『我々は宇宙人』を観ていて、なぜか2000年代の日本映画を思い出しました。中島哲也の映画にある、現実なのに広告セットのように見える学校や郊外。岩井俊二が撮る、現在なのにすでに記憶の中にあるような風景。そして『serial experiments lain』が描いた、現実とネットのあいだにまだ「向こう側」があった時代。
近年「リミナルスペース」と呼ばれている空間の感覚と、平成の映画・ドラマ・インターネットには、どこか共通するものがあるのではないか。
学校を出ても学校で与えられた役割から逃れられない。ネットにつながれば別の自分になれる気がする。画面の中には、なにかがある。扉を開けば別の場所へ行けるはずなのに、どこまで進んでも同じ内部が続いている……
『Backrooms』、『女王の教室』、『野ブタ。をプロデュース』、『ライフ』、『下妻物語』、『告白』、『リリイ・シュシュのすべて』、『lain』、『回路』、『まどか☆マギカ』……「別の世界へ行けるかもしれない」という期待と、「今いる場所から出られない」という閉塞が同居していた平成を、現在のリミナルスペースという感覚を交えて考えてみましょう。
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