林良太の経歴
社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社Finatextホールディングス代表取締役社長CEO 林良太様であります。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。東京大学卒業後、イギリスグルヒトル大学にお住まいになっています。
その後、ドイツ銀行のロンドンに入社。その後、ヘッジファンドを経て、株式会社Finatextを創業。現在の株式会社Finatextホールディングスさんも創業されていらっしゃいます。
2021年には、東証摩雑、現在のグロース市場に上場されている上場企業の社長様でいらっしゃいます。林社長様、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますでしょうか。
茅ヶ崎ですね。育ったのは茅ヶ崎です。
神奈川の茅ヶ崎ということですね。小学校時代はどんなお子様だったなんて思いでございますでしょうか。
そうですね。小学校のときは、わりと茅ヶ崎、私が小学校のときって、今は39なんで、30年前くらいですよね。
茅ヶ崎でも内陸の方に住んでたんですけど、わりと虫とか生き物とか結構多かったので、公園行って、学校行って、すごい楽しかった思い出がありますね、小学生のときは。
めっちゃ勉強したイメージはないですけど、どちらかというと、今はあんまり見なくなったと思いますけど、公園で友達と遊んでみたいな、すごい楽しかった印象があります。
充実して小学校を過ごしたなっていう印象ですね。
わりと野原を駆け巡ってみたいな。
そうですね。駆け巡ってたと思います。
わりとガキ大将的な感じでいらっしゃいますか。
そんなことはないですね、むしろ。どっちかっていうとガキ大将とは程遠い感じでした。
なるほど。
普通ぐらいの感じでした。
ありがとうございます。中学も茅ヶ崎でいらっしゃいますか。
中学は大船の久門国際学園に行きまして、僕は受験をしたんですよ。当時は結構珍しかったんですけど。
受験して久門国際学園で、中学受験はちょっと失敗しまして、慶応省の富士山に行きたかったんですけど、なかなか難しくて行けなくて。
久門国際学園になんとか引っかかって、茅ヶ崎から近かったんで、久門国際学園の大船のところに行ったっていうのがそんな感じですね。
でも私立の中学に受かられてらっしゃるということは、お勉強もすごくできたお子さんでらっしゃる。
そうですね。茅ヶ崎の公立の小学校だと、今もう廃校になってるんですけど、室田小学校ってところだったんですけど、それの中では結構できてたほうだと思います。
ただ受験で久門の偏差値が特別高いわけでもなかったので、受験の世界では普通、中の中ぐらいでしたね。偏差値も別に53から55ぐらいのイメージになって。そんな感じでした。
なるほど。ありがとうございます。中学時代はどんなことをして過ごしたなんてお思いでございますでしょうか。
中高は部活一本でずっとテニスばっかりやってて。それが全てでしたね。本当に毎日テニスやってて、朝から晩まで。あんまり勉強もせずに、部活ばっかりやってました。それ以外は何にもしようがないですね。辛すぎて、練習は。
テニスは公式テニスで。
公式テニスでずっとやってました。
じゃあ、真っ黒になりながら。
そうですね。当時は言ってますけど、まだ僕らの世代って結構ビシバシ系だったので、水飲んじゃいけないみたいな世代だったんで、水飲んだらダメみたいなのあったじゃないですか。
あれで、水飲まないで真夏の中でめちゃめちゃやって、みたいなことやってましたね。ただ今ほど暑くなかったですね。振り返れば。
あと大船っていうのもあるんですけど、暑さは今より5度くらい低いイメージだったな。5度は言い過ぎだけど、3、4度くらい低いイメージだったな。
なるほど。ありがとうございます。高校時代の思い出っていうのは、テニス以外はあんまりないもんでしょうか。
いや、ないですね。結局ずっと部活とかしまくってたんですけど、高2の受験の模試かなんかで、今でも覚えてるんですけど、ハワイ塾の模試で、たまたまいい点数取ったんですよ。知ってたところは出て。
それで、東大に引っかかる可能性がギリあるぐらいの偏差値まで出たんですね。そのとき、たまたまですけど。
今はもうちょっと亡くなられちゃってたんですけど、僕の当時の担任が、東大受けちゃったらみたいな感じになって。
当時はまだ若い子なんで、東大なんてそんなそんなみたいな感じだったんで、結構それで盛り上がっちゃって。僕結構単純なんで、それでじゃあ東大受けるわーみたいになって。
そっから受験勉強をしたんですけど、受験勉強はやっぱり楽しかったですね。楽しかったっていうか、そんな苦じゃなかったっていうか、勉強が楽しかったわけじゃないんですけど。
部活もやりながら、結構一緒に受験勉強してた友達が結構仲良かったので、塾行く間に遊んでたとか。ほぼ部活と受験勉強で、受験勉強スイッチ入ったのが高2の終わりぐらいかな。
本当部活は高3の夏ぐらいまでやってたので、結構ギッとやってましたね。
割と勉強がお好きな方だということになってますね。
そうですね。勉強自体が好きってわけじゃないんですけど、あんまり勉強を詰め込もうとしてた先生に恵まれてたんですけど、英語とかも別に嫌いじゃなかったし、面白かったですよ、先生の教え方も。
面白かったです。世界史とかもただ覚えるだけじゃなくて、なんでこうなったのかとかストーリーとか結構教えてくれてたので、あんまり苦に感じたことはなかったですね。
東京大学での活動
なるほど。ありがとうございます。
で、東京大学に受かられてらっしゃると。
リスナーの皆さん方にお聞きになりたいのは、「東大ってどうやったら受かるんだろう?」みたいなのが気になる方いらっしゃるかもしれないんですが。
ご自身で分析なさって、東大を受かった原因とかは、いっぱい勉強したことはありますか?
受験って、いろいろ親がどうとか生まれがどうとかいろいろあると思いますけど、受験って唯一フェアに与えられた環境だと思うんですよ。
だから別に落ちるやつは落ちるし、受かるやつは受かるんですけど、めちゃめちゃ勉強すれば結構一定受かるんですよね。
僕はずっとそんな成績良くなったんですけど、最後のほうでセンター試験の問題めちゃくちゃ解いて、センター試験でめちゃめちゃ良かったんですよ。
今までは6、7割ぐらいしか取れないなんですけど、9割ぐらい取れて、本番一発でですね。
で、今まで全然勉強してなかったけど、本番一発で東大受かって人生変わるわけじゃないですか。
まあ正直、東大受かったほうが人生はプラスにはなると思って。
こんなに割のいいことはないなと思うんですよ。
だって今までのトラックレコードを全無視して一発で合格できれば人生変えれるんですよ。
それってやっぱり、格差社会の逆転の切符だなと思ってて、個人的には良かったですね。
同時にどうやって受かるかっていうと、勉強するっていうか、いっぱい勉強するしかないんですけど、勉強してる風なのと、仕事もそうなんですよ。
勉強してる風と仕事してる風と、また勉強すると仕事するって違うじゃないですか。
だから9時間デスクに座ってるのが勉強してる仕事じゃないんで、勉強も別に先生が言ってることをノートに取ってることが勉強じゃないんですよ。
勉強っていうのは問題を解いて答えを当てることだし、考えて公式マスコミですけど、
勉強しないのにやたらノートばっかり取ってるやつとかいたんで、勉強してる風の時間は長かったんだけど、そういうやつは受かんなかったですよね。
ただ一方で、ちゃんと勉強してやることを、どうやったら問題解けるかみたいなことに特化して、ちゃんと問題解いてた人は受かってましたね。
結局時間をかければ全員受かるんですけど、時間がかかってるときに本当に勉強してる時間かける時間みたいな。
それが結構受かると思いますね。
そのためにはやっぱり、とにかく……でもみんなわかってると思うんだよ。
勉強始まるまでめちゃめちゃノート取っといて付箋とかやってるやつに限って偏差し低いじゃないですか。
じゃなくて、普通に問題を解いて、ちゃんとそういう時間にするやつのほうが意外と結構かかったりするので、勉強を一定時間する以外ないですよね。
なるほど、ありがとうございます。さすがお仕事も勉強も、視点が本質を捉えてらっしゃる。
東京大学時代はどんなことをして過ごしたのか、お思いでございますでしょうか。
いや結構前半期はずっとサークルしてまして、テニスサークル。僕は東大受かって正直調子乗ってたので、これ結構僕の人生の公開ポイント1なんですけど。
東大受かったときに、1,2年って別にシンフォニーないので、いろいろいろなことを勉強したりとか、いろんなことをできる時間があったんですよ。
今とか小説とか、そんな読む時間ないんで、業績の役に立つことしかしないわけじゃないですか。
もうちょっと自分の器広げたらなと思ったんですけど、ずっとテニスサーで、大学デビューしちゃって。
最初の2年間はずっとテニスサーで授業も出ずに、本当留年ギリギリぐらいになるぐらいの単位のトリプリで過ごしてましたね。これは結構後悔してます。
ただ、そこでテニスサークルが入ってたサークルが、わりと結構いろんな上場企業の社長を輩出してまして、
例えば上場企業とは、ビザスク、パークシア、テクノロジー、ロードスター、キャピタル、全員僕の先輩なんですけど、
割と小魅力、東大生なのに小魅力が高い、ちっちゃい社会みたいなところだったんですね。
そこで小魅力は培われましたね。
僕は一人くらいあったので、割と独り終わりな方ですし、
でもやっぱり日本社会って言って、優秀だからどうとかじゃなくて、東大生みんな優秀なんで、
その中で結構みんなとうまく共同作業やっていくとか、
しかも仕事としてじゃなくて、サークルとかってそういう、むしろお金払ってやってる感じなんで、
そういうちっちゃい社会を学べたんで、コミュニケーション能力が上がったと思います。
まあにしてもちょっとどっぷり使いすぎたなと思いましたけど、最初2年は。
なるほど、ありがとう。
そのテニスサークルがどんどん上場企業の社長さんも廃止する要因なんかは分析になさってらっしゃいます?
いやでもやっぱり、東大生で小魅力高かったら強いですよね。
つまり勉強ができて小魅力高かったら普通に勝手ないじゃないですか。
勉強しかできないやつはダメですけど、でもそれでさらに営業できたら、ぶっちゃけ普通に強いですよね。
もちろん元信太さんも部下に東大生とかいたかもしれないですけど、めちゃめちゃ弱いやつの可能性低いじゃないですか。
一定の能力高いんで、別に東大生が全部ってわけじゃないですけど、一つ場所でもいいんですけど、
一定勉強できるっていう時点で証明はされてるんで、そこで小魅力高かったら強いですよね。
そんな感じですよ、シンプルに。
ありがとうございます。東京大学では経済学部をご選択なさってるんですが。
選択っていうか、文に受かってそれ以外選択しないんですけどね。
3、4年はどんなふうに過ごしてたんて思うでございますか?
3、4年は結構、僕当時一緒に受験してた仲間で、仲良かったやつは僕以外もう二人いたんですよ。
教育と起業精神の育成
そのうち、僕は絶対受からないって言われてて、もう一人のエースが絶対受かるって言われてて、そいつ逆に落ちて僕受かってるんですよ。
なんですけど、それで僕調子乗っちゃって、2年間くらい東大で、俺はもうこれで優勝だみたいな思って、あれしてたんですけど、
そいつは逆に東大受かんなかったんで、すごい大学時代にボランティアやったりとか、海外のあれやったりとか、
自分で、彼今日テレビディレクターやってるんですけど、すごい自分のやりたいことを、みたいなビューを持ってやってたんですよ。
で、それをたまたま飲み会で久々に会って、とてつもない差ついてるなって思ったんですよ。
あ、俺とこいつも天と地の差がついちゃったなって思いまして、そいつは高校で堅い、俺は社会に対する解像度も低いし。
そこでちょっとスイッチオン。あと同時に、ベンチャーリンクの時期っすよね。
サイバーエージェントの藤田さんが渋谷で働く社長の告白みたいな、ちょっと復活したときぐらいのタイミングで2004年から2008年なんで、
それで家庭教室とかふわふわやってたら、家庭教室の先のお母さんからその本もらって、それ読んで、稲妻が落ちてたようにめちゃめちゃ頑張ろうみたいになって。
それで、わーって思ってめちゃめちゃ頑張りましたね。
それでスイッチ入って、よし学生投資団体でなんか行動せな!みたいになって、学生投資団体作ったりとか、会社っぽいもの作ったりとか。
それが今はメンバーだったりとか、そういうふうに繋がってますね。
大学3、4年のときはもう完全にビジネスに目覚めていらっしゃったって、そんな感じでいらっしゃいますか?
そうですね。本当に目覚めてました。やっぱりうち父親もちなみに上場企業の創業者なんですけど、
オプトランって会社で、ちょっと前に僕自家創学抜いたんだよ。
でも、あの一役は2004くらい持ってましたね。それくらい立派な父親なんですけど。
父親がまあまあでかい会社を辞めて、そこにチャレンジし始めたのが高2、高3くらいで、わりと中流未満くらいの家庭だったんですよ。
でもそこから結構お父さんもめっちゃ頑張って、なんか父親はあるんでしょうね。
なんかちょっと知って争えないなって思いますね。
ちょっと皆さん方、わからない方もご存知じゃない方もいらっしゃるかもしれないけど、オプトさんっていうのは大変大きな……
オプトランです。ごめんなさい。オプトラン。
オプトランさん。
証券コードって言ったら、6235、オプトラン。
Apple Watchの特定部品でシェア100%とか持ってたりします。
そうでございますので、もしよろしければ証券コードを開いていただいて、ネットで調べていただければと思いますが。
ちょっと元の話に戻りまして、東京大学経済学部を卒業後、
イギリスのブリフトル大学にご留学なさったということの経歴を教えていただいてますが、
こちらに行かれた理由は何かございましたでしょうか。
当時は売り手市場だったので、給人倍率がめちゃめちゃタイトで、
みんな東大生もこぞって外資行くみたいな感じの時代の中で、
自分は当時まだ起業するメンタリティーだったので、そんな大企業のピカピカのところに行くかと思いまして、グローバルで活躍したいと思って、
アメリカに行きたかったんですけど、ちょっと成績悪すぎて、結局イギリスに行くって話になって。
でもやっぱり僕はコンピューターサイエンスとかで、IT金融みたいなのが大事だなと思って。
大前健一さんが昔、英語のIT金融が大事だみたいなことを言ったのはどこかで聞きつけて、それだなと思って。
やっぱり日本じゃダメだなと思って海外に行く。
で、拾ってくれたのがイギリスだし、当時ビザを出してくれたのがドイツ銀行だったので、うまく受かったって感じですね。
なるほど。ありがとうございます。
ちょっとレジさんの皆さんの中には、うちの宣伝になってしまいます。
大前健一さんのセミナーを10月にやりますので、ちょうどこれ10月配信だと思います。
ぜひお聞きいただきたいなと思いますが。
ちょうどピッタシーあって、高林社長がうちの宣伝もしていただけます。
元の話、イギリスブリストラ大学時代の思い出なんて何かございますでしょうか。
本当に経済学部からコンピューターサイエンスに行ったんで、結構きつかったです。勉強がただきつかったです。
企業は収支取れずに、収穫はできたんですけど収支は取れずに、収支論文普通に2回不合格して。
ただ、収支卒業が収穫の条件じゃなかったので、ドイツ銀行はそのままいけたんですけど。
勉強がきつすぎて、もうほんとたた勉強しましたね。
しかも英語なんで、僕はネイティブなんでもないんで、英語で勉強とかつらすぎて。
ずっと勉強しました。金もないから。サブウェイでやる。サブウェイが一番安いんですよ。
サブウェイオブザデイっていうのがあって、ハーフサンドウィッチで1.99ポンドみたいな。
それもめっちゃ高いんですけど。400円ぐらいするんですけど。
だからもうほんと貧乏学生生活1年間。
私の息子もアメリカの大学に行きましたんで。
ああ、そうですか。
イギリスとアメリカも大学は卒業するのがちょっと大変というぐらいになってたんですけど。
大変素晴らしい。林社長は本当に素晴らしいなと思いますが。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
経済学とIT金融の重要性
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。
また来週。