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  2. #343 【休憩回】嫌いなものは..
2025-07-02 57:45

#343 【休憩回】嫌いなものは嫌いと言わなきゃいけない理由

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サマリー

このエピソードでは、現代社会における「嫌いなもの」に対する反応が重要であることが語られています。ストレスや不調を抱える多くの人々にとって、嫌なことに素直に反応することが心の健康を保つ鍵であると強調されています。また、嫌いなものについて素直に表現する意義や、抑圧された感情が心に与える影響についても考察されています。人間関係における適切な距離感を保つことの重要性にも触れています。 さらに、このエピソードでは、人々が嫌なことを言えない社会的構造について考察しています。特に、SNSにおける誹謗中傷の背後にある感情や心理を深く理解し、正直に生きることの意義が強調されています。また、嫌なことを率直に表現する重要性や、その社会的影響についても語られています。特に、我慢し続けることが心身に与える負担や、本来の人間の生き方に関する議論があります。 このエピソードでは、嫌いなものに対する意識を高め、それを受け入れることの重要性が探求されています。感情のマネジメントや社会における個人の役割についても考察され、どのように自分の感情と向き合うべきかが示唆されています。最後に、自分の嫌いなものを素直に表現することの大切さが強調され、個人の意見として自由に生きることの重要性についても触れられています。

現代人の心の葛藤
みなさん、ようこそ。薬トレラボの休憩室へ。 西極さん、コーヒー飲みますか?
どうもー!休憩中の西極でーす。
同じく休憩中の佐坂です。
さっきは休憩回なんですけど、ちょっとですね、すごく大事なことを僕は分かったんですよ。
気づいた?
分かった?気づいた?正解が出た?
ていうか、気づいた。
気づいた?
なんかですね、これ別に全然重たい話じゃないんですけど、
なんか僕、この現代人って、
現代人、うん。
もっと気楽に生きていいってみんなよく言うじゃないですか。
まぁね、うん。言われてるっちゃ言われてるかな。
なんかよく、例えば、考えすぎるなとか。
あぁ、はいはいはい。
例えば、自分に素直になれとか。
はいはいはい。
なんか、NOと言えとか。
あぁ、イエスマンにはなるなみたいなね。
そうそうそう。NOだったらNOと言えみたいな。
あぁ、ちゃんと意見を言えみたいな。
そう。あとは、嫌なものは嫌だと言えとか。
だから、そういう言葉ってめっちゃ聞きません?
聞く。
聞きますよね。
うん。流行ってんじゃないの?
で、これを僕は答えが出たんですよ。
答え系ポッドキャスターですね。
答え出したがる系ポッドキャスター。
うぜぇ。うぜぇ。
答え系ですからね。うちの体力は。
そう、答え系なんで、皆さんそこは勘弁してください。
はいはいはい。聞いてください、皆さん。
答えぐらい聞いてくださいよ。
ね、うん。
何人か答えが出たかっていうと、
これをやれない理由、言われるってことはやれてないってことなのと、
そうだね、うん。
それをやらなきゃいけないし、なんでそれをやったほうがいいのかっていう理由。
こういう今すごく何個も挙げたやつの共通点ですよね。
嫌いなものとの向き合い方
うんうんうん。
なんかこれって一言で言うと、単純に自分に素直になれって言ってるんですよ。
うん。
単純に。
そうだね。
で、僕がですね、なんでそもそも世の中でこんだけ言われてるかっていうと、
やっぱりですね、この社会でなんかきついなぁ、生きんのきついなぁみたいな思ってる人めっちゃいると思うんですよ、実際。
うんうんうん。
それに対するアドバイスとしてこういう言葉がいっぱいあるわけじゃないですか。
うん。
で、なんでそもそもこんなにきつい世の中だって思っちゃってるんだろうなって思った時に、
はい。
これですね、僕わかったんですよ。
一番大事なものとこは、
はい。
一番焦点を当てなきゃいけないところっていうのは、
うん。
嫌いなものなんですよ。まあ嫌なもの、嫌いなもの。
一番焦点を当てなきゃいけないものが嫌いなものってこと?
そう、嫌なもの。要はこの時代、今の生きてる時代で一番考えない、考えるというか焦点を皆さんが見過ごしがちなところ、
はい。
が嫌なとことか嫌いなとこなんですよ。
おーはいはいはい。
嫌なとことか嫌いなことに対して、とかものとか人とか、
うん。
そういうものに対する解釈が多分うまくいってないと思うんですよね。
というか、逃げたいよね普通に。
そう。
本能的に。
本能的に逃げたい。
嫌だもん。考えたくないし、そんな嫌いなことに対して。
そうそうそうそう。
時間を費やしたくないと思っちゃうかも。
でもそれを考えさせてしまう世の中なんですよ。
あーそっかそっか。
だからこんだけ謎の不調とか苦痛に覆われてるわけですよね人って。
で、これですね僕答えがわかったのが、
嫌なこととか嫌いなことにもっと素直に反応した方がいいんですよ。
これができてないからきついんだと思う。
おーほうほうほう。
嫌なこととか嫌いなことに、
なんで嫌だとか嫌いだとか逃げていいとか悪いとかそういうのができないか。
これを作り出してるのがこの今の世の中なんですよ。
で、めちゃくちゃ歴史から遡ると、
嫌なこととか嫌いなことって、
なんで考えたくないかっていうと、
体が拒否反応を起こしてるからですよね。
なんで拒否反応を起こすかっていうと、
これ交換神経が働いてるんですよ。
あ、戦う時というか戦争体制の交換神経?
そういうこと。
でも別に嫌なことって今の時代って戦うに匹敵しないですよね。
だって戦うことだってめったに今ないじゃないですか。
めったにないね。まあブレイキングダウンぐらいですね。
でもあれ自分の望んで言ってるわけだから。
確かに言葉では通じないから、
とりあえず戦おうぜみたいになってるよね。
だから嫌なこととか嫌いなことに対して、
交換神経が働くという概念が今あんまりないんですよ。
でも嫌なこととか嫌いなこととか、
嫌いな人とかものに対して、
交換神経が働いてるんですよ、事実。
はいはい、まあね。
これはなんでなのか。
これですね、昔は嫌なこととか嫌いなこととか、
ものとか人っていう感情って、
何のために備わったかっていうと、
敵を遠ざけるためなんですよね。
つまり生き延びる生存本能として、
こういう嫌とか嫌いとかっていう感情が人ってついてるんですよ。
だから敵を遠ざける、生存本能を保つために、
生存ということを行うために、
嫌とか嫌いっていう感情があるってことは、
戦うっていう交換神経が発動するんですよね。
これ分かりますよね。
分かる。
でも今の時代ってそんだけ戦うっていうことが、
嫌だとかっていう奥にあんまりないわけですよ。
だから正しい交換神経の発動ではなく、
矛盾が生じてるんですよね。
まあそうか、目的が戦うじゃないもんね。
そう、でも感情とか、実際体の反応は交換神経なんですよ。
ああそうか、本当は体としては臨戦態勢ではあるのか。
でも社会的な情勢として戦うわけではないっていう。
まあね、さすがに取り締まられますからね。
だから何が言いたいかっていうと、
人ってより我慢しちゃうんですよ。
まあそうだな。
例えばそこでマジで戦うことになったら、
こいつ命の危険あるから遠ざけよって自然になりますよね。
だから大昔はそれで矛盾が生じなかったけど、
まあそうか。
交換神経のまま動けば、
それはなるままになってたんで、
距離も置けたし戦えたんで、
いわゆる一時的な対処で終わるんですよ。
本当に単純にクマが現れたみたいな感じ。
でも今はもう戦うわけじゃないから、
交換神経だし、なんか戦闘態勢なのに体は。
でも戦わないから、
かつ戦わないから我慢もできるんじゃないかって。
かつ我慢することで社会的に成功するんじゃないかって。
今の時代の人ってみんなそう思っちゃうわけですよ。
ああそうか。
我慢の美徳とその影響
そうすると何が起こるかっていうと、
擬似戦闘態勢みたいになって、
ずっと交換神経が優位になるんですよね。
擬似ね。
うん。
確かに確かに。
ずっと交換神経が優位になるってどういうことかっていうと、
これずっと言ってますけど、
人間って生きるためにはベースは副交換神経なんで、
そうですね、やっぱりリラックスした。
たまに敵が現れるとか、
越えなきゃいけない壁の時に交換神経があるわけじゃないですか。
そうだよね、いざという時に。
ずっと敵がいる中で生きれるわけないんで。
それはちょっと厳しいな。
だから敵を遠ざけて安心した場所を作って、
たまに敵と戦って狩りに行くみたいな。
はいはいはい。
っていうのが人間生物の長く生きるという上での決まりじゃないですか。
でも今の時代はそれが限りなくやりにくくなってるんですね。
戦えないから。戦わなくても。
ああそうか。はいはいはい。
そうなんでずっと交換神経が優位になって、
じゃあ副交換神経がたまに出るかって言うとそうでもないし、
じゃあ日常って実際戦わないから副交換神経がベースでいいのに、
その中でずっと交換神経優位な人がいるわけですよ。
だからきついし、周り見てもなんであんなに笑えるんだ心からみたいになるし。
他の自然な人を見てもすごく羨ましいんですよね、きつい人って。
ああそういう感情になるのか。
だってよく言いません?
戦争から帰ってきた人ってもう精神疾患を引き起こすみたいな。
ああまあね。
あれってもう本当に環境的に精神の環境で生きちゃうから。
極限状態ね。
そうそうそう。もうそういう人たちって精神疾患を引き起こすんですよ。
要はもうずっと交換神経優位にいなきゃいけないから。
ああそういうことそうだね。確かに確かに。
平和な環境に戻ってももう副交換神経が優位っていうベースを取り戻せないんですよね。
っていうことね。
かつそうやって交換神経が優位の方が実際戦闘体制って実際いきません?
例えば戦場で副交換神経が優位な奴いたら速攻撃ち殺される。
そうだね。逆になんか凄みはあるかもしれないけど、普通に実戦的に考えるとちょっとね。
無理ですよ。
無理だね。
だから逆は副交換神経が優位な方が戦場では生きるわけですよ。
まあもちろんそれはそうだろうね。
だからそれって逆につりつまがあってるけどでもその状態って人間の生物的にはおかしいから。
で、戦争っていうのはあくまでも人が強いた社会情勢じゃないですか。
うんそうだね。
だからこれって人間本能的にはまず合ってないし。
だから精神疾患を引き起こすんですけど。
日常に帰っても人間の本能的には生きられないわけですよね。
だから何が言いたいかというと今のこの戦わなくていいこの平和の中だからこそ
擬似交換神経みたいに擬似戦闘体制みたいになっちゃって
逆に精神疾患を引き起こしやすくなってるんですよね。
戦えるからこそたまにでいいものを交換神経。
あーそっか。
戦わなくていいからこそ我慢できちゃうんじゃないかとか
しかもこういろんな人とのチャンスによって社会的に成功するんじゃないかとか
まあ期待があるわけだよね。
でもそれにおける人ってどうなるかっていうともう人間の本能が崩壊するんで
結局体が崩壊して長く続かないんですよね。
それってさ、戦えればいいのかな。
まあ本能的にはそうか。
交換神経が優位になっているということはまあ最終的にブレイキングダウンできれば
ブレイキングダウンできればいいってことはできないから
できればいいけど
できないから一番やるべきこととしたら
嫌いなもの嫌なもの嫌な人に対して嫌だって反応すること。
それが唯一この時代のちゃんと自分の交換神経、副交換神経に従った行動。
まあ要するに今の疑似交換神経を最終消化するポイントとしては
嫌いっていうことがイコールブレイキングダウンみたいな
イコールブレイキングダウン、だから距離を置けるから
戦いみたいな
でも戦わなくていいんで
だからそういう人っていうとかものとかっていうのはあくまでも
人は本能的に遠ざけていいんですよガッツリ
それに対していろんな教育とか肯定的な擦り込みで
我慢することをやっぱり正義だと思っちゃってるんですよね
特に日本人は我慢が美徳みたいな
なんか擦り込みあるよね
僕もやっぱりそういう考えは古いとか捨てていこうみたいな感じで
意識はしているものの
やっぱり遺伝子に組み込まれてるなみたいなことは
やっぱり感じたりすることあるもんね
我慢が美徳みたいなのは
そうですよね
誰もがあると思う
やっぱこうね西極さんこうやって言ってるけど
多分西極さんの中にもあるからこそ言ってるんだと思うから
だからなんか
多分佐々木さんも僕もそうだしよく話してて思うのが
理性で
理性
捉え方とかを変えようとしません人って今の人って
そうそうそう
嫌いなものの認識
捉え方を変えること自体もまず交換神経に蓋してるのと一緒なんですよ
そうか
本能的に嫌だって言ってるのに
それを理屈とか頭でとか捉え方で
結局冷静副交換神経下に置けてるように思ってるだけで
アンガーマネジメントとかもそうなんじゃないですか
何なら疑似副交換神経みたいな感じじゃないですか
そうそうそう
っていう捉え方をしちゃってる
エセ副交換神経みたいなね
それ全然平気だけどみたいに言って
心の中ではクソモヤモヤするんやけどみたいな
あーなるほどねそれはあるかも
これも実際一つの火種なんですよ
本当は交換神経が働くべき時に
働かないようにしてるわけなんで
そうだね
これはもう言ってしまえばその瞬間着火して
距離を置けばいいんですよ
なんかやるようにやって
そうかそうか
だからそういう観点からも
幅広く人って交換神経を沈めるような
考え方だったり教育すり込みみたいな行動ですよね
今の人たちって多すぎて
それこそさっきも言ったけど社会的成功
すり込みアンガーマネジメント
捉え方考え方みたいな
これって全部交換神経を潰してるんですよ
でも僕思うのが
交換神経ほど素直に出した方がいいと思う
理由は交換神経って臨時で出るものだから
それを抑えちゃうとずっと交換神経になっちゃうんですよ
なんでかっていうと
捉え方で変えようとしてるから
交換神経が発動したまんまみたいな
それって離さない限りずっときますからね
距離を置かない限りずっと
そういう事象とか人とか物って襲いかかってくるんで
距離を置いた方が一時的な交換神経で
次から来ないんで
でも交換神経って本当はそういうためにあるんですよ
大昔だって敵を倒すか自分がやられるか
逃げるか戦うかなんで
その瞬間で終わるために交換神経ってあるのに
それに考え方とかそういう時代のすり込みとかで
押し潰しちゃうと何回もそれ来るし
しかもその思考方法をずっと思い出さなきゃいけないわけですよ
その都度
これこそ毎度交換神経を潰してるようなもんなんで
本来の人間の交換神経不交換神経っていう辻褄が
もう合わないんですよね
本能的な生き方
だから何が言いたいかというと
嫌なことにもっと素直になった方がいい
嫌なこととか嫌な物嫌な人嫌な事象
そういうのに対する考え方が今の時代の象徴なわけですよ
捉え方とか時代のすり込み我慢
これ全部嫌なことですよね
いいことに対しては何の教育もないんですよ
すり込みも捉え方も
嫌なことに対することだけがある
だからその嫌なことをどう捉えるかっていうと
僕は一番思うのは
やっぱり精神を壊す前に
ちゃんと本能的に動いた方がいいし
じゃあ本能的に動くといいのって
ちょっと思いません?怖くないですか?
本当に僕この時代に生きてるのに
そんな本物のまま生きて大丈夫?みたいな
いや結構思うし
思いますよね
話がちょっとそれるかもしれないけど
なんかちょっと誹謗中傷の文脈を
肯定しているような
捉え方をされる方もいるかもしれないんだけど
そことは別なのかな?
誹謗中傷って何なんだろうっていうところなんだけど
例えばアンチコメントとかそうですよね
あれって多分何も考えてない人が
なんかの不満を
全然知らない人にぶつけているという
最近出てきた謎の現象じゃん
あれも一応ブレーキングダウン
僕はですね
サザカさんの思う疑問って
絶対出てくるじゃないですか
僕が思うのはですね
誹謗中傷は後で出てくるんですけど
この話の延長に
まずですね
この生き方ってどういうことが起きるのか
要はこの時代で
そういう清和とか秩序の中で
そういう本能的な生き方をして
不安にならないっていう話じゃないですか
実際不安になるんですよこれ
これなんで不安にならなくていいかっていうと
まずですね人間って
その大昔の話に戻ると
基本的に気の合う人って
少人数なわけですよ超絶
ほんと一握りですよ
気が合う人に出会えたことが幸せですよ
そう幸せ幸せ
人間がちょっと幅広く
関わらなきゃいけなかったことがあるんですよ
その中でもわざわざ
めんどくさいけど
それが何かっていうと村なわけじゃないですか
村って全員仲良いわけないですよね
絶対村の中で少人数友達がいるわけですよ
でも村を形成する理由って何かっていうと
少人数だけじゃ食っていけないから
協力しなきゃいけない
だから生活に必要な人数がいるってこと
それが村じゃないですか
その人たちが最低限の生活ができるぐらいの
人間の母数はいるってことだから
その人たちが分業っていって
生きるためのなりわいを分業しあったわけじゃないですか
例えばあなたは洋服屋さん
私は豆腐屋さん
あなたは建築屋さん
あなたは医療屋さんみたいな
薬屋さんみたいな
って感じで分業して
分業してするわけですよ
そうすると別に嫌な人かどうか置いといて
とりあえず生きる上で
僕もその人のなりわいを受けなきゃ生き死んじゃうから
お互い助け合うレベルの人間関係は
村として必要だったわけですよね
ですね
生きる上で助け合うレベルの
人間関係がまず必要なのと
それはもう最低限
最低限
その上で仲良い人なんて
ひと握りっていう話なんですよね
だから何が言いたいかというと
人間がやるべきことって
お互いに生き合うことだけ
仲良くする必要は全くないんですよ
とりあえず生きていれば
それ以上の親しい関係はいらないという
ドライに生きようっていう
そういうことそういうこと
お互いが生き合う可能
生き合う手助けができれば
だって前も言ってますけど
あの豆腐屋さんマジ嫌いやけど
めっちゃ豆腐を家族が求めてるから
素直な感情の重要性
あそこから
この辺豆腐屋ないし
あそこから買うってなるじゃないですか
まあね
豆腐
だからその親父
頑固親父
じゃなくて
そのお前が売って豆腐に用があるんだよ
そうそうそういうこと
そのドライな関係ってこと
これが本当の人間関係なんですよ
はいはいはい
別にこの人と仲良くする必要はなくて
この人が売ってる豆腐に意味があるんですよ
そうだね
だから何がいいかというと
仲良い人なんて
仕事とか家族とか関係なく
もう本当に少人数しかいないし
はいはいはい
だから人間の本来の立ち位置関係って
それだからこそ
交換神経不交換神経っていうのが
辻褄があって発動するわけですよね
はいはいはい
だって別に必要ない人と
仲良くする必要ないから
ないよね
そう
単純に生き合う上で助け合えるような
ものとかサービスのやり取りだけできたら
うん
別にそれ以上に
繋がる人って全くないんですよ
そうだね
そう
だからそっから遡るとですね
人間って今もそうなんですよ
この時代も
必要なものをやり取りする必要以上は
接しなくていいってこと
最低限のやり取りでいいと
そう
ほうほうほう
だから最低限のやり取りの中で
仲良い人なんて
大昔と一緒で
数人だけですよね
そうだね
そういう位置関係をこの世の中で
落とし込むとですね
この社会に
うんうんうん
もう嫌なことってなくないですか
ふふふ
なんか嫌なことって
恥じいてよくないってこと
ほうほうほう
だからさっきも言ったように
そのアンチコメントやってくるやつって
そもそも仲悪い人だし
接する必要がない人だし
この人に自分が何かを受けてるわけでもないし
そうだよね
うん
まあ仲が悪い人というか
関係のない人でね
関係ない人
その人を相手に
そのアンチコメントするなよ
っていうのは分かるんですけど
そもそも人に求めるものでもないってこと
要はだから
自分自身が
そういう風に捉えている
一貫性のある生き方
嫌いなものは嫌い
嫌なものは嫌だ
アンチコメントが来たら
ブロックすればいいんですよただ
まあね
みたいな感じ
だからいちいち
アンチコメントに対して
こういう捉え方もあるんだ
勉強になるなって言って
コメントを表示する必要もないってこと
ない
もうそんなやつはもう一切ブロック
そうかSNSもやめてもいいし
別にそんな
生活を送る必需品じゃないもんね
ただSNSが生活のそれ上で
大事な人たちを集めるツールならいいんですよ
ただ
アンチコメントをいちいち受け入れるような
コメントを開くとか
コメント欄を開くとかもしなくていいし
嫌なものはただ嫌って言えばいいだけ
なるほどね
SNSをやるっていうのは
やりたいことだから
それはもう順次た方がいいんですよ人生観的に
だってやりたいことだから
ただアンチコメントをいちいち
見る必要もないし
受け付ける必要もないし
それに対して合理的な理解をする必要もないし
逆を言えば
相手にアンチコメントするなって言うことも
ダメってこと
あーそうなんだ
アンチコメントするなっていうのは
別にアンチコメントするやつもいるし
そいつはそいつで
そういう生き方なんですよ
だから大事なのは
嫌なものを嫌だってちゃんと
言うこっちのスタンスが大事ってこと
あーはいはい
こっちが合理的に考えるからこそ
相手にも合理性を求めちゃうんですよ
アンチコメントなんてこうじゃない
よくないよね
だからしない方がいいよ
ってなっちゃうけど
別にアンチコメントを
こっちが好き嫌いをしっかりはっきりできてたら
そんなのブロックして見ることもないんですよ
究極的にブロックしまくればいいんで
まあね
そうなんだけど
だから自分が好き嫌いを一貫して生きるっていうことの
一貫性こそコントロールできるし
それが本当の交換神経
副交換神経の
一貫した働き方なんですよね
だからそこでブロックキーってなって
ブロックパーンするわけじゃないですか
でもそれはそれで
その瞬間の交換神経で
もう見ることないしそれ
ちゃんとした交換神経の対象なんですよ
逆にアンチコメントに対して
こういう捉え方もあるよね
だからそういう意見も欲しいから
コメント欄開こう
って合理的に考えたり
例えばアンチコメントでも
コメント欄が盛り上がるから
それはそれでいいけど
精神面を一回横に置いといて
合理的にコメント欄を開くってのも
結構我慢してると思うんですよね
そういうことを考えるからこそ
相手にアンチコメントをするなっていうような
強制力強制感が出てくるわけで
でも僕はそれは
求めるものでもないし
それ以前に
この世の人たちが
ちゃんと嫌いなものに対して
素直に嫌いだって
ちゃんと交換神経を働かせる必要がある
っていう生き方をする必要が
SNSと誹謗中傷の現状
僕はあるなと思ったんですよね
その解像度で言うと
西極さんは
またSNSの話になるけど
SNSをやっぱ
生活の基盤にしていれば
そのツイートとか
そういう発言も
出てくるじゃないですか
それに不愉快だと思うことも
あるじゃないですか
人が人に言ってるのを見て
別に自分に言われてるわけじゃないけど
この人の発言気に食わねえな
みたいな
思った時は別に
それはもう
その瞬間に
アンチコメントを書くわけじゃなくて
その人をブロックすればいいのか
自分に来た場合はですよね
自分に来た場合というか
最近の誹謗中傷の
やばいとこって
全然関係のないやつが湧いてる
みたいなことが多いじゃないですか
例えば
加害者が被害者に言われてるのは
僕全然いいと思うんだけど
言い合いするのは全然いいと思うんだけど
全然関係のない人が
加害者や被害者を
わけのわからない評論みたいな
こうあるべきだよみたいなことを
ブワー送って
ブロックとか
ミュートとかする前に
そういう判断をする前に
あまりの量に
耐えきれなくなって
精神メンタル崩壊する
みたいな現象が多分起きてると思うんだけど
ブロックが追いつかないってこと?
追いつかないし
ブロックって
されてる側の方だと思うけど
やっぱ僕は
誹謗中傷とかをする
それも多分なんて言うんだろう
結構突発的な行動だと思うんだよね
する人が?
別に何も考えてなくて
ちょっと思ったから投稿するみたいな
それって俺はよくねえなと思うんだよな
誹謗中傷を
肯定してるわけじゃないんですよね
単純に僕がするかというと
全くしないんで
それはSNSに対して
嫌だと思うことは
ないってことだよね
そうもう単純に
自分が嫌だと思ったら嫌だし
ブロックすればいいし
誹謗中傷があまりにも多すぎて
公開するくらいならSNSやめたほうがいいんですよ
ていうことだよね
何より素直に生きたほうがいいってこと
嫌なことに対して
そうただ単純に
じゃあ相手に対して嫌悪感を抱いたから
誹謗中傷しよう
もしこの回を聞いて
思うようになるんだったらそれは良くないと思うんですよ
単純に
僕はしないですけど
めっちゃ極論を言えば
すればいいんじゃないですか誹謗中傷も別に
ただブロックされて終わるだけだし
そう言って正直何の生産性もないよ
誹謗中傷を生む心理
っていうのはちょっと考えればわかると思うんですよ
だから
しかもちょっと今は普通に
法的リスクもあるからね
だから結論はしないほうが絶対いいんですけど
だから
僕はしないし
誹謗中傷したほうがいいって言ってる
そこまで素直にやったほうがいいっていう
誹謗中傷が素直っていうか
なんだろうな
素直でそうだね
確かに誹謗中傷が素直か
って言われると僕も確かにそうではないな
と思うけど
なんかパッと聞き
そういうところに紐付けてしまう
人ももしかしたらいるのかなと思って
嫌なものを嫌という構造が
今の誹謗中傷を生んでいる
だって何にも関係のない
人のさ家庭にさ
ごちゃごちゃ言ったりとかってさ
別に君たち何も影響を受けて
なくないみたいなさ
なんか僕はですね
やっぱり考える軸が
自分にあるんですよ
アンチコメントとかって言ってる時点で
人をまず指標に入れてますよね
多分そうなんだよね
何が言いたいかって言うと今ので言うと
そりゃあですよ自分がやりたいこと
やって発信力のあるものを
やってるわけだから
それアンチコメントを言ってくる人くらいいますよ
それはいるよね
それを逆に覚悟でやってないのも
僕は問題だと思いますけどね
逆にね
嫌なことをやってるって逆を言えば
嫌なことだって言われるツールな
わけなんで
嫌なことに対してブロックしまくればいいんじゃないって話
もう
誹謗中傷してる人に対して誹謗中傷はやめてね
っていうのはまあいいですよ別にいい啓発ですけど
その
誹謗中傷されるという
リスクに対して言うとそれは逆に
許容してやった方がいいよなとは思いますけどね
発信力があるってことはそういうことだから
誹謗中傷した方がいいよとは
絶対言わないし
リスクはありますよっていう話なんで
それは一律そうだし
逆に発信してる側からすると
誹謗中傷される
気持ちもわかるんで絶対しないし
だからなんて言うんですかね
別に誹謗中傷肯定
っていうよりは
素直に生きてたらそれは敵だって生まれるよっていう
だから敵にはしっかり
嫌な感情を出していいんじゃないってこと
だからその嫌な感情って何って言うと
文句言い返すもいいし
ブロックでもいいし
なんか今の話聞いて
ちょっと僕もっと手前な
話なのかなと思った
誹謗中傷ってなんか
誹謗中傷する人って
多分おそらくなんだろうな
西極さんが言った
嫌なことを嫌って言えてない人たちの
集団なんじゃないかなと思う
現実世界で
SNSってまたちょっと別の
世界でやっぱ現実で
嫌なものを嫌って言える人って
多分あんなSNSで全然
自分の身が守られてる
状態でさ
ごちゃごちゃ言う必要がないもんね
だからそういう時こそ
自分出したがるってことですよね
だからその構造が
根本な気がするな
もっと自由に生きれてたら
そんなことしてないんですよ
そんなことしないもん普通はさ
意味がわからないんだよね
だからその普段の
鬱憤というか
そうかもしれない反動ですよね
反動を
全然関係のない人に
ぶつけてしまう
店員さんにめっちゃ態度悪い人とかもいるじゃないですか
あれって
多分僕結構思うようにしてるんですけど
裏側で
この人は多分会社でめちゃくちゃ
言われてる人なんだろうなとか
家庭で
一人ぼっちの
人なんだろうなとか
そういう背景があるんだろうなと
思うんだよね
そういう人ってさ
僕今の話その通りだと思うし
誹謗中傷する人って多分
そこに問題があるからそもそも素直に生きることが
多分正解だと思うんですよ
だからそいつも素直に生きないんですよ
だから
嫌なことを嫌だってちゃんと表せてたら
正しい交換神経が出るんで
多分そんなところでストレス
発散するほどストレスって多分ないと思うんですよね
なくなるよな
今の店員さんへの話とかもちょっと
思ったのが
今ささかさんってめちゃくちゃ賢い
今の時代らしい解釈をしてるんですよ
要はもう店員さんに態度が悪い人に
ささかさんって
最終的な態度を何に取るかっていうと
寛容に接するじゃないですか
悪い人に対して?
そうだって理解したじゃないですか今
この人って家庭で孤独だとか
仕事場でいじめられてるとか
こういう背景をちょっと
考えることで
この店員さんに態度を取ってる人も
かわいそうだなと思って優しく接してあげられる
優しく接するわけじゃなくて
自己表現と生き方
なんて言うんだろうな
心の中で誹謗中傷するみたいな
表面はもう言ってしまえば
冷静に対応できるってことですよね
そうだねもしかしたら
めちゃくちゃ
別に僕には関係ないけど
なんか腹立つ時もあるじゃないですか
人への態度で
もしくは本当はブレイキングダウンした方がいいんだろうけど
たぶんささかさんが店員さん側でも
たぶん冷静に対応してると思うんですよ
そうだね冷静に対応しますよ
ちなみに僕はそこでも
そんな論理的な解釈はいらないと思ってます
なるほど
お前帰れよお前
そうって言っていい
何が言いたいかというと
嫌なものをその瞬間嫌だったわけですよね
それをいちいち
現代的解釈をしちゃうことこそ
交換神経に蓋してるんで
確かに
アンガーマネジメントなんですよこれも
アンガーマネジメント俺知ってるわ
でもこれももはや
人の鬱憤の一つになっちゃうかなって
僕は思うんですよ
人の本能的にはそういうやつは阻害していいはずなんで
だからそれくらい
嫌なものとか嫌な人
嫌なこと自称に対してもっと素直に生きていいよなって
僕は思うんですよ
この現代らしい解釈を
やっぱ人って自然としちゃうんですよね
今勝手にささかさんしてましたけど
でも僕もそうだったんですよ
ただそれって
場合が変わったり条件が変わったり
いろんな環境の変化によって
生きすぎた解釈をしちゃうんですよ
そういうことね
そうするとその交換神経って
ずっと張り詰めていくんで
それが元となって
メンタルへの不調が
始まってしまうみたいな
戦争地帯みたいになっちゃうんですよ
その人がずっと戦争中にいるみたいな
交換神経がずっと発動してるから
ずっと戦闘状態って
呼吸も浅いし
動機もして手汗もかいて
ドキドキしきついですよね
完全に交換神経作動中の
そうそうそう
ずっとそれがベースになると
ちょっとした物音でもピュッピクッとしたり
日常で気抜いて遊ぶことも
笑うこともできなくなって
なんでかっていうと交換神経が
日常から働いてる方が安全だと
体は覚えてるから
そうなるんだよな
そんなことになるぐらいなら
そこで識別がつかなくなるぐらいなら
はじめから嫌なものは嫌だっていう
人間の本能に従った方が
間違いないし
かつそれがこの時代で
発動していい理由としては
人間っていうのは基本的に心地良い物なんて
数少ないんですよ
人間が唯一やるべきことといったら
自分が生きるために
共存するために何かを提供するだけ
それって別に
人との関係っていらないんで
まあね提供だからね
豆腐屋さんみたいに元頑固味でも
自分の得意な豆腐を作れたら
それは生きてる証拠なんですよ
自分の豆腐をね
欲しいっていう人がいるからね
そういうところをちゃんと頑張ればいいわけで
わけのわからない
嫌なことと共存することなんて
本来人間でやるべきことじゃないんですね
それを
結構やってる人が
多いというかまあ僕もそうですけど
それをやっちゃう理由としては
この社会ならではの成功事例
っていうのがあるんですよその先に
それをやっぱ
なんか正解みたいにしちゃってる
ってことか知らず知らずのうちに
そういうことだから
この社会の特有な成功事例としては
人と人との繋がりでどうにかしよう
みたいな
それもまたこの社会の幅広く繋がれる
という弊害でもあるんですよね
あるね
そこら辺をちょっと勘違いしちゃって
本当の人間の生き方っていうものを
履き違えてどんどん
嫌なものを嫌だと言えなくなって
で変な疑似戦闘体制
嫌なものを認識する重要性
みたいになって精神崩壊したわけですよ
そうだね
一番初めに戻りますけど嫌なものを嫌だって
素直に言うことが
この時代はめちゃくちゃ大事なんじゃないか
って思う
そうだね
そうなんだよな
それをさ
社会構造としてその嫌なものを
嫌って言われない人
言えない人に
いろんなものが集中する
構図になっちゃってるんだよ今って
そうかもしれないですね
言えない人って
損なんだよねもちろん
経験を変えるみたいな
そういうベースで言うと
新人の時は全部イエスマンで
やれれば最初はお茶組だけ
お茶組頑張ってれば
仲良くなった先輩から案件
もらえたりとか
アサインされたりするみたいなことを聞くこと
あるけど
わかんない新人で言うと
それが正解なのかもしれないけど
やっぱりね
イエスマンになってると
経験詰めるかもしれないけど
めちゃくちゃ心とか
体の負担が増えて
長続きしないみたいな
ケースを結構
僕は見てきたことがあるから
まさにその通りだし
人間って本来そういう生き方じゃないんだよ
遺伝子的に
単純にお互いに必要なものを
お互いに提供する
分業するっていうことと
あとは仲良い人は少数っていう
ただそれだけの生き方だからこそ
この交換神経と副交換神経
っていうのが辻褄が合うんですよね
そうだよね
嫌なものは嫌だっていうことから
そこで終止符を打てるからですね
そうするとベースが
副交換神経になれるわけですよ
なれるね
この社会特有なんですよね
嫌なものを我慢しながら
進むことで成果が生まれるんじゃないか
という謎の期待って
でもこれって何回も言いますけど
変数の期待なんで
それで絶対に成功が
来るかっていうと僕は分からないし
分からないもんね確実じゃない
確実じゃないそう
逆に人間らしく本来の人間らしく
仲良い人は少数
でも人間としてお互いに
必要なものを提供し合うという
仕事とか物とかサービス上上で
広く繋がる
それって自分が得意なことやってるだけなんで
いるかいらないかだけなんで相手からすると
そういう接し方の方が
定数なんですよねこれ
別に相手との人間関係っていうよりは
単純に何人の人が必要としてるか
自分がどれだけの人に
アタックすればどれだけの人が必要とするか
なんでこれって単純に定数
なわけですよ
再現性もあるし
これが本来の人間の生き方なんで
嫌なことってあるはずがない
上であった時は当然
弾いていいし
嫌なことを我慢するっていうのは
本来の人間に強いられるはずじゃなかった
事象がこの世の中に
ありすぎるし
この謎の成功事例っていうのを
想像しちゃってるから
だと思うんですよね
だから
人と人との関係を
上手く作ることで成功しよう
って思うことって
人って漠然と戦略の一項に
持っちゃってたりするけど
でも今の社会ってよく言うじゃないですか
愛嬌があるやつが上に行くとか
人脈とかね
めっちゃ言うよね
ただ人脈も
提供するものを
より広く知らせれるという意味ではいいですけど
人と人との繋がりで
自分が大した提供物もないのに
上に行くっていうのは
今の社会構造ならでは
なんですよね
愛嬌だけで
それこそ一歩間違うと精神崩すんで
なんでかっていうと
本来の人間の自律神経の
辻褄が合わないんで
だって会う人なんて少数だし
生きるために必要なものを提供し合うというだけ
人は
人間関係と成功の本質
それをまず崩壊させたというわけですよ
人脈で繋ぐっていうのは
人脈のみでですね
だからなんか
単純な構造なんで
人間とか今の社会も昔もですね
だから嫌なことっていうのは基本的に
弾くべきだし
それを今の時代で自信持っていい
本能のままやっていい理由
理屈としては
今その我慢って将来の成功が
本当に保証されてますかってこと
その我慢をしてね
変数に期待しすぎてんじゃないかってこと
そうだね
それは絶対変数なんで
今の我慢とか嫌なことって
だったら
それは定数でかけていくべきだし
それはもう本能のレベルで
そういう風になってるんで
だからこの時代も
嫌なものは嫌だって
どんな原理的理屈をしなくていいんですよ
なんかこう
こう捉えると落ち着くからとか
その必要なくて
興奮するときは
興奮していいんですよ
ブレイキングダウンだ
当然ですね
自分の合に入ったら合に従い
っていうのはあるんで
あまりにも自分に損が
被ることはやっちゃダメですけど
ただ基本的には
余計な我慢っていうのはそんな出てこないんで
嫌なこと嫌だって言うだけじゃ
別にそれは犯罪でも何でもないんで
確かにね
そういう生き方を絶対するべきだと
僕は今の社会こそ
思いますね
嫌なことってことに対して
ちゃんともっと焦点を当てるべきだと思う
それにもうちょっと
自分の意見を言えるように
目をつぶらずに
我慢をせずにっていうところが
今日のね
非常ポイント
今の時代特有じゃないですか
合理的な解釈って
あとは
今日ちょっと目線がさ
営業目線とか
経営者目線みたいな感じに
偏ってた気がするけど
やっぱり
普通の一般的な
部分で言うとやっぱ会社
でまあ
人間関係っていうところで
悩みを持っている方が多いとすると
その会社で
その環境で
頑張ってる目的って何なのって
多分今の
給料とか
社会的地位みたいなのを
安全と定義した上で
それを保つっていうのが多分
目的なわけじゃん
そこから
どれだけ
脱却できるか脱却するのが
正しいかどうかわからないけど
それを捨てて
しまうんじゃないかという
不安がやっぱ我慢に繋がってる
わけだと思うんだよね
担保されなくなる可能性があるとか
この会社で
居づらくなるみたいなのが
多分我慢をしてしまったり
嫌なことを
言えなかったりする構造になってると思うから
そこをね
今そこを我慢してまでも
今の状況を担保するべきなのかどうか
というかあとは
本当に今の状況が
一番幸せな状況なのかどうか
みたいなところも考える必要も
あるかもねそういう人たちは
そうですね
だからまあいろんな
立場によって進む
だったり守るみたいなところが
多分その我慢の目的になってくる
と思うから
後退しないみたいな
なんか今の社会性って
どうしてもやっぱりそういう理屈だったり
解釈とかそういう
人間の交換神経不交換神経に
準じた社会構造
ではないんですよね
愛嬌とかそういう
全然生産性のないものに対して
価値を見出されて
マジでそうだよ
結局はその社会性が決まっていったりするわけじゃないですか
本当そうだよ
でもこれって本来の人間の生きる姿ではないって
何回も言ってるじゃないですか
だけど業に入ったら業に従いなんで
一応そういう会社内とかで
生き抜く術は必要だとは思うし
やっぱり今抱えてる環境とか
家族とか
今の状況っていうのはどうしても
変えられないこともあると思うんですよね
素直にですね
ただ少なくとも
その嫌なことの解釈によって
自分の自立神経レベルで
我慢はしてるんだな
っていうのは
頭のどっかにあると
自分がどっかできつくなった時に
そこが積み重なってるんだな
とかも気づくだろうし
それが無意識の状態で
積み上がってしまうのと
ある程度意識しているのでは
確かに違うかもね
だしこれって言ってしまえば
この解釈をずっとやってる上で
その社会で過ごしてるってことは
交換神経がずっと
潰してるから何て言うんですか
優位に働いてる状態じゃないですか
それってずっと敵国と
横に住んでるようなもんですよ
ずっと敵国と横に
住んでるようなもんなんで
今のだからロシアだよ
知性学の話だよね
もう完全に
きついと思うそりゃ
日本は周りが海だからさ
健全な生き方を目指す
まだその怖さが
分かんないと思うけど
ロシアというか強い国ばっか
周りにいるからね
それが戦争のきっかけにもなってるから
マジで世界の話をすると
それだよね
マジでそうだと思う
安全性が担保できないから
だから
自分が今きついなって思ってるんで
何か思ってるんであれば
自分がちゃんと人として
生きる上での生産性を
出せてるかっていう観点だけは
人間として大事なんじゃないかな
と思うんですよね
例えば仕事の中でこういうことをちゃんと役に立ってるとか
それだけはちゃんとやってるよとか
であれば
僕はそれだけで人間として
生きるハードルは超えてると思うんですよ
だって分業しないと
人はもう生きれないから
提供物があるっていうところ
それだけでまず合格
それだけでいいってことだよね
あとは人と人とかっていうのは
基本的には変数だし
今の社会構造
ならではの成功事例なんですよ
それ
だからそんなのはもう
基本的に交換神経がめちゃくちゃ
働いちゃうとこなんで
嫌なものとかがそれは人とのすれ違い
昔だって敵国があったように
合わない奴らなんて山ほど
いたわけですよ
そんな奴らと共存してるようなもんなんで
交換神経が働きますよ
かつその交換神経が働きそうなフィールドで
しか上に行けない
みたいな社会構造もあるんだよ愛嬌とか
だから
そこら辺の
フィールドに今いるんだなっていうのは
きつい思いとかですね
嫌なことがある人っていうのは
まずベースとして理解しておいた方がいいし
やっぱ打破したいなって思う方は
何より嫌なものを素直に嫌だと
交換神経を
あらわにしていいってことですよね
そうすることがですね
やっぱ正しい健全な人としての生き方なんですよ
そうだね
それを実践できるかどうか
多分結構性格的なものとか
いろんな環境的なものもあると思うけど
やっぱりそこをまず意識する
っていうところが
今日のアクションポイントかなと思いますので
だから
人とかを相手に
人っていう変数しかないものを
感情と向き合う重要性
相手にする生産性の仕事の人とか
やっぱめっちゃ大変ですよね
例えば水商売の人とか
それはすごいと思うけどね
これはもう人の中身に対する
こう
提供物じゃないですか
完全にね
食べ物とか娯楽とかじゃないから
タレントとかもみんなそうじゃん
やばいっすよね
だからそれは
そういうね仕事を選んでる方も
いるだろうけど
だからやっぱりもうよっぽど肝が座ってるっていうか
本当に
普段から嫌なものは嫌だとか
他のところで息抜きが上手いとか
そういう何らかの
マネジメントが上手い人じゃないと
厳しいだろうし
それ以外の人っていうのは
世の中に何を提供できて助け合えてるんだな
って自分がですね
提供できてるんだなって思うことさえできたら
僕はそれだけでまず
ハードルクリアだと思うんで
それって別に得意なこと
やってると思うんで
嫌なものなんて世の中にあるはずないんですよ
あったらそれ弾けばいいだけで
弾く瞬間にしっかりちゃんと弾く
行動すること
これができにくい
できにくいです
できにくい世の中だなって
思うからですね
嫌なことっていうことにもっと
素直に生きた方がいいよな
って僕は思ったんですよね
嫌なものを嫌だって何も考えずに
やった方がいい
それがだって人間なんで
なんかこうやっぱ変な解釈が
変なっていうか
すごいめっちゃ賢い美しい解釈ですけど
賢いからなんだよ
人間って賢いからそうなんだよ
だって動物なんてそんな
これは空気を読もうみたいなことは
ないでしょ普通に
ないない
霊長類ならあるのかもしれないけど
でもなんかほんとなんでこんな
アンガーマネジメントってね
前も出てきましたしすごく僕は
ちょっと前まですごい
そうだよなとか思ってたけど
なぜそういう概念が出てくるんですかね
って思います
別にいいですよ
それを否定するわけじゃなくて
それが生まれる社会だからこそ
それへの対策みたいなどんどん
イタチごっこみたいになってるんだよね
結局は
自分たちで原因を生んで
自分たちで解決策を作り出していくという
社会における役割
我々は虚業の
ルーティーンをね
生きているわけですから
でも今思ったら佐坂さんどう思います?
そのフェーズで別にまた今後変わるかもしれないじゃないですか
だから別に
単純に今パッと思う上では
なんかこう
好感神経には蓋をしているということですけど
僕個人的には
それが蓋できてるんだったら
僕は蓋していいと思うんだよね
なんかそれが蓋をできていなくて
もうなんか普通に
よし我慢しようと思いながら
もうフツフツとアーってなってたら
それは全然なんだろうな
良くないことだから
それはその人に合ってないことだけど
別にそのマインドで
いやもうこいつどうでもいいやと思ったら
思えるんだったらそれは
僕はそれが結構
どっちかというとできるから
だから
大暴れしている人みたいな
この人は多分こういう背景なんだろうな
みたいなことを思うことによって
ある程度
自分の中で納得できれば
僕はもうどうでもいいやと思っちゃうから
なるほどな
個人的には僕は
何だろうな
ささかさんは多分そこのさじ加減が
絶妙に上手いんですよ
フツフツとこれでも思うな
だから言おうということもできるし
いや別に思ったし
そのまま思えたしどうでもいいや
っていう離脱もできるから
すごく合ってるんですよね
アンガーマネジメントっていうパターンが
ただ人によってはやっぱり
全てにそうしちゃう人もいるんですよね
そういう人がきついんだと思う
そうかそうか
全部細かい細かいこと
全部納得というか
我慢しないと生きていけない
みたいな人がいるってことだよね
例えばささかさんでフツフツとした
ことの時に言わなくて
それも自分の解釈で
例えば一瞬でどうでもいいやと思える人だったら
5秒で思えたとしたら
ささかさんは5秒経ってもフツフツとしてたら
言うわけだとするじゃないですか
そしたらそのもう一人の人は
5秒経ってもフツフツとしてるけど抑えつける
じゃあ1時間もそう
じゃあ1年もそうみたいな
でトラウマになっていく
こういう人が多分
それなんもないんだよな
そういう人が多分ですね
すごく精神崩壊していくと思うんですよ
何があれなんだろうね
性質なのかな生きてる環境なのかな
多分抱えるものだと思う
それって抱えるものもさ
抱えてると思う
まあね
こんなこと言ったらあれだけど
抱えるものもさ自分で決めれるじゃん
抱えてると思い込みたいんだよ
それはさ
てかいいなんかその項目はもはやいっぱいあるから
そういう人生を
ちゃんと全うしたいって人もいれば
なんかこう抱え込みたいって人もいるだろうし
抱え込むことが
正解だと思い込んでる人もいるだろうし
いろんな解釈があるけど
結局価値観によって
その瞬間の判断って変わってくるわけじゃないですか
いずれにせよそういう判断を
下す価値観を持ってる人もいるんですよ
さすがさんは上手い良い具合で
割り切れてるんじゃないですか
だからまあいい意味で
執着がないっていうか
たぶんそうだと思う興味がないんだと思う
未来にも環境にもですね
でも未来にも環境にも
いずれにせよ何らかの執着がある人は
たぶんそこで自分のその
交換神経すら抑え込む解釈をしちゃうんですよ
そうかそうか
そういう人がずっと臨戦態勢に入るんだと思う
嫌いなものとの関係
なるほどな
だから一概にアンガーマネジメントとも言えないということですね
そうだね
それはそうだと思う
とは言っても逆もそうですけどね
アンガーマネジメントがうまくいく人はそれでいいし
結局は何て言うんだろう
アンガーマネジメントは根本的な解決ではないんだよ
それは
分かった上でやってるんだけどね
ただ自分がこれは自分が
納得できれば別にいいなっていう
事象に関しては
もうそれでいいかなっていうぐらい
だからアンガーマネジメントをしないといけない
ような社会ってことですよね
そうそうそう
アンガーマネジメントをしなきゃいけない
ぐらいアンガーが多い
発生する社会なんですねこれは
そうそうそう多分そういうことだと思う
それが社会問題です
だからそれだけ
やっぱり平和っていうものは接点を多くしてるんですよ
いや多くしてるよ
だから本当は昔はもう戦ってすぐ
キレてたものを
戦えばいいもん
社会からこそ
だからこそ接点も多いし
やっぱ共存の場も多くなって雇用も増えたけど
その分
そういうポイントも増えるから
マネジメントが必要だってことですよね
ということだと思うよ
なんかマジでつじ詰まってんな逆に
だからうまく回ってそうで
全然うまく回ってないのが
この世の中なんですよ多分
だからもう不完全
豊かの副作用
ってことですよね
だから不完全なことを
面白おかしく笑えるかい
どうかじゃないかな
ふざけて生きようぜ
って僕は思いますけどね
こんなふざけた世界なんだから
なるほど
真剣に生きてない僕は
それだからいいんですよ
アンガーマネジメントまでできるんですよ多分
真剣さがないもん
そもそも世界がふざけてるから
逆にこの豊かだからこそ
こういう自分の取る選択肢が
アンガーの中でしかできない
選択肢以外にもあるんで
さっきも言ったように
生産物さえ提供できたら
人と会う人だけでいいんですよ
それが基本人なんで
その時に身体の自律神経とかは
一致してるわけなんで
だから何を大事にするかっていう
観点で生きたほうがいいですよね
やっぱその選択肢があるなら
僕はまず身体を大事にしたいし
僕もそりゃそうだと思う
それがないと需要すら埋めないもん
選択肢がない中で
こんな身体のことなんて言ってらんないんですよ
戦争中に複交感神経が
とか言ってたら死んじゃうんで
だからそれはしょうがないけど
今の時代はもう
それだけ選べるんだったら
僕はまず身体を大事にしたい
それがないと
楽しめないというかね
選べるという選択肢に
もう気づくっていうのも
また一つ選択肢
というか突破口かもしれないですね
そうだね確かに
それはあるわ
いやーマジでやばいですね
すげーな
こう思ったんですよ僕は
僕の生き方なんで
今言うのは
普通に交感神経に素直になる
いちいち今の時代特有の
理解は一切しない
そうしちゃうと
僕ダメなんですよ
だからアンガーマネジメントが
無意識下でできてないってことだよね
強制的にやっちゃう
これはこうしなきゃいけないんだ
毎回マニュアル読んじゃうってこと
そうそうそう
だからアンガーマネジメントが
僕はもう無理なんですよ
できるけどやりすぎちゃう
からもう
人間の本能的に選択肢も
僕はもうすでに取ってるんで
交感神経にですね
素直に生きる方が
ちょっと怖いですよ確かに
この時代にそういうのって
皆さんが思うように怖いことですけど
それはかなりの理想がある
人にとっては怖いかもね
怖いし
ほんと大丈夫っていう不安もありますけど
結果的に
単純に今の社会構造が作り出した
アンガーなんで
それはもう理解できるからですね
っていう風に僕は生きようと思うんで
また今後意見が変わってたらまた分かんないですけど
まあまあまあ
今のトレンドはそんな感じ
今のトレンドの理解
結局人はトレンドだから
そうですね
本当に
人の意見は変わって当然だから
そこもね
理解してるかどうかっていうのも大事かもしれない
マジで何を提供できるかっていうのが
僕は人として一番価値があると思いますよ
人としての提供物っていうのは
それをすごく価値と
出せる人はそれは別ですけど
そんな簡単に
人自体の価値を社会の提供物って
できる人なんてまあ珍しいじゃないですか
タレントさんとか政治家とか
そういう感じじゃないですか
嫌いなものを伝える重要性
人そのものがってことだよね
でもまあなかなかそういう人も一材だし
僕はそうじゃないんで
よりはもうちゃんと世の中に何を
提供できるか
どう貢献してるかっていうところだけでいい
もう単純にサービスとか
そういうものとかそういうもので
僕は戦っていきたいんで
投資する人間性っていうのはすごく大事なんで
でも別にそれは好きで出せるんで
そんな苦痛でもないし
だからそこに僕は価値を置いて
あとはもう好きなように生きると
やっていきたいですね
みなさん
これはあくまでも我々
大国の個人的な意見なので
全然それをやんなきゃやんなきゃ
って思わないでください
これが嫌だと思ったら嫌だ
って言ってくださいね
ムーディーしてください
右から左に聞き流すっていうのは
大事ですからね
それも生きる術ですからね
じゃあ休憩こんなところで
というところでね
薬トレクラスの紹介
今日のお話はちょっと自立神経っぽい
お話でしたので
一応ね
我々薬トレクラスという
もしかしたら知らない方もいるかもしれないんですけど
薬トレクラスっていうね
どっちかというと薬トレラボよりも
さらに2段階
ギガサードぐらいの
薬トレラボみたいなのを
やってるセミナーというかね
講義
大国教授による講義がありますので
それの第1回が自立神経の回
違う違う違う違う違う
第2回かな
2回だね
自立神経の回になってますので
概要欄にも貼っておきますのでね
ぜひチェックしてみてください
よろしくお願いします
あとあれですね
マグネシウムのキャンペーンが
マグネシウムをタダでゲットする
ゲットできるよ
というキャンペーンやっておりますので
ぜひスポーティファイでフォローしていただいて
コメントを5つ付けてください
前の回の冒頭と
あと概要欄見れば
概要欄にちゃんと書いてあります
手順は
これから1ヶ月毎回毎回
宣伝させてもらいますので
ぜひアクションをよろしくお願いします
あとオーダーメイドサプリは
しっかりやらせていただいてますので
技術的なご提案の中のサプリメントを
提案できるので
ぜひよろしくお願いします
お願いします
まず三つ盛りだけでもやってみてください
よろしくお願いします
ではまた次回の薬トレラボで
お会いしましょう
またねー
57:45

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