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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、ブロードマインド株式会社代表取締役社長 伊藤清氏様でいらっしゃいます。
経歴の方をまずはご紹介させていただきます。
大学卒業後、日本電機に御就職。その後、スポーツインストラクターを得てソニー1000名に転職。
ソニー1000名で活躍後、このブロードマインド社を創業されていらっしゃいます。
そして、2021年には東証グロース市場、旧マザーズ市場へ上場されている上場企業の社長様でいらっしゃいます。
伊藤社長様、本日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますでしょうか。
出身は東京生まれ渋谷です。
渋谷ですか。金持ちっぽい雰囲気ですが。
3、4歳まで。
3、4歳まで。
小学校も渋谷ですか。
小学校は3、4年なので、小学校は練馬区です。
小学校時代はどんなお子さんでいらっしゃいましたでしょうか。
そうですね。小学校1年の頃に、今でも母も亡くなっていて、母が公認の時に手術がうまくいかなくて亡くなっているのですが、
父は現在で96歳でおりますが、1年生の頃に離婚をしまして、最初の1年は練馬区の小泉の小学校に行っていたのですが、
同じ練馬区に転校をしまして、母方のものに私は着いたので、そこで簡単に言うと、2年生の時に転校をして、
最初の1年間は竹内だったのですが、3年生から伊藤里の名前を身をよく変えました。
僕がその時は運がよかったと思ったのは、普通変わると、私58歳なので、当時で言うと結構いろいろいじめられるとかってあるのですが、
周りが身をよく間違えたら罰金とかいろいろ協力していただいて、非常にスムーズに身をよく変更ができて、
その後、5年生くらいから活発な子供になりまして、ある時は男組を作って、好きな女の子の名前かけとか、
いろいろなアンケートを取らせたりとかをやったりしながら、小学校の朝1番に学校に行って、
陣地取りをして、みんなを取りまとめて、ドッジボールだ、野球だ、何だしていました。
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学校が終わると、野球の道具を持って集まって、他の小学校に待ち伏せして、
野球の試合をよくよく自転車で申し込みに行って、その場で承諾を得て野球の試合なんかをやっていたと。
そんな活発な人間だったと思います。
ただ、学級委員とかそういうのが好きではなくて、率先して、私育委員とか体育委員とか、
そういうのをやりたくないので、責任を置いたくないのか分かりませんけど、
自ら率先してトップに立つということは好んでいなくて、知らない間にそうなっているという方が正確的には好んでいたような、
そんな小学生だったと思います。
学期代表的な感じになりますか?
そういうことになるのかもしれないですけど。
中学時代はどんなことしてすごい人だったと思いますか?
中学は正直小学校4年から塾なんて、当時早いんですけど通わされていまして、
好きじゃなかったと思うんですけど、ちょっと帰るなんて言われていたんですけど、
中学に入ると、自然と分からないですけど、勉強するようになりまして、
勉強に対して貪欲になったわけですけど、そこでも野球部に入って過ごしたわけですけど、
そういう中で、一つの大きなエピソードで言うと、変な自慢話になりますけど、
内心は50万点値45、6はあったものですから、それなりの都立高校でもトップクラスの方向に行く予定ではあったんですが、
僕の人生を一つの第一回目の最大かな、ここで大きく変わったと思うんですけど、
当時中学3年生の時にお付き合いした女の子が、変な話ですけど、あまり先生に良くなかったものですから、
どうしても一緒の学校に行きたいということを言われまして、僕も当時、今思えばバカな男だなと思いますけども、
先生にちょっとランクを下げて、推薦で野球部に行くというような適当な言い訳を説得しまして、
友達にもなんでそこに行くんだと言われましたけども、結局そういったことで、
彼女と同じ高校を選ぶという道を歩んだと。後は中学時代は運動も好きでしたし、活発にみんなと仲良くできた、楽しい時は過ごしたということは間違いないですけど、
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唯一のお手はそこですかね。
優しくて表になったという、こんな感じでいらっしゃいますか。
中学の時は結構、バレンタインとかはいろんなものをもらったという経験はあります。
なるほど、羨ましい関係でございます。高校時代はどんなことをして過ごしたかと思いますか。
高校は高校で、当然ランクを下げていってますので成績は良かったんですけど、ただ先ほどの彼女は当時野球部に入りまして、
違う、野球があんまり強くないのでバスケ部に入ったんですよ。運動神経自分で言うのは良かったので、1年生で僕はレギュラーになれたんですよ。
1回大会に出て、でもやっぱり野球が忘れられなくて、2学期くらいから野球部に移りました。野球部に入っても1年生からベンチ入力ができました。
ただ野球部の方が忙しかったので、せっかく一緒に行った彼女と2学期の途中で別れました。
そこから僕もだんだん順応性が良ければ良いということで、学業のレベルも徐々に下がっていったのか分かりませんけど、多分そうだと思います。
当時行くところに行っていると、全員が間違いなく東大だ、ひとつ橋だとか目指すような学校だったんですけど、
僕が彼女のために行った学校というのは就職する人間もいれば、専門学校に行く人間もいれば、いろいろいったものですから。
僕も大学に行く人間も就職する人間ともいろいろ仲良かったので、ある意味非常に社会勉強をさせていただいたし、楽しい生活をさせていただいたものの、
ひとつ言うならば、そこで学校選択が、間違いとは今になって間違いではないんですけど、そっちに行くとまた別の人生があったと思いますし、おそらく起業していなかったんじゃないかなと思います。
高校時代に、ちょうど高2の頃に、当時僕は17歳ですが、短席の手術で母が入院しまして、衰がわずに脳死になりまして、そこから脳死状態が2週間ずつなくなったということで、僕は身寄りがなくなるわけですけど、
高校を辞めようかなということも考えたんですけど、ちょうど姉がイギリスの大学に行ってまして、日本の大学からイギリスの大学に行って、そのとき姉が戻ってきて、そこから2人で暮らすようになりました。
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そこで、そのときはまだ別れた父とは、僕は面会はしていませんけど、姉が父親の方に引き取られましたので、姉が戻ってきて、近くの親戚の近所に住むようになって、後が高校卒業して大学まで行けるということになりました。
先ほど言ったように、そういう学校に行きましたので、自然と僕もそこでランクが下がったので、大学も何の知れた大学に行っているわけではございません。
なるほど、ありがとうございます。大学時代はどんなことをして過ごしたか?
そうですね。正直言って、当時姉だけだったので、アルバイトもしなければいけませんし、とにかくいろいろなアルバイトをしました。
職人さんのアルバイト、例えばポンプ屋さんという建築現場のセメントを流し込むバイトから、クロス職人からペンキ職人、いろいろな建設系のバイトもしましたし、青山の方の今でもやっていますけど、非常においしいコーヒー屋さんがありまして、
このコーヒーがネルドリップといって、コーヒーはサイフォンドリップとかいろいろあるんですけど、このネルドリップが腕がいいという、一番いいコーヒーが落ちると言われているんですけど、
このすごい厳しいコーヒー屋さんで、学生時代に2年続いた学生が一人もいないという中で、しっかり学生時代に続けさせていただいて、ミスするとお客さんの目の前で怒られて、そこで立っているとか言われるそういうお店で、
カップもリチャード・ジノリとかロイヤル・コペ・ハーゲンなんで、それもあったら当然高いですけど、当時時給600円が700円ぐらいだった時に、ミルクピッチャー割っても罰金が1000円で、そんな中なんとか頑張ってコーヒーまで落とさせてもらえるようになったというところで、
それがすごく勉強になって今でも役に立っているのは、そこに来るお客さんが建築家の方とか、エンジニアの方とか、アパレルの方とか、いろんな業種の方が結構一人でいらっしゃると。
そういう中でカウンターでお話をしていると、当時僕も学生で知識もそんなにないので、ちょっとした合図知識が打てなかったのが、これちゃんと一人で来ているお客さんに対してもう少し話ができるようになったら、もっとそのお客さんが喜んで来てくれるかなという思いもあったので、
今じゃスマホだとかすぐ調べられますけど、そういうのありませんので、その中の会話でよく出てくる専門用語を含めて全部メモして、毎日それを調べて、次回はこれに答えられるんですよということを学生自体は繰り返したと。
これは本当に非常に、今でもそうですけど、いろんな業種の方とお話しするときに、雑学といいますかね、そういうものが営業面も含めまして役に立っているなというふうに今思っていまして、それ以外には僕スキーのインフラクターを持っているので、スキー場の冬場スキー場のバイトとか、スキーの天井員のバイトとかというのをやって過ごしていたという感じですかね。
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もともと勉強熱心でいらっしゃるんですね。
どこか変わったんですけど、きっかけはちょっとわからないですけど、特に数学とか、科学とか物理とか、中学で言うと理科とか、理科第一分野第二分野、この辺は好きで、どちらかというと古典というのは僕は好きじゃなくて、
これもやっぱり今更ですけど、私はいろいろなお客さんとお話ししますけど、もっと楽しくわかりやすい授業をしてくれると、多分、もっと僕は成績が良かったのかなとは思ったりもします。
なるほど。ありがとうございます。
新卒で日本電機にお勧めになって、いわゆるエンジニアプログラマーですか、そちらの道なんですが、なぜそちらの方にお勧めになったんでしょうか。
これは本当に、今弊社は新卒を毎年採用して、今は毎年40名ぐらい採用しているんですけど、今の学生って、僕はどちらかというと偉いなというかすごいなと思うのは、工学部だろうがそこで関係ない仕事を選んで選択したりしている姿を見ていて、
僕は理系イコールそういう道しかないという風にしか思っていなかったので、そっちばっかり見て就職活動をしていて、結果的に言うと、その仕事が楽しかったかというと、やはり僕の今の性格で言うと、頭は数字のストレスとか全くないんですけども、でも話すのも好きだし、
僕の憧れているソニーの森田さんも理系で、だけど話すのも上手、人の後描きも上手という意味では、森田さんの足元にも及びませんけども、僕はそういう形態でいたいなという風には思いました。
なので、四年期も当時、今じゃ考えられないんですけど、残業だけで185時間ありましたので、要するにバグを探すのに3日が徹夜とかこんなのがあって、半年くらい経ってできたのが、大きなコンピューターの半導体のイコという中で、それが楽しいという人もいるんですけど、僕は誰にも感謝されないし、
これはちょっと僕の中では20年30年続くと、僕としては厳しいと判断して、半年ちょっとで、今で言うと辛抱がないと言われるかもしれないんですが、これを決して真似をしなさいとは僕は言いませんけど、私はそういう判断をして踏み切って退社をしているということです。
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ありがとうございます。スポーツインストラクターに転職なさったというふうにお書きいただいているんですが、これはスポーツインストラクターにどういう系のスポーツインストラクターですか?
これはですね、スポーツインストラクターが一番やりたかったかというと、要するにスポーツ系の仕事をしたいなというのが一番最初で、なんで僕スキーもインストラクターも持っていたので、例えば当時ロシニオールという板がすごく流行っていましたね。
これを生産しているのが三井物産スポーツというところだったんですが、当時そこを受けたいなと思ったんですけど、なかなかそこは空きが出ないと募集がかからないということだったので、そんな中でスキーも教えたりしてやっていたものですから、身をもって直接的に感謝をされる仕事だったので。
そういう仕事ってなんだろうと考えたときに、当時日清聖堂というお砂糖会社、ここの僕が就職したんですけど、ここが日本で一番最初にスポーツクラブを導入した会社でございまして、今ではもう考えられないですけど、ダイビングプールなんていうのも水深11mのプールがあって、世界最大級なんてこんな施設もありましたし、
ちょっといやらしいですけど、どうせスポーツクラブのところで仕事をするなら、上場していて安定した会社がいいだろうという意味も含めて、唯一上場しているスポーツクラブが当時日清聖堂株式会社の横浜開発本部という部署の募集がありましたので、そこで第二の社会人生活が始まるということですね。
その時の、今覚えてるんですけど、小論文的なものは、仕事と生きがいという題名だったんですけど、テストが終わった後、周りの人とちょっと仲良くなりまして、どんなことを書いたという話をすると、みんな仕事を生きがいにしたいって書いてあったんですけど、僕だけは文の頭に、私は仕事を生きがいにしたくありませんって書いてあるんですよ。
ただ、いろんなことを教えることによって、いろんな人を感謝されることによって、もっと勉強して感謝されたいなとか、そういう人をもっと幸せにしたいなという気持ちになった時点で、初めてそこで勉強し始めて、その時点で生きがいになっていくということは当然書いてますけど、そんな変わってたっていうんですかね。
そこで西伊勢島に入って、スキーはダイビングインストラクターと、スキーはインストラクターと、冬はスキーツアーを企画して、スキーのインストラクターをやってたという感じですかね。
今わかったことは、私の先輩でいらっしゃいまして、びっくりしました。
私、ドゥスポーツプラザで、スイミングインストラクターで、バイトで大学時代4年間やってますので、新宿と晴海でやってましたので、おさらく後ほどインタビューがあったらちょっといろいろお聞きしたいと思います。
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本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく、文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、皆さんの会社経に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
ウェブサイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、経営ノートのサイトをご覧になっていただければと思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。