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社長に聞く!in WizBiz
本日の社長に聞く!in WizBizは、株式会社MJE代表取締役社長)様です。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
流通科学大学卒業後、光通市にご就職。そのうち1年半はヤフーへ出向されたそうですが、
2006年9月、株式会社MJE創業。注目の日清本ベンチャー100、経済、女性活躍、
リーディングカンパニー認証などなど、設立が丸11年が経過した現在も成長を掲げるベンチャー企業で
事業展開中という社長様でらっしゃいます。本日は大知社長様、よろしくお願いいたします。
はい、どうもよろしくお願いいたします。
では最初のご質問ですが、ご出身は奈良でよろしかったですか?
そうですね。出身が奈良でして、今も奈良に住んでいます。
小学校・中学校時代はどんな幼少期を過ごしなられましたか?
小・中は基本的には目立ちたがり屋で、先生が質問をするとわからなくても手を挙げてしまうみたいな
典型的なうるさい校でした。
学期代償?
学期代償でもないですけれども、一番目立っているタイプの校でしたね。
忘れ物が多くて整理整頓ができなくて、いつも廊下に立たされているみたいな。
そんな感じの校でした。
高校も奈良でらっしゃいましたか?
高校は大阪の高校でして、これは高校の名前も言った方がいいですね。
上野宮高校というですね。
野球の強い高校ですね。
そうです。
選ばれた理由は?
単純に大一望の奈良の公立高校に行こうと思ったんですが、
落ちまして、やむを得ず行ったのが。
高校時代はどんなことをして過ごされていらっしゃったんですか?
高校は基本的に部活一本でサッカーに没頭していました。
たまに色気吹いて近くの女子高の女の子と遊んだりとか。
色気吹き始めた時期でもありますね。
なるほど。
大学側の経歴のことでご紹介しましたが、流通科学大学というのを選ばれていましたが、
そちらを選ばれた理由は何かありますか?
当時、理由が二つありまして、一つはマークシートだったということですね。
もう一つは、流通科学大学の創始者が大英の中口さんの施設大学になるんですけど、
中口さんが社会に通用する人材を排出する施設大学として、にわかに有名になり始めていた頃だったので、
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そういうのを見て、この大学いいな、面白そうだなと思ったのと、その二点ですね。
大学時代はどんなことをして過ごしたんですか?
大学時代は、そう思って大学に行ったんですけれども、
結局、アルバイト、麻雀、パチンコ、お酒、女の子、この五つに没頭したので、
大学に行く暇がほとんどなかったというですね。
いかにして楽に単位を取るかみたいな、そんな馬鹿な大学生活を送っていました。
その後、卒業後、新卒で光通信でよろしかったでしょうか?
この光通信を選ばれた理由というのは何ですか?
大学時代はアルバイトにかなり没頭していたんですけれども、
創作居酒屋で店長代理みたいなことをさせていただいて、
それで仕込みから入ってレジ締めとか、店の運営を任せられるようなアルバイトリーダーをやっていたんですけれども、
その時に早く社会人になりたくてしょうがなかったんですね。
自分の力を試したいってずっと思っていて、そんな時に就活が始まって、
いろんな会社を見ているうちに光通信という会社に出会って、
当時、完全実力主義、完全成果主義みたいな言葉を僕は他の会社で聞いたことがなくてですね、
光通信の会社説明会に行った時に、完全実力主義、完全成果主義という言葉に出会って、
やったらやっただけ評価される、やったらやっただけ偉くなっていけるとか、
そういう言葉にすごい心躍りまして、自分の力を社会で試したいと思っていたので、
もうここしかねえと思って入りました。
なるほど。光通信は2年ほどいらっしゃったようですが、そのうち1年半がヤフーに出向ですか?
光通信に入社したのは2002年の4月で、独立したのは2006年の9月で、4年半。
4年でいらっしゃいますね。
4年半光通信で本席でして、その最後の1年半ぐらいヤフーに出向していた。
なるほど。光通信では最初はどの事業部に行かれたんですか?
最初はオフィスの、これは今僕が会社でやっていることの土台になっているんですけれども、
オフィスの中のITソリューション系ですね、IPPBXとかIPのシステムを作ったり複合機販売したり、
そういう部署ですね。
その部署は結構長かったんですか?
その部署が3年ぐらい。
あとはヤフーという感じですか?
そうですね。光通信の中で僕はトップセールスに近い感じだったんですね。
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成果もすごく出して、移動させていただくような機会があったんですけれども、
光通信の経営戦略企画室というところに移動させてほしいと言いましたら、それが叶いましてですね、
本社の経営戦略企画室に移動させていただきまして、
そこでやってた仕事がM&Aとかのネタを拾ってくるとか、
大きな会社同士の事業提携のネタを拾ってくるとか、
あとはベンチャー企業を発掘してそこに投資をさせてもらってインキュベーションして上場に導くとか、
あとはファンドを組成して投資家からお金を預かりするとか、
そういうことをやっている部門だったんです。
そこに移動させていただいて、その仕事の一環で出会ったのが、
実はヤフーの当時モバイルコンテンツを作っている連結子会社がありまして、
その連結子会社が上場を目指して頑張っているというその瞬間に出会ったので、
僕は出資させてくださいという立場からヤフーとのつながりがありまして、
その後に僕はヤフーの子会社に出向して新規事業を立ち上げるプロジェクトリーダーとして、
このプロジェクトを成功させた暁には出資させてくださいみたいな、
今考えたらあまりロジックが合わないんですけれども、
半ば強引にヤフーに出向したというのが流れになります。
そのまま1年半いっちゃった。
なるほど。じゃあヤフージャパンでは新規事業のプロジェクトリーダーを1年半ぐらいやってらっしゃる。
1年半近くやってらっしゃる。
そのやりながら、じゃあ辞めたといって会社を創業されることになると思うんですが、
何で辞めようと思う瞬間が来るのか?
当時、2004年の冬から2005年明け方ぐらいに光通信の経営企画室に行っているんですけど、
時代背景で言うと、こういう名詞を出していいんですかね。
堀江門さんとかがライブドアで大暴れしているときなんですよね。
なるほど。
富士テレビを買収しようとしたとか、選挙に出たりとか、野球の金鉄とか、
あの辺なんですよね。
三木谷さんが楽天というやつですね。
そうです。
あの時らへんに経営企画室にいたので、あの海外の人たちと会話することが増えたんです。
でも一気に僕は刺激を受けまして、皆さんアドレナリン出まくってますし、
エネルギーにあふれているし、大成功されているように見えたのが、
当時僕25歳ぐらいだったので、あまりにも刺激的で、
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影響を受けて企業をしたいとか、僕もこんな風になりたいみたいに思い始めたのが動機です。
一方ではその後のご縁でヤフーに行くことになって、
ヤフーでプロジェクトリーダーをやるんですけれども、
1年半いちゃって、光通信という会社とヤフーという会社って
企業文化が全然違いますよね。
お互い良いところも悪いところも多分あると思うんですけれども、
もともと僕は光通信の企業文化しか知らなかったのが、
ある日からヤフーの、当時はクリエイティブ系の日本の最高峰の会社ですから、
そういった企業文化に触れて、全く真逆の企業文化に触れて、
どんどん価値観が変わっていっちゃって、
組織風土とか組織文化とか、人との触れ合い方とか関わり方とか、
アプローチが全然違いますので、
それで僕自身の価値観がどんどん変わっていって、
1年半ぐらい経って、経つ前ぐらいからプロジェクトがひと段落するし、
身の置き方を本席である光通信にいずれ戻るのか、
もともと思っていた企業というのに、このタイミング、
しかないんじゃないかと思って、最終的に飛び出したのが2006年9月1日。
28歳の誕生日です。
20代で企業をするときに、怖さとかそういうのはなかったんですか?
ここから言っていいのか分からないけど、かなり僕、したたかでして、
光通信の当時の上司には、ちゃんとすべてお話をしてやってますけれども、
最終的にやっぱり僕は、
光通信の当時の上司には、ちゃんとすべてお話をしてやってますけれども、
ヤフーでの仕事がまだ残っていたんです。
ヤフーでの仕事がまだ、向こう1年ぐらいは残ってたので、
実はその光通信から出向しているのを、この区切りよく、
自分で会社を作らせてもらって、そこから実はヤフーに、
業務委託契約のような形で、仕事が継続的にある状況を
背景にあったんですよね。
かなりしたたかなスタートの仕方なんですけれども、
向こう1年ぐらいの売上は、ほぼほぼ見えている状態だったので、
そんな企業の仕方です。それが株式会社MJEの始まりになります。
なるほど。頭のいい社長様のお話でいらっしゃって、
素晴らしいなと思うんですけれども、
当初はMJEさんはどんな事業をやっていらっしゃったんですか?
当時は、新規事業を立ち上げ支援のコンサルティング会社みたいな、
ややこしい定管を作りましてですね。
ヤフーのご支援を施行しているというのがあって、
その定管ということですね。
最初の3年ぐらい僕は、バチバチの営業活動、セールスとか、
組織マネージメントみたいなことで成果を出しているんですが、
あとの1年半はプロジェクトとか企画とか、
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そういうふうにやり方が触れていまして、
そっちに美徳を感じてしまっていたんですね。
例えば、テレアップをして営業活動をするとか、
もうそういうことはしないとかって思ってですね。
ちょっと高飛車な感じで、
新規事業の立ち上げを支援するコンサルティング会社をやるんだみたいな、
そんな始まり方です。
3分コンサルティング。
ウィズビズが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングはRさんです。
建設業従業員7名ということで、始めまして、
私は都内で公務店を務むRと申します。
私は創業し、私が後を継いでからというものを、
入社支援が次々とやめていってしまい困っています。
ウィズビズさんでは従業員の定着率を上げるために
何か取り組んでいることはございますか。
また従業員の定着率につながるサービスさんでございましたら、
ご紹介いただけますと幸いですということなんですが、
定着率一言に言うとなかなか簡単ではないんですが、
おそらく採用の時点からまず変えていかなきゃいけないんじゃないかなと。
まず御社に合っている社員というのはどういう人なんでしょうか。
私どもの会社なんかは、採用の際に必ず、
起業したい人とか社長になりたい人、
私どもは経営者向けネットメディアをやっていますので、
社長の気持ちが分かった方がいいということで、
経営者向け、経営者になりたい人、社長になりたい人みたいなのが入ってきた方が
勉強になるよというような形で募集をしています。
そうすると定着率というかそういうのが上がってくるわけですね。
併せて就業規則、人事評価制度、そして経営理念、
この辺がしっかりしてまして、これにきちんと合っている人間たちを
採用するようにしています。
そうしますと定着率も上がってきますし、
また経営理念の徹底をしていくことによって、
社員たちが自分たちの方向性と向き合えるようになって、
定着率につながるというような形になってまして、
経営理念なんかは毎朝朝礼で誰かしらうちの社員が読む、
そしてそれに対して私がコメントするなんていうのは
毎日毎日取り組んでおります。
またそれ以外にもライフプラメンダンなんかを行うことで、
年一回ライフプラメンダン、社員の従業員の人生を聞いて、
多少私がアドバイスするみたいなのを年一回やってまして、
定着率を上げるなんていうことをやっております。
結局のところ、社員の皆さん方は居心地がいいかどうかで
残られるケースが多いんじゃないでしょうか。
給料が高いとか安いとか、そういうことで残るケースは
少ないんじゃないかなと思います。
そういう意味でいくと、私の会社は副業なんかも推奨していて
やった方がいいと言っていますし、うちの社員の中には
副業がOKなら入りますと入ってきた社員までいます。
そういう意味で居心地の良さ、そういった雰囲気、明るさとか
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楽しさとか、そういう雰囲気も醸し出せているかどうかなんていうのも
大変重要なんじゃないかと思います。
私が昔聞いたお話ですが、千葉の外食の店舗では
採用活動をしなくてもどんどんどんどん
アルバイトが友達を紹介して入れてくるみたいなことを
やっていらっしゃいました。
それはなぜかというと、やっぱり楽しいとか勉強になるとか
また居心地がいいとか、そういうことになってくるので
結局のところアルバイトが社員になりたいという希望も多く
採用活動の採用費がなくアルバイトも社員も取れている
みたいな会社さんがいらっしゃいます。
そういう組織風土ということになりますけれども
そういう組織風土というのを考えて
採用も定着化も考えられたらいいんじゃないかなと思います。
繰り返しになりますが、経営理念、就業規則、人事評価制度
この3つは必須と思っていただければと思っております。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。
本日のポッドキャストはここまでになります。
また来週。お楽しみに。