橋の上の人生
僕の今までの人生って、こう、振り返って例えてみると、
長い橋、釣り橋なのか、まあ材質は何でもいいんですけど、
長い橋をですね、延々と真っ直ぐ前に進むっていう、
そんな生き方だったんですね、今までの。で、なんかそのルールがあって、その橋を必ず前に進みなさいと、真っ直ぐ前に進みなさいと。
で、その橋からこう、引き返したりとか、橋から止まったりとか、橋からこう飛び降りたりとか、橋と違う場所へ行こうとしたら、それは絶対ダメよって、
誰かにずっと教えられたって、そんな生き方をしてました。
で、その橋っていうのが、なんかその幅は、最初は幅がどれぐらいなんでしょうね、もう、その端と端、橋の端を気にする必要なんかないぐらいですね、広くて、幅がしっかりしててね、だから幅3、4メートル、5、6メートル、もう橋なのかわからない、道路、道みたいなぐらいのね、
広さがあって、材質もしっかりしてて、一歩一歩踏んでも死んだみたいなね、そういう橋だったんですよ。大体、学生時代とかそれぐらいまでね。
で、この橋を渡ること、歩き続けることが当たり前で、完全に、それ以外はもうなんか悪いこと、ダメみたいなね。
ダメって言われたのかわかんないですけど、それが当たり前すぎて、それ以外の選択肢を考えようとも思わないぐらいですね、従順に僕は素直にその生き方をしてて。
でもところが、その橋がですね、歩き続けていると、ある時から急な坂になってみたりだとか、
足元がペタペタしたりとか、チクチクしたりするぐらいですね、歩きづらっていう感覚があったんですよ。
それは大体大人になってからですね、社会人になって、だからその決められた橋を真っ直ぐ歩くってことはね、素直にやってた僕は、
普通に進学して、普通に就職して、普通に会社員、サラリーマンとして働く、その普通、一般、常識みたいな、そういった橋に素直に真っ直ぐ歩いてたんですけど、
なんだかこう、ネバネバするな、チクチクするな、みたいな、窮屈だなとか、あるいはずっと真っ直ぐ続いてて、何にも面白くないなとか、
その幅が急にギューンと狭くなって、3センチ、数センチぐらいしかない、砂渡りかなっていうぐらい不安定になったりだとか、
自由な生き方の発見
そういう経験がだんだん増えてきたんですね。で、僕は、
今やってる仕事以外の人たちに出会うことができました。例えば、副業で自分で仕事をしている人たち、
不動産賃貸業をきっかけで自分の仕事をしている人たち、自分でビジネスをやっている人たちに出会ったりだとか、
あとはエンターテイナーになるぞって決めて、お笑い芸人をやっている人たちに出会ったりだとか、
それ以外にも発信を続けていく中で、面白い生き方を知る人たちに出会ったりだとか、
いろんな人に出会っているんですよ、今僕は。その人たちはどうしているかというと、僕が今まで歩いてきた、ここの世界しかないと思った橋をですね、
平気で飛び降りたりしてるんですよね、橋から。その橋から飛び降りた世界がどんな世界かというと、僕は今まで真っ暗な無の世界、そこには何もないとすら思ってたんですけど、
その人たちが平気で僕の居場所だと思った橋を飛び越えるから、えーっと思って覗いてみたらですね、
例えばその橋の外の世界というのは、海みたいな川みたいな水になっていて、もちろん溺れたり波が起きたりするというリスクがあるんですけど、
その中を平気で泳ぎ回っている人がいたりだとか、サーフィンみたいに乗りこなしている人がいてみたりだとか、
またまたその違う人のね、飛び降りた違う人を見てみると、実はその橋と地面との差ってこう数センチぐらいしかなくて、
どう飛び降りたって怪我しないでしょみたいな、そういう世界が広がっていたりだとか、あとはもう僕が見たことないような色とか景色の世界があったりなんかして、
めちゃくちゃ面白そうなんですよ。 僕が今までこの道しかない、この橋を進むしかないと思ってた、
そういったところから簡単に飛び出したり、あるいは止まってみたり、引き返してみたり、自由な歩き方、生き方をしている人たちに出会いまくってくるとですね、
僕も飛び出したくなってきます。 僕はこれからこの橋でどうしちゃおうかしら。
ヤマルでした。