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先生の追悼会に行った話
2025-11-06 48:24

先生の追悼会に行った話

亡くなった方のお話をしている回となります。花、振れ~!


〈補足〉

最後のエピソードの中で『感動した』と偉そうなことを言ってしまってるのですが、先生の辛かったであろうことを、大事だからとゼミ生の前で話してくれたことに対する感謝が先にある…という事を言いたかったので、ここに記載しておきます🙇

感想

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00:00
3年前以上の話にはなるんですが、大学の友人からね、急にある日LINEが来まして、結構しばらくの間連絡を取ってなかった友達だったんで、
なんかなと思って、ちょっと開いてみたらですね、画像1枚が添付してあったのと、メッセージでちょっと悲しいお知らせがありますっていう風に書かれてたんですよ。
何かなと思って、その画像を開いてみたらですね、僕が大学時代にゼミの担当をしてくれていた教授、先生がですね、ちょっとその病気で亡くなりましたっていうことがその記事の中に書かれてたんですよ。
で、僕すごいびっくりしまして、というのはその先生、すごい若い先生で、僕がまだそのゼミ受けてた時というか、学生時代の時でまだ30代半ばとかそれくらいだったんですよ。
で、僕ちょっとその記事を読んだ後も、意味はね、もちろん頭では理解しつつ、飲み込めないというか状況がね、理解できなくて、友達にその後すぐ電話をしてですね、疑ってるわけじゃ全然なかったけど、これ本当に?本当の話?みたいな形で聞いたのを覚えてます。
そんなことがあったんですよね、少し前に。で、なぜこんな話を急に今回したかと言いますと、先日ですね、その教授の追悼会が東京の方で開催されていて、ちょっとそれに参加をしてきたからなんですね。
僕その、この番組でももう飽きるほど言ってはいることなんですが、出身が大阪で、大学の卒業までは関西の方にずっといたもんですから、そのゼミのね、先生ももちろんお亡くなりになる時はずっと関西にいて、僕の母校で寸前まで勤めてらっしゃったんですけど、
というのもあって、実は第一回追悼会みたいなのは数ヶ月前に関西の方で実はやってて、ただその仕事の都合がどうしても僕ちょっとつかなくて、そこはちょっと行けなかったんですね。
で、なんかちょっとね、ゼミの同期のLINEのグループとか見てるとみんなそれに参加してきたっていう話はなんかしてたので、すごいちょっと僕も行きたかったなっていう、先生の追悼もしたかったし、みんなにもちょっと会いたかったなって気持ちはあったんで、すごい残念だったんですけど、本当につい数週間前というか、本当に最近急にまたメッセージというか連絡が来て、東京の方でもその追悼式やりますっていうのがわかったんですよね。
で、その日だったら僕は行けるっていうのがあったので、ちょっとそれに行ってきたんですが、すごいアウェーな空間でしたね。アウェーっていうのは、知らない人しかいないというか、東京でやったのもその先生が昔関東でそういった研究の活動をされていたりとか、出身が全然また関西ではなかったからというのもあって、
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今回東京でやろうっていう話があがったみたいなので、僕の知ってるゼミの友達とかは一人も参加してなかったし、いらっしゃる他の偉い方々、他の大学の教授の方々とかは、もう全然知らない大学の見たことも聞いたこともない人たちがだらけで。
唯一ね、僕の大学から2名だけ出身の学部の教授がいらっしゃってて、絶対忘れてるだろうなと思いつつ、ご挨拶とかする中で、あの子も僕と同じ大学の子だよっていうふうに紹介してもらったのが、二校への全然話したこともないというか顔も見たことがなかった。
そこで初めて会ったゼミの先輩で、なんで言ってしまえばもう本当にゼミ生として参加してた関西の人はもう多分僕とその人だけだったみたいな感じで。
なんかね、関西組はかなりちょっと隅っこの方にいたって感じではあったんですけれども、そんな会がありましたと。
で、今回このエピソードでは、そういった教授の話であったりとか、亡くなった教授の話であったりとか、僕の大学時代の特にゼミの話をね、ちょっとしたいなと思ってるんです。
まあ、それの目的としては先生の、なんかちょっと推倒じゃないですけどっていう形でやりたくて。で、この番組を聞いてくれてる人の90%、大学の友人を除いてですけど、僕のゼミの先生の話を聞いても、一体誰の話なんだっていう感じではあると思うんですよ。
っていうのもあるし、亡くなった人の話をするっていうのもテーマ的にもね、なかなか聞きたくない人っていうのも多分いるだろうから、そういうのも考えたときに、わざわざね、僕の番組の内容として配信するようなことではないのかなとも考えたんですけど。
先日ですね、僕が好きでずっと聞かせていただいてるトラエロイン・ザ・スカイというポッドキャスト番組さんがありまして、そのポッドキャストを担当されているトラさんが、一人会のトラエロイン・ザ・アース会として、死について話をされている、取り扱っている会があったんですよ。
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で、その会の中でトラさんが、先立たれた人の話を、友達とか友達じゃなくても何か話をすることで、天国にいるその人の周りに花が降るっていうのを、オーバー・ザ・サンで言ってたっていう風にお話をされてたのを聞いた。
また引きすぎるんですが、そういうのがありまして、すごい素敵だなと思って、そういうのがあるんだったら、すごい自己満足な会にはなってしまうんですけど、一人配信をしておいて自己満足じゃないかいって何?って感じではあるんですが、
先生の話を個人的にも思い出として残しておきたいというか、先生のことを話したいという気持ちもあったりもしたので、それについて話そうかなと思ってます。
問いつつなんですけども、そんな話題として悲しい話にはならないのかなとは思ってます。話そうと思っている内容的にね。ただ一応そういうテーマで話しますよということは、先に伝えておこうかなと思います。
今回は音楽とかもなしで、しゃべった通りに配信できればなと思います。
本題に移る前に、追悼式の話をちょっとしたくて、追悼式行ってきたんですが、僕もパンフレット、追悼式の案内をよく読んでなかったっていうのもあるんですが、
ただの追悼式ではなく、追悼研究会という名目で開かれている会だったんですね。正直これを言われたとしても何?っていう感じではあるんですが、行ってみたらですね、
すごい広い教室で、前に司会のどこかの大学の偉い教授の方が司会を務めていらっしゃったんですけど、その人が大体30分くらいかな、僕のゼミの教授との話であったりとか、
私的な交流の話であったりとか、先生の経歴の話であったりとか、そういった思い出話も踏まえつつ、先生のパーソナルな部分の話もしつつみたいな形で話をされていて、
それが終わり次第ですね、急にレジュメみたいなのが配られてて、先生が今まで研究してきた内容であったりとか、出版とか翻訳してきた研究の成果みたいなのをまとめて、
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先生が今までやってきたことはこういうことだったっていうのを講義みたいな形で追悼するっていうのが、追悼研究会の目的だったんですね。
そんなこと僕は全く知りもしなかったので、皆さん急に筆箱みたいなものを取り始めて、本当に想像するような講義が始まったわけなんですけども、
教授が教授に向けて、その司会の教授の方が参加してくれている他の教授の方に向けて講義をするみたいな形になっていたので、内容も難しく。
ゼミの先生が研究してた分野っていうのが大前提としてあるから、もうちんぷんかんぷんだったってことはなかったんですけど、飛び交う単語、用語が超アカデミックな会で、なかなかポカーンとしてるような時間も多かったんですけれども、
それでも大学のキャンパスの中で講義室に座って、パワーポイントか、白黒ですられたA4のレジュメを片手に教授の話を聞くっていう、その体験自体が卒業してもうすぐ6年ぐらい経つことになるのかっていう月日の流れを考えるとすごい懐かしくて、
なんというか、経験としてはすごい楽しかったんですね。楽しかったって追悼式で言う言葉ではないのかもしれないんですが、こういうことやってたよな、大学生の時とか、こういったレジュメ持ってみんなで図書館に集まって、勉強できるスペースであだこだ言いながらテストの対策とかみんなでやったよなみたいなことも思い出しながら、
そういった気分に浸りつつ、また先生ってこういうことやってたんだ、改めてみたいなのが学べてよかったですね。思い出せたりして。そういった、ちょっと想像と違った追悼式ではあったんですけど、すごく参加してよかったなって思います。
話を戻すんですけれども、先生のことをいろいろ振り返ってみると、本当に親しみやすくて、ゼミ生、一人一人にすごく真摯に向き合ってくれる、本当にいい先生だったなって思う記憶というか思いがたくさんあって、
大学の先生とゼミ生っていう関係で見たときに、本当にいい意味で先生ぽくなかったなって思うことがたくさんあって、例えばですけど、音楽とかアニメとかそういう分野の話とかもすごい大好きな先生だったんですよ。
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例えばで言うと、エヴァンゲリオンとかの話で、エヴァが日本で放送されてから、作品として日本の創作、アニメとか漫画とかそういったものにどれほど影響を与えたのかみたいな話とか、あとは僕がね、小室哲也とか、そういった世代の音楽がちょっと親の影響で好きなところがあるんですけど、
そういった話を先生にしたときに、小室サウンドっていうものが日本の当時の音楽業界に及ぼした影響だったりとか、そういった話を学術的に話をしてくれたりとか、
アカデミックな内容じゃないところでも、いろいろ生徒が興味を持ったところとか、持つところとかでかぶってるというか、親しみを持って聞ける話題とかもすごい精通してるような先生で、本当に言語化が上手な方で、話が本当に面白かったから、
先生としてもそうだし、先生がやってるゼミ以外の授業の部分とかでも、やっぱり人気があったなって思います。
その先生のことをあまり悪く言ってる人を聞いたことがないというか、なんかあるじゃないですか、大学の先生に対する授業の内容とか、その時の態度とかに対する愚痴みたいなのって、大学に限らずか、学生の間でよく話すことだと思うんですけど、
あんまりそういうの、ゼミの先生、僕のゼミの先生に対する話で聞いたことないなってぐらい愛されてた先生で、そういったいい意味での親しみやすさがあった先生だったから、追悼式で先生の研究してきた内容とか経歴とかを改めて聞いてると、すごい先生だったなっていうか、当然なんですけどね、大学の先生ですから。
当然なんですけど、改めて感じるような経験だったというか、こんなすごい人に僕、ゼミで2年間ぐらいお世話になってたんだなってことは感じました。
あと、本当にさっきも話した通りなんですけど、ゼミ生1人1人をすごい真摯に考えてくれてる人で、本当に先生と生徒、教授と生徒っていう関係以上に、いい意味で踏み込んでサポートしてくれるような、教えてくれるような人で、それこそ就活のサポートとかもすごい熱心にしてくれたんですよ。
本当は大学の内容と、特にゼミの内容と就活のことなんて、全然切って話して考えていいわけなんですけども、先生は結構そういうところも、1人1人の強みとか、それこそよく就活で聞かれる強みとか、学生時代に力を入れたこととかを個別に1,2時間、ゼミ生1人1人の時間をとって、一緒に考えてくれる、探ってくれるみたいなのを設けてくれるぐらい、
15:20
真っ直ぐ向き合ってサポートしてくれるような優しい先生だったんです。
で、それって別に学生時代、当時ゼミにいて授業を毎週毎週受けてたから、そういうことをやってくれたのはもちろんあるんですけど、卒業してからも、ゼミ生、元ゼミ生に対するサポートっていうか、温かく向き合ってくれるっていうのはずっと続いてて、
それを象徴するようなエピソードが1個あるので、話したいなと思うんですけど。
この話をする前に、ずっと言ってなかった。
僕が大学時代に専攻してた内容が政治学だったんですね。
厳密に言うと政治学だけではないんですが、ちょっとここを話すとすごい長くなってしまう、ちょっと面倒くさい学部だったので。
最近とかはね、そういった話になると平たく政治学です、みたいな謎の回答をしてるんですけども、政治について大学時代は勉強をしてました。
先生自体も専攻というか研究の内容は国際政治っていうので、ゼミでもそういった国際的な政治の話とか、あと国内の話も全然ありましたけど、そういったことをしてました。
そのエピソードっていうのが、僕が先生が亡くなったっていう友人から連絡を受ける少し前ですかね、何ヶ月か前に、去年のちょうど今頃だったかなと思います。
ちょっと名前は出しちゃうんですけど、兵庫県の斉藤知事が2回目の当選を果たしたぐらいだったかな、の時期で。
あとこれちょっと記憶がちょっとおぼろげではあるんですが、アメリカのトランプ大統領の2期目、それも2回目の大統領当選が結構確実視されてき始めてる頃とかだったような気がするんですよ。
地獄みたいな時期があって、僕にとっての地獄みたいな時期があって、そういったタイミングで、僕結構ね、なんか大げさな表現をするようではあるんですが、
なんだろう、結構気持ち的に沈んでたんですよ。
っていうのが、斉藤知事にしろトランプ大統領にしろ、その2人がまた当選するっていう状況はもちろんなんですが、
18:08
SNS上でトランプ大統領にしろ斉藤知事にしろ、支持者と支持してない人たちのほぼ攻撃ですよね。
みたいな罵り合いじゃない暴言の吐き合いというかが、本当に毎日毎日いくらでも流れてくるような時期で、
そういった悲惨なSNSのタイムラインに加えて、YouTubeとかもそうですけど、
支持者たちが作成する本当か嘘なのかもよくわからない動画とか、情報とかが本当にもう洪水のように溢れ返っている時期があって、
それを浴びるようにして見ていた僕は結構それで、あれなんか、なんて言うんだろうな、ちょっと言葉が難しいんですが、
本当に日本にしろ世界情勢にしても、僕の中でちょっと希望が見えない状況っていうか、
政治って本来こういうものだったっけみたいな、ちょっと悲観的な気持ちがめちゃめちゃ大きくなってた時期で、
それを別に誰に話すのでもなく、ちょっと自分の中でずっと考えて思ってたんですけど、
そのいった気持ちが蓄積して蓄積して、結構ピークを迎えたというか、
自分の中でこの気持ちをどうにもできないみたいなのがMAXまで来た時に、先生に連絡したいなって思ったんですよ。
そのゼミの先生にね。
そこで僕は卒業して初めて、その教授にメールを送ったんです。
今こういった国内にしろ国外にしろ現状こういうことが起きてて、
特にSNSでこういった状況があってっていうので、
ちょっと本当に思うことを書いたりして、
ただなんかそのもちろん先生忙しいし、そんなね卒業してから何でも全く連絡してこなかった。
別にそんなとりわけゼミの中でも目立つような制度ではなかったですし僕は。
やつが急に連絡してきて、
そんななんか愚痴じゃないけど、そんなこと言ってきたら困るだろうっていうのもあったから、
そのメールの目的としては、
そういったSNS、YouTubeとかもそうですけど、
そういったネット上の情報というか、人の行動が実際に選挙結果に及ぼす影響について、
ちょっと改めて勉強してみたくて、
それに対するいい書籍というか、勉強するためのものとかって何かありますか?みたいなことをね、
21:07
ちょっと自分の近況とかの話も含めつつ、
久しぶりですって言ってメールを送ったんです。
そうしたら本当にちょっと、
次の日の朝とかにメールが帰ってきて、
即レスどころではないというか、
久しぶりですって言って、
全然連絡がなかったし、
ただ僕のことはどうしてるんだろうなってずっと気にかけていたんです。
東京での生活はどうですか?みたいな話から始まって、
その書籍もね、すごいこれがいいと思うんで、
ぜひ読んでみてくださいというのをね、
お勧めしていただいたんですよ。
それが本当に僕的にはすごい嬉しくて、
こんな久しぶりに連絡したのに、
そんな覚えてくれてたし、
僕が東京に行ったってことも覚えてくれてたしっていうのもあるし、
ありがたいなって嬉しいなって気持ちもあったし、
何よりもそのメールの文章の中で、
いろいろ交わした言葉で、
先生も東京にいたことがあったから、
東京っていう場所ってすごく楽しくていい場所だし、
いろんなことが体験できる場所だけど、
なんとなく自分のいい場所を見つけるのにも、
ちょっと苦労しがちな場所でもあると僕は思ってるんですっていう風に、
先生からね、心配じゃないけど、
そういったことも聞かれて、
僕、大学のゼミの先生も含め同期の人の大半は、
僕がゲイってことを知ってるんですよ。
僕が言ったからなんですけどね。
それもあったので、先生の返事には、
先生もご存知の通り、僕はLGBTQのゲイの辞任があって、
かえってそれが、僕の東京での居場所を作ってくれる理由というかきっかけにもなってて、
生活としては本当に楽しく暮らせてますっていう風に返したら、
すごく安心しましたじゃないけど、
そうやって居場所を見つけられてることは本当に良かったなって思いますっていう風に返してくれて、
文末に東京でも大阪でもどこでもいいので、また時間があったら会ってご飯でも行きましょうっていう風な形で言葉をくれて、
繰り返すようですけど、本当に毎年毎年大勢の生徒と向き合ってきて、
またその中でもゼミ制の人たちって毎年毎年何人もいるわけですから、見送ってきてるわけですから、
別に僕に対してそんな、正直言って覚えてなかったとしても、覚えてなかったというか、
24:00
そんな大して気にかけてくれなくても別に僕はもうそれはそうだろうなって思うし、
それも別にいいんですよ。
でもそういう風に僕のことをいろいろ覚えてくれたりとか気にかけてくれたりとか、
してくれる言葉を書いてくれるっていうのが本当に先生の優しさを感じたし、
このゼミ卒業してよかったなって思った。
本当にその卒業してから何年経つのってぐらいですけど改めて思ったし、
本当にだから連絡を受ける、その会話が先生のメール上ではあるんですけど、
その会話があったのは亡くなったっていう連絡を聞く、
本当にそんなに日が経ってなかったからむちゃくちゃやっぱりびっくりしたんですよね、
本当にその話を友達からもらった時は。
そんな卒業後もゼミ一世をすごく大事にしてくれるような先生でした。
これの時点でもだいぶ長いこと喋っちゃってるんですけど、
せっかくだしっていうのでもう一個先生との思い出の話をしておきたいんですが、
思い出というかこれに関しては僕が一方的に先生に感謝を伝えたいなと思っていることではあるんですけど、
さっきの話が卒業後の話だとしたらこれは卒業前、当時学生だった時の話にはちょっと遡るんですが、
僕も先生をすごく感謝している一番の理由になっているのが卒論なんですよ、卒業論文ですね。
大学を卒業された方は全員じゃないと思うんですが、多くの人が卒論というのを書いて学部を卒業されているかと思うんですが、
4年間の集大成じゃないけどゼミの退任という要件として最後テーマに沿って何か本当に長い論文というものを書くっていう、
そういったものがあるんですよね、それが卒業論文なんですけど、
僕は卒業論文の思い出がすごく強くて、単純に課題として大学生活でめちゃくちゃ一番苦労したなという思い出があるっていうのもあるし、
先生が僕が提出した論文に対してすごく僕の後々の人生に残るような言葉をかけてくれたっていうのもあるからなんです。
実は過去の配信でもちょろだしをしている部分ではあるんですが、ゼミの先生が僕に対して文才があるって言ってくれたみたいなことを、
27:02
結構最近のエピソードでまるで自慢するかのように話しているところがあるんですけど、
これを言ってくれたのが卒業論文の時だったんです。
今から話そうとしているのはそれを言ってくれに至った経緯のところにはなるんですが、
僕が受けてたゼミでは他の同じ学部のゼミとはまたちょっと違った単位認定の方法があって、
卒業論文とは別にエッセイを書いても単位認定しますよっていうのがあったんです。
エッセイってなんじゃいってなるじゃないですか。
卒業論文って一般的にどこの大学とかどこのゼミでも一緒だと思うんですが、
具体的な文字数とかは覚えてないんですけど、
一万何字とかの最低文字数があって、テーマもゼミの内容に沿ったもので、
っていうのがちゃんとしっかり決まってるんですが、
先生が用意してくれたエッセイっていうのはそれよりも格段に文字数が少なくて、
テーマも本当に自分で何でも決めていいよみたいな。
それこそ、例えば僕がオパンチウサギすごい好きなんですけど、
オパンチウサギのことを書いてもいいみたいなそれぐらい自由なテーマ設定で、
なんなら卒業論文を提出しないといけない期限があるんですけど、
その期限よりもさらにもっと長い期間まで受け付けをしてくれるっていう、
卒業論文と比較すればかなりゆとりを持って書けるっていうのを、
もう一個の選択肢として用意してくれたんです。
もちろん卒業論文に比べてもらえる単位数認定してくれる単位数は半分ぐらいにはなるんですけど、
卒業に耐える単位数をもうすでに取得している人は、
全然エッセイを選んだ方が確実に時間も逆らなくてもいいしっていうので用意してくれてて、
一番の目的としては、さっきも話した通り、
すごい就活のサポートとかも考えてくれるような先生だったんで、
卒業論文ってやっぱり時間も手間もかかることだから、
そういうのよりも就活を優先したいって人のために、
おそらく用意してくれた選択肢で、
結果的に言うとだいたい6割が卒業論文で、
4割がエッセイっていう形だったような、
僕の同期のゼミ生の選択としてはそうなってたような記憶があります。
卒業論文は若干多かったけど、エッセイを選んでいる人も普通にいたって感じですね。
この選択肢を用意してもらった上で、
僕も最初はやっぱりエッセイを書こうと思ったんですよ。
その選択肢が提示された瞬間は、
拡大にやっぱり手間もかかんないし、
30:02
正直就活も集中したいのもあるけど、
大学生の最後のもう残り時間なんて、
これから始まる地獄みたいな社会人生活の前の最後のもうゆとりだから、
近似でも多く自分の好きなことやってたいみたいな気持ちもあったし、
エッセイかなって、仲良かった友達もエッセイにするって言ってたから、
僕もって思ってたんですが、
いろいろ考えてる時に、
4年間大学生活を振り返って、
もちろん卒業できるようなタイムもちゃんと取得してきたし、
落としたタイムもあるけど、
成績の良し悪しはあれど、
一応やることはやってきたなという思いはあったんですけど、
これで卒業していいのかな、僕っていうちょっと変な気持ちがあって、
勉強してきたことは勉強したけど、
もっと学問的な意味で、
大学生活の中で何か残したいなっていう、
自分がやってきたことを形として残したいなっていう気持ちがまず1個あったのと、
今でもそういうところはあるなって、
本当に常々に思うんですが、
物事を組み立てて伝えるってことにあんまり得意じゃないって、
これ前にも話したんですが、
得意な意識があまりなくて、
っていうのがあって、
ゼミとかでも発表のタイミング、
みんなで討論して発表するみたいな機会があった時に、
何をどう言えばいいんだろうってことが全然思いつかなくて黙ってて、
黙ってたら普通に先生に怒られるみたいなことがあったりもして、
そういうのもあったし、
ゼミとしても僕の苦手意識としても、
お持ちベースにはなるけど、
自分の伝えたいこと、学んだこと、
それを論理的に組み立てて、
1つの形にするっていう作業に、
最後の最後くらいちゃんと挑戦したいというか、
向き合いたかったっていうのがあったんですよね。
その2つが僕の中ですごく大きくあって、
逆に最後の最後だからっていうのもあったからこそなんですけど、
卒論書こう、僕っていう風に決めて、
じゃあどっちにしますかっていうのを決める日に、
卒論やりますという風に教授に意思を表明したんですけどね。
そういったいろんな僕の中でのいろんな気持ち、
思いがあって卒論を選んだわけなんですけど、
これが地獄の始まりでして。
卒論のテーマは社会科学だったんです。
すごい幅広いテーマだなっていう概念ではあるんですが、
社会科学の中には政治とかも含まれているわけで、
33:02
勉強してきた内容を反映するようなところではあったんですけど、
社会科学を基に何を書くのかっていうところで、
いろいろアイディア出しみたいなのを、
ゼミ生と先生と一緒にアイディア出しみたいなのをする時間があって、
その時に最終的に決まった僕の卒論のテーマが、
国会議事堂についてだったんです。
千代田区の永田町にあるやつですね、
バカでかい建物があると思うんですけど、
そこについて国会議事堂について、
日本の近代化とか、
国会議事堂自体の建築史を絡めて書くっていう形に落ち着いたんですよ。
国会議事堂は確かに政治に関するものすごく深く関わってるところだから、
わかるとして、なんで建築史ってそこまで書くことになったのかっていうと、
アイディア出しの段階で僕が思いつくワードをいろいろ紙に書いてたんですよ。
思い出せるのはそれこそ中国とかも書いてた気がしますね。
そういうのとか、
あとそこで建築って僕書いてたんですよ。
っていうのが、僕の趣味的なところで、
建築、特に歴史主義建築って呼ばれるような明治の終わりから、
大正と昭和の前期ぐらい、だいぶ最初のほうぐらいですかね、
の時代にかけて作られた、
想像しやすいので言うと、
例えば東京駅とか、
そういった洋風チックな建物を見るのがすごい僕は好きで、
だからといってそれについて詳しいとか勉強するとか全くなかったんですけど、
なんとなく思いついた単語として建築って書いたら、
それを見た先生が建築いいじゃんっていうのを言って、
最終的に国会議事堂なんかどうっていう風に言ってくれて、
そうなったんですよね。
正直なこと言うと、僕は別に国会議事堂のことについて、
人生で1秒たりとも思いを馳せたことがなかったし、
考えたことがなかったし、国会議事堂について、そのものについてね。
あとさっきも言いましたけど、僕建築史なんか一つも知らないし、
ほぼゼロからのスタートなんですよね。
もちろんその内容としては政治学だからやってきたことの延長線上ではあるのかもしれないんですが、
題材にしている部分が僕の人生に本当に全然関わってこなかった部分だったから、
本当に自分でもあれですけど大変で、
毎日毎日授業が終わったら学校の図書館に行って、
日本史から始まって理系のコーナーにある、
36:00
絵もゆかりもない理系のコーナーにある日本の建築史とか、
建築技術の話とかね、本とか、
あと唯一大学に1冊だけあった国会議事堂の本、
ソツアルの2倍ぐらいあるサイズの、大分持ったんですけど、
ソツアルのちょっとでかいぐらいのサイズの地下にしかない本、
係の人に取ってきてもらわないといけない持ち出し負荷の本があって、
それを借りるために毎日通って、それを机に広げながら、
そもそも何国会議事堂っていうか、
てか永田町ってどこですか?みたいなところからスタートでやってて、
もうね、本当に後悔しまくりでして、
あんなかっこつけて卒論なんかせずにエッセイにしとけばよかったって、
本当に帰るときに真っ暗な大学のキャンパスのひも落ちて、
真っ暗な大学のキャンパスを涙で目うるうるにしながら帰ってったりもしました、
その時期はあまりにもやってることが難しすぎて、
その当時の僕にとってはね。
だからめちゃくちゃ大変だったんですけど、
先生にもこういうのを今書いてますみたいなレビューをしてもらいながらではあるんですが、
書いて書いてなんとか期限までちゃんと間に合って書き終えたんですよ。
その提出する最後のチェック、
一応卒論って先生に出すっていうよりは大学側に出すっていう形で最後終わるんですけど、
その前にチェックを教授にしてもらったんですよ。
LINEを一応ゼミ生は先生と交換してて、
PDFにしたものを先生に送って読んでもらって、
ちょっとドキドキしながら何て言われるんだろうって思いながら待ってたんですけど、
それに対して先生が本当に一言、
本当に一言、
直すところがもう全然ありません。
あなた文才あります。
っていう風にストレートに返してくれて、
僕それ本当にそれ見た時に泣きはしてないです。泣きはしてないけど、
めちゃくちゃ胸が熱くなったし、
本当に報われたなって気持ちがあって、
報われたって気持ちって、もちろんその内容自体を評価してもらえたことはもちろんなんですけど、
僕が卒業を選んだ理由でもある何かを残したかったってことと、
自分の中で組み立てて何かを伝える、相手に伝えるってことの絵の、
ほぼコンプレックスに近い苦手意識が、
先生の言葉で救われたというか、
39:03
卒業前の最後のゼミのご飯会で、
それぞれゼミ生に対して一言ずつ言っていくみたいな時間があったんですけど、
その時にザットンの、ザットンとは呼ばれてないですけど、
ザットンの卒論が今年一番面白かった、提出してくれた卒論の中で一番面白かったよっていう風にまで言ってくれて、
ごめんなさい、ただの自慢話にしか聞こえないかもしれませんが、
僕としてはすごく救われたって気持ちが強くあって、その言葉で、
何よりも僕自身で自分を救えたっていうことが、本当に描いてよかったなと思う一番のことで、
もちろん今でもちょっとした上手くできないなと思うことだっていっぱいあるんですよ。
仕事もそうですけど、いろんなところでそういう気持ちになることはいっぱいあるんですけど、
少なくともその卒論に関しては、そういった風に先生に評価してもらえたっていうところで、
先生がくれたその言葉が僕の中の自信にもなったし、やってよかったこれをって思う理由にもなってるんですよね。
それはやっぱり僕が全力で書いたからこそだとは思ってるし、
それを全力で先生が受け止めてくれたからだとも思ってます。
だから僕は先生にすごい感謝をね、今でも本当に今でもしてます。
だから、あの時卒論を選んだ自分によかったよって言ってあげたいし、
その気持ちを先生にもちゃんと改めて伝えられたらよかったなとは思うんですが、
それは今はちょっとできなくなってしまったので、こうやってお話をさせていただきます。
先生、ありがとうございましたと今でもずっと思ってますってことを伝えたいです。
ちょっとね、長くなりすぎてしまっていますが、こういった機会はなかなかないと思うので、
最後、本当に最後付け加えじゃないですけど、
さっきちょろっと言ったんですけど、僕、ゼミの先生もゼミの同期の人たちも、
僕がゲイであるってことを知ってるって話をちょろっと挟んだんですが、
その理由が、僕からね、ちょっとゼミの打ち上げのタイミング、
本当に最後の最後の打ち上げのタイミングで、僕がそういったことを言ったんですけど、
それをさ、話そうと思ったっていうか、
ここでなら別に話してもいいかなと思えた理由も先生にあって、
っていうのが、ゼミのどっかの、そうするんだまだ全然関係ないタイミングで、
発表をする機会があったんですけど、
42:01
僕じゃなくて、ゼミ制の一人の女の子が、
LGBTQの権利について話をね、プレゼンみたいなことをしてる時があったんです。
僕は普通にその時は全然カミングアウトもしなかったし、
当事者であるってことを心に秘めながら、
女の子の話を聞いてたわけなんですけど、
その発表が終わった後に、
先生がその発表に対して評価というかコメントをする時間があって、
そのタイミングの時に、先生自身の話をそろっとしてくれたタイミングがあって、
先生は男性で女性のパートナー、結婚されてるパートナーさんがいらっしゃるんですけど、
先生が高校生の時に、
性別って男女の二言論、どっちかではなくて、
男性女性っていうのが端にあって、
その間にグラデーションみたいになってるんだっていう話を同級生にしたらしいんですよ。
それをしたことによって、いじめじゃないけど、
そういった扱いをされたことが高校生活の中であったっていうのを、
その発表に対する評論の中でお話をされてて、
僕、先生の話を聞きながら、
この先生だったら全然カミワウトできるなって思ったんですよね。
男女二言論ではないというか、グラデーションがあるっていうのって、
僕がゲイだからこそ、
よく耳にする言葉というか考え方というか、
一般的って言い過ぎなんですけど、
考えとして結構いろんなね、
特にマイノリティの人にとってはよく考えることなのかなと思うんですけど、
僕は先生のセクシャリティについてどう言いたいとか、
まず先生のセクシャリティについて僕が知ってることはないんですが、
それをいろいろ、
思春期というかそういった時期に先生自身が考えて話をしたっていうのが、
それを周りの人に話したっていう経験があるっていうのが、
いい言葉が見つからないんですが、
感動したんです、正直。
感動したんですよね。
そういうことも考えてくれる人っていうと、
45:02
何様って話はあるんですけど、
それこそ思いを馳せられるというか考えが及ぶ人なんだっていうのがあって、
そういうのがあったからこそ、
その先生にも行っていいなと思ったし、
その先生の下で勉強したいって言って集まってきたゼミ生の人たちの前でなら、
この話してもいいなって思ったから、
最後の最後にはなっちゃったんですけど、
ゼミの打ち上げのタイミングで恋愛の話みたいに長いようになって、
その時にもういいやと思って言っちゃったんですよね。
そういうのがあったから先生は僕がゲイってことを知ってて、
そういった意味でも僕は先生のことをすごい尊敬してました。
勉強、政治学のことでもそうだし、
人としてもすごく考え方として、
そういうところまで考えてくれる人なんだっていうことに対する敬意の念というか、
そういうのがありました。
本当にいい先生でしょ。
いい先生だと思いませんか。
締めとしてはやっぱり最初にも言った通り、
この話をしたところで聞いてる人の大半は先生のことは知らないだろうし、
縁のない話ではあるんですけど、
そういう人がいて、僕は大学生活の中で、
そういう先生に教わってた時間があったっていうことを忘れたくないなっていう気持ちがあって、
話をしました。
もちろん最初に言った亡くなった人の話をすると、
天国にいるその人の周りに花が降るっていうので、
追悼会で散々きっと花は降り注いだろうと思いますし、
僕からも降らせにいきたい気持ちもありましたので、
今回お話をさせていただきましたし、
もしかしてこれが一再生されることに、
またね先生のところに花が降るのかって考えたら、
録音した意味もあるなっていう気がします。
なんかすごい長くなっちゃったし、
テーマもテーマですし、
それこそ、先何回も言ってますけど、
全然知らない、このポッドキャストを聞いてくれてる多くの人にとって、
全然知らない人の話ではあったんですけど、
すごく最後まで聞いてくださった方々ありがとうございます。
ちょっと真ん中になりすぎてるのでここら辺で切りますが、
そういうことで先生に僕なりの花向けができたかなと思います。
48:04
ということで今回はここまでにしたいと思います。
本当に最後まで聞いてくださった皆様ありがとうございましたというのと、
先生改めてありがとうございました。
ということでここまでにしたいと思います。
聞いてくださった皆様ありがとうございました。
バイバイ。
48:24

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