バウハウスとデザインの初期思想
さて、今回はですね、ある読書会の記録をもとに、デザインと建築の世界における正しさを求める旅の軌跡、これを深盛りしていきたいと思います。
ミッションは、20世紀初頭のバウハウスから始まって、その思想を数学的に突き詰めようとした建築家クリストファー・アレグザンダー、
そして彼らぶつかった大きな壁までですね、デザインをシステムとして捉える考え方が、どう進んで、どこで限界に達したのか、その白針に迫ります。
いやー、非常に面白いテーマですね。
あなたが何か複雑なものを作るとき、その設計図ってどう描きますか?そのヒントが見つかるかもしれません。
この読書会で議論されているのって、結局デザインにおける分析と統合、つまり分解して組み立てるっていうそのプロセス自体なんですよね。
なるほど。
理論が現実の形を生み出す瞬間に現れる矛盾とか困難さ、そこが一番興味深いところです。
では、その出発点であるバウハウスから見ていきましょうか。
彼らはもうすべてを合理的に設計できると考えていたんですよね。
そうです。資料によれば彼らは住むっていうすごく複雑な行為を、調理する、食べる、寝るみたいな機能に分解したんです。
そしてそれぞれの機能に最適なシンプルな形、例えば四角形なんかを割り当てて、それをブロックみたいに組み合わせて住宅を設計したと。
まさにシステム開発のモジューカの考え方そのものですね。
おっしゃる通りです。徹底したデカルト的な合理主義。複雑な問題を理解できるまで分解してまた組み立てる。
だからこそ装飾を削り落としたモダンデザインの機能味が生まれたわけですか。
そういうことですね。
でもそのやり方には限界があったと。それを指摘したのが次の主役、クリストファー・アレクサンダーなんですね。
その通りです。アレクサンダーはバウハウスの分解方法ですら、まだデザイナーの直感に頼りすぎていると考えたんです。
ほう。
もっと厳密に数学的な手法でデザインプロセスを定義しようとした。
で、彼のアプローチがユニークで不適合という概念に注目した点にあるんです。
不適合ですか。面白いですね。普通は必要なものは何かって考えますけど。
ええ、発想の転換です。
良いデザインの要件を無限にリストアップするんじゃなくて、そのカカチが置かれた文脈に合っていない点。
つまり、不適合を探し出す。
ああ、合ってないところ。
そうです。それを一つずつ潰していくことで、完璧な形に近づける、と。
アレグザンダーの理論とその限界
なるほど。
資料の例えがすごくわかりやすくて、金属の表面を平らにする時って、完璧な平らさを目指すんじゃなくて、定義を当てて出っ張ってる部分、つまり不適合な箇所を見つけて削っていくじゃないですか。
ああ、なるほど。それってソフトウェア開発で言うと、新しい機能を追加していくんじゃなくて、ひたすらバグをゼロにしていくアプローチに似てますね。
まさにそれに近いですね。
これなら漠然とした問題でも取り組めそうです。でも、この完璧に見えるシステムにも落とし穴があった。
はい、まさに。議論の中で指摘された大きな問題が2つあります。
と言いますと?
1つは、要求をものすごく細かく分解できたとしても、そこからじゃあどうやって具体的な形を生むのか、そのプロセスが全く示されていないこと。
ああ、分解はなくても組み立て方がわからない。
そうなんです。で、もう1つはもっと根本的な問題で、要求を分析して作った理想的な構造、情報のツリーとですね、
実際に部品を組み上げて作る物理的な構造、もののツリーが全く別物だということです。
えっと、それはつまり、理想の地図を作っても実際の建物の設計図にはならないと?
そういうことなんです。ここが確信です。
アレグザンダーは、情報の理想的な構造と物理的なものの構造は全く違うんだという根本的な問題にぶつかったわけです。
うわあ、それは大きな壁ですね。
ええ。この大きな挫折があったからこそ、彼は後により実践的なパターンランゲージといった理論へと向かうことになります。
ということは、バウハウスの直感的な分析からアレグザンダーの数学的な分析へ、そして理論がぶつかった理想と現実の壁まで、デザインをシステム化しようとする壮大な捉えの歴史が見えてきましたね。
ええ。そしてこの話は、デザインに限らずあらゆる問題解決に通じる問いを私たちに投げかけていると思うんです。
それは、システム化できる領域はどこまでで、どこから直感や経験といったまあ人間の知性が重要になるのかということです。
深い問いですね。
あなたが何か新しいものを作ろうとするとき、まず完璧な計画を立てようとしますか?それとも不完全でもまず試作品を作って、その不適合な点から学び始めますか?
