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今日のゼロトピックは、TenXのソフトウェアエンジニアのKazuさんに来てもらいました。
おはようございます。
おはようございます。
Kazuさん、いきなり自己紹介をお願いします。
僕は、実はこの前のHisaichiさんと同じく文系出身で、
最初プログラミングを独学で勉強して、その後に当時Mixiのアプリであるものが流行っていて、
Mixiアプリを作ったのが最初のプログラミングの経験で、
それを生かして、最初のキャリアはClubというソーシャルゲームの会社で開発からスタートしています。
3年くらいClubという会社でソーシャルゲームの開発をして、
その後、弟と実は2人で個人でのアプリ開発を2年くらいやっていました。
住宅とかは一切その時はやらずに、ずっと2人で個人アプリの開発をしていて、
広告とかにお金を使って、それほど当たらず引きがついたらお金がなくなっていて、
プライベートな結婚の話とかもあって、どうするかなってなって、
そこで転職活動をして、選んだのがSansanという会社です。
Sansanに入って、5年くらい8という名刺のプロダクトを開発していて、
その後にTenXに入って、それが今年の3月でちょうど今3ヶ月ちょっと経ったところというのが今の経歴になります。
ちょっと順番に聞いていきたいなと思うんですけど、
文系プログラミングを勉強し始めたのは大学時代ですか?
そうですね、大学時代ですね。
前回の被災地だとPARという言語が好きすぎて、
PARを当時使った火薬に入社みたいなのがあったんですけど、
カズさんのモチベーションみたいなのはどういうところにあったんですか?
その時はちょうどMixiがプラットフォームを開放してアプリを作れるようになったみたいなのがあって、
言語自体というよりはそれのプラットフォームでなんか面白いアプリとか作れるかなみたいに思って、
作るために何必要なのかなって考えたら、
その時はPHPとJavaScriptがあればできそうだったので勉強したみたいな感じで、
こういうのを作ってみたらどうかなみたいなのがあった感じかなと思います。
それ当時作ってたのはMixiアプリ上にゲームとかですか?
当時なんかあるんですよね、牧場ゲームみたいなのとか。
流行りましたね。
僕が作ったのはリレー小説、1行ずつリレー小説を書いて、
みんなで物語作っていこうみたいなアプリを最初に作りました。
それなんでリレー小説作ろうと思ったんですか?
90年代のネットで似たようなそういう遊びがあって、
みんなで小説作っていくみたいな、それが結構面白かったなって思ってて、
Mixiのソーシャルな場でそれだったら結構面白いんじゃないかみたいなのがきっかけですね。
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90年代のネットの遊びってことは結構実はインターネット歴長いですね。
そうですね、インターネット歴はCGIアップロードして、
チャットをホームページに設置してみたいなのから始まりましたね。
それ何歳くらいの時?
中学生くらいの時だと思います。
それ何か石川さんとかそっくりですね。
今の30代は結構エンジニアそういう人多いかもしれないですね。
確かにね。
僕も初めてのインターネットは中学校の時に掲示板簡単に作れる、
モバイルの柄系のサービスがいっぱいあって、
それで中学校の掲示板とか、
地区のバスケ部のどこが強いとかみたいなのの掲示板立てて、
管理人にするっていうのが。
懐かしい、ありました。管理人っていうことは。
そう、めっちゃ懐かしい。
インターネットの現体験。
それが面白かったっていうのを現体験があって、
ミキシアプリ上で作ってみた。
あとその時、文系で全然跳ねなかったですね。
サーバー代の方が何なら高いぐらいで。
実は文系で就職活動もしてて、
元々は文系でマスコミとか行きたいみたいな、
よくある意識高い就活失敗した人みたいな感じで、
その時に思ったように上手くいかなくて、
どうしようかなって思った時に、
その中学生にインターネット好きだったみたいな現体験があって、
ハテナのコミュニティとか見たら、
コードかけたらプログラマーだったら慣れるんじゃないかみたいなのもあって、
それでミキシアプリ作ってみて、
結果さっき言ったように全然上手くいかなかったみたいな感じですね。
子供が泣いてる声が聞こえてきて。
めっちゃ泣いてる。
クラブを選んだのは何でだったんですか?
クラブは当時結構インフラの技術がすごい強くて、
ソーシャルゲームがこれから流行るみたいなところで、
アクセスさばく技術みたいなのを身につけながら、
かつソーシャルなアプリとか、
結局ソーシャルアプリというか完全にゲームに振り切られたんですけど、
ソーシャルなアプリ作れそうだみたいなところで興味があったって感じ。
当時はサーバーサイドとかインフラに近いところがメインだったんですか?
そうですね。クラブの時はもう完全にサーバーサイドしかやってなかったですね。
PHPとフラッシュとかは他の人に任せて、
基本サーバーサイドはジンナでした。
なるほど。クラブで3年ぐらいでした。
そうですね。クラブで3年ですね。
やられた後、突如弟と起業してしまう。
それはどういうきっかけがあったんですか?
元から中学生の時、さっき言ったホームページみたいなのを弟と2人で作ってて、
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2人でホームページ作って、誰かがアクセスしてくれて、
感想とかを掲示板に書いてみたいなのが結構自分の中のものづくりのゲーム体験みたいなところがあって、
3年、弟もエンジニアやってて、3年それぞれ経験積んだところで、
ちょっと遊びの続きっていうとあれだけど、もう一回そういうのできるんじゃないかみたいなのでやってみたっていうのがきっかけですね。
突如というか元からちょっと何かやってみたいなっていうのはありましたね、2人でまた。
やっぱり自分の力でというか、ユーザーとダイレクトに向き合うというか、
フィードバックが直接来るみたいなのが一番楽しいというか、
それを求めてたみたいなところが大きいんですか?
そうですね、あとはやっぱり全部自分で作ってると、
何か完全にこれはもう俺が作ったものだみたいな感覚がやっぱりあって、
そこが何か会社で作るのはもちろんすごいいいなと思うんですけど、
この完全に自分が作った世界の中でユーザーがそれを何か遊んでくれて使ってくれたりみたいなのの感覚っていうのはすごいいいなって今でも思っちゃいますね。
じゃあ割とその自分がやったぞ感というか。
そうですね。
なるほど、自分の制作物とか創作を試していくみたいなところが。
それは結構ありますね。だから今チームで作っててもやっぱり自分が書いたコードとかちょっとした機能とかでも何か愛着持っちゃうところはありますね。
でもそれはすごいわかりますね。
僕も初め作ったプログラムって、
あれ何だったかな?
親が教師なんですよ。
で、教師の中で話題になっていることとかって外に話せないらしいんですよ。
インナーサークル、だから親同士で愚痴りあったりとかしてるのを見てて、
すげえもったいないけどこれソーシャルな場というか一定ニーズありそうだなと思って、
そういうコミュニティを作ってみようつってレールスで作ってみたのが自分が書いたプログラム。
1ヶ月ぐらいでそこを閉じたんですけど、
なんかやっぱ愛着みたいなのがすごい感じました。
大したものはできないなってその時にしっかり学んだんですけど。
使ってくれているなみたいなやっぱりありますよね。
そうですね。
その時のKFで広告で金消えたみたいな話とかも冒頭あったと思うんですけど、
その時のエピソードみたいなのありますか?
その時はあんまり良い広告じゃないですけど、
リワード広告っていう広告のシリーズがあって、
お金払ってアプリのランキング上げてもらうみたいな若干エビルな広告なんですけど、
ただお金がない中で使えるオプションってそれぐらいしかなくて、
作ったアプリの広告をそれ申し込んで1回100万ぐらいで一定流入入れてくれるみたいな感じなんですね。
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100万入れてどれぐらい上手くいくかも全然わかんなくて、
振り込んだ瞬間ちょっと開示のグニャっていう絵みたいな心境になりながらランキングを見るみたいなことをしてました。
この100万ぶっ込むって個人だったらめちゃくちゃでかい意思決定じゃないですか。
サラリーマン3年間やりながら結構頑張って食べたけど、
ただ何となく自然流入で入ってくるユーザーが広告とかクリックしたら、
最低限100万でも赤にはなんないだろうみたいな算段はあって一応作ってました。
結果どうだったんですか。
結果赤にはなんなかったけど言うほど儲かんないっていう。
なので結局サラリーマンとしてエンジンやった方が全然儲かるぐらいではありました。
本当にアプリでお金稼げってめちゃくちゃ難しいですね。
めちゃくちゃ難しかったですね。
それからどのぐらいやられてたんでしたっけ。
2年で3つぐらいアプリ作ったかな。
一番ヒットしたのはどれですか。
一番ヒットしたのは箱庭系のゲームで街づくりするみたいなのが、
ダウンロード数で言うと2年やったところで20万ぐらいかな。
ダウンロードだけで言ったら他のアプリの方が言ってたんですけど、
収益的に結構課金してくれる人が意外といて。
なんだかんだ今でも月に何万円かは入ってますね。
まだ続いてるんですか。
まだ続いてます。
それメンテしてるんですか。
いや、もう2、3年前にアップデートしてからは完全にできてないかな。
でもまだ収益というか課金してくる人がいるんですか。
そうなんですよ。地味に。
すごいな。
例えばデザインとかUIとかってどうしたんですか。
その時はイラレを死ぬほど頑張って、
自分たちで最初グラフィック解剖で。
2ヶ月ぐらいかな。
弟と2人でイラレしか触ってないみたいな気があって。
リリースした後に要件聞いて、
結局外に投げて作ってもらったんですよ。
そしたら5000円とかで僕らが作るよりめっちゃクオリティ高いのができて、
あれ、俺たち2ヶ月何やってたんだろう。
じゃあなんか受託でもやって全部投げた方が良かったんじゃないかみたいな後悔はありました。
それ難しいところですよね。
自分で全部やりたい、やれるって思う反面、
プロが安くやった方が全部のレベルが高いみたいな。
1回自分でやったから、
こういう要件でこういうのを書いてもらったらみたいなのもわかったってところもあって難しいですね。
確かに評価もできるようになりますもんね。
これが良いのか悪いのかみたいなのも。
結局それが一番大事かなと思ってて。
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PMとかエンジニアやってくる上でも、
良いものか悪いものかって、
山のものと海のものともつかないみたいなのがほとんどだと思うんで、
それが評価できるようになるっていうだけでもやってみる感じってありますね。
確かに。
あとやっぱ最初から全部投げちゃうと、
それをシステム組み込んだ時に、
絵はただの絵だけど、
アプリの中で動いた時にまた全然違う質感になるから、
それがどうなるかみたいなのを最初はなかなかわからなくて、
全部投げるっていうのは結構怖いなって。
確かに。それ面白い気づきですね。
やらないと絶対わからない。
そこから弟と二人で解散して一番のきっかけは何だったんですか?
一番のきっかけは、
僕がちょうどその時に今の奥さんと結婚することになったっていうのもあって、
かつその時も、
多分2014年の年末ぐらいかな、
その時ほぼお金的にもかなりきつくて、
やばい全然金ないし、
奥さん結婚してくれるけど、
これこのまま続けていいのかなみたいな。
元から1年でうまくいかなかったらやめようって話はしてて、
でもそのまま2年経過しちゃってて、
みたいなところもあって、
ちょっとどうするかねって話した。
なるほど。そこから就活をしたんですか?
はい。就活をしました。
東京に出てきて。
あれですかね、徳島に戻って弟さんとやられてたんですよね?
そうです。2年間は徳島に引きこもって、
僕免許もなかったんで、
もう完全に引きこもりながらひたすらアプリだけ作ってました。
なるほど。そこからまた東京に拠点を持ったんですか?
その時はGeek Houseっていうエンジニアだけが入れるシェアハウスみたいなのがあって、
そこで新しいGeek Houseができますみたいに募集かけてて、
弟と申し込んだら、
結果なんか僕と弟しか2人しかいなくて、
Geek Houseっていうか、
ただの2人で共同生活してるみたいな感じだった。
その時、結婚されるとやった奥さんは徳島にいらっしゃったんですか?
奥さんは実はその時大阪にいて、
ちょっといろいろあって、
先に僕が東京で仕事を見つけて、
サンサンで働き出してから、
ちょっと経ってから2人で暮らし始めたっていう感じ。
そうだったんですね。なるほど。
サンサン。サンサンを選んだきっかけとか理由ってどのとこにあったんですか?
サンサンは、まず僕ら結局2人でやって、
なんかなかふとばふで終わっちゃったんで、
本当にうまくいっているプロダクトを作っている組織っていうのは、
どんな感じなのかなっていうのを見たかったっていうので、
完全に0から1作ろうっていうよりは、
0、1を超えたところで、
次の大きなことをしようとしているみたいなところがいいなって思ったのと、
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あとは当時エイトっていうプロダクトが、
もともとただの名刺管理のアプリだったところから、
ビジネスのSNSにするぞみたいな話をしてて、
そこで新しい展望があるのが面白そうだなって思ったっていうのがきっかけです。
なるほど。ちょっと突っ込んだ質問なんですけど、
エンジニアの世界でエイトを使っている人はほとんどいないと思うんですか?
そうですね。その時は僕も知らん、むしろ名前も知らなかったですね。
ですよね。かつユーザーとしての便利性みたいなのはよくわかんないじゃないですか。
で、さらにそこからSNS行くって言われて、
なんとなくたぶんぼやっとは言ったことはわかるかもしれないですけど、
自分ごとにしづらいんじゃないかなってなんとなく思って、
そこはカズさん的にはあまり大きな問題ではなかったんですか?
でも課題感としてはわかるなって思ったのは、
アメリカとかだとリンク通りみたいなビジネスのSNSがあって、
で、Facebookと分かれてるみたいなのがスタンダードで、
日本だとそれないよねみたいなのを、その時さんさんの方たちと話して、
確かになろうと思って、
その時就活マスターにしてたけど、やりとりもFacebookメッセンジャーとかで、
それが日本だと今曖昧で、
そこでビジネスのSNSっていうのは立ち位置として成立するし、
自分も食った飯の写真とか、
その就活してる人といるFacebookのタイムライン投げていいんだっけみたいなので、
ちょっと課題感もあってやってみたいなって思った。
じゃあやっぱあったんだ。
直近の収穫の中で、この課題感と触れるきっかけはいつあったんですか?
全部Facebookに突っ込まれてるけど、
個人で作ってた時も広告をお願いしますみたいな、
相手の取引する人とFacebookでやりとりしてて、
どんどんFacebook投稿しづらくなるみたいな。
それありますよね。
Facebook混ざりすぎてて何も言えなくなってるというか、
プレスリリース投げる場所になっちゃって。
そこの住み分けは確かに必要だろうなと思ってて、
かつ日本でそれできる可能性があるとしたら、
それは良いとだっていう話を受けて、
確かにそうだなっていうのは共感した言葉があります。
なるほど。めちゃくちゃ面白い。
33入られてからは、8でソフトウェアエンジニアをやられてたのかな?
そうですね。5年間最初はモバイルのIOSのエンジニアをずっとコード書くっていうのをやってて、
途中からエンジニアリングマネージャーをやって、
さらに最後の方はプロジェクトマネージャー、
どっちかというとプロジェクトマネージャーに近いとやってたかな?みたいな感じで、
モバイルのエンジニアチームをまとめるみたいなことを半額やってました。
あれですよね。サーバーサイドからキャリアが始まって、
自分でガチャガチャいられもさわるぐらい、
プロダクトというかアプリを全部自分で作るようになって、
8ではアプリエンジニアとしてモバイルエンジニアとしてまずは?
そうですね。
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そしたらEMということは評価とかもやってたんですか?
そうですね。評価とかもやらせていただきました。
EM時代はコードは全然書かないみたいな感じですか?
EM時代、序盤は書いてて、
多分後半、もう最後の半年とかはもう一行も書いてないですね。
そっからPMとPGMっていうところに移ってからは、
やっぱりもうプロダクトの仕様を調整するとか、
経営人とのコミュニケーションとかが?
そうですね。
なので、大枠の割りみたいなところはでっかく決まっていて、
そこをハウに落とすところをこのエンジニアチームとつなぎ込んで、
サーバーチームとかモバイルチームとかいろいろ調整しながら、
どうやったらうまく回るかなみたいなのを考えていくっていう感じでした。
なるほど。
じゃあ3つポジションを経験してて、
やっぱり33の中で一番この時は面白かったなっていうのはどこですか?
一番面白かったのは、
でもやっぱコード書いて、
33の時は名詞交換をモバイル端末でやるみたいな機能をどうするかみたいなところとかを
いろいろ試行錯誤しながら作ってたみたいな時がやっぱり一番テンションが上がりました。
なるほど。
ユーザーからの反響とかはどうやって確認してたんですか?
ユーザーからの反響は、
基本Twitterでずっと英語サーチしてるっていうのは、
今でもいまだにEatの英語サーチもやっちゃうんですけど、
ずっと見てて。
あとはストアのレビューとか見て、
こういうの使ってくれてる人がいるなとか、
こういう気持ちになるんだみたいな気持ちになってました。
なんか33のプロダクトチームの話ってあんまり外に出てきてないなと思って、
分析したりとかプロダクトマネジメントがっつりやってるみたいなロールの人っていたんですか?
データ分析みたいなチームは結構後半の方に出てきて、
専属でデータを見て、
試作へのインサイトに落としてくれるみたいな人が、
最初は本当にちっちゃいチームだったんで余裕なかったんですけど、
2018年くらいからはいたかな。
じゃあ、もっと上場準備中ぐらいからって感じですね。
そうですね。
これまでは割とオーガニックに出して、
Twitterのエゴサ見てとか、
そういう形で。
使っていると、
8って名刺管理からSNSみたいな方に数切るんだみたいなことをやってて、
普通にユーザーの声にどうですかって聞いたら、
名刺管理で使ってるんでそういうのいいですみたいな感じで言われるのは分かってて、
ユーザーの声聞いたりデータを見て判断するっていうよりは、
世界観とか思想をどうやってプロタコリストに落とし込むかみたいな方が、
どっちかっていうと最初の3年ぐらいは強くて、
そこのSNSみたいなの作るんだと土台ができて、
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じゃあどう使ってくれるか分析し始めたみたいな感じでした。
なるほど。
実態を後から見ていくみたいな。
たぶんユーザーとかに真摯に聞いてからまずやろうみたいなのはできなくて、
どっちかっていうとそこは意思を実現するみたいなところの方が最初は強かった。
トップダウンですね。
そこハレーションとかはあったりしました?
ありましたね。
あったんだ。
あったけど、想定の範囲でないみたいな感じでした。
なるほど。
ハレーション起きた時って結構作ってる側って割と打ってきません?
今僕らもまさにあるけど。
でも確かにあるよねって感じだけど、
でもあるだろうなと思いながら作ってて、
でもそれを越えないとここにはたどり着けないみたいなのを話しながらやってたんで、
そこまではグサリって感じには致命傷にはならないみたいな感じでした。
じゃあそこは割とチームがビジョンに対して腹落ちしてて、
日本でビジネスSNS作るぞみたいなところが、
しっかり意気込みがあってやられた。
チームとしてみんな持ってたとは思います。
それは素晴らしいですね。
一定そういうのってどういうプロダクトにもあるから、
乗り越えるパワーはそこかなと思うんで、
すげえいい話だ。
エンジンやってEMのルートは分かるんですけど、
そこからPJMというかPMになったのは何でなんですか?
やっぱりモバイルのチームを僕は見てて、
モバイルって技術起点で機能とか考えるみたいなことが結構多くて、
例えば名刺交換みたいなのをやるときに、
BLEの功用が開発されたからこういう機能できるんじゃないかみたいなことを調査するみたいなところがあって、
そう考えると施策とか具体的な機能に落とし込むところを、
モバイルのエンジンのバックグラウンドがある人が見た方がいいんじゃないかみたいなのでやってみないかという話を受けて、
じゃあちょっとやってみますみたいな。
作り方の起点がユーザーがどこっていうよりは割と技術をどう生かすかみたいなところがスタートが多かった。
発想自体生まれないから、もし本当にバックグラウンドがないと、
実はこれで解決できるんじゃないかみたいなのとかをエンジンのバックグラウンドを持ってやってみてほしいみたいな。
なるほど、それは結構面白いし、いいチャレンジというかいいステップアップな気がしますね。
実際やってみて何が一番大変でした?
やってみて大変だったのは、やっぱり結構大きい規模のチーム組織になってたんで、
こういうことをしたいなって思った時のリードタイムがだいぶ長くなってきたのが結構、勝負として辛かったっていうのはありますね。
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リードタイムは合意を取っていくプロセスが長いみたいな感じですか?
それもそうだし、やっぱり1個1個大きい球が何個か乗っかってて、
これでつけれんのはちょっと半年後かなみたいなのとか、
でもそうなるとは思うんですけど、一定の規模になると。
球は1個1個はでかくなりすぎたっていう。
そうですね。
なるほど。
そこで待つのが辛いとか、優先順位の調整が辛いみたいなのが結構大変なところだな。
そうですね。
大きい組織で大きいものを作ると、そういうものであろうと思うんですけど。
なるほど。
そこから10Xに今年の3月来てくれたわけなんですけど、10Xってどうやって知ったんですか?
10Xはもともとエンジン屋としてCTOの石川さんは知ってて、石川さんがメルカリダメって会社を作ったところで、
最初のプレスなんかで見て、石川さんやめたんだって思って認知してて、
その後山本さんも実はTwitterでフォローさせていただいてて、
この2人がやってるんだってちょっと面白そうだなと思ってて、認知はしてて、
その後2019年にTaberiのプレスがあって、プロダクト初めて触ったのは夏、秋くらいかなみたいな。
遅いな。知ってたわりに2年間はほっといた。
意外と寝かせておきました。
寝かせて触ったんだ。で、触ってどうだったんですか?
僕は触ってすごいよくできてるなって思ったし、奥さんがめちゃくちゃ刺さって、
坂本家Taberi必需品みたいな感じに完全になって、
なんだかんだよくできてるなっていうのを技術とか観点から僕はわかるけど、
普通にそこで1ユーザーとして奥さんがドハマりしてるのを見て、
めちゃくちゃよくできてるじゃんって思って。
奥さんなんでTaberi知ったんですか?
奥さんには僕が教えました。ちょっと使ってみてって。
そうなんだ。リファラルなんて素晴らしい。
IT系の人からの奥さんへのリファラルすごい多いみたいで。
なるほど。
旦那から紹介されて使ってみたらよかったみたいなのはよく英語差してても言いますね。
確かに夫婦で使うとやっぱり、料理奥さんもしますからね確実に。
そうなんですよ。奥さんのおかげですね。
プロダクトとして良いとは知ってたけど奥さんに刺さってるっていうのが結構印象としては深かったんですかね。
よくできてるけどちょっと分からんみたいな奥さんになってたら、
27:00
なんか違うんだろうな、違った未来があったかもしれないです。
なるほどね。
浜坂さんとも33時代一緒にちょっと仕事したりしてたんですね。
そうです。
その時はどういうことで一緒にやってたんですか。
本当に浜坂さんは新卒の採用担当だったんで、
新卒向けの採用イベントとかで一緒に一回函館の大学に行くみたいなのがありました。
函館の大学に行って。
エンジニアとはみたいな偉そうに話す企画。
坂本和弘が語る。
そう言うとだいぶダサい感じですけど。
あれ、坂本さんって浜坂さんからの紹介でしたっけ。
はい、浜坂さんに。
食べるような奥さんに助詐されした後にちょっと話聞いてみようと思って、
浜坂さんに10Xどんな感じですかって聞いたのがファーストコンタクトですね。
そっか。
それで僕とか石川さんとかと話したりランチ行ったりしてっていう流れでしたね。
そうです。
10X入った後で、3ヶ月だし入社して即フルリモートみたいな。
一応5日ぐらいは通いました。
どうですか、10Xに入ってみて。
何がいいなみたいな部分はありますか。
入って最初思ったのは、開発を最初めちゃくちゃ雰囲気でやってるなって思って。
最初は結構大きい組織の中で開発体制どうするかみたいな直近までやってたから一瞬戸惑ったんですけど、
でも雰囲気でやれてるのがやっぱめちゃくちゃいいところだなって思って。
雰囲気でやるっていうと微妙な言い方ですけど、
自立とか背中を合わせるみたいなのがまさにそれなんだろうなっていうところをすごい思いました。
大きく投げて、粗いボールでもみんななんとかできるしするから、
それですごい綺麗に上手く回ってるなっていうのが最初一番びっくりしたしいいなって思ったところです。
どっちかって言うと弟さんとやられてた時代に戻ってるみたいな。
そうですね。圧倒的にそっちの方が近いなって思ってました。
そうですね。雰囲気って言ってる部分をちょっと補足すると、
技術をガチガチ決めてないとか、タスクの中身をガチガチ決めてないとかそういうところですかね。
そうですね。なのでボールを投げられる方に任されるところがやっぱり大きいし、
そこを石川さんとかはすごい信頼してるから投げてくれるんだろうなみたいな感じもあって、
そこがちゃんとそれで回ってるっていうのがすごいいいなと思ってて、
それを今後も長くこの状態を保ちたいなって思いました。
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そうですね。それはうちの一番いいところだし、
僕も結構いろんなところで何回も話してるんですけど、
創作することの喜びみたいなのが消えると仕事ってとたんにつまんなくなると思って、
それって何かって余白とか自分が考えて工夫する余地、
それを保つには必要な仕事量に対してヘッドカウントが足りない状態で保つのが一番大事かなと思って、
余るとタスクになるんで、この人たちの稼働をうまく使うためみたいな。
そうじゃなくて、一人の力で住人がいないとできないようなことをやってもらうために頭しきねってもらうとかが、
仕事してくる上では自分が一番楽しい瞬間かなと思うんで、
しんどいけど、それをキープしたいっていうのがあって、
常にカツカツでやってるみたいな、人数的には。
そうですね。作ってる感覚っていうのもすごい強いですね。
あと信頼みたいなところで言うと、高本さんは多分カウンターパーツとしては石川さん。
テックリードでCTOみたいな、石川さんが一周を切って、
ただ一周の中身に対してホワイト化は決まってて、
ホワッとみたいな方向性はあるけど、本当にどうやるかは自分で調べてみて、
自分で考えてベストのものを作ってくれっていう感じの関係だと思うんですけど、
それって例えば、アップロードと一番似てるのは僕だとすると、
僕と石川さんの関係とか、僕と事業開発の関係でも同じだから、
みんなに任せてる裁量の範囲が大きいっていうのは、
結構うちらしいポイントかもしれないですね。
特にエンジニア、フルリモートでいきなりなっちゃったからですけど、
エンジニア以外のところで見えてることってありますか?
エンジニア以外のところで言うと、
でもやっぱりエンジニア以外のところになると、
客さんっていうところの要素が大きくなるのかなとは思ってて、
Staylerのお客さんどういう順番でお客さんの課題を解決していくかみたいなところで、
目先の小さい成功とかをやるんじゃなくて、
一番どうやったら最大化できるかみたいなのを考えて、
フロントの方とかもアプローチしてくれてるんだなみたいなのをなんとなく見てて伝わる。
雰囲気伝えればいいかな。
周知程度とかやってますけど、ああいうのでのキャッチアップ具合とかってどうですか?
正直分かんないですよね。僕とかずっといるからコンテキスト全部分かってるけど、
お母さんとか最近入ってきてるわけで、
この中で例えばビズデブとかコーポレートとかPRの話とかも最近あると思うんですけど、
33:00
そういうのってこういう考えでやってるんだなってちゃんと伝わってますか?
PRはすごいこういうふうなやり方があるんだみたいなのを見てて分かってめちゃくちゃ面白いですね。
PRは?
ビズデブはなんか全体進んでるところは今なんとなく分かるけど、
この臨場感みたいなところで言うとやっぱりビズデブの方はお客さんと話してるところは見えない。
なかなか難しいなっていうのがありますね。
なるほど、確かに。
とはいえステイラーがどんだけ大きくなるかってところに向かってるんだなみたいなのは見えてるって感じですね。
なるほど、ありがとうございます。
えーっとなんだっけな、あ、そっか。
バリューの話をしようと思ったけど、今うまく絡めて話してくれましたね。
確かに。
最後に今後も今の雰囲気で開発ってちょっと誤解を招きそうだから、
ここちょっといい材料の大きい仕事を保つためにどういう人に入ってほしいですか?
そういう意味だとやっぱりこの自立して任せられるみたいなところで、
こういう感じっていうのを投げた時にじゃあそれをどう解決するのかっていうのを
自分で考えて形にうまくできる人っていうのがあるんだろうなっていう感覚は3ヶ月働く中であります。
なんかまさにね、カズさんも何のイシューだったかな。
で、石川さんがこうやったらできるんじゃないのかなみたいな雰囲気で渡して、
カズさんがめっちゃイシューにリサーチしたものを書いてくれてて、
それ読んで、おお、完全に馴染んでいるって思った記憶があるんで。
まさにね、カズさんみたいな、あとカズさんみたいなキャリアの人ってほとんどいないじゃないですか。
だから市場から探していくのすごいむずいと思うんですよ。
エンジニアいました。
でも一回起業して100万円広告費でぶっこんだ経験がありますね。
それはあんまりいないでしょうね。
でもすごい来ちゃうわと思ってて、もしそういう人がいたら多分会うと思うんで。
一緒に働けると嬉しいですね。
嬉しいです。
じゃあ今回そんなところにいきましょう。ありがとうございました。
ありがとうございました。