1. やさしさアングル
  2. 第 6 夜・パート 3
2024-04-03 33:11

第 6 夜・パート 3

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どら
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やさしさアングルは、もっと世界がやさしくなったらいいなと思っている、のみとどらちゃんの会話をこっそり公開しているポッドキャストです。もしよかったら、深夜ラジオを聞く感覚で、そんな他愛のないおしゃべりに耳を傾けてみてください。

登場人物

のみ(野見山 征也)

夢は、やさしいひと・やさしいリーダーになり、そうあり続けること。仕事は、職場をやさしさで包み、前向きな挑戦と、事業と仲間の成長を実現させること。「やさしくなければボクじゃない。心が強くなければやさしくなれない」が座右の銘。

のみの note → https://note.com/bokutomogurato

どらちゃん(中川 浩孝)

旅行大好き、航空オタク。最近はクルーズがお気に入り。ディズニー(パーク)ファン。食べるのが大好き(グルメフードからジャンクまで)で、料理も好き。仕事では、主にアメリカの IT 企業でマーケティングを担当。アメリカ・コネチカット州在住。

どらちゃんの note → https://note.com/nakagaw3

サマリー

南部黙りの人との通話で言葉がなかなか通じず、外国人であっても標準語的な英語を喋ってほしいと思いますが、それでも通じなくて諦める経験を通じて、言語を越えてコミュニケーションが成立することにほっとしています。また、日本語でも外国人の方が通訳が必要なことがあり、日本人の方言も通訳しにくいことがあると話しています。人々は死について考え、死は無であり、悲しむべきではないというテーマについて議論しています。また、死とは何かという問いについても考えています。家族や友達との旅行計画は、スケジュールの調整や悩ましい選択が必要となりますが、一人旅行なら行き先やスケジュールに縛られずにのんびり楽しむことができます。

言語の通じなさ
どら
やさしさアングルは、もっと世界がやさしくなったらいいなと思っているのみとどらちゃんの会話を、こっそり公開しているポッドキャストです。もしよかったら深夜ラジオを聴く感覚で、そんな他愛のないおしゃべりに耳を傾けてみてください。
そうなんです。それはでもね、いまだに英語のいろんな、なんていうのだろう、訛りというか方言的なこととか、違う国の英語とかは相変わらず聞き取れない。
それはね、本当恥ずかしいとか。でもちょっとこの間ホッとしたのは、南部訛りって結構すごいんだよね。南部の方の訛りって全然聞き取れないときがまだ今でもたくさんあって。
薬をちょっと頼まなくちゃいけないものがあって、ある会社から買うんだけど、買うというか送ってもらうんだけど、
そこのコールセンターがアラバマかな、それこそもう南部なんだよね、ディープ南部なんだけどにあって、そこに電話するとね、南部訛りの人が出るわけ、コールセンターで、しょうがないんだけど。
もうね、本当に申し訳ないんだけど、何言ってるんだか全然わからなかったの。ほとんど本当に一言一句わからないくらいわからなかったの。
で、いろんなことを言ってちょっと違う言い方に、それも言い方を気をつけないと、差別的な言葉を言ってはいけないなとこっちも思ったから、ちょっと僕は外国人なので分かりづらいのでもうちょっとゆっくり話してくださいとか、いろんな言い方をして、外国人だからこうなるべく標準語的な英語を喋ってほしいなと思ったからそういう言い方をしたんだけど、
ただゆっくり話してくれただけで、全然あの訛りは一緒だったとか、で、すっごい一生懸命頑張ってくれたんだけど本当にわからなくて、本当ごめんなさいって言って、電話の調子が悪いので切りますとか言って切っちゃったのね、それでもう一回トライしたのは違う人が出てくれることを希望して、で、違う人出たんだけど、その人も南部訛りで、さっきの人よりはわかったんだけど、やっぱり何言ってるかほとんどわかんないっていうことがあって、
いやーこれ厳しいなぁと思って、で、あの僕のパートナーのネイティブスピーカーなのでアメリカ人だから、で、一緒に申し訳ないけど横にいて聞いててって言って、もしわからなかったらちょっと助けてって言って、で、かけたの。で、一緒に横にいてもらいましたと。で、話したんだけど、えっとね、やっぱりわかんないんだって。
で、まあもちろんあの、僕みたいなレベルではないんだけど、ある程度はわかるんだけど、全部は言ってることなんだかわからなかったって言ってたから、すっげえホッとした。
あ、よかったと思って、ネイティブスピーカーの人もわからないことあるんだっていうか、わからないときにあの人たちはうまくやっぱりこういうことだよねとかっていうふうになんかほらこうに言って、で、それが間違ってるときもあるんだけど、それでもそういうふうに会話してて、じゃあそれはそうだよ、こうだよみたいな話になって。
あ、そっか、そういうふうにしていけばいいのかっていうのはちょっと思ったけれど、あ、全員、全部わかってるわけじゃないんだと思って。だってインド人の英語とかわかんないときあるよとか言われて、あ、よかった、僕もそうだしと思って、あ、よかったよかったと思って。でもそういうなんか聞き取れなかったっていうことを言うのも悪いから、なんかうまくそのこういうことっていうなんか言い換えをしたりとか、こちらからもう一回質問をし直すとかっていうふうにして会話してるっていうのを聞いて、そっかそっかそういうふうにしていけばいいんだなっていうのをすごいなんか学びました。
あんなにわかんないことあるんだと思ってすごいショックだった。
のみ
日本語でもね、もちろんあるよね。意味がちょっとわからないとか。僕も仕事で港の人たちの通訳、いわゆる外国の方と港の方々の通訳って一回やったことあるんだけど、通訳できないのね、日本語のほうがわかんない。
どら
日本語がわかんないのか。
のみ
日本語の方言がね、わかんないから、通訳しようもないっていうかさ。
どら
面白いね。まず日本語の中でも通訳が必要だと
のみ
超適当に。なんかそのオフィシャルなすごい大切な会議というか、ではなくてその会議の合間の雑談とかご飯の時とかだから、適当にやってたんだけどさ。
そりゃあでもね、方言わかんないのもいっぱいあるしね。
どら
言葉が違っちゃうとだってもうね、困るよね。沖縄の言葉とかもそうだし、もともとやっぱり違う言葉だからしょうがないよね。
英語は英語だからさ、一応同じことを言ってるはずなんだけど、それでもわからないってすごくない。ほんと恥ずかしかった、こないだ。
のみ
音がやっぱり豊富というかなんだろう、一つの音でもバラエティーに富み得るんだろうね。
どら
そうだね。でもなんか昔からでもそれは何回かそういう経験はあるんだよね。
インド系の人の訛りがちょっとあまりにもわからないっていうのは昔からあんまり変わらなくて、今でも結構きついんだけど。
アイルランドに出張に行ったときに、タクシーの人が何言ってるか全然わからなかったっていうのも、あれもなかなかひどかったというか、全然わからなかったね。
のみ
香港に行ってタクシーに乗ったときに、ほぼ英語は喋れるものっていう、なんか間違った先入観で言ったんだけど、全然通じないんだよね。
そもそも英語が喋れない人は英語通じるだろうと思うよね。
ああ、これ中国語じゃんとか思って。
どら
そっか。そこも勝手な話っちゃ勝手な話だよね。それは中国語だよ。こっちの英語だって100%じゃないのにさ。
のみ
でもなんかそういう言語を越えて通じると、なんかプチ幸せだよね。
どら
そうね。言語を越えると確かに、言語が通じないのになんとなく通じ合えたときっていうのは確かに、おおーっていうブレイクスルー感があるよね。
のみ
そう、だから日本語、海外の方でも日本語がペラペラな方とは当然会話できるけれども、それはね、内容でよったりシチュエーションで当然幸せは感じるんだけど、
なんかたどたどしい日本語の人と会話できた方がなんか、なんだ、ほっこり幸せになるよね。
どら
そうね、わかる。
のみ
だから逆もアメリカの方々とか、英語の場合にアメリカに行った場合にそう感じてもらえると嬉しいけどね。
どら
そうだね、そうだね。
のみ
ペラペラよりね。
言語を越えたコミュニケーション
どら
そうだね、そこがだからさ、日本から来た日本人なのか、アメリカに住んでる日本人なのかをさ、全く意識せずに話されるからさ、すごいネイティブな感じで来られちゃうっていう、だからそこが難しいところではあるんだけど。
だからなんかもしかしたら、日本人として観光でアメリカに来たときに、わーってなんか英語で喋られて、あー何言ってんだかわかんないな、この人が私外国人なのに全然手加減してくんないんだなと思ったら、それは別にあなたのことをアメリカに住んでいる日本人か日本から来た日本人なのかっていうのを判断していないからそうなってるんだっていうふうに思うと、もしかしたら若干心が晴れるかもしれないね。
だから逆にさ、日本でさ、よく聞くっていうか本当になるかちょっとわからないけど、まあジョーク的に言うのはさ、日本人的な見た目じゃない人が、日本にすごい日本語ペラペラな人が、あのレストランとかでさ、なんか英語のメニュー持ってこられちゃったりとか、その日本語でゆっくりで、英語ゆっくりの英語とか、ゆっくりの日本語か、ゆっくりの日本語でなんか喋りかけられたりとかするとイラッとするみたいな話ってあるけど、なんかそれの全く逆がだからアメリカでは起こるっていうか、全く外国人で、
どら
外国人として認識されていないから、普通に英語で喋られるっていう。
どっちもどっちと言ったら悩むね。
のみ
微妙な国に行くと悩むだろうね。僕らが例えば、まあ香港とか本当に韓国とか行った場合に。
どら
そうね、韓国人なのか日本人なのかわからないっていうかね、そういうの確かにあるね。
のみ
わかんのかな。
どら
なんかね、これは本当に偏見だし勝手な私のイメージだけど、なんかやっぱり雰囲気とか着てるものとかで結構わかるんだよね。
海外から来た人はわかる。アメリカに住んでる香港人なのか、アメリカに住んでる日本人なのか、アメリカに住んでる韓国人なのかってのは非常にやっぱり難しいんだけど、区別をするのが難しいんだけど。
明らかに韓国から来ましたとか、香港から来ましたみたいな、中国から来ましたっていう人に関してはわかりやすい。比較的。ファッションかな、一番大きいのは。
のみ
なんとなくわかるけどね。
どら
特に女性がわかりやすいかな。
嘘。日本から来た女性はね、それも偏見だよね。すごいやっぱり、今日本で流行ってますっていうのを着てる人が多い気がするので、すごいわかりやすい。
男性はオシャレに、やっぱり女性ほど敏感ではない人が多いから、これもすごい偏見です。全部個人の意見ですが、すごいわかりづらい。
でも日本人の男性はやっぱりアジアの人の中では、やっぱりオシャレな方に入るので、そうかな、日本人かなっていうふうに思う。
韓国人の人もオシャレな人、最近どんどん増えてるから、わからない。私がオシャレがどうのこうのっていうのも大変恐縮ですが。
あとこれ多分本当だと思うんだけど、韓国人の人ってすごいカラフルな、なんかこうウィンドブレーカーみたいなパーカーみたいなのとか、ウィンドブレーカーみたいなの着てる時が多いんだよね、旅行客で。
ハイキングに行く時に着るみたいなカラフルなやつ。で、韓国の政府なのか観光庁なのかわかんないけどみたいなところが、海外に行くときはそういうの着るのやめましょうっていうお供を出したっていうだけ。本当なのか知らないんだけど。
でも結構本当にわかりやすく、家族で例えば緑と青と黄色とオレンジのウィンドブレーカーみたいなのを着たファミリーみたいなのを見たら、あ、韓国人のファミリーだって確かに思うときがあって。それも偏見だなって思いながら見てるけど。
のみ
それはでもなんでダメって言ったのかね。
日本語でも通訳が必要な場面
どら
わかんない。わかりやすいからじゃない。
のみ
わかりやすくていいじゃんね。でも家族で迷わずに
どら
旅行客として狙われやすいっていう理由だと思うけど。なんで見たんだろう。何回もテレビで見たけど本当なのかどうかちょっとわかりません。
のみ
まあ違いというのはいいことなんでしょうね。
どら
そう。そうだと思いますよ。
のみ
地球上でいろんな動物や植物がいるように、人間もさまざま地球を豊かにしているということだ。
どら
いや、ほんと多様性はいろんな意味で大切ですから。
のみ
個人も、この45億年の歴史の中で一人だけだもんね。
どら
そう。そうだよね。
のみ
あれどこだったっけな。イェール大学か何か。イェールだったかな。教授で。
なんとかキーガン。死について、デス(death)
たぶんリベラルアーツの授業だと思うんだけど、ハーバードの政治学の先生みたいに人気の、
すっごいなんか1000ページくらい、800ページくらいハードカバーである日本語だと。
どら
シェリー・ケーガンさんだね。
のみ
シェリー・ケーガンの、そうそう。
なんか死ぬのって怖いのかなーとか思いながら、その本。
死ぬことについて、いろんな面白いロジカルな視点で、
死についての考察
のみ
死とは何かっていうのを、800ページ使って語ってくれるんだけどさ。
読み終わって、死ってあんまり怖くねえなとかって思ったらいいなーみたいな感じで読んでたんだけど。
そういう、いろいろみんなで自分の論点を読んで、いろいろ個人で考えてねっていう感じなんだけど。
テーマ的に、主張的には死は無で、悲しむは減ったくれもないよね、本人も周りも、みたいな。
悲しむ気持ちはわかるけど、でもロジカルにもうちょっと考えてみたら、悲しむことじゃないよね的なメッセージなんだよね、と僕は取ったんだけど。
例えば僕が死んで悲しんでくれるかもしれないけど、僕が火星に行ってそのまま帰ってこれないからバイバイってなった場合に、それほど悲しまないでしょっていう。
それと死と何が違うのとか、そんなこととかをいろいろ。
例えば何百年ずっと生きたとしても、過去の記憶がなくなっている僕って、そのまま自分は僕で、僕じゃない、もう記憶もない僕になってそれで生きたいのとか。
どら
はいはいはいはい。
のみ
自分が今亡くなっちゃって将来、あと何年か生きれたことを悲しむなら、生まれる前のことの状態も悲しまないとおかしくないみたいな。
とかとか書いてあるんだけど、意味はわかるけど、僕の気持ちは800ページ読破した後も、死ってなんだろうなぁ、嫌だなぁ、けど変わらない。
どら
まあそうだね、確かに。それは全体として見るか、私として見るか。私の死を私として見るか。他の周りの友達の死とか、家族の死とかもそうだけど。
のみ
だから無になってしまったら悲しいとも思えないわけだから、もう無なのよと。
どら
本人はそれでいいけど、周りの人はそうではないよね。
のみ
そうそうそう。そう思うんだけど、周りの人もそんなことないよねって思えない?
いやらしい主張じゃないんだよね。
どら
わかるわかる。
言いたいことはすごいわかるし。
のみ
もっと深いんだろうけど、今単純に自分が記憶があることだけ言っちゃってるけど。
どら
まあそうなんだよね。勝手なんだよ、そもそも。
だってさ、例えばこの間3年前くらいに亡くなった友達がいて、
ああ悲しいなって思ったし、今でも会いたいなって思うけれど、
じゃあその前にすげえ会ってたかっていうと、もちろんいろんな地理的な条件とかもちろんあるけど、
そんなに頻繁に会ってたわけじゃないっていう。
だからそう考えると確かに会えなくなったからといって、
今までとじゃあそんなに何が違うかって言ったら多分そんなに変わらないんだけど、
でもいない、今この世の中にいないということを考えると会えないというのは悲しい。
だから会えるかもしれないという期待が、
今までは支えというか、それで繋がってた部分があると思っていたけれど、
もう会えないと思うと会えないから悲しいっていうふうに。
でもそれって勝手な話だから、じゃあもっと会っとけばよかったじゃんって話で。
のみ
そうだね。
どら
ただ会えるかもしれない、もう会えないっていうことで自分の中ではそこに差があるんだけど、
会っていなかったっていう、そんなに会っていなかったっていう事実はあんまり変わらないから、
まあ確かに、じゃあ何が違うのって言われたら間違わないねっていうその通りだなっていうのは思うけれど、
まあでも、じゃあもっと会っておけばよかったんじゃないかっていう後悔が生まれたりとか、
なんかそういう違う方向の感情が湧いてくるかな。
のみ
なんでこの話になったのかわかんないが。
どら
なんでだっけ?
のみ
なんでだっけ?
まあでも何かまあいずれどっかで死ぬんだけど、
まあ後悔しないようにって後悔するのか、その瞬間すらなく死ぬのかわかんないけど、
日々後悔しないようになーって頭では思うし、そういう言葉を発するけど、
それがどういう生き方なのかもよくわかんないっていうか。
どら
まあね、そりゃそうだよね。人によって人が目指してることとか、
これを死ぬまでにこれを成し遂げたいとか、
ものは人によって全然違うだろうから。
自分もあんまりないんだけど、
なんか名を残したいとかそういうの別にないし。
のみ
なんか一回り、どうぞ
どら
いやでもなんか、
次の世代の人のためになっていたことがあったらいいなと思うけれど、
じゃあなんかそれがすっげえ世界的なインパクトを、
人類史上なんか全体にインパクトを与えているものが残したいとかっていうわけでは全然ないので、
別にそんなにあれだけど、
なんかささやかなプラスになってたらいいなくらいの感じかな。
のみ
なんか一回り以上上の先輩が、
まあリタイアもして、一定のお金もあるから、
やり残したことと消費
のみ
100なのか50なのか10なのか、
やりたいことリスト作ってて、
で一歩一歩消化してるのね。
オーロラを見に行きたいとか、
マチュピチュを見に行きたいとか、
なんかペケペケの有名なゴルフ場行きたいとか、
世界のまあ遺産、世界遺産的なのの見物的なのとか。
どら
すごい着実にちゃんとこなしてるんだ。
のみ
こなしてるみたいなんだけど、
なんだろう、消費だな。
批判してるわけじゃなくて、
消費ごと?体験ごと?
まあもう一定の歳だし、一生懸命お仕事してきたから、
そうなるのかなとか思うんだけど。
何かお金を使って何かしたい的な?
何かを作るとか、何だろうな。
作るとか生み出すとか、
なんか自分が能動的には動いてるんだけど、
創造的活動じゃないっていうの。
死ぬまでに、分かんないけど、
まあでもそれは違うか、ちょっと勘違いか。
何だろう、その人の話聞いてて、
何ていうのかな、
貢献ごとじゃなくて消費ごと?が多いなってちょっと捉えた。
てそういうもんだろうな、何ていうのかな。
当然その、例えばそこにエベレストに登るとか、
そういうのが入ってると別なの。
まあでもマチュピチュ行くとかっていうのは大変なことだけど、
結構登山で。
どら
まあね。
のみ
何だろう、何か分かんないけど。
どら
でも私がこれをしたいっていう、
私の中で完結してるものが多い感じは確かに。
のみ
ああそうそうそうそう。
まあでもそうなるのかな。
何かその、お金をどう使うか。
お金を作るお金持ちになるより、
なった後にそれをどう使うかが大切だね、
みたいなフレーズあると思うんだけど。
誰かに何かを貢献するリストではなくて、
自分ごと。
どら
そうだね。
のみ
それがまだその年になってないけど、
そうなるのかな。
どら
どうかね、どうなんだろうね。
確かにやり残したことなく、
やり残すことなく死にたいっていう意味では、
これがしたい、これが食べたい、
これがここに行きたいとかっていう気持ちはもちろん、
あると思うけれど。
のみ
ああでもそうか、一定の想像。
想像、そうだな。
何か多少経験しちゃうと想像が尽きえるというか。
実際には体験しないけど、
例えば映画で見たとか、
誰かから話し聞いたとか、
目に入ったり耳に入ったりする情報から想像できると、
すごい行ってみたい、体験してみたい、
みたいなのが、
さっきの英語のレベルの話に似てるかもしれないけど、
一定の経験をしちゃって、
すごい経験してるわけじゃないけど、
想像もできると、
あれしたいな、みたいなのが薄れてる気がする。
どら
なるほどね。
のみ
年取ると動けなくなったりとかすると、
そういう経験とかしちゃうと動けるうちにとか思うのかもね。
どら
そうだね、多分そうなんじゃない。
旅行と経験
のみ
やっぱ年齢っていうのはあるのね。
どら
年齢はあるでしょ。
というか、だってそれこそ自分やりたいことじゃなくて、
私は旅行が好きだから、
ここ行きたいっていうリストあるけど、
すごい長いリストだから。
昔は別にそれでどんどん逆に足したりとかしてたけど、
今は見ると、
あ、もう一生のうちこれ全部いけねえじゃんっていう、
なんかもうそういう感覚、
どう考えてもいけないっていう価値的に考えて、
そっちにだんだんなってきてるから、
若干悲しいって思わないではないけど、
じゃあここの中からどれ行こうっていう、
現実的にどれ行くみたいな。
のみ
なんかでも、
自分で今そんなこと言ったけど、
本当にマチュピチュとか、
南極とか例えばすごい苦労しながら行ったら、
すごいなあってこう、
どら
感慨深く思うのかなとか思うと、
のみ
そういうの挑戦してみたいなとは思うね、確かに。
どら
そうだね。
まあじゃあ写真で見るのと何が違うのかとか、
動画で見ると何が違うのかみたいな、
いうこと言う人いるんだよね。
僕の友達でもその、
旅行に対して興味が全くない人がいて、
写真で見たからいいです、
みたいなことを言う人がいるんだけど、
いやーやっぱりそこの場で見るのと、
写真で見るのとは違いますよって言うけど、
その人にとってはそれは価値ではないというか、
そんな高い価値ではない、
写真で見て大丈夫ですっていう風になっちゃうから、
そこは人によってやっぱりなんかね、
感覚というか感動度合いというか、
のみ
やっぱりコロナで旅行も全然行ってないし、
大学時代からの仲間とわちゃわちゃ行くような旅行も相当行ってないし、
なんか定期的に行ってないと忘れちゃうんだよ、その喜びが。
だからね。
どら
でもそうかもね。
のみ
大変になったよね。
どら
それはあるかもね。
のみ
リバウンドじゃなくそのままスーッと。
どら
忘れちゃうっていうのは確かにあるかもね、あるかもね。
のみ
なんかそう友達とかに会って、
あの時台湾行ったの面白かったよなーって口では言ってるんだけど、
あれ本当にどう面白かったか忘れちゃったよみたいなのが。
やっぱりだから定期的に行かないとダメだよね。
どら
そうだね。
のみ
ない状態で慣れちゃう。
どら
確かにね。
その感覚はでもね、あるね。
なんかこの間それこそニューヨークマンハッタンに行った時にミュージカルを見て、
その前も何回か言ってるんだけど、コロナの前後とかではないんだけど、
やっぱりなんかライブの例えばパフォーマンスを見ると、
ああライブのパフォーマンスってやっぱりいいよねって思うんだけど、
やっぱりちょっと忘れてるわけじゃないんだけど、
家族や友達との旅行計画
どら
してないとまあそれはそれでいいかって思ってしまうところもあって、
でも行くとやっぱりああそうだやっぱりいいじゃんっていうふうに思えるっていうのはね、
普段からだからやっぱりいろんな経験をなるべくしておくっていうのは、
のみ
そうだね。
どら
普通だね確かに。
忘れちゃうのかも結構人間ってそういうのを。
のみ
本当に家に帰ってポテチとコーラ食べてゲームしてて、
そればっかりになっちゃうと、
それはどれもしないけど、
それはそれで楽しいんだろうね。
意味もわかる気がするね。
どら
そう。
のみ
旅行なあ、誰と行くかも。
僕一人旅行ほんとダメなんだよね。
ああそうなんだ。
全く一人で旅行ができないキャラなの。
どら
そうなんだよねすごい。
へえ面白い。
僕一人旅行も大好きだよ基本的には。
むしろなんかもう何にもだから旅行計画とか立てず、
どっか行ってぶらーっとだらーっとして、
それこそ現地の人みたいになんか別に普通にコーヒー、
どっかで紅茶を飲んで、
ぶらぶら街歩き、
目的もなくやってとか大好き。
スーパーに行ってとか。
のみ
ダメなんだよね。
どら
そっか。
のみ
どうしようって思っちゃうんだよね。
どら
どうしようって思っちゃうんだ。
そう。
え、じゃあ家族でとかなんかそういう。
のみ
そうそうそうなるからさ。
どら
今はね。
のみ
まあなんかねほんと男友達だけで、
わちゃわちゃみたいなのしたいんだけど、
そんな都合が合うやつらはおらず。
どら
そうねやっぱり社会人になるとね、
まず時間を合わせるっていうかスケジュールを合わせるってめちゃめちゃ大変だもんね。
のみ
とかいっぱいあるけど、
誰と行くのが重要だからね。
どら
そっかそっか。
のみ
そのマチュピチュ行った人は一人で行ったんだけれども、
やっぱり行くのすごい大変なんだって。
どら
そうだよね。
のみ
高山病とかもあるから行く前にその空気の薄いトレーニングとかもしながら行ったり
どら
あーそうだった。へー。
のみ
で、やっぱり体調不良になるような人たちも周りに、
そのツアーとかの人とかいるらしいんだけども。
どら
そうだよね。
のみ
だから複数人数で行った場合に、
一人がちょっと体調不良でリタイアになった場合に、
こいつを置いて行くのかみたいな。
男友達同士ならまあ、いいよ今行ってよになると思うけど、
例えば家族とかになった場合って、悩ましい選択になるじゃない。
一人旅行のメリット
のみ
確かに。
一応飛行機とかも乗りながらバスも乗りながらだから、
一回ダメになるとその先は行けないらしいんだよね。
どら
あーそうなんだ。
のみ
ツアーとかだから、もう一回払い直してとか何とかとか、
帰りのフライトも帰ってとか、いろいろ時間とお金があってやればできるのかもしれないけども、
言語の問題もあるかもしれないけど、
だから一人で行ってすごい良かったって言ってたんだよ。
どら
あーそう、へー面白いね。
のみ
でも俺そういうチャレンジングなの一人で絶対行けない。
どら
あーでもマチュピチュどうしても見たかったんだろうから、
分からないではないけど、
マチュピチュ僕も行ってみたいなって思うけれど、
その大変さとかは僕もいろんな人から聞いているし、
そこまで頑張りたいかっていうと写真でいいかなってちょっと思っている自分は、
マチュピチュに関してはある。
ピラミッドは見てみたい。
例えばエジプトのピラミッドは見てみたいって思うんだけど、
感じてみたいって思うんだけど、
マチュピチュは写真でいいかなって思っている。
そこは何の差なのかよく分からないけど自分の中で。
のみ
確かにね。
ああいうインカ帝国とか、エジプトあんまり詳しくないけど、
ああいう都市を作れる?遺跡を作れるってすごいよな。
どら
そうね。確かに古代のそういう遺跡とかはみんな見ておきたいとは思うけれど、
なかなか行くのがやっぱ大変だからね。
のみ
アメリカ本土にも全然行ってないや。
まあでも色んな国に立ち寄りとか降りて、
それだけでも知らず知らずに色んな経験になってんだろうね。
思考の幅が。
どら
そうだと思うよ。
日本だってそうじゃん。
日本でたまたまちょっと大阪に行ったってさ。
なんかちょっと、異国じゃないけど、
違う文化感はやっぱりあるし、
そういう違いに人間の脳がフォーカスしちゃうのはある意味、いいことなのかもね。
刺激だとは間違いなく刺激にはなると思うよ。
のみ
肌の色が違うって、うって一瞬思っちゃうのと同じく、大阪違うとか、
アメリカ違うって思えるのが、まさに刺激だと思うんだよね。
感覚として鋭いというか鋭くなるというか、それをたまに動かす、その器官を動かすことは大切な気がするけどね。
気づきが多分そこで生まれる。
33:11

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