1. FM八ヶ岳 山とともに生きる
  2. 2026/04/06 山とともに生きる ..
2026/04/06 山とともに生きる #1
2026-04-11 34:46

2026/04/06 山とともに生きる #1

自己紹介、私の趣味・カメラ、甲斐駒ヶ岳の剣

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

本放送では、パーソナリティの花谷康裕さんが自己紹介と、山との関わりについて語ります。兵庫県神戸市出身で、幼少期から登山に親しみ、ロッククライミングや海外登山経験も豊富です。趣味の写真についても、祖父から受け継いだカメラや、山岳写真家・白畑司郎氏との交流、そして現在のフィルムシミュレーションを使った撮影の楽しみについて語りました。また、甲斐駒ヶ岳の象徴である「剣」が折れた出来事とその後の発見、そしてその歴史的背景についても触れ、今後の保全活動への意欲を示しました。

自己紹介と山との関わり
FM八ヶ岳 デインライフ 山とともに生きる はなたにやすひろが担当します。
この番組では、北斗市の山々を中心に、私と山との関わりについてお話しします。
はい、では改めまして自己紹介をさせていただきます。 私、はなたにやすひろと申します。皆様、初めまして。
私は2007年に山梨県の北斗市に移住をしてきました。 僕と同じようにこの環境、山が好きで、あるいはこの自然が好きで、この場所に移住してきた方も多いんじゃないかなというふうに思います。
僕の場合は、特に2007年当時何をやっていたかというと、ロッククライミングですね。その頃は結構登ってまして、北斗市には水垣山という山が、皆さんご存知かもしれませんけれども、
中国の山水画のような山の中から花崗岩の岩頭がニョキニョキと生えているような、そんな岩があるんですけれども、その山がこの北斗市のフィールドにある。そういうことが、僕がここを移住先に決めたきっかけでもあります。
今回ですね、この番組では3つぐらいの話題についてですね、皆さんにお届けしたいなと思うんですけれども、まず一つ目は、私個人の山との関わりの話をちょっとしたいなと思います。
実はかなり小さい頃から山登りしてまして、大人になってからはネバールのヒマラヤだったりだとか、南米だったりとか、いろんなところで海外で登山をしてきましたので、そんな話をしていきたいなと思います。
二つ目はね、私の趣味の話、趣味と言ってもね、山登りしかしてなかったのであまり趣味なんかないんですけれども、そんなお話だったりだとか、皆様からこれからですね、お便りをお受けしたいなと思ってまして、またどうやってお便りをお送りしてもらうかお話しますけれども、それにお答えするようなコーナー。
三つ目は北斗の山々の話、それから私が今すごく一生懸命取り組んでいる山での保全の活動、特に登山道がね、今いろんなところで荒れてきているので、それを何とかしなきゃいけないということで一生懸命活動しているんですけれども、そういった北斗の山々の話をしたいなというふうに思います。
今日はね、自己紹介みたいなところもありますので、簡単に私がどんな山登りをしてきたかっていう話をしたいなと思うんですけれども、私生まれはですね、兵庫県の神戸市です。
神戸といえば、みなさん六甲山という山を聞いたことがあるかもしれません。阪神タイガースの応援歌の六甲卸ってあると思うんですけれども、この辺では八ヶ岳卸って言いますが、僕の中では六甲卸っていう方がめちゃくちゃなじみがあるフレーズなんですけれども、
その六甲山、一番高いところで標高が931メートルしかないので、もしかしたらここFM八ヶ岳の小仏座のスタジオよりも標高低いのかな、それぐらいの低い山なんですけれども、町と山が非常に近いところでですね、
それこそ六甲山というところは、日本で一番最初に山登り、いわゆる僕たちが今やっているような山登りですね。山頂に行きたいとか、山の中で遊びたいとか、そういった山登りが一番最初に日本に定着したのが神戸の六甲山というふうに言われています。
それまで日本って、いわゆる山岳信仰ですね。山に神様が住んでいるので、そこにお参りに行くというような山岳信仰だったりだとか、あと北斗の山はみんなそうなんですけれども、里山ですね。
みんな昔は山から薪を取ったり、漁をしたりだとか、そういった山の恵みを受けて生活をしていましたけれども、それまでは昔は信仰か生活の山か、この2つのパターンしかなかったんですけれども、明治になって、それまで江戸時代は日本は鎖国していて外国人がほとんど来れない状態だったんですけれども、
鎖国してからですね、外国のいわゆる駐在する人たちが日本に住むようになってきたんですけれども、その中で特にヨーロッパ、イギリスのあたりだとか、そういったところから来た人たちは、もうすでにその頃ってヨーロッパで一番高いモンブランとか登られた後の時代だったので、もう今のように山に登るレジャーとして山に登る文化というのが確立していたんですけれども、
その人たちが開港した横浜だったりだとか神戸だったりとか、そういったところに住み着いて、たまたま神戸は町と山が非常に近くてですね、後ろを見たら山がある、山があるんだったら登ろうじゃないかといってその駐在のイギリスの人たちが登り始めた。
これがきっかけで神戸の市民も面白そうじゃんって言って山に登り始めた。そういうような歴史があって、実は町の中でその山登り、ハイキングとかですね、山登りの文化っていうのが非常に浸透している土地でもあるんですね。
僕はそんなところで生まれて、最初の山登りのきっかけ、最初の山登りの記憶ってもう全然ないんですけど、きっかけはですね、よくある話かもしれないですけれども、うちの祖父がもう亡くなっているんですけれども、うちの祖父が結構ハイキング好きでですね、そのハイキング好きな祖父に孫がついていくというのが一番最初の登山だったような記憶をしています。
僕は大体そうですね、幼稚園ぐらいの時ですかね、その頃から始めたと思います。一番最初の山の記憶結構残ってて、寒かったんですよね。結構寒くて雪がちらちらちらつく中で、山の中でおにぎりを頬張りながら、持っていた魔法瓶のお湯で作ったお味噌汁が非常に美味しかったっていうのを覚えています。
それが一番最初の山の記憶ですね。
で、面白かったのが、そういったハイキングの大会に参加すると、参加賞のバッジがもらえるんです。すごいオーバンブルマイだと思うんですけど、そのバッジをですね、集めるのが花谷少年の大きな喜びだったんですよね。
で、そんな感じでずっと、その頃はでもまだちっちゃかったし、月に一度っていうほどの山そんなにも行ってないぐらいだったんですけども、小学校5年生になってからですね、実は神戸市少年団、こっちでもスポーツ少年団っていうのがあるんですけども、その少年団の活動の中に、実は登山教室というのがあったんですよね。これがまた神戸のすごいところで。
ちなみにその時募集されてたのって、柔道教室と剣道教室と登山教室っていう3つで。で、僕はそれをたまたま新聞で見つけて、親にですね、これ参加したいんだけどって言って、飛び込んだのが小学校5年生です。
で、その頃ね、すごく登山教室って非常に、学校の先生たちがほとんどボランティアで活動してくれてたんですけども、とてもすごく充実してて、年間20コースぐらいのカルキュラムみたいなのがあってですね、ただ山登るだけじゃなくて、神戸市にある登山研修所で座学をしたりだとか、いろいろ本格的な活動をしてました。
それが小学校5年生から始まってたので、僕の山の始まりっていうのは、いつも小学校5年生から始まりましたっていうような話をします。
その後も、小学校から中学校まで続けて、高校は県下で一番山岳部が強かった学校にわざわざ行って、高校もしっかり登って、そこからより本格的な山登りをしたいというところで、私大学、新州大学なんですけども、
新州大学に進学をして、そこから本格的な山登りを始めると。そんな感じです。
その意味では、今私のホームマウンテンはもちろん北斗の山々であり、貝コマ畑でもあるんですけども、やっぱり一番通ってた山っていうのは六甲の山々ですし、今でもそこに戻るとすごく当時の懐かしい記憶がよみがえって、とても楽しい時間を過ごしています。
はい、ここで私の好きな曲をお届けします。BEAZのウルトラソウルです。どうぞ。
はい、次はですね、私の趣味であったりだとか、皆さんのお便りにお答えするコーナーにしたいなと思うんですけども、今回1回目ということで、特に皆様からのお便りはなくですね、私の拙い趣味の話をしたいなと思っています。
実はですね、僕ね、ずっと山登りをしてましたので、よくよく考えたらね、むちゃくちゃ無趣味だなっていうのをずっと思ってて、ないんですよ。ないんです。
で、何でもこう仕事になっちゃうっていうところも悩みであったんですけども、なんとかその仕事にせずにですね、自分のマイペースでもう楽しく何かできないかなと思ってたどり着いたのが、よくある話かもしれないですけど、写真です。カメラ。結構大好きで。
中学校の時に写真部に入ってたんですよね。で、当時はフィルム前世の時代だったので、この写真部にちゃんと暗室があって、やったことある人もいると思うんですけど、暗室の中でフィルムばらして、それを現像してプリントするっていうところまで、中学校の部活でやってたんですよね。
で、やっぱりその中学校の頃も、さっき話してた神戸市の少年団、あれ小学校の5年生、6年生対象だったんですけども、中学校になってからも山大好きで仕方がなくて、何とかして参加できないのかなと思って先生に頼んだら、じゃあ研修生という名目で、子どもたちの面倒を見る大人の手伝いみたいな立ち位置で来てもいいよって言ってくれたんで、これだと思って。
で、中学校の時も実は少年団でずっと山登ってたんですけども、やっぱりそうなってくると余裕が出てくるんで、何かやっぱり写真撮ったりとかしたいなと思って。
僕の山を教えてくれた、さっきも冒頭で話した祖父が写真も好きで、祖父からカメラも譲り受けて、そのカメラを使って下手なりにいろいろ写真を撮っていったっていうのが始まりです。
だけど、それは子どもなので長続きはせずにですね、本当に写真部も1年生で辞めてしまって、その後また陸上部に入って体を動かしてたんですけども、
次に写真に目覚めたわけではないんですけども、写真と関わったのは山が大好きな、特に5年配の方ならばご存知だと思うんですけども、山岳写真家の白畑志郎先生ってご存知だと思うんです。
白畑先生は山梨県大月市のご出身で、もう山岳写真の大家といえば白畑先生だと思うんですけども、実はですね、大学生の終わりの頃から大学卒業ですね、それぐらいにかけて1年半から2年近くですね、白畑先生の機材を持たせて、担がせていただいてた時代がありまして、
あの白畑先生ってオーバンのカメラですね、いわゆる本当に室内で使うような大きなオーバンのカメラを使って山を撮る方なんですけども、当然機材が非常に大きなわけで、私たちのような牧家が荷物を担がせてもらってたんですよね。
で、その時にですね、結構回数多くご一緒させてもらってたので、撮影の時間に余裕がある時は、幕の中を見せてくださってたんですよね。構図をこう決めるんだとか、こういう風にしたらいいとか、そういうのをずっとお聞きしながら2年間ほどご一緒させてもらってて、
その間にやっぱり写真がより好きになったっていうのが一番大きな変化だったんですけども、その後やっぱりちょうどその時代から今にかけてっていうのはずっと海外で山に登ってた時代でもあるので、
当然行ったら色んな記録を撮ったりだとか、向こうの景色を残すために、あるいはその人との触れ合いとかね、そういったのを写真に収めたくてですね、必ず何か1台はカメラを持って行って、写真を撮りながら過ごしていたっていうところがあって、意外と色んなところでカメラを出したり、あるいは最近だとスマホでですね、色々撮る機会が多かったんじゃないかなと思ってたんですけど、
やっぱりこの年になってきて、やっぱりスマホの写真よりも何かもうちょっと味のある写真を残せないかななんて思うようになって、最近は僕はいつかはLeicaを使いたいんですけども、まだそんなこともできないので、別にLeicaよりも隠したとは思ってないんですけども、
フジフィルムっていう、昔もね僕ずっとフジフィルムのお世話になってたんで、フジフィルムのカメラを3年くらい前ですかねに買ってですね、それで色々写真をまた撮るようになったんですけども、非常にそれが面白くてですね、もうこれだけは絶対に仕事にしないぞと思って、もうこの下手な趣味のままでいてやると思って、ずっとやってるんですけど、
最近ハマっているのが、この年末ぐらいから毎朝ですね、北斗にいる時はですけども、毎朝実は朝ウォーキングをしているんですよね。
だいたい1日3キロから5キロぐらいなんで、30分から長くても1時間ぐらいの時間なんですけど、この時間にほとんど同じルートを歩いてるんですけども、この時間にカメラを持って歩いてるんですよね。
そうするとね、最初は同じものばっかり撮ってるんで、だんだん飽きるのかなと思ったら、意外とそれが面白くて、同じ被写体でもレンズを変えたりとか、ちょっと時間が変わったりとか、あるいは季節が変わったりとか、それだけで全然違う風に撮れていく。
で、フジフィルムって面白いのがフィルムシミュレーションっていうのがあって、フィルム使ってた僕ら世代とかだとみんなすごいハマると思うんですけども、フィルムによって出る色が違うんですよね。
これ写真やってた人ならわかると思うんですけども、いわゆるスライドのフジフィルムの色だったりだとか、ネガでもちょっとくすんだ感じの色になるとか、あるいは白黒だったりとか、いろんなものがあるんですけども、それを変えて撮れるんですよね。
これはもうカメラ小僧だった僕にとっては一番面白い話でですね。
今日も朝ですね、やっぱり今日もいい天気だったのでカメラを携えて持って行ったんですけども、最近の被写体がですね、ウバユリって皆さんご存知ですかね。
冬になるとこぶしよりもちょっと小さいぐらいの種の皮とか大きな実のような形になるんですけども、それが2,3個ついてるのがウバユリなんですけども、このウバユリがなかなかずっとそこに立ってくれてるんで、
それをいろんな角度からいろんなレンズでいろんなフィルムシミュレーションで取り比べていくっていうそんなマニアックなことをしながら遊んでます。
趣味の写真
なかなかやっぱり写真って、それをインスタに載せたりとかもして遊んでるんですけども、なんか下手な写真載せてるなーって思ってる人もいるだろうし、共感してくれる方もいらっしゃるだろうし、別に僕そこで人の評価を求めようとはしてなくて、
ただ単になんか自分の趣味としてこれからも楽しんでいこうかなというような感じでやってます。
次回以降はぜひ皆さんからお便りをいただいて、それにお答えするようなこともしたいなと思ってますので、
FM八ヶ岳のお問い合わせページにですね、メッセージとかリクエストをお送りできるようなページもありますので、そこから送っていただくか、もっとカジュアルに私のSNSのメッセージ機能なんかを使ってやっていただいてもいいかなと思います。
何も質問がなかったらまたこんな感じでゆるっと話をしていきたいなというふうに思います。
この後ですね、私の好きな曲を1曲お届けします。宇多田ヒカルさんのBeautiful Worldです。どうぞ。
はい、では3つ目のコーナーは北都の山々の話をしたいと思うんですけども、最近の北都の山の話題といえばもう皆さんご存知の方も多いんじゃないかなと思うんですけど、
カイコマ畑に黒島、表玄関の道ですけども、その黒島の9号目にエボシイワと岩があって、そのエボシイワの上に2本の剣が突き立ってるんですけども、その剣の1本が折れたっていうのが、3日3でも一面のニュースになってましたし、いろんな新聞各紙取り上げてくださってたので、皆さんご存知の方も多いと思います。
実は僕のSNSもマンバズしましてですね、なんかえらい盛り上がってたんですけども、その剣も含めてですね、非常にカイコマってものすごく魅力のある山なので、今日はちょっとそんな話をしたいなと思うんですけども、
カイコマ畑って1816年に改ざんされた山です。改ざんされた登山口は白州町の横手ですね、そこからオビゴンザブローという業者さんが何年かの虜いの末に登ったというのが1816年です。
今年がだから改ざんしてちょうど210年というふうになるんですけども、今でも山中にはたくさんの石物だったりだとか、石碑ですね、そういったものもたくさん残ってます。
またオビゴンザブローさんが亡くなった後はお不動産、入木大将不動明王という名前がついてるんですけども、お不動産として祀られていることから山中には鉄の剣がですね、いろんな場所に奉納されてるんですよね。
その中で一番象徴的なのが9号目のエボシーワンに突き立っている剣だったわけです。この剣ですね、いつ誰が立てたのかというのは実は定かではないんですけども、明治時代、明治の後半にこのカイコマ畑を登った方の文章が残ってまして、
その記述の中にはエボシーワンに1本の剣が立っていたというような記録が残っています。これがおそらくですね、世に一番最初に出たその剣の話だと思うんですけども。
その後ですね、私が持っている写真の中では、ちょうど戦後間もない頃ですね、ちょうど昭和20年代後半だと思うんですけども、その頃の写真をいただいたんですけども、その頃の写真には3本の剣が立っています。
だからどっかの時代でその1本から3本に増えているんですよね。で、その3本の剣が昭和35年の写真だと2本になっています。つまりは1本折れたのかな、なくなってしまったというようなところがあるんですけども。
で、その折れた剣ですけども、3本立った中で一番短い剣だったんだけども、その剣がですね、今2本立っているように見えるんですけども、実は一番右側の剣に重ねて立てられているという、まあそんな状態で、見た目は2本なんですけども、実はまだあの上には3本剣があったというような状態です。
で、日本の山ってもう山岳信仰とかそういったものとはもう切っても切り離せないものだと思うんですけども、貝殻畑もその1つだと思うんですけども、山の信仰、山岳信仰がある地域って世界中に見ても非常に珍しいんですよね。
で、まあ僕がよく行くネパールなんかもそんな国でもあるし、チベットもそうです。ただヨーロッパの方に行くと神様っていうよりもむしろ悪魔の方ですよね。怖いものが住む存在っていうような恐れられているものでもありますし、あるいはそのチベットだったりとかネパールの山岳信仰の場合は神聖な山には登らないっていうことがあるんですけども、日本の場合はみんな登りますよね。
で、登ってその山中で日の出を拝んでっていうことが多くて、まあ日本の山岳信仰ってすごく独特だなって、世界的に見ても独特だなと思うんですけども。
で、そんな中でもカイコマ畑の9号目にある大きな岩の上に2本剣が突き立って、その先に富士山が見えて、南アルプスの深い山々が見えてっていう。
で、これは僕は日本を代表する山岳景観だなというふうに思って、2007年からカイコマ畑の7号目にある七畳小屋という山小屋の管理運営をさせてもらってるんですけども、その頃からですね、やっぱりこの景色を皆さんにお届けしたい、あるいは皆さんに見てもらいたいっていうような発信をすごくたくさんしてた場所でもあります。
それぐらい自分にとっても思い入れのある場所なんですけども、それがですね、2月の初めかな、冬の間にですね、僕はその七畳小屋を使って冬のカイコマ畑に登るツアーをやらせてもらってるんですけども、そのツアーで上がって行った時にですね、すごい下から見てて違和感があったんですよ。
なんかあるべきものがないんじゃないかっていうものがあって、後ろで一緒にガイドをしてたあの人からも、花谷さん、なんか剣なくないですかみたいな話になって、やっぱそうだよね、おかしいよね、見えてるはずだよねって言って、その剣が立っている、いつも皆さんと集合写真を撮ってる場所に行ったら、やっぱない、一本ない。
ついに折れたかっていう、もうなんか2本ずっと立っているのが普通の景色だったので、僕の中では。それが一本ないっていうのがもうなんとも言えない喪失感があって。
で、これは大変なことになったなと。いつか折れるかなっていう思いはあったんですけど、実はもう何年も前からですね、僕あそこ何回も何回も通ってるんですけど、風が強い時はあの岩の上にある剣がビュンビュン揺れてるのがよく見えてたんですよね。
なのであれだけ揺れてるといつかは何か折れるんじゃないかなっていうぐらいの折れ方もしてたし、岩の上に突き立ってる剣なんで、雷とかもあそこ落ちんじゃないかなと思ったりとか、すごい環境でずっと立ってるなと思ってたんですけども、それがついに折れてしまったということがあって。
で、そういったのをちょっとSNS等々で書かせてもらったら非常に反響がありました。いろんな意見もあってですね、とにかく見つかってほしいってほとんどの方が思ってくださったんですけども、その翌週にですね、今度はツアーではなくて、いわゆる小屋版として僕が上がって行ったときにお客さんに呼びかけたんですね。
前の日の泊まってたお客様に、もし剣があったら教えてくださいと。多分そんなに吹き飛ぶものでもないと思うので、あの現場のすぐそばのどこかにあると思うんで、もし見つけたら教えてくださいっていうような話をしてたら、上って降りてきた方がですね、ありましたと。
登山道からちょっと南側の斜面になんとなくそれっぽいのが見えたんで引き上げてみましたと。そしたら剣でしたというような話があってですね、なんと折れた1週間後にですね、見つかったという話なんですよね。で、その見つかったっていう話を投稿したらマンバズしたというようなそんな話でした。
で、これ見つかったときにですね、なかなかやっぱりこういう状況で起こらないので、さらに僕その翌週にそこに登る機会があった。またそれツアーで行ったんですけども。
で、その時にですね、あの剣の写真とかも撮って、より安全なところにアンチをしたんですけども、その時に見てるとその剣にですね、昭和6年9月8日っていう風に刻まれているのが見えました。
ということはさっきその明治時代に1本あったっていう話をしたんですけども、その後大正から昭和の初期にかけてその2本目が立てられたんじゃないかなという風に推測されます。
で、それがじゃあ誰が立てたのかっていうのは、まあ実は全然わかってないんですけども、業者さんたちが立てたという話もあるし、あとこれは面白い話なんですけども、白州に住んでいる方がですね、この方のかなり貝コマにも縁の深い方なんですけども、
その方が60年ほど前に、いわゆるその山の貝の人たち、その山登りする人たちがその場所に自分たちで剣を立てて信仰の人たちと揉めたことがあるというような話を60年前に聞いたことがあるっていうような話をしてくれて、もうこれどこまでが本当でどこまでが嘘なのかとか全然わからないんですけども、
それぐらいミステリアスな存在です。ちなみにその剣の出どころは今でいう藤川町なんですよね。藤川町の鉄工所の名前が刻まれてたので、その鉄工所が残っていればもしかしたら記録にあるかもしれないんですけども、
いずれにしろこれからまたちょっと時間をかけてこの剣の歴史のことだったりだとか、貝コマがたけの歴史についてですね、もうちょっと深く掘り下げていきたいなというふうに思っています。
そんな中で貝コマがたけって、実は山梨県の北都市、白州町と山町が県境になってまして、県境のまたいだ向こう側っていうのが長野県の稲市なんですけども、稲市とこれはおとどしの話になるんですけども、
山町ですね、貝コマがたけと、昔は稲の人たち、特に高島だったりとか旧長野村に住んでいる方々は、皆さん貝コマがたけではなくて東コマがたけというふうに呼ぶんですよね。
稲谷にとっては稲コマがたけというものはないので、稲谷から西に見える基礎コマがたけと呼ばれている山を西コマ、東側に見える貝コマがたけと呼ばれる山を東コマと言ってきたんですけども、
昔はですね、白州の人が貝コマの看板を立てると、長野の人が上がってきてそれを壊して東コマの看板を立て替える、その逆も起こるというような非常に歴史的な闘争がありまして、その闘争に終止符を打つべくですね、
2024年が稲谷から改ざんされた200年でもあってですね、稲市、北都市、漁市に呼びかけてですね、歴史的な和解をしましょうということで、貝コマがたけと東コマがたけを併記した看板、どっちのものでもないので、そういった看板を立てませんかというお話をしてですね、それは面白いということになりまして、
2024年の8月に山頂の看板を立て替えて、今その看板が標識が山頂にあります。
樹齢200年ぐらいの天然の絡松を使ったものでですね、それを作ってくれたのは向川で核作りをしている私の友人がそれを作ってくれて山頂に持ち上げたというようなものがあります。
ぜひですね、貝コマがたけ、なかなか登る機会は厳しい山なので、皆さんどうぞとはなかなか言えないんですけども、もし登る機会がありましたら、まず途中にその剣がありますし、その後山頂の標識も新しくなってますので、そういったものを見ながら登っていただけたらいいなというふうに思います。
その剣を今後どうするかという話が多分皆さんも非常に気になっているとは思うんですけども、いろいろ今関係する人たちと相談をしているところです。
例えばどういうところかというと、あの場所って国立公園なんですよね。今となってはその国立公園にちゃんとまた戻すとなると、それなりの手続きが必要になってくるというのと、やっぱり僕はあの景観は日本を代表する景観だと思っているので、今北斗市の方にはですね、これを文化財として保存することはできないのかというようなお話もしています。
いずれにしろそういった形で、これから後世に残るような形を模索していきたいなというふうに考えています。では最後の曲ですね、キングヌーで白日をお届けします。どうぞ。
今日ですね、今回初めてこのラジオというものに登場させていただいて、なかなか緊張したんですけども、皆さんいかがでしたでしょうか。先ほどもちょっとお話しましたけども、私の趣味の写真の話もいいんですけども、皆さんからメッセージとかリクエストをいただきましたら、それに対してお答えをしようかなというふうに思っております。
FM八ヶ岳のお問い合わせページにですね、メッセージリクエストをお送りできるページがありますので、そちらからお送りいただくか、私のSNSにもっとカジュアルにこんな話聞きたいよとかっていうのを送っていただいても結構ですので、皆様よろしくお願いします。
FM八ヶ岳、Day in Life、山と共に生きる。
花谷康裕がお送りいたしました。また来月お会いしましょう。
34:46

コメント

スクロール