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#32 暇と退屈は人類のテーマ/浪費と消費とは何か
2025-03-31 16:18

#32 暇と退屈は人類のテーマ/浪費と消費とは何か

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今回は暇と退屈、浪費と消費についてお話ししています。このテーマを選んだきっかけは國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」という本です。

本から受け取った示唆やそこで登場するキーワードから感じたことをお話ししたいと思います。


暇と退屈は異なる概念であり、人類の重要なテーマ/人類の歴史、定住化と農耕/暇と退屈を回避するための浪費と消費/浪費と豊かさの関係/消費と個性の関係/インターネットとSNSの発展/グローバルブランドによる個人の個性化/コンフォータブルゾーンでの満たせない感情/フロー体験で定義している楽しさの構成要素/本と本の繋がり(思想や思考の共通点)を見つける楽しみ


『ワーク・ライフ・ラン』

これからの時代を健康的に、そして前向きに生きるためのヒントと問いをお届けする番組です。

過去・現在・未来の働き方(ワーク)、社会生活の変化(ライフ)、ランニングを通しての心身の健康(ラン)をテーマに話しています。


パーソナリティ

宮﨑晃(Miyazaki Akira)

⁠⁠株式会社actenable⁠⁠


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ワーク・ライフ・ランこんにちは、株式会社 アクテナブルの宮崎アキラです。
今回は本から受け取った示唆や、そこで登場するキーワードから感じたことをお話ししたいと思います。
今回のテーマは、暇と退屈、浪費と消費についてです。
このテーマをお話しするきっかけになった本は、 国文広一郎さんの「暇と退屈の倫理学」です。
この本にではなければ、暇と退屈という概念について考察する機会は、 人生の中ではなかったのではと思います。
そしてこの本を読んだ結果、暇と退屈という概念を意識することが、 人生を前向きに生きるためのヒントになると感じています。
また、以前の回でお話しした不老体験が人の喜びであるという話と、 暇と退屈への向き合い方には繋がりを感じています。
今回は本の中身の本の一部に触れながら、 私自身も暇と退屈とは何かを改めて整理していければと思っています。
今回も本の中身の一部を引用しますが、 もし暇と退屈と倫理学という本についてご興味を持っていただけたら、
正確な内容については実際に手に取って読んでいただければと思います。
さて、暇と退屈の倫理学の中では、
人は暇の中でいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきかという問いを立てています。
なぜ暇と退屈が人生における重要なテーマなのか。
そこには人類の歴史や人の本能的な欲求、 整理的な欲求が深く関わっているようです。
まず人類の歴史ですが、
人類は定住家と農耕の発達により富の蓄積が可能になりました。
そして、多くの文明社会では、
富を多く持つ者、資本家のみならず、 労働者に対しても良化が組み込まれてきたと本では考察しています。
労働者に良化を与えることが社会の中に組み込まれている、どういうことでしょうか。
それはひとえに、社会を安定させるためでもあり、 労働の生産性を高めるためでもあるのです。
社会の安定のために、民衆・庶民に対して良化の過ごし方を、
その時々の権力者が提供する例を、
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チクセントミハイの「不老体験入門」という本から少し引用して補足します。
まず、パントサーカスという言い回しがありまして、
ローマ帝国が徐々に衰退していく何世紀もの長い間、
どのようにして民衆を満足させたかというと、
身体を満足させるための十分な食糧と、
精神を楽しませるための十分な見せ物を提供することによって、
支配階級は社会的動揺を避けてきたそうです。
ほかにも、約3000年前の時代に、
小アジアの地域で共作が続き、
民衆の空腹が集団の不安を引き起こした際に、
キガに対して王様が採用した計画が、
食糧を食べるのは二日に一回として、
間の日は食糧を渇望しないくらい、
丸一日ゲームをすることだったそうです。
それで18年間を過ごしたとのこと。
人類は定住化によって安定した地域や集団では、
ヒエラルキーによる格差があるにせよ、
金銭的な余裕や時間的な余裕を獲得することが可能になりました。
ただ、金銭的な余裕や時間的な余裕と合わせて、
人は暇と退屈も獲得してしまったようです。
でもそれの何が問題なのでしょうか。
暇と退屈は似ている概念のように思われますが、
暇とは客観的な条件で、退屈は主観的な状態だと本では説明しています。
暇とは何もすることがない、する必要のない時間を指しています。
退屈とは何かをしたいのにできない感情や気分を指しています。
私なりに仕事を例にして例えると、
今仕事がなくて暇だわという会話と、
この仕事退屈だわという会話の意味は違いますよね。
人は本能的に暇と退屈が嫌いであり、
それに耐え続ける体制は持ち合わせていないそうです。
その結果暇と退屈を回避することも、
人が社会生活を維持するための重要な条件になり、
回避するために文明が発達してきたということです。
人類の定住化が暇と退屈のトリガーになっている点をもう少し補足すると、
人類は同じ場所に住み続けて、そこで農耕を行うことで、
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今日明日に消費する必要のない分の食料を作り蓄積することが可能になりました。
そうすると集団の中で働かずとも蓄積された食料をもらうことで生きていける人たちが生まれます。
その人たちはたくさんの時間も獲得することになりましたが、
同時に絶えざる退屈との戦いが始まったのです。
ただ、有史以来の近代に入るまでは、
政治社会、身分制度、権力の偏在、奴隷的労働などにより、
一部の階層や権力者以外の人間に向上的な暇を与えることが許されなかったため、
暇と退屈は人類における大きな問題にはなりませんでした。
その後、近代になり、資本主義や人権の概念が発達し、
個人の自由と平等という概念が人々に浸透したため、
余暇も個人の権利として主張できるようになりました。
そして一部の階層や権力者以外の人たちも多くの暇を獲得していきます。
そして、現代人は暇と退屈を回避するために、
浪費や消費を行っていると本では考察しています。
浪費と消費はどちらも費やすという漢字を使いますが、その違いは何でしょうか。
浪費とは必要を超えて物を受け取ること、吸収すること、
必要なものが必要な分しかない状態では、
人は豊かさを感じることができないので、浪費は満足ももたらすそうです。
人類はこれまで豊かさを求めてきたので、
浪費は豊かさや贅沢さをもたらしてきたと本では説明しています。
私などは浪費と聞くと、これまではネガティブな印象を持っていましたが、
浪費は豊かさの印であると説明されると、
なるほど、そのような考え方があるのかと思いました。
そして、浪費を物を受け取ること、吸収することとするならば、
そこには物理的な限界があり、どこかでストップする。
反対に、消費は観念的な行為で限界がないと言っています。
そして限界がないためストップしない。
ストップしない消費の観念の例に、本では個性を取り上げています。
消費によって個性を追い求めるとき、人が満足に到達することはないそうです。
なぜかというと、個性というものが一体何なのか、
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実は誰にも分からないため、個性は決して完成しないそうです。
なのですが、現代の消費社会では、
消費者は個性的でなければならないという脅迫観念を抱いている。
確かに私もそう感じますね。
集団の中で個性的であるという感情は、
おそらく近代以前の人たちも持っていたと思いますが、
その後の産業革命や文化の発展、
さらにインターネットやSNSが発達した現代社会では、
この個性的であるというメッセージが、
より多くの人々に浸透して、避けては通れないものになったのではないかと思います。
例えば、SNSで個性を主張する際の手段として、
ブランド品の所有や観念の消費をアピールしている例があると思います。
ある架空の人物がSNSに載せたプロフィールを紹介します。
これは私が勝手に作った架空のプロフィールです。
私の好きなものは、
マインドフルネス、
プジョーのSUV、
iPhone、
アディダスのスタン・スミス、
スターバックスのフラペチーノ、
ロサンゼルス・ドジャーズ、
ミュージシャンの湯遊び。
このようなキーワードを聞いて、
皆さんはどのような人物像を想像するでしょうか。
男性をイメージするでしょうか。
女性をイメージするでしょうか。
住んでいる場所はどこの地域で、
年齢は何歳くらいでしょうか。
おそらく性別、年齢、暮らしている地域も、
受け手によってはバラバラなイメージになると思います。
アメリカの西海岸に住んでいるティーンエイジャーの女性かもしれないし、
日本の首都圏に住んでいる男性のビジネスパーソンかもしれない。
または西ヨーロッパに住んでいる主婦かもしれない。
このような固有名詞は、
もはやグローバルの共通言語にもなり、
世界中のSNSユーザーに対して、
自分の印象やイメージを一定伝えることが可能になったということです。
観念の消費や個性の獲得を求めることは、
現代人に限ったことではなく、
近代史以前から程度の差があるにせよ行われているとした時に、
私がポイントだなと感じているのは、
行っていることを楽しんでいるか、
無意識のうちに恐れや不安から消費活動を行っていないのかを、
時折振り返るのが良いのではないかと思いました。
やっていることがもし楽しくなくなっていたら、
それは不老状態ではないとして、
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少し立ち止まって考えてみるのも良いですよね。
あと、消費は生きていく上では、
必要な行為で叫べるべき行為ではないですし、
本でもそのようなことは言っていないのですが、
個性が消費される観念であるという示唆が、
私にとってはとても印象的でした。
そして、私自身の日常生活においても、
意識すべきことだと思いました。
あと、浪費については、
私はネガティブなイメージがあったのですが、
物の浪費が豊かさや満足をもたらしてきたという考察もあり、
当然一部の人が多くの物を浪費して、
他の大多数の人に必要な物が
行き渡らなくなる状態になることを
社会は避けるべきで、
近代以降は飢餓や貧困をなくすように
社会全体が動いてきましたが、
必要最低限の物しか持っていない状態は
豊かとも言えないのかもしれませんね。
何かの時のためのストックや
人に分け与えられる物の所有は
生きる上での安心感や満足感に
繋がるのだと思います。
その代わり、必要以上の物を持ちすぎて
身動き取れない状態や
必要以上の物を持つために
限りある資源を枯渇させる行為は
結局自分たちの首を絞めることになるのですが、
それをうまくコントロールできないのも人間であって、
ESGやSDGsの文脈、
社会の持続可能性というテーマは
浪費と消費に対する問いかけでもあると思います。
さて、この暇と退屈を避けるために
人は経済活動として働くという行為や
社会奉仕、コミュニティへの貢献などを
行っている側面もあると今回改めて思いました。
そして、安住やコンフォータブルゾーンを望み、
それが叶ったとしても満たせない意識が生まれてしまったときに
この暇と退屈という概念を改めて考えてみて
楽しさとは何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。
最後に以前の回のおさらいとして
不老体験の中で定義している
楽しさの構成要素をご紹介します。
自分のしていることに集中している
意識から日々の気苦労や欲求不満が取り除かれ
深いけれども無理のない没入状態にある
自分の行為を統制している感覚
時間経過の感覚が変わるなどです。
ある本とある本の中に繋がりを発見したり
思想や思考の共通点を見つけるのは
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私個人としては大変面白く
そのような個人的な発見があると嬉しかったりします。
また今回の回のようにアウトプットすることで
自分の理解や認識を振り返るので
今後もあまり完成度は求めすぎず
気軽にアウトプットしていければと思います。
今回もご視聴ありがとうございました。
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また次回お会いしましょう。
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