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マイノリティ性という話です。5回、2回、シンポタとは離れた話をさせていただいているんですけども、今日は自分の地域の活動で、市民活動の一環としてですね、とあるグループで話し合いをやっておりました。
14名の人が集まっていましたね。
下は21歳から上は67歳までがいて、男性、女性、いろんな方がいらっしゃる中で話をしているんですが、そのグループはどういうグループかというと、いわゆる多文化共生というテーマについて、いろいろ活動しているメンバーでございまして、
今日のテーマがですね、多文化共生というふうな言葉を使わずに多文化共生を考えるという不思議なテーマでございましたが、多文化共生って、これができたら実現とかね、目指してとかを実現するとか、多文化共生を実現するとか、こうなったら正解とかゴールというのがないんですよね。ないんです。
と思いませんか。どうなったら多文化共生なんですかね。
皆さんそれが共通の認識を持っていて、じゃあ私たちはどこに向かって進んでいるのか、ゴールは何なのかという話をしていました。
そこで面白い話が出てきたんですけど、さっき言いました14名いらっしゃる中で、やっぱり地域柄です。7名の方が、14名中7名の方が在日コリアンの方なんですね。ルーツを持っていらっしゃる方なんですね。
ということはちょうど半々というか、14名中7名が在日コリアン7名が日本人ということで言うと、ある方がマジョリティ・マイノリティという話をされていまして、それに対してまた別の方が、最近はマジョリティ・マイノリティという言い方よりも、マイノリティ制、マジョリティ制というふうに言った方が正しいんじゃないのという話をされました。
これすごい僕はストンと落ちましてですね。今言ったように14名中、いわゆる7対7で日本の方とコリアンの方が、ルーツの方がちょうど半々だったんですね。
それは私が活動しているイクノクの特殊性でもありまして、いわゆる在日コリアンの方はマイノリティというふうに言われたりするかもしれませんが、確かに全体の数から言うと少ないんですが、イクノクの地域性から言うと圧倒的に多いんですね。圧倒的に多いというか。
決して本当に少数でということではないわけなんですよね。先ほど言ったように7対7になるということで言うと、そうするとですね、何がマジョリティで何がマイノリティなのかっていう話をしていたときに、これって入れ替わるよねっていうことを教えていただきまして、マイノリティでもマジョリティになることがあるし、マジョリティでもマイノリティになることがあるということで言うと、
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マイノリティとかマジョリティって言い切ってしまうのではなくて、マイノリティ性とかマイノリティ的とか、そういう考え方でいいんじゃないかということを聞かせていただきました。非常にフレキシビルで素晴らしいなという感じで思ったので、録音をさせていただきました。
どちらにも触れるっていうね、フラフラしているのではなくて、どちらにでも触れるというそのフレキシビルさを大事にしたいなと思った今日でした。聞いていただいてありがとうございます。