00:05
社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、角前壽一氏社長様でいらっしゃいます。株式会社Colorsの代表取締役でいらっしゃいます。
まずは、プロフィール・定例記の方をご紹介させていただきます。
1982年、大阪府ご出身でいらっしゃいます。新州大学理学部卒業後、広告制作会社にご入社。
その後、Webコンサルティングファームを得て、2013年に株式会社Colorsを創業されていらっしゃいます。
本日は、よろしくお願い申し上げます。
まず最初のご質問ですが、ご出身は大阪の水田でいらっしゃいます。
小学校・中学校時代は、どんな幼少期を過ごされましたでしょうか。
小学校の時は、水泳と少年野球をずっとやっていたという感じですね。
キャプテンとかやらされたり、そんな感じの小学生でしたね。
かなり活発な。
そうですね。親が結構転勤族で、すぐに輪の中に入るために、おちゃらけて輪の空気を持っていくみたいなのをずっとやっていて、
ムードメーカーみたいなポジションをずっとやっていたみたいな感じの小学生だったかなと思いますね。
中学時代はどうだったんですか。
中学時代は、どちらかというと入りたい高校が決まっていて、そこの高校に入るために使った3年間でした。
ひたすら勉強と頭部活だけをやっていて、僕の中では暗黒の3年間という感じですね。中学時代は。
相当頭もよろしかったんじゃないですか。
勉強は結構やってはいましたけれども、結局エリアの中で一番いい高校に先生から入れ行けって言われたんですけど、
僕は入りたい高校が決まっていたので、決して自分の行きたい高校に行ったという。それにも本当に使った3年間だったという感じですね。
高校時代の思い出は何ていうのがございますか。
高校時代はですね、原付の免許を取って友達とそこら中走り回っていたというようなですね。
結構新学校だったんですけれども、そこがあまりよくないような生徒だったかなというのが高校の思い出ですかね。
中学時代の反動とか。
それもありますよね。入りたい高校に入って、よっしゃーみたいなのもありますし、そして高校がすごいオープンな高校だったんですよね。
クラスの2割ぐらいに外国人がいたりとか、歴史も浅くて、結構地域でもオープンな高校だったので、みんな私服で通っていましたし、
自由度があったのでその反動もあり、結構本当に好き勝手やっていたという高校の3年間で。
03:02
勉強はほとんどやっていません、高校は。
それですが、新州大学に理学部、理系に受かられているとか、もともと頭はよろしかったんじゃないかな。
好きな科目が、結局はやっぱり数学とか理科とか、あの辺が割と得意で、文系科目が全くよくダメというのがもともとあったのと、
新州大学に受かったのは正直言って多分運の要素が大きいです。
というのも、二次試験で直前で見ていた問題集からテストの問題がたくさん出たんですよね。
本当にびっくりして、全然国公立全期ダメ、私立全部ダメ。
国公立の後期で新州大学に入ったんですけど、親からはもう浪人だなと言われていて、
予備校の手続きとかの準備をしていたんですけど、記念に行ってこいやと言われて、行ったような受験だったんですが、
たまたま昼飯の時に読んでいた問題集から問題が一気にたくさん出て、鳥肌ぶわーって立ちながら試験問題を解いたという覚えがありますね。
新州大学を選んだとかそういう理由はそんなにはないって感じですか?
そうですね。どっちかというと、子供の頃から親に結構スキーを連れて行ってもらっていて、行っている先が白馬だったりみたいなのがあったので、
長野にはゆかりが昔からあって、自分も大学になったらスノーボードに転校していたんですけど、毎日スノーボードできる環境がいいなというのがあって、
どこだってなった時に新州大学というのが選択肢でしたね。
大学時代の思い出は何かございますか?
大学時代はスノーボードとラクロスをずっとやっていて、大体3月から12月くらいまではラクロスのシーズンなので、
そこはずっとラクロスをやりながら、オフに入った1月、2月もずっとスノーボードをやるというのを4年間繰り返したという、そんな感じの大学生活でしたね。
ラクロスは東海エリア優勝、全日本選手権にも出場経験があり、相当うまかったんじゃないですか?
いやいや、チームでやるスポーツですから、結局はこの力が強いというよりは、僕はどっちかというとチームで負けないとか、チームで勝つためにというようなところの戦略を作る、チームを動かしていくというところが、
割と好きだったし得意だったというところがあって、僕はこの力、パフォーマンスというところでいうと、そんなに自分は高くないとは思っています。
だから、この技術というよりは周りをどう動かして負けないチーム、負けない戦略をどう引くのかというところはたぶんすごく長けていて、
それがたまたまハマって、キャプテンをやりながら全国大会に行ったみたいなのがありましたね。
そういう意味では社長さんは向いていらっしゃるご性格というか、そんな感じでお聞きする感じなんですけど。
06:01
そう思ってたんですけどね、これまた会社経営は全然違うなというのが実感としてすごいありますね。
そうですかね、ちょっと後ほどお聞きしたいと思いますが、その外学卒業後、もともと教員を目指していらっしゃったのに高校の政策会社にご入社ということなんですが、この辺を教えいただきたいなと思いますが、なぜでしょうか。
そうですね、もともとは本当に高校の先生になろうと高校の時に思っていて、教員免許が取れれば、変な島はどこでもよかったという感じなんですけど、
教育学部に行って教員になるというのは何となく省に合わないなというのがあったので、理学部に行ったという感じなんですね。
教員になるつもりで、3年生ぐらいですかね、当時は3年生で進路選択の機会があったんですけども、教員になるか就職するか、
僕は理系だったので大学院に進学するかという3つの選択肢が目の前にあったんですけども、たまたま部活の同期が文系学部の出身で就職活動をするよみたいな話があったので、
お前やらないのって言われて、じゃあやってみるかみたいなところから就職活動を始めたというのがきっかけなんですよね。
教員になるにあたっても一般企業のことを知った上で教員になった方が、もしかしたら進路指導の時にもともと生徒にすごくいいアドバイスができるんじゃないかなというのもありましたので、
一般企業に行ってから教員になりたいと思ったら戻ればいいかなというぐらいの気持ちで就職活動をやって入ったという感じですかね。
一番最初に選ばれた会社は広告制作会社ということでありまして、理系の方が広告制作会社というのは珍しいんじゃないかなと思うんですけども、何か選ばれた理由はありますか?
僕らはもともと学問のところでいうと、地質学の専攻だったので、一般的には大学院まで行って、そこから専門分野に入っていくという道としてはオーソドックス。
学部生の時に専門の道というところはなかなか難しいというのはまず一つでしたね。
どの道教員に戻るという思いもあったので、どうせだったらめちゃくちゃ面白いことをやっていて、社長がめちゃくちゃ面白い会社に行こうという選択肢で会社選びをしていたんですね。
たまたま当時、陸ナビをエントリーしてダラダラダラと会社を見ていた時に、ちょっと変わったことをやっていて、社長もちょっと変わってそうだなという会社が一社目に止まって、その会社に初めてエントリーシートを出したというのが就職活動のスタートだったんですけれども、
ご縁があって結局その会社から内定が出たので、結局最初に自分がなんとなくいいなと思った会社なんだと結局そこを選んで入ったという感じですね。
じゃあ就職活動もあまり苦労されなかったとかそんな感じでいらっしゃいますか?
09:02
そうですね。あんまりたくさん何十社も受けているという感じはないですし、ただでも選考がすごい長くて、他の会社はもっと後からエントリーが始まってもっと早めに結論が出ていたんですけど、その会社はなぜかしら半年くらいかかって、
12月の末に会社説明会に行ったんですけれども、結局内定が出たのが6月くらいで一番最後だったんですね。
それまでに内定数社が出ていたんですけれども、ちょっと結論どうですかどうですかと言われていたのを、ちょっと待ってくださいとずっと返事しながら、結局最後最終面接で社長が出てこられて、一緒にやろうみたいな話になり、
これがこの社長のところで働きたいと思って就職活動を始めて、こういう形になったんだとしたら、これはご縁なのかなと思って入ったという感じなので、苦労していないという感じ。
ダメだったら教員になるなり大学院に行くなり、それはいいかという感じだったので、その意味では肩の力が抜けた就職活動だったかもしれないですね。
広告製作会社にいらっしゃった時の思い出なんて何かございますか。
広告製作会社なんですけど、どっちかというと僕の部署は建築寄りの仕事をしていて、パチンコ屋さんとかラブホテルを回収してリニューアルオープンさせていくというような部署だったんですね。
現場が、僕は大阪市にいたんですけれども、営業範囲が北陸、近畿、中四国というどでかい範囲をカバーしていて、当時いた先輩たちが近い関西エリアのお客さんをみんな押さえているんですよ。
必然的に回ってくるお客さんって北陸のお客さんだったり四国のお客さんだったりというのが結構あって、
一番大変だったのは真冬の12月に富山県の黒部市で建築の現場があって工事がちょっと延びちゃって、終わったのが夜の10時半だったんですよね。
夜の10時半に黒部市で終わって、次の日朝7時に愛媛県の今治市に行かなきゃいけない。
ナビ叩いたら700キロって出て、700キロを夜通し寝ずに運転して、次の日の朝現場に行ったというのは思いとしてありますね。
事故らなくてよかったですね。
ただハプニングがあって、結構早めに到着したんですよね、現場の近くまで。
ただ現場8時にならないと入れないんですけど、5時くらいに近所まで来てたので、直前のサービスエリアに泊まってエンジンかけたまま寝てたんですよ。
7時くらいにふっと目が覚めたらエンジン止まってたんですよ。ガソリンがなくなったんですよ。
ただサービスエリアに泊まってて、目の前にガソリンスタンドがあって、でもエンジンかかんなくて、車をグワーッと揺すってタンクに残っているガソリン、最後ちょっと入れてカカカカってかけて、ガソリン入れて現場に行ったという、そういうハプニングもあったり。
12:15
そこが一番面白かったですね。思いつつすごい残ってます。
その後ウェブコンサルティングファームに移られていましたが、転職した理由は何かありますか?
建築の現場やってた時に、たまたま27歳の時に大きい交通事故を2回やりまして、1回は徹夜明けで現場に行って帰りにホッとして高速道路で居眠り運転を起こし、アクセル全開のまま120キロぐらいで中央分岸に突っ込むという事故をやったんですね。
幸い当たり所が良くて、車は廃車になったんですけど、僕と先輩が乗ってたんですけど、2人とも無傷で、それこそJAFにレッカーされて車近所に置いたまま電車で帰るみたいな大事故だったんですけど、それを結構経験したというのが1つ。
その半年後ぐらいに、今度はプライベートで原付に乗って走ってたんですよね。原付に乗って走ってた時に、たまたま一旦停止無視した乗用車が脇道からフワッと出てきたやつに顔から突っ込んだんですよ。
原付は当然廃車で、僕は集中治療室に運ばれて救急車で、親に連絡が行った時には息子さんちょっと危ないかもしれないですって言われるぐらいの大きい事故だったらしいんですね。
僕は事故の当時の記憶っていうのは全く覚えていなくて、実行する2分ぐらい前から次の日の朝までの記憶は綺麗にポーンと落ちてるんですけど、その2つの事故の経験が、この先の人生って僕にとってはボーナスステージだなっていう感覚がすごいあって、
活かされているんだとしたら、このボーナスステージをもっともっと使い切った方がいいなっていう思いから、じゃあ自分が本当に一回チャレンジしてみたいことはなんだろうと思った時に、当時面白い社長に仕えてましたから、この社長みたいに面白い会社を作りたいなっていうのがなんか湧いて、そこからどのキャリアで会社を作るのかみたいなところを模索し始めたっていうところがスタートだったんですね。
当時、建築がリーマンショックの煽りとかで業界的に厳しかったり、あと僕らがお相手してた業界がパチンコホールの業界とか多かったんですけれども、グレーゾーン近利の問題とかで市場がすごい小さくなっていってるタイミングだったので、ちょっとこのマーケットで独立して勝負するっていうのは自分的には難しいかもしれないなと。
15:03
同時に、だったらどのマーケットがこれからしばらく伸びる成長マーケットで新しいことをどんどん埋めるんだろうと思った時に、WebITの領域に行った方がもしかしたら可能性が広がるんじゃないかっていうのがあって、
29の時にWebIT系の会社に転職しようとして、いろんな会社を調べ始めたっていうところがきっかけですね。
なるほど。Webコンサルティング会社さんでの思い出なんか何かございますか?
そこは、どっちかというと独立するために行ったっていう形なので、取れるノウハウ、覚えられるノウハウは全部吸収しようというのがすごいありましたから、
当時もう結婚して妻がいたんですけど、妻がちょっと狂ったように仕事してたよねっていうぐらい、本当に夜中は終電で帰ってきて2時ぐらいまで家で仕事して、朝5時に起きて7時ぐらいまで家で仕事して、そこから会社行って日付き仕事するっていうのをもう1年間ずっとやっていたみたいな感じですね。
その時に自分がどこまでできるんだろうとか、独立するためにみたいなのがあったので、他の周りのスタッフとはリズムも違うかっただろうし、どっちかというと一人で突っ走って必死になってやってた1年っていう感じでしたね。
ITの領域のこととかも全然わからなかったし、その会社は1社目と違って高学歴の優秀な新卒社員とかがたくさんいてですね、そういう子たちがすごいロジカルに事業を進めていくようなチームで、僕はどっちかというとのぶ氏みたいな働き方をずっとしてきた。
僕がどうやって関わると勝負できるのか、この人たちになくて僕にあるものは何なんだろうかとか、僕は遅れてきた感がすごいあったので、それを挽回するためにどこまで頑張らなきゃいけないのかみたいなところが全く見えないまま、とりあえずアクセル踏み切って仕事してたっていうのが思い出としてはありますね。
楽しいというよりは何かに追われてずっと1年間仕事を駆け抜けてきたっていう感じがすごいあります。
経営者を応援する。社長の孤独力番外編。
本日の社長の孤独力番外編は4章の2項、営業力を強化したいでございます。営業代行会社に頼む方法もあるというのも書かせていただいております。
18:02
営業力を強化したいというのは大変難しい話でございまして、私はのべ元部下が800名ぐらいいるんですが、多分営業マンがそのうち500、600名じゃないかなと思うんですけども、
営業マン育ては大変難しいですね。正直言うと新卒営業マン入ってきてすぐに育つ人間はほぼいないですね。やっぱり3年ぐらいはかかるんじゃないでしょうかね。
そういう意味でいくと大変難しいですし、そこが3年間はお金と時間がかかるので大変難しい。
かつもと言うと、例えば10人の新卒社員を預かって、そのうち営業マンとしてちゃんと立派になるのはたった3人ぐらい。
残り7年は営業マンとしては使い物にならない。こんなのは普通なんじゃないかなと思います。
そういう意味でいきますと、営業マンを育てることほど難しいものはないというのが私の実感でございます。
そういう意味で営業代行という会社を使うという手はあるんじゃないかなと思います。
もちろんその営業代行会社さんも得意不得意でございますし、使える使えないでございますし、
御社の商品、皆さん方の商品が営業代行会社を使うのに合っているかどうかなんてもございますので、その辺が悩ましいと思います。
そういう意味ではトップ自らがやっぱり営業をしていくのが中小企業の社長さん方からすると正しいんじゃないかなと思います。
私がよく一番言っていることは、やっぱり企業のトップ社長さんが一番の営業マンである。
なぜならば商品サービスのことを一番よく知っているし、その商品サービスがお客様の何を解決し喜びや楽しみや嬉しさにつなげるのかということは、
社長様自らが一番よく知っているケースが大ございます。
そういう意味で強み弱みをよく知っていらっしゃる対象様がきちんと営業された方が信用度もあるし売れるのではないかと思います。
昔、日本酒の雑菜の桜井会長に御講演をいただきました。
その時にこんなことを話していたんです。
ついだ後、雑菜というのが全然売れていなかった時に山口県内の、雑菜山口の企業ですので、山口県内の酒屋さんに行っても、
そこで話して売ってくれても大した量は売れないし、意味はない。
そうではなくて、東京の百貨店とか、割とお酒を高めというか、ちゃんと売ってくれるようなところか、
またはパリの三ッ星のレストランとかに、桜井会長自らがお酒を持って売りに行って、これは美味しいからと言って歩き回ったそうです。
結果的に、今ではあの雑菜になりましたし、パリの三ッ星のレストランでも支援され、
そして日本酒というものがワインのように飲まれる、そして美味しいと、こんなような評判になったと、こういうことでございます。
そういう意味では、雑菜の桜井会長のように、トップ自らが営業するということも大変重要なんじゃないかなと思っています。
そういう意味で営業力を強化するというのは大変難しいですし、
21:04
社長自らがまず営業していく、そしてその背中の姿を見せ、そしてノウハウをきちっとマニュアル化するなりして、
部下たちに教えていく、そしてやらせてやれるように変えていく、
こんなことが本当は営業力を強化する上では一番重要なんではないかなというふうに私自身は思っています。
私自身も部下を引き連れて何度もいろんなところに営業してまいりました。
特に営業力のないチームや成績の悪いチームは、とにかく私が行って日本を見せて、
なぜあそこでこういうことを言ったのか、なぜこの場面ではこういうことを言うのか、
なぜこういうときにこのツールを使うのか、みたいなことをこと細かに指導していたことを思い出します。
それでも本当に育つのは3割ぐらいの社員か4割ぐらいの社員じゃないでしょうか。
そんなことも多少諦めつつ、しかしながらトップ自らが一生懸命営業し、
それを社員たちに見せ、そして営業力を強化してくるというのが正しい姿なんじゃないかなというふうに私自身は思っております。
ぜひお試しいただければと思っています。
本日の社長の孤独力番外編はここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく、文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆さんの会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。