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どら
そこがあのライドシェアの素晴らしいところで、どこに行ってくださいって乗ってから一言も言う必要もないし、お金を払う必要もない。
のみ
会話しなくていいの?
どら
お金は全部スマホで払っているから。
だからそこのアクション、会話もそうだし、お金を払うっていうアクションもないし、本当に乗ってありがとうって言って、何も言わないでそこまで連れてってくれて、じゃあまたありがとうって言って出るっていう、それだけのアクションになるので。
それこそ海外で言葉が不自由だとか、そういう人にとってもすごく楽ちんだし。
そもそもさ、ニューヨークのタクシーとか、移民の人がやってる運転手すごい多くて。
何に合わせてるのか全然わかんないっていうとき結構あるんだよね。
だからそれも考えても全然そういう余計なインタラクションなしで、楽ちんは楽ちん。
その代わりなんかずっとスマホで、電話で外国語で誰かと話しているっていう運転手の人がいたりとか、それはそれでなんかどうなのかなって思うときはあるけど。
日本で日本人がやってたら相当ムカつくだろうなと思うんだけど、アメリカにいると心がだいぶ広くなっていくので。
この間もニューヨークに行ったんだけど、ニューヨークのマンハタに行ったんだけど、運転手がずっと喋ってるんだけど、それが何て言うんだろう。
相槌を打ってるわけ、電話で。僕たち乗ってる側も3人くらい乗ってたんだけど、会話してるじゃん。
それに相槌をたまに打たれてるみたいな感じで、気持ち悪いな、変だなこの人って思ってて。
最初ちょっと何か、え?って思ったの。たまに何にもしなくても声出しちゃう人いるじゃん、たまに。そういう人なのかなと思ってたの。
そうしたら、よくよく聞いていったら途中から話し始めたりとかしたら、あ、電話してたんだこの人って言って、イヤホン入れてて。
いやいやいやと思って、ちょっとそれはどうなのかなと思ったけれど、不思議なことが起こる。
のみ
安全運転の面からちょっと不安になるよね。
どら
もちろん全然電話してもいいんだけど、お客さんとのインタラクションなしだから、しょうがないっていうか、いいんだけど、どっちかに集中した方がいいんじゃないかっていう気が日本人的にはしたりしたけど、まあでも安全運転ならばいいか。
のみ
なんか前話したか覚えてないけど、自動運転に関して何か書いてある。自動運転をメインに書いてる本じゃないんだけど、今後どう進歩していくよね、世の中みたいな。
自動運転のときに、例えば誰かが飛び出してきました。その人を引けば、別にまっすぐなので、乗ってる人は無事ですと。でも避けようと思ったら、どっかの壁にぶつかりますみたいなときに、どうするの?
どら
そうだね。
のみ
そういう問題が残る。何があっても車内を守るモードなのか、他人を大切になのか。
そういう問題が出ちゃうよねって書いてあって。
どら
確かに。確かに。まあでもあれだよね、車に乗っている人側っていうのはどんどんどんどん車の安全性が高まって、車の安全性って自動運転の安全性じゃなくて、車体としての安全性がどんどん高まっているから、そっちはなんか、そっちの方が起こりづらいっていうか、気はするけどね。
だから引いちゃう人の方を避ける方が優先なんじゃないかな、きっと。
のみ
まっすぐ行くから誰かが飛び出していて、左右におけると、トロッコのジレンマじゃないけど、他の人がいるみたいな。
どら
そうだね。
のみ
なきにしもあらずだよね。
どら
なきにしもあらずだよね。
のみ
誰のせいなんだと。
どら
誰のせいなのかっていうのは本当に議論になるだろうね。
のみ
それがもう本当にAIなのかは、もう人間の手を離れて判断できるのか、実は高級車だと隠れモードがあって、必ず車内は守るようにとか、なんか若そうな人は助けろとかあるかもってなると、誰のせいか本当わからなくなっちゃう。
どら
そうだね。それは確かに、アメリカでも実際そこの法整備はどうなってるんだろう、忘れちゃったなんか聞いたことがある気がするけど、だって実際にそういう事故っていうか起きてて、死亡事故も発生はしてるからね。あれは結局どういうふうになったんだろう、そういえば。
のみ
人間がやったら人間のせいにできるけど、誰も手を下していないと。
どら
そうだよね。確かに。まあそういう意味ではまだまだちょっとね、いろいろいろんな意味で追いついてないから、法整備とかも含めて、法整備がね、技術的にはもう必要だろうね。
そうじゃないとね、だって自動車会社だってそんなもの、そんな危ないものっていうか、そんな責任が全部自分にかかってくれるようなものを作れないだろうし。
のみ
完全に車道と歩道を分けて、本当にそれで事故ったらもう歩行者、今って歩行者は悪者にできないもんね。
どら
そうだね、基本的にはそう。
のみ
車側は既に悪者だけど、空とかも飛び出すのかな。
どら
まあでもそこは難しいんじゃないの?やっぱり人間が中心というか、だって日本では滅多に最近は見ないけど、アメリカだとやっぱり人がこう突然道の真ん中を突然横切る時とかたまにあって、
まあ大きな道ではないけど小さい道とかだと結構そういう時あって、もちろん車はみんなそんなに飛ばしてるわけじゃないから、一般の道だったら。
といってもそこそこの日本のキロにするとそれなりに飛ばしてる気はするけれど、でもなんかやっぱりそれでブレーキかけなきゃいけない時結構たまにあるからね。
まあそれだけ歩行者に対してはすごい気を使っているというか、気をつけてるは気をつけてる。
一時停止とか絶対するしね。まあ絶対っていうのはちょっとあれだな。自分は絶対するけど、たまに止まらない人もいるけど、日本と比べたらちゃんと止まってる気がするな。
どら
あと譲り合いの精神も、私はアメリカの方がなんとなく全体的に車の運転という意味では譲り合っているような気がする。
ああいう高速で嫌がらせ行為みたいなのが日本ではすごい問題に一致になって、もちろんああいうのはニュースのトレンドみたいな感じで扱われてたときはあると思うけど、
あんまりあそこまでああいうひどい嫌がらせみたいなのって、たまにあるとは思うけど、そんなに聞いたことがないね、アメリカで。
なんかイライラしてるのかな、日本の人。わかんないけど。
のみ
なんか日本の国って優しいとかみんな親切とか言われるけど、別にアメリカだって親切なんじゃないの?とかって。
どら
親切だよ。
のみ
そう思うんだけど、親切じゃない国ってあるのかなっていう。
どら
どうなの?なんか昔、これは噂レベルでしかないから、自分では言ったことないからわかんないけど、中国のサービスがめちゃめちゃ悪いとかって言われてた時期あったじゃん。
すごい私たちのまだすごい小さいとき。
でもそれも経済発展なのか、いろんなことが起こって、中国も全然そういう昔はすごいつっけんどんなサービスしかなされないみたいなの言われてたけど、今はどうなんだろうね。
僕もあんまり中国本土そんなに行ったことがないから、そこの感覚っていうのがちょっとわかんないけど、なんかそういうのは昔は言われてたけどどうなのかな。
まあでも共産国と、中国を本当に単純な共産国家と言えるかどうかってさえちょっと今やわからないけど、なんか自由主義の国。
共産国って悪いよっていうことをイメージ付けるために、ああいうことを言ってイメージを悪くするために言っていたっていう可能性はあるのかもしれないけど。
のみ
なんかもう先入観で、海外の人にとって日本人はなんか親切とか優しいとかって言っとされてくると、どっちに転ぶかわかんないけど、そういう経験だけが頭に残るのかもね。
どら
うん、そうね。それはあるだろうね。
のみ
あるかもね。まあ嫌な経験も残るのかな。
どら
もともとやっぱりそういうふうに言われてると、そういうとこばっかり見るっていう傾向は確かにあるのかもね。前にもそういう話した気がするけど、それは確かにあるかも。
でも逆にそういう期待をしてきたら、そうじゃないことに出会ったときのショックってそれなりにあると思うんだけどね。
のみ
いるとどこがどう親切なのか。
普通に歩いてたらだって駅で悩んでそうな人普通にいるもんね。誰も声かけず素通りして。いや、おいらも素通りしちゃうんだけど。忙しいときは。
どら
駅で迷ってる人ってどういう人?あんまりそんなに出会ったことあるかな。僕が見逃してるのかな。
のみ
地下鉄の地図見ながらうんちゃらかんちゃら。
どら
ああ、そうね。そういう人はたまに確かにいるわな。自分が知ってるエリアだったら助けてあげたいと思うけど。
のみ
まあでも悩んでんのか楽しんで見てるのかわかんないよね。
どら
そうそう。自分もなんか別に意味もなく地図見てるときあるかも。地図大好きだから。
まあね、そこでまた前のあれじゃないけど、あ、この人変な人に喋りかけられたって思うかどうか。
ああ、親切だなって思うかどうかっていうの。人によってもしかしたら違うかもしれないし。
どら
大丈夫ですよって言うだけだったらまあね、別にそれで別に何も困ってないって大丈夫ですって言ってくれればいいだけだけど。
だからそういう一言二言みたいなコミュニケーションが日本だとなんかあんまりされないのかなと。
あと海外から来た人に対して優しいっていうのは外面がいいとかそういうのもちょっとあるんじゃないかなという気はしないではないけど。
知らない人だからこそ優しくっていうか普通に対応できるとか余計な概念なしに対応できるっていうところがあったりするのかもしれないけどね。
のみ
だからそうかこっちからは声はかけないか日本の場合困ってそうだなと思っても通りだけど向こうからすいませんとかエキスキューズミーって来たら優しいんだろうね多分。
どら
日本人はさ困ってる時に困ってる感をあんまり出さないんじゃない。出す人はたまにいるからそれはすごいレアなケースでその時は助けてあげるけど、
そうじゃない時はあまり構わないで大丈夫です的なオーラを出している人が多いのかもしれないとは思った。
アメリカだとなんか明らかにこの人今困ってるなっていうなんか見るからに助けが必要ですっていう感じの人がいるような気がする。
表現力が豊かなのかな。わかんない。私の勝手な感想かもしれない。
のみ
今ふと思ったけど、自分が困ってるから助けてくださいって言った時に何かされるとすごい助かった感があって。
日本人側から自発的には来ないから、それうざい面もあるじゃない。来たら別に悩んでませんよっていう時もあるだろうから。
多分それのマイナスがないのかもね。海外だとわかんないけど適当だけれども、困ってそうな人がいたら助けてあげよう感が逆にあって。
それは当然失敗するというか別にいらないよっていう時もあるから、単なるおせっかいに終わる時があるけど、それがないのかも。
純粋に数の上では少ないかもしれないけど、マイナスがないから。
どら
それはあるかもね。
のみ
それはあるかもしれないな。助けてと言われたら助ける。
どら
あとはアメリカにはそれこそいろんな国から来た人がいるから、外国にいる人なのかアメリカに住んでる人なのかっていうのがまず分けづらいっていうのがあるんだけど、
その中でも明らかに海外から来た人でこの人は困ってるなっていう違和感というか、この人は本当に海外から来て困っているんだなっていうのが多分分かってしまうような行動とか浮いている行動っていうかが多分あるんだろうと思うんだよね。
それが気がつかれるのかもしれない。困ってるなっていうのと、この人本当に今海外から来たんだなっていうのが分かんない。例えば荷物いっぱいすごい持ってて、トランクいっぱい持ってるとか、地図出して観光ガイドブックみたいなものを出してみてるとか分かんないけど、そういうのがあるかも。
日本人で日本で困ってる人って別に、海外から来た人は逆に言うと日本では分かりやすいじゃん。この人は今海外から来て多分困ってるんだなとか。それもある意味偏見なんだけど。そこの中で、この人が今本当に困ってそうだ。海外から来てるから困ってそうだっていうのと、日本人の普通の生活を日本にしている人だなっていうのの差が日本では分かりやすいのかもしれない。