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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社コプロ・ホールディングス代表取締役社長 清川甲介氏様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
1977年、愛知県生まれ、建設会社を打ちのむ父様のことを育たれました。
専門学校を卒業後、地場の建設会社は施工管理に従事、
その後、業界最大手の建設系アウト送信会社に転職。
26歳にして、子会社の代表取締役に就任。
年賞50億から200億円への成長を実現されていらっしゃいます。
その後、2006年、株式会社コプロエンジニアードを設立。
建設業界に特化した人材派遣業を展開。
その後、ホールディング会社を設立し、
2019年3月には東証マザーズ・名証セントレックスに上場されている
上場企業の社長様でいらっしゃいます。
清川社長、本日はよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身は愛知ということで、
小学校・中学時代の幼少期はどんなお子さんでいらっしゃいましたか?
基本的にファミコン世代とか、ファミコンが世の中に生まれて
ちょうどその頃だったんですよね。
同級生はみんな父親とか母親にファミコンを買ってもらったりとか、
もちろん僕も買ってもらったんですけど、
あんまりゲームばかりしている少年よりかは、
アクティブに外に出て走り回る。サッカーやったり野球やったりとか、
外で遊んでいる方が好きな幼少期でした。
じゃあマリオとかそんな感じよりは、スポーツとかそういうことをやっていらっしゃったという感じですか?
そうですね。
中学時代もそんな感じでいらっしゃいましたか?
そうですね、ゲームにあまり魅了されなかったというのは、
結局手元で指を動かして、画面上の自分の意思を伝えていくというよりかは、
自分の体を動かして、体そのもので何か楽しみを感じたりとか、
そんなような幼少期、そして中学時代もスポーツに明け暮れたりとか、
そっちの方が楽しい時でしたね。
スポーツは何をやっていらっしゃったんですか?
僕はあまり見られないんですけど、バレーボールをずっとやってきました。
清川社長のこの雰囲気からすると、運動神経も相当よろしいようなイメージなんですけども。
運動神経はいい方だったと思いますけど、
この今の体格とか、コアモテ系の顔でいうとですね、
バレーボールってみんな当てられないんですよね。
柔道とかラグビーとか格闘技、そういうのをやってたという風に見られます。
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小学校の頃からずっとやってたのは、町の道場に通って空手はずっとやってましたね。
バレーバポジションはどちらでいらっしゃったんですか?
一番最初始めた時は、レフト、今でいうサイドアタッカーですよね。
高校になって、センターというポジションもあるんですけど、
主にブロックであったりとか、クイックですよね。
そこのポジションになりました。
割と背も高くて、運動神経も良くてという感じでしたね。
そうですね。
その後、専門学校にオススメということなんですが、
専門学校はどういう系の専門学校にオススメになられたんですか?
自慢ではないですけど、僕は学がなかったので、
大学に行きたいという気持ちよりかは、
いち早く働きたいとか、いち早く父親の会社を継ぎたいという気持ちの方が大きかったんですけど、
その時にどうするかという、高卒で仕事をするのもあまりにも良くないなというところで、
名古屋駅にありました、名古屋工業専門学校、この建築製図学科に進学しました。
最初から建設関連に行こうというのが、清川社長の思いだったということでいらっしゃいますね。
そうですね。業種としてはもう建設業一本でした。
これは父親の影響がかなり大きく影響していると思いますし、
小さいながら父親の働く姿、従業員との関わっている姿を見ると、
やっぱり建設業で働く人たちってかっこいいなという気持ちがずっとありましたから、
必然的に自然に建設業という道には行きましたね。
なるほど。その後、地場の建設会社にお勤めになられたようでございますけれども、
これはもう先ほどの話と同じで、いつかお父さんも会社を継ぐから、
修行のつもりと、こんな感じでいらっしゃいますでしょうか。
そうですね。父親は本当に甘い父親じゃなくて、かなり厳しい。
僕は子供の頃から怖いくらいの感覚を持っていた父親像だったので、
自分の会社を継いでほしいという気持ちはありながらも、
他の従業員の立場もありますから、
すぐ息子を自分の家に入れるような甘いような父親ではなく、
まずは他の会社の飯を食ってこいというところで、
別の会社の建設会社に自分で就職活動、
自分自身を売り込みに行って取っていただいたということですね。
なるほど。その他の業界最大の建設業アウト送信会社に転職されていらっしゃるということなんですが、
転職のきっかけは何かありましたでしょうか。
ずっと父親の姿を見て、建設会社に魅力を感じてという形で来たんですけど、
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その入社した会社さんで、僕に与えられていた仕事というのが、
俗に言う積算業務、見積もりを作るがための積算業務というものがあって、
朝から晩まで狭い部屋の中でですね、
分厚い設計図書を一個一個数量拾って、それを見積もりにしていくという、
この仕事がずっと続いたんですね。
僕はやっぱり現場監督という仕事に憧れて、
入社したにも関わらず、人との関わりもない、
ずっと設計図書と睨めっこの状態。
幼少期はやっぱり活発的に外で遊ぶ方が好きだったというところもあるんですけど、
その仕事に相当抵抗感を感じながら、
なかなかこれだと行き詰まるし、
息苦しいし、なんか嫌だなっていうのを感じ始めて、
であれば退職して、次の仕事を求めるというところで転職を決意しました。
26歳でも子会社の社長になられたということは、相当優秀でらっしゃったということだと思うんですけど。
優秀か優秀じゃないかって言ったら、僕は優秀じゃないと思ってます。
その転職した会社っていうのは、建設業界に特化した人材派遣を、
現場監督さんを派遣する会社だったわけですけど、
やっぱりその時もですね、現場監督でいろんな会社を渡り歩きたい。
将来の父親の会社を継いだ時に役に立たせたいという思いで転職をしまして、
現場監督として面接に行ってるんですけど、
その当時の面接していただいた名古屋の責任者の方がですね、
君は営業向きだから営業やりなさいというお誘いがあって、
僕の営業人生というのがスタートしました。
ですから最初はかなり現場監督に相当こだわりがありましたから、
相当な抵抗感はあったんですけど、
そこまで人生の中で誰かに必要とされたりとか、
営業向いてるから営業やってみなさいと言われることって、
もしかしたらこれって一つのご縁だし、
自分にとってチャンスかなというところでチャレンジしたわけですよね。
先ほどの話に戻りますけど、
優秀か優秀じゃないかって言ったら、
僕は営業のノウハウなんていうのは全くわからないし、
どうやったら契約が取れるのかっていうことも一切わからない中で、
営業活動を始まるわけですけど、
ただ営業ってやっぱり何が大事かっていうと、
お客様に何を提供していくのかとか、
もちろん対応するスピード感とか、
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そんなことがすごく重要だなって考えてまして、
数多く企業さんのご担当者ですね、
当時建築部の部長さんであったり土木部の部長さんであったり、
こういった人に会いに行くと。
ですから何か営業トークが特筆してあったというわけではなく、
いかにご担当者の懐に入り込んでいって、
清川康介っていう人間を好いてもらうのか、好んでもらうのか、
清川康介っていう人間を印象付けていくのかっていうことに
集中して取り組んでましたね。
その結果、どんどんどんどん受注が入ってくるわけですけど、
それが本当に自分の営業としてのやり合いにもつながってきましたし、
変な話、収入ですね。
営業はやっぱり実績上げれば収入が増えていくっていうところがありましたから、
その対するお給料も比例して増えていって、
かなりやりがいを感じていた頃ですね。
26歳の時に、その会社の社長に大抜擢されるわけですけど、
当時、大きなグループ会社で展開している会社でして、
その一小会社だったんですね。
建設業界に特化した人材派遣を行っている会社。
若くしても結果さえ残せば、
そういう大きなポジションを任せてもらえるような、
ちょっともしかしたら、世の中からしたら一風変わった会社だったかも。
26歳で年賞50億円の会社の社長をやらせてもらえるっていうのは、
一つの考え方によってはちょっと、
すごいねっていうか、とんでもない話だと思うんですよね。
ただ、若くしてもそういったチャンスを与えてもらえる会社だったので、
26歳の時にはグループ会社の中で市場を最年少という風に言われていましたし、
そこで社長を任されて、また業績を拡大していくというところにつなげていきました。
繰り返しの質問になってて失礼な話になってしまうかもしれないですけど、
やっぱり26歳で最年少で社長になられて、相当営業成績が良くて、
清川社長ならできるだろうと上司の方々、先輩方々、皆さん思ったから、
多分ご承認されていらっしゃると思うんですが、
50億から200億に成長させた要因なんていうのは覚えていらっしゃいますでしょうか。
要因と言いましても、
やっぱり僕は若い中で市場最年少と言われる中で社長を拝命しているというところがありますから、
もちろんそこに自信のなさげな姿を社員に見せてしまったりとか、
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不安な気持ちにさせるということは良くないので、
見え方的にはやっぱり僕についてきてくれ、俺についてきてくれという形は必要なんでしょうけど、
その裏側にはですね、やっぱり僕の気持ちの中では常に不安な気持ちとか、
もっと言うのであれば怖さとかっていうものは持ち続けていたと思います。
これは一概にネガティブな方向で取る不安とか怖さということではなく、
常に自分自身がレベルアップをしていかなければいけない。
清川光介として成長していかなければいけないというところから、
ある意味ポジティブな捉え方での不安とか怖さということだったと思います。
若いから経験がない、決断力がない、そういう経営者ではいけませんから、
常にやっぱり自信を持ちながらも、一方でその裏側では不安な気持ち、
このままの俺で大丈夫なのかということを常に自問自答をしていたというふうに思っていますね。
その繰り返しで、これも100点満点とかゴールはない部分ですけれども、
自分自身を人間的にも日々成長させていくことで、
周りの社員とか周りの人たちに対する影響力を発揮しながら、
全社員で同じビジョンを描きながら、
同じ方向性にパワーでもっていったというような感じが強いんじゃないでしょうかね。
ありがとうございます。
その自信と謙虚という両方の部分というお話なんだと思うんですけれども、
それはお父様の教えですか、それともご自身でそうすべきだと思われているんですか。
父親の影響は間違いなくあると思います。
幼少期、礼儀・礼説の知恵とか能力というのは、
厳しい中でも空手を通じて経験を得た部分だと思いますし、
あとはバレーボールという競技って、
これも一人では1点ですら取れないスポーツですから、
やっぱり周りに対する気遣いとか、
チームワークとか、そういったことはバレーボールを通して
身につけたスキルじゃないかなというふうには思います。
何か明確に尊敬する経営者とか、
清川康介の歴史に影響力を与えたような経営者の本で勉強したとかっていうことよりも、
父親の影響であったり、自分が生きてきた、
約20数年の中で培ってきた部分かなと思います。
経営者を応援する。社長の孤独力番外編
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本日の社長の孤独力番外編は、我が子を後継者にすべきか、
役員を後継者にすべきか、
リスクを置いたくないというものは後継者にするなというところでございまして、
これは本当に非常に難しい問題で、
先週、先々週もこの後継者問題のところをしゃべっていると思いますが、
悩ましいところですね。
過去、私がお聞きしている社長さんで、お次になって成功している方は、
借金が年賞以上だったり、年賞とほぼ一緒だったりした会社を
お次になって成功させている、ほぼ借金をゼロにしている方は、
3人知っているんですが、皆さん社長さん方では、いやすごい覚悟ですよ。
ある社長なんかは、継ぐつもりないのにお父さん亡くなって、
ついで見たら大借金で、葬式終わったらさっさと大企業に勤めていらっしゃいましたから、
そっちに戻るつもりが、女性の事務のスタッフと言っていましたね。
事務のスタッフの方が、とにかく行かないでみたいな感じで、
行ったらどうすればいいのか分からない、みたいな状態。
お父さん一人でやっていたので、年賞30億以上だったそうですが、
それをぶつかなきゃいけないと言って、最後、ご家族でしょうがない都合というので、
ついだ後、どんどんどんどんいろんなことが軽みになって、
最後、ひめくりカレンダーを作って、ここまでここできなかったら、
一家新住しようと決めて、建て直されたそうですね。
ある社長さん、別の社長さんも、こんなことを仰っていらっしゃいましたね。
年賞以上に社長借金があって、いいから親父を継がせろということで、
お父さんもご存知なんですが、継ぐのを決めて、絶対継いでやると。
継いだ後、すごい大改革をいろいろやって、結果年賞以上に借金がなくなって、
今度次、自分の息子に継がせることがあると思うと、
借金あったほうが社長として成長していいな、
借金残したほうがいいかな、とか悩んでいる。
もう無借金に近づいている。
それは覚悟、俺がもう覚悟ってもうだめだった。
俺がもう全部責任を取るんだ、みたいなことを思ったので、建て直せた。
ある社長さん、3人目の社長さんは、お父さんが亡くなったらよくわからない視点があったので、
その視点に行ってみたら、お父さんの愛人がいて、知らない自分の姉がいて、
娘さんがいて、びっくりして、みたいなことがあって、
最後、お母さんも知らなかったので怒っていたのですが、
その怒っていたお母さんと愛人が組んで、訴えてきて、株の取得の件で争いになって、
それも処理して、今じゃあ大変、その業界で有名なカッタリ企業さんになっています。
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皆さんが共通するのは、覚悟を決めていたということですね。
なので、後継者は誰がいいと言われたら、覚悟を決められた人。
第三者でもいいですね。他人でもいいです。
役員の世の中にいたら、役員でもいいし、部長さんでもいいし、幹部でも構いません。
もちろん息子さんでも構いません。でも覚悟を決めなきゃダメですね。
リスクを終えるかどうか。これが大変重要だし、一番難しいし、聞けば聞くほどですね、
いろんな方々の、お次になった方々のお話で成功している社長さんのお話を聞けば聞くほど、
この覚悟が一番難しいですね。
お父様が急に亡くなられたりすると、覚悟を決められてもらえなくてしょうがなく覚悟を決めたって方がやっぱり大半でらっしゃるんですけども、
そういう意味でいきますと、非常に難しいお話。
なので、誰に継がせるのって、正直言うと悩む。非常に悩む。
だけども、覚悟を決めてくれそうな人に任せるしかない。
なんて言い方になってしまうかもしれません。
それぐらい非常に難しい問題ですし、選出部ですし、メリットデメリットがございますので何とも言えませんが、
その覚悟をつけさせるという教育ができたらいいんじゃないかなと思います。
大祭の櫻井会長にご講演をいただいたときに、社長は育てられない。勝手に育つもんだと言ってました。
その借金が年少以上になった疲れた方が、息子に借金を残した方がいいかなっていうのも、その櫻井会長の言葉と似てらっしゃいますね。
覚悟をさせるというか、じゃないと社長は成長しない。勝手に自分で成長していく。
なので、借金を背負わせた方がいいのかもしれない、みたいな感じでしょうか。
非常に悩ましいです。非常に悩ましいですが、そんなことを考えながら継がせるということを考えられたらいいんじゃないかなと思います。
リスクを取れるかどうか。覚悟がつくかどうか。大変難しい問題ですが、ぜひ継がれる方も継がせる方もお考えいただけたらいいんじゃないかなと思います。
本日の社長のご独特、番外編はここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
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この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
KAノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にも貼っていただいています。
ぜひネット検索でKAノートスペース社長インタビューと入力いただき、
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本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。