うんうんうん。
なんかこれって一言で言うと、単純に自分に素直になれって言ってるんですよ。
うん。
単純に。
そうだね。
で、僕がですね、なんでそもそも世の中でこんだけ言われてるかっていうと、
やっぱりですね、この社会でなんかきついなぁ、生きんのきついなぁみたいな思ってる人めっちゃいると思うんですよ、実際。
うんうんうん。
それに対するアドバイスとしてこういう言葉がいっぱいあるわけじゃないですか。
うん。
で、なんでそもそもこんなにきつい世の中だって思っちゃってるんだろうなって思った時に、
はい。
これですね、僕わかったんですよ。
一番大事なものとこは、
はい。
一番焦点を当てなきゃいけないところっていうのは、
うん。
嫌いなものなんですよ。まあ嫌なもの、嫌いなもの。
一番焦点を当てなきゃいけないものが嫌いなものってこと?
そう、嫌なもの。要はこの時代、今の生きてる時代で一番考えない、考えるというか焦点を皆さんが見過ごしがちなところ、
はい。
が嫌なとことか嫌いなとこなんですよ。
おーはいはいはい。
嫌なとことか嫌いなことに対して、とかものとか人とか、
うん。
そういうものに対する解釈が多分うまくいってないと思うんですよね。
というか、逃げたいよね普通に。
そう。
本能的に。
本能的に逃げたい。
嫌だもん。考えたくないし、そんな嫌いなことに対して。
そうそうそうそう。
時間を費やしたくないと思っちゃうかも。
でもそれを考えさせてしまう世の中なんですよ。
あーそっかそっか。
だからこんだけ謎の不調とか苦痛に覆われてるわけですよね人って。
で、これですね僕答えがわかったのが、
嫌なこととか嫌いなことにもっと素直に反応した方がいいんですよ。
これができてないからきついんだと思う。
おーほうほうほう。
嫌なこととか嫌いなことに、
なんで嫌だとか嫌いだとか逃げていいとか悪いとかそういうのができないか。
これを作り出してるのがこの今の世の中なんですよ。
で、めちゃくちゃ歴史から遡ると、
嫌なこととか嫌いなことって、
なんで考えたくないかっていうと、
体が拒否反応を起こしてるからですよね。
なんで拒否反応を起こすかっていうと、
これ交換神経が働いてるんですよ。
あ、戦う時というか戦争体制の交換神経?
そういうこと。
でも別に嫌なことって今の時代って戦うに匹敵しないですよね。
だって戦うことだってめったに今ないじゃないですか。
めったにないね。まあブレイキングダウンぐらいですね。
でもあれ自分の望んで言ってるわけだから。
確かに言葉では通じないから、
とりあえず戦おうぜみたいになってるよね。
だから嫌なこととか嫌いなことに対して、
交換神経が働くという概念が今あんまりないんですよ。
でも嫌なこととか嫌いなこととか、
嫌いな人とかものに対して、
交換神経が働いてるんですよ、事実。
はいはい、まあね。
これはなんでなのか。
これですね、昔は嫌なこととか嫌いなこととか、
ものとか人っていう感情って、
何のために備わったかっていうと、
敵を遠ざけるためなんですよね。
つまり生き延びる生存本能として、
こういう嫌とか嫌いとかっていう感情が人ってついてるんですよ。
だから敵を遠ざける、生存本能を保つために、
生存ということを行うために、
嫌とか嫌いっていう感情があるってことは、
戦うっていう交換神経が発動するんですよね。
これ分かりますよね。
分かる。
でも今の時代ってそんだけ戦うっていうことが、
嫌だとかっていう奥にあんまりないわけですよ。
だから正しい交換神経の発動ではなく、
矛盾が生じてるんですよね。
まあそうか、目的が戦うじゃないもんね。
そう、でも感情とか、実際体の反応は交換神経なんですよ。
ああそうか、本当は体としては臨戦態勢ではあるのか。
でも社会的な情勢として戦うわけではないっていう。
まあね、さすがに取り締まられますからね。
だから何が言いたいかっていうと、
人ってより我慢しちゃうんですよ。
まあそうだな。
例えばそこでマジで戦うことになったら、
こいつ命の危険あるから遠ざけよって自然になりますよね。
だから大昔はそれで矛盾が生じなかったけど、
まあそうか。
交換神経のまま動けば、
それはなるままになってたんで、
距離も置けたし戦えたんで、
いわゆる一時的な対処で終わるんですよ。
本当に単純にクマが現れたみたいな感じ。
でも今はもう戦うわけじゃないから、
交換神経だし、なんか戦闘態勢なのに体は。
でも戦わないから、
かつ戦わないから我慢もできるんじゃないかって。
かつ我慢することで社会的に成功するんじゃないかって。
今の時代の人ってみんなそう思っちゃうわけですよ。
ああそうか。
そうすると何が起こるかっていうと、
擬似戦闘態勢みたいになって、
ずっと交換神経が優位になるんですよね。
擬似ね。
うん。
確かに確かに。
ずっと交換神経が優位になるってどういうことかっていうと、
これずっと言ってますけど、
人間って生きるためにはベースは副交換神経なんで、
そうですね、やっぱりリラックスした。
たまに敵が現れるとか、
越えなきゃいけない壁の時に交換神経があるわけじゃないですか。
そうだよね、いざという時に。
ずっと敵がいる中で生きれるわけないんで。
それはちょっと厳しいな。
だから敵を遠ざけて安心した場所を作って、
たまに敵と戦って狩りに行くみたいな。
はいはいはい。
っていうのが人間生物の長く生きるという上での決まりじゃないですか。
でも今の時代はそれが限りなくやりにくくなってるんですね。
戦えないから。戦わなくても。
ああそうか。はいはいはい。
そうなんでずっと交換神経が優位になって、
じゃあ副交換神経がたまに出るかって言うとそうでもないし、
じゃあ日常って実際戦わないから副交換神経がベースでいいのに、
その中でずっと交換神経優位な人がいるわけですよ。
だからきついし、周り見てもなんであんなに笑えるんだ心からみたいになるし。
他の自然な人を見てもすごく羨ましいんですよね、きつい人って。
ああそういう感情になるのか。
だってよく言いません?
戦争から帰ってきた人ってもう精神疾患を引き起こすみたいな。
ああまあね。
あれってもう本当に環境的に精神の環境で生きちゃうから。
極限状態ね。
そうそうそう。もうそういう人たちって精神疾患を引き起こすんですよ。
要はもうずっと交換神経優位にいなきゃいけないから。
ああそういうことそうだね。確かに確かに。
平和な環境に戻ってももう副交換神経が優位っていうベースを取り戻せないんですよね。
っていうことね。
かつそうやって交換神経が優位の方が実際戦闘体制って実際いきません?
例えば戦場で副交換神経が優位な奴いたら速攻撃ち殺される。
そうだね。逆になんか凄みはあるかもしれないけど、普通に実戦的に考えるとちょっとね。
無理ですよ。
無理だね。
だから逆は副交換神経が優位な方が戦場では生きるわけですよ。
まあもちろんそれはそうだろうね。
だからそれって逆につりつまがあってるけどでもその状態って人間の生物的にはおかしいから。
で、戦争っていうのはあくまでも人が強いた社会情勢じゃないですか。
うんそうだね。
だからこれって人間本能的にはまず合ってないし。
だから精神疾患を引き起こすんですけど。
日常に帰っても人間の本能的には生きられないわけですよね。
だから何が言いたいかというと今のこの戦わなくていいこの平和の中だからこそ
擬似交換神経みたいに擬似戦闘体制みたいになっちゃって
逆に精神疾患を引き起こしやすくなってるんですよね。
戦えるからこそたまにでいいものを交換神経。
あーそっか。
戦わなくていいからこそ我慢できちゃうんじゃないかとか
しかもこういろんな人とのチャンスによって社会的に成功するんじゃないかとか
まあ期待があるわけだよね。
でもそれにおける人ってどうなるかっていうともう人間の本能が崩壊するんで
結局体が崩壊して長く続かないんですよね。
それってさ、戦えればいいのかな。
まあ本能的にはそうか。
交換神経が優位になっているということはまあ最終的にブレイキングダウンできれば
ブレイキングダウンできればいいってことはできないから
できればいいけど
できないから一番やるべきこととしたら
嫌いなもの嫌なもの嫌な人に対して嫌だって反応すること。
それが唯一この時代のちゃんと自分の交換神経、副交換神経に従った行動。
まあ要するに今の疑似交換神経を最終消化するポイントとしては
嫌いっていうことがイコールブレイキングダウンみたいな
イコールブレイキングダウン、だから距離を置けるから
戦いみたいな
でも戦わなくていいんで
だからそういう人っていうとかものとかっていうのはあくまでも
人は本能的に遠ざけていいんですよガッツリ
それに対していろんな教育とか肯定的な擦り込みで
我慢することをやっぱり正義だと思っちゃってるんですよね
特に日本人は我慢が美徳みたいな
なんか擦り込みあるよね
僕もやっぱりそういう考えは古いとか捨てていこうみたいな感じで
意識はしているものの
やっぱり遺伝子に組み込まれてるなみたいなことは
やっぱり感じたりすることあるもんね
我慢が美徳みたいなのは
そうですよね
誰もがあると思う
やっぱこうね西極さんこうやって言ってるけど
多分西極さんの中にもあるからこそ言ってるんだと思うから
だからなんか
多分佐々木さんも僕もそうだしよく話してて思うのが
理性で
理性
捉え方とかを変えようとしません人って今の人って
そうそうそう