1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #403 日本語は「主観」をどう..
2021-12-28 10:15

#403 日本語は「主観」をどう表すか? from Radiotalk

参考文献
『情報のなわ張り理論―言語の機能的分析』 (神尾昭雄、大修館書店)
『中上級を教える人のための日本語文法ハンドブック』 (庵功雄ほか、スリーエーネットワーク)

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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志賀十五の壺です。 今日のテーマは、ズバリ
モダリティということでやっていこうと思います。 どうでしょうね、これはあんまり一般的には用いられてない言葉かもしれません。
ものによってはね、専門的な言語学の用語であっても、 普通にね、世間で使われていることもあったりするんですけど
モダリティはなかなか聞いたことない。 今日初めて聞いたっていう人も多いんではないでしょうか。
このモダリティっていうのは何かっていうと、端的に言えば 命題に対する話し手の主観的な心理的な態度を表す形ということになります。
端的に言ってるだけに分かりづらいっていうかな。 命題っていうのは言語学以外でも使われる言葉ですよね、多分ね、論理学とかでも使われてると思うんですけど、
ここでは内容というか客観的な事実っていうことにしておいて、それに対して話して、 話者はどう感じてるかっていうのを表す形がモダリティです。
例えば、なんか客観的な感じなどで言うと、 地球は丸いとか、
この地球は丸いっていうのに対して、 地球は丸いはずだって言うと、
この話し手の態度が反映されてますよね。 あるいは、
地球は丸いかもしれないとか言うと、これもまた違った話者の態度が反映されています。 ちょっと可能性が低くなっている感じがしますよね。
あるいは、地球は丸くなければならない、 みたいな言い方をすると、これも一種の話者の態度で、
より主観的なものが感じられると思います。 今言った、はずだとか、かもしれないとか、なければならない、みたいなものは、
その命題に対する 話者の主観的な態度っていうことでモダリティなんですけど、
モダリティには、その聞き手、話し相手に何か働きかけるようなものも含まれるんですね。
例えば、あなたは来ますか? っていう疑問は、相手に働きかけてるし、
あなたは来なければいけないっていうのも聞き手に働きかけてますよね。 あるいは、
あなたは来てもいい、みたいに許可を表すこともあります。 なのでモダリティは、まあ話者の主観的な態度と言ってしまえばそうなんですけど、
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その可能性とか、あるいは問いかけとか、 許可とか義務とか、様々なものを含んでいるので、
個人的にはね、ちょっと 難しいんじゃないかなというか、
まあ苦手なんですね、僕はね。 これに比べると
点数っていうのはまだ客観的で、 日本語だと時制と言われるものですけど、
例えば行くと言った対立みたいなもので、 これは
まあ本当に大まかに言えば、話している現時点に対して、 まあその出来事が
現在か過去か未来かっていうのを表すのが点数なので、 まあかなりモダリティに比べると客観的なんですよね。
ちなみに日本語の場合はですけど、 このモダリティっていうのは文の最後の方に出てくることが多いです。
はずだとか、違いないとか、 何々ですか、みたいなものですね。
こういうふうに日本語のその動詞というか述語の構造として、 客観的なものが動詞の中心に近くて、
文末に行けば行くほど主観的なものになるっていうような 一般化があるんですね。これも面白いですよね。
このモダリティには終助詞っていうものも含まれるんですね。
ねーとかよーとかこういったものですね。 この中でも終助詞のねーというものは同意を表す終助詞と言われています。
まあだからやっぱり 話者の主観が入ってるっていうことでモダリティとして扱われるんですけど、
このねーについて面白い研究があるのでそちらのお話をしようと思います。
それは情報の縄張り理論って言って、 上尾明雄先生っていう先生によって提唱された理論なんですね。
で、その情報の縄張り理論っていうのは、 その話している情報が
話者に属するものなのか聞き手に属するものなのか、 それによってモダリティとか終助詞のねーの使い方が決まってくるっていう理論なんですね。
この情報が自分にあるかどうか聞き手にあるかどうかっていうのに加えて、 自分も相手も知ってるっていうのと自分も相手も知らないっていうことで、
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全部で4通りのパターンが考えられますよね。 つまり情報が自分に属すかどうかっていう2通りかける、
情報が相手に属すかどうかっていう2通りなので4通りあるということです。 まあ表とか書けばわかりやすいんですけどね。
まず自分が情報を持っていて相手が知らないような場合、 例えば
私は音声配信をしているみたいなものですね。 こういった場合に
らしいとかようだみたいな不確実なことを表す形式は出てきません。 まあ当たり前ですね。
自分のことなんだからそれはそうだと。 直感でなんとなくわかると思います。
それに加えてねっていうのも使えないんですね。 私は音声配信をしてるねって。
これは自分だけが情報を持っている場合にはねっていうのは出てきません。 次に自分も相手も情報を共有している場合は
例えば今日は良い天気ですねみたいな感じで言うわけですけど、 この場合もやっぱり自分が情報を持っているので
らしいとかようだみたいなものは使われません。 一方ねっていうのは省略できないんですね。
2人で情報を共有している場合は今日は良い天気ですねとかねっていうのは義務的に 出てこなければなりません。
で今2通りお話ししたのでもう2通りあるわけですけど、 残ってるのは両方自分に関係ない
自分が情報を持ってない話なので、 らしいとかようだっていうのは
必須ということになります。 だから自分は知らないけど相手が情報を持っている場合は
あなたは音声配信をしてるみたいだねとかしてるらしいね みたいに不確実を表す形式がついて
かつねっていうのも省略できません。 だから相手が知っていることを言うためにはねっていうのが必ず
必要っていうことになるんですね。 最後残っているのは自分も知らないし相手も知らないみたいなもので
明日はいい天気らしいよみたいに とりあえず自分の知らないことなので
らしいとかようだみたいなものが使われて、この場合はねは出てくることもあるみたいですね。
まあなかなかね理屈で考えるとややこしいですけど、 今の話をまとめると自分の情報じゃないときは日本語の場合
らしいとかようだっていうのが必須になって、 相手が知っていることを言うときは終助詞のねっていうのが必須である
ということになります。
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この情報の縄張り理論ってなかなか面白いですよね。
普段使っている日本語にそんな理屈があったのかと思われた方もいらっしゃると思います。 というかこの番組がそういうことにね気づいていただける番組になればいいなと思ってるんですけど
やっぱり難しいな。モダリティってやっぱり主観的なものなので、 なんていうかな、分析しづらいっていうかな
僕はちょっと苦手で、 それだったら音とか文法とか、モダリティも文法なんですけどもっと客観的なものの方が
ドライで楽しめるかなぁと 僕は思っています。
というわけで今回のトークはモダリティという、 話者の主観的な態度を表す形についてお話ししました。
これ英語も面白いんですけどね、とりあえず日本語のお話でした。 最後まで聞いてくださってありがとうございました。
また次回のトークでお会いいたしましょう。 お相手はシガ15でした。
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