ポッドキャストの聞き方
じゃあ、ちょっと先に収録してるんで、読んだら来てください。
こんにちは、tsukanomaです。この番組は、声の発信を文化にすることで、組織や社会の見えない壁を越えていくポッドキャストです。
声にまつわる研究と実践をもとに、声の力でつながる未来をあなたと一緒に探求していきます。
今回はゲスト回です。話し合うテーマは、究極のながら聞きについてです。
ポッドキャストの深刻調といってもいい、ながら聞きについて話し合いたいと思います。
それでは本日のゲストをご紹介します。私のポッドキャスト仲間の高橋さんです。
こんにちは、高橋です。好きなポッドキャストは、あずみ真一郎の日曜天国です。よろしくお願いします。
ここ来るんですね。ありがとうございます。
というわけで、今日は究極のながら聞きについて話をしたいと思うんですが、まず経緯をちょっと簡単に話をしたいなと思っていて、
そもそもポッドキャストは劇場が似合わないっていう、僕が昔ノートの記事に書いたことがあって、
ポッドキャストって、映画で言ったら映画館でみんなでスクリーンのコンテンツを見るってあるけど、
みんなで劇場に集まってポッドキャストコンテンツだけを聞くっていうのはすごく不自然だよねって思ってて、
誰かのリアルイベントに人が来るような感じで、人がいるんだったら成り立つけど、人がいないのに音声だけが劇場になるっていうのはおかしいなと思って。
ちょっとシュールですよね。
それはそれでやってみたいな感じがあるんだけど、映画作品にとって、やっぱり映画館で見るのが一番だよねって思うじゃないですか。
そうですね。
だけどじゃあこういうポッドキャストの聞き方が一番その究極、一番いい聞き方なんじゃないかっていうのは何かなと思った時に意外と思いつかないなと思ってて、
一つそのポッドキャストのいいところって言うとやっぱり流れ劇ができるのがポッドキャストの良さだよねっていうのがあるから、
じゃあその流れ劇の究極ってなんだろうねっていうのがちょっと昼休み前話してた時にテーマとして出て、
ちょっとそれについて今度話そうかって感じでなってたという経緯ですね。
究極の流れ劇の体験
そうですね。やっぱり全く関係ないことをしながら聞くっていうのがあるかなと思ってて、
結構、移動中というのはかなりポッドキャストにはまるなって思いますね。
歩きながらとか、あとは自分で車を運転しながらっていう、
自分で自律的に自分の意思で動いている時っていうのもいいし、
あとは通勤中とかの電車の中とか新幹線、バスとかそういう、あるいは飛行機みたいなところもやっぱりはまるかなって思ってるんですよね。
そうですよね。流れ劇はね。
流れ劇は流れだからだし、その手持ち無沙汰な時間を有効に活用できるっていう、コスパタイパーみたいな話ありますけど、
そういうのにも効くかなと思ってて、これはあんまり関係ないかもしれないですけど、
僕昔ベトナムに行ったことがあって、学生の時に、ハノイからホーチミンって1700キロぐらいあるんですけど、
そこずっと電車に乗ってたことがあって、それ40時間ぐらいかかるんですよ。
その時はめちゃくちゃ暇だなーって思ってたんですけど。
ずっと降りずに?ずっと40時間?
ずっと降りずに。
本当に?
寝台列車みたいなところでずっと乗ってて。
もちろん駅にも泊まるし、別に中を歩き回ることもできるし、停車駅の間にずっと降りたりもできるんだけど、
ただその時は別にポッドキャストはなかったから、
あれなんですけど、それぐらい本当に長い時間があると、麻痺してくるんですよね。
暇すぎてずっと麻痺してきて、だからその時にポッドキャストがあればよかったなーっていう話なんですけど。
何の話?
テーマは究極の流れ劇なんで、今普通の流れ劇の話してるような感じがするから。
究極ですよね。
究極って何なんだっていうところが聞きたいですね。
究極に暇な時っていう形?
つまり究極に暇だったら、暇の究極さを追い求めて、そこにビタッとはまるっていう。
究極に暇な時は流れ劇した方がいいんですかね。
違うことやった方がいいような気もしなくはないけど、
でも普段忙しすぎて時間が取れない時に、めちゃくちゃ暇な時間が贅沢に取れるってなった時に、
そこで選ぶ選択肢がポッドキャストで、
例えばコテンラジオのエピソードを全部聞くとか、それが一気に聞けるっていうのが、
割と究極の流れ劇の近くに行けるような気が、個人的にはしたりとか。
贅沢ですよね、それは。
ベトナムとかだったら、例えば40時間ずっと電車に乗りながら、
そのベトナムならではのエピソードをずっと聞いてられるとか、
その場でしか得られない体験に紐づいたエピソードをずっと聞けるみたいなのは究極かな?
関係ある話っていうのをその場で。
なんだろうな、こっちで日本で聞いてもいいけど、ここで聞くから意味があって。
これから向かっている先の話を、たまたまなのか、あるいは狙ってなのかは、
どっちでもいいのかもしれないけど、聞けて、ここ行こうみたいなって、
すごく贅沢な感じはしますよね。
エモーショナルな瞬間
ピンポイントに、この話って自分のために話されてるんじゃないかって、まるで錯覚するみたいなのは、
すごく繋がった感じはしますよね。
例えば古典ラジオばっかり、古典ラジオの話ばっかりだけど、
古典ラジオでカエサル編とかローマ帝国の話があるんですけど、
あれをローマの街を歩きながらとか、何コンガワだっけ?
ルビコンガワ。
ルビコンガワとかを渡りながらカエサルの話を聞いたりとか、
サイ投げられたなーって。
サイ投げちゃおうかなみたいな。
そういうことを聞きながら、あとは例えばそこでポッドキャスト収録してもいいかな、
ルビコンガワでサイ投げましたっていう。
それをながら劇で、この人がサイ投げたのここだってわかんないけど。
この人だしカエサルだしみたいな。
でもそれってながら劇っていうより若干目的があるから。
そうですね、だいぶ能動的な感じはするから。
なんだろう、能動的じゃダメなのかな?
いや、全然いいと思うけど、
でもそうですね、その場所っていうか関連する場所とかに行って、
関連しそうでしないみたいな。
まあでもしてもいいんだけど、
それはすごく贅沢な気がする。
贅沢なじゃない、究極かもしれない。
例えばね、もう月面旅行に行って、
アームストロング船長でしたっけ?
わかんないけど、
アームストロング船長、そうですね。
ガガーリンは月行ってないか。
月行ってないですね。
そうか。
じゃあ月行ってなくてもいいけど、地球は青いなとか、
なんかそういう収録してる。
なんだろうな、わかんないけど。
なんかそのアームストロング船長が、
多分昔月に降り立った時に何か言ってるじゃないですか。
これは人類にとっては云々かぬ。
小さな一歩だが、私にとっては人類にとっては大きな一歩だ。
みたいな。
言ってましたね。
その音声を月で。
それはポテキャストじゃないな。
でもナガラギキっていう、月に向かう途中のロケットの中で、
そういうストーリーを聞いてエモくなるっていうか。
エモくなりますよね。
それでも究極かもしれないなと思ったり。
誰でもできることじゃ今のところないから、
ルビコン側ぐらいだったら頑張ればできるかもだけど、
宇宙船のあるいは宇宙ステーションの窓から地球を見て、
見ながら古典ラジオを全部聞いて、
なんか歴史やなって思うっていう。
確かに地球を見ながら地球の歴史を。
なんかそこはモンゴルの入木民が走ってたのかなみたいな。
月から地球の上空から見るとかもいいし、
そこまでやるとちょっとお金かかるから、
普通に推しのポッドキャスターが推してた場所とか、
あそこ行ってすごくよかったんだよねみたいな。
あの旅館の温泉すごくいいよねみたいな話を、
その旅館に行ってそのエピソードを聞きながら満喫するとか。
それも近いかなと。
聖地巡礼みたいな感じですね。
確かに聖地巡礼はいいですよね。
あれ古典ラジオ何でしたっけ。
聖地巡礼が生まれる前からの話を知ったやつ、インド編でしたっけ。
えっとね、そうだっけか。
なんか古典ラジオ史上一番昔から始まりましたね。
何十万年前とかっていうのを何十年前ってヤンヤンさんが言ってたじゃないですか。
ファンにはわかる。
そういうのを見ながら地球の歴史だなって思いながら見るみたいなのもあれだし。
それがYouTubeとかだと、動画視聴しながらだと目があっち行ったりこっち行ったりしちゃうから。
あれだ、運動会とかで息子が走ってるところを撮影したいけど、
カメラのモニター、バインダー?ファインダー?
ファインダーファインダーのぼくやつ。
ファインドするからファインダーですね。
ファインダーの映像しか見てない。
肉眼で見たいなって。
肉眼で見たいのにっていう時に、やっぱり視覚情報というか視覚コンテンツを撮るにはそうせざるを得ないから。
ってことは、今子供が走ってる時に実行するっていうね。
録音するっていう。
声だけを?
声だけを。がんばれがんばれ、今あそこで走って、転んだ転んだとか、抜いた抜いたとかっていう声を録音してそれを聞く。
子供と大人になったら。
その方が、子供は自分の走ってる姿見れないけど。
いいですね。
僕も何から読んだんですけど、子供の小さい頃の写真って撮るじゃないですか。
いっぱい撮るじゃないですか。
自分は、親はそれを見て懐かしいなって思うんですけど、
子供たちは別にそれを見てそんなに喜ばないわけじゃないけど、むしろそれを撮ってた時の親の写真がたまに何枚か写ってる。
それを見ると子供たちってなんか嬉しくなる、だっていうのを何から読んだことがあって。
なんかそれに似てますね。その周辺環境みたいなものを保存しておくみたいなやつは。
なんかちょっとうるっときちゃいましたね。
うるっときちゃいましたね。
なんかそのほうが豊かな人生なんじゃないかな、もしかしたら。
と思うけど、でもやっぱり映像に残しておきたいですね。
それはね、やっぱり情報量大事ですからね。
そうね。だからもうドローンが全部撮影してくれればいいと思ってるんですけどね、今後はね、運動会とか。
スマートグラスとかで見てる映像がそのまま録画される。
それは普通にありそうですよね。
ただなんか盗撮が普通にできそうな感じがする世界観だから。
そうなっちゃいますね。
個人的にはなんかその視覚をちゃんと自分で。
残しておきたいっていうか、目に焼き付けたいなっていうのは。
残すべきは映像なんだろうか。
本当はやっぱり気持ちなんだろうけど気持ちは残せないからなっていうことだよね。
そうだよね。そうなんだな。
だから例えば僕もよくカメラで撮影するけど、その撮影してる時に僕無口になるんで、あんまりいけいけいけとかって普通に言えない人間なんで、
ただ機械が撮影してるだけのコンテンツみたいになっちゃう。うちの子供だけ。
クオリティを求めてしまう。
とかね、そういうそこに必死になってるとか。
なんかね、それって別に自分が撮影する必要もないなとか。
本当はそうなんですよね。
やっぱりちゃんと見ていて。
かといってね、一人で独り言ぶつぶつ言う勇気もないんですけど。
マイク持ってね、タモリさんみたいに。
タモさんもそんなこと言わないですけど。
視覚的な体験とポッドキャスト
それでも新しいな、運動会でなんかあの男さんマイク持って実況してるんだけどって。
めっちゃいいマイク使ってるみたいな。
シュアーのマイクを使ってるみたいな。
撮影はもうこのスマートグラスでつって、本当にタモさんみたいになってる。
そういう時代が来るかもしれないし。
なんかね、この話を前にしたときに、
僕がちょっと塚野さんに言ったのは、
すっごいいい景色の中で、
さっきは関係ある、聖地巡礼みたいな話をしたんですけど、
すごいいい景色の中で、あえて全然関係ないものを聞くっていうのも、
まあ贅沢なのかな、みたいな感じをしてて。
僕があまりピントきないですね。
そうそう、あまりピントきないって言ってたんですけど、
なんかこう、僕山登りとかも好きで、
こう山に、ちょっと最近はいけてないんですけど、
登ったりしてるんですけど、
そういう時にこう山登ってる時ってこう、
まあもちろん淡々と登ってって、
例えば頂上に着いて、
こうゆっくりしてる時って、
意外と暇だったりするんですよね。
そういう時に例えば聞くと、
この最高の景色の中で、
まあ例えば本当に関係ない、
何でもいいんですけれど、
何でもいいというか、好きなポッドキャストを聞きたいんですけど、
例えばゆる言語学ラジオを聞くと、
景色と登山とは全然関係ないけど、
なんかこう、ミスマッチの妙みたいなやつがあるかなって思ったりして、
逆にこうなぜか理解が進むみたいな。
なるほどね。
そのコンテンツを聞く上での視覚的なノイズが少ないかもしれない。
ある意味ね。
とか、あと、
ポッドキャスト聞きながら、
そういう散歩だったりとか、
普段行かないとことか歩いたりとかしてると、
その場所にそのポッドキャストのコンテンツが植え付けられる感覚があって。
それはポジティブに、ネガティブに、両方。
ポジティブに。
ポジティブに。
だから例えば家の周りを散歩して普段歩かない。
普段歩くとこでもいいけど、
ここを歩いてる時にあの人の声聞いてたなみたいな記憶が、
そこをまた歩いた時に蘇ったりとかして。
なんかその、例えば富士山とか、
例えばそういう山登った時とかに、
その光景見るとそのコンテンツを思い出したり、
そのコンテンツを聞くとあの景色を思い出したり。
なんかその繋がりが新鮮で、
記憶に残るというか、
あるのかなって気はしますけどね。
普段だったら、
普通に生活してたら絶対に結合しないはずのシナプスが繋がる感じは面白いですよね。
なるほど。
やっぱり想像通り、想定通りな体験だと、
そういうの生まれないですもんね。
確かに確かに。
ひらめき。
ひらめき?
ひらめきですね。
ポッドキャストって耳で基本的に聞くっていうことだとは思うんだけども、
僕ポッドキャストのいいところっていうのは、
耳で聞くことよりも、
視覚がないことっていうのが一番大事なことだと思ってるんですよね。
なるほどね。
だから視覚以外の情報は積極的に摂取する。
香りとか匂いとか。
あとやっぱり皮膚が音を聞いてるとか言うじゃないですか。
毛穴とかあれですよね。
リスモーキンじゃないや、反応してるからわからないけど、
スピーカーからの音もそうだけど、
例えば森の中とか、
自然の音とか、自然のせせらぎ、自然の滝のマイナスイオンもあるかもしれないけど、
そういったものも感じながら。
要は視覚がないけど、
その音声の情報と香りとか触覚がマリアージュされる。
マリアージュというか混ざっていくその体験が、
なんか贅沢な流れ劇なんじゃないかなって気がしたんですよね。
わかる気がしますね。
視覚がないっていうのが重要っていうのがすごく言われてみれば当たり前だけど、
改めてそうやって定義すると、
そのポッドキャストらしさっていうのはそうだし、
さらに言えばやはり現代社会に生きる我々にとって視覚がかなり奪われているわけですよね。
文字情報、スマホをすごく見てしまうとかもそうだし、
テレビか画面を見ていることがすごく多い中で、
視覚をあえてというかそれほど重視しない状態になるっていうのは本当そうですね。
それは納得します。
ながら劇の探求
だからそれがどういう場所で体験できるのかということで、
映画館で4DXとかあるじゃないですか。
ありますね。いい音響のやつが。
いい音響だったり動いたりプシューって吹き出てきたりとか、
そういう映画館だけど視覚だけない。
真っ暗でとかっていう。
真っ暗でか、はたまた視覚もコンテンツに全く関係ない視覚の情報だけが、
例えばドライブ中の街の映像とか、
だけど音声だけ流れてきていて、
椅子がちょっと揺れてみたいな。
それは視覚の情報って別に見たいコンテンツじゃないから、
さっきルビコン川に鞘を投げたいっていう話をしたけど、
ルビコン川で鞘を投げた人の追体験ができるような映像を見ながら、
こちらルビコン川の映像になりますっていうのを流しながら。
VR上で、例えばVR上でルビコン川を歩きながら、
ルビコン、ローマの香りとかそれも感じつつ、
音声はルビコン川の。
でもそういうことか。
ルビコン川でポッドキャストを収録した人がその時の映像とその時の香りとか。
その辺をちゃんと再現するコンテンツを作って、
それをVRゴーグルとか五感を体験できる場所で追体験するながら劇っていうのが、
それはながらじゃないな。
ながらじゃなくなってきましたね、だいぶ。
かなりイマーシブな感じになってきて。
そうだね。
ながらか、何かしながら。ご飯食べながら。
一人でご飯食べるとき、僕はポッドキャストすごいありがたいですね。
そうだよね。
誰かと食べてる気になる。
そこまでいかないかもだけど、
美味しく感じられちゃうかもしれない。
例えば食べながら食べてる人のポッドキャストを聞いてもすごいチープだなと思っちゃうから。
それは良くないね。
ASMRじゃないんだからってなってますね。
そうですね。
ちょっと究極のながら劇難しいな。
結論は。
結論はなかなか出ないんですけど、
皆さんから募集したいというか、
究極のながら劇考えてみるのも楽しいんじゃないでしょうかという提起をして、
もし思いついたらコメントとか感想とかもらったらまたこの2人、もしくはそのコメントくれた岡崎さんとか、分かんないけど。
名指ししてるよ。
名指ししてるけど。
交えながらまた話できたらいいなと思うけど、
でも本当にながら劇ってポッドキャストのすごいメリットだっていろんな人がいろんなところで言ってるから、
そこの理解、解像度上げておくのは大事なことかなと思うので、
引き続きながら劇を研究していきたいなと思います。
結論と今後の研究
論文とかないかな。
ちょっと分かんないですけど。
そろそろじゃあ締めるということで。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
岡崎さん今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
というわけでここまで聞いていただいて本当にありがとうございます。
感想、コメント、SNSでの投稿をお待ちしています。
ハッシュタグ超えていくをつけて感想シェアをお願いします。
SpotifyやApple Podcastでお聞きの方は番組のフォローと番組の評価もお願いします。
それでは次回もよろしくお願いします。
ありがとうございました。
ありがとうございました。