チャットGPTとの出会い
みなさんこんにちは、やす@衰退国の地方サバイバー魂がお送りするすすめマイウェイラジオ。
本日は未翻訳の知識に触れて驚いたチャットGPTの全能性とその危うさというテーマでお送りできればと思います。
最近ですね、iPadやスマホではなくて、本の形で読むと、ちょっと最近大人になって敬遠していた小難しい本、文章にもですね、
結構集中して読んでいく、精読していくことができるんだなという経験を、発見をしまして、
学生時代以来、20年ぶりぐらいですかね、自分の気になったキーワードだとか、
社会で生活していて、この辺ってどういうあれなんだろうなっていうところの専門的な知識をつけたいなってなったときに、
チャットGPTに相談をしまして、いろいろと分析してもらったり、概念とかを教えてもらったりする中で気になったキーワードをですね、
さらにピックアップして、それに関する概要をバーッと聞いたり、参考文献とかを教えてもらって、その中でこの書籍かもなっていうのをメルカリだとか図書館とかでね、手に入れて読んでみる。
またそれで内容からさらにまたチャットGPTと相談しながら、こういうジャンルだとこういう方向性に考えるとどうなのみたいなところからまた参考になりそうな文献だとかを挙げてもらって、
概要を教えてもらって、これはと思ったものをまた調べてみる、書籍を読んでみるみたいなサイクルにちょっと余っております。
僕自身が地域のことをやっているのでね、社会性だとか公共的な概念とか、そういうことに最近ちょっとフォーカスを当てて、それこそ昔の方、高校とかの授業で習ったような、
大学では社会学の哲学的なところとか全然履修しなかったので、社会学の、それこそ僕の知識では社会契約説みたいなね、
個人が契約をしあってお互いの財産を守るために国家に主権を預けて、国の運営、全体の運営をしてもらっているけど主権は本来は個人にあるんだよみたいな、
それこそ日本国憲法とかその辺なのかな、にも繋がるような知識で止まっていたジャンルのそこからの発展の話とかを教えてもらって、ちょっと難しい本に当たって、なるほどねみたいな、
ここから先、今そういった展開を経て現代社会につながっているんだね、みたいなのを勉強していたんですよね。
その中で、つい先日、ちょっと僕自身、正直驚いた経験がありまして、何かというと、今、相互承認論、概念を承認というのは認め合うと言いますか、承認欲求とかの承認ですね。
その相互に承認し合うというところから、世の中は社会というものは生まれたんじゃないか、みたいな言説を展開している社会契約説の次の段階の話ですね。
に提案された概念の書籍を、概要を教えてもらって、それぞれの書籍で語られている内容とか。
さらにこれかもなって思った本に関しては、もうちょっとその本だけの概要を2000文字とかで教えてっていうと、本当に小立ての構成ぐらいのところから全部教えてくれるんですよね。
その内容、これ今度読んでみようかなって思った書籍の日本の国内で探すとですね、出てこないんですよね。
タイトルも日本語で書いてくれてたので、完全に僕日本の本だと思って、チャットGPT君が言ってくれたその概要をもとにこの本ちょっと読んでみたいなと思って。
Amazonもしくはメルカリで手に入らないかなみたいな形で、パッと書籍を探してみたけど全然出てこなくて。
紹介してくれてるリンクをクリックしてみたらですね、海外の大学が直接発行しているその書籍のページに飛んだんですよね。
で、パーって思って、その書籍、概要まで全部日本語で教えてもらっていたのに、なんと翻訳されてない本だったんですよね。
内容を見るとすごく僕が今知りたい内容に近かったので非常に興味深いんですけれども、
これそうか、原書手に入れて英語で読まないといけない本なんだっていう驚きがまずありました。
最初に感じたのが、いやチャットGPTすげえなっていう。
翻訳されている書籍の情報をもとに概要を教えてくれていたわけではそうなんだろうなと僕は今まで思ってたんですけれども、
そうではなくて英語の書籍の概要をおそらく英語でバッと作った後に翻訳した上で僕に教えてくれてたんだなっていう。
そんな能力あるんだみたいな。
これって今までの世の中だとGoogleで検索したって元の言語で検索しないと出てこないような内容の情報だと思うんですよね。
僕の中で一つ革新的なそんな世の中になったんだっていうのを肌で体感したっていうのが1つ目の驚きだったんです。
その未翻訳の知識に触れれるってことは今まで僕がアプローチできていた知識や情報の世界が数倍にもいきなり広がる。
それをこの無意識のうちに教えてくれるっていうこの世界感半端ないなと。
チャットGPTなんで普通に相談する感じでどんどん聞けてどんどん話ポンポン出してくれるんですけれども、
そういうの増えるんだろうなみたいな。
チャットGPT教えてくれたけどもっとたどってみるとなんかロシア語だったとかフランス語の書籍だったとか。
下手したらラテン語とかも出てくるかもしれないですね、そのうちね。
いやすごいなと思っていたところだったんですけれどもですね。
情報の危うさ
ここでもう一つの、その危うさってのもまた半端ないなというのがですね。
まず一つ目、危うさ二つの例から結構具体的な危うさ感じるなっていうところがあって。
一つが僕らの世代だと、それこそインターネット検索っていうのがちょうど出てきた世代だったので。
何か調べ物をしても直接的な答えは出てこない。
Googleで検索して関連したページが出てきたり、その中身を読みこなして自分の中で、
このサイトは全然違ったなとか、この言説は全然違うこと言ってるなとか、
これ結構近いなっていう答えを探すのが今までのインターネット検索の世界だったと思うんですよね。
たまにはドンピシャの答えが出てきたりもするんですけども。
それがその情報の大量のデータベースの中から、物事、継ぎはぎの情報にアクセスして、断片的ですよね。
その書籍に書いてあるような統合された知識ではなくて、断片的な情報をいくつも継ぎはぎのように集めて、
自分なりの結論を出すだとか、方針を決めるだとか、そういうことなのかっていう話になるっていうのが、
今までのインターネットの知識と僕らの距離感だったと思うんですよ。
それが、なので、僕らの世代、例えばGoogleで化すっていうことがありましたけどもね。
そういったのが分かっている世代、Googleで検索した結果っていうのは、いろんなところにある継ぎはぎで、
ドンピシャじゃない答えをつなぎ合わせて自分で考えなきゃいけないだとか、
あとは中には間違った情報もあるみたいなね、が当たり前っていうこの感覚がある。
僕らからすると、ChatGPTに聞いた内容も、いろんなサイトの情報をつなぎ合わせて答えてくれてるんだろうなっていう感覚があると思うんですよ。
僕も普段のChatGPTに相談してる内容も、これもいろんな人たちがいろんなページで書いてることを統合して、
かいつまんで一つの回答として言ってくれてるなっていうのは感覚としてあるんですけれども、
このChatGPTありきの世代の人たちからすると、僕らの子供とかですよね。
それこそ今年小学校に上がるうちの娘なんて、GPTがそういったつなぎ合わせ、継ぎはぎの知識を持ってきて、
とりあえずそれっぽく答えてるだけだっていう感覚に果たしてなるのかなみたいな。
翻訳の危うさ
そこに一つの人格があって、何でも聞いたらいろいろ答えてくれて、
で、間違ったことを言う政治っていうのは多分減っていく。
結果、そこにはもう何かを聞けば基本正しい答えが返ってくる。
そこに一つの人格があるみたいな感覚になっちゃう世代っていうのが今後世の中の中心になっていくんだなっていう。
これって結構危ないことじゃないのっていうのが一つ目の具体的なイメージ。
もう一つの具体的なイメージっていうのが、今回特に翻訳に触れたからなんですよね。
昔のそれこそ学校で教えてもらった話なんですけれども、明治時代とかに西洋の知識を取り入れるため、
キャッチアップするために、当時の知識人が英語だとかフランス語だとかの言葉を、
中国の古典の言葉とかを活用して和製漢語、熟語ですよね、を作って日本の中に輸入したみたいな話がありまして、
それが結構すごい量の言葉で、それこそ僕らの今では身近になっている、自由だとか社会だとか文化だとか、
あと哲学、科学、経済だとか、国家という言葉もそうだしですね。
さらに権利という言葉、義務という言葉、その後に全部明治前後の知識人たちが日本にその知識を入れるために、
今までなかった言葉を、中国の古典の漢語の中から2つの漢字を組み合わせて作り上げた言葉概念。
それがさらには逆輸出という形で、韓国だとか中国にもその言葉が入っていっているような、そんな話があります。
言葉を翻訳するって結構なせっかりとした土台があって行われているんだなっていう、僕の中での感覚があったんですけれども、
なので例えばその書籍ね、翻訳版の書籍っていうのは多分その監修者がちゃんといて、編集者もいて、
すべてがその矛盾がないように言葉がちゃんと翻訳されて、この時のこの文脈だとこの言葉は不適切ではなくてこの言葉だみたいなのをすごく精査してやられているんですよね。
で、今回僕が教えてもらった海外未翻訳の書籍の概要の部分で、
チャットGPTってこれどうやって翻訳してるのかなみたいな、そもそもの疑問。
僕の正しくはないかもしれない知識で推測するに、単純にその言葉の訳語として適切である単語を持ってきて、
ある程度前後の文脈とかは多分判断はされているんですけれども、
でも例えば違うタイミングで同じ書籍の概要を聞いた時に、
じゃあ派って同じ言葉単語を使って説明してくれているのか、もしくは何か単語変わっちゃったりしないのかなみたいな話もきっとあるなと思いまして、
で、それこそあの社会学だとか哲学だとかの領域でそれって結構な重要な話、概念を考える時とかですね。
まあ社会学だけでもないですよね。
いろんなあらゆる状況の中でそういう統一性であると言いますか、全体としての整合性が取れている翻訳のその必要性、正しさと言いますか、
それがとても大切だよっていう話が今回のチャットGPTの翻訳の中にはあったのかなかったのかでいくと、
まあ未翻訳の書籍なので、ちょっと危ういところがあると思うんですよね。
でもそれをまたさっきの話に戻るんですけれども、
あたかも何でも知っている一つの人格を感じてしまえるほどの全能性を持ったディスペイの向こう側のチャットGPTという誰かが、
あたかもこれ正解ですよぐらいな感じで答えてくれるこの社会。
これってこれからその社会で生きていく子たちっていうのは、そういった人たちが運営していく社会、
今回何かこうチャットGPT的なものに対するときの危うさ、ちょっと忘れずに付き合う必要があるのかもなと、
歴史と翻訳の重要性
そんなことを今回考えた次第でございました。
ちょっと長くなってしまいましたけれども、皆さんはいかがでしょうか
ちょっと感じたことだったりとか、何か体験談だとか教えてもらえると嬉しいです。
コメント等お待ちしております。
ということで、やす@衰退国の地方サバイバー魂でした。また次回もよろしくお願いします。