タクシー業界とライドシェア

やさしさアングルは、もっと世界がやさしくなったらいいなと思っている、のみとどらちゃんの会話をこっそり公開しているポッドキャストです。
もしよかったら、深夜ラジオを聴く感覚で、そんな他愛のないおしゃべりに耳を傾けてみてください。

日本もタクシーほとんど乗らなくなったけど、
前の羽田から乗ったら結構高かったな、あれ。

あ、そうなの?

うん、なんかカウントが変わってんだと思うんだよね。

おー、でもなんか羽田とかだとさ、相変わらず一定額とかになってんじゃないの?
なってないんだ。

あ、いや、なってないと思うよ。

そうか、あれは予約した場合とかだけなのか。

あ、どうなんだろうね。
うん、予約した場合…なのかな?

なんか昔はあったよね、なんかどこの区だといくらとか。

あった気がする。

うん、ね。
あー、でも羽田は近くていいよね、東京に住んでたら。

タクシーがすごい少なくなってるみたいね、運転手さんがみんなコロナで辞めちゃって。

なんかちょうどいい時期だったっていうか、なんかいい辞め時だったっていうのはなんかあるみたいだよね。

人不足だから

その中でもさ、アメリカでもじゃないや、日本でもウーバーをっていうか、
なんていうの、乗り合いのああいう一般車を使うっていう話が、
そろそろOKになるんじゃないかみたいな話があったりするじゃない?
どうなんだろうね。

なんでダメなんだろうね、でも。タクシー業界が儲かんないから?

そうなんじゃない?あとは安全性とか?
やっぱり一般の人が、全く一般の人をシェアするライドシェアだから、
それでお客さんからお金取るっていうことで危険性、安全性が確保できないとか、そういうことを言うんだろうね。

まあそうだよね、いいバイト。
でもアンオフィシャルにはね、みんなやってることだからお金取るのはいけないのか。
まあそうか、タクシー…。

確かにタクシー業界との軋轢というか、もちろんあれはあるだろうけど、
でも今言ったようにどんどんタクシーの運転者が減ってしまって、
足りないっていうのは、それはそれで困るからね。
自動運転の進歩と安全性の問題

今後にさらにそれこそ高齢化社会が進んで、タクシー必要な人っていうのはどんどん増えていくはずなので。

まあ自動運転になればね。

もちろん自動運転が出てくればね。
まあでもすぐ、あと10年でじゃあ全部自動運転の世界になるかというと、そういう感じではないので。
高齢化はさ、もう10年20年で結構やってきてしまうというか、どんどん高齢化が進んでいくから。
それこそ私たち自身がさ、高齢化なわけだからさ、もうそろそろさ。
あと20年したらね、本当歩いてそんなに簡単に外に行けないっていう状態になるとも限らないし。

確かに歩けなくなるのはほんとやだなあ。

困るよね。
だからやっぱりそれによってなんていうの、自分の生活範囲が狭まるって考えたらちょっとやっぱり、
自分でもやだ、自分でもやだなって思うもんね。やっぱり動けなくなったら、そういう意味で。
それがなんかUberとかそういうライドシェアによって確保できるんだったら全然悪くないかなあ。

まあそうだね。

ただいろいろね。

事故った時が確かにね。

ん?

事故った時がね。

そうそうそう。そういうとこなんだよね結局はね。
まあだから保険であったりとか保険の制度じゃどうするのかとか。
まあもちろんそのライドシェアの会社による社員というか教育とか、いろんなことがあるんだと思うんだけど。
まあでもなんかね、それによって結局なんかタクシーと変わんないじゃんみたいなことになるのもやだし、もったいないというか難しいところだよね。

知らない人なわけでしょ運転手が。

うん。知らない。

行く場所があまり詳しくなかった。
あ、でも指示してくださいになるのか。

えっとそれがもうさ、UberってUber使ったことある?でもアメリカで。
Uberとかリフトでも何でもいいんだけど。
結局さ、もう行く場所を指定してあるじゃん。マップで。
だから普通にスマホの地図アプリみたいなもので、どこに行くかは分かってるわけよ。ドライバーは。
で、それで表示される案内通りに運転していけばいい。
交通事故と法整備

そこがあのライドシェアの素晴らしいところで、どこに行ってくださいって乗ってから一言も言う必要もないし、お金を払う必要もない。

会話しなくていいの?

お金は全部スマホで払っているから。
だからそこのアクション、会話もそうだし、お金を払うっていうアクションもないし、本当に乗ってありがとうって言って、何も言わないでそこまで連れてってくれて、じゃあまたありがとうって言って出るっていう、それだけのアクションになるので。
それこそ海外で言葉が不自由だとか、そういう人にとってもすごく楽ちんだし。
そもそもさ、ニューヨークのタクシーとか、移民の人がやってる運転手すごい多くて。
何に合わせてるのか全然わかんないっていうとき結構あるんだよね。
だからそれも考えても全然そういう余計なインタラクションなしで、楽ちんは楽ちん。
その代わりなんかずっとスマホで、電話で外国語で誰かと話しているっていう運転手の人がいたりとか、それはそれでなんかどうなのかなって思うときはあるけど。
日本で日本人がやってたら相当ムカつくだろうなと思うんだけど、アメリカにいると心がだいぶ広くなっていくので。
この間もニューヨークに行ったんだけど、ニューヨークのマンハタに行ったんだけど、運転手がずっと喋ってるんだけど、それが何て言うんだろう。
相槌を打ってるわけ、電話で。僕たち乗ってる側も3人くらい乗ってたんだけど、会話してるじゃん。
それに相槌をたまに打たれてるみたいな感じで、気持ち悪いな、変だなこの人って思ってて。
最初ちょっと何か、え?って思ったの。たまに何にもしなくても声出しちゃう人いるじゃん、たまに。そういう人なのかなと思ってたの。
そうしたら、よくよく聞いていったら途中から話し始めたりとかしたら、あ、電話してたんだこの人って言って、イヤホン入れてて。
いやいやいやと思って、ちょっとそれはどうなのかなと思ったけれど、不思議なことが起こる。

安全運転の面からちょっと不安になるよね。

もちろん全然電話してもいいんだけど、お客さんとのインタラクションなしだから、しょうがないっていうか、いいんだけど、どっちかに集中した方がいいんじゃないかっていう気が日本人的にはしたりしたけど、まあでも安全運転ならばいいか。

なんか前話したか覚えてないけど、自動運転に関して何か書いてある。自動運転をメインに書いてる本じゃないんだけど、今後どう進歩していくよね、世の中みたいな。
自動運転のときに、例えば誰かが飛び出してきました。その人を引けば、別にまっすぐなので、乗ってる人は無事ですと。でも避けようと思ったら、どっかの壁にぶつかりますみたいなときに、どうするの?

そうだね。

そういう問題が残る。何があっても車内を守るモードなのか、他人を大切になのか。
そういう問題が出ちゃうよねって書いてあって。

確かに。確かに。まあでもあれだよね、車に乗っている人側っていうのはどんどんどんどん車の安全性が高まって、車の安全性って自動運転の安全性じゃなくて、車体としての安全性がどんどん高まっているから、そっちはなんか、そっちの方が起こりづらいっていうか、気はするけどね。
だから引いちゃう人の方を避ける方が優先なんじゃないかな、きっと。

まっすぐ行くから誰かが飛び出していて、左右におけると、トロッコのジレンマじゃないけど、他の人がいるみたいな。

そうだね。

なきにしもあらずだよね。

なきにしもあらずだよね。

誰のせいなんだと。

誰のせいなのかっていうのは本当に議論になるだろうね。

それがもう本当にAIなのかは、もう人間の手を離れて判断できるのか、実は高級車だと隠れモードがあって、必ず車内は守るようにとか、なんか若そうな人は助けろとかあるかもってなると、誰のせいか本当わからなくなっちゃう。

そうだね。それは確かに、アメリカでも実際そこの法整備はどうなってるんだろう、忘れちゃったなんか聞いたことがある気がするけど、だって実際にそういう事故っていうか起きてて、死亡事故も発生はしてるからね。あれは結局どういうふうになったんだろう、そういえば。

人間がやったら人間のせいにできるけど、誰も手を下していないと。

そうだよね。確かに。まあそういう意味ではまだまだちょっとね、いろいろいろんな意味で追いついてないから、法整備とかも含めて、法整備がね、技術的にはもう必要だろうね。
そうじゃないとね、だって自動車会社だってそんなもの、そんな危ないものっていうか、そんな責任が全部自分にかかってくれるようなものを作れないだろうし。

完全に車道と歩道を分けて、本当にそれで事故ったらもう歩行者、今って歩行者は悪者にできないもんね。

そうだね、基本的にはそう。

車側は既に悪者だけど、空とかも飛び出すのかな。

まあでもそこは難しいんじゃないの?やっぱり人間が中心というか、だって日本では滅多に最近は見ないけど、アメリカだとやっぱり人がこう突然道の真ん中を突然横切る時とかたまにあって、
まあ大きな道ではないけど小さい道とかだと結構そういう時あって、もちろん車はみんなそんなに飛ばしてるわけじゃないから、一般の道だったら。
といってもそこそこの日本のキロにするとそれなりに飛ばしてる気はするけれど、でもなんかやっぱりそれでブレーキかけなきゃいけない時結構たまにあるからね。
まあそれだけ歩行者に対してはすごい気を使っているというか、気をつけてるは気をつけてる。
一時停止とか絶対するしね。まあ絶対っていうのはちょっとあれだな。自分は絶対するけど、たまに止まらない人もいるけど、日本と比べたらちゃんと止まってる気がするな。
日本人の優しさと助け合い

あと譲り合いの精神も、私はアメリカの方がなんとなく全体的に車の運転という意味では譲り合っているような気がする。
ああいう高速で嫌がらせ行為みたいなのが日本ではすごい問題に一致になって、もちろんああいうのはニュースのトレンドみたいな感じで扱われてたときはあると思うけど、
あんまりあそこまでああいうひどい嫌がらせみたいなのって、たまにあるとは思うけど、そんなに聞いたことがないね、アメリカで。
なんかイライラしてるのかな、日本の人。わかんないけど。

なんか日本の国って優しいとかみんな親切とか言われるけど、別にアメリカだって親切なんじゃないの?とかって。

親切だよ。

そう思うんだけど、親切じゃない国ってあるのかなっていう。

どうなの?なんか昔、これは噂レベルでしかないから、自分では言ったことないからわかんないけど、中国のサービスがめちゃめちゃ悪いとかって言われてた時期あったじゃん。
すごい私たちのまだすごい小さいとき。
でもそれも経済発展なのか、いろんなことが起こって、中国も全然そういう昔はすごいつっけんどんなサービスしかなされないみたいなの言われてたけど、今はどうなんだろうね。
僕もあんまり中国本土そんなに行ったことがないから、そこの感覚っていうのがちょっとわかんないけど、なんかそういうのは昔は言われてたけどどうなのかな。
まあでも共産国と、中国を本当に単純な共産国家と言えるかどうかってさえちょっと今やわからないけど、なんか自由主義の国。
共産国って悪いよっていうことをイメージ付けるために、ああいうことを言ってイメージを悪くするために言っていたっていう可能性はあるのかもしれないけど。

なんかもう先入観で、海外の人にとって日本人はなんか親切とか優しいとかって言っとされてくると、どっちに転ぶかわかんないけど、そういう経験だけが頭に残るのかもね。

うん、そうね。それはあるだろうね。

あるかもね。まあ嫌な経験も残るのかな。

もともとやっぱりそういうふうに言われてると、そういうとこばっかり見るっていう傾向は確かにあるのかもね。前にもそういう話した気がするけど、それは確かにあるかも。
でも逆にそういう期待をしてきたら、そうじゃないことに出会ったときのショックってそれなりにあると思うんだけどね。

いるとどこがどう親切なのか。
普通に歩いてたらだって駅で悩んでそうな人普通にいるもんね。誰も声かけず素通りして。いや、おいらも素通りしちゃうんだけど。忙しいときは。

駅で迷ってる人ってどういう人?あんまりそんなに出会ったことあるかな。僕が見逃してるのかな。

地下鉄の地図見ながらうんちゃらかんちゃら。

ああ、そうね。そういう人はたまに確かにいるわな。自分が知ってるエリアだったら助けてあげたいと思うけど。

まあでも悩んでんのか楽しんで見てるのかわかんないよね。

そうそう。自分もなんか別に意味もなく地図見てるときあるかも。地図大好きだから。
まあね、そこでまた前のあれじゃないけど、あ、この人変な人に喋りかけられたって思うかどうか。
ああ、親切だなって思うかどうかっていうの。人によってもしかしたら違うかもしれないし。
マスク文化の違い

大丈夫ですよって言うだけだったらまあね、別にそれで別に何も困ってないって大丈夫ですって言ってくれればいいだけだけど。
だからそういう一言二言みたいなコミュニケーションが日本だとなんかあんまりされないのかなと。
あと海外から来た人に対して優しいっていうのは外面がいいとかそういうのもちょっとあるんじゃないかなという気はしないではないけど。
知らない人だからこそ優しくっていうか普通に対応できるとか余計な概念なしに対応できるっていうところがあったりするのかもしれないけどね。

だからそうかこっちからは声はかけないか日本の場合困ってそうだなと思っても通りだけど向こうからすいませんとかエキスキューズミーって来たら優しいんだろうね多分。

日本人はさ困ってる時に困ってる感をあんまり出さないんじゃない。出す人はたまにいるからそれはすごいレアなケースでその時は助けてあげるけど、
そうじゃない時はあまり構わないで大丈夫です的なオーラを出している人が多いのかもしれないとは思った。
アメリカだとなんか明らかにこの人今困ってるなっていうなんか見るからに助けが必要ですっていう感じの人がいるような気がする。
表現力が豊かなのかな。わかんない。私の勝手な感想かもしれない。

今ふと思ったけど、自分が困ってるから助けてくださいって言った時に何かされるとすごい助かった感があって。
日本人側から自発的には来ないから、それうざい面もあるじゃない。来たら別に悩んでませんよっていう時もあるだろうから。
多分それのマイナスがないのかもね。海外だとわかんないけど適当だけれども、困ってそうな人がいたら助けてあげよう感が逆にあって。
それは当然失敗するというか別にいらないよっていう時もあるから、単なるおせっかいに終わる時があるけど、それがないのかも。
純粋に数の上では少ないかもしれないけど、マイナスがないから。

それはあるかもね。

それはあるかもしれないな。助けてと言われたら助ける。

あとはアメリカにはそれこそいろんな国から来た人がいるから、外国にいる人なのかアメリカに住んでる人なのかっていうのがまず分けづらいっていうのがあるんだけど、
その中でも明らかに海外から来た人でこの人は困ってるなっていう違和感というか、この人は本当に海外から来て困っているんだなっていうのが多分分かってしまうような行動とか浮いている行動っていうかが多分あるんだろうと思うんだよね。
それが気がつかれるのかもしれない。困ってるなっていうのと、この人本当に今海外から来たんだなっていうのが分かんない。例えば荷物いっぱいすごい持ってて、トランクいっぱい持ってるとか、地図出して観光ガイドブックみたいなものを出してみてるとか分かんないけど、そういうのがあるかも。
日本人で日本で困ってる人って別に、海外から来た人は逆に言うと日本では分かりやすいじゃん。この人は今海外から来て多分困ってるんだなとか。それもある意味偏見なんだけど。そこの中で、この人が今本当に困ってそうだ。海外から来てるから困ってそうだっていうのと、日本人の普通の生活を日本にしている人だなっていうのの差が日本では分かりやすいのかもしれない。
異質な行動と困っている人の認識

で、日本人はそういうところに目が行く。この人、違和感ある、異質だから困ってるかもしれないっていうふうに思ってるっていう可能性はあるね。
だからそこにだけフォーカスするっていう逆に言うと、そういう本当に困ってそうな海外から来た人だけが分かりやすいっていう。そういうのはもしかしたらあるかもしれない。

なんか日本で電車にとか歩いてて、まだ2月冬っていうのもあるし、インフルエンザもあるし、花粉もそろそろ活発になってるみたいで、マスクしてる人は普通にまだいっぱいいるんだってさ。
海外の、明らかにその、マスクだから口と鼻は一部隠れてるけど、いわゆる日本人じゃないなっていう人がマスクしてると、逆になんていうの、あれ?とかって直感的に感じちゃうっていうの。

まあ確かにマスクは、日本とかアジアの他の国もいくつかあるのかもしれないけど、マスク文化はやっぱりアメリカでは全く受け入れられないからね。
もちろんコロナの間はマスクみんなせざるを得なかったからしてたし、逆に今でもすごい怖がり、すごい気にする人は今でもマスクたまにしてる。空港とか飛行機の中でマスクしてる人もいるけど、でも本当に本当に少数派。
もうマスクしなくていいですってなったら本当にほとんどの人が、ああじゃあこんなめんどくさいものしないっていう感じになったので、もう少しコロナの後、マスクって結構いいじゃんっていうか、いろんな意味でそこに発見があるんじゃないかと思ってたんだけど、全くないね。
やっぱり元の、完全に元の状態に戻った。本当に一部の人が、本当に本当に一部の人が今でも空港とかそういうところではしてる。でもそれはコロナが怖いっていうか、多分そういう理由。マスクの有用性に気づいたわけではなく、単純に今でもコロナとかああいうものに対して非常に神経質な人みたいな感じになっていて、
結局あんなものはやっぱり普通ではないっていう感覚は多分変わってないんじゃないかなと思うね。

その底にあるのはどういう感覚なんだろうね。そこまで別に嫌がらなくても、必要かと言われるとわからずにしちゃってるんだけど、僕も。マスクの効果本当にあるかと問われると、科学的にはわかりませんし。でもなんか、顔隠せていいなみたいな。

たぶんそっちだと思うんだよね。日本人の多くのやっている理由の一つは。アメリカ人の頭の中は私もよくわからないところもあるけれど、そこを隠したいっていう人がまず少ないんだろうね、きっとね。不思議だけど。なんでだろうね。

見てほしいのかな。自分の個性なんだろう。自分を隠すという感覚がないのかな。見てみて。

一概には言えないからね。もちろん人によるところはあると思うけど、僕の個人的な感想としては、自己肯定感は全体的に高いと思う。ただ、うつの人とかも多いんだよね、アメリカって。でもそれもさ、日本では実は隠れうつの人が多いんじゃないかって言われてるんだよね。
うつということを意識せずに、結局これは自分が本当に単純に体調が悪いんじゃないかとか、なんか自分が悪いっていうそういう方向に持って行ってしまって、病気として認識されていないがために少ないように見えているけど、実際の潜在的なうつの人ってすごく実は日本は多いんじゃないかっていうのを言われたりとかするから。
でもアメリカだと、これはうつだって言って治療に行くっていう。そして薬を飲むっていう習慣というか、そういう認識があるから、それをあまりネガティブなっていうか、もちろんネガティブなんだけど、病気だからネガティブなんだけど、別にそれを隠そうとかそういうのはなくて、病気だから治療しようっていう、そういう感覚が強いような気がするから。
自己肯定感と日本人の行動の仕方

でもそれはちょっと置いておいて、でも自己肯定感は、だから全体的には僕は日本とアメリカと比べたらアメリカの方がなんとなく強いような気がする。それは子供の頃から何か育てられ方とか、個性というかあなたらしさみたいなのを、やっぱりあなたって何っていうのをすごいずっと多分トレーニングされてるような気がするんだよね、アメリカ人。
表現、自己表現というか、そういうのが豊かだと思うし、やっぱりそれと比べると日本人はグループの中での行動の仕方というか、周りに人がいる中でどういうふうに生活するか、人と自分と相手とどういうふうに調和させて生きていくかみたいな感じのことをずっと教育的にはされてるような気がする。
自分を出すというよりは、みんなでどういうふうにうまくやっていくかっていう方に言ってるから、自己肯定感というよりは、全体として認められるというか、全体の中で和を持つみたいな、そういう感じにもしかしたら性格というか考え方がなってるかもなっていうふうに思ったりはするけど、それは私たちくらいの世代で、またちょっとまた下の世代はどんどん上がっていくかもしれない。
また下の世代はどんどん変わってきてるかもしれないけど。

ノーベル物理学賞の眞鍋さんだっけ?
日本には帰りたくないです。私は協調できないからって。

眞鍋じゃねえ、なんだっけ?
眞鍋さん。眞鍋淑郎さん?これか。眞鍋淑郎であってますよ。いつとった人?2021年か。

でもいい悪いじゃないのかね。
程度問題か、それぞれの人、そういう人たちが両極端がいても批判しなければ、受け入れれば別にいいのかな。
もう少し日本も自己肯定感高くてもいいかなとは思うけど、みんながそうなったら居心地悪く感じるのかも。

そうね。どうなのかな。自分の周りにはそこまで、調和を乱した人はどうのこうのみたいな感じの人ってそんなにいないような気がする。
それはそういう人は自分の周りに置いてるっていうか、そういう人としか付き合ってないからなのかもしれないけど。そんなにいない気がするけど、他にはいっぱいたくさんそういう人もいるんだろうな。
日本とアメリカの比較

でも日本が居心地悪くて海外に行っちゃう方は、こういう方も良くないかもしれないけど、

自分も海外に住んでるから、どうなのかなと思うところはあるけど、確かに日本でその人から何ていうのかな、
興味本位でなのかわからないけど、その自分のことに対して何かこう言ってくる人、なんかそういう人がいるのかな、あんまりでもそういうでも感覚が、
人から何か言われなくて済むっていう感じはちょっと確かに感じはある、感覚としてある。それはもしかしたら別に、海外ではなかったのかもしれない、単純に自分の
家から離れたらとか友達から離れたらそれでも良かったのかもしれないけど、別にでも友達から何か言われてたわけじゃないし、それで居心地が悪いということは全然ないんだけれど、
あんまり他人から干渉されないって生活できるっていう意味で、より気楽っていう感じは確かに感覚的にはあるのかもね、どこかでね、心の胸の奥の方では。
そこから別に逃げたいと思ったわけじゃないし、僕はどっちかというとアメリカ文化みたいなのが昔からちょっと好きだったっていうのがあって、興味があるなと思って、それで留学とかもそれでしたし、
交換留学もしたし、その中でやっぱり面白いなとか、あとは仕事のこととかね、いろいろアメリカの会社で働いてアメリカ面白いなと思ったとか、そういうところなので、ネガティブな理由から行ったというよりはむしろ、日本が嫌だからネガティブにアメリカに来たんじゃなくて、アメリカにポジティブ、アメリカがいいなって思って来ただけであって、別に日本も今でも大好きだし、
日本たまに行ってもちろんね、楽しいし、だから全然そこは嫌いになって出たっていう感じではないんだけど、そこはそういう人もいるだろうね。嫌いで出たっていう人と、好きだからこっちに行ったっていうの、そこはなんかいろいろ人によってちょっと感覚が違うと思うけど。