パターンランゲージの誕生とその熱狂
あのー、誰もが完璧で心地よい家を建てられる魔法のレシピ。 もしそれが実在したとして、ですよ。
えー、夢のような話ですよね。 はい。でも、いざその通りに街を作ってみたら、なぜか周りをフェンスで囲まれた、なんか奇妙なスラム街が出来上がってしまったとしたら、あなたはどう思いますか?
それはかなりショッキングな結果ですね。 ですよね。というわけで、今回の深掘りへようこそ。
今日はですね、建築界の巨匠クリストファー・アレグザンダーの画期的な理論、パターンランゲージが、なぜ現実の建築で大失敗してしまったのか、これをあなたと共に解き明かしていきます。
うーん、うん。 この謎を打ちにですね、私たちが普段美しいとか価値があると感じているものの正体が根本から崩れるはずです。
よし、ちょっとこれを紐解いていきましょうか。 よろしくお願いします。
1970年代に発表されたパターンランゲージはですね、当時のデザイナーたちから本当に熱狂的に支持されたんです。
かなりブームになったんですよね。 これは心地よい空間をつけるための153の具体的な指針、つまりパターンを集めたものなんですね。
なるほど、153個も。
はい。例えば部屋には必ず2方向から光を入れるとか、人が自然と集まる窓辺のベンチといったすごく具体的で魅力的なアイディアの集大成だったんです。
なんかそれを聞くと素人でもその究極のレシピ通りに組み合わせるだけで絶対に素晴らしい建物ができそうな気がしますけど。
そう思いますよね。でも現実は全く理想通りには進まなかったんです。
建築現場での予期せぬ失敗
え、どうなったんですか?
理論通りに作られたはずの建物がですね、木とかレンガをやたらと使ったアレグザンダー自身の言葉を借りればファンキーな、まあヒッピー風のちょっと変わった建物ばかりになってしまったんですよ。
ファンキーな建物、それって自分で作ったレシピですよね?
ええ、そうなんです。
木が焼き上がって、なんだだって本人が一番驚いているようなものじゃないですか?
まさにそんな状態です。実は彼自身が関わったモデストクリニックというプロジェクトですら、
ですら?
本人が私の求めていた質の欠片もないと絶望したほどなんですよ。
うわあ、それはきついですね。
ここで本当に興味深いのはですね、メキシコのメヒカリという都市でのプロジェクトなんです。
メヒカリですか?
はい、そこは資金もあって住民と共同でデザインから建設まで行うという、いわば完璧な条件が揃っていたんです。
コミュニティ主導の理想的なプロジェクトみたいな感じですね。
でも7年後、コミュニティをつなぐはずだった共有スペースは、住民自身が建てたフェンスや壁で無残に分断されてしまっていたんです。
えっと、住民自らが壁を作っちゃったんですか?
そうなんです。彼らは地域のつながりよりも、物理的な安全確保の方を優先してしまったんですね。
完璧なはずの理論が完全に裏目に出ているというか、一体何が欠けていたんでしょうか?
失敗の原因:客観的価値基準の欠如
最大の原因はですね、どのパターンがその場所で本当に機能して、どれが機能しないのか、それを判定するために客観的な価値基準が欠けていたことなんです。
価値基準ですか?
はい。パターンをただ闇雲に足し算していくだけでは、全体の調和は生まれないんですよ。
なるほど。でもすごく不思議なのが、その建築では失敗したとする理論が、今のソフトウェア開発の世界ではデザインパターンとして大成功して普通に使われていますよね?
ええ、そうですね。
なんでソフトウェアの世界ではうまくいったんですか?
これを少し広い視野で捉えてみるとですね、物理的な制約の違いがすごく大きいんです。
物理的な制約?
ええ。ソフトウェアのようなデジタルの世界では、プログラムはモジュール化されていますから、もしパターンが機能しなければ簡単に書き換えることができますよね。
ああ、なるほど。やり直しが効くわけだ。
はい。特定の課題に対する部分的な解決策として、パターンをうまく利用したから成功したんです。
全てをパターンだけで構築しようとはしなかったんですね。
確かに、建築は一度コンクリートで固めてしまったら、後からやっぱりこのパターンはやめようとはいかないですもんね。
そうなんですよ。
物理的な重力とか、素材の制約がある現実の空間で、全体をまとめるビジョンもないままにパターンを万能薬みたいに乱用すれば、そや次々だらけのカオスが生まれるのは当然ですね。
まったくその通りです。ツールを万能薬として過信する恐ろしさですよね。
機械論的自然観と事実・価値の分離
デジタルの世界では成功したのに、現実の人間が住む物理的な空間では失敗した。
あの、アレグザンダーはそこから何か新しいことに気づいたんですか?
ねえ、彼はそこから、もしかして人間の感覚や世界観そのものに欠陥があるんじゃないかと疑い始めたんです。
えーと、私たちの感覚がバグってるってことですか?
はい。彼は、現代人が機械論的自然観に毒されているという結論に行き着いたんです。
ここからが本当に面白いところなんですが、機械論的自然観って、なんかすごく難しそうな言葉ですよね。
要するに、どういうことなんでしょう?
簡単に言えば、事実と価値を完全に切り離して考える、現代人の思考の癖のことです。
事実と価値を切り離す?
ええ。例えば、夕日の波長が700ナノメートルであるという物理的な形とか事実は客観的ですよね。
でも、夕日が美しいという価値は単なる個人の主観に過ぎないと私たちは思い込んでるじゃないですか。
ああ、確かに。機能とかデータが一番大事で、美しさなんて単なる後付けのオプションだみたいな、そういう考え方ですよね。
塩入れとケチャップボトルのテスト
私たち普通にそう思わされていませんか?
まさにそれです。
そこでアレグザンダーは、分泌されてしまった形と価値を再び結びつけるために、ある奇妙なテストを提唱したんです。
奇妙なテスト、何ですかそれ?
それが塩入れとケチャップボトルのテストです。
塩入れとケチャップ?
はい。目の前にある平凡な塩入れとケチャップボトルを見比べて、どちらがより真の事故を打つ鏡か、あるいはどちらがより生命を宿しているか、と直感的に選ばせるテストなんです。
ただの日常的な日用品ですよね。そんなの人によってバラバラになりそうですけど、どういう結果になるんですか?
これが面白いことに、ほとんどの人が迷いながらも同じ方を選ぶんです。
わあ、本当に?
美しさは根源的な自然法則
はい。つまり、ただの機能的な物体の中にも、私たちが共通して感じ取れる客観的な価値や生命感が存在することを証明したんですよ。
へえ、すごいですね。
ええ。彼は、ノトの著書である秩序の本質の中で、絨毯の柄の違いとか、音楽の和音の美しさのように、機能だけでは測れない価値が実は自然の法則の一部であると主張したんです。
なるほど。これって、今これを聞いているあなたにもすごく関係のある話ですよね?
そうですね。
私たちは普段、このデザインが好きとか、この部屋は落ち着くっていう感覚を、ただの個人の好みだって片付けていますけど。
ええ。
でもそれを一度疑ってみることで、形は機能に従うっていう現代の常識が覆って、身の回りのデザインを見る目が全く変わるはずですよね。
その通りです。空間の美しさや心地よさは、決して機能のおまけなんかじゃありません。
人間も自然の一部である以上、私たちが感じる美は、もっと根源的なものなんですよ。
いやー、面白いですね。そこで、最後にあなたへこんな問いを投げかけてみたいと思います。
はい。
もし、あなたが日常的に感じる空間の心地よさが、単なる個人の主観ではなくて、重力のように客観的な自然の法則だとしたら、明日歩く街の景色はあなたにどう見えてくるでしょうか?
