昨日、ゲディラライブを行って、 内的自己、外的自己と日本に偉大な霊の注ぎをもたらすために、
やはり国家レベルの内的自己を回復するという、すごい大きな話もしたんですけども、今日は、
僕が昨日のライブでも少し話したんですけども、 自分自身が双心、要は外的自己で生きていた面が強かったので、
内的自己が回復するのが難しかったという話を少ししたいんですけども、
昨日、友達とマクドで喋ってたんですけど、その話をしたら、その友人は、「そんなの日本中の男ほとんどやわ。」って言ったんですね。
昨日、ちらっと言ったかもしれないですけど、僕も確かにそうだよねとも思うんですね。
これ、自覚している人がもしかしたら少数かなとも思うんですね。
自覚できていないレベルで重症というか、外的自己が人生すべてだと思っている人も多分多いんだろうなと思いますね。
これちょっと深掘りすると、今の政治論争であったり、
極差、極右とか、いろんなところでも見え隠れする問題だと思うんですけども、
本当の自分、内的自己を喪失している。クリスチャン的に言うと、霊が死んでいるっていう言い方もあるのかもしれないですけど、
それもすごく似ている要素じゃないのかなと思ってるんですけども。
本当に僕もすごい苦労したんですよ。僕のケースで言うと、
僕はお父さんは牧師だったし、新学校の校長だったので、
聖書の話はもう頭にすごく入ってたんですね。
それが正しいのは何でわかったかというと、
お父さんが正直者であったのは家の中ではよくわかったんですね。嘘つきではない。
お父さんがパパのニューギニアで経験した例の領域や、
魔術やそこでのいろいろな奇跡の話を聞くときに、お父さんは嘘つきじゃない。
家の中でも別に完璧ではないし、頭硬いところもあるけども、一貫性があったんですね。
なので、知識として僕は外的事故において、
お父さんの言っている救いや天国や地獄や聖書は正しいということは正しいんだと
完全に同意してたんですね。まあ信じていたんですね。
なのでそれは正しいことだという前提で生きていたんですけども、
感謝なことにその前提知識は本当に真理だったらしく、
まあ宗教にせいでいろんなケースがありますけど、
僕の場合ラッキーなことに、たぶんお父さんの言っていたことの大半が正しかったんですね。
なので、私はその外的事故において認識した知識を用いても、
その知識の正しさを人生で証明していくことになるんですね。
ああやっぱりそうなんだな、やっぱりそうなんだな、やっぱり神様っているんだねとかね。
いろんな自分の人生周りで起きる出来事を見て、それが強化されていったんですね。
それノートの記事でも少し紹介したんですけど、
ただしですね、今の流れにきてですね、
その外的事故だけで知識や頭の良さ、信仰的同意、理解だけで
クリスチャン生活、教会に行く、賛美をする、祈るってことができちゃうんですよ。
要は、じゃあ玉津くん祈ってって言われたら、はいじゃあ祈ります。
今日来てくれた人を感謝します。
ペラペラペラって出てくるんですよ。
祈りを何万回も聴いてる。何千回にしとこうかな。何万は言い過ぎたかな。
すごく聴いているので、小さい頃からいろんな人が祈っているのを聴いているので、
真似しちゃえるんですね。心からの祈りじゃなくても。
賛美もそうですし、そういう人がいっぱいいるので、それでもいいんだっていう空気があるんですよ。
別にその教会は悪いってわけじゃなくて、全員が内的自己が回復され、
神様との個人関係で内側から来る祈りや言葉や賛美をしているわけではないので、
多分それが普通の教会だと思います。
それで何も問題ない。だってそれがいい人たちの集まりであり、別に悪いことをしているとも思いません。
ただし、僕が出会った先生たちはそうではなかっただけなんですね。
本質をもっと追求しようとしていて、本当に内側からインパクトのある力のある本気で思っている祈りをしたり、
何かこう人生に変化が生じるかのような強い日本で言う言霊のような力を持った祈り、言葉を解き放つ人たちと出会ったんですね。
彼らが言うのは、神様から祈って聞いたんだよとか、神様に今日こういうことを語られたんだよとか、
神様との個人関係すごく大事だよとか、僕が今まで聞いたことのないことをたくさん言うんですね。
またかも、聖書の知識だけを知っていた僕からしたら、神様と出会っている、友達になっている、関係が強い、
こういう生き方がクリスチャンと言われる世界であったんだって僕は衝撃を受けたんですよ。
じゃあその日のうちに、友付くもできるんじゃない?って今日祈ったら神様の声聞こえるよって言われたんですけども、
で、同じことをしたんですよ。その先生が神様の声を聞いたっていうやり方と。
でも同じことを何回やっても僕は神様の声が聞こえなかったんですよ。今ならわかりますね。
今ならよくわかります。
でも僕は何年かも頑張りました、それをね。でも全然聞こえないんですよ。全然わからない。
神の臨座もわからなかったし、全然わからなかったんですよ。
すごく苦しんだというか、どうすればいいんだろうと思ってましたね。
でも自分はそれが絶対に、その関係が絶対に正しいし、
彼らは持っているその生き方や力がなければ日本社会で僕が生きたい生き方はできないっていう
もう深い深い確信があったので諦めなかったんですね。何でもすると。
だから神様の臨座はわかんなくても礼拝に行くし、神様の声聞いてなくても手を挙げるし、
とりあえず恥ずかしいとかプライドとか全て捨てて、どうすれば神様がわかるのか。
今でいう、その昨日のテーマでいうと内的事故が回復され、
心から、霊から、内側からの僕が神様と出会えるかというのを模索していったんですね。
昨日の礼拝でですね、僕はボロ泣きしてるんですね。三部中に。
で、この曲が流れると僕はね、たぶん100%泣いてるんですよ。100%泣いてます。
で、その曲を作った本人のね、D君。
D君はね、彼が高校生の時に僕大学生で、バイクの後ろに彼を乗せて一緒にサッカーしたりとかね、そういう仲なんですよ。
で、当時彼が歌が下手で、俺歌下手やからいつも歌ってんねとか言って、
あ、そんなんや、頑張りとか言ってた時から知ってるんですけど、
彼が書いたあの曲ですね、いつも最後の方に持ってくる曲なんですけど、
栄光と力っていう曲ですね。知ってる方も中にはいると思いますけど。
あれを聞くと100%泣きます、僕。
で、彼にも、D君にも言ってるんですよ。
D君さ、Dちゃんさ、あの曲やばいよね。
あの輪際を日本で解き放てるDちゃんはすげーわ。
あれどういうシチュエーションであの歌詞来たん?って。
で、俺あの曲聴いたら絶対泣くもんねって話して。
で、「いやいやいや、ありがとう。そんなこと言ってくれて嬉しいわ。」
つってさ、「せやんな。」みたいな話をしてるんですけど。
でね、僕はっきりと、これ自分の声なのか主の思いなのかわからないですけど、
泣き出した時に、これが最高到達地点だっていうのがポーンって来たんですよ。
で、自分でも、そう、頭、声が来たし、そうだよねって思うんですね。
その三日をしたいっていうね、神様あなたと一秒でもいいから一緒にいたいっていう、まあその動機だと思うんですけど。
僕もね、最初ね、そういう人たちと出会って、何を言ってるんだと。
正しいのはわかるよと知識として、最もピュアだし美しいし、かっこいいし、そんなこと言える人間になりたいわと思いましたよ。
でも自分はその時、外的事故を肥大化していたので成功した。
何を求めたかよくわかんないですね。もうわかんないけど、それが正しいのはわかったけど、自分はそうじゃなかったというだけですね。
まあでも、いつの間にかその一つの願いが自分の願いになり、そして、
イエスの臨在にここは最高到達地点だと涙を流す人間に変えられたということですね、この十数年の歩みの中で。
宮台真実社会学者がいて、最近YouTubeで彼のいろんな話を聞いてるんですけど、彼は14歳の社会学っていう、
思春期の若者に書いた本の中で、これを観戦動機と言ってね、競争動機とか、他にも3つの動機があるんですけども、
最も強くて、ある意味一番良い動機、モチベーションだって言ってるんですね。
だからイエスが弟子たち、イエスの弟子たちがイエスのようになりたいと言って、最後は命を差し出してでも、
福音を広げていった、まあそういう感じですね。だからイエス様と出会って、地底関係になったってやつです。
じゃあこの現代においてですね、これちょっと、今の若者にも少し語りたいんですけども、若者の職人。
えっと、イエス様って何なのって、キリスト教の教祖だよねって思うと思うんですけど、
キリスト教って教えだよねって思うと思うんですけど、教えもあるんだけど実は教えではなくて、
それはイエスが死んだ後に、まあいろいろな複雑な理由の中でそれを利用した人たちもいるので、
キリスト教という教えがもちろんあるんだけども、それも良い影響もあるし、
まあいろいろ勉強する子はキリスト教の悪い影響も、まあいろいろ知ってると思うけれども、
まあそれは宗教としてのキリスト教ですよね。でも、イエスっていうのは、まあイエスシュワ、
本当はイエスシュワなんですけど、まあ英語ではジーザス。イエスシュワっていうのは教えではなくて、
お方、まあ人であり神であるんだけど、個人的な人間関係なんですね、これは本当は。
で、だってね、宮台真嗣も彼はキリスト教あまり好きじゃないみたいなんですけど、
まあ自分はクリスチャンと言っていて、イエス信仰者だって自分を自認してるみたいなんですけど、
まあ言いたいことはよくわかります、僕も。彼もイエスに感染したみたいですね。
イエスならどう考えるのか、イエスならどうするのかで生きてるみたいです。
まあそれが信仰、見言葉から来るイメージでやっているのか、
本当に個人関係があるのかは話したことがないのでわかりませんけども、
イエスっていうのは今でも個人的な環境を築けるっていうのが面白いと思うんですね。
で、これね、ちょっと3つぐらいの話をしたいんですけど、
まずキリスト教ってYouTubeとか何でもいいんですけど、検索するといろいろ出てきます。
イエス・キリストの生涯とかね。で、言ったことは大概正しいです。
ただポイントって抜け落ちてるのがあって、イエスは十字架にかかって死んだんだけど、
3日後に蘇ってるんですよ。で、その蘇っちゃったっていうのがすごいことで、
死んだ人間が過去に一度も蘇ったことないですよっていうのは世界史の常識ですよね。
人類学の常識だし。でも彼は蘇ったんですね。
で、それが聖書にも歴史書にも記述されている。
まあ信じる信じないのが自由です。
ただ蘇ったイエスを、その死体さえあれば、
いわゆる初代教会といわれるクリシャのムーブメントは止まったんだけど、
嘘つくなって言ってね。でも見つからなかったんですよ。
で、当時のユダヤ教のリーダーも、当時イスラエル、まあユダヤですね、
ユダヤ国家を支配していたローマの人たちもイエスの死体を見つけれなかったんですよ。
で、イエスは多くの人々に現れてしまったので、
彼は神の子だって言って、命を懸けてもイエスキリストの蘇りを伝える人たちが、
そこから全世界に散っていったんですね。
まずこれが1点ですね。だからイエスの蘇りを福音として伝えていったんですよ。
その中にいろんなことが入ってますけどね。
で、次が、その全世界に最も影響を与えたものって何かというと、
日本だと例えば天皇家すごいですよね。数千年続いてますと。
数千年ちゃう?数百年ですか?
トヨタ自動車すごいですよね。数十年続いて、時価総額すごいですよね。
でもキリスト教は、2000年の歴史があり、
全世界の多くの国々にまで広がった。
それは明らかにもっとすごいですよね。
で、まあBC、Before Christ、AD、Anno Domini。
今の西暦はイエスが来てからの何年目になっちゃったわけですよね。
言い悪い別として、それぐらい誰がどう見ても、
世界で最も影響力ある人間がイエスキリストですよね。
彼が誰なのか、彼は何をしたのか。
世界中の人がユダヤ、キリスト、イスラム、
物事を深く考える人たちはそこに行き着いて、
彼は何なのかっていうのをやはり調べたり学んだりするんですよ。
日本の若者に言いたいのは、その価値は非常にあるよっていうのは言いたいですね。
それだけのインパクトがあった人間がイエスキリストなんですよね。
次に、これ僕のね、僕嘘つきじゃないんですよ。
僕を知ってる人は多分みんな言います。あいつは正直者だと。
嘘つけないタイプです。基本的にね。
僕はキリスト教の世界で多くのクリスチャーを見てきたんですけど、
イエスキリストと出会った人っていうのは人生がやっぱり変わるんですね。
皆さんも一人ぐらいは知らないですか。
元ヤクザでした。イエス様と出会って心を洗いましたとかね。
俺はもともと不良でどうしようもないクズだったけど、
ジーザスが俺を変えたんだぜベイビーロックンロールとかいう人がいますし、
周りにも数え切れない人も、
数え切れないほどの人がイエスと出会って人生が変わったっていうんですよ。
で、それね、思い込みとか、
歴史上の人を空想で考えてるんじゃなくて、
内側から変わってるのがよくわかるんですよ。
もちろん癒されたね。病気が治りましたとかね。
奇跡が起きて借金まみれのビジネスがいきなり好転してとかね。
そういう話もついてたりします。
なので、イエスとの出会いっていうのは単なる思い込みを超えて、
人生が劇的に変化する人もいるし、
もちろんそうじゃない人もいるけども、
僕の見てきた世界で、これはリアルなんだなっていうのはわかるんですね。
だから言いたいのは、
イエス・キリストは歴史上存在し、
そして彼の復活っていうのがあったから、
一つの国の小さな町で起きたことが全世界に広がっちゃって、
そのストーリー、今みたいにニュースやSNSもない時代にもかからず、
全世界に広がったわけですね。
で、その話がデタラメとか作り話だったら、
5年10年で収まりますよね。
どんな噂話でもいいですよ。
ヒカキンのことを多分、100年後の人は知らないじゃないですか。
ヒカキンのことをブラジルの人はもしかしたら知らないじゃないですか。
ヒカキンさん好きですしすごい方ですけど、そうですよね。
でもイエス・キリストのストーリーは広がったし止まらない理由は、
今でもイエス・キリストと出会う人が出続けてるからなんですよ。
だから僕がね、また語っちゃってるじゃないですか、これ。
だって彼と出会って人生変わっちゃったし、全部リアルだってわかったし、
彼のことを調べれば調べるほど、
その時代の起きたこともリアルなんだなってわかってくるからなんですね。
なので僕が止まらない。
僕からまた何人もの人がキリスト信仰者になってしまったんですね。
こういうことが長い歴史の中でずーっと繰り返されてるんですね。
なのでイエス・キリストというのは今でも生きていて、今でも働いていて、
今でも日本の特に若い子たちにも現れようとしていると僕は感じてるんですね。
昨日のラジオですね、
友人が聞いてこれは日本の若い人に刺さるんじゃないってアドバイスをくれたので、
ちょっとこういう話もしてるんですけども、
イエス様っていうのは宗教じゃないということですね。
なのでもしこれを将来アーカイブで聞く人がいたり、
聞いてくれる若い子、若い子じゃなくていいんですけどね、