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  2. 2026/06/01 山とともに生きる #3
2026/06/01 山とともに生きる #3
2026-06-06 32:29

2026/06/01 山とともに生きる #3

 大学時代の南アルプス登山

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サマリー

今回の放送では、パーソナリティの花谷康裕さんが、自身の山との関わりについて語ります。名古屋で開催された夏山フェスタへの参加報告から始まり、南アルプスの甲斐駒ヶ岳の雪解けの早さや、山小屋の水の開通について触れます。後半では、大学時代の南アルプスでの31日間に及ぶ長期縦走の思い出や、甲斐駒ヶ岳が持つ里山、山岳信仰、アルピニズムの3つの要素について深く掘り下げて語り、山の道に込められた先人の歴史に思いを馳せます。

夏山フェスタ参加と甲斐駒ヶ岳の近況
FM八ヶ岳 デインライフ 山とともに生きる 花谷康裕が担当します。 この番組では、北都市の山々を中心に、私と山との関わりについてお話をします。
はい、みなさんこんにちは。花谷です。 今回3回目の収録となりましたが、みなさん1回目、2回目の収録、内容を聞いていただけましたでしょうか。
すでにですね、アーカイブのページが、FM八ヶ岳のホームページにできております。 1回目、2回目の放送ですね、もうすでにアーカイブされてまして、私の話した内容がですね、そこに蓄積していってますので、ぜひ追っていただければなというふうに思います。
基本的には、前回の話に引き続いて、今回というようなことが多いと思いますので、今回初めてですね、この放送をお聞きになる方もですね、ぜひ一度アーカイブのページに来ていただいて、過去花谷がどんな話をしていたのかというところをチェックしていただければと思います。どうぞよろしくお願いします。
で、最近の私ですけども、実はですね、つい先日名古屋で開催されました、夏山フェスタというですね、山の集まりに行ってきました。
夏山フェスタ、僕はあの、貝コマの七畳小屋の山小屋の運営を始めてすぐぐらいの時ですね、もうまだコロナの前ですけども、その頃に出展をして以来、コロナになってから初めてなんですけども、どういうイベントかと言いますと、名古屋、中京圏ですね、中京圏最大の山のイベントで、この辺りですね、あの、名古屋の方、中京圏の方から登り始めて、
登りに来たりだとか、あるいはこの環境気に入って移住された方も多いかと思うんですけども、そういった、その地域で山のイベント、あの、あんまりないんですけども、それがすごく大きなイベントで、全国各地いろいろな場所の山小屋も出展ができるというところで、
北は尾瀬の方からも来てましたかね、それから北アルプス、南アルプス等々、あの、主要山岳地域、八ヶ岳もたくさん来られてました。そういったエリアの方々、山小屋だけではなくて、観光協会だったりだとか、あとは国立公園の関係者だったりとか、あるいはですね、警察の救助隊の方だったりとか、ブランドの方だったりとか、もう本当に様々な人たちが来て、
2日間イベントがあったんですけども、そこで私は小屋のブースで、こちらの南アルプスの紹介をしているだけではなくてですね、今回、途中でシンポジウムといいますか、勉強会のような講演の場所があるんですけども、その場所で初日は、この登山道の問題ですね。
こういったことに関してのパネルディスカッションを行って、2日目は私の今取り組んでいることについてお話をしたというような2日間でした。
2日間で6500名ぐらいが来場したというところで、非常に盛り上がったかなと思うんですけども、今ですね、だんだん気温も上がってきまして、カイコマガタケの方もですね、徐々に徐々に夏に近づいてきているというような雰囲気です。
ふもとに住んでいる皆様方だと本当に今年よく感じると思うんですけども、やたらと雪がなくなるのが早いと思いませんかね。
今年やっぱりあの非常に雪どけが早くてですね、もうあの普通でしたらまだ登山道のカイコマガタケの登山道上ですけども、まだかなり雪が残ってたりする場所も多いんですけども、もう今年は七畳小屋のある標高2400メートルぐらいの場所まではもうほぼ雪がない状態でですね。
上がれて、七畳小屋から上はまださすがに前詰めのついたアイゼンが必要な雪山のコンディションではあるものの、まあでも6月に入ったらそれも必要ない。いつもよりも半月ぐらいは早いコンディションじゃないかなというような感じに思っています。
そんなカイコマガタケですけども、なんとですね、夏の風物詩です。ついに半年間止まってた水が開通しました。これはですね、もう私たち山越えをやっている人間にはもうこれほど嬉しい話はなくてですね。
だいたいですね、例年11月の終わりとか12月の初めにですね、水源から来る水をですね、300メートルぐらいホースで引っ張ってまして、途中で凍結とかすると良くないので、だいたい11月の末ぐらいには水源からの水の供給が止まるんですよね。
カイコマの七畳小屋は皆さんご存知の通り、実は通年営業をしておりまして、通年営業、つまり冬もやってるんですけども、冬の営業の間は秋の間に水を貯めてですね、その水を貴重な水をですね、大切に大切に使いながら少しずつ使っていっている感じです。
で、その水だけでは足りないので、冬の間暖房もしますから、そのストーブの熱を使って雪を取ってきて、その雪をストーブの上にかけて少しずつ水にして、その水で洗い物をしたりだとかっていうその生活のための水を作って、そういう生活が半年ぐらい続くんですよね。
やっぱりこの最初のうちはね、その11月、12月あたりは水を出そうと思って蛇口に手が行くんですよね。手が行って、ああ、水止まってると思って、あの水を貯めているところから水を取って洗い物をしたりだとか、まあそんなことをして非常に不便な半年間を過ごすんですけども、やはり5月になるとですね、だんだんソワソワしてくるんですよね。
今年はいつ水が引けるのかということが非常にもう懸案になってきましてね。で、今年はだいたいゴールデンウィークあたりからあの小山が上がった時にですね、水源のあたりの雪を掘ってですね、できるだけ早く水が出る、取れるようにしたいなというところで毎年そういうことをしているんですけども、非常にことは雪が少ないということもあってですね。
そういった準備のおかげでようやく水が引けたと。
これで水が出ましたので、登山される方も安心して登ってもらえるんじゃないかなと思っています。
で、だんだん小屋の物資も少なくなってきてるんですけども、もうすぐですね、夏山の営業の前のヘリコプターの物資輸送が予定されてますので、それでヘリコプターが上がってくれれば、飲み物だったりだとかグッズだったりだとか食料もそうですけども、いろんなものが荷上げをされていよいよ夏山のシーズンが始まるということになります。
ところが最近の天気予報を見てると、どうもなんか、これ梅雨が早くなるんですかね、これ。なんかすごく天気が悪い予報になってて、もうヘリコプターの日程がですね、もうほんと差し迫ってきてはいるんですけども、もうこうなるとね、もう毎日天気予報とにらめっこなんですよね。
予定通り飛ぶかどうか。飛べばラッキー。飛ばないことがほとんどで、でも最悪ね、1週間伸びたりするんですよね。1週間伸びるとね、さすがにやっぱりいろんなものが狂ってくるんで、なんとか飛んでほしいなと思うんですけども。
大学時代の南アルプス縦走体験
今日はですね、どんな話をしようかなと思いながらこのスタジオに来たんですけども、今日はね、ちょっと思い切って南アルプスのことに特化した集中した話にしていこうかなというふうに思っています。
今、私が山小屋ですね、七条小屋の話をしてますけども、実はその七条小屋に僕が初めて登山をした時っていつだったかなって思い浮かべたら、実は1995年、30年、31年前の秋だったことが判明しました。
当時大学1年生、大学の三学部の登山で来たんですけども、ただね、その時はですね、黒トーネの思い出って実はあんまり覚えてなくて、というのは朝早く麓を出発して、1日で登り切ってですね、で、頂上からさらに北上していって、ノコギリ岳の方面に行ってですね、その先に避難小屋が1軒あるんですけども、そこで止まったんですよね。
なので、七条小屋とかも通っているはずなんですけども、残念ながら全く記憶がないというような、そんな感じです。
で、実は大学時代って結構南アルプスの方に関わっていてですね、今日はですね、そんな中でもものすごく思い出に残っている南アルプスの登山のことについて話をしたいなと思っております。
では最初の曲をご紹介します。ゆずで栄光の架け橋です。どうぞ。
はい、ではですね、南アルプスのお話の続きをしたいなと思っております。
まず学生時代、大学時代、以前にも話しましたが、僕は新州大学の三学会、三学部に所属しておりました。
年間5回の合宿があるとか、もう年間200日ぐらい山に行くとか、そんな話を前回など、ひまら屋に行った話もしましたけども、今回はだからひまら屋ではなくてですね、この国内、しかも南アルプスで一番思い出に残っている登山の話をしたいなと思います。
1998年に遡りますのでもう30年近く前になるんですけども、当時日本は何があったかというと長野オリンピックの年でした。
新州大学にいてですね、僕しかも教育学部でキャンパスが長野にありました。長野にあるっていうことは、もうオリンピックカラーで埋め尽くされてるっていうそんな感じだったんですね。
同級生、先輩後輩も含めてオリンピックのアルバイトだったりとか、あるいはボランティア、そういったオリンピック関連のものがたくさんある中で、三学部はそんなオリンピックを完全に無視してですね、開会式が始まる5日前、南アルプスに入山しました。
入山した場所はですね、今でいう南アルプス市のヤサジン峠というところから入山しました。
入山してからですね、ヤサジン峠から北上していきまして、そうすると法王山山を抜け、貝蜘蛛畑に到達します。
貝蜘蛛畑に着いてから北沢峠方面に降りて、仙錠畑に登り、仙錠畑から南下をしていくと三部岳という場所に着きます。
この三部岳は、静岡と長野と山梨の県境が接するような場所でもあるんですけれども、この三部岳の方からですね、白根山山という北岳、藍野岳、能取岳、ちょっと種脈から離れるんですけれども、この山山もしっかりとピークを踏んで、さらに南下をしていきます。
そうすると潮見岳というものがあって、三福峠、それからさらに南下をしていくと今度荒川岳というのが出てきますね。
荒川岳、前岳から悪沢岳もピストンして赤石岳に至り、さらに南下をして、ひじり岳、てかり岳、重層して、さらに南下をして最後大無岳、小無岳という山を越えて、静岡の伊川というところに降りると。
なんとですね、山中にいた日数は31日間、今までちょっと話をしましたが僕ヒマラヤ登山でですね、ネパールですよ。
外国に行って40日とか45日とか、長い時は数ヶ月って山に入るんですけれども、結局ベースキャンプに降りてきたりするので、山に入っている日数って実はそんなに長くないんですよね。
ベースキャンプに滞在して、じゃあ実際山に行くのは2,3日山に登ってまた降りてくるとか、長くても1週間とか登って降りてくるとか、そういったものがヒマラヤ登山だったり海外登山だったりするんですけれども、なんとこの時31日間山の中。
すごいと思いませんか。考えてみてください。当時大学生が31日間風呂に入らない。すごいことなんです。これはもうね、ほぼ獣ですよね。匂いも獣だったんですけれども、そんな登山がですね、僕の大学生のハイライトと言ってもいいような登山でした。
すごくね、いろいろ思い出に残るんですけれども、当時僕が山岳部のリーダーをやってまして、上級生が4年生がいなかったんですね。ちょうど大学3年生の時にこの登山をやったんですけれども、4年生がいないので、ちょっと上級生不足っていうところもあり、力はそんなにない時代だったんですよね。
だけど何か面白い登山をしたいなと思って思いついたのがこれだったんですね。この工程全部行くチームが4人チームで編成をして、隊を前半パーティーと後半パーティーに分けて、北沢峠のほうから入山をして三福峠まで行く前半のチームと、三福峠から入山をして最後、手刈岳まで行くチーム。
とはいえですね、この人たちも大体最低でも10日ぐらいかかるんですよね。南米部は大きいんで。それぐらいの規模感の重装をすると。でも全部行ったのが4人というようなところなんですけれども。
入山しまして、入山の時の荷物はほぼ50キロぐらいあったと思うんですよね。もう自分じゃ持ち上がらないんですよね。大体持ち上げて担げる時っていうのは40キロぐらいなんですけど、45を超えてくると持ち上がらなくなってくるんで、地面に置いたまま背中から迎えに行くっていう状態になりますね。
入山時はそういう状況でした。もう全然ペース上がらないんですよね、最初のうちはね。ひたすら耐えて耐えて耐えしろんで行くんですけども。
思い出に残るのはですね、初日か二日目の夜ですね。天気図を書くためのラジオ。当時ね、スマホなんてない時代ですので、ラジオを聞いて気象予報を聞いてですね。それで天気図を書いて翌日の天気を予報すると。自分たちで考えるというようなスタイルなんですよね。
そのラジオをですね、アローコとかですね、私のミスでですね、ラーメンの汁の中に落っこしてしまいまして、いきなりラジオを壊すみたいなそんなハプニングがありました。もう今でも思い出しません。もう一瞬でチームの雰囲気が賢悪になったんですけども。
そんなこともあり。前半チームとですね、北沢峠で合流して、天気悪かったんですよね。なんか体調不良の人も続出してきて、前半チームはもう途中で帰ってしまったりとかしてですね。
そんな中、なんとか前山重装チームは継続はできたんですけど、忘れもしないな。あれは1998年2月14日のバレンタインデーの日ですよ。なんと雨が降ったんです。山中で。2月ですよ。
雨が降って、たまたま戦場が先を越えてちょっと標高を下げていたところなんですけども。そこで雪が雨に変わり、テントを建てたんですけども。そのテントを建てたら雨になり、水浸しですよね。雪山の中で水浸しになって、なんとか水をかき出しながらやったんですけども。
だいたい雨が降るってことは、低気圧が来るっていうことなので天気が悪くなりますと。低気圧が抜けたら、当然この後冬型になる。つまり気温が下がるということなので、翌朝から気温が一気に下がりまして、濡れたものが全部凍りつくっていう。
全部凍りついて、氷の鎧みたいな状態で歩いてですね。歩くしかないんですよね、どうしても。目指した先は北竹山荘の陶器小屋、冬の間に開放してくれている部分があるので陶器小屋。
なんとか北竹山荘の陶器小屋に入って、服とかそういったものをリセットさせて、登山を継続する。そんなこともありました。
さらに南下していって三福峠も、実は三福峠には事前に荷物をあげておいて、食料ね、40日間の食料なんて全部一気に持っていけないんで、食料も40日分あったんですよね。半分は持っていくんですけども。
三福峠に着いた頃には、ものすごく40キロ、50キロあった荷物がおそらく24、5キロ、もう軽くなってきたんですけども、三福峠でまたリセット。またまた40キロ越えの荷物になって、また大変な思いをして南下をしていって。
で、その南下をした先でですね、また天気が悪くなって、後輩が低体温症でフラフラになって吹雪の中を歩いて、なんとか荒川前岳の避難小屋に入り着いて。
雪が降ったんで、その翌日悪さだけピストンしたけど途中でなだれにあったりとか、そんなことを今話ししながら本当に久しぶりに思い出していったんですけども、そんなのが僕の南アルプスとの出会いでした。
南アルプスですね、だから大学時代、夏の重曹、冬の重曹、そういったものも含めてかなり長く通ったんですけども、まさか今自分がこうやって南アルプスに深く携わることになるなんていうのはその当時もうこれっぽちも思わずにいたんですけども、
今日はそんな僕の南アルプスの一番ディープな思い出についてお話をさせていただきました。
では2曲目を紹介したいと思います。宇多田ヒカルさんで花束を君にでよろしくお願いします。
甲斐駒ヶ岳の歴史と魅力
今日は南アルプスの話をですね、かなり深く突っ込んで話をしてますけども、最後のこのコーナーではですね、南アルプスの中でもカイコマガタケのことですね、についてちょっとお話をしたいなと思います。
前回の放送の中でカイコマガタケの魅力というところで、僕が思う日本の山の3大要素っていうのを覚えてますかね。
この里山、それから山岳信仰、アルピニズム、この3つの言い方をしたと思うんですけども、これが僕が思うその日本の山の3つの要素だと思うんですね。
カイコマガタケはそれが3つ兼ね備わった山だというふうに話していましたが、ちょっとそこの部分について掘り下げて話していきたいなと思います。
この辺りの山ですね、カイコマガタケは皆さんご存知の通り1816年オビゴンザブロという方がですね、山を改山したというふうに言われてるんですけども、
実はですね、山頂からは縄文土器が出土しています。この縄文土器、年代測定した結果ですね、だいたい縄文晩期2300年ぐらい前のものというふうに言われてますので、
その意味では今改山、オビゴンザブロさんが登ってからは200年ちょっと経つんですけども、縄文人がもし登ってたとしたら2000年以上ということになるので、ものすごく歴史が更新されるんですけども、
そんな時代からこの地域を代表する山だったのかなというふうには思います。
実際、長坂ですかね、大泉か長坂の辺りですね、この辺りって古くからの縄文時代の遺跡が多いかなと思うんですけども、その縄文の遺跡からですね、
ご存知の通り、この辺りって火山、八つ形系の岩石なので火鉱岩は転がってないところなんですけども、そこに火鉱岩が転がっていたりだとか、あるいは当時の日にですね、カイコモガタキの山頂に日が沈むとかですね、そういった意味もありまして、
すごく当時の縄文時代に住んでた人たちも特別な山だったんじゃないかなと思うんですけども、もうちょっと時代をこちら側に戻してきてですね、江戸時代ですね、まだいわゆるオビゴンザブロさんが登る前の時代もですね、
火鉱岩がたけは里山として地域の人たちに活用されていました。昔の地図を見るとですね、結構標高の高い標高2000メートルぐらいのところに奥山入合という書き方がされた場所があります。
入合地ですね、入合地っていうとご存知の方も多いかもしれませんけども、今でいうコモンズですね、共同管理をしている地域で共同管理をしている場所というふうに説明ができると思うんですけども、文字通り地域の人たちがそこの山の自然資源をですね、活用して生活の過程にして、
しかもその資源がちゃんと枯渇しないようにしっかりと管理をしながら保たれていた山というふうになるんですけども、そういった意味では非常に里山として生活と密着した山であったということは間違いありません。
そこの中にですね、山岳振興という要素が入ってきたのが江戸時代の後期、先ほど申し上げたオビゴン・ザブロさんが改ざんしてからというふうになります。
オビゴン・ザブロさんが改ざんしたのは、僕が今色々調べている中ではオビゴン・ザブロさんがカイコマガタキに初登頂したのではなくてですね、いわゆるこれは宗教的に改ざんしたということと、
僕がやっぱり一番オビゴン・ザブロさんの最大の功績だなと思うのは、今まで限られた人しか登られなかったであろう険しい山をですね、多くの人が登れるように道を整備してルートを整備して、しかもカイコマコウというですね、いわゆる信仰登山のグループですね。
そういったものをなども作ってですね、それがまた全国的にも発展していくんですけども、そういったものの礎を作られたっていうのが僕はオビゴン・ザブロさんの最大の功績ではないかなというふうに思っています。
山岳信仰っていうのは非常にこれは日本独特の山の文化とも言えまして、山に神様が住んでいるという認識で山がある地域っていうのは本当世界中でも限られていて、それこそ僕がよく行くネパールだったりチベットだったり、そういったごく一部の地域ですね。
日本の場合はですね、もう山岳信仰の歴史は1000年以上に遡って、古いところは皆さんご存知大峰だったりだとか、あるいは山形県の羽黒山山ですね、ガッサンとかがあるところですね。
あの辺りが日本の一番古い、この辺りだと金布山ですね。金桜神社からのあの道もそうですけども、もう1000年以上の歴史があるというふうに言われております。
で、そんな山岳信仰の歴史がありですね。で、その後明治時代になって日本が開国をしてからですね、イギリス人、海外の人たちをはじめとした、イギリス人をはじめとした海外の人たちが日本に駐留して山登りを始めたんですけども、それがいわゆる近代登山、現代私たちが楽しんでいるような登山ですね。
まあそういったスタイルがあると。この3つがあるんですけども、この3つがあの蚕畑の歴史としては深く刻み込まれています。
で、まあ近代登山、現代登山の代表的なものっていうと、あの皆さんの白州にですね、道の駅白州というのが国道20号線沿いにあってですね、その白州の道の駅のすぐ隣にですね、シャルマンワインというワインのワイナリーがあるのを皆さんご存知かもしれませんけども、その中にですね、実はカイコマ資料館という資料館があるんです。
で、そこにぜひ行っていただきたいんですけど、そこに行くとですね、ありとあらゆるカイコマ畑の資料がそこに展示をされているんですけども、それを作った人ですね、まあその資料を作ったというか収集したというか、まあ整理をしたのがですね、東京博龍会と呼ばれる山の会なんですね。
私が山小屋を始めてからも何度か市場外に来てくれたんですけども、ついに高齢化に伴って会を解散するというふうに言われてですね、非常に残念ではあるんですけども。
で、その博龍会の中の近藤義夫さんという方がですね、あのカイコマ辞典と言っても、それこそあのカイコマのことを全部網羅した辞典を作られたりだとか、あるいはですね、そのカイコマ畑周辺にはたくさん岩場があるんですけども、その岩場のですね、開拓だったりだとか、沢の開拓だったりとか、まあそういったことを精力的にやられたのが近藤義夫さんを中心とした東京博龍会。
博龍会の人たちなんですけども、そういった人たちも通ってきた山でした。
で、僕はですね、山小屋をやる前というのは、どちらかというとこの博龍会の皆様のような、そういったバリエーションの登山をたくさんやってたんですけども、最近山登り、そういった激しい登山から、今登山道整備とかもしてるんですけども、
そういった里山の時代、それから山岳信仰で人が多く来た時代、それから近代登山、現代登山というところで、今私たちが楽しんでる、まあこの3者がですね、共通してお世話になったものっていうものがあって、僕それはやっぱり道なんじゃないかなというふうに思ってます。
で、今日本の道っていうのは、登山道っていうのは、その登山のために作られた道っていうのはほとんどないんですよね。
ほとんどのものが先人がですね、里山を利用するために通った道であったり、信仰のために通った道だったものが、登山という文化が後から入ってきて、その道を使いながら今に至るというところで、
道を歩いていると、そういう意味では先人の足跡をそのまま追っていっているようなその感覚にもなります。
そういった意味で僕はすごく道っていうのは素晴らしいものでもあるし、貝コマがたきはそういった意味では、もしかしたら2300年前の縄文人から使っているかもしれない、そんな道を今私たちが歩いていると思うと、
すごく魅力的というか不思議な感覚にもなってくるんじゃないかなというふうに思います。
そろそろですね、6月に入ってきて雪も溶けてくると、いよいよ貝コマがたけ、人も増えてくるんですけれども、
もし歩かれる方はですね、今日のこの放送を聞いていただいたら、なんとなくそういった、もしかしたらここそんな前から人が歩いているかもしれないとかですね、
そういった先人の足跡、信仰で巡ってきた人たちの思い、そんなものも感じ取りながら貝コマがたけを楽しんでもらえたらいいなというふうに思っております。
はい、では今日最後の曲はワンズで世界が終わるまではよろしくお願いします。
まとめと今後の活動
はい、スナムダンクの主題歌でもありました世界が終わるまではですけれども、
これね、あのちょっとねつい最近ですね、カラオケに10年以上ぶりに行ってね、なんか歌ってしまったので、
そうだそうだ今日これ流そうと思ってリクエストしてみました。
はい、ありがとうございました。
あの今日はですね、あのどちらかというと南アルプスローカルに特化したことをお話をさせていただきました。
あの前にも話しましたけれども、今あの北斗市ではですね、あの登山道の保全非常に力を入れて活動しまして、
北斗山盛り隊の方でもワークショップという形で皆様と一緒に保全を体験する機会を提供しています。
5月、6月、5月はですね、もう終わりますね。
6月、7月をですね、あのまだ追加で募集をしているところですので、
まあぜひ機会がありましたら北斗山盛り隊のホームページを見ていただきたいなというふうに思います。
はい、今月もありがとうございました。
FM八ヶ岳、Day in Life、山と共に生きる、花谷康博でした。
また来月お会いしましょう。
32:29

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