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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、神原社長様です。
まずは、ご経歴をご紹介いたします。
神原太郎氏、株式会社リトルクラウド代表取締役社長、
1990年生まれ、平成2年生まれでいらっしゃいます。
平成生まれの社長さん、もしかしたら、
今日は初めてかもしれませんが、
22歳で博士会社在学中に株式会社リトルクラウドを設立、
代表に就任されていらっしゃいます。
自身の描く理想の社会像実現のあたり、
人工知能領域の参入、
世界一わかりやすいAIを改正できる企業としての多数企業様に講義、講演しながら、
AI、オープンイノベーション、プラットフォーム、未来を運営、
登録企業、総数は開始2ヶ月や100億円、
多数のAIプロジェクトに携わっている社長様でいらっしゃいます。
今風のAIでございます。
今日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
では、最初のご質問なんですが、ご出身は東京ということでよろしいでしょうか。
東京です。23区じゃない方ですね。
なるほど。小学校、中学校時代はどういうような幼少期をお過ごしになられましたか。
そうですね。小学校の時は多分周りの印象は真面目。
結構中性的で、男子とも女子とも中間で仲良いタイプの結構珍しいタイプで、
すぐ泣きましたね。
小学校4年まで多分1日も欠かさず泣いてたくらい泣いてまして、
感性が豊かだったのか心が弱かったのか分からないんですけども、
よく泣く少年時代。
中学受験を経て早稲田実業学校に入学しまして、中高を過ごすんですけど、
中学の時は声が高いのでずっといじられてまして、
本当にミキマスぐらい声が高かったので、
中学の記憶は本当に声が高いのをいじられていたという記憶しかないかもしれないぐらいなんですけど。
もう小学校の時から中学受験というのは勉強もできたんでということでいらっしゃいますか。
そうですね。小学校2年生まで苦悶式に通ってまして、
親が転勤ではないんですけども、転居することが決まってまして、
なので私立の方がいいだろうというところで、小3から受験勉強を始めてました。
その時がたぶん生まれて一番頭が良かった時期だと思います。
中学高校はそのまま松田実業ですか。
そうですね。
ということでいらっしゃいますが、高校時代はどんな風に過ごされましたか。
高校はもうアイスホッケーをやってたんですけども、
アイスホッケーと音楽をやってまして、
作詞作曲して、最初の音源なんか聞けたものじゃないんですけど、
ほぼアイスホッケーか音楽しかやってない高校時代ですね。
収録で練習あったので。
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アイスホッケーは高校からですか。
中3からになるんですけど。
珍しいですね。アイスホッケーを選ばれるのは。
東伏見のアイスアリーナで毎回練習されるんですか。
そうですね。東伏見で大会もありますし、東大和市というところにもあって、少ないです。
何か選ばれたりはあるんですか。
いや、たまたまアイスホッケー部に入る子たちに一回スケートに誘ってもらって、
僕も本当は軽音楽部に入ろうかなと思ってたんですが、
ちょっと生ぬるすぎる雰囲気も見てたので、
これで高校3年間やって、自分どんな人間になるんだろうみたいな。
思った時にアイスホッケー部という存在と出会って、
部費がほかの部活の10倍ぐらいのものですから、
親もオッケーとは言わないだろうと思ってたんですけども、
一回スケートをやって、一緒にやる子たちの人からにも触れて、
何か人と違うものだけれども、チャレンジしてみたいなという思いで、
親に頼んだら、いろんな条件はつきましたけど、
オッケーを出してくれたという。
なるほど。
今、東京オリンピックの前ですが、そうすると東京オリンピックはちょっと注目とかそんな感じでいらっしゃいますか。
そうですね、あまり日本は強くないみたいで。
そうですね。
僕は見るのは好きなんですけど、あまり国際試合とかのほうにはのめり込まないですけど、
でもスポーツ全体を見るのが好きなので。
なるほど。
すみません、余計な質問しましたが。
その後そのまま早稲田大学に進学されたりしますが、いわゆる系列でそのまま上がっていく感じでいらっしゃいますか。
上がっていますね。
大学に上がる際はそんなにご苦労はされないという感じでいらっしゃいますか。
そうですね、苦労された方々にはちょっと何言われるかわからないんですけど、
大一望の学部も文化構想学部という文学部系の学部で、
自分の成績からすると十分大丈夫な学部だったので、
ほぼだから、降参の2月まで、最後全日本選手権というのに相続けて出ているんですけど、
そこまで何もほとんど余計な勉強はしていない状態だったので、苦労はしていないで過ごしてしまったなという感じで。
なるほど、うらやましいですね。
早稲田大学では別に相続けをそのまま続けるということはなかったんですか。
高校のコーチを2年間やらせていただいたのと、
あと2年次から大学のサークルの同期がやっているサークルの、
お前氷に乗らないんだったら監督をやれと言われまして、監督を3年間やりました。
なるほど、じゃあ割と相続けを中心とした大学時代という感じでしょうか。
いや、割とそうでもなくて、大学2年まではずっとバンド活動をやっていて、
本当に音楽で食べていきたいくらいに思っていたんですが、
20歳に契機があって、いわゆるベンチャー企業で人材系の営業を始めたのが大きな転換点だったかなと思っています。
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大学時代に創業をしていらっしゃるんですが、
大学時代に創業をしようと思ったきっかけとかはあられるんですか。
本当に大学の2年の終わりから始めた営業の仕事、最初の会社半年しかいなかったんですが、
そこまでは本当になぜか音楽に固執していた人間だったので、
でもサラリーマンをやったことがないのにサラリーマンなんて言ってもちょっと違うのかなと思いまして、
一回やってみようというところから始まったんですけど、
本当にいろんな企業様の社長様に触れる仕事だったので、
ベンチャーの、それこそ今も上々間際の会社さんとかが何社かお客様で、
カンバラ君人ってこうなんだよとか、カンバラ君企業っていうのはねっていう話を直接していただいたのが、
本当に最終的に会社をやるっていうきっかけにはなったのかなとは思っています。
大学の2年の時にいわゆる営業の仕事にバイトで行ったって感じなんですか。
そうですね、インターンシップだったんですけど、
これを言うと社名とか出せなくなると思うんですけど、
最初の日給は日給1,000円で始めて、結果が出て3,000円、5,000円、6,000円で上がっていったんですけど、
本当にもうデッチ暴行みたいなことをやり始めましたね。
わりと大学2年でインターンに行くなんて意識の高い大学生という感じがするんですけども、
周りも皆さんそんな風にインターンとかやられてるんですか。
いや全くいなかったです。
なので本当に僕の場合はサラリーマンを今やらせてくれるところってどこなんだっていうので
ウェブで検索したらどうもベンチャー企業っていう名前の企業では営業やらせてくれるらしいっていうのが分かって、
なのでベンチャー企業っていう名前の企業を探してましたずっと。
だから何がベンチャー企業っていうのは種類だと思わなくて企業名だと思ってたので、
そのぐらい知識のないところから調べてたまたま巡り合ったというか。
でも周りがインターンをやってない中でインターンやろうなんて普通思わないじゃないですか。
そうですよね。
だって普通の大学生ですと大学3年から4年になるぐらいに就職活動かと思って、
初めてインターンとかを一周したりしながら就職活動をしているんですけど、
大学2年でまずサラリーマンをやってみようというのは、
もう最初からサラリーマンになるんじゃなくて、
創業するから先にサラリーマンをやっておこうという感覚だったんですか。
本当にバンドをやることしか考えてなかったので、
サラリーマンを1回経験しておくっていうのは、
ちょうど20歳の誕生日の次の日から教授について、
カナダの学会に行っているんですけど、
僕が当初は専攻していたのは感性文化学、感じる坂の感性の文化学って言って、
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哲学の1個の学問だったんですけど、
なのでもうあっちに行ったら本当に英語で哲学者の話されても全然ついていけませんし、
ジョークも、だって悪魔の血は青いからね、
ははーとかって笑っているんですけどみんな、
全然何を教えるのかわからないみたいな。
カナダの学会に行ったの結構天気で、
その学会自体も結構衝撃だったんですけど、
街行くときにちょうどハロウィンの時期で、
街中をピーターパンが駆けずり回っていたり、
当初まだ2010年ですから、
全然そんな日本ではハロウィンブームなんて来ていませんでしたし、
こんな街中にピーターパン走っていていいのかとか、
お店に入ったら、いらっしゃいませじゃなくて、
ハロウィンって言われる、ハワイウィンって言われるのに、
日本って本当にマニュアルなんだなって、
改めて自分も飲食店で働いていたので衝撃を受けて、
自分の今までの当たり前って思い込みなのかもしれないなっていうのが、
ふつふつと湧き上がってきて、
なのでそれが多分バンドやってていいのかみたいな、
サラリーマンやったことないのに社会の歯車なんてとか言ってていいのかみたいな、
思考につながったんだろうなっていうのは、
就活のとき振り返ってたしか思ってました。
なるほど。その業、創業されたりしたんですが、
創業はもう途中からやろうって決めたぐらいの感じですか?
本当にギリギリまでは就職活動もちゃんとしまして、
サマーインターンも20社とか結構行っていって、
本選考も内定もいただいて、
でも結局自分がその当時やりたかったのって、
組織作りっていう言い方になるんですけど、
第一志望の会社も組織人事のコンサルティングを行っている会社で、
なので自分の理想の組織像を作りたいっていう思いが、
大学3年4年のときは結構強かったんですね。
なんですけどやっぱり就活を通して気づいたのが、
理想をできている会社がないなっていうのが、
率直な感想で、
組織作りの勉強しに入ろうと思っていた会社も、
結局自分が理想としている組織像を作れているわけではないと思うと、
苦労していても最初から自分たちでやった方がいいんじゃないかと思いまして、
なのでその当時もある会社と一緒にビジネスを作っていたので、
それをやっていくか、それか自分でやるかっていうところの間で迷って、
最終的には理念も組織の理想も掲げるならば、
自分で責任を取らないとダメだなと考えて、
22の8月に会社を立てようということになりました。
なるほど。
そのときの事業領域といいますか、
ビジネスモデルとかはどういうふうなものをやろうと当時は考えられたんですか?
会社を立てないとダメなんだなと思っただけで、
何もなかったんですね。
なので僕の中にあった思いは、
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理想の組織を作るっていうのが一個と、
もう一個は、ずっと感性文化学っていうのをやっていたので、
そのときからフツフツとしていたものは、
結局今って人間の感性が阻害される時代、
労働しなきゃいけないとか、資本主義で云々かんねんとか、
うつ病が増えているのも、
働かなきゃいけないっていう前提があるからだとか、
結構考えることが多くてですね。
なので人間の感性が生きる時代を作るにはどうしたらいいのかということだけ。
よくありがちなんですけど、学生さんだと。
考えてまして、
なので全く事業領域とかを決めずに会社を立てることを先に決めた状態でした。
なので最初の授業がうちSNSのマーケティング関連なんですが、
SNSに決めたのはその感性っていうキーワードに近い中で、
今の自分たちでできるのなんだと。
若い22で創業して信頼もない、
実績もない人間が何だったら貢献できるかなっていうところで、
そのまま選んだ。
当時の相方の役員にSNSと動画、多分近いと思うんだけどどっちがいいと聞いたら、
彼が、俺ら若いからSNSのほうがいいんじゃねと言ったので、
それで決まったような感じですね。
本日の3分コンサルティングは美容品総合商社、創業2010年のM様からです。
新谷社長様をはじめまして、
弊社は利用美容エスティックネイル商品の総合商社です。
消費は国内全域で器具、材料、機器、化粧品の卸販売を行っております。
取引先の減少などにより直近3期連続で行政が右肩下がりで将来の経営の不安があります。
よって事業構造の見直しや新たな事業の模索をし始めたところです。
2016年美容に関する教育関連事業にも乗り出しましたが、
起動に乗るまでまだまだ数年はかかります。
会社を立て直すには業績の開発と同時に社員が主体的に動き、
柔軟な発想と行動で新しいことへのチャレンジをしてほしいのですが、
なんとも会社全体の雰囲気が暗く、
言われることしか言わない社員ばかりで、社員の目が輝いていないのです。
権威には方針を理解し、
自ら考え主体的に動く集団にしなければならないと考えておりますが、
どうすればそれができるでしょうか。
是非、ご協力ください。
よろしくお願いします。
ということでいらっしゃいます。
これは大変失礼ながらですが、M社長様の責任でしょう。
M社長様が変わらないと変わらないと思います。
M社長が自己責任と思って自らが先頭に立ち動いたならば、
社員の肩書も変わるのではないでしょうか。
私どもでもFacebookをいろいろ活用して、
いろんな仕掛けをするのはご存じの方が多いと思いますが、
私自身2年前にFacebookをやろうという時に悩みましたが、
正直私はFacebookが好きではありませんので悩みましたが、
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毎日投稿するというのを待ち、
まず私自身が毎日投稿するというのを決め、
私自身が友達5000人作るというのを決め、
先頭でありそのノウハウを自分でまとめ、
全社員やれと言って、そしてページも自分で作り、
広告も打ち、それから社員たちもやれということでやらせということであって、
Facebookは成功し、今Facebook間のオンライン経営者交流会というグループで
2万人以上がいろんな宣伝をしたり、女性経営者カフェというので
3000人以上がいろんな宣伝をしているというのが出来上がっています。
これはまず私が動いたからですね。
私が動かなかったら、社長である私が動かなかったら、
うちの社員たちは動きませんでした。
M社長はいつも明るく元気にチャレンジをされていらっしゃいますでしょうか。
まずそこが全てなんじゃないでしょうか。
社員に何かを求めている時点で、社長業をやめられた方がいいんじゃないかなと思うぐらいです。
そういう意味では、ちょっとMAで売ってしまってですね、
M社長は新しいことにチャレンジして、新しい環境で新しい社員さんたちで
事業を行うのも一つの手なんじゃないかなというふうに思っています。
企画自らがまず動いたら、社員も多分だんだん動くようになってくると思います。
それでも動かない社員の方々がいらっしゃったら、
それをやめていただくなり、新しい社員に代わっていただくようにすればいいんじゃないかと思います。
もちろん経営理念の浸透とか、私どもは経営理念の浸透は前に朝礼でやっていますが、
経営理念の浸透とかそういうことも重要なんだと思います。
経営理念の中にチャレンジというのは入っていらっしゃいますでしょうか。
もし入っていないのにチャレンジしろというのは、ちょっと違う意味で問題かなというふうに思います。
などなど大変問題がいっぱいありそうな会社様、M社長様の会社様ですが、
まずは社長というのは自己責任で、
昔私が言われたのは、槍が振ろうが戦争が起ころうが会社が潰れたらそれは社長のせいというふうに教えられていますので、
そういう意味ではM社長が代わられることを私としてはお勧めしますし望みます。
他の社長さん方もすべては自己責任と思って重要経営をやっていただければと思っています。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。
本日のポッドキャストはここまでになります。また来週お楽しみに。