やはりその話を色々お聞きできればなと思っているんですけれども、
振り返って社会人になった時に、どういう風にコンテンツ・ビジネスに関わっていたのかとか、
そういったところからですね、ちょっとお話を聞ければなと思っています。
ありがとうございます。
ちょうど私が大学から社会人になる頃、ちょうどインターネットというものが普及し始めた頃でしたね。
日本でいうと、メールアドレスを持っている人が全員ではなかったと思います。
ですのでちょっと私は大学の時代からメールアドレスを持って使っていたんですけれども、
例えば履歴書とかにメールアドレスを書いてみたりとかっていうのは自慢げに書いている感じでしたね。
持っていない人も多分いたと思います。
まだポケベルの人もいたんじゃないかなと思いますけれども、というような時代でした。
という意味で、なんかインターネットとか新しいメディアとかそういうものが来るんじゃないかみたいなことで、
新しいもの好きはそういうベンチャー的な会社に行こうとするし、
いやいやそうじゃないよっていう人もいました。
そっちの方が多かったと思いますね。
私はたまたま一番最初の会社がディレクティビーという会社で、
今もアメリカにあります衛星放送の最大手といえば最大手なんですけれども、
日本に進出していきますと。
日本で会社を立ち上げて放送しますというタイミングでした。
ちょうど日本がデジタル衛星放送というものですね、
他チャンネルの時代に向かっていく始まりだったものですから、
そういうのを見ててこういう仕事をしたいなというふうに漠然と思っていた。
ある日新聞を読んでいたら、
そこに求人団がありまして、人を募集しますと。
中途採用募集って書いてあったんですね。
こんな会社で働きたいなというふうに思って、中途採用募集って書いたんですけど、
そこに履歴書と手紙を送ってみたと。
そしたら面接をするという連絡があって、
面接をしてトントン拍子に決まっていっちゃったというようなことでした。
あとからなんでなんだと聞いてみたら、
立ち上げたばっかりの会社でとにかく忙しいと。
猫の手も借りたいと。
そんなところに中途採用募集というのを出しているのに新卒が応募してくるなんて、
そんな変なやつ会ってみたいというふうに役員が言って、
そこから面接することになったというふうに聞いておりまして、
この話は何回かはしているんですけども、
やってみるもんだなというところが私の社会人として一番最初原点というか、
できないと思い込むんじゃなくて、
まず応募ぐらいはしてみようかというところから、
プライドぐらいはしてみようかというところからスタートしたということで、
コンテンツ業界に入ろうと思ったというよりは、
何か新しいことをやってみたかったし、
そういう考え方で人を採用したというその会社がすごい好きになったという感じでしたよね。
そういう役員が好きだったというかもしれないですね。
今だったらちょっと不公平ではないかとか、
応募要項とは違うのではないかと言っちゃうのかもしれないけど、
やっぱりそういうふうに考えてくれたというのは感謝していますし、
そこでその役員じゃなかったら、
違う役員だったら違ったのかもしれないし、
その人もその後すぐ立って退任してしまうんですけども、
そうじゃなければ違ったのかもしれないので、
すごく運命的な就職だったという感じですね。
そこからコンテンツ業界に入ったという感じです。
最初から堅破りな感じですね。
そうですよね。そういう言葉で言えば堅破りですよね。
確かにね。
これをあまり言っちゃうと、大学生とかの前で言っちゃうと、
みんなやり始めちゃうと絶えながらちゃうんですけど、
応募するくらいやってみたらというふうにアドバイスはしたいですけどね。
そこと新しいもので自分のアンテナに入ったんですね。
そうですね。
今ではインターネットがありYouTubeがあり当たり前の時代ですけど、
当時は東京で育っている私がすればNHKからテレビ東京までのテレビを、
時間になったらテレビの前に行って、たまにはビデオカセットで録音して、
録画してみたいな生活をしていたわけですから、
そこに100チャンネルというテレビがやってくるというのは、
何のことがよく分からないというか、
どんな状況なんだろうということにもワクワク感しかないという感じですよね。
実際に入ってみて業務的なところはどういったところをやられたんですか?
大混乱でしたけど、一番最初は一応広報というところに入ったんですけど、
猫の手も借りたいのですぐに広報から雑用から何かのすべてやってましたけど、
その後ですね、比較的すぐ番組調達というか買い付けですね。
いわゆるたくさんあるチャンネルの中に番組を買い付けていくということとか、
新しいチャンネルの立ち上げのサポートですね。
いろんな方々が放送なんで免許を申請してチャンネルを立ち上げていくんですけども、
そのサポートをプラットフォームとしてもしていたということで、それをやってましたね。
コンテンツ業界にあまり関わりがない方だと、
番組を調達するということがあまりピンとこないというところもあると思うんですけど、
それはでも入ってみて、そういうふうにある仕入れみたいな感じで、
コンテンツを仕入れてというのを体験したという感じで。
そうですね。変な話、今思えばコンテンツの調達というものを、
そんなに放送のためのコンテンツの調達をやっている人って世の中にいたのかというと、
あまりないんですよね。
自分の先輩たちもすごくベテランではなくて、ある意味見よう見わねでやっていた部分もあると思うんですよね。
そうなんですね。でもその順番は良かった感じですかね。逆だと大変そんな感じもするんですけどね。
日本のやり方に慣れている会社からアメリカ式のベンチャーに行くよりも、いきなりそっちの方の形に入っていって。
どうなんでしょうね。若かったからいいんじゃないですか。
今逆にやられたら、今ずっと純正日本企業で来て、ある程度年になってベンチャーに行けとか外資に行けというのはきついかもしれないですね。
若い時はもう最初の会社ですから、それがまずそうだって思っているし。
実はベンチャーな外資じゃないんですよ。ベンチャーと外資の語弁なんですよ。
外資の方は実はすごくアメリカのトラディショナルな会社なんですね。もともとね。
衛星の会社ってアメリカのすごくコンサバな会社なんで、その会社と日本のベンチャー企業の語弁だった。
だからベンチャーな会社ではなくて、ベンチャーと外資だったんですね。
だからこの二つが対立するんですけど、ずっと半分半分になっているという感じがする。
そっか、じゃあ中でいろいろやっていっても、最終的に親会社に話を通すところが結構大変なんですね。
そうですね。だからCFOっていう言葉が当時そんななかったと思うんですけど、こんな強いんだってアメリカで言うとっていう感じですよね。
本当にCFOが通らないと何も通らないっていうぐらいCFO強いけど、日本ってあんまりそういうのなかったじゃないですか。
最近は違うかもしれないですけど、CFOに該当する人、昔はですよ。
CFOに該当する人を説得できなければ基本的には何も通らないっていう。
社長がOKでも通らないっていうぐらい強いですよね。
ファイナンスがすごく大事っていうか、そういうのはすごくアメリカ企業の特質かなと思いますし、
ベンチャーだともう何かガバナンスとかもあんまりないっていうか、社長が行くって言ったら行くみたいな、そういう考え方ですよね。
面白い、すごい状況ですね。
そこから日本の会社に移ると中間ぐらいの感じになるっていうところはありますよね。
最初の会社とか、スカパ時代とかはどういったコンテンツを調達したり世に出してたんですか?
いわゆる従来のテレビ局ではできないことをやるためにあった会社なので、
いわゆる地上派のテレビ局でマスに向けて番組を作っているというわけではないということと、
わかりやすい例で言うと、例えばプロ野球なんかは、いわゆる選手が出てくるところから終わるところまで全部放送するとかっていうのはなかなか地上派のテレビでは実はやってないことですよね。
そういう普通のテレビ局ではできないようなことを、地上のテレビ局ではできないようなことをやろうという、全てのジャンルにおいてやろうというのが衛星放送だったという感じですよね。
そういうことですよね。だから収益のモデルが違いますもんね。
そうですね。お金をもらって放送するということですよね。
だから加入者数みたいなところはKPIという形ですか?
そうです。加入者数です、基本的には。
どういったコンテンツだと、加入者が増えるとか分析とかもやられていたわけですか?
そうですね。当てながらやっていくという感じですよね。当てながらやっていくので、もちろんそういう分析というか、
これはやったらうまくいった、これやったらうまくいかなかったというのを繰り返していくという感じですよね。
映画はある意味10本投資して1本ヒットが出て回収するというイメージだと思うんですけど、
その衛星放送はもうちょっとそれが1本1本で収益を見ていくみたいな、どういう感じなのか?
これが面白い話なんですけど、いわゆる当時って選択肢がない中にいたわけですよね、皆さん。
テレビでいうとNHKからテレビ東京まで並んでいるという、大体そういうことですよね。
そこから急に100になるということになるわけじゃないですか。まだインターネットもそんなに動画がある時代じゃないんだよ。
そうするとどちらかというとたくさんあることが価値なんですよね。
なるほど。
そう、当時は。だから1本1本がっていうよりはたくさんあってあなたは何百チャンネル見れるんですよとか、何百番組見れるんですよだけでいくらなんですみたいな売り方だったりとか、そこに価値を普通に見出してましたよね。
それが当時は2008年とか2000年くらいからですけど、これから数十年たってきて、もう今なってくるとたくさんあることが価値ではなくなってきて、
ちゃんと自分の見るものが自分のライフタイムの中にきちっとはまっているかどうかということが問われちゃってるっていうことですよね。
そこがやっぱりこうだんだんだんだん価値も変わってきて、当たり前なんですよね。人間は24時間しかないので、24時間のテレビが見れる時間はこの時間で、そこに自分の見たいものがきちっとはまっていて、それに対するお金。
当時はそういうことよりも選ぶってことの楽しさだった。見てないんですよ。見てなくても選べるってことに対する価値っていうことにお金を払ってたっていうことが強いんじゃないですかね、後から考えると。
言われてみて本当にそう思います。だってもう選べる放題ってものがちょっと興奮するというか、それがもうできるっていうのが価値ですね、確かに。
食べ放題ってブワーッと職員が並んでるんだけど、全部食べないけど、ブワーッとまず並んでることがすごく嬉しいっていう。そこですよね、たぶんね、その頃って。
そういうことですね。とにかくコンテンツを集めていかなきゃ。
集めた、集めた、集めた、集めた。
集める、作るもあったと思いますけど、集めるって感じですよね。
大変そうですね、それはそこで。
大変、大変だと思ったことも当時はなかったんですよね、いけいけって感じで、若いし。
その頃は20代とか30代とかの頃の、その頃はもう会社もどんどん成長していってという感じですか。
成長してるっていうのは加入者の数が増えていますっていうことで言うけど、当時は赤字もすごかったっていう感じですよね。
だからずっと掘って、しばらくはずっと掘っていくわけですよね、今の携帯電話じゃないですけど。
しばらく掘っているわけですけど、掘り切るまでのところをずっと掘っているときっていうのはとにかくお金を使っているので、
今の時代よりも景気が良かったっていうか勢いがあった時代なのかもしれないですけど、お金を使ってましたよね。
なんかその頃サブスクっていう言葉ってあったんですかね。
いい質問ですね。だから僕は外資に行ったじゃないですか、一番最初っていう話。
それはアメリカの会社だからサブスクリプションっていう言葉をアメリカから来てました。
社内では使ってました。ただ一般的にはなかったと思います、日本には多分。
そういう意味で言うと日本の会社にその後移るじゃないですか、2年後に。
そこでサブスクリプションってことはもしかしたら使ってなかったかもしれないですね。
なんかやっぱり私の感覚だと、サースとかソフトウェアの業界の方でずっとサブスクリプションっていうのを触れているので、
なんか日本だとやっぱりそっちの方から広がっていったような完全な妄想なんですけど。
ソフトウェアの業界はサブスクっていつから使っているんですか。
サースっていう売り切りじゃないモデルがやっぱり主流になってきたアプリだと思うので、
でも多分10年くらい前ですね。
そうですよね。だからサブスクって言葉がどこで一般まで浸透したかわからないですけど、
だからアメリカではサブスクライブっていう英語があって、サブスクリプションっていう英語がありましたよ、いろんな説明書きの中ではね。
日本ではいつ使ったんでしょうね。ちょっと覚えてないですけど。
その当時でこれは何か言える範囲で大変だったなみたいな苦労話とかって思い返すと。
大変だった苦労話。何でしょうね。細かいのはいくらでもあるんじゃないですかね。
ちょっと苦労話じゃないですけど、一番大きかったのは日韓ワールドカップを全部放送しちゃったっていうことですかね。
こういうのがやっぱりたくさんチャンネルがある会社だからできたっていう感じですよね。
それが面白かったですかね。あれ何試合だったんだかな。
予選から最後の決勝戦まで全部。
予選じゃないですよ。トーナメント全体ってことですね。全部を生中継するっていうことですかね。
ものすごいお金が動きそうですね。
ものすごいお金が動いてますね。検索してもらうと出てくるかもしれないですけど。
ただお金が動くっていうよりは、そんなことできるんだっていう。そういう感じでしたけどね。
でもこれも面白いもので、誰が全部見てるのかって話なんですよね。
全部見てるわけじゃなくて、やっぱり日本だけを見てるとか、何々選だけを見てるとか。
皆さんいろんな見方はあるんですけど、全部やってるっていう。
日本選だけじゃなくて、知らないチームと知らないチームの試合も含めて全部やってるっていうことが面白かったですよね。
思い出しましたね。地上派で言えば、当時民放が第2戦、第3戦、第2回戦って組織があったんですね。
富士の亀山さんが、亀山さんみたいな。
そういうふうに、キーとなる試合は民放でやるんですけども、それじゃない試合も全部やってるっていうのが初めてでしたよね。
苦労話っていうわけではないですけど、あまりにも規模が大きいので、社内総出でやってましたよね。
私サッカー担当ではなかったんですけど、あまりにも規模が大きいから、ニーズ足りないから、全員総出っていう感じで。
どこかの試合に全部張り付けられていくっていう、担当として張り付けられていくっていう感じでしたね。
懐かしいし、それはでも一大イベントですね。
一大イベントでしたね。
話し逸れちゃいますが、よく言うんですけど、あの当時海外勢って3人しかいなかったんですよ。
中田、稲本、小野。
あとは全員Jリーグから。
今、ほぼ全員海外勢っていう時代が来てるので、20年経って、2002年に一貫ワールドカップですから、
20年経って、20年経って、全然変わったんですよね。
置かれている環境が、日本人のレベルって。
全員がヨーロッパから集結してというか、ほぼJリーグ誰なんだっていうくらいじゃないですか。
ヨーロッパから集結して、今代表としてやっていると。
当時はヨーロッパから来ているのは3人しかいなかったっていう。
おそらくヨーロッパでやっている人たちと見ている雰囲気は違うでしょうから、進化していったんだなと思いますし、
今代表でやっている人たちが、生まれた時にもう衛星放送があったわけですよね、きっとね。
つまり海外サッカーを見れた環境にあったんですよね。
私が子供の頃は当然海外サッカーなんか見れないので、三浦和がセリア行ったらしいよ、みたいな。
でもフジテレビの深夜とかにちょこっとやってるとか、そういう感じですよね。
ちょこっとやってるって。
そこだけちょこっとやってる、みたいなのじゃなくて、当然今サッカー選手になりたいと思っている子供たちは初めからプレミアリーグを生中継で見ることができるっていう時代ってすごいなと思うので、
そこはメディアのすごさっていうか、そういう子たちをきっと間接的には育てているんじゃないかなっていう気がしますけどね。
子供の頃からプレミア見てるわけですから、スピードが違うわけですよね。
それは多分他のスポーツにも。
大リーグは難しいのは時差が非常に良くないんですよね。午前中になっちゃうんですよね。
なかなか見れないんですよね。
なんですけど、ヨーロッパは深夜なので、ちょっと寝過ごすというか、夜更かしをすると見れるっていう。
中高生は大リーグ見づらいですね。
そうなんですよ。そういうのは大きく影響するかなと思うんですけど。
テレビで子供たちがどんどんどんどんそういう海外の試合、レベルの高いものを見てもらうとですね、
やっぱり違いますよね。頭の中でそのレベルになるわけですから。
そういう時代の子たちが多分今もう代表になっているんだろうなというふうには思いますけどね。
今ってインターネット放送がやっぱり世の中にすごく広まっていて、
インターネットだと回線が安定しているとか、ラグとかそういった技術的なことをやはり大分変わってきていますけど、
衛星放送というのは当時振り返るとその辺りの通信環境とかそういったところの効く場合とかはどうだったんですか?
衛星放送も今でも実は数秒のラグはあります。
やっぱり宇宙まで行って帰ってくるので、2秒から3秒、長くて4秒弱ぐらいのラグは生じますよね。
でも今でもインターネットより衛星の方が早いですよ、そういう意味でいうと。
視聴者数が増えることによって、インターネットだとちょっと重たくなるに心配あるんですけど、衛星放送というところは?
全くないですね。それが電波の強いところですね。
やっぱりそうですよね。
だから限られた土管の中に詰め込まれているわけじゃなくて、1対Nでいくらでも別に見れます。
たくさん見たから画質が落ちるとか、そういうことは全くないですね。
だからアメリカでやっぱり普及したのはそういうことですよね。
国土が広いということで、一気に空から降らせるっていう。
アメリカの田舎に行くとすごい巨大なアンテナをこうやって庭に置いている方がいらっしゃいますけど、
そういう日本よりもアメリカの方が普及したっていうのはそういうことだったり。
南米なんかも未だにやっぱり強いのは、やっぱり上から降らせた方が効率がいいっていうことですよね。
本当にすみません、勉強不足でした。
アメリカからやっぱり衛星放送っていうのがどんどん世界に広がっていく。
そうですね。だからアメリカだったり南米が一番早く普及していたんじゃないですかね。
小見先生はそういう時代を経験しながら、
自分の専門的な分野っていうか、ある意味専門性みたいなところで、
いつ頃から段々と方向性が決まっていったとかっていうのはあるんですか?
そこから映画とかの制作なんかにも関わるようになっていって、
実は一回転職をしますと。
そういう時にソニーピクチャーズという会社に移るんですけども、
ソニーピクチャーズっていうのはハリウッドの、
ソニーという名前についてますけども、
もともとソニーが買収したコロンビアピクチャーズという会社の
ハリウッドのスタジオの一つということで、今でも大手スタジオですけども、
そこで日本のコンテンツを日本で制作をしたり調達をして、
それを実は一回ロサンゼルスに持っていって、
ロサンゼルスからグローバルに廃棄をするという仕組みなんですね。
それをやっている時に結局、ロスを起点に動いているので、
ロスの契約書っていうのに盗収しなきゃいけないということになってしまい、
その時に初めてアメリカの契約の仕方と日本の契約の仕方の違いを学ぶわけですよね。
それを埋めなきゃいけないと。
一回今申し上げたように日本のコンテンツだろうが何だろうが、
ロサンゼルスに持っていって、ロサンゼルスからグローバルに廃棄をするというためには、
こういうふうにやってくださいっていうロサンゼルスからドーンと来るわけですよ。
それと日本で普段使っている契約書があまりにも違うっていう。
これを誰がやらなきゃいけないという時に、
ロサンゼルスからコンテンツを押し付けられたということで、
みんな契約書嫌いなので、やっといてよって言われたのが初めだったと。
いきなりでもそのふうにお願いされて、
それが実務的に自分の中で大丈夫だなって思えるまでどのくらいの時間かかるんですか?
どうだったですかね。
でもどこかで好奇心があって、
アメリカから来るほどハリウッド式の契約書って何を書いてあるんだよ、こんなに厚いのにって思って、
大きな会議室を取って並べたことがありますね。
並べてましたね、ずっと。
ごみんがビューティフルマインドやってるとかって言われてたんですけど、
ビューティフルマインドって映画があるんですよ。
知ってる方がそこで数学者が紙を並べるっていうシーンがあって、
たまたまクールジャパンが大きく日本で動くということで、
どちらかというと、アジアにコンテンツを出す仕事を
スカパワーだったりとか、
実は総務省関連で日本のクールジャパン戦略をやっている会社があったので、
そこと同時に2つ兼務でやるという形で、
所属はスカパワーに戻ったと。
戻ったというふうには思われちゃうんですけど、
僕としては全然違っていて、
スカパワーに席を置いているんだけども、
クールジャパン戦略の仕事をしているというのと、
スカパワー自身もアジアにコンテンツを出すという仕事をやり始めたということで、
そこからどちらかというと、アジアを見て仕事を始めたというのが2014年ですかね。
2014年に再びスカパワーに席を置いたということになります。
クールジャパン戦略はアニメとか以外にも別のコンテンツというか、
そういったところとかはやられたりしたんですか。
クールジャパン戦略というのは内閣府を中心に横軸を通してやっているので、
いろんなものを日本のものを出していくというのは総称で言っているんですよね。
私がいたのは放送という分野で言うとテレビ番組になります。
テレビ番組をできるだけ多く海外に出すというのをサポートするという仕事をしていましたね。
売れているものは良いんですけども、やっぱり地方局の番組とかそういうものですよね。
まだインバウンドが何千万人目標みたいなそういう時代だったので、
今みたいに来て来て困っています、来すぎていますということではない時代だったので、
まだ目標は2千万人とか3千万人とかって言っている時だったので、
日本のコンテンツをより一個でも多く海外に出して、
日本が好きになってもらって日本に来てもらいましょうというのが大枠の戦略だったんですよね。
ゴールというかインバウンドを目指してのコンテンツの配信というか。
そうですね。
そうすると選ぶコンテンツの選び方もまたそういう視点になる。
そういう視点も多かったですよね。
政府として支援をしていくのはそういう旅番組みたいなものとか、
ローカルを紹介する番組とかそういうのが非常に多かったですよね。
今は聖地巡礼でロケ地面というのが本当にメジャーになったというか、
皆さんやられる遊び方ですけれども、その頃そういうのってあったんですか?
聖地巡礼をイメージしてコンテンツを出すみたいな。
そうですね。アニメなんかはあったんじゃないですかね。
ただそうですね、あったと思いますね。
これはクールジャパンではないですけど、
ラブレターという、亡くなった中山美穂さんとかが出てらっしゃる。