自治会の重要性
はい、みなさんこんにちは。やす@衰退国の地方サバイバー魂がお送りするすすめマイウェイラジオ。
今日は前回お送りさせていただいた地域の盆踊り、誰が主催するのがいいかというテーマに関して後半戦ですね。
自治会がやると実はとてもいいんじゃないかということについてお送りさせていただきます。
軽く自己紹介で、私、やす@衰退国の地方サバイバー魂は今の地区にやってきたのが約10年前。
そこから商店街の事務局と、地域の自治会の方でも役職をいただきまして、
30代の約10年間、今住んでいる地区の地域のことにちょっと携わってきたそんな人間です。
これまで商店街の方でも事務局として働いていたので、地域のお祭りごとですね。
いろいろ苦しみながらやってきたんですけれども、今年自治会の副会長になった際に、自治会がやる盆踊りというイベント。
コロナ以降ですね、地域の集まることに対しての盛り上がりが急速に衰えてきている中で、
この盆踊りがそもそも必要なのかどうかというところから直面している、そんな自治会役員でございます。
商店街でやってたイベントではない、自治会でやるイベントというところで、
いろいろと一つ一つ同じイベントにしてもやる意味みたいなところをちゃんと考えてみると、
単純にみんなが盛り上がって万歳というところではなく、何のためにやるのかというところをちゃんと見ていくと、
案外商業者さんがやるイベントよりも自治会がやるイベント、この地域に目指したお祭りって結構自治会がやることについて非常に意味があるのではないかなと思ってきたというところですね。
自分がやる側を回ってみてですね。
自治会主導でやる意味なんですけれども、まず自治会って暮らしの当事者なんですよね。そこで生活している人々なんですけれども、
高齢化っていうのもあるんですかね。僕が今暮らしているエリアではですね、見ないうちに施設に入っちゃったとか、
穴が開いていくかのように、地域の縁と言いますか、つながりがぽこぽこ外れていっている。仕事をしない世代が中心になってきているので、
なおさらですね、外に出かける機会もなくというところから、隣近所で知っている顔がいつの間にかいなくなっている、みたいな地域にちょっとなりつつあります。
で、盆踊りとかもそうなんですが、地域でやる行事っていうのも高齢化のため、大変なことはもうやめていこうよ、みたいなところで、川辺の掃除ですとか、速攻の掃除ですとかから始まり、
お祭りの役割
そもそも自治会の中での役割当番みたいなものもだいぶ減らしたんですよね。コロナの時をきっかけですね、確実に。そもそも集まることがあまり良くないんじゃないか、みたいなところもある中で、無駄なことは省いていこうよ、みんな年取ってきたんだしさ、みたいな文脈の中でだいぶ減ったんですよ。
で、その結果本当に関係性がだいぶなくなってきているなと。そんな中だからこそ、案外ね、地域でやる昔ながらのお祭りっていうのが意味があるんじゃないかなというところに来ています。
で、地域でやるお祭りって、例えば商業者、大きな商業施設だとかがやるお祭りとか、大きな市町がやる有名なお祭り、行政もそれにお金をかけていることもあったり、周辺企業さんがお金をかけていることもあったりされるお祭りと比べると、
なんかその、素人同士でそんな無理してまでやる必要ある?みたいな空気がすごく強いんです。
でも、それこそね、地域のお祭りをやることによって、地域のメンテナンスができるな、この年に1回メンテナンスをやる理由づけになるっていうのは結構大きな理由かなと思っています。
お祭りをやるから、例えば公園なのか広場なのかの環境ももちろん整備しますし、これね、そういうのがなかったら本当に誰かが言い出すまで雑草のび放題だとか、雑草はなんか除草剤であったにしてもなんか汚いだとか。
みんなが使わないとやっぱり細かいところに行かないんですよね。
そうなると公園とかもね、なんか汚れていったり、なんかやりっぱなしのものがボロになっていったり。
行政の管轄なんで、ある程度まで行けば定期的に牛とかも全部入れ替わったりとかはするんですけれども、それが起こるまで何もないっていう、地域のものだけど地域のものじゃない感覚みたいなのがすごく雰囲気ですね、空気感の話なんですけど漂ってくるなっていう気がしてます。
そういう公園もそうだし、集まるところと道だとかもそうだし、街灯とかもそうですよね。
もちろんトイレとか水道とかもそうだし、何かみんなが使うっていうきっかけがあったら、じゃあみんなでちょっと一旦掃除をしようかみたいなのがふんわりできるんじゃないかなと。
あとは先ほどのコロナの話に戻るんですけれども、我が地区の盆踊り、地域のお祭りですね。
でもやっぱり省力化っていうのが、高齢化に合わせた省力化っていうのがやっぱり結構大きなテーマになっていて、自治会の当番制でやっていたようなありとあらゆることを結構なくしていったんですよね。
なくしていって楽にできるお祭りになったねってなった結果どうなったかっていうと、お祭りに来る人がそもそもいなくなったっていう。
関わる人が減っちゃうと、そのイベント自体に来る人が減る。
そうなって負のスパイラルじゃないですか、相乗効果的にそんなものやったってなっちゃうんですよ。
だから賑やかすためにみんなでやるんじゃなくて、地域のインフラのメンテナンスであったり、それこそ関係性のメンテナンス、お隣同士のお付き合いのメンテナンスっていう意味で、年に1回みんなでやりましょうよっていう目的を持ってやるっていうのが実は非常に大切なんじゃないかなと思ってます。
地域資産の価値
そうなってくると、イベントをやり始めると今度はハマりがちなのがお金をかけるだとか、賑やかしに再現性がなくなっていくんですけど、そこは間違えないことが結構重要かなと思っていて。
参加者が楽しめるイベントであるっていうのはもちろんそうなんですけど、そこを追求しすぎないといいますか。
何のためにこれやるんだろうね、こんな手弁当でっていうところを、ちゃんと地域のメンテナンスのためだよっていうのをみんなで握った上でやる。
その範囲内で楽しめる。その範囲内でやってよかったねって思えるっていうところを握り続ける必要が非常にあるのかなと。
そこからの副作用なんですけれども、そういうことが定期的に行われる地域っていうのは、それこそ僕、不動産業に携わってまだ新米なんですけれども、やっぱりね、海外の資産価値、土地もそうです、建物もそうですし、全然違いますね。
そういうのがない地域、そういうのがある地域。やっぱり人が引きつけられるっていう、手入れがされている、手が行き届いている、人の息吹があるっていうんですかね、その街自体に。
それってもうそのまま結局資産価値に直結するんですよ。それがどうなるって、やっぱり住んでいる人の持っている資産ですからね、土地って。
自分が住んでいた家が自分が、例えば高齢者だとしたらどこか施設に入らなきゃいけなくなっただとか、子どもたちに託さなきゃいけなくなるだとか、いろいろあると思うんですけれども、そのときのその土地の価値が2足3問というか、誰もお金払っても誰も来ないようなものになるのか、
人が定期的に訪れてニーズがあるエリアであるかというのは、数十年単位の話ではあるんですけれども、全然やっぱり違うなというのを感じます。
だから地域のメンテナンスのためのお祭りを地域の人たちと定期的にやりましょう。ひるがえっては住んでいる人たち自身の資産にもちゃんと直結すること。
だって生きてるだけでそのエリア、まあもちろん税金とか払わなきゃいけないんですけれども、その土地がちゃんと資産となるのか、資産とならないのか、今後ね日本の縮小していく人口減少社会において水道インフラだとか電力インフラだとか道路インフラ、
あらゆるインフラを維持していくためにどこまでお金をかけれるのかっていうような感じになっていったときに、価値のある土地に目指して住んでいたのか、自分が住んでいたところがそれこそもうその限界集落じゃないですけれども、
どこまでみんなで維持費を負担し合おうかという行政サイドの話とかでちょっと難しい判断を迫られるようなエリアになるのか。これはもう住んでいる人たちの、まあ今日言った話でいくと努力といいますか意思、考え方一つで結構変わってくるところあるなというところを感じています。
だから単純なね、非税に商売といいますか、売上げあげるためにイベントじゃない地域のイベントっていうのを見直してみるっていうのは案外すごくこれからの日本において意味があるんじゃないかなと思いました。
ということで、安田推退国の地方サバイバー魂でした。ぜひ何かコメントですとか、うちの地区ではこんな感じなんですけどみたいなお話とかいただけると非常に嬉しいです。それではまた次回よろしくお願いいたします。