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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社Globridge代表取締役大塚誠様です。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。
大手コンサルティング会社にて、数々の大手チェーンの立ち上げサポート後、独立。
飲食企業を設立し、5年で直営85店舗、フランチャイズ30店舗以上を立ち上げた実績を持ちの方でいらっしゃいます。
その後、大衆居酒屋チェーン路線から一点全店業態変更を決意。
ネットマーケットを活用し、3年で新たな65業態を作り上げた素晴らしい飲食業の社長様でいらっしゃいます。
大塚社長様、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
最初のご質問なんですが、ご出身は千葉ということで、小学校・中学校時代はどんな幼少期をお過ごしになられましたでしょうか。
ちょうど千葉の僕が育った時代は、ご存知かと思いますが、スクールウォーズという大変有名なドラマがありまして、
不良がラグビーで構成していくようなドラマで一斉風評をしたんですけれども、
もしくはビーバップハイスクールという2人のヤンキーが中心になった漫画で、これも一斉風評をしたんですけれども、
それの後輩した学校みたいなイメージがちょうどしっくりくるような学校で育ちましたので、
他校から恐れられる学校で、僕自身は当時身長も低くて華奢だったので、
グループにはいましたけど、先輩がやばい人が多くて、とにかく後輩した学校で、
普通に学校の廊下をバイクが日常的に走っていましたし、チェーンを振り回しながら走って、
日常的に頭から血を流している人が歩いていましたし、そんな中で育ったので、
僕はヤンキーという言葉はマイノリティだと思っていなかったんです、正直。
全員がヤンキーなので、逆に一般の人というのがヤンキーで、どちらかというとヤンキーじゃない人の方が変わっているぐらいの、
そんな中で育って、僕が先ほど言ったように中心にいたわけではないので、
常にいいポジションにいながら、中心にいる人のおかげでいい影響をもらえる、そんな調子のいい人だった気がします。
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なるほど。ちょうどドラマは終わったばかりかもしれませんが、
今日は俺は不良番組で千葉でしたね。
お疲れさんの雰囲気を持ち出すというヤンキーっぽいところもあるかもしれませんが、そういう時代でいらっしゃいましたね。
高校も千葉のほうでいらっしゃいました。
そちらのほうはどういう高校でいらっしゃったんですか。
高校は、もともと実はラグビーをやりたいなというのがちょっとあったんですよ。
スクロール席も大きいんですけど、すごい強い高校がありまして、そこの効率を受けたんですが落ちまして、
それなので行くところなくなって私立を受けたんですけど、そこが実は新設校で後にすごい頭の医学になっていくんですけど、
その時はちょっと店員割れしていた私立の学校だったので、そこに入ることができたので入ったんですけど、
中学から誰一人行かなかったんですよ。僕一人で行くことになったので。
入ってみたら結構織子さんしかいない学校だったので、ふたを開けてみると、完全に浮いちゃうんですね。
地元から僕だけ行ったというのも友達もいないし、なのでクラスで僕は大塚さんと言われるんですよね、同じ学年なのに。
明らかに距離を置かれてしまって、不登校になっていきます。友達もできなくて。
結構荒れてましたね。基本的には家にもほとんど帰らずに友達の家に泊まっていましたし、
今ずっとバイトして、そのバイトがトラックの運転手の助手とかガソリンスタンドとか、いわゆるバイク車関係のところに行って、
そういう人たちと夜走り回ってたりとか、みたいなのが高校時代ですね。かなりやんちゃだったと思います。
中学の時以上に?
そうですね。その意味だとそうかもしれないですね。
その後は大学は行かれたんですか?
そうです。高校の3年くらいになって、ちょっとやっぱり親に迷惑をかけすぎているなという反省から、
ちゃんと大学に行くかという話になったんですけど、一浪して、マークシートの試験のところに絞って、
山間で行ける大学がアジア大学と東海大学だったんで、なんか大ビューして怒られそうですけど。
そこはとにかく勉強全くしなかったんで、とにかく山間で行けるっていうのであったら、2年目にアジア大学がありまして、無事に大学に行きました。
私は大塚さんの前の仲間ですから、頭にイメージなんですけど、そういうイメージじゃなくて大変面白い話でございますが、
アジア大学はどんな風にして過ごされたんですか?
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当時の大学生は本当にもうみなさん一切勉強しないで、麻雀と酒ですから、部活も入らなかったので、
典型的なクラスの授業は全部大変で、あとは酒飲んで麻雀やって、以上です。
お話聞いているとずっとそんな感じになる。大変びっくりする感じなんですが、その後大学の卒業後は就職だと思うんですけど、どんな会社に就職されたんですか?
建設業界でコンクリートのプレキャスト製品というんですけど、現場打ちという現場でコンクリートを打つんじゃなくて、工場で整形した商品を運ぶ。
イメージとしてはU字構という60cmのUの字型した速工を工場で固めて持っていくんですけど、あれプレキャスト製品って言うんですけど、
あれの営業をやってました。
その会社を選ばれた理由は何か?
これも話が長いんですけど、大学4年までずっと麻雀とバイトしかしてなかったので、当時バブルが弾けたぐらいの頃だったので、
とはいってもまだ攻撃で湧いてたので仕事もいっぱいあったし、別に就職いいかと思ってたんですけど、
ただ一応親の手前にリグッドスーツと黒い靴買ったんですけど、一回も着なかったんですよね、就職活動しなかったので。
履歴書も書いたことなくて、たまたま2月ぐらいに友達と夜中ずっと48時間麻雀やるかと言って48時間寝ないでやってたんですけど、
麻雀がすげー眠くて、友達の家にスーツかかってて、スーツ明らかに一回も着てないんですよ。
お前就活してないの?みたいな話をして、俺もだよみたいな。これは親に悪いなみたいな。
ちょっとやっぱりやろうと。でも就職権なかったんですよね。
したらちょうどその時にどうやったらいいんだって言って、雑誌見たらいいんじゃない?みたいなのを当時雑誌見たら、
2月に最後の行動説明会が東京ドームであったんで、これ一回行こうってことで初めて履歴書書いて初めてスーツ着て行って、
そこに来てる中で一番給料高いところに行ったら、その人が僕が欲しいっていうので決まりました。
僕就職活動一回なんで、かなり打率高い。
一休筆座ぐらいな感じで。
一発で行きました。
一発筆中とかじゃないですかね。素晴らしいですが、ちょっと羨ましい感じなんですが。
そこは何年ぐらいいらっしゃったんですか?
4年ちょっとですね。
なるほど。その後はもうベンチャーリンクですか?
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そうです。
ベンチャーリンクに転職しようと思った理由は何かあったんですか?
それはですね、僕は小さい頃から自分はすげえ人なんじゃないか、選ばれた人なんじゃないかって本気で思ってたんですけど、
大学出て就職して2年ぐらい経った時に、俺凡人だってやっぱり気づいちゃったんですよね。
あれ?いつかは変わるんだろうなと思って、自分はものが違うものが違うと思ってたら、
24とかになっても変わらないんで人生が。
俺は実は凡人なんだっていう気がついて。
それで振り返ってみると、自分をそれで保ってただけで、
俺って何一つ勲章もないし、経歴がないんですよ。
スポーツだろうが勉強だろうが、何一つ履歴書に書けるものもないし、
あれ?俺の人生これで終わりだなみたいなのがあって。
その時に僕はちっちゃい頃になりたい自分を見つけられなかったんですけど、
こんな人にはなりたくないのっていうのだけを決めてたテーマがあって、
それ実は新橋の親父って僕はよく思ってるんですけど、
新橋のニュース番組で必ず金曜日に頭にネクタイ巻いて、
世の中の僕がいるおっさんを僕はちっちゃい頃から見てて、
俺は絶対新橋の親父みたいにならないんだみたいなのが僕の
未来の方向性だったのが、
振り返ってみると僕は就職して2年目になって、
毎週5時のタイムカード押す前にはもう居酒屋に入って、
みんなと酒飲んで会社の口ばっかり言っていて、
俺じゃんみたいな、当時最もなりたくないって言ってたのが
俺だっていうのに気づいた時に、かなりちょっと危機感を持ちまして、
これは人生変えようっていうので、
でも人生変える方法が分からなかったので、
これ転職つけるしかないなっていうので、
会社2年目終わった後ぐらいに学校に通い出しまして、
それが宅券なんですけど、
とにかくでかいことやりたいってことしか思ってなかったので、
不動産だなっていうので宅券を受けて、
2年かけて宅券取ったので、転職活を始めて、
それで不動産受けたんですけど、
それも今もある六本木のKコーポレーションっていうところが、
ちょうど六本木の自社ベル立ててるところで、
部長体育で不動産やったことないのに、
僕たまにして、採用面接めちゃくちゃいいんでしょうね。
その人が部長体育でやって、それで内定が出て、
1個しか受けてないんですよまだ。
僕人生2発2中なんですよ。
で、Kコーポレーションでいいかしたしいいかと思って、
六本木の自社ベル立ててたし、
で、決めてたんですけど、
これで俺の人生変わるかなみたいなすごい悩んで、
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結局何の経歴もないし、
このまま肩にはまった人生もやだなみたいな思ってて、
やっぱりみんなに経営とか語れるようになりたいなっていうのを、
イコールコンサルタントっていうイメージで、
もう俺コンサルタントだっていう。
で、僕建設業界のコンクリートやるときは普通に土型だったんで、
普通に道路にドリル台投げたりしてる仕事から、
コンサルタントへのテンションを図るんですね。
で、ベンチャーリンクに説明会に行って、
謎に受かるっていう。
だから3発3中なんですよ、僕就職活動。
もう大変羨ましくて、
私なんか100社受けてやっと唯一受かったのはベンチャーリンクだったんで、
本当ですか?
100分の1ぐらいなんで、ちょっと大変羨ましくて。
落ちたことないですか?
羨ましい。なんでこの違いがあるんだろうって感じですが。
じゃあベンチャーリンク受かりまして、
ベンチャーリンク払えてはいかがだったんですか?
ベンチャーリンクの人生は。
そうですね、驚異的ですね。
僕は全ての今の自分を人のせいにして生きてきたので、
結局親の、金持ってないからだとか、
いい学校行かせてくれなかったからだとか、
頭の出来が悪すぎるとか、
俺のせいじゃないみたいな、
遺伝子だみたいなことをずっと言い続けてきたので、
でもそれって多分、
自分を驚かせるくらいの人に会ってなかったんだと思うんですよね。
それが僕ベンチャーリンクに入ってみたら、
僕は会長にまず憧れて入ったんですけど、
会長なんてそもそも僕は人間だと思えなかったので、
実際に語校出てましたし、
これブッダか何かなんだろうなと思って、
いずれ消える人だと思って、
幻なんだろうなと思ったんですけど、
人間じゃないこれって、
人間として想像されるとはありえないと思ったんですけど、
中入ってみたらあんまり、
こういう人と変わらないくらいのレベルの人とかが、
もう続々いて、
会社は何なんだっていう、
とにかく僕の人生の24年間では、
全員が会ったことのないくくりだったので、
なんかワクワクしてましたね、ずっと。
自分の可能性って、
今までいた人の中では、
こういう人になりたいって会えなかったんで、
自分で作るしかなかったんですけど、
ベンチャーリンクに入ったら、
こんな人になりたいっていう人たちいっぱいいるんで、
あ、なれるかもなっていう、
存在するんだと思ったんですよね。
なんで実はずっと僕、
ベンチャーリンクで、
超過酷な労働を、
当時のようにしてましたけど、
全然、モチベーションはずっと高かったですね。
そうですか。
当時は多分本当に、
365日、24時間、
働いてた感じでらっしゃったと思うんですけど、
そうですよね。
全然、辛いとかそんな感じはなかったんですか?
ないです。
一切ないですね。
ちょっと私と違ってて、
私はずっと辛いと思ってたんで、
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ちょっと違うなと思って。
ずっと楽しかったです。
そうですか。
ちょっとびっくりの話ですけど、
ベンチャーリンクで、
学んだことっていうのは何があったかなっていうのは、
思い出せますか?
全部ですけどね、
僕の今の体の99.9%のベンチャーリンクですけど、
一番学んだのは、
やっぱり物事の捉え方だと思いますけど、
全部、
私たちもご存知のように、
意味なんてないんじゃないですか、
その時点もその物に対しても。
それを意味つけてるのは自分だっていうのが、
分かったことが一番大きいですね。
なので、
今までの自分って結局、
意味はつけられてるものであって、
それを僕は受け入れてる感じでしたけど、
いわゆる物を見るようになりましたね。
それは僕はベンチャーリンクのおかげですね。
大変ちょっと深い言葉で、
グッとくるものが。
3分コンサルティング。
ウィズビズが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは、
J社様、群馬県研修会社さんでいらっしゃいます。
初めまして、
私はキーカー関東で研修会社を経営しています。
Jと申します。
仲間うち数名でスタートした会社ですが、
おかげさま、群馬県研修会社さんに
業績が大きく上がり、
昨年から社員を増やすとともに、
新事業にも着手できるようになりました。
素晴らしいですね。
業績が伸びてきたのは嬉しい限りですが、
人数が増え、仕事も複雑になってくると、
新たな課題が出てきました。
小人数で運営していたときは、
誰が何をしているかなど、
迷惑が届いていたのですが、
現在は社内で何が起こっているのか、
社員たちが日々何を行っていて、
問題は起きていないかなど、
早くしきれなくなってしまっていることに困っています。
友人経営者にも相談したところ、
日報代わりに帰宅前に全社員に、
今日の成果をメールするというルールも
導入したと教えてもらいました。
社員も面倒なのか、なかなか進捗せず、
あまり機能していないとも言われました。
新谷社長の会社では何か工夫している点は
ありますでしょうか。
ぜひ教えていただくと幸いです。
ということでいらっしゃいます。
これはもうどこの会社さんでも
悩むような話ですね。
私も先日、100名以上の従業員になった会社さんが、
20名くらい来て、
100名になった会社さんが、
全然把握しきれなくて困っているというような
ご相談を受けたことがございます。
皆さん方はスパン・ノブ・コントロールという話は
知っていらっしゃいますでしょうか。
1人の人間は5名までしか面倒を見切れないというのを
理論を立てた方がいらっしゃいまして、
実際、私も元部下たちをいろいろと観察していますと、
やっぱり1人で多く持てて優秀なやつが7名くらい、
もうちょっとダメなやつだと
7名か2名しか持てない。
それがマネジメント力の差ということになるんですが、
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そんな状況です。
それでもやっぱり10名とか20名になると、
どんなに優秀なやつでも見切れない。
これはもう普通ですね。
ですので、どうしてもそうなるんだというふうに、
まず一つは諦めることと、
マネジメントができる人を育てていかないといけない
ということが次の課題になるんじゃないかなと思います。
もう一つは、全体の動きなんかをちゃんと測るということで
一つはうちの会社では就業規則まで入っていますが、
日報を毎日ちゃんと出せと。
社長も私も日報を出すと。
役員もみんな出すというのをルール化しています。
そして就業規則の中に入れております。
そういう意味では日報を出さないと叱られますし、
日報を毎月ちゃんと出したら出さないというのが
管理部から知らせるのでちゃんと出させるようにしますので、
状況把握というのは日報を通じてやらせていただくというのが
一つの方法だと思います。
もう一つの方法は、書いていらっしゃる、
おっしゃっていらっしゃるとおり、
今日の成果とかメールするというのもあるし、
それに対して社長さんが返信をちゃんとするみたいなことを
文化をちゃんとやっているかどうかというのは大きいんじゃないでしょうか。
読みはいいんじゃないですね。書きはいいんじゃないですね。
そこに誰かと会話をするというか、
メールのやり取りをするというのが入るから、
その状況把握も進んでいくというのがありますので、
そういう意味では、せっかく日報とかメールで成果を上げないというのを
やり取りするというのも、私はいいと思いますし、
LINEでやってもいいとは思いますが、
それの結果に対してちゃんと報告をお互いしあって、
逆に言えば返信し合うみたいな文化を作らなければいけませんね。
そういう意味では、うちの役員たちにも、
何かしら部下が成果を上げているときは返信をするというのを
徹底したりするときもあります。
また、このメールに対して、この日報に対しては全員役員は返信しなさいと
私が指示をするときもあります。
部長たちに指示するときもあります。
そういう双方向のことをやると、多少は状況が把握できるんじゃないでしょうか。
とともに最後は、うちは実はもっと変わってまして、
管理部の会議が月1回あるんですが、
管理部のメンバーには、うちの営業側のメンバーが
うちの営業側のメンバーの体調であったりとか、様子であったりとか、
または、今暗くなっているか明るくなっているかみたいなことを
一人一人全部チェックさせてまして、全部聞きます。
誰だらどうだ、誰だらどう、じゃあほっといてもいいかと、
じゃあ誰だらどうかと。
ある意味、言葉を悪く言うとスパイですね。
そういう意味で忍者とも言えますが、
そういうのを管理部のメンバーは、全社員のことを体調管理から
状況把握まで全部やりなさいというのが、
私が管理部のメンバー3名に懸命していることなので、
その3名は、いや誰だれはちょっと今元気ないですね、
今体調不良でよく休んでいるので、誰かフォローしなきゃいけないですね、
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こんなような報告が上がってきます。
それに対して私が、じゃあ彼は僕がフォローしよう、
彼女は誰だれさんこういうふうにフォローしてくれというのを
指示を出す時が時折あります。
そういうことによって、やめそうな社員というのが把握できたりとか、
実はプライベート側で問題を抱えていて、
その相談に乗れて解決策を出せてよかったこととか、
そんなこともございます。
ですので、ある意味、管理部、総務部あたりに
そういうふうにメンバーの把握を常にさせるみたいなことも
重要なんじゃないかなと思います。
さまざま他にもいろんな方法があると思いますので、
いろんな方法を試されたらいいんじゃないかなというふうに思っております。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。
本日のポッドキャストはここまでになります。
また来週。お楽しみに。