虚構との向き合い
はい、みなさんこんにちは。やす@衰退国の地方サバイバー魂がお送りするすすめマイウェイラジオ。
本日はですね、ちょっと堅苦しいかもしれないです。
その虚構と正しく付き合えてますか?というテーマでお送りしてみようと思います。
ちょっとね、内容は今回長くなっちゃうと思うので、多分2回で分けて放送するかなと思ってます。
虚構、その虚構、目の前の虚構をですね、正しく付き合えてるかという話なんですけれども、
これね、ホモ・サピエンス全史という2016年に、だいぶ前ですね、10年近く前になっちゃうんですけれども、
非常に話題になったユバル・ノア・ハラリさんという方が書いた本。
僕まだちゃんと読めてないんですけれども、非常にその内容をですね、考える、思うことがあったので、
ちょっと今回それベースでお話をしてみようと思います。
このホモ・サピエンス全史っていうのはですね、人類歴史学者なのかな?
人類っていうのは、今僕らホモ・サピエンスっていう種なんですけれども、
昔ね、高校とかでネアンデルタール人がとか、似たような類人猿はいっぱいいた。
後に今の人類が反映しましたよ、みたいなのを多分習った、誰もが習ったかと思います。
で、そのなぜホモ・サピエンスがこれだけ全世界に、そして他のネアンデルタール人とかね、
どうなっちゃったの?なんで一種類だけになっちゃったの?みたいなところの研究がここ近年ものすごく進んでいるらしくてですね。
その内容は非常に面白いということで、そこを長い長い上下巻の本にまとめてくださったのがこの本、ホモ・サピエンス全史っていう内容。
何が面白いって、今まで既存、高校とか学校で教えられてたこととだいぶ違うなっていうのが最近わかってきてるらしいんですよね。
それこそ僕らが習ったのって、猿がね、道具を使うようになりました。
二足歩行するようになって、道具を使うようになって、火を使うようになって、狩りをするようになって、
動物、肉食獣とかに負けないような集団で狩りをするようになって、そのうち農耕を始めて、
富の蓄積が生まれるようになって、集団がどんどん大きくなっていったみたいな。
その結果、何のきっかけかわかんないけど、今ホモ・サピエンスっていうのがどうやら優れていたらしくて、世界を制覇したみたいな。
だいたいそんな。猿から順番に類人猿がだんだん背中がまっすぐになっていって、立派な現代人になりましたよみたいな図がよく書いてあると思うんですけど、これがそもそも違ったらしいと。
何が結局違うのかっていうとですね、人類、道具を使うようになって100万年前らしいんですよね。
そこからですね、なんと70万年ぐらいはいろんな類人猿が出てきていて、でもまあ体格とかが違う。それこそ2m50cmから1mぐらいのいろんな種類がいたらしいんですけれども、
30万年前にホモ・サピエンスっていう僕らの種がちょっとある程度の人数出てきたところで、でもそれでも多様な人類がいたと。
これもちろん100年前から道具、火を使っているんで、70万年間。そこからさらに20万年ぐらいは、いろんな人類が道具や火を使って道行をやってた時期らしいんですけれども、
7万年前に突如サピエンスの中に遺伝子異常なんでしょうね。脳の構造が何か変わる事件があったらしい。
その結果急にサピエンスが強くなっちゃって、7万年から3万年の間にですね、他のあらゆる人類を殺し尽くして、
殺し尽くしたかどうかは正直わからないんですけど、サピエンスがなんせものすごく勢力を拡大していって、4万年前には最後の類人猿のネアンデルタール人が消えてしまったという話があるらしいんですよ。
これ、要は7万年前まではいろんな人類がいたのが、7万年前に脳に遺伝状の変化が訪れた瞬間に去った、それまでは90万年以上続いていた人類種、様々な人類種がですね、残りの3万年で一気に消え去ったんです。
それが何だったのかというと、虚構、フィクション、噂話、要は概念というものを突然ホモサピエンスは扱えるようになったらしいんですよ、7万年前に。
ダンバー数の探求
それが起こると何が変わってきたのかっていう話。これの何が僕が今回面白いなって思ったのかというと、それとポピュリズム、それこそ今のアメリカとかでですね、ロシアとかもそうなんでしょうけれども、世界中で言われる
一般的に分かりやすい物語、私たちと私たちではない彼らみたいな二項対立の区分けをグループ人類の中に作って、シンプルな話にしつつ感情的に共感しやすい何かを作って、
支持を得るだとか情報が拡散するみたいなのが最近特にインターネットが広く伝わってきた中で、とても軽重に出てきて、かつこれ危ないんじゃないかっていう話が最近出ていると。
ここと結構リンクするこのホモサピエンスの脳の構造上、そういう傾向にはまりやすいというのを指摘している書籍なんですよね。
ここでちょっと一個飛躍したのが、なんで噂話とかフィクションとか虚構を脳が把握すると、そういうポピュリズムにつながりやすくなるかというか、そもそもそれが他の人類種を圧倒的に差がつくぐらいのホモサピエンスの勢力になったのかっていうところに、
キーワードがダンバースっていう言葉が出てくるんですよ。
これは150人という数なんですけれども、イギリスの学者さんが提唱した数で、お互いを直接知って信頼関係を維持できる人数として見積もりを立てた数。
現代の人類は150人を超えると、お互いの直接を知ったり信頼関係を維持できる数ではなくなるよっていうそういう概念なんですよね。
この150人って、現代日本、現代社会で生きていて、日本人よりもっと小さく、例えば僕生まれが福岡なんで福岡県人とかですね。
さらにはもっと地元の、それこそ中学校小学校で150なんかあっという間に超えちゃうわけですよね。
でもなんとなく地元同士みたいな身内感が出てくる。
その感覚とこの150っていうのは整合性がないんですよ。
150人としか一体仲間である感覚を得られないんだったら、それこそサッカーとか野球とかの応援団とかも会場に何万人て集まって、オリンピックとかでもそうですよね。
何万人という人たちが、俺たちのチームみたいに熱狂する。
あれは本来はあり得ない。
このダンバー数でいくとですね。
でもそこを先ほどのサピエンスの脳みそに生まれた構造上の特殊性、フィクション、噂話を減ることによってその数が劇的に増えるらしいんですよ。
このダンバー数150人って何の根拠があるのっていう話なんですけれども、
イギリスのロビン・ダンバーさんっていう方は霊長類の脳のサイズと社会集団の大きさ、要はいろんな猿とかですね。
霊長類の脳のサイズとその集団規模の大きさを全部比較していった中で、この比率が求められたらしいんですよ。
で、現代の人類の脳みそのサイズをそれに当てはめると、現代の人類は150人ぐらいまでしか本来は同じ集団として認識できないっていう結論が出てるんですけれども、
ここで先ほどから言っているこのサピエンスならではの特徴、虚構という概念を認識できる僕らみたいなもんですね。
例えば日本人っていうのもその虚構の一つですね。
で、何々県人もそうですし、何々中、何々高校、何々大学出身っていうだけで仲間感を何となく感じちゃう。
現代社会への影響
あるいは福岡大英フォークスとか、大英フォークスじゃないな、ソフトバンクフォークスだとか、狂人だとか半信だとかですね。
あれの仲間であるっていうだけで、なんかお互いこう気心知れって感じになる。
それはこのサピエンスならではの、というかサピエンスしか持ち得なかった種族の特徴。
その特徴があったからこそ人類はいろんな人類がいた中で単一のサピエンス種のみが生き残るようなとてつもない覇権を手に入れちゃったみたいな話があるんですよ。
こんなこと言ってる中でも11分ですね。これめちゃくちゃ面白いなと思って。
人類がね、もうちょっとだけ続けると、人類が発展した理由に狩猟民族から農耕民族になったから集団で行動できて、財を成していくことができたみたいな。
お互い協力をして、狩猟民族ってなんか喧嘩ばっかりしてるイメージありますよね。狩り合うみたいな。
でも農耕を始めたから協力し合って集団で何かを営む術が手に入ったみたいなことをよく言われるんですけれども、
それは1万年前なので、農耕民族になる前、3万年以上前にもうサピエンスしか人類はいなくなったらしいです。
サピエンス・ネアンデルタール人がいなくなったぐらいの同時期に壁画みたいなのも見つかり始めて、
宗教的なものを人類がなんとなく概念として認識していたんじゃないか、お祭りというか祈祷みたいなこととかですね、やってたらしいと。
でもその頃はまだ狩猟民族で動物を殺したり、大型肉食獣を殺したり、森で木の実を採ったり、
そういう形でお互いに身近なメンバーだけでチームを組んで生きていたのが、1万年前にようやく農耕民族になって、
じゃあここで何が起こったかというと争いが生まれたらしいんですよね。
またこれが思ってたようなあれを覆してくれるんですけれども、どうやら人類はサピエンスは農耕を始めた結果争いをするような集団になっちゃったらしいですね。
話がどんどん行きたいところに行かなくなってきた。
そういったホモサピエンスが覇権を握った後に農耕民族になって、その結果どんどん集団が大きくなっていくらしいんですよね。
その発生した先に今の国だとか、今の日本だとかアメリカだとか、いろんな社会が生まれてきていると。
ここで最近のインターネットの登場で、どうもその虚構をサピエンスの脳みその特殊性であり癖でもある虚構がまたインターネットという新しい情報伝達手段と見事にマッチしちゃって
過度な傾向を出してきているんじゃないか。それが今のポピュリズムの大統。民主主義すら破壊しかねないようなポピュリズムの大統を生んでいるんじゃないかみたいなことをこのホモサピエンス全身では書いてくださっているそうなんですけれどもね。
虚構と情報発信の重要性
僕がわざわざこれを今回テーマとして話したいなと思ったのが、身近なところで自分自身もこのポッドキャストやっていたりノートで投稿したりするんですけれども、その時にこの虚構っていうのを結構気をつけて使わないと危ないなっていうのを感じているところがあるんですよね。
そこをみんな情報発信をする時代になって、やっぱり読まれる文章だとかわかりやすい文章、納得されやすい書き方、情報発信の仕方みたいなのが誰もが当たり前のように意識するような時代ですよね。
だと思います。少なくともノート書いていたりポッドキャスト配信していたりする方々は少なくとも自分の配信している内容がちゃんとわかってもらえるような、ちゃんと理解してもらえる、もしくはわかってほしい人に共感してもらえるような書き方っていうのは少なからず文章の整え方だとか起承転結だとか、タイトルの付け方、言葉の使い方、いろいろと意識していると思うんですよ。
でもそんな中で自然とその虚構を扱うことが増えていくと思っていて、これはそのサピエンス、僕らホモサピエンス唯一の特徴であるこの虚構との付き合い方というのをちゃんと認識した上で、ちゃんと使えているのかな、自分の情報、何かコンテンツを作った時にそれをちゃんと危うさも認識した上で、
書けているのかなっていうところを考えたので、今回ちょっとポッドキャストにしてみようと思った次第です。
でもここまでで16分なので、この先後半部分はまた次回、うまくコンテンツにまとめてみたいなと思っております。
ということで、何か思うところ、考えるところありましたらコメントといただけると嬉しいです。
ではまた次回もよろしくお願いいたします。
ヤスワとスイ大国の地方サバイバー魂でした。