのを考えていく中で、
世界観ってすごい重要だけど、
一方で世界観を完全にシェアすることができないじゃないですか。
あくまでもその中の1ストーリーとかで世界観を知ってもらうみたいな、
そういう商業のものが多いじゃないですか。
だからゲームとか、ロールプレイングゲームとかって、
結構世界観の中のストーリーが一本性じゃないことが結構あるじゃないですか。
マルチエンディングとかっていうのもそうだし、
もう少しマルチエンディングがなくて割とクリア条件がないようなゲームとかもそうなんですけど、
世界観をずっと楽しむみたいな。
なんかそういう時の世界観の構成とか、
それを本当に伝えきれないまま死んでしまうとかいうときに、
どうやってその世界観を残すのかみたいなことを考えるときに、
残す方法があるんだったら他の人に共鳴させる方法もあるっていう風に。
だからその技術っていうのは今まだないわけでしょと思っていて、
それをどうやったらできるのかみたいなことを5年10年くらい考えています。
それがいつもARとかVRみたいな、そういう章で伝えましょうとか。
そういう伝える手法はいろいろアップデートされてるんだけど、
なんか世界観そのものを同期していく方法とかっていうのは本当に、
脳殻から直結させるしかないのかとかね、
それだって直結されても同じものを見てるか分かんないしとか、
同じデータにアクセスするわけじゃないじゃないですか。
あくまでもインターフェースを介してその人の外観を伝える。
アクセスを介してその人の外観を想像するだけみたいな。
Mika Ueno
そうですよね。
オリジナルで世界観作った人とそれを引き継いだ人が別の人だと、
別の人間もしくは別の人だと、AIか分かんないけど、
生命体だった場合、場合でも全く同じものにはならないじゃないですか。
その人がインプットするものは違うから。
いろいろな形で緩やかに変化はしていくと思うんですけど、
作った人のところで完結させるかっていう、そこの問題はありそうだな。
問題じゃないかもしれないけど。
Nobuhiro Seki
それがこの2人だと必ず結論になってしまう、
攻殻機動隊みたいな話になるわけです。
あれとも世界観と、