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ワーク・ライフ・ラン。こんにちは、株式会社 アクティナブルの宮崎アキラです。
この番組は、仕事のワーク、日々の生活のライフ、ラーニングのランを中心に、毎回テーマを変えながら、
時にはゲストをお招きして、これからの時代を健康的に前向きに生きるためのヒントや問いをお届けする番組です。
さて、今回はですね、ゲストの方を2人お招きしております。
後藤啓一さんと所健司さんです。どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
じゃあ簡単に一言、ちょっと自己紹介のお願いしたいと思うんですけども、じゃあまず後藤先生の方からお願いします。
後藤でございます。よろしくお願いします。
調査会社に勤めていて、今教職列先生と呼んでいただいたんですが、知的財産教育協会の講師という役割で、
皆さんと知り合うことができたので、そんな風にお呼びいただいてありがとうございます。
今日は楽しみに参りましたので、どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
じゃあ所さんお願いします。
はい、こんにちは。所健司と申します。
2回目のお招きありがとうございます。
私は精密機器メーカー勤務の会社員です。
今後藤先生の話があったので、つながりとした知財アナリストコンテンツの講座の、私は受講生としてつながりのきっかけをいただきました。
今日はどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
お二人とも2回目のご出演ということでありがとうございます。
こちらこそ。
ありがとうございます。
その知的財産アナリストの勉強会で、所さんが取りまとめされている会で、後藤先生もご参加されていて、
そこに私も参加させていただいて、つながりができたということで、
いろんな話をたまにしている感じだと思います。
そうですね、お会いしながら。
今日もまた幅広い話をしていこうかなと思ってまして、テーマを決めてきました。
テーマがですね、働き手にとってのグッドビジネス、良いビジネスは何かというところで、
ちょっと3人で話しながらですね、最後うまくまとまればいいかなと思っています。
何回かにちょっと分けてやっていこうと思っています。
ちょっと手作りでやってみましょうということで。
一応そのグッドビジネスの定義を、働きがい、社会貢献、経済的利益、
この3つが満たせているビジネスをグッドビジネスとしてみたいなと思ってまして、
時代を振り返りつつですね、昭和、平成、令和にかけて、
この働きがいとか社会貢献とか経済的利益、
どこに重きが置かれて働き手というのはビジネスをしてきたのかとか、
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何を動機にして働いてきたのか、
そのあたり社会の変化であったり価値観の変化とかも、
ちょっと振り返りながらですね、ザック・バランに話してみたいと思っています。
早速なんですけれども、私は平成になってから働き始めまして、
所さんも?
私もそうですね、本当に平成になって、
そうですね、少し経ってからですね。
なので昭和をご経験されている、
昭和のサラリーマン時代をご経験されている後藤先生に、
昭和時代どういったところを動機に働いていたかとか、どうですか?
そうですね、昭和を代表できるとは全く思ってないんですけれども、
昭和何年かすら分かりませんが、1989年から90年にかけてデビューしたわけですよね。
一つ感じたのは、若い世代、中堅世代、それから年配の世代、
みんな一つの組織の中で、この組織は大事なのだというのかな、
連帯感を求めていたような気がしますね。
世代間であまり分割していなかったような、むしろ組織のために
一生懸命やる人間なのかそうじゃないかの二択的な感じ。
そんな中で、自分もメンバーとして当たり前のように、
会社に入ったら会社の貢献は当たり前だと。
表現は難しいんですけど、自分の勉強にもなりますが、
無休の残業を全然厭わず、20歳の頃は電車がなくなって仕事をしていて、
それが当たり前ではないんですけど、違和感は全くない状況でしたね。
そこに疑問がないんですよ。
それは自分のためであり、あるいは会社のためであるということで
自分に納得していたのかも分かりませんが、
そのことを周囲にお話ししたとしても、
あまり止まったとか話をするわけじゃないんですけど、
ほぼほぼみんな似たような感覚だったのかもしれないなと。
たまに仕事だけじゃないよね。
俺はヨットが好きでさ、と言って有給をたくさん取っている人がいると、
その時はですよ、今はそうは思わないんですけど、
その時はものすごい違和感がありましたね。
父親がイメージとして、無給で働くことも厭わないという感じで、
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本当に仕事人間というか、それが当たり前だよねという感じで、
自分が子供というか中学とか、だんだん少し働くということをイメージし始めた時に
見ていた父親はそういう、まさにエモーショナルなイメージの感じでしたね。
父親は十数年前に他界したんですけど、
最後は嫁何年というのもわかっていたので、
結構当時働いてはどうだったかという手記を残してくれたんですね。
そこの振り返りがまさに、今後藤先生が言われたようなイメージの話が書いていたなということを聞きながら、
思い出しました。
周りの人の時段話も、どれくらい家に帰っていなかったとか、
あるいは子供が生まれた時に海外に赴任していて、顔見れなかったとか、
中場自慢気なんですよ。
誇らしいというか、それだけちゃんと会社に尽くしているし、頑張っている。
聞いている私も、さすがなんて言ったりして、
みんな基本はそれが。
そういう価値観があって、結局妻から見ると、子供が高校大学ぐらいになった時に、
うちの子は片親で育ったみたいなことを言うと。
その時には自分も多少これで良かったのかなと思ったこともあるんですが、
時代が変わらなければ、自分を肯定的に見ていたでしょうね。
そうでしょうね。
ある意味昭和も知ってはいるんですが、過渡期には入っている感じがしますね。
組織で売上とか利益を一番のモチベーションにして働かれていましたか?
格好をつけて言うと、私も35まで種類は違いますが、
いろんな営業的な業務が多かったんですね。新規事業も含めて。
そんな時に、目標を達成することはチームに評価されることの一つだし、
昔なりの密接な人間関係、上司、部下、同僚の中で、
それをやらないとする姿勢と結果は当たり前のように。
こうして行こうと思ったチームが勝っていくよね、当たり前だよね、そんな感覚ですね。
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売上がこんだけ上がったら給料がこんだけ上がるからとかは、
会社の報酬制度にもよるんでしょうけど、あまりダイレクトには結びついていない感覚ですね。
今の話聞いてて、今って会社のミッション、ビジョン、バイオンとかがすごく大事だ、
経営理念が大事だって文脈ってまたすごく感じてるんですけど、
逆に昭和の頃の方がそれがなくとも、すごくナチュラルにみんな、
会社のためにっていう意識が強かったように聞いてて。
分かります。
逆にそれが弱まったから会社の理念が強調されるようになってきたっていうところもあるんですかね、昨今っていうかね。
弱まっているのはそんな感じはしますね。
特に昭和時代転職の年月がすごく少なかったっていうのもあって。
そうですね。だからやっぱり就寝雇用、みんなそういうナチュラルに思ってたし、
会社で最後まで勤め上げるっていうところがマインドの前提にあるからっていうことですよね。
そうですね。
そういう価値観が、そういうものだっていう共通認識みたいなのが多くの人にはあったという感じですよね。
それを支える就寝雇用みたいな制度もあって。
また退職金の税制優遇みたいな、それを支える法律もあるからね。
そういう働き出す前の学校の教育とかも、方向性とか集団とか、
勤室っていう、同室まで言うとあれですけど、どっちかっていうと一緒に、
行けばチームで一緒にっていう感じですけど、
そういういろんな場面でそういう傾向は、
自分がちょうどその頃、昭和時代で学校に行ってもやっぱりそうだったなと思う、
振り返ると思うぐらいですよね。
それは多分同じ、そのベースで会社に行ってて、
そういう教育を受けてるからみんな違和感はなくて、
会社でも同じ価値観で共有されてるみたいな流れだったのかなっていうのを感じますね。
そうですね、異質を排除するっていうのかな、
そのユニークになりなさいっていうことは昭和時代にも言われてたんですけど、
ユニークになることは大事だよ。
だけど髪の毛金髪で染めてきたら、もうバキバキにやられたし。
そうですよね、制度とか仕組みはそうですよね。
言葉では言われてたとしても、大きく傾向を取られるとすると、
どっちかというと同質っていうとかの集団とかが強いですよね。
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徳郎さんのお父さんはどういうお仕事をされていたんですか?
私の父は製衣系のメーカーキングでずっと、
その中でいろんな仕事をして、開発系の仕事をやってたので、
後で手記を読むと、自分とは比べ物にならないくらい早くに出世してるなって思うんですけど、
そういう価値観でバリバリとりあえずチームの中で結果を、
メンバーと一緒に結果を出して、
まあそしたら一緒に飲みに行ってみたいな、飲むのは非常に好きな方だったので、
好きな人だったので父は。
あんまり家にはいない。
週末も何かやってるなと。
多分仕事やってたんだろうなって感じで。
だからあんまり趣味っていう趣味はその頃に見た覚えはあんまりないかなみたいな感じだったんで。
本当に仕事の現場は見れてないんですけども、
家庭で見えてた雰囲気と後に残った手記を見ると、
もうバリバリの仕事なんでだったんだなっていう。
なんか働きがいであるのかみたいなことを感じることもなくて、
それがもう会社と自分が一連卓賞で、
いい意味で会社で成果を出すっていうことが本当に目標になってるっていうか、
変に疑問を持たないっていうんですかね。
と思うんですよね。
それが自分の人生の、やっぱ手記を振り返っても誇らしげなんですよ。
すごい。
すごい、そこに自分の人生として満足してたんだなって伝わってくるものが残ってたんで。
今でいうと働きがいっていうのを会社にチームで貢献して、
自分はこう出世してみたいなのがすごいカチンとリンクしてたんだろうなというのを感じましたね。
昭和だとバブルが崩壊するじゃないですか。
そのあたりで価値観が変わるとか、会社の雰囲気っていうのはどう変わったんですか。
そこがですね、ちょうど自分はちょっとそれが抜けてしまって、
91年後半から97年まで駐在になっちゃうんですね。
だからそこの流れがストーンと分からなくて帰ってきたっていう感じですね。
帰ってきた時はあれだけ時間を無駄にするなと。
だからどこ行くんでもタクシーに乗れと。
お前19歳くらいだと思ってるんだ。
それほどもらってないですよとは思うかもしれないけど、それが全くなくなっていて。
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これは関係ある会社もどんどん銀座にお客さんと行けって言ってたのが、
社内の地下にレストランを作ってそこに呼べみたいな話になって、そんなことあるんかっていう。
ずいぶん変わってきたなと思いましたね。
ただなんですけど、例えばバブルの時期の前と後って、
投資をしてた人にとってはものすごく大きな変化だったと思います。
会社員として働いてた人間にとっては、そこに就職してるっていう前提でこれ流れが始まってますから、
多少給与だとか仕事に大変さに影響があったとしても、
やっぱりバブルで就職できなかったっていう人と比べると、
全然そのインパクトっていうのは違うんじゃないかと。
それだけに会社に守られていたというか、
今その就職氷河期の人たちがいまだに派遣社員、派遣社員が悪いとは全然思いませんが、
正社員になりたいのになれないって話を聞くと、相当恵まれてたのかなと。
そうすると、駐在だったっていうのもありますけど、
実感として感じにくいポジションにはあったのかなっていう気はしましたね。
本当によくわかるなって感じ。
私なんか就職氷河期まさに当たったんだけど、
所さんはどうでしょう?
2000年頃なんですけど、比較対象がなかなかないんで、
まだ恵まれてたのかな。
私なんかが社会人だった頃は、日経平均がもう1枚切ってて、
それが普通なんですよね。
会社がさっきの制度。
今の株価が信じられなくて、
でもデフレもデフレなんで、
でもなんかそういうもんだと思って。
思いもしですね。
そうですね、その時代に。
でもさらに今の大きい会社は全然高くないんで、
その中で楽しくやってた印象があるんですけど、
お給料安い中でも、世の中もデフレだし、
安いなり仲直ちと楽しくやってたような感覚があったっていうのがありましたね。
ただそうですよね、当時はやっぱりテレビ局とか広告代理店とかやっぱり人気で、
それが今の時代は色々社会問題とかも出てくるって、
すごい変わるもんだなと思いますよね。
お父先生はそうすると、
ITバブル、インターネットバブルとかは、
駐在先で体感されたりとかしましたか?
1990年代?
2000年代頃にITバブルが、ドットコムバブルってやつですかね。
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そうですね。
僕の90年代って、
それこそ上職からランって何か説明しろとか言われて、
スター型がどうのとかね、リンク型がどうのとかね、
と同時にアメリカにインターネットらしいっていうのがあるらしい。
あれ何て言いましたっけ、
学のラスターが出るんですけど、
インターネットを動かすプログラムを多少覚えなきゃいけないなって思ってたら、
いいのあるよって言って、
ブラウザ、一番最初に見たブラウザ、
Nで始まるの何でしたっけね。
ネットスケープ?
みたいな感じの、それが便利だみたいな話で、
で、かたや面白かったのは、
NTTがアメリカの新聞に一面広告バーンってニューヨークタイムズに出して、
インターネットも含めてって意味なんでしょうね、
企業や国や個人を支えるバックボーンっていって、
通信は我々だ、みたいな感じ。
一方で当時は国際電信電話っていう、
KDDIの前のKDDっていう会社があって、
それは国際電信電話なんだけど、
一切そういう発信はしていなくて、
むしろインターネットってネガティブですよね、
国際電信電話、高いお金とってやってたのに。
なんかここらへんで時代が変わるのかなっていう、
兆しがポロンポロンっていう出てる中で、
アルゴアのスーパーハイウェイ構想っていうのが出てきたんですよ。
それをその時聞いて、全然わからなくて、
イメージは分けますよ、
インターネットってものが広がって、
物が繋がって、ビジネスも経済もみんな良くなるんだって、
いうわけですよ。
で、その時はわからなかったけれども、
7、8年前かな、その頃のアルゴアの書籍を買って、
読んだんですよ。
そしたらね、なんか理屈は書いてないんですよ。
Amazonのことも書いてないし、Googleのことも書いてないんですよ。
だけどこれによって経済がものすごく活性化して、
新たな時代に移るんだ。
物から情報の時代に移るんだ。
当たってるな。
政治家ってのはすごいもんだっていうのは感じたんですけど、
本当に始まった。
法学期が90年代初めから始まって、
2000年に突入。
その時に、2000年手前に、
95年、あ、これ95年だな。
おそらく違ってたらごめんなさいね。
1995年に2000年の未来。
ごめんなさい、93年だったかもしれない。
少なくとも1、2年ではないんですけどね。
某有名代理店と電話会社さんが共同で、
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2000年以降の未来について書いてあるんですね。
大体10年後ぐらい。
2005年以降とかね。
ホームサーバーとか図にあって、
今でもはっきり覚えてるんですけど、
こういう時代になるのかと思って。
ただ時間が経ってそれを読んでみると、
一個だけないものがあるんですよ。
それがスマホなんですよ。
一つのデバイスがこれぐらい未来図を変えるのかっていう感覚、感じ。
最初のご質問に戻ると、
ITバップルとか実際に投資もしてない意味だったので、
それがバルプールかどうかは分からないんですけど、
どんどんどんどん社会が変わっていくだろうなっていう予感と、
ポツポツポツポツという事例が出てくる感覚。
それは間違いなくあって、
じゃあITバップル崩壊によってなくなったかというと、
そこは全然感じなかったですね、影響は。
ちょっと個人の意見になっちゃってね、あれなんですけど。
当時やってた人は大変だったかもしれないですね。
いきなり出資がね。
悪影響、財政面で出てきた人。
あるんでしょうけどね。
ありがとうございます。
どんな感じだったのかな?
ITバップルですよね。
全然言葉だけ知ってるけど、イメージが分からないですよね。
転換点みたいなのが感覚としてあったのかとか、
そういうところはちょっと分からないですね。
なるほどね。
でもテクノロジーの変化とか、
やっぱり環境の変化をすごく感じられるお話ですよね、今の。
そこはもう感じてましたね。
ただね、同意は得られませんでした。
なんかすごい時代になるらしいみたいな感覚を共有しようとしても、
なかなかみんな乗ってくれないっていうかね。
それはいろんなチームにはよるんでしょうけどね。
そんな面白がる人もいれば、そうじゃない人も混在する。
そんな中で投資家はガーッといっぱい入れて、
ちょっと期待が大きすぎて、普通に戻ったという感じかな。
じゃあそろそろですね、この回お時間に近づいていきますので、
昭和の時代をちょっと振り返りつつという感じだったので、
また次の回は平成とかレイワンの話をしてみたいと思っています。
この回は終わりたいと思います。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。